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5.作戦
67.まだ死ねない
しおりを挟むどこまでも広がる真緑色の草原に、さわやかな風が通り抜ける。
背の高い草木や綺麗な花が、さわさわと揺れた。
緊迫した状況とは逆に、とても穏やかな風景だ。そのおかげか、ノアアークに啖呵をきったばかりだっていうのに、思ったよりも落ち着いていた。
「……ゴフェル」
対峙している相手――ノアアークは、最愛の弟の名前を呼んだ。
「……どうか、思い出してください」
そして、静かにそう呟いた。
それはまるで、祈るような言葉だった。
優しく美しい声が、静かな草原に響いて、消えていく。
俺は、それに応えなかった。
王宮にいたときのノアアークは、いつも穏やかな表情を浮かべて、笑みを絶やさない人だった。
だけど、今のノアアークは違う。
怒りや悲しみなど、様々な感情が入り混じった、人間らしい表情をしていた。
……どうしてだろう。
そんなノアアークから、目が離せなかった。
その表情を、なぜかなつかしいと感じたのだ。
「……ゴフェル。どうして、こんなことをしたのですか? あなたのために作った世界を、あなたに壊されるなんて思いませんでした」
震える声が、広い草原に響く。
……あの小さな世界は、俺のため――いや、ゴフェルのために作ったものだったのか。
俺はノアアークを見据えたまま、口を開いた。
「……あの世界は、元に戻ったのか?」
「何を今さら。分かっていて、私をこの場所に強制召喚したのでしょう? 私がここにいる時点で管理ができませんから、今頃は元の大きな世界に戻っていますよ」
それを聞いて、安心して大きく息を吐いた。
これから俺がどうなってしまうのかは、分からない。だけど、とりあえず世界は元に戻ったんだ。
「そうか、よかった……」
「――何がよかったんですか?」
一瞬で距離を詰められて、見下ろされる。
鋭い金色の双眸には、悲しみの感情が含まれているように見えた。
「……あなたは、何が気に入らなかったんですか? 何がだめだったんだ。なぁ、ゴフェル。どうして、二百年前、俺から逃げ出した?」
急に口調が変わって驚く。
思わず一歩下がると、素早く腕を掴まれる。
心臓が跳ね上がった。けれど、不思議とさほど恐怖は感じなかった。
ノアアークは、悲しそうに顔を歪ませたまま、話を続けた。
「……あの掃き溜めのような生活が、嫌だったのでしょう? 食べるものは満足になく、綺麗な服も着られない。他の人間には蔑まれ、見下される。だからいつか支配者側になって、貧困とは無縁の生活をしようと約束をしました。それが叶ったのに、一体何が気に入らなかったのですか?」
いつもの丁寧な口調に戻り、吐き出すようにたずねられる。当時のノアアークのことを考えて、胸が苦しくなった。
――ああ、やっぱりこの人は……。
「……ごめん。そんな約束、覚えてない」
「――どうして、覚えていないのですか? なぜ、自分の記憶を消して、私に何も言わずに、この世界から去ったのですか? あなたには、聞きたいことが山ほどあります。ゴフェル……どうか思い出して、私に教えてください……」
まるで、懇願するような口調だった。
ノアアークは、ゴフェルがなぜこの世界から去ったのか、分からないみたいだ。
どうしてそんな簡単なことが、分からないんだろう。やはりこの人は酷い境遇のせいで、倫理観や価値観が狂ってしまったのだ。
「……ゴフェルはきっと、贅沢な暮らしなんて望んでなかったんだと思う」
小さな声でそう告げると、ノアアークは、少しだけ驚いたように目を見開いた。
当時の二人が、どんな過酷な生活をしていたのか、俺は覚えていない。
だけど、ゴフェルの気持ちは分かる。
自分の犯した罪に押しつぶされそうになって、自我を消してまで別の世界に逃げ出したゴフェルは、きっと裕福な暮らしなんて、望んでいなかった。
少なくとも、他人を犠牲にしてまで、幸せになりたいなんて、思っていなかったんだ。
