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独身最後の砦の取手部長。
誰が言ったか、と切り出せば格好良く聞こえるかもしれないけど、当時の新入社員が言った突拍子もないことがきっかけ。
『トリデ部長って、何の砦なんすか?』
その砦じゃねぇ、ってその場にいた全員が思ったはず。それから女子社員が『きっと独身最後の砦ですよ!』なんて言ったのも悪意はなかったはず。多分。
思えばヤツも今では立派になったものだけれど、取手部長は今も独身のまま砦を守っている。顔はいいのに、ゲイなのか、はたまた不能なのかと不名誉な噂を立てられながら。
私――奥野優里奈は今その取手誠一郎さんにお姫様抱っこされている。四十を過ぎても若々しく見えてハンサムなイケオジ部長はとても一回り歳が離れているとは思えなくて、安定感がある。アラサー女子でもいつでもお姫様になれるんだって夢見心地になれるくらいには。
「追い返すなら今の内だ」
慣れ親しんだベッドに降ろされて取手部長に見下ろされる。その目は欲に染まりきっていない。まだ紳士。
どうしてこうなったかと言えば、飲み過ぎて家まで送ってもらったという体。
後輩が結婚して、飲み会での「次はあなたの番」的なハラスメントが耐え難くて自棄になって愚痴ってこの様。
それに、前に偶然聞いた言葉が頭から離れなかった。
『お前も落ち着いたよなぁ。昔は野獣だったのに』
それは部長をよく知ってるらしい人が言ったこと。たまたま二人で飲んでいた時に出会った。親友だと言うのは部長が否定していたけれど。
聞いてもいないのに、部長が怒るのに面白がって余計なことを教えてくれた口が軽いその人は嘘を言っているわけでもなさそうだった。今や独身最後の砦とかイケオジ芸能人みたいなこと言われちゃう取手部長も若かりし頃はそれなりに遊んでいたということ。
『狼にならないんですか? それとも、もうなれないんですか?』
下心なんてなくて、単にふらつく部下を放っておけなくて家まで送ってくれると言った取手部長を挑発して、『着く頃には気が変わって後悔するぞ』なんて言われたけど後悔なんてしてない。
だから、部長のネクタイを掴んで引き寄せる。素面ならできないことも今ならできる。後悔することがあるとすればこの想いが遂げられなかった時。
「部長こそ逃げるなら今の内ですよ」
悪女になれたなら、もっと上手く誘惑できたのかもしれない。
お酒の勢いがなければ、普段の私はこんなことはできない。密かに部長を想いながら仕事をこなすだけ。色恋に現を抜かしてると思われて失望されたくないから。これは一か八か、最初で最後の大博打。
最初は鬼上司だと思ってた。けれども、厳しいのは意地悪とかではなくて、締めるところは締めるっていうだけ。部長にとっては当然のこと。努力をちゃんと見ていて認めてくれる人だってわかったら、いつの間にか好きになっていた。相手にされないってわかっていたのに。
「そんなに煽って……どうなっても知らないからな」
「んっ……」
低く唸るような声にゾクリとする内に部長の顔が近付いてきて噛みつかれると思った。そんなキス。
どうしたらいいかなんてわからない。全然、余裕なんてない。
「ぁ、ふっ……んんっ……ふ、ぁっ……!」
開いた唇の隙間から肉厚の舌が入り込んできて、生き物みたいに這い回る。
気持ち悪くはないけど、どう応えればいいのかわからない。呼吸の仕方さえわからない。
「挑発して男を誘い込むくせに慣れていないのは演技か? それとも、昔の男はキスが下手だったのか?」
「そんなこと聞くのは野暮だと思わないんですか?」
唇を舐める部長がたまらなくセクシーに見える。野暮だけど、その気になってくれてるならいい。いもしない昔の男に嫉妬してくれているのなら、嬉しいかもしれない。
学業だったり、仕事だったり、いつも必死で恋をする暇なんてなかった。その内出会いがあるなんて思ってたら、気付けばアラサー処女。魔法の一つでも使えるようになったなら、迷わずに好きな人を誘惑するのに。演技ができたら今頃苦労してない。心臓がバクバクで飛び出そう。
「よほどこのお嬢さんは俺に襲ってほしいらしいな」
取手部長は呆れているのかわからない。でも、さっきより目がぎらついているのは隠せていない。
私だって普段からこんなことしているわけじゃない。誰でも良いから側にいてほしいわけじゃない。寂しさを紛らわせたいわけじゃない。
「今更獲物を前にして尻尾巻いて逃げないでくださいよ、野獣さん。枯れてないって証明してください」
取手部長にとっては所詮『お嬢さん』なのかもしれない。だけど、ここまで持ち込めたなら望みはあるはず。部長は私の挑発に乗った。そうとわかっていながら。今更若い女に惑わされてくれるはずがない。
「ここまで煽られてやめる男はいない」
部長がジャケットを脱ぎ捨て、ネクタイを緩める。きっちりしていた部長が人から獣に変わっていくようでドキドキする。今からこの人に抱かれるんだっていやが上にも意識する。
これまで自分を守ってきたわけじゃない。それを壊すわけじゃない。やっと殻を破れるような歓喜に体が震える。
部長は砦を守ることが美徳みたいに言われるのに、私は残り物の扱いをされる。そんな理不尽をずっと感じていた。
だから、砦なんて崩れてしまえばいい。部長の理性さえも。全て。
