11 / 28
11
しおりを挟む
予定どおり昼食を終えた私たちは、馬車に乗り領地の中心街へ向かっていた。
車輪が石畳を転がる音を聞きながら窓の外を見つめると、遠くに広がる山稜が明るく照らされて、空とのあわいを曖昧にしている。
(精霊の加護がなくても、魅力的な土地だわ……)
精霊の加護を失った土地は、今まで受けていた加護を一気に失うかのように、たちまちに衰えてしまう。
殺伐とした大地を踏むのは、精霊を認識できる身としてはつらい。
私のように精霊を感じられなくても、この土地に暮らしている人々も、弱っていく自然を肌で感じているはずだ。
ヒュドル邸の使用人たちは朴訥とした人のいい者ばかりだけれど、領地の住民たちもそんな感じなのだろうか。
私自身は実家の領地にあまり赴いたことはなく領民と接する機会もなかった。
アーファ様はこうやって祭りにも堂々と参加するのだから、領民と関わる機会が多いのかもしれない。
(あまり人見知りのしない性格でよかった)
社交的ではないが、立場上、他人と接する機会は多かった。
どうせ離縁できないのだ。長く暮らす土地ならば、悪評を立てずに上手くやっていきたい。
(鉱石の採掘で利益を得られるようになったら、王都に屋敷を建ててくれないかしら……)
こんなことになるのなら、結婚前に父に頼むのだった。
私はこめかみを押さえながら、この先のことを思いあぐねる。
「大丈夫ですか?」
「えっ」
目の前に腰掛ける夫は、心配の色を宿す灰色の瞳に私を映した。
「体調が優れませんか?」
「いいえ、大丈夫です。どのような祭りなのだろうと考えていただけです」
アーファ様は少しだけ私の様子を窺うように目を眇め、そして窓の外を見やった。
「町の中心に大きな広場があります。そこから四方に大通りが伸びていて、その一つが今僕たちが走っているこの道です。ここを除く三つの通り沿いに出店が並んでいて、食べ物や雑貨などが販売されています。きっと目でも楽しんでいただけると思います」
しばらくして、馬車は広場の手前で止まった。
祭りのため人の集まる場所までは馬車を乗り入れられないからだ。
私は馬車を降りて辺りを見回す。
「たくさんの飾りつけが可愛いですね」
街灯や通りに面した建物の窓には、色とりどりの花飾りが飾られ、町全体が華やかな雰囲気に包まれている。
「本来は生花を飾るのですが、今季も収穫量が低かったので、昨年から布を花に見立てています」
アーファ様は私の視線の先を追いながら、手を差し出した。
屋敷の使用人たちは、私たちの雰囲気を何となく察して、見て見ぬふりをしている。しかし、その他大勢の集まる場所ではそうもいかないだろう。
無言で彼の手に自らの手を重ねると、優しく握り返された。
大きな手に包まれて胸が小さく跳ねる。
(当たり前だけど男性なのよね……)
アーファ様の穏やかな気質のせいで、彼にあまり男性らしさを感じていなかった。
二人並んで歩き始めると、その背の高さも否応なしに意識してしまう。
(おにいさまと同じくらいの背丈かしら)
ちらりとアーファ様を見上げると、さらさらと濃茶色の髪が風になびいている。整った顔立ちと柔らかな眼差しが彼の優しい性格を物語っていた。
彼が裕福な貴族ではなく社交界にもあまり顔を出さないから、令嬢たちの目に留まりにくかったのだろうが、その控えめな魅力に気付いた令嬢がいたとしてもおかしくない。
魔窟のような貴族社会を思い出して、うんざりとした気持ちに襲われる。
こうやって、のんびり過ごせるのは案外心地が良い。
アーファ様の実直さに苛立つことも多いけれど、あそこに居続けるよりはましなのかもしれない。
人通りが増えてくると、視線を感じるようになってきた。
結婚したばかりの領主が妻を伴い現れているのだから無理もないだろう。
広場に到着すると、ちょうど約束の時間になったのか、従兄が護衛を伴って姿を現した。
「ペレーネ」
「おにいさま!」
「体調が優れないと聞いていたが元気そうだな。道中、いくつかの出店を見てきたが、おまえの好きそうな店が多かったぞ」
