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「ん……んんっ! はぁっ……」

 部長のキスはクラクラする。最初は呼吸の仕方がわからなくて、酸欠気味だったけれど、それからタイミングを作ってくれてることに気付いた。今は多分単純にキスのテクニックに酔ってる。
 あるいは、いい匂いに包まれてるからかもしれない。部長はいつだって清潔感がある。いつもはきっちり着てるシャツが今は乱れているけど。

「ぅあっ……ぁあんっ……」

 大きな手がボタンを外し、下着を外されて、素肌にその熱が触れるだけでもドキドキするのに首筋を舐められて体が熱くなる。中途半端に脱がされて纏わり付く服は部長の興奮を高めてくれるのかわからない。

「あっ、ひぅっ! ふ、ぁ、あっ……」

 早鐘を打つ心臓の音が大して大きくもない胸を揉む部長に伝わってしまいそうで心配になるのに胸に吸い付かれて戸惑う。本当にこういうことが初めてで、むずむずするし、恥ずかしすぎて頭から火が出そう。
 部長みたいな大人の男性に抱かれるなら、経験の一つや二つどころか豊富にあった方が良かったのかもしれない。でも、全ての初めてを部長にもらってほしかった。たとえ、重いと思われても。

「んっ…………ひあぁっ!」
「ストッキング越しでも湿っているのがわかるな」

 下着越しにそこに触れられてびっくりしてしまうのは仕方のないこと。そういうことをするってわかっていても初めてだから慣れているようには振る舞えない。

「一度、破ってみたかったんだ。いいな?」

 ストッキングに手をかけた部長はやる気満々。悪戯好きの少年のようにも見える。私の同意なんて求めていない。
 でも、約三十年生きてきて、そういうことを全く妄想しなかったかと言えば嘘になる。時にはオフィスで……なんて良からぬことを考えてしまうのだって全部部長のせい。夢に出てくるのだって部長が魅力的で時々優しくしてくるせい。

「部長の好きにされたいです……」

 妄想はしても、自分がMだなんて思ったこともなかったのに、欲望が溢れて口から出てしまった。
 今までは他人にしてほしいことを言うなんてできなかった。でも、今を逃したらきっともう今まで通りにはいかなくなるから。

「……俺を煽る天才だな」

 ぐしゃっと前髪を乱した部長の感情は読めない。少しはその心を掻き乱せていたらいいのに。
 部長にとっても、これは危険な火遊び。私ほどじゃなくても酔っていればいいのに。そのまま正気に戻らなければいいのに。

「あ…………ひゃ、う、ぅんっ!」

 あっけなくストッキングが破けて、部長の指が下着の上から確かめるように割れ目を辿る。自分で触っても気持ちよさなんてわからなかったそこからむず痒いような感覚が生まれる。
 指がどこかにひっかかって、その度に体に電気が走る気がする。こんなの知らない。自分は不感症かもしれないって思ったことだってあるのに、知らなかっただけなのか、それだけ部長が上手いのかはわからない。

「可愛いな」

 ぽつりと漏らされる声にさえ過剰に反応してしまう。どこまで本心かもわからないのに。
 そのせいで下着をずらされたことに気付くのが遅れた。

「こっちは綺麗なもんだな」
「見ないで、くださ、ぁあぁんっ!」

 誰にも見られたことがないそこを開かれて恥ずかしい。電気ついてるけど、いつ消してもらえばいいんだろう?
 そんなことを思う間にも部長の指が直接触れる。行き来する度にクチュクチュと音がして、電流が流れるようなあの場所を滑る。

「俺の好きにされたいんだろ?」

 そう笑う部長は暴力的なまでに色気があってぞくりとした。昔は野獣だったって言っても、今はもう枯れたんじゃないかって失礼なことを思ってた。周りがそんなことを言うせい。
 でも、今私の目の前にいる部長はケダモノ――

「ぁっあ! …………いっ!」

 私の中から溢れたぬめりを纏って太い指が入り込んできたその瞬間入り口が引き攣るように痛んで、思わず声を発していた。
 部長の動きがぴたりと止まる。

「どれくらいしてないんだ?」
「野暮なこと聞かないでくださいよ」

 自分では指を入れることさえ怖かったから、どれくらいも何もしてないのに、素直に答えることなんてできなかった。精一杯強がる。
 アラサーにもなれば、もっと大人の駆け引きができるようになって魔性の女にもなれるように思ってたのに、それはきっと経験があってこそ。部長にとっては中身はお子様なのかもしれない。

「大事なことだ」

 部長は急に熱が冷めたように厳しい表情で私の顔を覗き込む。それが怖くて何も言えなくなるのに、目が逸らせない。
 沈黙も、この先のことも、何もかもが怖い。もっと夢を見ていたかったのに、少女でなくなった私に夢見る時間なんてもう残されていなかったのかもしれない。

「初めて、なのか……?」

 もう嘘は吐けない。終わりだって思った。
 ごまかす言葉なんて何も浮かばない。でも、終わりを確信したからこそ、開き直れる気がした。

「怖じ気付きました? やっぱり枯れているんですか?」

 こんな挑発しかできない自分が恨めしい。だけど、必死。
 怒ってくれればいい。滅茶苦茶にしてくれればいい。痛くていい。一生忘れられない最初で最後でいいのに。
 部長は大きく溜息を吐いて手を伸ばしてくるからびくっとした。

「そういう大事なことは初めに言ってくれ。君に痛い思いをさせたくない」

 ぐしゃぐしゃと頭を撫でる手は優しい。さっきまで野獣の片鱗が見えていたのに、紳士に戻ってしまった。それが寂しい。

「だって……逃げられたくなかったんです」

 もう白状するしかなかった。挑発は通用しない。
 処女は面倒臭いって言うし、何しろアラサーだし、説教されて終わりとか避けたいし、何が何でもしてほしかったと言えば引かれるかもしれない。

「焦る必要はない。今まで自分を大事にしてきたんだろ。周りの言葉に流されるな。君はいい女だ」

 ただ宥めるためか、本心なのかわからないのに、涙が溢れるくらい嬉しかった。
 運命の人に出会えるって信じて、その人のために守ってきたわけでもないのに。

「部長だからですよ。部長にしてほしいんです。やめないでください……!」

 手を伸ばして縋るように部長のシャツを掴む。こうなったら懇願することしかできない。まだ諦められない。こんな形で終われない。

「そんなに言うならやめないさ。君が望むようにしてやる」

 私の手に部長の手が重なる。引き剥がそうとするのでなく、包み込むように。だから、見上げて、その言葉が聞き間違いでないことを確かめたかった。

「いいんですか? 初めてだから責任取ってくださいって言いますよ? こじらせアラサー処女ですよ?」

 してしまったら、きっと一回きりでは諦められなくなる。それでも部長はしてくれる?

「上司を脅すのか?」
「はい」

 脅迫なんて誇れることじゃないのに自然に笑顔になっていた。もう私にはそれしかないから。

「望むところだ」

 目を細めた部長の顔が近づいてくる。触れた唇はすぐに離れてしまったけど、次に見た部長の目は野獣の帰還を思わせた。
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