誰が言ったか、と切り出せば格好良く聞こえるかもしれないけど、当時の新入社員が言った突拍子もないことがきっかけ。
『トリデ部長って、何の砦なんすか?』
その砦じゃねぇ、ってその場にいた全員が思ったはず。それから女子社員が『きっと独身最後の砦ですよ!』なんて言ったのも悪意はなかったはず。多分。
思えばヤツも今では立派になったものだけれど、取手部長は今も独身のまま砦を守っている。顔はいいのに、ゲイなのか、はたまた不能なのかと不名誉な噂を立てられながら。
私――奥野優里奈は今その取手誠一郎さんにお姫様抱っこされている。四十を過ぎても若々しく見えてハンサムなイケオジ部長はとても一回り歳が離れているとは思えなくて、安定感がある。アラサー女子でもいつでもお姫様になれるんだって夢見心地になれるくらいには。
「追い返すなら今の内だ」
慣れ親しんだベッドに降ろされて取手部長に見下ろされる。その目は欲に染まりきっていない。まだ紳士。
どうしてこうなったかと言えば、飲み過ぎて家まで送ってもらったという体。
後輩が結婚して、飲み会での「次はあなたの番」的なハラスメントが耐え難くて自棄になって愚痴ってこの様。
それに、前に偶然聞いた言葉が頭から離れなかった。
『お前も落ち着いたよなぁ。昔は野獣だったのに』
それは部長をよく知ってるらしい人が言ったこと。たまたま二人で飲んでいた時に出会った。親友だと言うのは部長が否定していたけれど。
聞いてもいないのに、部長が怒るのに面白がって余計なことを教えてくれた口が軽いその人は嘘を言っているわけでもなさそうだった。今や独身最後の砦とかイケオジ芸能人みたいなこと言われちゃう取手部長も若かりし頃はそれなりに遊んでいたということ。
『狼にならないんですか? それとも、もうなれないんですか?』
下心なんてなくて、単にふらつく部下を放っておけなくて家まで送ってくれると言った取手部長を挑発して、『着く頃には気が変わって後悔するぞ』なんて言われたけど後悔なんてしてない。
だから、部長のネクタイを掴んで引き寄せる。素面ならできないことも今ならできる。後悔することがあるとすればこの想いが遂げられなかった時。
「部長こそ逃げるなら今の内ですよ」
悪女になれたなら、もっと上手く誘惑できたのかもしれない。
お酒の勢いがなければ、普段の私はこんなことはできない。密かに部長を想いながら仕事をこなすだけ。色恋に現を抜かしてると思われて失望されたくないから。これは一か八か、最初で最後の大博打。
最初は鬼上司だと思ってた。けれども、厳しいのは意地悪とかではなくて、締めるところは締めるっていうだけ。部長にとっては当然のこと。努力をちゃんと見ていて認めてくれる人だってわかったら、いつの間にか好きになっていた。相手にされないってわかっていたのに。
「そんなに煽って……どうなっても知らないからな」
「んっ……」
低く唸るような声にゾクリとする内に部長の顔が近付いてきて噛みつかれると思った。そんなキス。
どうしたらいいかなんてわからない。全然、余裕なんてない。
「ぁ、ふっ……んんっ……ふ、ぁっ……!」
開いた唇の隙間から肉厚の舌が入り込んできて、生き物みたいに這い回る。
気持ち悪くはないけど、どう応えればいいのかわからない。呼吸の仕方さえわからない。
「挑発して男を誘い込むくせに慣れていないのは演技か? それとも、昔の男はキスが下手だったのか?」
「そんなこと聞くのは野暮だと思わないんですか?」
唇を舐める部長がたまらなくセクシーに見える。野暮だけど、その気になってくれてるならいい。いもしない昔の男に嫉妬してくれているのなら、嬉しいかもしれない。
学業だったり、仕事だったり、いつも必死で恋をする暇なんてなかった。その内出会いがあるなんて思ってたら、気付けばアラサー処女。魔法の一つでも使えるようになったなら、迷わずに好きな人を誘惑するのに。演技ができたら今頃苦労してない。心臓がバクバクで飛び出そう。
「よほどこのお嬢さんは俺に襲ってほしいらしいな」
取手部長は呆れているのかわからない。でも、さっきより目がぎらついているのは隠せていない。
私だって普段からこんなことしているわけじゃない。誰でも良いから側にいてほしいわけじゃない。寂しさを紛らわせたいわけじゃない。
「今更獲物を前にして尻尾巻いて逃げないでくださいよ、野獣さん。枯れてないって証明してください」
取手部長にとっては所詮『お嬢さん』なのかもしれない。だけど、ここまで持ち込めたなら望みはあるはず。部長は私の挑発に乗った。そうとわかっていながら。今更若い女に惑わされてくれるはずがない。
「ここまで煽られてやめる男はいない」
部長がジャケットを脱ぎ捨て、ネクタイを緩める。きっちりしていた部長が人から獣に変わっていくようでドキドキする。今からこの人に抱かれるんだっていやが上にも意識する。
これまで自分を守ってきたわけじゃない。それを壊すわけじゃない。やっと殻を破れるような歓喜に体が震える。
部長は砦を守ることが美徳みたいに言われるのに、私は残り物の扱いをされる。そんな理不尽をずっと感じていた。
だから、砦なんて崩れてしまえばいい。部長の理性さえも。全て。
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