38 / 73
3章.目論見
38.きれいだ
しおりを挟む無機質だった白い床と壁が、今は真っ赤な血で汚れている。
……このほとんどが、俺の血。
「――うっ」
吐きそうになって、口元を手で強く押さえた。
……だめだ。こんなところにいるべきじゃない。とにかく早く逃げなければ。
そう気がついて、ふらつきながら部屋に一つしかない扉へと向かう。
予想以上に重い鉄の扉を何とかこじ開けて、血にまみれた部屋を脱出した。メアとカルナさんは完全に気絶してしまったようで、追いかけてくる気配はない。
建物内をおぼつかない足取りで歩きながら、出口を探す。幸いすぐに外への扉は見つかり、手をかける。
扉を開けると、外はメアの言った通り夜になっていた。辺りに街灯はなく、真っ暗だ。
「はぁ……っ、は、はぁ……っ」
息が切れる。どうしてだろう。うまく呼吸ができない。
切断した左腕は綺麗に治ったはずなのに、今にも倒れてしまいそうなぐらい、疲れていた。
遅れて、自分の身体がおびただしいほどの血で汚れていることに気が付いて、慌てて近くに生えている大きな木の影に身を隠す。
がたがたと震える指先で、外されたシャツのボタンを閉め、衣服を整えた。
危なかった。あのまま本当に犯されるかと思った。思い出すと吐きそうになって、また手のひらで口を覆った。
……駄目だ、今は思い出すな。必死に首を振って、現状を確認する。
辺りは真っ暗で、今のところ人影はないけど、もしこの血まみれの姿を見られたらまずいことになる。騒ぎになって、また捕まってしまうかもしれない。
「そうだ、リオ……!」
リオの身が危ないことを思い出して、すぐに召喚の体勢に入る。
頭がくらくらして、召喚にすら手間どってしまう。
「――リオ、来い……っ!」
声と同時に、亜空間が現れる。
その中にリオの姿が見えて、ほっと胸を撫で下ろした。
よかった……無事だ……!
そう分かった途端、さらに身体の力が抜けた。
「――スズさんッ!?」
リオが俺を呼ぶ大声が、静かな夜の街に反響した。
おとなしいリオのこんな大きな声、初めて聞いたな、なんて。途切れそうになる意識でそんなことを考えた。
リオはすぐにしゃがんで、俺に向かって手を伸ばした。伸ばされた手はガタガタと震えている。
「あ、ああああ……っ!」
「こんなところに呼び出して、ごめんな」
「血、血が……すごい、血が……っ!」
「大丈夫。これもう治ってるし、返り血も含まれてるから」
安心させるようにそう言って、にっこりと笑う。
けれどリオは顔面蒼白のまま、身体の震えは止まらなかった。
「ご、ごめんなさい……! 僕が、スズさんを守れなかったから……」
「何も謝ることないよ。俺こそ、油断してごめんな。王宮に何か言われたか?」
「ぼ、僕のことは……い、いいんです……! それより、スズさんが……」
リオは言葉を濁したように聞こえた。
あーこれは何か言われてるな……。絶対に手出しさせんけど。
何とかふらつく身体を起こしてリオを見る。リオは今にも泣きそうなぐらい、瞳に涙をためていた。俺はもう一度にっこりと笑って、口を開く。
「そんな顔しなくていいよ。でも、さすがにちょっと疲れた。王宮まで運んでもらってもいいか?」
「はい、もちろんです。すぐに帰りましょう。準備をしますから、待っていてください」
リオはそう言って、着用していた上着を脱ぐ。それを二つに破った。引き裂かれた音が、夜の街に響く。
「ス、スズさん、立てますか……?」
「うん、大丈夫だよ」
「僕の背中におぶさってください」
しゃがんで背中を向けられて、小さな背中に身体をあずける。
リオは俺の両手を前にして、やぶったマントで俺の両手を結ぶ。それからすぐに狼に変身した。狼の太い首に両手を回した状態だ。
なるほど、これなら俺が眠ってしまっても落ちない。
綺麗な灰色の毛に、真っ赤な血がべっとりと付く。リオを汚したくなかったけど、温かい背中が心地よくて、すぐにうとうとしてしまう。
狼は走りはじめた。
真っ暗な夜を、早いスピードで駆け抜けていく。
ふと薄目を開けると、翡翠色の瞳から、ぼろぼろと涙がこぼれて、透明な水滴が暗闇に舞っていた。
きれいだ。
不謹慎だけど、その風景がきれいで、つい見とれてしまった。
***
目を開ける。
少し眠っていたみたいだ。
ほんのちょっとだけ、身体が楽になってる。まだ辺りは暗く、夜のままだった。あれからさほど、時間が経っていないのかもしれない。
そのときだった。
突然そばに黒い空間が現れて、思わずじっと見てしまう。
え、何だろ、これ……。
すると、それに気が付いたらしいリオが減速して、立ち止まる。それから、変身を解いて人間の姿に戻った。
「ス、スズさんっ! あの、これ、召喚の空間ですっ!」
「召喚の、空間……?」
よく分からなくて、首をかしげる。
リオは俺を背負いなおしてから、うなずいた。
「はい! スズさんが僕を召喚するとき、この空間に手を伸ばしたら、スズさんの元に行けました。だからおそらく……陛下がスズさんを召喚しようとしているんだと思います……」
王様が俺を召喚しようとしている。
