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翌朝、村人総出でラルの見送りに立った。
その光景は前世の記憶も重なり、物語の始まりの場面のように見えた。
村を出ていく隊列からは、肌をひりつかせるような緊張が伝わり、これは現実なのだと実感する。
もし前世を思い出さなかったら、このままこの村で、ラルを信じて待っていたのだろうか。
いくら考えても、待つなんて無理だと思った。
□ □ □ □ □ □
「私、魔法使いになろうと思うの」
「は?」
夕飯後の家族が揃う場にて、両親と祖母は私の発言を聞き、呆気にとられている。
父は青ざめた顔で、声を荒げた。
「ま、まさかラルを追うつもりじゃないだろうな!」
「そんな迷惑をかける事しないわよ」
彼らは顔を見合わせ、次の言葉を探して祖父を見やる。
普段は温厚な好々爺の祖父だが、見たことのない険しい表情を浮かべ黙している。
「今はこの村も平和だけど、魔王がいるなら何処にいても危険でしょう? いざという時、私も自分を守れるくらいになりたいの」
「だからって……」
父は眉間の皺を深くして、理解できないというふうに、こめかみを押さえた。
「もちろん才能の部分が大きいことは理解しているわ。でも、魔法使いなら腕力は必要ないし挑戦してみたいの」
「し、しかしだなぁ……」
もっともらしい理由を並べてみたが、彼らの反応は思わしくない。
と、その時。
「ティアナ。危険なことはしないと約束しなさい」
ずっと黙ったままだった祖父が肯定ともとれる言葉を口にした。
両親と祖母はぎょっと目を見開くが、祖父はそれ以上の発言を遮るように、首を横に振る。
「約束するわ!」
私が満面の笑みを向けると、父は諦めたようなため息をつく。
祖父は先程までの険しい表情を和らげたが、悲しそうにも見える瞳を誤魔化すように瞼を伏せた。
□ □ □ □ □ □
そうして、あの家族会議から二年が過ぎ去った。
この二年、魔族と魔物の動きは顕著となり、じわじわと侵食されていくような見えない恐怖が国や街に広がる中、四大国の一つが壊滅に追い込まれる惨事に見舞われた。
しかし、三ヶ月前、勇者達は悲願だった魔王討伐を成し遂げた。
世界中を駆け巡る吉報は、街々の雰囲気まで明るく変化させていく。
そんな勇者達の活躍の裏で、私は二年間、一度も村に帰らず日々を過ごしていた。
□ □ □ □ □ □
「ああああ、あんの男ぉ!」
私は手拭いを握りしめ、ぎりぎりと歯軋りをしながら呻く。
私は場末の酒場で、老女を相手に酒を飲んでいた。
彼女は私の師匠だ。
たまたま住み始めた町で、たまたま知り合った魔法使い。
私が師事する魔法使いを捜している事を知り、なりゆきで魔法を教えてくれることになった。
魔法の修行を始めて一年後、私は冒険者に興味を持ちギルドに登録した。
気の合った人達とパーティを組んだことで、師匠の下を去ったのだ。
前世の記憶は、あれから怒涛のように甦るということなく、過去を懐かしむ程度の記憶ばかりで、実生活に支障は出ていなかった。
そういった意味でも、存外楽しく二年を過ごしていた。
「ようするに、二股をかけられていたってわけか」
師匠は度数の高い酒を一口飲み、くはあと息を吐く。
「実は三股です」
「おお、豪儀だねぇ」
「旅先の町に待たせていた女がいたみたいで、妊娠させた女性と三角で揉めています」
「あんたはそこに入らないわけだ」
「幸い私は体の関係まで到達していなかったので……」
「幸いときたか」
くはは、と師匠はおかしそうに笑う。
三ヶ月ほど前から、私は同じ冒険者仲間の一人と恋仲になっていた。
一緒にいて楽しく、彼に優しくされたことで、ついその気になってしまった。
身体の関係がなかった所為か、三股発覚後は呆気なく縁が切れた。
「はあ。同じパーティの仲間と同時進行されてたのに、気づかず浮かれてたなんて恥ずかしい……」
「で、恋に破れて私の下へ戻ってきたってわけか」
「働き口を捜してるんです。ついでに、続きの魔法を教えてください」
「ついでにするな」
