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明里、いざ出陣!

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  明里はテラス席に座ると、今さっき通ってきたばかりの道を振り返った。その視界の先では、教頭がピンクマダムに怒られている姿が見える。

「これで最初の作戦は成功か……」

  はーっと肩の力を抜くと、緊張が疲れに変わって全身に広がる。

「しかしあの教頭の目、ほんとキモかったな……」

  数分前に見た教頭の顔を思い出すと、真夏のテラスでも寒気がしてぶるっと肩が震えた。仕事柄、人前に立つことは慣れているが、やっぱりあんなおっさんに見られるのはいい気分ではない。

  もう二度と変態教頭に色気なんて使わない。明里はそう心に誓うと、スマホを取り出して羽澄にメッセージを送った。するとすぐに既読マークがつき、返事が返ってきた。

「引き続きよろしく、か……」

  明里は司令塔の友人を見たが、彼女の視線は完全に教頭たちのほうに注がれている。

  最初の目的である密会のペースを乱すことはできたので、あとは羽澄からの合図でチワワの紐を解くだけ。今のところ順調に作戦は進んでいるので、このままいけばうまく教頭のスキャンダルは掴めそうだ。

  とりあえず様子でも見ておこう。明里は羽澄から次の連絡が来るまでの間、教頭たちを観察することにした。

百席近くはあるんじゃないかと思うくらい広いカフェだが、怒ったピンクマダムの存在感が強すぎて、遠くからでもかなり目立つ。さっきから近くに座っている人たちも、ひそひそと会話しているのが聞こえていた。

「あー、早く終わらないかな……」

  友達との遊びなら、こんなカフェに来るのも楽しいかもしれないが、もちろん今日はそんな状況ではない。

優雅なテラスで、気が気ではない時間を過ごすのは結構疲れる。明里は手に持ったスマホを見ると、時間と一緒に羽澄から連絡が来ていないか確かめた。残念ながら、リーダーからの指令はまだのようだ。

  はーっとため息をついて再び顔を上げると、さっきとは違う光景が目に入った。あれだけ教頭のことを罵倒していたピンクマダムが、ゆったりとソファに座りながら笑顔になっている。

「あれ?」

  明里はちらっとサングラスを上げてもう一度見た。やっぱりピンクマダムが、落ち着いた表情になっている。むしろ、さっきまで怒っていた分、余計にその穏やかな顔が目立つ。

「何があったんだろう?」

  少し前かがみになって見たが、ここからだとどんなやり取りをしているのかわからない。

予定ではピンクマダムを不機嫌にさせて、密会のペースを乱すことだったが、これでは雲行きが怪しくなってきた。

  すると上機嫌になったピンクマダムが席を立ち上がって、カフェの出入り口の方へと歩き始めた。その様子を明里はじっと見ていると、突然テーブルに置いているスマホが震えた。

「羽澄からだ」

  画面には自分たちのリーダーの名前が表情されている。

 何かわかったのかな? そんな気持ちでメッセージを開いた明里は、予想外の内容に思わず絶句する。そこには、リーダー羽澄からのむちゃぶり命令が記されていた。

「注意を引きつけてって……どうするのよ!」

 感情が我慢できずに、つい言葉に出てしまう。そして消化しきれない怒りの矛先は、メッセージに乗せて羽澄へと送った。

 送信完了の合図と共に顔を上げると、羽澄はスマホの画面を見たまま固まっている。そして向こうも顔を上げたかと思うと、今度は申し訳なさそうな表情を作って、お願いポーズを見せつけてきた。

「はあ…………、絶対に今度ご飯おごってもらうから」

 明里はサングラス越しに羽澄を睨むと、そのまま視線をピンクマダムがいなくなったテーブルへと向けた。そこでは教頭とスーツ姿の男が、愉快そうに話しながら握手をしている。

「なんで私がこんなことしないといけないのよ……」

 自分の心境とは対照的に楽しそうな教頭たちにも、ふつふつと怒りの感情が込み上げてくる。

 明里はわざと足を組み替える仕草をして、教頭の意識を引きつけようとした。それに気付いたのか、教頭が顔を上げてこっちを見た時、できるだけ愛嬌のある笑顔を作って明里は小さく手を振った。

 怒りの感情に任せて、やけくそな行動をしてしまい恥ずかしくなったが、効果は抜群だった。教頭は驚きながらも、すぐに嬉しそうな表情で手を振り返してきた。それにつられてスーツ姿の男も、こっちを見ながらにやけ顔で手を振っている。

  男って、ほんと単純だな……。

 思っていたよりも簡単に、教頭たちの意識を引きつけることができたので、明里は拍子抜けしてしまった。そして、視界に入ってきたものを見て、自分の行動がベストなタイミングだったことを知る。

 ピンクマダムだ!

 カフェの入り口からピンクマダムの姿が見えた。その足取りは、教頭たちのテーブルに近づくほど、力強さを増していく。たぶん、怒っているんだろう。

 明里はそう確信すると、自分まで巻き込まれないように手を振るのをやめて、何食わぬ顔で視線をテラス席へと戻した。チラッと横目で店内を見ると、思った通りピンクマダムが教頭に詰め寄っている。

 よし! 

 嫌々とはいえ、自分の行動がうまくいったので、明里はぎゅっと拳を握った。これであとは、チワワの作戦がうまくいけば完璧だ。

羽澄のほうを見ると、次の作戦のタイミングを見計らうように、教頭たちのテーブルに釘付けになっている。

  あんなに怒っているピンクマダムに、チワワの紐を外しているところなんて見られれば、絶対に私も殺されちゃう……。

 明里は一瞬そんなことを考えてしまい、ぶるっと肩を震わせた。羽澄からの指令のタイミングで、自分の命が掛かっていると思うと余計に怖い。

 大丈夫かな、羽澄……。

 いつも以上に大きな不安を感じながらリーダーの方を見ると、羽澄の隣に知らない男性の姿があった。

「……誰?」

 予想外の展開に、明里は目を細める。作戦会議の時にこんな話しは聞いていない。だとすれば、偶然誰かに声を掛けられたのか? そうだとしても、羽澄の挙動不審さがかなりおかしい。

「もしかして……作戦がバレたとか?」

  実は教頭たちに協力者がいたのではと勝手に想像したが、雰囲気的にそうではなさそうだ。むしろ知らない男性は、楽しそうに羽澄に話しかけている。しかもたぶん、男前だ。

  何してんのよ、羽澄!  

心の中で大声で叫ぶも、もちろん羽澄には届かない。明里はスマホを取ると、急いで羽澄にメッセージを送った。しかし何度メッセージを送っても、既読にはならない。

「あーもう!」

  諦めてスマホをテーブルの上に置くと、教頭たちの様子を見る。どうやらピンクマダムの怒りは最高潮に達していて、教頭は完全に縮こまっていた。

「チワワの紐を外すなら……今しかない」

  ピンクマダムは教頭を罵倒することに必死で、こっちを見ていない。

明里はごくりと唾を飲み込むと、ゆっくりと立ち上がって、チワワがいるテラスの隅へと歩き出した。目線の先には、飼い主と同じピンク一色の服を着た、可愛いチワワが自分のことを見ている。

「お願いだから良い子にしててね」

  明里はチワワに向かってそう呟くと、しゃがみ込んで、柵に巻きつけられたリードに手を伸ばす。チワワは愛くるしい瞳で、上目遣いに明里のことをじっと見つめていた。

  可愛い!

