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本編

夢か死後の世界か

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 死は誰にでも訪れる。明日、当たり前の日常が消えてなくなるかもしれない。そんなことは彼女もわかっていた。
 けれども、健康であったし、慎重な性格でもあった。だから、病気や事故にも遭わなければ、物騒なことが周囲で起こるとも思っていなかった。
 それなのに、樫井かしい茉莉愛まりあの意識は猛スピードで迫ってくる車を捉えたところで途絶えた。

 身体が落ちている。車に跳ね飛ばされたのだろうか。
 痛みはない。視界にはあまりにも晴れた空が広がっている。これが最期の景色になるのだろうか。こんなにも美しい空を見て終わるのなら良いのかもしれない。そう思ってしまった時、落下に終わりが訪れた。

 あまりにも緩やかで、大した衝撃もないまま妙に派手に飛沫が上がる。一瞬にして全身がびしょ濡れになり、急に現実に引き戻されたように意識がはっきりとしてきて茉莉愛は混乱した。
 スローモーションだった世界が元に戻ったかのようだ。走馬燈のように思い出が浮かぶわけでもない。痛みもない。死後の世界、三途の川に落ちたのか――


 キョロキョロと見回せば茉莉愛は益々混乱した。水深は浅いが、側では絶えず水が噴き上がっている。周囲には細かい彫刻が施され、ひどく立派な噴水であるようだ。
 それまでいた場所にこんなものはなかった。夢を見ているのか、やはり死後の世界なのか。
 まずはここから出なければ、そう思って立ち上がったところで茉莉愛の耳にざわめきが届く。

「人が落ちてきたぞ!」

 誰かの声が聞こえる方を見れば大きな建物がそびえ立ち、窓から次々に顔を出す人影があった。
 一体、どうなっているのか。建物はヨーロッパを思わせ、人々の髪は明るい色彩が多いように見える。奇抜な色が混じっているのは気のせいか。
 外国への憧れを抱いたまま死ぬ未練が見せる幻なのか。ざわめきが大きくなるほどに茉莉愛は動けなくなる。
 そんな時、近付いてくる人影に気付いて茉莉愛は半ばパニックになっていた。
 二、三十代らしき男女二人はやはり外国人であるようだが、そのファッションが茉莉愛の目には奇妙に映った。まるでファンタジーゲームか何かのように女性はローブを纏っている。何より彼女はあまりに鮮やかな緋色の髪をしていたた。
 ゲームやアニメにはあまり馴染みがなかった茉莉愛だが、小説や漫画の読み過ぎだったのかもしれない。

 二人が噴水の前で立ち止まり、茉莉愛は何かを言わなければならないと思った。
 彼らにとって自分は不審者に違いない。しかし、なぜ自分がここにいるかも説明できない。

「わ、私は……」

 慌てて口を開いたところで何と言えば良いのか、迷いが生じてしまう。二人の目が自分を品定めするようにじっと見ていると気付いて怖くなったのだ。
 怪しい者ではないと言って通じるのだろうか。耳は聞こえてくる言葉を拾っている。夢だからこそ都合良くできているのかもしれないが、通じたところで信じてもらえるとは限らない。

「あ……!」

 何も言えないまま、ふわりと身体が浮く。どうすれば良いのかわからない内に気付けば二人の前に立っていた茉莉愛はあたふたするしかなかった。

「あの、その……」

 しどろもどろしている内に二人が顔を見合わせたかと思えば男性は顔を背け、女性が手を翳す。
 温かい風に包まれ何事かと思っている内に服や髪が乾いたことに気付く。それは魔法なのだろうか。

「行きましょう」
「わっ……!」

 女性に声をかけられ、どこへとも問えないまま身体が浮き上がり、茉莉愛は驚きで言葉が出なくなる。先ほども浮かされて移動させられたが、今回は抱えられている。何よりも人生初めてのお姫様抱っこを女性にされるとは思いもしなかった。
 長身ではあるが、ローブを羽織っていてもその体つきは間違いなく女性であることが窺える。しかし、まるで重さを感じていないかのように安定している。魔法を使っているからこそか、夢だからなのか。

「騒ぐな、授業に戻れ!」

 男性の方がそう声を発すれば急にざわめきが止み、茉莉愛はここが学校なのだと知った。二人は教師なのかもしれない。
 そうして彼らは歩き出し、建物の中に入ろうとしていた。

「あ、あの! 自分で歩けますから……」
「大人しくなさっててください」

 はっとして茉莉愛は申し出るが、ぴしゃりと言われてしまえば、何も言い返せずに運ばれることしかできなかった。


 廊下を進み、やがて二人は目的地にたどり着いたようだった。扉をノックし、中へと入ると茉莉愛は息を呑む。
 ここはやはり自分の無意識な願望が作り出した夢の世界なのだろうか。ちぐはぐなように感じるのは目の前に広がる光景で部屋の名前をすぐに認識したからだ。どう見ても保健室である。
 薬品が入っているだろう棚と並ぶベッド、窓際の一つには誰かいるのかカーテンが引かれている。
 その隣のベッドに下ろされ、白衣姿の男性が近付いて来る。彼もまた若いようだ。

「落ちてきたのですか?」
「確かに空から」

 白衣の男性の問いに茉莉愛が答えられない内に女性が答える。
 長身の男女三人が目の前に並ぶ光景に茉莉愛は圧倒されてしまったのだ。

「痛むところは?」

 萎縮する茉莉愛に気付いたように白衣の男性がしゃがみ、視線を合わせて問いかけてくる。彼は物腰が柔らかく、少し安心できた。

「ないです……」
「気分は?」
「大丈夫です……」

 かなり高いところから落ちた感覚はあったが、何ともない。所詮、夢だから痛みなどないのだと思っても言えるわけでもない。簡単に答えるのが茉莉愛にはやっとだった。

「貴方はこの世界とは違う世界から来たのですか?」
「た、多分……」

 核心を突く質問に茉莉愛は曖昧に答えることしかできなかった。
 車に轢かれそうになったところで異世界に飛ばされるというのはいかにもありがちな設定だ。そんな夢物語が自分の身に起こるとは信じられない。病院のベッドの上で長い夢を見ているのかもしれないが、この夢を楽しもうと思う余裕などあるはずもなかった。
 あるいは今時の死後の世界はゲームか何かのような世界観なのか。とにかく現実味がない。

「学園長を呼んできます」

 そう言って女性は出て行ってしまい、茉莉愛は取り残されたようで息が詰まりそうだった。一緒に連れて行ってくれれば良かったのにと思ってしまうぐらいには彼女がいなくなった後の空気は重たかった
 初めに出会った男性の方は無口であり、茉莉愛を監視するようでもある。どうして彼が行ってくれなかったのかと恨めしい気持ちもあった。
 養護教諭と思しき白衣の男性の方ももう聞くことがなくなったのか離れていってしまった。夢ならば楽しいことだけを見せてくれれば良いのに、そんな不満を抱きながら茉莉愛は早く女性が戻ってきてくれることを祈るしかなかった。
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