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 ヒロインが溺愛ルートに入るためには、分岐イベントまでに好感度をある程度上げておく必要がある。そのため、今現在が共通ルートといえど、なるべく同じ攻略対象者と行動しているはずだ。
 それなのにヒロインが誰を運命の人に選ぼうとしているのか、全く見当がつかない。

 もしかして、友情ルート?
 そう期待してみるが、シェリナはリッド殿下を頼るため何度も彼の元を訪れる。そのせいで彼女はリッド殿下を選んだのだと思っていた。しかし、彼女はラーセ殿下とも親しくしているのだ。
 
 それらの行動が原因なのか、稀有な属性持ちという能力の高さからなのか、周囲から嫉妬の眼差しを向けられているシェリナの姿はシナリオ通りである。
 そろそろ嫌がらせを受け、攻略対象者に救われる場面が発生するはずだ。

 階上の窓から水をかけられて、愛しい人に庇われるスチルは最高だった。
 栗色の髪が水に濡れ、頬を伝う雫が彼の綺麗な顔を引き立たせる。
 そう、まさにこんな感じだ。

「大丈夫か……?」

 ラーセ殿下はシェリナを庇い、水に濡れていた。
 彼は校舎の上部を振り仰ぎ睨む。悪だくみを企てた女生徒たちが、窓際から離れ逃げていく。
 抱きしめられる形で守られていたシェリナは赤面し、ラーセ殿下の腕から離れた。

 何故、こんな場面を見せられているのだろう。
 ただ私はラーセ殿下と楽しく校内を散歩していただけだ。それが突然、彼は何かに気付き走り出し、シェリナを庇った。
 まあ、素晴らしい反射神経。
 攻略対象者には、ヒロインの危機にすぐ駆けつけられる機能でも備わっているのかもしれない。

 シェリナは泣きそうな顔でお辞儀を繰り返し、謝罪を重ねているが、ラーセ殿下は柔らかく笑んでいる。
 普段ラーセ殿下は表情の変化に乏しい方だ。
 けれどヒロインが相手だと事情が異なるのかもしれない。彼の笑顔は私だけが見られる特権だと己惚れていた。

 ちくりと胸が痛み、私は狼狽えてしまう。
 目の前の光景を冷静に分析している場合じゃない。さすがにこれ以上見ていたら、醜い感情が湧いてしまいそうだ。

 私は音を立てず、一歩足を後ろに引く。彼らから視線を逸らさず後退し、さっと物陰に隠れる。
 その勢いのまま貴族令嬢にあるまじき速さで駆け抜け、校門へ急いだ。侯爵家の馬車に飛び乗り、私は早々に帰路についた。


 □ □ □  □ □ □

 私という人間は、自分で考えているよりも心の狭い人間だったらしい。
 あれから私はラーセ殿下と顔を合わせていない。胸に広がるもやもやが消えなくて、彼を視界に捉えると一目散に逃げ出してしまう。

 ラーセ殿下と接すると独占欲が湧いてくる。傲慢にも彼に不満をぶつけてしまいたくなるのだ。 
 他の女と仲良くしないで。親切にしないで。笑顔を向けないで。彼女に触れては駄目。
 その綺麗な瞳に彼女を映さないで。その低くて甘い声を知っているのは私だけでいい。
 
 底なし沼のようにずぶずぶと黒い感情が湧いてくる。
 これは、危険だ。
 ラーセ殿下の存在を認識してしまうから、彼が気になるのだ。存在を認識しないようにすればいい。
 どうせ分岐イベントは一か月程でやってくる。それまで大人しく過ごせばいい。

 幸いにも、私とラーセ殿下の在籍している教室は校舎が違う。わざわざ会おうとしなければ、顔を合わせる機会はない。
 今までも私から時間を見つけて会いに行っていて、ラーセ殿下から来ることは殆どなかったのだから。