べちりと額を叩かれた。
私は中位程度の魔法までは習得している。
それ以上を求めようとしたが、才能の部分が大きく、成長は頭打ちだった。
そんな時に冒険者の誘いを受けたのだ。
「師匠。師匠は私の作るおつまみが大好きですよね?」
「口説き文句が下手だねぇ」
彼女は呆れたように笑い、ボトルを傾けてグラスに蜂蜜色の酒を注ぐ。
「まあ、他にやることがないなら、しばらくは修行に励みな」
「修行つけてくれるんですね! 嬉しいです!」
喜びを表すと、どういうわけか、師匠は渋面を浮かべている。
「ところであんた、故郷には顔を出したのかい?」
「ああ……いいえ」
「平和になったんだから、一度は帰りな」
「な、なんとなく帰りづらいんです。帰ったら、二度と村から出してもらえなくなりそうだし……」
「今の生活が気に入ってるのかい?」
「気に入ってると言うよりも、名残惜しいと言いますか……」
「はっきりしないねぇ」
村を出てからの毎日は、楽しいことばかりではなかった。危険な目に遭ったこともある。
全て運と気合で乗り越えてきた。
師匠から学んだ魔法技術は折り紙付きで、魔法使いとしての資質がない私でも、それなりに魔法使いとして活動する程になれた。
師匠に出会えたことは、本当に幸運だった。
「あんたは婚期を逃しそうだ」
「別に……結婚なんて考えていないですし」
冷やかすように笑う師匠に曖昧な笑みを返し、私は唇を引き結ぶ。
あれから二年。
勇者の話題を各地で耳にする度、いまだに胸が痛む。
ラル以外の男性に目を向けたところで、結局は彼と比べている自分がいた。
今も眼裏に焼き付いて消えない、幼馴染みの姿。
こんな優柔不断な女だから、三股されてしまったのかもしれない。
そもそも私は本命ですらなかった気がするが、考えるのは止めておこう。
「失恋の痛みが忘れられないので、しばらく恋はいいかな……」
「呆れた。三股男のことがそんなに好きだったのかい」
師匠は目を丸くしている。
私は口を開きかけるが、突然がたんと大きな音が響いた。
私の足元に、椅子が横倒しになっている。
「へえ……そんなにいい男だったんだ」
頭上から低い声が聞こえる。
私は倒れる椅子を起こそうと、床へ手を伸ばした姿勢のまま固まった。
「俺のいない二年は楽しかった?」
おそるおそる上体を持ち上げると、フードを目深に被った背の高い青年が、私を仁王立ちで見下ろしている。
誰かが後ろにいたことは、もちろん知っていた。
というよりも、店内は満席だ。
周囲の客たちは何事かと、波を打ったように静まり返る。
彼は顔の半分を覆っていたフードを外し、口の端を持ち上げ笑んだ。
「ラ、ラル……?」
懐かしい人物が眼前にいることが信じられない。
「ど、ど、どうして?」
「偶然だよ」
動揺しつつ、ラルが囲んでいたテーブル席を見やると、同伴していた数人がコクコクと頷きを返してくる。
皆一様に驚いた表情で、どう行動すべきか戸惑っているようだ。
「と、友達……待たせてるよ」
「ティアナ。久しぶりに会って言う台詞がそれ?」
「……久しぶりだね」
ラルの満面の笑みが怖い。
「ねえ、失恋ってどういうこと? どうして俺が旅立ってからすぐに村を出たの?」
ラルは私の腰かけている椅子の背もたれに手を置き、顔を寄せてくる。
「ち、近い……って、うわ! 酒くさ!」
ふわんと漂う匂いに思わず叫ぶと、師匠は顔を傾けて、後方のテーブルを見やった。
「あんたたち、そんな強い酒を坊やに飲ませたのかい?」
彼らは慌てて否定するように手を振る。
「し、知らなかったんです! この町の名酒だって聞いたから、どんなものかと思って……」
「確かに名酒だけど、こんな子供が飲むような酒じゃないよ」
師匠は呆れた顔で手元のグラスに注がれた同じ酒を飲み干す。
子供と言っても、ラルはもう成人を過ぎている。
飲酒を楽しむような毎日ではなかっただろうから、酒に慣れておらず、酔いが回っているのだろうか。
「ねえ、顔が赤いわ。とりあえず座って……それから話を」
「嫌だ。それとも俺から逃げたいの?」
「はい?」
