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戻りたいのか戻りたくないのか1
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朝、当たり前のようにいた光希の姿は教室にない。来ても目を合わせることもない。
また隠れて生きていけると希彩はほっとした。
どうして、もっと早く言わなかったのか。
あんな一言で光希が引いてくれるなどと思わなかったのだ。
眼鏡は返してもらっていないが、きっと捨ててしまうだろう。新しいものを買えば済む話だ。
「おはよう……あれ、どうしたの? あいつ」
咲子は来てすぐに異変に気付いたようで、ちらりと光希の方を見る。
毎朝、彼は先にいて、彼女が来るまで席に居座っては邪魔にされている。今日はピンも貰っていない。
「私が迷惑だって言ったから……」
本当のことは咲子にも明かせないが、言ったことは事実だった。
「あら、そんなんで引き下がったの? まあ、明らかに迷惑行為だったけど」
「他にも嫌いとか……」
希彩は頷いていただけだが、認めてしまったことだ。
「でも、本当にこれで良かったの?」
じっと咲子に見詰められ、希彩はたじろぐ。全て見抜かれてしまいそうだった。
「……うん」
なぜか胸はチクチクと痛む。それは罪悪感のせいだろうか。しかし、こうするべきだったと思うのだ。
「咲子にも迷惑かけちゃったけど、もう大丈夫。本当にありがとう」
彼女には感謝してもしきれないほどだ。助けてくれたことは希彩にとって本当に嬉しいことだった。
だが、光希が離れた今、守ってもらう理由もなくなってしまった。
「用が済んだらポイなんて、あたしは嫌よ。これで終わりになんてさせない」
「えっと……」
返答に困って希彩は咲子を見る。必要がなくなれば彼女も光希のように離れていくのではないかと思っていたのだ。
「これからも友達、オーケー?」
「うん!」
希彩は迷わず、力強く頷いていた。彼女がいてくれる心強さに頼ってしまいそうになる部分はある。後ろに隠れてずるいと言われたが、彼女との友人関係まで解消しろとは言われていない。
「これで邪魔者はいなくなったわけだ」
そんな声がする方を見れば、いつの間にか遼が側に立っていた。
「羽目外して変なことしたら許さないからね」
「わかってる。光希なんかと一緒にすんなっての」
咲子が釘を刺し、遼が肩を竦める。
光希がいれば、何と言っただろうか。ふと浮かんだ思考を希彩は追い出そうとした。光希と遼が睨み合って、それでも険悪というほどでもなく、咲子が間に入ることを楽しく感じていた。早くも寂しいと思ってしまった自分に気づいて希彩は戸惑う。
それはきっと彼を好きになってしまったからだとは思いたくなかった。
*
「とりあえず、ちょっと話そうぜ」
希彩が遼に呼ばれたのは昼休み、昼食を済ませた後のことだった。
ついに話す時が来たのだと希彩は身構える。
人気のない場所だが、遼は近付きすぎないよう気を使っているらしかった。希彩が大丈夫なギリギリの距離を彼なりに模索しているようだ。
「……市川、覚えてるか?」
そう切り出す遼は苦々しげだ。
希彩もまた苦い物が口内に広がっていくような感覚を味わう。
覚えていないはずがない。忘れられるはずがない。彼もわかっているはずだ。希彩が最も聞きたくない名前だった。
市川はクラス委員を務めていた女子だったが、姉御肌の咲子とはまるで違うタイプだった。
校則に違反するようなことをしていたわけではないが、明るく、常に自信に満ち溢れ、積極的な彼女は希彩からすれば派手で眩しかった。
誰にでも分け隔てなく接しているようで、家が裕福なのを鼻にかけているだとか男に媚びているなどと言う者もいたが、敵に回すべき相手ではないというのは共通の認識だった。明確ないじめはなくとも、常にたくさんの取り巻きに囲まれた彼女に嫌われるのはその後の平穏な学校生活に暗雲をもたらすことになる。
きっと自分は彼女に嫌われているのだと希彩は察していた。
彼女に何かをしわけではない。小学校から一緒だったとは言っても決して仲良くはなく、苦手意識を持って恐れていた。彼女と張り合って勝てるものなどないのに、一方的な敵対意識を持たれているかのようだった。