あ、そっか。俺、王様と召喚契約を結んだんだったな……忘れてた。
つまり、ここに手を伸ばせば、王宮に帰れるってことだ。なるほど通常の召喚は手を伸ばさなければ拒否できるんだな。
どうしようか少し考えて。だけど、俺は首を振った。
「いや、ここは拒否するよ。こんな血まみれの格好で王様の前の現れたら、何を言われるか分からないし。それに、この後のことを考えたら、少しでもリオへの心象をよくしておきたい。リオに連れて帰ってもらった方がいいよ」
笑ってそう言うと、リオはまた泣きそうな顔をして。
けれど、すぐに困ったように微笑んだ。
「……いいえ。すぐに帰りましょう。今はスズさんの身の安全が一番大切ですから」
「えっ、ちょっとリオ!? だめだ、やめろ!」
俺の静止も聞かずに、リオは黒い空間に手を伸ばした。
途端に、引き寄せられる感覚がする。目をぎゅっとつむって、開いたときには、景色が変わっていた。
柔らかい絨毯に、豪華な家具。高い天井。
一瞬で王宮に戻ってきたんだ。そう気が付いた。
「……余計なものがついて来ましたね」
冷たい声が聞こえて、声のする方を見る。
濃紺の髪に、ぞっとするぐらい美しい金色の瞳。
数日前に会ったときと同じ、美しい姿のままで、王様は立っていた。
王様は俺の血まみれの姿を見てか、驚いた表情をして、近づいてくる。
「……ああ……一体どうしたんですか……酷い怪我ではありませんか……」
俺はリオの背中に身体を預けたまま、王様に向かって小さく頭を下げた。
「助けて頂いて、ありがとうございます。でも、大丈夫です。もう治りましたから……。こんな汚い格好で申し訳ありません」
「そんなことは気にしませんよ。治っているとはいえ、それだけの血、きっと痛かったでしょう……。かわいそうに、心が苦しいです……」
王様は形のいい眉を下げて、苦しそうにそう言った。
……心配してくれているのは、本心なんだろうか?
相変わらず、王様が何を考えているのか読めなかった。
「本当に大丈夫です。すごい血に見えるかもしれませんが、返り血もありますから」
「返り血? まさかあなたが戦ったのですか?」
「え、ええ、まぁ……」
しまった。言わない方がよかったかもしれない。
案の定、王様は金色の瞳をリオに向けた。
「……役に立たない犬ですね。役目もまともに果たせないのですか? 本当に邪魔です。今度こそ、殺してやりましょうか」
あまりにも冷たい声でそう言った王様に、リオの背中が大きく震える。
俺はすぐに顔を上げて、口を開いた。
「待ってください! リオはこうして俺を助けてくれました! 捕まったのは、俺の不注意です!」
「あなたの不注意で捕まろうと、この駄犬が守れなかったのは事実でしょう?」
「……っ! そ、そんな言い方ないだろ!? リオは、今まで何度も危ないところを助けてくれたんですよ!」
そう叫んで、結ばれていた布から両手を抜く。リオの背中から降りて、王様に近づいた。
身体がふらつく。
けれど、王様を真っ直ぐに見て、視線をそらさなかった。
「――だから絶対に、リオを殺すな。少しでも手を出したら、お前を一生許さないからな」
強い口調で、そう言った。
こんな脅しに効果がないのは分かってる。王様からすれば、俺に恨まれようが嫌われようが、どうでもいいはずだ。
だけど、どうしたらリオが殺されずにすむのか、その方法が分からなかった。こうして感情的に訴えることしかできなかったのだ。
王様は表情を変えずに俺をじっと見ている。
それから小さくため息を吐いた。
「……疲れたでしょう。今日は早く休んでください」
「リオを殺さないって、約束しろよっ!」
「分かりましたよ。あなたが言うなら、殺しません」
「く、口先だけで言ってるんだろ!?」
「本当ですよ。殺しません。頑固なところは、相変わらずですね」
王様は困ったように、だけど少し微笑みながらそう言った。
どうしてだろう。
この人は嘘を言っていない気がする。それを漠然と感じた。
すんなりと要求を受け入れてくれたことに驚いて、毒気が抜かれてしまう。安心して、一気に身体から力が抜けてしまった。
……よかった。とりあえず、これでリオは殺されずにすむ。
「疲れているでしょう。もう休んでください。部屋にはその子……リオといいましたか。に、運ばせますから。リオ、この子を自室に運んでください。服は侍女に頼んでください」
「は、はい……っ!」
リオは大きく返事をして、俺の身体を再び背負った。
あーリオには悪いけど、めちゃくちゃ眠い。気が抜けたせいもあるけど、もう目も開けてられないや……。
運ばれている感覚の中、いつの間にか、俺は意識を手放していた。
20
お気に入りに追加
633
あなたにおすすめの小説
【完結・R18】28歳の俺は異世界で保育士の仕事引き受けましたが、何やらおかしな事になりそうです。
カヨワイさつき
BL
憧れの職業(保育士)の資格を取得し、目指すは認可の保育園での保育士!!現実は厳しく、居酒屋のバイトのツテで、念願の保育士になれたのだった。
無認可の24時間保育施設で夜勤担当の俺、朝の引き継ぎを終え帰宅途中に揉め事に巻き込まれ死亡?!