「そうなのですね! 見るのが楽しみです!」
つい意気込んで返事をすると、おにいさまは美しい顔をほころばせた。
「張り切りすぎだ。――それで、どこから回るんだ? 採掘が始まったら、加工や販売をする店なども構えるだろうから、想定している立地も気になる」
「はい。いくつか候補をご案内いたします」
アーファ様は頷いて、案内する方角を指さしながら説明を始めた。おにいさまは笑みを消して、真剣な面持ちで説明に耳を傾けている。
どうやら祭りを楽しむような動きをしながら、人混みに紛れて視察するのが目的だったようだ。こういう日のほうが、住民たちが身構えなくていいのかもしれない。
(でも逆に、おにいさま達は警戒を強めないといけないわね)
アーファ様はよく分からないが、従兄は私設騎士団の精鋭を連れてきている。不特定多数に囲まれるリスクを想定しているようだ。
私は自分の後方に立つ護衛を振り返った。彼は私の視線に気づいて首を傾げる。
「お嬢――お、奥様、どうなさいましたか」
「っ!」
実家から連れてきた馴染みの深い護衛の言い直す姿がおかしくて、つい笑いを漏らしてしまう。
「すぐには慣れないわよね。私も同じよ」
「も、申し訳ありません……」
「いいのよ。好きに呼んでちょうだい。それよりも、アーファ様の護衛をしている方々が信頼できる方なのか知りたいの」
少しだけ声をひそめると、彼はアーファ様とおにいさまを見やった。
「旦那様の護衛についているのは、公爵閣下が直々に選んだ騎士ですから心配いりません」
「えっ、直々に!?」
「旦那様は大きな利益を生むかもしれない土地を所有されていますから、警戒しすぎて困ることもないはずです」
「確かにそうね……」
護衛の言葉に納得していると、アーファ様が私のもとに戻ってきた。
「ペレーネ。何かありましたか?」
「いいえ、何もありません。おにいさまとのお話は済みましたか?」
「はい。回る順序を決めましたので、行きましょう」
アーファ様はそう言って、私の後方を守る護衛を一瞥してから視線を戻す。
彼はまた私の手を包み込むように握ったけれど、少しだけ握りしめる力が強かった。
車輪が石畳を転がる音を聞きながら窓の外を見つめると、遠くに広がる山稜が明るく照らされて、空とのあわいを曖昧にしている。
(精霊の加護がなくても、魅力的な土地だわ……)
精霊の加護を失った土地は、今まで受けていた加護を一気に失うかのように、たちまちに衰えてしまう。
殺伐とした大地を踏むのは、精霊を認識できる身としてはつらい。
私のように精霊を感じられなくても、この土地に暮らしている人々も、弱っていく自然を肌で感じているはずだ。
ヒュドル邸の使用人たちは朴訥とした人のいい者ばかりだけれど、領地の住民たちもそんな感じなのだろうか。
私自身は実家の領地にあまり赴いたことはなく領民と接する機会もなかった。
アーファ様はこうやって祭りにも堂々と参加するのだから、領民と関わる機会が多いのかもしれない。
(あまり人見知りのしない性格でよかった)
社交的ではないが、立場上、他人と接する機会は多かった。
どうせ離縁できないのだ。長く暮らす土地ならば、悪評を立てずに上手くやっていきたい。
(鉱石の採掘で利益を得られるようになったら、王都に屋敷を建ててくれないかしら……)
こんなことになるのなら、結婚前に父に頼むのだった。
私はこめかみを押さえながら、この先のことを思いあぐねる。
「大丈夫ですか?」
「えっ」
目の前に腰掛ける夫は、心配の色を宿す灰色の瞳に私を映した。
「体調が優れませんか?」
「いいえ、大丈夫です。どのような祭りなのだろうと考えていただけです」
アーファ様は少しだけ私の様子を窺うように目を眇め、そして窓の外を見やった。
「町の中心に大きな広場があります。そこから四方に大通りが伸びていて、その一つが今僕たちが走っているこの道です。ここを除く三つの通り沿いに出店が並んでいて、食べ物や雑貨などが販売されています。きっと目でも楽しんでいただけると思います」
しばらくして、馬車は広場の手前で止まった。
