天国

揺リ

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翌日の昼過ぎに目覚めた僕はテレビをつけ、ぼんやりとワイドショーを眺めていた。芸能人が三十五歳の若さで死んだらしく、アナウンサーやコメンテーターの誰もかれもが心の友を失ったかのような顔で、志も半ばに天へ旅立った彼のために祈っていた。僕はそれを見ながら知人に貸したままの金の事を考えた。
先にも僕は、びた一文も他人に金を貸したくはないが、万が一貸してしまった場合、それも借り逃げなんぞをされた場合には地獄へ落とす、と述べた。そんな律儀な僕が金を唯一貸したままにしている知人、というのは昨日僕の職場に押し入ってきた強盗のことだが、奴は発砲した直後、錯乱した様子で自らの頭を撃ち抜き、死んだらしい。あろうことか奴は僕に金を返す前に、自分から地獄へ飛び込んで行ったのだ。僕はその間気を失っていたので、目を覚ました後の警察の事情聴取の場でそれを知った。強盗が僕の知り合いである、というのもその時知った。奴の顔は銃弾によってぐしゃぐしゃに潰れていたが、ポケットの中に免許証やら携帯電話やらを入れたまま死んでいたので個人情報は簡単に判明した。指紋やら歯型やらで所持していた証明書が本人の物であることは確認済みだということだった。それは死ぬほど間抜けな話だった。警察の人から奴の名前が出た時、僕はその強盗犯と知り合いであった、ということは警察に正直に言った。どうして知り合ったのか、と聞かれたので、数年前大阪へ旅行へ来た時、寺田町辺りの飲み屋で隣合わせ、何の話をしたかは忘れたが意気投合し、それをきっかけに浅くはあるが付き合いをしていた、と包み隠さず話した。
どのくらい会っていたか、どんな場所で会っていたのか、二人でどのような話をしていたか、普段どこの店で服を買っていたのか、利き手はどっちか、等、警察の人は根掘り葉掘り僕に聞き、僕は一つ一つ真摯な姿勢で答えた。金に困っていた様子だったから強盗をしても不思議ではないとも言った。
ただ、何かの折に僕が駐車場代を建て替え、それを返せと何度も言っていたのに奴は金が無い、の一点張りで、業を煮やした僕が金が無いなら銀行強盗でもしろと言ったという話はしなかった。
それから、奴は他にどんな交友関係を持っていたか知っているかと聞かれた時に、奴が関西を拠点にしている暴力団の組員数名と何やら懇意な間柄であったことも黙っておいた。共通の友人もいないし、彼がどんな人間と付き合っていたかまでは知りません、と答えた。僕はあくまでも、大手の銀行で働くまともで善良な一市民である。暴力団と関係があると知りながら、関わりを持っていたというようのは、少なくともこの状況で口にするべきことではない。それに別に僕は好き好んで奴と付き合っていたわけではない。知り合って間もない頃に駐車場代を建て替えていただけに切るわけにいかなかったのだ。
取り調べに素直に応じながら、僕は奴の頭の軽さに心底呆れずにはいられなかった。
「金が無い、金が無い。お前はそれしか言えんのかい、脳無しか。ほんまに返す気あるんやったらな、強盗でもしてこんかいや。俺んところでもええぞ、根性あるんやったらな。それができんのなら臓器売ってこいや」
僕は確かに奴にそう言ったが、一体どこの誰がそれを真に受けるというのだ?僕もその時は相当酔っていたし、勿論本気でそう言ったわけではない。真面目に働いて得た潔白かつ健全な金で返して欲しかった。いや、だがそもそも奴に金を返す気などあったのだろうか?そうか、強盗か、ええアイディアや、これで友達に金を返せるよ、お母さん、と思って押し入ってきたのだろうか、本物の銃まで携えて。
およそ脳無し、根性無し、と僕にクソミソ言われて腹が立ち、何くそ、見とけよ、という思いもあったに違いない。そして四日後、奴は本当にやりよった。そして、脅かす為に持ってきた拳銃で被害者を出してしまったことにショックを受けたのか、はたまたシャブが切れたことにより禁断症状を発症したのか、自分で自分を撃ち、脳みそを飛び散らして死んだ。
呆れ、呆れ果て、しまいには悲しいような気持になった。奴が人間としてこの世に生を受けたことが、そもそもの間違いだったのだ。
そして段々と腹が立ってきた。奴は地獄に落ちて行ったわけだが、僕の金はどうなる?奴は知り合い、と言っても本当にもう、肉の焦げ目が網目からすり抜けて炭火のところへ落ちてしばらくして燃えカスになった部分、のような、生きていても何の役にも立たず、僕にしてみても、奴のような男と知り合ってしまったことすら恥ずかしくてどぶに飛び込んでしまいたくなるくらいの人間ではあったので、死んでくれても一向に問題は無いのだが、僕の金はどうなるのだ。コインパーキング二時間分の駐車代千百円は一体どうなる?どないしてくれんのじゃ言うとんねん、こらあ、と思う。悲しい。悔しい。
奴の財布の中に金が無いと知っていれば出したりしなかった。悪い、後部座席おいとるわ、悪いけどはろといてくれる?と言うから、助手席から僕はしぶしぶ札を出した。すぐに返してもらえると思った。なのに奴は、精算を済ませた後になって、ごめん、今日持ち合わせないから、などとぬかしやがった。なんじゃそれ、じゃあ来週必ず払えよ。そないケチケチすなや。何がケチケチじゃ、返せと言うとんのじゃ。わかった、わかった。
それから二年半の時が過ぎた。過ぎてしまっていた。何故御堂筋周辺のコインパーキングはあんなに高いのだ?
更に腹立たしいのは、強盗として意気揚々と突入してきた奴の高揚した様子、テンションが上がりきった、あの感じ。奴は僕と分かっていながら、女性職員を使って脅かしてきた、ノリノリで、アゲアゲで。きっとさぞ面白がっていただろう。安っぽいサングラスとマスクの下で僕を嘲笑い、ニヤニヤしていたに違いない。
そうなってくると、あの煙草をふかしていた彼に、すなわち探偵に、僕は感謝の念を抱かずにはいられなかった。探偵の存在は、これから強盗をしようという奴にとっては予期せぬ事態であり、脅威だった。恐怖だった。
知り合いだとすぐに分からなかったのか、と食い気味に警察が言ってきたので、その時は殺されるかも知れない恐怖で頭がいっぱいで、何も考えられませんでした、まさか知り合いの男ではないかなど思いもしませんでした、と僕は答えながら、自分も警察に何かしら疑われていることに気がついた。銀行員である僕と奴が共謀しての犯行ではないのか、と。もしそうであれば、奴が死んだ今、この場で、知り合いであることをわざわざ明かす必要はないわけだが、大方、打ち合わせした通りに行かず思わぬ被害者も出してしまい、怖くなって黙っていられなくなったとでも思われていたのかも知らん。更には、奴ももしかすれば、万が一現金強奪の後で逮捕された時には、警察にそう話すつもりだったのではないかと僕は想像した。そう思って僕はゾッとした。警察からの僕の疑いが晴れたところで、奴が使っていた拳銃は恐らく、奴が付き合っていた暴力団組織と関係があるに違いないし、奴がそれを一般市民相手に向けたとなると組織が黙っていない。警察は奴を逮捕し、拳銃の出所を突き止めようとする。そうなる前に、組織は真っ先に奴を殺すだろう。奴と付き合っていた僕のところにもその火の粉が飛んで来ないとも限らない。それくらいの事は、奴くらいの馬鹿にも想像がつくはずだった。奴は本気で、捨て身になって僕に脳無し、とけなされた仕返しをするつもりでいたのか。実際、僕は危うい立場にあった。客に弾丸をぶっ放した凶悪犯と知り合いである、ということが職場に知れたら確実に職を失うし、マスコミに公表されれば、あることないこと書き立てられるのだろうし、そんなことなれば人生は終わりだ、二十四歳にして。組織にだって消されるかもしれない。文字通り消されるも知れないのだ。殺され、燃えカスも僅かにしか残らない程に焼かれ、海に撒かれて。僕は僕の身に降りかかった理不尽を呪った。僕が一体何をしたと言うのだ?
その後も僕は勿論素直に対応したが、投げられる問いかけは僕の体の表面をつるつる滑っていくばかりだった。最後に携帯電話を押収された。僕は少し迷ったが、拒否しなかった。警察は、「少し貸してもらうだけやから、そんなに時間かかりませんから」と言って、書面を差出しサインするよう促した。「長いこと携帯なかったら不便やろしね、悪いね、ほんまにね」
そこには、私は自発的に携帯電話を提出しました、決して無理強いはされておりません、といった内容が記されていた。

