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 私は、どうかしてしまったようだ。
 二次元のキャラクターに、本気の恋をしてしまった。日々、異世界召喚や転生が起きないか夢想し過ごしているが、いまだに叶わない。

 漫画やアニメ、ゲームは嗜む程度に好きだけれど、キャラクター自体に嵌ったことは今までなかった。
 乙女ゲームはたまにプレイするが、それは声優が好きなだけだ。加えてイラストが好みであればグッズを買ってみたりする程度だった。
 断じて二次元しか恋愛対象にならない女ではない。
 それなのに、あの乙女ゲームの攻略キャラに出会ってから私は変だ。
 思い出を反芻するようにゲーム内容を思い出し、なんなら寝る前はスチルを思い浮かべ、彼の声を聞きながら自慰もできる。
 神様、聞こえますか?
 私こそ異世界転生や異世界召喚されるべき存在ですよ?
 嬉々として彼を攻略しに行くし、一言一句、選択肢を間違えたりしないです。

 そう思っていたけれど。

 □ □ □

「がつがつしすぎで怖い」

 我が最愛の婚約者であり、この国の第四王子ラーセ=ロゼは、心底引いたご様子でそう告げた。

 念願叶い、私は異世界転生を果たしていた。
 おんぎゃあと生まれて数年後。六歳の春、天啓を受けたかのように私は前世の記憶を思い出したのだ。
 眼前にはゲームのスチルで何度も見た景色が広がり、鏡を覗き込めば、そこには推しの婚約者である令嬢の幼き姿が映っていた。

 肩甲骨にかかる長さの濃茶の髪。長い睫毛に縁取られた、髪と同じ色の瞳。
 バース侯爵家令嬢、セチア=バース。
 それは私だった。
 鏡の前に立ち、ガッツポーズで打ち震えた日を忘れられない。
 前世、私は天涯孤独だった。
 その私が美少女貴族に転生した上、衣食住全て保証された生活。更には推しを間近で眺められるなんて。

 神様、ありがとう。本当に嬉しいです。

 だからと言って、ゲームのシステムに依存したくない。
 私は私なりに一生懸命、この世界で生きてきたつもりだ。貴族令嬢としての教養は勿論のこと、諸々のことにも精一杯取り組んできた。

 それなのに。
 貴族の集う学園で青春時代を謳歌している真っ最中。私は婚約者に呼び出され、人気のない場所で怖いと言われていた。

「……ええと」
 適切な言葉が見つからない。
「どちらの、がつがつしすぎでしょう?」
「はあ?」
 剣呑な反応をされてしまった。
 ラーセ殿下に告げられた言葉は、色々な意味に受け取ることが出来る。それに、私は彼に何もしていない。

「地位に群がる女としてなのか、それとも……性的な意味で、とか」
 ラーセ殿下は私の返答に頬を赤くし、怒ったように言った。
「後者だ」
「あらら……」
「何が、あららだ! 困っているのは僕だ!」
「私は殿下を押し倒して、迫ったりはしていませんよ?」
「当たり前だ!」
 珍しく声を荒げている。どうやら動揺しているようだ。
 ラーセ殿下のそんな姿も可愛らしくて、胸がきゅんと高鳴ってしまう。

「き、君は、僕をいやらしい目で見過ぎている!」
「……勘違いではないですか?」
 一応は否定してみる。
 けれど、ラーセ殿下の眉間の皺は更に深くなってしまった。
「僕だってそれくらいは気付く! 君は僕を誘っているのか煽っているのか知らないが、直情的な視線が怖い」

「それは、なんと申しましょうか、なんか申し訳ありません」

「謝られている気がしない!」

 私の適当な返答が、火に油を注いだようだ。ラーセ殿下はわなわなと小さく震え、鋭い眼差しを私に向けている。

 ああ、もう、素敵。
 うっとりと見つめ返すと、ラーセ殿下は表情を強張らせた。

「だ、だから! 何故そんな反応になるんだ!」
「いえ、素直に反省しております」
「……否定はしないのか?」
「大変恥ずかしいことを言われておりますが、否定は致しません。おおむね事実ですので」

