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第一章
第三話 任務
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幼い頃のセリンは、どこか茫洋とした眼差しをする少女だった。
いつも窓から遠くの沖を眺めており、滅多に見ない色の瞳からも外つ国の生まれであるのかと尋ねたが、覚えていないと首を振る。何より言葉は澱みなく、神領国の母国語を話すのだから、大洋の外から来たと安易に決め付けることも難しい。
はじめは海守公の名の下に設立されている社殿に併設された孤児院に預けようとしたが、数週間と経つ前に院長から直訴があった。
「子供たちが……セリンの取り合いをはじめてしまって。手が付けられなくなるのです……」
何の事やらと目を瞬くジョワンに、社殿の神官でもあり、孤児達の保護者役も務める温厚な老爺は弱りきった様子で紡ぐ。
「みな、セリンと共に寝起きし、セリンの隣で遊びや勉強をしたがります。あの子の気を惹こうと躍起になって、誰も師範の言う事を聞きません」
「子供のませた独占欲だろう。何をそう深刻に」
「笑い事では済まされませぬ」
口の端を擡げたジョワンの瞳を見据える、老神官の言葉は苦かった。
「幼子のなりをしておれど、拙には分かりまする。あの子には何かが憑いてございます。他者はそれに魅入られるのです。今にあの子の瞳の魔性は子供らだけではなく、世話役の師範や神巫らに及ぶでしょう」
「……どうしろと?」
「お許しください。社殿にあの娘は置かれませぬ」
新刊は深々と頭を下げた。弱りきったような、苦渋の滲むような声は心底あの少女を哀れと思いつつも、彼にはどうしようも出来ないのだと表していた。
──それほどまでの影響力を、あの幼い娘が持つというのか。
ジョワンは自分の城砦にセリンを連れ帰ることにした。セリンは文句のひとつも言わずについてきた。与えられた一室の窓辺から、およそ子供らしくない瞳でぼうっと海の方を眺めている。
「恋しいか?」
何が、とは尋ねなかった。故郷が、とも、孤児院が、とも。セリンは顔を上げて朧げだった焦点をジョワンの上に結ぶ。虹色の極光に似た光を帯びた大きな双眸が水面のように揺らめいている。
セリンは首を振った。
「いいえ」
「そうか?」
「だって、いつかは、一人で生きていくから」
まるで子供らしくない声音で淡々と、セリンは答える。そうしてまるで瞳を合わせてはいけないように、ふいと顔を背けて遠くを見た。
「私がいるとみんなおかしくなる。だから、一人で生きたい」
幼い少女のまろい輪郭をした横顔が、潮風に煽られながら凪いだ眼差しで海を眺めているのを、ジョワンは黙って見つめていた。
***
士官前のセリン・メ・ミユには目標があった。
それは、余計な注目を集めないこと。
セリンは宮中で別段目立ちたい訳ではなかった。どちらかといえば粛々と慎ましく、静かに過ごしたいとさえ思っていた。
勿論、セリンが士官した"ある目的"の進捗次第では、已むを得ず衆目を集めてしまう事も想定の範囲ではあった。武挙の主席合格者としての登壇などはそれにあたる。
しかし、このように何も武功を挙げない任官前から、新任の武官の中で一等顔を覚えられてしまうような事をしでかすつもりではなかったのだ。
セリンは考える前に体が動く己の性質を恥じた。
しかし───と、考え直す。
少なくとも一人の現場責任者の首が即座に飛ぶのは避けられたのでは無いだろうか。それはある種、己の功績と呼んでも差し支えがないかもしれない。
当の責任者が今こうして、苦虫を噛み潰したような渋面でセリンの目の前に腕を組んでいるとしても、だ。
先程停職処分を命じられたばかりではあるが、たった今セリンの直属の上官と相成った近衛長官。目の前の男──アリタヤ・ツォン将軍は低く這うような声で呼ばわった。
「……セリン・メ・ミユ」
「先程、陛下より官号を賜りました」