それを遼もわかっていて、付き合うことになった時も隠そうと決めたのだ。
けれども、別れてすぐに市川が遼とオープンに付き合い始め、誰も何も言うことはなかった。
誰も希彩が遼と付き合っていたことを知るはずもない。被害妄想なのだろうが、見せつけられているようで希彩は嫌な思いにさせられていた。
「わりぃ……嫌なこと思い出させた。お前は何も悪くないのにな……」
終わったことであるのに、まだ引きずっているのだと希彩は気付く。綺麗に別れたわけではない。あの頃は遼が何を考えているかわからなかった。
「あいつにバレたんだ」
「えっ?」
「お前と付き合ってたことが、あいつにバレちまった」
結局、誰にも気付かれていなかったと希彩は思っていた。一番仲の良かった子にさえ打ち明けられず、何かを言われることもなかった。
そして、希彩は自分が孤立していることを自覚した。
「ああなることを恐れて隠して付き合ってたのにな。俺が迂闊だった」
あの見せつける態度は被害妄想でなかったのだと今になってわかる。本当に希彩への当てつけだったのだ。
「あいつが女子に対して絶大な権力を持っているとしても、脅迫に屈するべきじゃなかった」
脅迫とは物騒な話だ。彼が何を言われたか、希彩には想像も付かない。
「お前を人質にされたようなものだった」
「人質……」
「何をされるかわからないと思った。よくない奴らと一緒にいたのも見たことあったしな」」
希彩の中で市川はまるで女王のように振る舞っていた。何でも思い通りにできる空気があった。
「いっそ公表しちまえば良かったんだ。もっとお前の味方を作っておくべきだった。でも、あの時の俺にはお前を守りきる自信がなかった」
希彩も遼と堂々と付き合いたい気持ちはあった。今はもう慣れたが、コソコソと隠れるのは大変で、恋人らしいデートへの憧れもあった。
けれど、自分なんかが彼と付き合えば市川でなくとも絶対に納得しない人間が大勢いるだろうと希彩は思っていた。
「だから、簡単な方を選んだ。自分が犠牲になってもお前に何もされなければいいと思った。卒業も近かったから長くは続かないと思ってたし、逃げでしかなかった」
賢明な判断だろう。希彩は彼を責めることができない。自分でもそうした、そうするしかなかったと思うからだ。
また隠れて生きていけると希彩はほっとした。
どうして、もっと早く言わなかったのか。
あんな一言で光希が引いてくれるなどと思わなかったのだ。
眼鏡は返してもらっていないが、きっと捨ててしまうだろう。新しいものを買えば済む話だ。
「おはよう……あれ、どうしたの? あいつ」
咲子は来てすぐに異変に気付いたようで、ちらりと光希の方を見る。
毎朝、彼は先にいて、彼女が来るまで席に居座っては邪魔にされている。今日はピンも貰っていない。
「私が迷惑だって言ったから……」
本当のことは咲子にも明かせないが、言ったことは事実だった。
「あら、そんなんで引き下がったの? まあ、明らかに迷惑行為だったけど」
「他にも嫌いとか……」
希彩は頷いていただけだが、認めてしまったことだ。
「でも、本当にこれで良かったの?」
じっと咲子に見詰められ、希彩はたじろぐ。全て見抜かれてしまいそうだった。
「……うん」
なぜか胸はチクチクと痛む。それは罪悪感のせいだろうか。しかし、こうするべきだったと思うのだ。
「咲子にも迷惑かけちゃったけど、もう大丈夫。本当にありがとう」
彼女には感謝してもしきれないほどだ。助けてくれたことは希彩にとって本当に嬉しいことだった。
だが、光希が離れた今、守ってもらう理由もなくなってしまった。
「用が済んだらポイなんて、あたしは嫌よ。これで終わりになんてさせない」
「えっと……」
返答に困って希彩は咲子を見る。必要がなくなれば彼女も光希のように離れていくのではないかと思っていたのだ。
「これからも友達、オーケー?」
「うん!」
希彩は迷わず、力強く頷いていた。彼女がいてくれる心強さに頼ってしまいそうになる部分はある。後ろに隠れてずるいと言われたが、彼女との友人関係まで解消しろとは言われていない。
「これで邪魔者はいなくなったわけだ」
そんな声がする方を見れば、いつの間にか遼が側に立っていた。
