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情交の余韻に浸る間もなく、せっせと吐瀉物を片付ける私は聖人ではないだろうか。
股に残る異物感や膣から滴るそれに意識を向ける暇もない。
師匠の家ということもあり、粗相の痕跡を出来る限り消していく。
どうしてラルは、こんな状態になるまで酒を飲んだのだろう。
性行為の後にこれでは、雰囲気もくそも無い。
つい乾いた笑いがこみ上げる。
ラルは私が頑張って整えた寝台で寝息を立てている。
なんとか最小限の被害で済んでよかった。
師匠も酒の失敗が多いので、こういった処理には慣れているが、それでも不快だ。
眠るラルの額を指で弾くと、彼は眉間に皺を寄せて身じろいだが、すぐ表情を緩めて眠り続けてしまう。
(可愛い……)
こんなにも必死に求められて悪い気はしないけれど、でも何かが引っかかり胸がざわつく。
その理由は分からない。
ラルの露わな上半身には、大小様々な傷跡が幾つも残っている。
彼の過ごした二年。
その熾烈さを垣間見た気がして辛い。
私の知っているラルは、柔らかい雰囲気の笑顔が素敵な青年だった。
剣を持つことなんて知らず、いつも物静かで優しい。友人達との関係も良好そうだった。
私は片付けを終えて、静かに部屋を出た。いつの間にか部屋にかけられていた魔法は解けていた。
掃除道具を手に階下へ向かうと、師匠はまだ酒を飲んでいる。
「え!? まだ飲んでいたんですか?」
「こんな時間に掃除するんじゃないよ」
「し、仕方ないじゃないですか……」
師匠は面白そうに笑っている。
どうせこの人は、どうして私が掃除道具を手にしているのか察しているのだ。
「ああ、あんた。これ飲んどきな」
「え?」
棚に並んでいた小瓶の一つが、ふわふわと宙に浮かび眼前にやってくる。
私は瓶のラベルを見て目を剥いた。
避妊薬だ。
「あの、察しがよすぎて怖いんですけど」
「いらないのかい?」
「いります」
きゅぽんと瓶の蓋を持ち上げて、中身を飲み干す。
師匠はその姿を見ながら訊ねた。
「あの坊やは夢の世界かい?」
「はい。試しにおでこを弾いてみましたが、起きませんでした」
「ひどいことするねぇ」
彼女は口の端を持ち上げて、またグラスを傾ける。
私は師匠の前に腰かけ、酒瓶とグラスを手前に引く。
「飲みすぎですよ」
「年寄りの楽しみを奪うんじゃないよ」
「心配しているんです」
「全く、小姑だねぇ」
「なんとでも仰ってください」
酒好きな師匠は、実は高名な魔法使いらしい。
しかし私は彼女の本名を知らない。その功績も知らない。
何かを誤魔化すように酒をかっくらう姿は、見ていて辛いものがある。
ふと脳裏に、ラルの泥酔した姿が思い浮かんだ。
彼も何かを忘れたくて、慣れない酒を口にしたのだろうか。
何となく天井を見やると、師匠は小さく笑う。
「勇者なんて肩書は高尚に感じるけれど、実際は勇者だと持て囃し、その気にさせ、戦わせているだけだからねぇ。飲みたくもなるだろうよ」
心を読まれた気がして、私はじとりと師匠を見つめる。
彼女は私の手に攫われた酒瓶を魔法で消した。そして己の手中に戻してしまう。
「あ! 師匠ったら!」
「勇者の素質があるような人間は、それらに気づきながらも、理由をつけて戦うような性格の奴らばかりさ」
「師匠!」
何処からともなく氷入りのグラスが現れて、彼女は魔法で酒を注いでいる。
こんなこと出来るのは師匠くらいだろう。
「あの坊やの場合、その理由があんただったのさ。あんたを理由にして、それに縋るしか勇者として立つ意味が確固できなかったんだろうねぇ」
「わ、私は、そんな大層な存在じゃないです。ラルの勇者としての矜持とか、そういうものが背を押したのかも……」
「あんた、坊やが勇者としての使命感から旅立ったと思っていたのかい? 呑気なもんだ。あんた以外の理由なんて後付けさ。戦う理由が増える度に逃げられなくなって、旅立ちの理由に回帰することで、己を奮い立たせてきたんだろうよ」
グラスの中の氷がからからと音を立てる。
師匠は何処を見ているのか分からない瞳を細めて笑む。その優しい笑みに少々怯んだ。
「ようやっと大業を成し遂げたんだ。達成感と喪失感が大きくて……今が一番つらい時かもしれないねぇ」
「魔王を倒したのに喪失感ですか?」
師匠は私の疑問に本気で呆れているようだ。溜息をつき語気を強める。
「勇者が何も犠牲にせず、ずっと真っ直ぐに進んできたと? あんたでさえ、先の不安に駆られて逃げ出したくせに? 資質と肩書だけで心も鋼のように強くなるなら、あの坊やもあんたを必死に捜したりしなかったさ」
私は返す言葉を失い、閉口してしまう。
私だって、ラルが苦労もせずに過ごしてきたとは思っていない。
嫌な思いもたくさんしてきたはずだ。
「ラルは……一緒に村へ帰ろうばかり言っています」
「そうしないと、坊やの中で終わらないのかもね」
「終わり?」
「あんたがいる場所に帰ると決めてそれに縋ってきたんだ。だから、あんたがいなけりゃ、勇者としての毎日が終わらせられないのさ」
「そんな……」
「恋人にするには、重たい男だねぇ」
あのまま村に留まり、素直にラルを待っていたら良かったのだろうか。
でも私は前世を思い出し、勇者の結末を色々想定したら、ラルを好きでいることが怖くなってしまった。
