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名を呼ぶこと
しおりを挟む「セイルから呼び出すだなんて珍しいじゃないか」
扉を開けた隙間から見えた顔があまりにも間抜けで思わずその扉を閉じてしまいそうになる。
ーーエレムでは本当にこんな青臭い奴を美男子と呼ぶのだろうか。
気は乗らないが、小さくため息をついたのち、私はソロに小さく手招きをした。
するとソロは若干表情を緩ませながら「なんだ?」と私に顔を近づけてくる。
私は怪訝な顔のままソロの耳元に顔を寄せて「従者を外すことは出来ますか?」と静かに呟いた。
その呟きを聞いてソロは何を思ったのか、万物の神でも目にしたかのように目を見開いたあと、その瞳には眩いばかりの光が宿っていく。
「もちろんだ!」
ーーどんな想像をしているのか。下心丸出しの王に私は呆れた。
ソロは上機嫌で従者を外すと、胸を踊らせながら応接間のソファーに座った。
私はその雰囲気を気にすることなく、ユージンから手渡された黒い小箱を、そっとテーブルの上に置いて、向かいのソファーに腰掛ける。
「これは、なんだ?」
「……ご存知ないのですか?」
「いや、知らない……。俺にくれるのか?」
「あぁ、もらってくれるのならぜひーー」
「こらセイル様!」
あまりにも挑発的な言い方に、後ろに立つイフラスのお叱りがすぐさま入り、私は平然とした顔で言い直す。
「あなたの女官? を名乗る者から手渡されたものです」
「女官……? こんなちっぽけなものを俺がセイルに贈るわけないだろう」
腕を組み口を歪ませながら、ソロは拗ねた雰囲気を醸し出す。
しかし、それが真実だとも信じきれない私は疑いの目をソロに向けた。
「本当に、身に覚えがないのですね?」
その不穏な視線にソロは首を傾げながらも「ああ」と一言返す。
「神に誓えますか?」
「もちろんだ」
初めて部屋に訪ねてきた時と変わらない、まるで教えを乞う少年かのような瞳。
嘘が感じられないその態度に私はため息をつき、その黒い小箱をユージンに渡した。
「で、何が入っていたのだ?」
イフラスが出したお茶に手をかけながら、ソロは目の前の私に朗らかに笑いかけた。
「ネズミの死体です」
「は?」
真顔で告げた途端、そのお茶を飲む手が止まり、ソロから微笑みが消える。
「ネズミの死体です。ご覧になりますか?」
「セイル様、それは……」
私の下がる声音を聞きユージンがたしなめようとするが、私は怒りのまま構わず言葉を続けた。
「例えあなたの仕業じゃないとしても、シェバ国の未来の女王に対して、こんな……無礼を通り越して非礼な行いが許されるとお思いですか?」
「セ、セイル。すまない。すぐに調査しよう。だから一旦話をーー」
「セイル……? このような時まで私を名で呼ぶおつもりですか?」
焦るソロに対して冷たい目を向けると、ソロはショックを受けたように震える手で茶を机に置く。
「セ、セイル?」
「無益な争いは避けたいので、この事をシェバの王に伝えるつもりは……今の所はありませんが、調査が終わるまでは私の前に現れないでください。そして、名も呼ばないでください。とても不快です」
不快だとそう言い切った私に、ソロはしばらく言葉を失っていた。
その間、私もユージンもイフラスも黙ったまま彼の言葉を待った。
厳しい言い草を諌めようとしてはいたが、二人とも胸の内では不安だった。
「そなたが怒るのも無理はない」
私の様子を伺いながら、ソロは恐る恐る口を開いた。
「無理はない?」
「怒るのも当然だ」
「はい。そうですね」
「しかし、神に誓ってこれは私が企てた事ではない事は伝えたかった。だから、エレムとしての意思ではない。必ず犯人を見つけよう」
「その言葉を聞いて安心しました」
心にも思ってない言葉を放つが、それはきっとソロにも伝わっていただろう。
ソロは不安げに瞳を伏せては、自分の指を弄び始める。
「しかしな……」
「ーーはい」
私は依然と背筋を伸ばし、一体何を言い出すのかとソロを見つめた。
「やはり私はそなたを名で呼びたい」
「……っ」
ここでイフラスが堪らず吹き出した。
「笑うでない!」
「失礼いたしました」
ソロに叱られたイフラスは早急に真顔を取り繕う。
そしてあまりにもくだらない事に、私は額に手を当て呆れた。
「はぁ。何故そんなに名にこだわるのですか? たかだか名でしょう?」
吐き捨てた言葉はソロには届くはずもなかった。
「王族でも名で呼ばれるシェバで育った者には分からないだろうが、俺にとって名とは俺自身を証明出来る唯一のものなのだ」
「ん? ……それは、あなたの名では?」
「わからず屋だな」
どこか憐れむような目を向けるソロに私の眉はピクリと動く。
「わ、わからず屋? 私がですか?」
「ーー俺はそなたを王女として見たくない。ただの、名で呼びたいのだ。名を呼び合うことで、俺は一人の人間として認められたような気になるし、そなたとその気持ちを共有したい。……これがどういう意味か分かるか?」
愛の告白ともとれるその発言。
しんと静まり返る空間の中、イフラスは口をとがらせながら目を見開き、ユージンは口をぽかんと開けたまま身を固まらせていた。
そして不覚にも私はその言葉と共に、涙が滲んでいく。
もちろんソロの言葉に感動しているのではない。
会いたくて仕方のない人を思い出してしまったのだ。
ソロのその気持ちを心底理解したのと同時に、この人ではないーーという絶望に身を包まれていくような感覚に苛まれた。
私にも名を呼びたい人がいる。会いたい人がいる。それでもそれは決して叶わない事を何故かこの言葉で知らされたような気がした。
ーー似たような言葉でも、こんなにも違うものだろうか。
呼吸が荒くなることを隠すように私は勢いよく立ち上がった。
「意味など分かりません。とにかく、この件を片付けるまでは顔も見たくありませんから」
ソロの表情を一切見ることなく、私は彼に背中を向けそそくさと奥の寝室へと消えた。
そしてそのままベッドに倒れ込み、枕で顔を覆う。
高級な布生地が涙で濡れていくのが分かった。
我ながら何故涙が出てくるのか分からない。
悲しいわけではない。ただ辛かった。
イフラスとユージンがソロに平謝りしている声が聞こえる。
私のその態度に特に怒ることもしなかったソロは、そのまま私の部屋から出ていった。
「セイル様」
しばらく経ったあと、ユージンが私の顔を覗きにきた。
私はベッドから起き上がり、瞳を伏せる。
「どうしたのですか? いきなり席を立たれて」
叱られるわけでもなく、その声色はどこか気遣うように優しかった。
「いきなりなのはソロの方でしょう」
「それは……確かにそうですね。でも、私が推察するにソロ王の事ではないような気がするのですが……」
腰を折って私の表情を覗き込もうとするユージンの視線を、私はあからさまに避ける。
「あの冴えない文通相手のことですか?」
「違う」
「そうですか」
「ああ」
「セイル様、タハル王から言伝を預かっておりますが……」
「今はいい。もう早くーー出ていってくれ」
私はユージンに背中を向け、ユージンは憐れむように悲しく微笑んだ。
「まぁなんと……」
「疲れたもう」
「私の後にイフラス殿が待っておられますが、そっとしておくように言っておきますね」
そう言ってユージンは私に頭を下げると、足音も立てずに静かに部屋を出ていった。
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