電話が携帯できないというのは全く不便極まりなく、署を出た後、公衆電話を探してうろうろと彷徨い歩き、やっと駅前にひっそりと設置されているのを見つけ、手帳に記しておいた番号を睨みながらダイヤルを回し、取り調べが終わった旨を上司へ報告すると、僕がしばらく意識を失くしていた事も知っており、明日は休むようにと言った。僕は、お気遣いは有難いがこんな大変な時に休むわけにはいかない、という内容の返事をしたが、勿論本心ではなかった。できることなら半年程休ませてほしかったし、ハワイに逃亡する金もほしかった。上司はそんな僕の言葉にいたく感動した様子で、無理をしなくて良い、と言った。僕は丁重に、申し出を受け入れた。
僕はすぐに自宅へ帰り、便器に顔を突っ込むようにして、銀行の床に放出した内臓の残りを吐こうとしたが何も出て来なかった。
それから泥のように眠り、目が覚めた時には昼を回っていた。胃が空腹に耐えかねてチクチクと痛んでいた。
僕はマットレスの上に寝転んだ姿勢のまま、テレビの画面を見た。例の死んだ三十五歳の芸能人のドキュメントで、肺癌の為闘病生活を強いられた夫、テレビの仕事に復帰することを最後まで望み、諦めなかった。そして夫を献身的に支えた妻、二人の馴れ初めのエピソード、等。
僕はどこかの路線で今日も飛び降り自殺により電車が止まったことを知らされたホームで、「死ぬ時まで迷惑かけんなや、電車止めたらみんなが迷惑するとか、そういう空気も読まれんような奴やから自殺するような羽目になるんやろがい」と怒っているであろう誰かを想像した。
続いて、ワイドショーは昨日の銀行強盗の事件の話題に切り替わった。僕はぞわぞわと恐怖しながらそれを眺めた。犯人は銀行内の職員と内通していた、等と報道されるのではないかと思い、僕はぞわぞわと恐怖しながらそれを眺めた。足の裏が異常に、急激に冷えた。だがそんなことはなかった。警察は僕のことをマスコミに公表するつもりなのか、聞いておけばよかった。くっそ。
腕を撃たれた彼は、どうしているのだろう?と思った。ニュースを見る限り、負傷した男性が一人いたがすぐに病院へ運ばれ、命に別条は無い、となっていた。僕は彼に対して、謝らなくては、と思った。
外ではじりじりと蝉がうなっていた。その声は僕を責めているのかのように聞こえた。というのは別に、嘘やけど。
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