「ティアナが村を出た理由が全く分からないんだ。俺のことが嫌だったなら、あの夜はどういうつもりだった?」
「あ、あのね、その話はここでは」
「君が俺と同じ気持ちだと思ったから、俺の帰りを待っていてくれると思ったから……俺はティアナを抱いたんだ」
ざわりとやじ馬が色めき立つ。
眼前の酔っぱらいは眉を下げ、潤んだ瞳に私を映し続ける。
「俺の純潔をもらってくれたのに、覚えてないのか?」
「ひいいい! な、何を言ってるのよ!?」
私は羞恥に悲鳴を上げた。ラルは不思議そうに、こてんと首を傾げている。
「ああ、男は純潔とは言わないか……童貞?」
訊ねるように告げられて、私は口の端を引き攣らせた。
「あんた、勇者の童貞を食い散らかして逃げ出してたのか」
「師匠! その言い方おかしいです!」
思わずツッコミを入れたが、周囲は「おおお……」と意味の分からない声を上げる。
「あ……あれ? 師匠、今、勇者って」
「勇者だろう、その坊や」
ラルは野次馬の反応など気にならないのか、手を伸ばし私をぎゅうと抱きしめた。
「さ、酒臭い……」
私の肩に顔を埋め、首筋に熱い呼気がかかる。
胸が高鳴る場面のはずなのに、酒臭さと周囲のどよめきが気になって、それどころではない。
「ティアナ。理由を聞くまでは離さないから」
ラルは私を抱き締める腕に力を込めた。
そうだ。この人、力が強いんだった。
「く、苦しい……」
「おい! 加減できないなら離せ!」
さすがに放っておけなくなったのか、ラルの連れは慌てて私の方へ駆け寄り、彼を引き剥がそうと動く。
「嫌だ! やっとティアナを見つけたんだ!」
ラルは抵抗すべく、私を抱き締める腕の力を強める。
「い、痛ぃ……」
ぎしぎしと骨が鳴っている気がする。
このままだと、別の意味で離れ離れになりそうだ。
「いいから離せって! 殺す気か!」
「いーやーだー!!」
「く、くるっ、し……」
見物していた者達は空気を読み、ぎゃいぎゃい騒ぐ勇者達から視線を外し、見なかったことにした。
その光景は前世の記憶も重なり、物語の始まりの場面のように見えた。
村を出ていく隊列からは、肌をひりつかせるような緊張が伝わり、これは現実なのだと実感する。
もし前世を思い出さなかったら、このままこの村で、ラルを信じて待っていたのだろうか。
いくら考えても、待つなんて無理だと思った。
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「私、魔法使いになろうと思うの」
「は?」
夕飯後の家族が揃う場にて、両親と祖母は私の発言を聞き、呆気にとられている。
父は青ざめた顔で、声を荒げた。
「ま、まさかラルを追うつもりじゃないだろうな!」
「そんな迷惑をかける事しないわよ」
彼らは顔を見合わせ、次の言葉を探して祖父を見やる。
普段は温厚な好々爺の祖父だが、見たことのない険しい表情を浮かべ黙している。
「今はこの村も平和だけど、魔王がいるなら何処にいても危険でしょう? いざという時、私も自分を守れるくらいになりたいの」
「だからって……」
父は眉間の皺を深くして、理解できないというふうに、こめかみを押さえた。
「もちろん才能の部分が大きいことは理解しているわ。でも、魔法使いなら腕力は必要ないし挑戦してみたいの」
「し、しかしだなぁ……」
もっともらしい理由を並べてみたが、彼らの反応は思わしくない。
と、その時。
「ティアナ。危険なことはしないと約束しなさい」
ずっと黙ったままだった祖父が肯定ともとれる言葉を口にした。
両親と祖母はぎょっと目を見開くが、祖父はそれ以上の発言を遮るように、首を横に振る。
「約束するわ!」
私が満面の笑みを向けると、父は諦めたようなため息をつく。
祖父は先程までの険しい表情を和らげたが、悲しそうにも見える瞳を誤魔化すように瞼を伏せた。
□ □ □ □ □ □
そうして、あの家族会議から二年が過ぎ去った。
この二年、魔族と魔物の動きは顕著となり、じわじわと侵食されていくような見えない恐怖が国や街に広がる中、四大国の一つが壊滅に追い込まれる惨事に見舞われた。