「羽目外して変なことしたら許さないからね」
「わかってる。光希なんかと一緒にすんなっての」
咲子が釘を刺し、遼が肩を竦める。
光希がいれば、何と言っただろうか。ふと浮かんだ思考を希彩は追い出そうとした。光希と遼が睨み合って、それでも険悪というほどでもなく、咲子が間に入ることを楽しく感じていた。早くも寂しいと思ってしまった自分に気づいて希彩は戸惑う。
それはきっと彼を好きになってしまったからだとは思いたくなかった。
*
「とりあえず、ちょっと話そうぜ」
希彩が遼に呼ばれたのは昼休み、昼食を済ませた後のことだった。
ついに話す時が来たのだと希彩は身構える。
人気のない場所だが、遼は近付きすぎないよう気を使っているらしかった。希彩が大丈夫なギリギリの距離を彼なりに模索しているようだ。
「……市川、覚えてるか?」
そう切り出す遼は苦々しげだ。
希彩もまた苦い物が口内に広がっていくような感覚を味わう。
覚えていないはずがない。忘れられるはずがない。彼もわかっているはずだ。希彩が最も聞きたくない名前だった。
市川はクラス委員を務めていた女子だったが、姉御肌の咲子とはまるで違うタイプだった。
校則に違反するようなことをしていたわけではないが、明るく、常に自信に満ち溢れ、積極的な彼女は希彩からすれば派手で眩しかった。
誰にでも分け隔てなく接しているようで、家が裕福なのを鼻にかけているだとか男に媚びているなどと言う者もいたが、敵に回すべき相手ではないというのは共通の認識だった。明確ないじめはなくとも、常にたくさんの取り巻きに囲まれた彼女に嫌われるのはその後の平穏な学校生活に暗雲をもたらすことになる。
きっと自分は彼女に嫌われているのだと希彩は察していた。
彼女に何かをしわけではない。小学校から一緒だったとは言っても決して仲良くはなく、苦手意識を持って恐れていた。彼女と張り合って勝てるものなどないのに、一方的な敵対意識を持たれているかのようだった。
それを遼もわかっていて、付き合うことになった時も隠そうと決めたのだ。
けれども、別れてすぐに市川が遼とオープンに付き合い始め、誰も何も言うことはなかった。
誰も希彩が遼と付き合っていたことを知るはずもない。被害妄想なのだろうが、見せつけられているようで希彩は嫌な思いにさせられていた。
「わりぃ……嫌なこと思い出させた。お前は何も悪くないのにな……」
終わったことであるのに、まだ引きずっているのだと希彩は気付く。綺麗に別れたわけではない。あの頃は遼が何を考えているかわからなかった。
「あいつにバレたんだ」
「えっ?」
「お前と付き合ってたことが、あいつにバレちまった」
結局、誰にも気付かれていなかったと希彩は思っていた。一番仲の良かった子にさえ打ち明けられず、何かを言われることもなかった。
そして、希彩は自分が孤立していることを自覚した。
「ああなることを恐れて隠して付き合ってたのにな。俺が迂闊だった」
あの見せつける態度は被害妄想でなかったのだと今になってわかる。本当に希彩への当てつけだったのだ。
「あいつが女子に対して絶大な権力を持っているとしても、脅迫に屈するべきじゃなかった」
脅迫とは物騒な話だ。彼が何を言われたか、希彩には想像も付かない。
「お前を人質にされたようなものだった」
「人質……」
「何をされるかわからないと思った。よくない奴らと一緒にいたのも見たことあったしな」」
希彩の中で市川はまるで女王のように振る舞っていた。何でも思い通りにできる空気があった。
「いっそ公表しちまえば良かったんだ。もっとお前の味方を作っておくべきだった。でも、あの時の俺にはお前を守りきる自信がなかった」
希彩も遼と堂々と付き合いたい気持ちはあった。今はもう慣れたが、コソコソと隠れるのは大変で、恋人らしいデートへの憧れもあった。
けれど、自分なんかが彼と付き合えば市川でなくとも絶対に納得しない人間が大勢いるだろうと希彩は思っていた。
「だから、簡単な方を選んだ。自分が犠牲になってもお前に何もされなければいいと思った。卒業も近かったから長くは続かないと思ってたし、逃げでしかなかった」
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