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本編
最期の言葉
しおりを挟む東の街を出てから2日は経っただろうか。もう日付を数えることさえ億劫だった。
後ろを振り返れば、遠くに見える王の墓とその奥僅かに見える東の街。
前を向けば、シェバが誇る鉱山とその麓にある街の景色を瞳に映す。
きっともう、これで最後だろう。
私はこの豊かな国の王であった。
確かに、皆に慕われ、愛し愛された王であったはずだ。
だがきっと、先代のような立派な墓は用意されず、私は国を守りきれなかった愚かな王として語り継がれるのだろうか。
――でももう、それでも構わないと思った。
もう炎に染まる光景を見たくない。
もう、心を抉られたくはない。
それ以上の願いはもうなかった。
くすんで使い古した雑巾のようにボロボロになったワンピースを纏い、2人の女官と1人の従僕、そして1人の騎士を従え、命を狙うエプト軍から逃げる日々。
誰がこの姿を見て女王だと思うだろうか。
この命を差し出せば、民は、タリク達は許してくれるだろうか。
未熟な女王と共に歩いてくれた、一人一人の人生が見えるのだ。
私のせいでエプト軍に殺された城の者や民たちにも同様に、人生がある。
そして、私がこれまで殺してきた敵国軍や反逆者にも人生があったはずだ。
仕方の無い事だった。
ーーだから、私の命も仕方がないのだろう。
自らの手で殺した行為を悔いるつもりは毛頭ない、が、愛した国が壊れていく様を見ていて気丈に振る舞うのは、感情を殺さなければ到底無理な事だった。
だが愚かな私は、一人の青年騎士の登場からそれをする事も出来なくなっていた。
諦めと悲しみと、守らなければという焦燥と、半ば投げやりな感情とで、もう私の胸の内は壊れているのにも関わらず、表情は平然を保ち、どこか落ち着いている。
何も守れないのなら、できないのなら、ならせめて私の命を持って全てを終わらせよう。
幾度も幾度も決意したはずなのに、別れが惜しいのだ。
満天の星空の下、逃げようと涙ながらに言葉を発した青年の手を拒んでまで選んだ私の決断に迷いなどない。
ないはずなのに、あの星空の日から恐怖や怖れが私の心臓を撫で続けて、ずっと胸の内が苦しかった。
死ぬことは怖くない。
このまま生き続け、失う事を知ることの方がずっと怖いはずだ。
変わらない愛などない。ああ、分かっているのに――。
このペースで歩いていけば、先の街まで半日もあれば到着出来るだろうか。
昼下がり、荒野、乾いた風。
滴る汗、穴の空いた心。
右後ろに居たはずのナジュムがふと足を早めて、私の隣を歩き始めた。
心ともなくその右横を見ると、一瞬だけ温かな瞳が私を捉える。
寂れた神殿の階段に座り込み、星と月の淡い光に照らされて、逃げようと、愛してると、そう抱き締められ口付けを交わした奇跡のようなあの夜を思い出し、そっと目を伏せた。
それはもう、美しく物悲しい景色だった。
ナジュムが生きている希望の光を見い出せた大切な記憶でもあり、彼を失う恐怖を感じた忘れたい記憶でもあった。
たった2日前の出来事なのにも関わらず、遠い昔の出来事のようだ。
ナジュムと私の足りない時を埋めてくれるようでどこか嬉しくて。
月星がとても綺麗で――。
今にも溢れ出てしまいそうな弱さを、半ば狂気さえ感じるほどの強い思いで押し殺した。
――女王の名を捨ててナジュムと共に逃げる、という選択を断ったことに悔いはない。
私はシェバ国の女王だ。
この国を愛するということから逃げることは決して許されない。
例えそれが、大切な人からの頼みだったとしても、いくら泣かれて縋りつかれても、その時の感情が泡沫の如く消えていくことがある事を私は知っている。
ナジュムがいつまで私を愛し続けていられるのか、それは誰にも分からない。
もし彼の心境に変化が訪れ愛が変わってしまった時、可哀想なのは彼なのだ。
胸元にしまってあるあの最後の手紙に手を当てた。
――この想いを素直に伝えられる関係だったら、この時代で、違う者として違う出会い方をしていたら、今頃私たちはどうなっていただろうか。
軽くため息をつき、隣を歩くナジュムの大きく精悍な手を見つめながら、震える手を伸ばす。
聞いてみようか……。
――いや、辞めよう。互いに辛いだけだ。