しかし、三ヶ月前、勇者達は悲願だった魔王討伐を成し遂げた。
世界中を駆け巡る吉報は、街々の雰囲気まで明るく変化させていく。
そんな勇者達の活躍の裏で、私は二年間、一度も村に帰らず日々を過ごしていた。
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「ああああ、あんの男ぉ!」
私は手拭いを握りしめ、ぎりぎりと歯軋りをしながら呻く。
私は場末の酒場で、老女を相手に酒を飲んでいた。
彼女は私の師匠だ。
たまたま住み始めた町で、たまたま知り合った魔法使い。
私が師事する魔法使いを捜している事を知り、なりゆきで魔法を教えてくれることになった。
魔法の修行を始めて一年後、私は冒険者に興味を持ちギルドに登録した。
気の合った人達とパーティを組んだことで、師匠の下を去ったのだ。
前世の記憶は、あれから怒涛のように甦るということなく、過去を懐かしむ程度の記憶ばかりで、実生活に支障は出ていなかった。
そういった意味でも、存外楽しく二年を過ごしていた。
「ようするに、二股をかけられていたってわけか」
師匠は度数の高い酒を一口飲み、くはあと息を吐く。
「実は三股です」
「おお、豪儀だねぇ」
「旅先の町に待たせていた女がいたみたいで、妊娠させた女性と三角で揉めています」
「あんたはそこに入らないわけだ」
「幸い私は体の関係まで到達していなかったので……」
「幸いときたか」
くはは、と師匠はおかしそうに笑う。
三ヶ月ほど前から、私は同じ冒険者仲間の一人と恋仲になっていた。
一緒にいて楽しく、彼に優しくされたことで、ついその気になってしまった。
身体の関係がなかった所為か、三股発覚後は呆気なく縁が切れた。
「はあ。同じパーティの仲間と同時進行されてたのに、気づかず浮かれてたなんて恥ずかしい……」
「で、恋に破れて私の下へ戻ってきたってわけか」
「働き口を捜してるんです。ついでに、続きの魔法を教えてください」
「ついでにするな」
べちりと額を叩かれた。
私は中位程度の魔法までは習得している。
それ以上を求めようとしたが、才能の部分が大きく、成長は頭打ちだった。
そんな時に冒険者の誘いを受けたのだ。
「師匠。師匠は私の作るおつまみが大好きですよね?」
「口説き文句が下手だねぇ」
彼女は呆れたように笑い、ボトルを傾けてグラスに蜂蜜色の酒を注ぐ。
「まあ、他にやることがないなら、しばらくは修行に励みな」
「修行つけてくれるんですね! 嬉しいです!」
喜びを表すと、どういうわけか、師匠は渋面を浮かべている。
「ところであんた、故郷には顔を出したのかい?」
「ああ……いいえ」
「平和になったんだから、一度は帰りな」
「な、なんとなく帰りづらいんです。帰ったら、二度と村から出してもらえなくなりそうだし……」
「今の生活が気に入ってるのかい?」
「気に入ってると言うよりも、名残惜しいと言いますか……」
「はっきりしないねぇ」
村を出てからの毎日は、楽しいことばかりではなかった。危険な目に遭ったこともある。
全て運と気合で乗り越えてきた。
師匠から学んだ魔法技術は折り紙付きで、魔法使いとしての資質がない私でも、それなりに魔法使いとして活動する程になれた。
師匠に出会えたことは、本当に幸運だった。
「あんたは婚期を逃しそうだ」
「別に……結婚なんて考えていないですし」
冷やかすように笑う師匠に曖昧な笑みを返し、私は唇を引き結ぶ。
あれから二年。
勇者の話題を各地で耳にする度、いまだに胸が痛む。
ラル以外の男性に目を向けたところで、結局は彼と比べている自分がいた。
今も眼裏に焼き付いて消えない、幼馴染みの姿。
こんな優柔不断な女だから、三股されてしまったのかもしれない。
そもそも私は本命ですらなかった気がするが、考えるのは止めておこう。
「失恋の痛みが忘れられないので、しばらく恋はいいかな……」
「呆れた。三股男のことがそんなに好きだったのかい」
師匠は目を丸くしている。
私は口を開きかけるが、突然がたんと大きな音が響いた。
私の足元に、椅子が横倒しになっている。