祭りのため人の集まる場所までは馬車を乗り入れられないからだ。
私は馬車を降りて辺りを見回す。
「たくさんの飾りつけが可愛いですね」
街灯や通りに面した建物の窓には、色とりどりの花飾りが飾られ、町全体が華やかな雰囲気に包まれている。
「本来は生花を飾るのですが、今季も収穫量が低かったので、昨年から布を花に見立てています」
アーファ様は私の視線の先を追いながら、手を差し出した。
屋敷の使用人たちは、私たちの雰囲気を何となく察して、見て見ぬふりをしている。しかし、その他大勢の集まる場所ではそうもいかないだろう。
無言で彼の手に自らの手を重ねると、優しく握り返された。
大きな手に包まれて胸が小さく跳ねる。
(当たり前だけど男性なのよね……)
アーファ様の穏やかな気質のせいで、彼にあまり男性らしさを感じていなかった。
二人並んで歩き始めると、その背の高さも否応なしに意識してしまう。
(おにいさまと同じくらいの背丈かしら)
ちらりとアーファ様を見上げると、さらさらと濃茶色の髪が風になびいている。整った顔立ちと柔らかな眼差しが彼の優しい性格を物語っていた。
彼が裕福な貴族ではなく社交界にもあまり顔を出さないから、令嬢たちの目に留まりにくかったのだろうが、その控えめな魅力に気付いた令嬢がいたとしてもおかしくない。
魔窟のような貴族社会を思い出して、うんざりとした気持ちに襲われる。
こうやって、のんびり過ごせるのは案外心地が良い。
アーファ様の実直さに苛立つことも多いけれど、あそこに居続けるよりはましなのかもしれない。
人通りが増えてくると、視線を感じるようになってきた。
結婚したばかりの領主が妻を伴い現れているのだから無理もないだろう。
広場に到着すると、ちょうど約束の時間になったのか、従兄が護衛を伴って姿を現した。
「ペレーネ」
「おにいさま!」
「体調が優れないと聞いていたが元気そうだな。道中、いくつかの出店を見てきたが、おまえの好きそうな店が多かったぞ」
「そうなのですね! 見るのが楽しみです!」
つい意気込んで返事をすると、おにいさまは美しい顔をほころばせた。
「張り切りすぎだ。――それで、どこから回るんだ? 採掘が始まったら、加工や販売をする店なども構えるだろうから、想定している立地も気になる」
「はい。いくつか候補をご案内いたします」
アーファ様は頷いて、案内する方角を指さしながら説明を始めた。おにいさまは笑みを消して、真剣な面持ちで説明に耳を傾けている。
どうやら祭りを楽しむような動きをしながら、人混みに紛れて視察するのが目的だったようだ。こういう日のほうが、住民たちが身構えなくていいのかもしれない。
(でも逆に、おにいさま達は警戒を強めないといけないわね)
アーファ様はよく分からないが、従兄は私設騎士団の精鋭を連れてきている。不特定多数に囲まれるリスクを想定しているようだ。
私は自分の後方に立つ護衛を振り返った。彼は私の視線に気づいて首を傾げる。
「お嬢――お、奥様、どうなさいましたか」
「っ!」
実家から連れてきた馴染みの深い護衛の言い直す姿がおかしくて、つい笑いを漏らしてしまう。
「すぐには慣れないわよね。私も同じよ」
「も、申し訳ありません……」
「いいのよ。好きに呼んでちょうだい。それよりも、アーファ様の護衛をしている方々が信頼できる方なのか知りたいの」
少しだけ声をひそめると、彼はアーファ様とおにいさまを見やった。
「旦那様の護衛についているのは、公爵閣下が直々に選んだ騎士ですから心配いりません」
「えっ、直々に!?」
「旦那様は大きな利益を生むかもしれない土地を所有されていますから、警戒しすぎて困ることもないはずです」
「確かにそうね……」
護衛の言葉に納得していると、アーファ様が私のもとに戻ってきた。
「ペレーネ。何かありましたか?」
「いいえ、何もありません。おにいさまとのお話は済みましたか?」
「はい。回る順序を決めましたので、行きましょう」
アーファ様はそう言って、私の後方を守る護衛を一瞥してから視線を戻す。