 そう素直に答えれば、何故かラーセ殿下の方が動揺してしまった。

「ご迷惑をおかけして申し訳ございません」

 結局、適切な言葉を見つけられないまま、私は頭を下げた。

「殿下もご存知かと思いますが、私は幼い頃から殿下が大好きで、その感情が先走ってしまいます。この年齢になれば、殿下に触れてみたいって欲も出てきて、それが怖いと思わせてしまった原因かもしれません」

 ラーセ殿下は言葉を発さずに、じっと私を見つめている。

「……誘っていたり煽っていたりというのは、わざとではないのですが、あの、気を付けます」

 それは彼が男性だからそう感じたのだろう。少々スキンシップが過剰だったかもしれない。
 そういえば、昨日もぺたぺたとラーセ殿下に触れた。さすがに抱き着いたりはしていないが、手に触れたり腕に触れたり、たまに距離をつめたりもしていた。
 まさか、取り乱すほど不快にさせていたとは思いもよらなかった。
 怖いと言われてしまっては、どうしようもない。
 さすがに胸がずきりと痛む。

「婚約破棄をされるのでしたら、素直に受け入れますわ」
 私がしょんぼりと肩を落として告げると、彼は目を丸くした。
「何故そんな話になる?」
「え、だって、この流れではそうなりません?」
 前世で読み漁った転生系では、大体こういう感じの時に、ヒロインも悪役令嬢も婚約破棄されていた。自分もそうなるのだと思ったのだ。

「こんなことくらいで婚約破棄をしていたら、僕は狭量な男だと石を投げられるぞ」
「それは痛いですから、私が盾になりますわ」
「どういう発想だ」
 ラーセ殿下は重い溜息をついてしまった。予想外の反応に私は困ってしまった。

「怖いと仰っていたので、私と関わりたくないという意味ではないのですか?」
 自分で言いながら、さすがに傷つく。

「関わりたくないのではなくて、直してほしいから言ったんだ」
「はい?」
 意味が分からず、私は首を傾げた。
 ラーセ殿下は困惑の表情を浮かべたまま額を抑え、言葉を選んでいる。

「言いにくいことも、きちんと伝えなければ、結婚後もうまくいかないだろう?」
「結婚後……」

 大好きな人の声が、大好きな形のいい唇が、結婚後と言った。
 何、この破壊力のある台詞。

「殿下は結婚後の私との仲を憂いて下さったんですね!」
「うわ!」
 突然の大きな声にラーセ殿下の肩が跳ねた。
 顔を赤くし興奮する私を見て、彼は渋面を浮かべる。

「だから、その反応をやめてくれ! 君は僕の一挙手一投足に過敏に反応しすぎる!」
 私に負けず劣らず、ラーセ殿下の顔が紅潮していく。
「可愛い!」
「なっ!」
 つい心の中で叫ぶつもりが、口から出てしまった。
 ラーセ殿下のぎょっとした瞳が私を映している。

「と、とにかく! 婚約破棄なんて考えていない。君が、その、今のような態度をやめてくれればいい」
「はい!」
「…………声も小さくして欲しい」
 また呆れたように溜息をつかれてしまった。

「でも、がつがつしすぎないとは、具体的にどうしたらいいのでしょう?」
 私はラーセ殿下の言葉を一つ一つ反芻して考えてみる。

「先程もお伝えしましたが、私はラーセ殿下が大好きです。見た目も声も性格も。殿下を見ただけで嬉しくなってしまいますし……興奮します」
「捕食されそうで怖いから、興奮はしないでくれ」

 ラーセ殿下は私から一歩後ずさった。
 その動きでさえ愛おしく思えるのだから、私は重症だと思う。

「まだまだ、私の大好きな殿下を羅列できますわ。自覚がおありだと思いますが、ラーセ殿下は見た目が素晴らしいです。柔らかく寝癖とは無縁な栗色の髪、夏の陽光を浴びた葉のような緑の瞳。鼻筋が通り形のいい唇。横顔の輪郭も完璧です。上背もあり、手足も長い。完璧な容姿ですね!」