 
 □ □ □  □ □ □

 青空広がる晴天の日。
 広い校庭にて、男子生徒たちは剣術訓練の一貫で模擬戦を行っていた。全クラス合同なので人数も多い。
 女子生徒たちは別の授業を受けていたが、休憩時間まで延長している模擬戦を観覧しに、皆走って行ってしまった。
 かくいう私は、校舎の窓から視認できるぎりぎりの距離で、彼らを眺めている。
「はあ」
 窓枠に肘をつき眼下の人波を眺める。
 攻略対象者の見た目が派手なのは、こういう時に見つけやすくするためなのかしら。そんなことを思いながら、愛しい人を遠くから見つめた。

 遠巻きに見ていると、ラーセ殿下やリッド殿下が、女生徒の視線を集めていることに気付くことが出来る。
 そんな中で、ぽっと現れたシェリナが女生徒に妬まれることも理解出来てしまう。だからといって嫌がらせをしようとは思わないけれど。

「何をご覧になっているのですか?」
「ふひゃあ!」
 突然、弟の顔が背後から現れて、変な声が出てしまった。
「うるさいです」
「な、何を言っているのよ! イオが驚かせるからじゃない!」

 一年生が数人通り過ぎていくのを見ながら、次の授業のため移動していたのかと思い至る。
 その道中、項垂れた姿勢で窓の外を見ている姉を見つけ、声をかけずにはいられなかったのだろう。

「またラーセ殿下を見ていたのですか?」
 イオは窓の外をちらりと見やり、呆れたように息を吐く。
「分かっているなら聞かないでちょうだい」
「姉上が窓からラーセ殿下を覗くなんて珍しいと思ったので、聞いてしまいました」
 真顔で嫌味たらしいことを口にする男だ。

 わあ、と窓の外から歓声が上がった。
 やっと最後の組が模擬戦を終えたらしい。綺麗に列を成していた生徒たちは礼をして、ばらばらと散り始める。
「終わったみたいですね」
「そうね」
 人ごみに紛れているのに、すぐラーセ殿下を視認できる私は特殊能力でもあるのかもしれない。

「あれは誰ですか?」
 蜂蜜色の髪の少女がラーセ殿下と談笑している。イオは瞳を眇め訊ねた。
「シェリナ様ね」
「姉上、説明不足です」
「リッド殿下が転入のお世話をした方で、稀有な属性を持つ方よ」
「ああ、彼女がそうなのですか」
 イオは納得したように己の顎に触れる。
「一年の生徒の間でも話題になっております。光と闇なんて未知の属性だと思っていましたが、本当に存在していたんですね」
「そのようね」

 二人が楽しそうに会話をする姿を見ていると、苦々しい感情が胸に広がってくる。
 私がラーセ殿下に纏わりついていたから、無意識のうちに周囲への牽制になっていたのだろう。それが彼の交友関係を狭めてしまっていたのかもしれない。
 憶測の域を出ないのに、あれこれ考えてしまう。
 
 ラーセ殿下はシェリナに何かを告げられて、恥ずかしそうにはにかんだ。
 これ以上、見ていられない。

 私は彼らから視線を外し、教室へ戻ろうと踵を返した。背後で窓を閉める音がする。
「姉上」
 窓を閉め、イオが私の元に追いついた。
「あなた移動中だったのでしょう? 何処に行くかは知らないけれど、方向は合っているの?」
「姉上。嫉妬するくらいなら直接聞いてみたらどうですか? 昨日、ラーセ殿下は姉上をお捜しでしたよ」
 私はつい眉を寄せて弟を見やる。
「避けておられるのですか?」
「……己の独占欲の深さに驚いて、会わせる顔がないだけよ」
 そう返すとイオは目を丸くしてしまう。そして、ころころと笑い始めた。
「難儀ですね」
「わ、笑わないで! もう!」
 イオはそれ以上は何も言わず、私に背を向けて移動先の教室へと急いだ。
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