「ああ、そうだったな、"遊魚"」
基本的に宮中で一兵卒が本名を呼ばれることも、名乗ることも許されていない。
特に、上官から部下に対して、位が上の者から下の者に対して本名が呼ばれるのは異例な事で、儀礼に則さない振る舞いであると忌避される。尊い御位の方々に、国に身と名前を捧げ、駒となって働く下々の真名を覚えていただく必要などない、ということだ。
自分より目下の者、もしくは同輩などから敬意を持って個人として認識されてはじめて、本名を呼ばれる。官位が上がり各長官にでもなればお互いに位と名前で呼び合う事も多いものの、皇王直々に名を呼ばれる機会は滅多になく、あるとすればごくごく僅かな栄誉だ。
従ってセリンは宮中では"遊魚"が今後の名前代わりである。当座のところは。
「はい。なんでしょう、ツォン将軍」
「まず、幾つか貴様に言わねばならぬ事がある」
黒髪を結えたアリタヤ・ツォンは、鋭い眦を一層険しくして眉を寄せた。
「第一に、朝議の場で無位無官の貴様が許可なく発言する事は許されない。よく覚えておけ」
「……承知しました」
口ばかりでは従順な言葉を吐くも、セリンは柳眉を曇らせる。己があの時のセリンの発言によって窮地を救われたという認識はあるのだろうか。
セリンは正義漢ではないが、曲がった事をそのままに放っておくのも我慢がならない性分だった。剣の稽古をジョワンに付けて貰い始めた時にも、「お前は真っ直ぐに飛び込んで来過ぎる」と失笑されたものだ。
あの場の空気は執政ナサク氏の思惑に支配されていた。このままだんまりを決め込んでいては事実と異なる見解を道理とされる。それを分かってみすみすと見逃すのはセリンの信条に反した。
そういった意味では、アリタヤの感謝が欲しくてセリンが口を滑らせた訳ではない。とはいえ、良かれと思ってした行動を咎められると良い気はしないものだ。
「それから」
そんなセリンの様子を気にも留めない風情で、アリタヤは続ける。
「私の進退を気遣ってくれたのかもしれんが、余計な事だ。今後二度と差し出口を挟むな」
「なっ……」
流石にセリンの声が跳ねた。
切れ長の目を反抗的に吊り上げて、お言葉ですが、とアリタヤを睨む。
「であれば、あのまま、罪の無い将軍閣下が処分を受けるのを、黙って見過ごすべきであったと仰せですか」
「そのように申している」
アリタヤは涼しい顔をして宣った。皇王の御前でも顔色一つ変えず、朝議の間で非難の視線を一身に浴びつつも小動もしない男であったのをセリンは思い出した。
彼はふと、眸の色を昏くしてどこを見るでもなく呟く。
「私の座や命を付け狙う者などそこら中に居る。一兵卒の、それも女に庇い立てされるようでは将軍など務まらぬ」
堪忍袋という臓腑をちりちりと弱火で焙られているような不快感を覚えながら、セリンはアリタヤの顔を盗み見た。怒りを煽る言葉とは裏腹に、アリタヤの言葉の底には諦観にも似た、静かな疲れの色があった。
そのあきらめの色を、見た事があるような気がした。
——いつかは、一人で生きていくから。
沈黙したセリンを知ってか知らずか。ごく短く溜息の音を零してから、アリタヤの瞳は再びセリンの真珠色の双眸へと焦点を結んだ。一瞬感じた、老爺の憂いにも似た気配は鳴りを潜め、感情の読めない怜悧な眼差しだけが残っている。
「それから、貴様にはこれから私と共に后宮へ来てもらう」
「……は」
はつはつと、長い睫毛を瞬かせてセリンは怪訝さを滲ませた。
近衛の舎人は確かに宮中の貴人を警護するのが主な務めだ。しかし、后宮に関しては例外で、皇王と后妃たちの住まいであり、次代の神子を為すための神域のひとつである。帯刀にて入る事が許されているのは神前にて禁欲と純潔を誓った神武官と、冠位が”冬”以上の高級官吏・武官のみである。
近衛長官職であるアリタヤは確かに冬二位であるため、参内の資格はあるだろう。しかし、セリンはたった先刻に官号を拝したばかりの、無冠である。当然、后宮へと入る事は許されない筈だ。