 つい鼻息荒く力説すると、ラーセ殿下は引き攣った笑みを浮かべていた。彼は私からもう一歩距離をとる。

「見た目は両親からの頂き物だから、褒められても複雑だ」
「あら、意外に面倒くさい方ですわね」

 またしても本音が口から漏れてしまった。ラーセ殿下はむっと眉を上げたが、反論はしてこない。
 可愛い、可愛い、可愛い。
 なんて可愛い人だろう。

 前世、彼の声もイラストも発言も全てが好みだった。
 私の心は射抜かれ、現実と区別がつかなくなる程に本気で惚れていた。

 転生に気付いてから、ゲームのシナリオでは知ることのなかったラーセ殿下の新たな一面を見つける度に、胸が高鳴り、想いが募っていく。
 前世より更に好きになっている。

「声も好きです。たまに甘い声を出されるのが、たまりません。こうやって怒っている時は、高くなったり掠れたりする点も最高です」

 これは声優を褒めるべきかもしれない。そして、彼の声を起用して下さったスタッフの方々に感謝申し上げます。
 前世に想いを馳せながら、数々のスチルを思い浮かべていく。まるで昨日ゲームをプレイしたかのように、鮮明に思い出すことが出来る。
 私はうっとりと瞼を閉じ、一つ一つを丁寧に語っていった。

「とても努力家な点も尊敬いたしております。勉学は勿論のこと、剣術や体術の訓練も熱心に受けていらっしゃいますよね。制服を纏うと痩身に見えますが、鍛えられた無駄のない体躯が素敵です。胸板がじっとりと汗ばんでいる姿を見ると興奮しますわ。あ、また興奮すると言ってしまいました」

 また怖がらせてしまう。
 私は慌てて口元を手で隠す。そして、他には何があるだろうと思い巡らせた。

「…………セチア」

 耳にしたことのない低い声に、私は目を瞬かせる。何故か、ラーセ殿下が若草色の瞳で私を睨みつけている。
「え、あ、あの?」

 また火に油を注いだようだ。原因は分からない。
 ラーセ殿下は私から距離をとっていたはずなのに、つかつかとこちらに歩み寄ってくる。

「今、誰を思い浮かべながら話していた?」
「はい?」
「僕は君の前で上半身を晒したことはない。一体誰の身体を思い浮かべていた?」

 ラーセ殿下の顔がずいっと近づいてくる。彼の瞳が私の嘘を暴こうと眇められた。

「で、殿下のことです……あ」

 確かに私はラーセ殿下のことを思い浮かべながら褒めちぎっていた。けれどすぐ、間違いに気がついてしまった。
 私が思い浮かべていたのは、前世で散々見ていた乙女ゲームのスチルだ。

「へえ、自分の失態に気が付いたのか?」
「ち、違います! 想像したのです! ラーセ殿下はこうだろうなって!」

 彼は美麗な笑みを浮かべているが、目が笑っていない。

「もしかして性欲を満たすため、他の男と情を繋いでいたのか?」
「誤解です! そんな事していません!」
「僕を捕食できなくて、腹が空いたのかもしれない。だから他の男と寝た?」
「は、はいいいい?」
 変な声が出た。
 普段、私から性欲強めの眼差しを受け続けていたラーセ殿下。勘違いしても仕方ないが、全く信用されていないみたいで少々悲しい。

「じっとりと汗ばんでいる姿……か」
「あの、恥ずかしいので復唱しないでください」

 次は私がラーセ殿下から距離をとる番だった。
 二歩どころか三歩ほど後退したが、すぐに距離をつめられてしまう。ラーセ殿下は強めに私の腕を掴んだ。

「僕のそういう姿を見せてあげるよ」
「え…………?」
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