「へえ……そんなにいい男だったんだ」
頭上から低い声が聞こえる。
私は倒れる椅子を起こそうと、床へ手を伸ばした姿勢のまま固まった。
「俺のいない二年は楽しかった?」
おそるおそる上体を持ち上げると、フードを目深に被った背の高い青年が、私を仁王立ちで見下ろしている。
誰かが後ろにいたことは、もちろん知っていた。
というよりも、店内は満席だ。
周囲の客たちは何事かと、波を打ったように静まり返る。
彼は顔の半分を覆っていたフードを外し、口の端を持ち上げ笑んだ。
「ラ、ラル……?」
懐かしい人物が眼前にいることが信じられない。
「ど、ど、どうして?」
「偶然だよ」
動揺しつつ、ラルが囲んでいたテーブル席を見やると、同伴していた数人がコクコクと頷きを返してくる。
皆一様に驚いた表情で、どう行動すべきか戸惑っているようだ。
「と、友達……待たせてるよ」
「ティアナ。久しぶりに会って言う台詞がそれ?」
「……久しぶりだね」
ラルの満面の笑みが怖い。
「ねえ、失恋ってどういうこと? どうして俺が旅立ってからすぐに村を出たの?」
ラルは私の腰かけている椅子の背もたれに手を置き、顔を寄せてくる。
「ち、近い……って、うわ! 酒くさ!」
ふわんと漂う匂いに思わず叫ぶと、師匠は顔を傾けて、後方のテーブルを見やった。
「あんたたち、そんな強い酒を坊やに飲ませたのかい?」
彼らは慌てて否定するように手を振る。
「し、知らなかったんです! この町の名酒だって聞いたから、どんなものかと思って……」
「確かに名酒だけど、こんな子供が飲むような酒じゃないよ」
師匠は呆れた顔で手元のグラスに注がれた同じ酒を飲み干す。
子供と言っても、ラルはもう成人を過ぎている。
飲酒を楽しむような毎日ではなかっただろうから、酒に慣れておらず、酔いが回っているのだろうか。
「ねえ、顔が赤いわ。とりあえず座って……それから話を」
「嫌だ。それとも俺から逃げたいの?」
「はい?」
「ティアナが村を出た理由が全く分からないんだ。俺のことが嫌だったなら、あの夜はどういうつもりだった?」
「あ、あのね、その話はここでは」
「君が俺と同じ気持ちだと思ったから、俺の帰りを待っていてくれると思ったから……俺はティアナを抱いたんだ」
ざわりとやじ馬が色めき立つ。
眼前の酔っぱらいは眉を下げ、潤んだ瞳に私を映し続ける。
「俺の純潔をもらってくれたのに、覚えてないのか?」
「ひいいい! な、何を言ってるのよ!?」
私は羞恥に悲鳴を上げた。ラルは不思議そうに、こてんと首を傾げている。
「ああ、男は純潔とは言わないか……童貞?」
訊ねるように告げられて、私は口の端を引き攣らせた。
「あんた、勇者の童貞を食い散らかして逃げ出してたのか」
「師匠! その言い方おかしいです!」
思わずツッコミを入れたが、周囲は「おおお……」と意味の分からない声を上げる。
「あ……あれ? 師匠、今、勇者って」
「勇者だろう、その坊や」
ラルは野次馬の反応など気にならないのか、手を伸ばし私をぎゅうと抱きしめた。
「さ、酒臭い……」
私の肩に顔を埋め、首筋に熱い呼気がかかる。
胸が高鳴る場面のはずなのに、酒臭さと周囲のどよめきが気になって、それどころではない。
「ティアナ。理由を聞くまでは離さないから」
ラルは私を抱き締める腕に力を込めた。
そうだ。この人、力が強いんだった。
「く、苦しい……」
「おい! 加減できないなら離せ!」
さすがに放っておけなくなったのか、ラルの連れは慌てて私の方へ駆け寄り、彼を引き剥がそうと動く。
「嫌だ! やっとティアナを見つけたんだ!」
ラルは抵抗すべく、私を抱き締める腕の力を強める。
「い、痛ぃ……」
ぎしぎしと骨が鳴っている気がする。
このままだと、別の意味で離れ離れになりそうだ。
「いいから離せって! 殺す気か!」
「いーやーだー!!」
「く、くるっ、し……」
見物していた者達は空気を読み、ぎゃいぎゃい騒ぐ勇者達から視線を外し、見なかったことにした。
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