彼はまた私の手を包み込むように握ったけれど、少しだけ握りしめる力が強かった。
284
お気に入りに追加
972
あなたにおすすめの小説
私に告白してきたはずの先輩が、私の友人とキスをしてました。黙って退散して食事をしていたら、ハイスペックなイケメン彼氏ができちゃったのですが。
石河 翠
恋愛
飲み会の最中に席を立った主人公。化粧室に向かった彼女は、自分に告白してきた先輩と自分の友人がキスをしている現場を目撃する。
自分への告白は、何だったのか。あまりの出来事に衝撃を受けた彼女は、そのまま行きつけの喫茶店に退散する。
そこでやけ食いをする予定が、美味しいものに満足してご機嫌に。ちょっとしてネタとして先ほどのできごとを話したところ、ずっと片想いをしていた相手に押し倒されて……。
好きなひとは高嶺の花だからと諦めつつそばにいたい主人公と、アピールし過ぎているせいで冗談だと思われている愛が重たいヒーローの恋物語。
この作品は、小説家になろう及びエブリスタでも投稿しております。
扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

冷徹義兄の密やかな熱愛
橋本彩里(Ayari)
恋愛
十六歳の時に母が再婚しフローラは侯爵家の一員となったが、ある日、義兄のクリフォードと彼の親友の話を偶然聞いてしまう。
普段から冷徹な義兄に「いい加減我慢の限界だ」と視界に入れるのも疲れるほど嫌われていると知り、これ以上嫌われたくないと家を出ることを決意するのだが、それを知ったクリフォードの態度が急変し……。
※王道ヒーローではありません
腹黒宰相との白い結婚
黎
恋愛
大嫌いな腹黒宰相ロイドと結婚する羽目になったランメリアは、条件をつきつけた――これは白い結婚であること。代わりに側妻を娶るも愛人を作るも好きにすればいい。そう決めたはずだったのだが、なぜか、周囲が全力で溝を埋めてくる。
お兄様の指輪が壊れたら、溺愛が始まりまして
みこと。
恋愛
お兄様は女王陛下からいただいた指輪を、ずっと大切にしている。
きっと苦しい片恋をなさっているお兄様。
私はただ、お兄様の家に引き取られただけの存在。血の繋がってない妹。
だから、早々に屋敷を出なくては。私がお兄様の恋路を邪魔するわけにはいかないの。私の想いは、ずっと秘めて生きていく──。
なのに、ある日、お兄様の指輪が壊れて?
全7話、ご都合主義のハピエンです! 楽しんでいただけると嬉しいです!
※「小説家になろう」様にも掲載しています。

婚約解消から5年、再び巡り会いました。
能登原あめ
恋愛
* R18、シリアスなお話です。センシティブな内容が含まれますので、苦手な方はご注意下さい。
私達は結婚するはずだった。
結婚を控えたあの夏、天災により領民が冬を越すのも難しくて――。
婚約を解消して、別々の相手と結婚することになった私達だけど、5年の月日を経て再び巡り合った。
* 話の都合上、お互いに別の人と結婚します。白い結婚ではないので苦手な方はご注意下さい(別の相手との詳細なRシーンはありません)
* 全11話予定
* Rシーンには※つけます。終盤です。
* コメント欄のネタバレ配慮しておりませんのでお気をつけください。
* 表紙はCanvaさまで作成した画像を使用しております。
ローラ救済のパラレルのお話。↓
『愛する人がいる人と結婚した私は、もう一度やり直す機会が与えられたようです』

夫の書斎から渡されなかった恋文を見つけた話
束原ミヤコ
恋愛
フリージアはある日、夫であるエルバ公爵クライヴの書斎の机から、渡されなかった恋文を見つけた。
クライヴには想い人がいるという噂があった。
それは、隣国に嫁いだ姫サフィアである。
晩餐会で親し気に話す二人の様子を見たフリージアは、妻でいることが耐えられなくなり離縁してもらうことを決めるが――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる