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 初めてラーセ殿下と肌を重ねてから一か月が過ぎた。
 案の定というべきか、私たちはあの日以来、三日に一度は王城で逢瀬を重ね猿のように盛っている。
 
 私にとっては最高の日々だが、ラーセ殿下は違うようだ。
 今も私の上で散々腰を振り、綺麗な顔を切なげに歪め精を放ったくせに、その顔は苦悶に満ちている。
 さすがに意味が分からない。

「はぁ……はぁ……あ」
 ラーセ殿下は短い呼吸を繰り返し長い睫毛を伏せている。彼の余裕のない表情を見ているだけで、胸がきゅんとして、ついでにあそこを締めてしまう。
 私の中に挿入したままの愛する人は、ん、と悩ましい声を漏らす。

「殿下、まだ続けますか?」
 私は内奥を悟られないように尋ねたつもりだったが、期待しているのが伝わってしまったようだ。彼は困惑の色を隠さない。
「いや……、もう」
 ラーセ殿下はごにょごにょとしているが、己を律し硬いままのそれを私から抜いた。
 つう、と白濁が蜜壺から糸を引く。ラーセ殿下は慌てて私から目を逸らした。
「分かってはいたんだ……」
「何をですか?」
 彼は深いため息をつき、私の隣に横たわる。

「話しただろう。欲に溺れそうで怖いと」
「ああ、仰っていましたね」
 つい適当な声を発してしまい、彼は眉根を寄せる。

「控えなくてはと思っているんだ。だが結局、欲に負け君を抱いてしまう」
 本当に後悔しているようだ。
 ラーセ殿下は端正な顔を両手で覆い、またしても嘆息してしまう。

「仕方ありませんわ。殿下は若い殿方ですので性欲も旺盛でしょう」
「……それは君も同じだよ……」
 不貞腐れたように悶々と悩む姿も可愛らしい。

 ラーセ殿下はごろりと寝がえりを打った。彼の背中がこちらを向く。
 体を重ねるようになった当初、彼は私に背中を見せないよう気を付けていた。
 ラーセ殿下の背中には、幼い頃に鞭で打たれた痛々しい傷跡が引き攣り残っている。それを私には見せたくなかったようだ。
 私は寝台に手をつき、ラーセ殿下の背中に口づけを幾度も落とす。音を立てて吸ってみたり、舐めてみたりしていると、彼はくすぐったそうに身を捩った。

「セチア。煽られている気になるから、もうやめてくれ」

 恥ずかしそうに、それでも嬉しそうに笑うから、胸が締め付けられて高鳴るのだ。

 私は緩む口元を隠しながら寝台から離れた。
 部屋に散乱した服を拾い着替えを済ませる。そして円卓の上に用意された小瓶の蓋を開け、中身をごくりと飲み込んだ。苦い味が喉に染みてくる。
 思わず顔を顰めてしまう。

「大丈夫か?」
 ラーセ殿下も服装を整えることにしたようだ。衣擦れの音がして、そしてこちらに歩み寄ってきた。
 非常に不味いこの液体はこの世界の避妊薬である。情事の前に男性が飲み、女性は行為後に飲む。
「ラーセ殿下の子種を殺すなんて勿体ないですね……」
「恥ずかしげもなく、そういうことを言うな」
「だって」
 彼は呆れたように笑っている。
「きちんと飲んでくれ。結婚前の君を孕ませるわけにはいかない」
 そうは言いつつも散々情交に耽っているのだから、彼の年齢相応の欲を感じてたまらない。

「ラーセ殿下のやりたいようになさればいいと思います」
「どういう意味だ?」
「常日頃より申し上げておりますが、ラーセ殿下が幸せならば私は満足です。もし私との性交回数が多いことを気にされているのであれば、お気になさらないで下さい」
「いや、だから……」
「何故それほど気にされるのですか? 回数が多いと性欲処理のように感じますか?」
「……っ!」
 図星のようだ。
 ラーセ殿下は目を瞠り、気まずそうに視線を彷徨わせている。
 