それに加えて。
「……何故、后宮へ……?」
「先程のナサク執政の言葉を忘れた訳ではあるまい」
アリタヤの言葉は端的だ。セリンもその言葉にはっと目を瞠り、そして声を潜める。
「ツォン将軍は、件の襲撃を企んだ"内通者"が后宮に居るとお考えを?」
確かに、士官式は御簾越しとはいえ、妃賓や女官たちの列席もあった。特に、平時武官らと顔を合わせる事の無い后宮仕えの女人であれば、知らない顔が紛れ込んでいても見張りの衛士にはひと目でそれと見分けはつかないだろう。しかし、妃賓らの殆どは皇王の側室候補として用意されている女たちだ。今上皇王が崩御すれば大抵は降嫁されるか、社殿仕えの巫女として俗世を離れる事になる。それらは彼女たちにとって喜ばしい事ではない筈だ。
もしくはセリンの目測通り、アリタヤの失脚を狙ったものであれば、日頃関わりのない近衛長官を罷免や処罰に追い込みたい理由が分からない。
「見当はあるが、確証を得られるまで貴様に話す事はない」
「では、私に何をせよと仰せでございますか」
「内通者を見つけよ、と執政は仰った。貴様にはその目耳となって貰う」
セリンの背筋を薄っすらと嫌なものが走った。野性の勘に近しいその不安を裏切ることなく、アリタヤ・ツォンは無慈悲にもはっきりと言い切る。
「"遊魚"、貴様には間諜の任を命ずる。女官に扮し、后宮にて情報を探れ」
朝議の間を出る時の彼はきっと今の自分と同じような顔をしていただろう、とセリンは確信した。小作りな桜貝の唇を噛み締めて、故郷ゆかりの水兵流の罵詈雑言が溢れ出ないように息を止めているのが精一杯だった。
親愛なるジョワン総督は、どう思うだろう。鍛え抜いて送り出し、主席にて武挙を通過した新進気鋭の養い子の最初の任務が——女官の真似事であると聞いたら!
「間違ってもばれるような真似をするな。任務のためとはいえ、貴様の参内は本来許される事では無い」
「ばれれば……どうなりますか」
反射的に聞いたは良いものの、口に出してからセリンは後悔した。
そして、聞いてからは更に悔いる事になった。
「決まっている。——死罪だ」
いつも窓から遠くの沖を眺めており、滅多に見ない色の瞳からも外つ国の生まれであるのかと尋ねたが、覚えていないと首を振る。何より言葉は澱みなく、神領国の母国語を話すのだから、大洋の外から来たと安易に決め付けることも難しい。
はじめは海守公の名の下に設立されている社殿に併設された孤児院に預けようとしたが、数週間と経つ前に院長から直訴があった。
「子供たちが……セリンの取り合いをはじめてしまって。手が付けられなくなるのです……」
何の事やらと目を瞬くジョワンに、社殿の神官でもあり、孤児達の保護者役も務める温厚な老爺は弱りきった様子で紡ぐ。
「みな、セリンと共に寝起きし、セリンの隣で遊びや勉強をしたがります。あの子の気を惹こうと躍起になって、誰も師範の言う事を聞きません」
「子供のませた独占欲だろう。何をそう深刻に」
「笑い事では済まされませぬ」
口の端を擡げたジョワンの瞳を見据える、老神官の言葉は苦かった。
「幼子のなりをしておれど、拙には分かりまする。あの子には何かが憑いてございます。他者はそれに魅入られるのです。今にあの子の瞳の魔性は子供らだけではなく、世話役の師範や神巫らに及ぶでしょう」
「……どうしろと?」
「お許しください。社殿にあの娘は置かれませぬ」
新刊は深々と頭を下げた。弱りきったような、苦渋の滲むような声は心底あの少女を哀れと思いつつも、彼にはどうしようも出来ないのだと表していた。
──それほどまでの影響力を、あの幼い娘が持つというのか。
ジョワンは自分の城砦にセリンを連れ帰ることにした。セリンは文句のひとつも言わずについてきた。与えられた一室の窓辺から、およそ子供らしくない瞳でぼうっと海の方を眺めている。
「恋しいか?」
何が、とは尋ねなかった。故郷が、とも、孤児院が、とも。セリンは顔を上げて朧げだった焦点をジョワンの上に結ぶ。虹色の極光に似た光を帯びた大きな双眸が水面のように揺らめいている。