伸ばしかけた手を止め、小さく俯いた。
「セイル様」
その温もりを持つ声と共に私はナジュムを見上げる。
「なんだ」
「先の街まであと少しですね。もう少しの辛抱です」
彼は私の顔を覗き込み、そしてまた目が合うとニコッと優しく笑ってくれる。
彼は本当にこの状況が分かっているのか、と目を疑いたくなるほどの笑みだった。
しかし、荒ぶって傷ついた心情を落ち着かせ、傷を癒してくれるような笑みだった。
そうだ。いつだって彼の本心は分からない。
過去から今まで彼から貰ったどんな言葉も、もちろん私に光を与えたけれど、もしかしたら、邪な思いがあるのかもしれないと疑わなかった訳では無い。
――悲しい――
ああ私はそれが悲しいのかもしれない。
その優しい笑みや言葉達が嘘だったとしても、不安に脅えた心を包み込んでいったのは紛れもない事実で、私に前進する力を与えたのも事実なのだから。
その様子を見ているイフラスとテラサとマリクが顔を赤らめながら、何やら小声で話し始めた。
「ああ。そうだな」
私は胸の内を悟られないよう微笑み返し、歩く足を早めた。
そうしてナジュムは再び私の右後ろに下がっていく。
この微笑みともう二度と会えなくなる。
そう思った時、制御出来ないほどの大きな感情に支配されていった。
これを情だと意地を張るのも、もう疲れてきた。
どう足掻いても運命は変わらないのに、命の終わりを前に、求めるものに対して今更心が忠実になってくる。
心から信じたい。
信じてみたい。
いえ、きっともう信じている。
――だから怖いのだろう。
答えのない想いの行く末を案じたところで、私はもうじき死ぬ。
そう巡らせながら、右後ろの見えない温もりを感じながら視線を前に向けると、意図せずその足は止まった。
その光景に目を疑った――。
「………はっ」
今更、絶望など感じなかった。
ただただ唖然と立ち尽くし、自らの運命に呆れた。
その目に映ったのはエプト軍のブルーの戦車。
私は小さく息を飲む。
「――セイル様、これ遠くに見えるのって」
テラサが不安げに声をあげる。
「……大丈夫だ。私が今、女王に見えるか?」
薄汚れたくるぶし丈の服を広げて、テラサに軽く笑ってみせる。
「……ささ、行きましょう。ねっ?」
イフラスでさえも不安な表情を隠しきれていなかった。
強ばる表情で、私たちは一歩足を踏み出す。
皆にこのような表情をさせたくなかったのに、させてしまっているこの現実が辛かった。
隠れる建物など何処にもない、このまっさらな荒野で、砂漠で、何を守れるだろうか。
ああ、もう、こうやって私は朽ちていくのか。
無力だ、無知だ、無責任だ、道中散々民から言われてきた。
全く、その通りだ――――。
落ち着いていた表情と反して、心の中は様々な思いや考えが蠢いて私を犯していく。
抱えきれないほどの重責を全て捨てることが出来たのならば、ただの弱い人であったのならば、この立場さえ私じゃなければ。
次々と自らを責める言葉が、絶望と共に少しずつ心を支配していった。
もう、いい。嫌だ。無理だ。
どうして、なぜ。私が。私が一体何をした。
国を愛しただけだ。民を愛しただけだ。
そして、大切なものたちを守りたかっただけで。
無表情で感情を殺したつもりでも、足と手と、呼吸さえも震えていく。
イフラスもテラサもマリクも不安なんだ。
ナジュムもきっと不安でたまらないはずなのに、私は自分のことばかりで――。
知らぬ間に唇が切れるほど奥歯を噛み締めていて、気づけば鉄の味が舌を震わせた。
「……セイル様?」
そう囁き声が耳元で聞こえた後、突然ほのかに熱を持った手が背中を優しく撫で、肩が強ばる。
しかし、その温かい手がナジュムの手だと分かると、恐れや不安を吸い上げていくように震えが収まっていくのが分かった。
まるで――魔法のようだと思った。
「僕はさいごまでお供します」
ナジュムがどういうつもりでその言葉を発したのか、私はとても理解したくなかった。
本当は拒否するべきなのだろう。
以前の私だったらそうしていた。
でも今私は、その言葉を純粋に愛おしく感じてしまった。
「ありがとう。……ナジュム」
彼にだけ聞こえるように、私も囁き声でナジュムへ伝えた。
「いいんですよ。これくらいしか出来ませんが、少しでも、お力になれたのなら嬉しいです」
瞳を合わせると、ナジュムはいつかのようにニコリと微笑む。
その時ハッとした。
その微笑みが、あの時の8歳の少年の笑顔と重なって見えて、私の周りに存在する全ての時が一瞬止まったような感覚に陥った。
少年の背中の温もりと、走っている時の受けた風の感覚。
確実に私は――少女はあの少年に惹かれていた。
その後の会話、そして少年の父親と、別れた時の離れていく少年の背中。
そして、待ち焦がれた手紙たち。
あの時の感情に名前を付けてもいいのならなんと呼ぶのだろうか――。
女王として気丈に振る舞うが、気持ちは傾きつつあった。
これは情なのか、それとも愛なのか。
見ていた世界も生きてきた世界も、身分も何もかもが違う。
それなのにどうして、こんなに惹かれるのだろう。
何を与えても釣り合うことのない、ナジュムから与えられる温もりが、幼い頃からずっと、痛いほどに魂を震わせていたことに気付いた。
今のこの選択を変える気はない。
今更変えられない。
ナジュムの手を拒んだことも、愛しているという言葉に返事が出来なかった事も、後悔はしていない。
皆を安全な先の街まで送り、私一人で戻ってエプトに殺されればエプトの暴挙も収まり、少なくとも今守れる命を守りきることができる。
私の一時の感情を彼に伝えたところで、悲しむのはナジュムなのだ。
誰に泣かれても叫ばれても、もしそれが叶うのなら、それ以外の選択は無いだろう。
けれど、ナジュムを見ていると変わらない愛をもう既に私は知っているような気がしていた。
確かに今後彼の愛の向きは変わるかもしれないし、そもそも彼が抱く私への愛に確信が持てる訳でもない。
――だが、私は、セイルはどうだった?
あの日から抱いた情は愛へと変わり、18年間それが揺らいだことはあったか。
――ひと時だってなかった――
ユージンと出会おうと、いくらソロに言い寄られようと、縁談の話が持ち込まれようと、嬉しい時辛い時思い浮かべる名前はナジュムだった。
そして、今もこうして命を賭けてでも守りたいと思っている。
例えば、この先共に歩める未来が仮に訪れたとして……私が彼に抱く愛に変化が訪れる事は決してないのだと。
神に誓って無いのだと、そう言い切ることができる。
そう、今なら――。
これは……情などではなかった。変わらないものはあった。
やっと見つけた。
もう既に見つけていたのだ――。
ああ遅すぎただろうか。
人知れず込み上げてくる気付きの涙を流させないようにと、必死に抑え込むことさえもう難しかった。
「……ナジュム」
その愛おしい名前と共に、私は隣を歩くナジュムを見上げると、眉をひそめ怪訝な面立ちをしているナジュムの視線が真っ直ぐ前を見据えている事に気付く。
「どうし――」
その視線を追った先には、今一番、目に映したくないものたちが居た。
「た……」
――エプト軍――
「…………そうか」
――ああ、終わってしまうのか――
今まで抱いてきた感情の核心に迫りそうな時、私は突如シェバの女王に引き戻され、心に芽生えつつあった真実が萎んでいくのが分かり、嘲笑さえ込み上げてきた。
軽く20は越えているだろうか。
これはいくら私とナジュムが居ようとも、太刀打ちできる人数ではない。
「………は」
ため息をつき、私は歩く足を止めた。
真っ直ぐ私達の方へ向かって、エプト軍が歩いてくるからだ。
その軍隊の端には両腕を縄で縛られているシェバ人がいて、それがヤーコプだと分かるまでにそれほど時間はかからなかった。
「……はぁ」
大きく深呼吸をし、目を閉じる。
何もかもが中途半端なまま終わった。
全て終わるんだと悟った。
時が……来た。来てしまった。ただそれだけだ。
初めから私に未来など用意されていなかったのだ。
何故か冷静にこの現状を受け止めることの出来る自分がいた。
あれ程までに守りたいと願った者たちを背に、やっと終わるんだと、私は抗うことをやめてしまった。
徐々に近づいてくるエプト軍は、やがて私たちを取り囲み、口ひげを蓄えた割腹の良い団長らしき者が私の目の前に仁王立ちし、口を開く。
「お前が女王だな」
「……そうだ。私がシェバ国の女王、セイルだ」
胸を張って言い切る目に淡い感情など灯さなかった。
神は私に女王として生きろと言うのならば、喜んで、その運命に従おうではないかと、心でシェバの神に跪いた。