「私たちは性欲旺盛な若い男女であり、性欲処理が優先になってもおかしいことではありませんわ。私はラーセ殿下に抱かれているという事実だけで夢のように幸せなので、性欲を優先されても平気です」
 彼は言葉に詰まってしまった。
 何かを言いたげだったが、結局口を開くのをやめてしまう。

 室内に置かれた振り子時計の鐘が鳴った。
 ふと窓の外を見やると、夕焼けの赤に染まっている。

「あら、もうそんな時間……、ああ!」
 私は唐突に思い出した記憶のせいで大声を発してしまった。思案に耽っていたラーセ殿下は、びくりと肩を跳ねさせる。
「今夜、お父様たちと観劇に行く約束をしていました!」
「は?」

 私たちは弾かれたように部屋の扉を開けて、廊下を早足で進む。ラーセ殿下は長い足で先を歩き、途中使用人を呼び止めて馬車を用意するよう告げてくれた。

「約束があったのなら、僕の誘いを断らないと駄目だろう!」
「お、怒らないで下さいませ! 私がラーセ殿下の誘いを断るはずがありません!」
「そこは断るんだ!」
 肩をいからせ歩く姿も素敵だ。
 長い手足や広い背中。全てのバランスが整っている。
「ラーセ殿下は後ろ姿も神がかってますね!」
 彼の背を追いながら興奮して告げると、叱声が飛んだ。
「そんな話はどうでもいい!」
 ラーセ殿下は怒ったような声を出しつつも、少し後ろを振り返った横顔が、恥ずかしそうに小さく笑んでいた。
 この方は何度私の胸を愛しさで締め付けるのだろう。

 突然、ラーセ殿下は歩みを止めた。私の顔面が彼の背にぶつかってしまう。

「も、申し訳ありません!」
「……兄上」
 ラーセ殿下が声を発したと同時に、私は彼の背から顔を出す。向かいに立つ青年と目が合った。
 花を背負ったような容姿の青年がこちらに気付き、穏やかな笑みを見せる。

「久しぶりだな、ラーセ。セチア嬢も来ていたのか」
 彼の後方で荷物を運び入れている使用人の姿が数人見えた。彼らは会釈をして荷物を抱え去って行く。
 ラーセ殿下に続いて礼の形をとると、彼は頷きを返した。

「兄上のお帰りは三日後だと伺っておりました」
「ああ。予定より早く帰国できたんだ」
 突然現れた華やかな青年はラーセ殿下の異母兄、第三王子リッド=ロゼ。二人は数か月しか生まれ月が離れておらず、兄とは言いつつも同い年だ。
 そして乙女ゲームの攻略対象者の一人である。

 花を連想させる、ふうわりとした桃色の髪と金色の瞳。背はラーセ殿下よりも少し高く、長い手足を持つ体躯は、がっしりとして男らしい。
 前世、彼のデザインを担当した人は、桜のような華やかな逞しさを演出したかったのかもしれない。
 二人は笑顔を浮かべ会話をしているが、私の内心は穏やかではない。乙女ゲームの攻略対象者が揃ってしまうと、何かが起こりそうで怖いのだ。

「セチア嬢は相変わらず元気そうだな」

 リッド殿下は会話の矛先を私に向けた。甘い笑顔はさすが乙女ゲームの攻略対象者だ。
 私の推しは別の人なのに、生身の美形に眼前で微笑まれ、動揺しないはずがない。

「お久しぶりでございます。お会いできて嬉しいですわ」
「セチア嬢が登城しているとは思わなくて驚いた」
「最近は度々お邪魔しております」
「はは、そうか。仲がよさそうで羨ましいな」
 どういう意味で捉えたらいいのか分からないが、とりあえず淑女スマイルを浮かべておいた。