セリンは首を振った。
「いいえ」
「そうか?」
「だって、いつかは、一人で生きていくから」
まるで子供らしくない声音で淡々と、セリンは答える。そうしてまるで瞳を合わせてはいけないように、ふいと顔を背けて遠くを見た。
「私がいるとみんなおかしくなる。だから、一人で生きたい」
幼い少女のまろい輪郭をした横顔が、潮風に煽られながら凪いだ眼差しで海を眺めているのを、ジョワンは黙って見つめていた。
***
士官前のセリン・メ・ミユには目標があった。
それは、余計な注目を集めないこと。
セリンは宮中で別段目立ちたい訳ではなかった。どちらかといえば粛々と慎ましく、静かに過ごしたいとさえ思っていた。
勿論、セリンが士官した"ある目的"の進捗次第では、已むを得ず衆目を集めてしまう事も想定の範囲ではあった。武挙の主席合格者としての登壇などはそれにあたる。
しかし、このように何も武功を挙げない任官前から、新任の武官の中で一等顔を覚えられてしまうような事をしでかすつもりではなかったのだ。
セリンは考える前に体が動く己の性質を恥じた。
しかし───と、考え直す。
少なくとも一人の現場責任者の首が即座に飛ぶのは避けられたのでは無いだろうか。それはある種、己の功績と呼んでも差し支えがないかもしれない。
当の責任者が今こうして、苦虫を噛み潰したような渋面でセリンの目の前に腕を組んでいるとしても、だ。
先程停職処分を命じられたばかりではあるが、たった今セリンの直属の上官と相成った近衛長官。目の前の男──アリタヤ・ツォン将軍は低く這うような声で呼ばわった。
「……セリン・メ・ミユ」
「先程、陛下より官号を賜りました」
「ああ、そうだったな、"遊魚"」
基本的に宮中で一兵卒が本名を呼ばれることも、名乗ることも許されていない。
特に、上官から部下に対して、位が上の者から下の者に対して本名が呼ばれるのは異例な事で、儀礼に則さない振る舞いであると忌避される。尊い御位の方々に、国に身と名前を捧げ、駒となって働く下々の真名を覚えていただく必要などない、ということだ。
自分より目下の者、もしくは同輩などから敬意を持って個人として認識されてはじめて、本名を呼ばれる。官位が上がり各長官にでもなればお互いに位と名前で呼び合う事も多いものの、皇王直々に名を呼ばれる機会は滅多になく、あるとすればごくごく僅かな栄誉だ。
従ってセリンは宮中では"遊魚"が今後の名前代わりである。当座のところは。
「はい。なんでしょう、ツォン将軍」
「まず、幾つか貴様に言わねばならぬ事がある」
黒髪を結えたアリタヤ・ツォンは、鋭い眦を一層険しくして眉を寄せた。
「第一に、朝議の場で無位無官の貴様が許可なく発言する事は許されない。よく覚えておけ」
「……承知しました」
口ばかりでは従順な言葉を吐くも、セリンは柳眉を曇らせる。己があの時のセリンの発言によって窮地を救われたという認識はあるのだろうか。
セリンは正義漢ではないが、曲がった事をそのままに放っておくのも我慢がならない性分だった。剣の稽古をジョワンに付けて貰い始めた時にも、「お前は真っ直ぐに飛び込んで来過ぎる」と失笑されたものだ。
あの場の空気は執政ナサク氏の思惑に支配されていた。このままだんまりを決め込んでいては事実と異なる見解を道理とされる。それを分かってみすみすと見逃すのはセリンの信条に反した。
そういった意味では、アリタヤの感謝が欲しくてセリンが口を滑らせた訳ではない。とはいえ、良かれと思ってした行動を咎められると良い気はしないものだ。
「それから」
そんなセリンの様子を気にも留めない風情で、アリタヤは続ける。
「私の進退を気遣ってくれたのかもしれんが、余計な事だ。今後二度と差し出口を挟むな」
「なっ……」
流石にセリンの声が跳ねた。
切れ長の目を反抗的に吊り上げて、お言葉ですが、とアリタヤを睨む。