「息子はどこだ」
「ユリウスは東の街の小隊に殺された。シェバの王達がお前たちを決して許さない」
「……ふん、そうか。いい気味だ」
団長はボロ雑巾で作られたような服纏う薄汚い私を舐めまわすように見たのちフッと嘲笑うと
「それが女王だとは笑わせる。エプトの王の性奴隷にでもするか? 正体を隠して俺のものになってもいいが……かつて誰もが欲しがったあのシェバの王女を殺すのは、勿体ない」
と私の顎を乱暴に掴んだ。
すぐ後ろに立つナジュムやマリクの気配が殺気立つのが分かり、私は右手でそれを制した。
それは、抵抗するな――という残酷な指示を意味し、イフラス、テラサ、マリクが一斉に息を飲んだのが分かった。
私は左手で顎を掴む手を強く振り払い、
「断る。シェバの女王がエプトの若造の性奴隷になり下がる等、未来永劫有り得ない。お前のような非魅力的な男にもな」
恐怖の一欠片も見せず、冷静に団長の目を見据えながら言った。
団長はカッと私を睨みつけ
「シェバの女王は神の分霊らしいな! この国の神を殺して、やっと豊かな土地がエプトの神のものになったと言えるだろう。それがエプト王の言葉だ。……やれ」
恐ろしい程非情な声で言い放った。
「フッ。お前は最後だ」
数人のエプト軍が私の目の前に立っているにも関わらず何もされない事に眉をひそめていると、後ろで僅かな金属音がして咄嗟に振り返った。
「……っ!」
イフラスの腹が斬られ、テラサは背後から鋭い剣で刺されていた。
イフラスは背中から倒れ込み、テラサは膝を付いて血を吐き出す。
「セイ、ル、様。逃げて」
苦しげに私に手を伸ばす二人――。
まだ息がある彼女らに、私はかける言葉さえ無くしていた。
「…………っ」
取り返しのつかないことをしてしまった――とその時気づいた。
また私の、せいだ――。
追い打ちをかけるように、無惨にも次々と刺されていくイフラスとテラサ。
いつかの夢と感情が重なってく。
――やめて――
苦悶に歪む表情が、私の目に無責任な涙を溜めた。
女王である誇りを守ったが為に、罪の無い命がまた犠牲になった。
あの時の私の決意は、一体なんだったんだ。
即位当初から、セイル様、セイル様と笑顔で接し、どんな状況でも忠誠を尽くしてくれたイフラスやテラサ。
その場をただ見つめながら、私の頬からは静かに涙が零れ落ち、それが止まることは無かった。
表情は女王のまま変えることは出来ないのに、塩辛い涙だけは無情にも頬を伝っていく。
すると――――マリクがエプト軍に斬られ倒れるのが目に入った。
乾いた大地が、シェバの豊かな大地が血に染っていく。
震える手を伸ばす。
「……あぁ」
何度も見てきたはずの血が心を抉った。
彼は私さえ居なければ父を失わず、仲間を失う絶望も知らずに生きる事が出来た。
存分にその賢さを発揮できる人生が待っていただろう。
――私のせいだ。何もかも――
涙は止まらない。
やめろと声に出すことも出来なかった。
――私がこの状況を選んでしまったからだ。
絶えなく流れる涙は頬をつたい、胸を濡らしていく。
イフラスも、テラサもマリクも抵抗しなかった。
――私がそう指示したからだ。私が殺したも同然だ。
震える呼吸と、湧き上がる後悔と、自責の念。
呪いのような感情達が胸をかき乱し、今すぐにでも自分の喉を掻き切りたい衝動に駆られる。
「――――っ」
「セイル様」
その声を求めるままに視線を移せば、酷く取り乱す私の前にナジュムは立っていた。
このような惨劇にはとても似合わない、有り得ない程に優しく勇敢な声だった。
「大丈夫」
その表情は泣きそうなのにどこか満足気に微笑んでいて――。
「…………っ」
私は自責の涙が止まらなくて。
「大丈夫だよ。大丈夫だから。……もう、忘れて。辛いこと全部」
そう言って再び微笑んだ彼は、私に背を向け一歩を踏み出す。
見えたのは少年や騎士の背中ではない。
ただ一人、愛する人の心を守ることを知った一人の男性の背中だった。
「ナ、ナジュム?」
また涙が一筋頬を伝う。
数秒後に訪れる運命にこれ程まで恐れを抱き、抗いたいと思ったことがあっただろうか。
――やめて! 行かないで!!――
急いで彼の手を掴もうとする手は、虚しくも空を切る。
そうして私から少し離れた場所で、ナジュムは抵抗することなくエプト軍に斬られた。