「兄上。申し訳ありませんが、セチアは急ぎ侯爵家に戻らないといけないので、ここで失礼させて下さい」
「ああ、引き留めて悪かったな、セチア嬢」
「お気になさらないで下さい」
「また学園で」
 リッド殿下はそう告げて去って行った。

「……今のは、どういう意味でしょうか」
 言葉の意味が分からず、私はラーセ殿下に意見を求めた。彼は愁眉を寄せ兄の背を見送っている。
「言葉の通りだ」


 □ □ □  □ □ □

 私たちは馬車に乗りこみ、バース侯爵邸へと急ぐ。
 夕焼け空の向こう側に闇の色が迫ってきている。ラーセ殿下は焦りを隠せないようだ。何度も窓の外を見ている。
「殿下、送って下さらなくてもよかったですのに」
「そういうわけにはいかない」

 確かに最近、王城に行き過ぎていて、両親が訝しんでいることは承知している。
 特にバース侯爵家当主である父はラーセ殿下を好んでいない。私がラーセ殿下のことを大好きだと言い続けているから、それに絆されてくれているだけだ。

「ラーセ殿下。大好きです」
 心底想いを込めて告げてみれば、彼は困ったように笑みを返す。
「……君はいつも唐突だ」
「慣れていらっしゃいますでしょ?」
「ああ」

 想いを態度や言葉だけで伝えることは難しい。
 特にラーセ殿下は他人への警戒心が強い。どうせなら私の心を掻っ捌いて見せてあげたいくらいだけれど、それは無理だ。気持ちが伝わっているのか、よく分からない。

 それでもラーセ殿下の表情を見ていると、困惑の裏に喜びが見えるようになってきていた。
 その事がどれだけ私を調子づかせているか、彼はきっと気付いていない。

 穏やかな雰囲気が馬車の中を彩るが、屋敷に着いてすぐ、それは霧散した。
「も、申し訳ありません……」
 屋敷の正面玄関にて、私は父である侯爵に頭を下げた。父は腕を組み眉を吊り上げて私たちを見つめている。

「僕がセチアを無理に誘ったんだ。帰宅が遅くなり、申し訳ない」
「ラーセ殿下。婚約者である二人の仲が良いことはとても微笑ましいですが、セチアに約束を破らせないようにして下さい」

 嫌味だ。父だって、どちらかというと私に非があることは想像出来ているだろうに。
 ラーセ殿下は素直に首肯を返して私へ視線を移す。

「観劇、楽しんでおいで」
「はい! 次はラーセ殿下も一緒に参りましょうね!」
 つい声が大きくなってしまった。ラーセ殿下は眉を下げて笑み、そして父に挨拶をして踵を返した。
 なんとなく名残惜しい。

 ラーセ殿下の背をじっと見送っていると、背後で父が咳払いをする。
「早く着替えてきなさい」
「は、はい!」 
 父は呆れているような、怒っているような複雑な表情だ。

 屋敷に入り自室を目指すと、正装に身を包んだ弟と出くわした。
「姉上。少々お帰りが遅すぎませんか?」

 弟であるイオ=バースは嫌味を乗せた言葉を発し、あからさまな溜息までつく。
 セチアの容姿と似た特徴を持つ彼は、濃い茶色の髪と瞳を持つ十五歳。同じ学園に通う一年生で、私とは真逆の性格であり、沈着冷静な賢い弟だ。
 少年から青年に移り変わりつつある弟は、背丈はセチアを追い抜いたが、少年らしさを残す華奢な体躯をしている。喋り方と外見が比例していない。

「おほほほ、急いで着替えてくるわ」
 誤魔化すように笑うと、顔を顰められた。
「どうせ、またラーセ殿下を優先されたのでしょう」
 父と同じく彼もラーセ殿下を快く思っていない。
 殆ど会話も交わしたことがないくせに、どうしてなのか聞いてみたいが、そこは気づかないふりをしている。

 とにかく、私のせいでラーセ殿下の評価を下げるわけにはいかない。
 色々気をつけよう。
 私は決心を新たにして自室へ戻った。

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