「であれば、あのまま、罪の無い将軍閣下が処分を受けるのを、黙って見過ごすべきであったと仰せですか」
「そのように申している」
アリタヤは涼しい顔をして宣った。皇王の御前でも顔色一つ変えず、朝議の間で非難の視線を一身に浴びつつも小動もしない男であったのをセリンは思い出した。
彼はふと、眸の色を昏くしてどこを見るでもなく呟く。
「私の座や命を付け狙う者などそこら中に居る。一兵卒の、それも女に庇い立てされるようでは将軍など務まらぬ」
堪忍袋という臓腑をちりちりと弱火で焙られているような不快感を覚えながら、セリンはアリタヤの顔を盗み見た。怒りを煽る言葉とは裏腹に、アリタヤの言葉の底には諦観にも似た、静かな疲れの色があった。
そのあきらめの色を、見た事があるような気がした。
——いつかは、一人で生きていくから。
沈黙したセリンを知ってか知らずか。ごく短く溜息の音を零してから、アリタヤの瞳は再びセリンの真珠色の双眸へと焦点を結んだ。一瞬感じた、老爺の憂いにも似た気配は鳴りを潜め、感情の読めない怜悧な眼差しだけが残っている。
「それから、貴様にはこれから私と共に后宮へ来てもらう」
「……は」
はつはつと、長い睫毛を瞬かせてセリンは怪訝さを滲ませた。
近衛の舎人は確かに宮中の貴人を警護するのが主な務めだ。しかし、后宮に関しては例外で、皇王と后妃たちの住まいであり、次代の神子を為すための神域のひとつである。帯刀にて入る事が許されているのは神前にて禁欲と純潔を誓った神武官と、冠位が”冬”以上の高級官吏・武官のみである。
近衛長官職であるアリタヤは確かに冬二位であるため、参内の資格はあるだろう。しかし、セリンはたった先刻に官号を拝したばかりの、無冠である。当然、后宮へと入る事は許されない筈だ。
それに加えて。
「……何故、后宮へ……?」
「先程のナサク執政の言葉を忘れた訳ではあるまい」
アリタヤの言葉は端的だ。セリンもその言葉にはっと目を瞠り、そして声を潜める。
「ツォン将軍は、件の襲撃を企んだ"内通者"が后宮に居るとお考えを?」
確かに、士官式は御簾越しとはいえ、妃賓や女官たちの列席もあった。特に、平時武官らと顔を合わせる事の無い后宮仕えの女人であれば、知らない顔が紛れ込んでいても見張りの衛士にはひと目でそれと見分けはつかないだろう。しかし、妃賓らの殆どは皇王の側室候補として用意されている女たちだ。今上皇王が崩御すれば大抵は降嫁されるか、社殿仕えの巫女として俗世を離れる事になる。それらは彼女たちにとって喜ばしい事ではない筈だ。
もしくはセリンの目測通り、アリタヤの失脚を狙ったものであれば、日頃関わりのない近衛長官を罷免や処罰に追い込みたい理由が分からない。
「見当はあるが、確証を得られるまで貴様に話す事はない」
「では、私に何をせよと仰せでございますか」
「内通者を見つけよ、と執政は仰った。貴様にはその目耳となって貰う」
セリンの背筋を薄っすらと嫌なものが走った。野性の勘に近しいその不安を裏切ることなく、アリタヤ・ツォンは無慈悲にもはっきりと言い切る。
「"遊魚"、貴様には間諜の任を命ずる。女官に扮し、后宮にて情報を探れ」
朝議の間を出る時の彼はきっと今の自分と同じような顔をしていただろう、とセリンは確信した。小作りな桜貝の唇を噛み締めて、故郷ゆかりの水兵流の罵詈雑言が溢れ出ないように息を止めているのが精一杯だった。
親愛なるジョワン総督は、どう思うだろう。鍛え抜いて送り出し、主席にて武挙を通過した新進気鋭の養い子の最初の任務が——女官の真似事であると聞いたら!
「間違ってもばれるような真似をするな。任務のためとはいえ、貴様の参内は本来許される事では無い」
「ばれれば……どうなりますか」
反射的に聞いたは良いものの、口に出してからセリンは後悔した。
そして、聞いてからは更に悔いる事になった。
「決まっている。——死罪だ」
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