ゆっくりと倒れ、皆と同様に、追い打ちをかけるように次々とナジュムは刺され、斬られていく。
ずっと抱いていた私の中の真実を彼に伝える前に、その命の輝きは徐々に失われていく。
私に最期の言葉を残して――。
「え、怪我してるの……!? 背中、乗って!」
少年は少女にそう言って背中を向けた。
「大丈夫?」と頭を撫でながら心配そうに少女の顔を覗き込む少年。
「……そっか。そうしたら、それまで一緒に話そうか」
少年は焦る少女を見てクスッと笑った。
「あの。……自分でもよく分からない。なぜか助けなきゃって、必死に思って」
少年は若干照れくさそうに頬をかく。そんな少年を見て少女も頬を赤くさせた。
「ありがとう。最後まで一緒に居れなくてごめんね。……怪我が、早く治りますように」
あまりにも優しい笑みを浮かべ、肩をそっと撫でるその少年に小さな少女の胸は締め付けられた。
――本当に必要な出会いなら、神様がきっと巡り合わせてくださる。
セイル、僕はセイルを愛してる。
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そして遠くからでも、君の心を照らす光で在りたいとずっと願っていること。
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「セイル 様……!」
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「……私は、セイル様の、お傍に居たいです。……この先も」
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「この場では、僕は目の前の1人の女性を愛すただのナジュムだから。僕にとってあなたは王ではなく、命を懸けてでも守りたい、大切な人なんだ」
「死ぬその時まで一緒です」
「僕が、もっと強ければ……良かったんだ。ごめんね」
「セイル……愛しているよ」
「心から愛してる」
「僕はさいごまでお供します」
「大丈夫だよ。大丈夫だから。……もう、忘れて。辛いこと全部」
出会いから今までのナジュムからの数々の言葉と声と、愛しい面立ち達が頭を駆け巡る。
今更、今更あなたは私に忘れろと言うの。
こんな、景色を、想いを――忘れることなど出来るわけがないでしょう!!
何よりも大切なものを自分の手で失った絶望と責任を全て受け止めた。
決して癒すことの出来ない傷を負っていくナジュムを目にして、膝から崩れ落ち、呼吸もままならないほどに慟哭した。
次々と斬られて刺されていく共に過ごした大切な人たち。
私の愛した大地が血に染まっていく。
声が聞こえるのだ。
私のせいで失われた尊い命たちの悲鳴が耐えなく聞こえてくる。
目を覆いたくなる光景。
このような惨劇が街で繰り広げられてきたのか。
全て私が悪かった。全部、こうなったのは私のせいだ。
変に抗わずに私が最初から命を差し出せばよかったんだ。
私が王でなければ。
私が力あるものでなければ。
ただの弱い人であったのならば。
私は、王になどなりたくなかった。
自由に誰かを愛したかった。
素直に想いを伝えたかった。
あなたを救いたかった。
守りたかった。
何度も何度も何度も何度でも思う。
「…………っ」
嗚咽を漏らし、目の前の惨劇にただひたすら涙を流した。
今の私に出来ることなどもう何一つとして残されていない。
祈ることも願うことももう、その行為を自らに課すこと自体がとても許せない。
それでも私の視線は光を求めるように、吸い寄せられるようにナジュムへと向く。
愛しい顔は酷く血にまみれ激痛が全身を駆け巡っているはずだ。
なのに、どうして……。
ああ。私のせいなのに。涙は止まってはくれない。
乾いた地面に両手を付いて、本当はこの現状から目を逸らしたいのに、愛しい面立ちを決して忘れたくないという想いから、彼から一時も目を離すことが出来なかった。
なぜなら――彼は全てが満たされているかのように微笑んでいたから。
どうして、なぜ、そんなに穏やかな表情をしているの。とても痛いはず。苦しいはずなのに。
斬られるナジュムと目が合う度に私は乾いた地面を涙で濡らしていく。
どうして、そんなに優しい顔をしているの。
痛いでしょう? 辛かったでしょう? 苦しかったでしょう?