「……記憶がないのに、適当なことを言わないでください。あんな生活、嫌だったに決まっているでしょう」
「ゴフェルが、あなたにそう言ったのか?」
「口に出してはっきりと言ったわけではありません。ゴフェルは、酷い生活や他人からの仕打ちに対しても、不平や不満を口にせず、いつも健気に笑って毎日を生きていました」
ノアアークは当時のことを思い出しているのか、悲しげに顔を歪めた。
「……つまりゴフェルは、いつもあなたの前では笑っていたんだろ? たしかに、もっと豊かな暮らしを夢見ていたかもしれないけど、他人の人生を壊してまで贅沢な暮らしをしたいなんて、きっと思っていなかったと思う」
「――少し黙ってください」
ノアアークが静かに呟いた。
鋭い視線を向けられて、掴まれている腕に力を込められる。ギリギリと痛んだけど、俺は向けられた強い目線を逸らさなかった。
「――やはりあなたはもう、ゴフェルではないのですね」
「うん違う。もう別の人間だよ」
「最初から分かっていたんです。面影があるのは見た目だけで、他の何もかもが、ゴフェルとは当てはまらなかった。でももう、それに縋るしかなかった」
「うん。ごめん」
そう謝ると、ノアアーク王さらに悲しそうに顔を歪ませた。
「……俺はゴフェルじゃない。だから、あなたとゴフェルのことを何も知らない。だけど、確信していることがある。きっと、あなたの知っているゴフェルだって、本当のゴフェルじゃなかった。ゴフェルにも自分の考えがあって、あなたに伝えたいこともたくさんあった。だけど彼は臆病だから言えなくて、あなたの残酷な行動を止められず、それに加担してしまった。だから心を痛めて、自分を殺してまで、この世界から逃げ出したんだ」
そう言った瞬間だった。
突然視界が揺れて、身体が草原に沈む。気が付いたときには、ノアアークの鋭い双眸に、見下ろされていた。
首に、両手が回されている。
「――もう、黙れ」
「ぐ、っあ……」
ギリギリと首に力が込められて、呻く。
強い力で首を絞められている。
いくら治癒能力者でも、このまま無抵抗でいたら殺されてしまうだろう。
苦しさに呻きながら頭の片隅で、このまま死んだらどうなるんだろう、って考えていた。
以前バロンは、ダンジョン内で力尽きても、どこかに転移させられるだけだって言っていた。
けれど人の手で殺されたら、どうなってしまうんだろう。
……もしかしたら、この場合は死んでしまうのかもしれない。
苦しさに声を上げながら、ヴィラーロッドのスラムで見た、酷い情景を思い出していた。
――このまま死んだ方がいいのかもしれないな。
だって俺の身体はたくさんの人を不幸にして、人生を狂わせてきた。あの疫病だって、間接的には俺も関わっている。それなのに、自分だけのうのうと生きているなんて、やっぱり虫がよすぎる。
でも。
――でもさ。
「……ぁ、っ、ぐッ、!」
必死で酸素を取り込みながら、片手を振りかざして、亜空間を発生させる。
そこから剣を取り出して、思いきりノアアークに振りかざした。
もちろんノアアークは簡単に避けたけれど、一瞬だけ俺の首に回していた手の力が緩んだ。
その隙に思い切り突き飛ばして、すぐに瞬間移動で距離を取った。
「……ごほっ、ごほっ、はぁ……はぁ……っ」
荒い呼吸を繰り返して、再びノアアークと対峙する。
ノアアークは、冷たい目で俺を見ていた。
――もうきっと、俺に優しい表情を向けてくれることはないのかもしれない。
俺は精一杯の虚勢を張って、ノアアークに向かって、にやりと笑ってみせた。
そして口を開く。
「――俺はまだ死ねない。エリスちゃんやリオに、また会いにいくって約束したからな」
自分に言い聞かせるように、はっきりと告げる。
すると、ノアアークは残酷に微笑んで、余裕たっぷりに口を開いた。
「いいですよ。じゃあ、しましょうか。あなたにとっては、絶望的な兄弟喧嘩を」
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