  思わずその可愛さに、作戦のことを忘れてしまいそうになる。なるほど、結衣が動物に夢中になる気持ちも、分からなくはない。

「もう少しだからね」

  チワワの方も自由を待ち望んでいるのか、静かにじっとしている。

 すっと手から力が抜けて、ほどけたリードが地面に落ちた。それでもチワワは同じポーズのまま動かない。このままここに長居するわけにもいかないので、明里は店内の様子を伺いながら、急いでテーブルへと戻った。

幸いにもチワワが自由を獲得するまでの間、ピンクマダムは教頭を責め立てることに必死だったようで気付いていない。

「ふー……何とかうまくいった」

 心に溜まった緊張感を、空気に混ぜてため息と一緒に吐き出す。目の前を見ると、チワワがまるで遊び相手を求めるかのような瞳で、じっと見つめてくる。

「もうすぐ美味しいご飯が食べれるからね」

 小声でチワワに向かって呟くと、明里は再び店内の方を見た。高級感溢れる広い空間の中では、相変わらず二人の人間の挙動不審さが目立っている。

「羽澄のやつ……ほんとに大丈夫かな……」

 チワワの紐を解くことは成功したものの、結衣が登場するタイミングは、羽澄に指示してもらわないとわからない。

ここからだと教頭たちがどんな会話をしているのか聞こえないし、表情もはっきりと確認することはできないからだ。

 羽澄にチワワの紐を解いたことを連絡するも、一向に既読マークがつく気配はない。このままだと最後の最後で作戦が失敗するのでは、と明里が不安に思った時、先に動いたのはピンクマダムの方だった。

 テラス席にも聞こえるほどの音で、テーブルを叩きつけたかと思うと、ピンクマダムが勢い良く立ち上がった。

そしてあろうことか、テラスに向かって歩き始めたのだ。このままだと、結衣が来る前にピンクマダムがチワワのところに行ってしまう!

 はらはらとした気持ちで明里は様子を見ていたが、そんな状況でも、羽澄はピンクマダムの動向にまだ気付いていない。

「だーもうあの役立たず! こんな時に何してるのよ!」

 明里は急いでスマホを手に取ると、待機中の結衣に「早く来て!」とメッセージを送った。店内の方を見ると、鬼の形相でテラスへと向かってくるピンクマダムの姿が見える。

「早く早く早く! 結衣、お願い!」

 祈るような思いでスマホを握りしめていると、今度はどこからともなく、犬の鳴き声が聞こえてきた。

ワン!  という元気な第一声に、テラスにいる人達の視線がチワワに集まる。そしてもう一度店内を見ると、勢いよくこちらに向かっていたピンクマダムの足が止まっていた。

 ワン……ワンワン! 何かのメッセージを送るかのように、チワワがテラスの前の道路に向かって吠え続ける。その鳴き声の先、横断歩道を越えた向こう側には、チワワの大好物が入った箱を持った、結衣の姿が見えた。

「間に合った!」

 明里がほっと胸をなでおろした時、突如チワワがロケットスタートを切って走り出した。

ワンワンと、生き別れの飼い主に再会できたみたいに、全身で喜びを表現しながら結衣のもとまで駆けていく。そのあまりの嬉しそうな姿に、明里は改めて結衣の動物パワーの凄さを思い知った。

 行く手を阻むものおらずの状態で走るチワワに、タイミング良く信号は青へと変わる。迷うことなく横断歩道を飛び出したチワワは、そのまま一直線に結衣のもとまで走っていく。

「ペロちゃん!!」

 突然、チワワの鳴き声の何倍もの叫び声が真横から聞こえて、明里は「わ!」と驚いて思わず立ち上がった。

見ると、血相を変えたピンクマダムが、全力でチワワの方へと走っていく。全身ピンク一色の人物が、慌ただしく横断歩道へ突撃していく姿にテラス席は騒然。
ピンクマダムと入れ違いに店内へ入ろうとしていた女性店員の足も止まっている。

「いけない!」

 明里は作戦のことを思い出し、急いで店内へと視線を移した。

すると計画通りに今度は、教頭がピンクマダムの後を追ってテラスへと向かってきている。しかし、羽澄はまだ知らない男性と話しをしているようで、気付いていない。

「羽澄!」

 何とか気付かせようと羽澄の方へ一歩踏み出した時、向こうもやっと気付いたようで慌てた様子で立ち上がった。

そして、沙織のこれからの高校生活が懸かった運命の糸を、羽澄はついに引っ張ったのだ。
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