頑張らせてごめんなさい。本当にごめんなさい。
あなたを連れ出したい。
今から逃げようたって遅いって分かっていても……。
でも、でも、お願い、お願いどうか!
誰に何を願っているのか自分でも理解が追いつかないまま、私は拙く立ち上がり、無意識にナジュムに手を伸ばした。
そして彼に駆け寄ろうとしたその時――!
――トン、と背後から肩を叩かれ、その足は止まり、歪んでいた私の表情が強ばった。
「次はお前だ。何か言い残すことは無いか。お前は女王だから許してやる」
無機質な声で発された言葉が耳元でこだまする。
言い残す――こと?
それは、最期の言葉ということだろうか。
私はその時――――自分の立場も守るべき国のこともユリウスやユージン、父と母、他の大切な者たち、民や、自分が殺される理由さえも、全てを忘れてしまった。
止まることの無い涙を流す瞳で、真っ直ぐにナジュムだけを見つめていた。
まだ僅かに息があるナジュムは仰向けで倒れている。
腹からも腕からも足からも出血していて、地面は赤黒く染まり、額からは汗と血が混ざり合い、私の見知ってるナジュムとは程遠い姿になっていた。
ごめんなさい。本当にごめんなさい。
私が王でなければ、あなたにこんな思いをさせずに済んだ。
私と会わなければこんな辛い思いせずに済んだのかもしれないと、そう未来を想像しても、でも、あなたに会えて良かったと思う私を許してほしい。
好きなの。ナジュム、あなたが大好き。なにものにも代えがたい大切な、私にとっての光だった。
この感情を教えてくれてありがとう。私を、最期まで守ってくれてありがとう。
「ナジュム……ナジュム。愛してる」
――最期に言い残す言葉。
それは頬に伝う一筋の涙と共に出てきた。
魂が震えているのが分かった。
ああ……やっと。
やっと、言えた。
私は彼を愛してる。
愛している。
そう言いたかった。
ずっと、ずっと前から愛してるとそう伝えたかった。
抱えていた重荷も愛も全てを吐き出すかのように、彼の魂に言いかけるように、その言葉が溢れ出てきた。
まだ微かに息があるナジュムはその声が聞こえたのか僅かに顔を傾け、涙を流しながら真っ直ぐに見つめる私と瞳を合わせてくれた。
そして、少し口を開いてからいつもの様に優しく微笑んだ。
大地から胸を伝い魂を含む全身が震えた。
幸せ……とも違う、充実感とも違う、熱い何かが私を包み込んだ。
そしてナジュムはゆっくりと目を閉じ、美しい生を終える。
その安らかな表情にまた私の魂が震えるのだ。
愛してる。あなたを愛してる。ナジュム。
何度でも伝えたかった。
私はそのまますぐ乱暴に腕を引かれ、両腕両足を押さえつけられた。
今更抵抗をすることもなく、静かに涙が頬を伝いニヤリと笑った鋭い剣が私に降りかかる。
ザシュッと肉を割く音が聞こえた。
「うっ……っ」
生きたまま腹を裂かれ、経験したことの無い激痛が全身を襲った。
――死は、こんなに痛いものだったのか。
朦朧とする意識の中、エプト軍の1人に内臓をまさぐられる中――。
「なんだ? これは」
私の胸元から、ユリウスとナジュムの手紙が取り出され、傍にいたエプト軍の1人が読んだ後「重要なものでは無いな」血にまみれた地面に、乱暴に破り捨てられた。
あ――手紙が。
ユリウスの……最後の、母への手紙が……。
ナジュムの……私の日々に色を与えてくれた……手、紙が。
ああ、ユリウスは無事だろうか……。
手を伸ばす力さえ私にはもう残されていない。
そして、裂かれた腹から何かを取り出されたとき、私は血塗れになった自分の身体を見下ろしていた。
最期に脳裏に映し出されたのは。
いつかの幼い頃、川沿いに咲く花の物語を少年に聞かせた時のその少年の無邪気な笑顔と、大好きな我が国の豊かな景色。
そして、ナジュムが逃げないかと手を差し伸べてくれた時の、愛してると抱き締めてくれた時の、最初で最後の口付けを交わした時の、あの美しい星々と月が飾られた夜空だった。
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