師匠はそれ以上何も語らず、残り少ないボトルの酒を傾けた。
股に残る異物感や膣から滴るそれに意識を向ける暇もない。
師匠の家ということもあり、粗相の痕跡を出来る限り消していく。
どうしてラルは、こんな状態になるまで酒を飲んだのだろう。
性行為の後にこれでは、雰囲気もくそも無い。
つい乾いた笑いがこみ上げる。
ラルは私が頑張って整えた寝台で寝息を立てている。
なんとか最小限の被害で済んでよかった。
師匠も酒の失敗が多いので、こういった処理には慣れているが、それでも不快だ。
眠るラルの額を指で弾くと、彼は眉間に皺を寄せて身じろいだが、すぐ表情を緩めて眠り続けてしまう。
(可愛い……)
こんなにも必死に求められて悪い気はしないけれど、でも何かが引っかかり胸がざわつく。
その理由は分からない。
ラルの露わな上半身には、大小様々な傷跡が幾つも残っている。
彼の過ごした二年。
その熾烈さを垣間見た気がして辛い。
私の知っているラルは、柔らかい雰囲気の笑顔が素敵な青年だった。
剣を持つことなんて知らず、いつも物静かで優しい。友人達との関係も良好そうだった。
私は片付けを終えて、静かに部屋を出た。いつの間にか部屋にかけられていた魔法は解けていた。
掃除道具を手に階下へ向かうと、師匠はまだ酒を飲んでいる。
「え!? まだ飲んでいたんですか?」
「こんな時間に掃除するんじゃないよ」
「し、仕方ないじゃないですか……」
師匠は面白そうに笑っている。
どうせこの人は、どうして私が掃除道具を手にしているのか察しているのだ。
「ああ、あんた。これ飲んどきな」
「え?」
棚に並んでいた小瓶の一つが、ふわふわと宙に浮かび眼前にやってくる。
私は瓶のラベルを見て目を剥いた。
避妊薬だ。
「あの、察しがよすぎて怖いんですけど」
「いらないのかい?」
「いります」
きゅぽんと瓶の蓋を持ち上げて、中身を飲み干す。
師匠はその姿を見ながら訊ねた。
「あの坊やは夢の世界かい?」
「はい。試しにおでこを弾いてみましたが、起きませんでした」
「ひどいことするねぇ」
彼女は口の端を持ち上げて、またグラスを傾ける。
私は師匠の前に腰かけ、酒瓶とグラスを手前に引く。
「飲みすぎですよ」
「年寄りの楽しみを奪うんじゃないよ」
「心配しているんです」
「全く、小姑だねぇ」
「なんとでも仰ってください」
酒好きな師匠は、実は高名な魔法使いらしい。
しかし私は彼女の本名を知らない。その功績も知らない。
何かを誤魔化すように酒をかっくらう姿は、見ていて辛いものがある。
ふと脳裏に、ラルの泥酔した姿が思い浮かんだ。
彼も何かを忘れたくて、慣れない酒を口にしたのだろうか。
何となく天井を見やると、師匠は小さく笑う。
「勇者なんて肩書は高尚に感じるけれど、実際は勇者だと持て囃し、その気にさせ、戦わせているだけだからねぇ。飲みたくもなるだろうよ」
心を読まれた気がして、私はじとりと師匠を見つめる。
彼女は私の手に攫われた酒瓶を魔法で消した。そして己の手中に戻してしまう。
「あ! 師匠ったら!」
「勇者の素質があるような人間は、それらに気づきながらも、理由をつけて戦うような性格の奴らばかりさ」
「師匠!」
何処からともなく氷入りのグラスが現れて、彼女は魔法で酒を注いでいる。
こんなこと出来るのは師匠くらいだろう。
「あの坊やの場合、その理由があんただったのさ。あんたを理由にして、それに縋るしか勇者として立つ意味が確固できなかったんだろうねぇ」
「わ、私は、そんな大層な存在じゃないです。ラルの勇者としての矜持とか、そういうものが背を押したのかも……」
「あんた、坊やが勇者としての使命感から旅立ったと思っていたのかい? 呑気なもんだ。あんた以外の理由なんて後付けさ。戦う理由が増える度に逃げられなくなって、旅立ちの理由に回帰することで、己を奮い立たせてきたんだろうよ」
グラスの中の氷がからからと音を立てる。
師匠は何処を見ているのか分からない瞳を細めて笑む。その優しい笑みに少々怯んだ。
「ようやっと大業を成し遂げたんだ。達成感と喪失感が大きくて……今が一番つらい時かもしれないねぇ」
「魔王を倒したのに喪失感ですか?」
師匠は私の疑問に本気で呆れているようだ。溜息をつき語気を強める。
「勇者が何も犠牲にせず、ずっと真っ直ぐに進んできたと? あんたでさえ、先の不安に駆られて逃げ出したくせに? 資質と肩書だけで心も鋼のように強くなるなら、あの坊やもあんたを必死に捜したりしなかったさ」
私は返す言葉を失い、閉口してしまう。
私だって、ラルが苦労もせずに過ごしてきたとは思っていない。
嫌な思いもたくさんしてきたはずだ。
「ラルは……一緒に村へ帰ろうばかり言っています」
「そうしないと、坊やの中で終わらないのかもね」
「終わり?」
「あんたがいる場所に帰ると決めてそれに縋ってきたんだ。だから、あんたがいなけりゃ、勇者としての毎日が終わらせられないのさ」
「そんな……」
「恋人にするには、重たい男だねぇ」
あのまま村に留まり、素直にラルを待っていたら良かったのだろうか。
でも私は前世を思い出し、勇者の結末を色々想定したら、ラルを好きでいることが怖くなってしまった。
師匠はそれ以上何も語らず、残り少ないボトルの酒を傾けた。
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