泣いてる赤ちゃんの声に目覚めると、なぜか馬車の中?!アレ、ここどこ?まさか異世界?
その赤ちゃんをあやしていると、キレイなお母さんに褒められ、目的地まで雇いたいと言われたので、即オッケーしたのだが……馬車が、ガケから落ちてしまった…?!これってまた、絶対絶命?
俺のピンチを救ってくれたのは……。
無自覚、不器用なイケメン総帥と平凡な俺との約束。流されやすい主人公の恋の行方は、ハッピーなのか?!
自作の"ショウドウ⁈異世界にさらわれちゃったよー!お兄さんは静かに眠りたい。"のカズミ編。
予告なしに、無意識、イチャラブ入ります。
第二章完結。
【R18】【Bl】R18乙女ゲームの世界に入ってしまいました。全員の好感度をあげて友情エンド目指します。
ペーパーナイフ
BL
僕の世界では異世界に転生、転移することなんてよくあることだった。
でもR18乙女ゲームの世界なんて想定外だ!!しかも登場人物は重いやつばかり…。元の世界に戻るには複数人の好感度を上げて友情エンドを目指さなければならない。え、推しがでてくるなんて聞いてないけど!
監禁、婚約を回避して無事元の世界に戻れるか?!
アホエロストーリーです。攻めは数人でできます。
主人公はクリアのために浮気しまくりクズ。嫌な方は気をつけてください。
ヤンデレ、ワンコ系でてきます。
注意
総受け 総愛され アホエロ ビッチ主人公 妊娠なし リバなし
死亡フラグばっかのヤンデレBLゲームで、主人公になったんですけど
つかさ
BL
『水無瀬 優里』は自他ともに認めるヤンデレ製造機だ。
それ故、身体を開発されたり、監禁されたり、まともな恋愛をした事がない。
ひょんなことから、彼氏の『望月 空也』を故意に殺害しかけた後、交通事故に巻き込まれ、転生をした。
『愛されて死ね!』というヤンデレゲームの主人公『ノア』に転生した彼は、今世は監禁や開発とは無縁の人生を送ることを決意する。
だが、世界は水無瀬の求める平穏を許さないようだ。
生じていく原作とのズレにより、ノアの秘密が明かされていく。
ーーー------------------
プロローグのみナレーションがついていますが、他は1人称視点です。
※キスシーン以外は、念の為(※)をつけます
最終的にはCPが決定しますが、主人公は総受け気味です。
少女漫画の当て馬に転生したら聖騎士がヤンデレ化しました
猫むぎ
BL
外の世界に憧れを抱いていた少年は、少女漫画の世界に転生しました。
当て馬キャラに転生したけど、モブとして普通に暮らしていたが突然悪役である魔騎士の刺青が腕に浮かび上がった。
それでも特に刺青があるだけでモブなのは変わらなかった。
漫画では優男であった聖騎士が魔騎士に豹変するまでは…
出会う筈がなかった二人が出会い、聖騎士はヤンデレと化す。
メインヒーローの筈の聖騎士に執着されています。
最上級魔導士ヤンデレ溺愛聖騎士×当て馬悪役だけどモブだと信じて疑わない最下層魔導士
【報告】こちらサイコパスで狂った天使に犯され続けているので休暇申請を提出する!
しろみ
BL
西暦8031年、天使と人間が共存する世界。飛行指導官として働く男がいた。彼の見た目は普通だ。どちらかといえばブサ...いや、なんでもない。彼は不器用ながらも優しい男だ。そんな男は大輪の花が咲くような麗しい天使にえらく気に入られている。今日も今日とて、其の美しい天使に攫われた。なにやらお熱くやってるらしい。私は眉間に手を当てながら報告書を読んで[承認]の印を押した。
※天使×人間。嫉妬深い天使に病まれたり求愛されたり、イチャイチャする話。
【R18】【Bl】王子様白雪姫を回収してください!白雪姫の"小人"の俺は執着王子から逃げたい 姫と王子の恋を応援します
ペーパーナイフ
BL
主人公キイロは森に住む小人である。ある日ここが絵本の白雪姫の世界だと気づいた。
原作とは違い、7色の小人の家に突如やってきた白雪姫はとても傲慢でワガママだった。
はやく王子様この姫を回収しにきてくれ!そう思っていたところ王子が森に迷い込んできて…
あれ?この王子どっかで見覚えが…。
これは『【R18】王子様白雪姫を回収してください!白雪姫の"小人"の私は執着王子から逃げたい 姫と王子の恋を応援します』をBlにリメイクしたものです。
内容はそんなに変わりません。
【注意】
ガッツリエロです
睡姦、無理やり表現あり
本番ありR18
王子以外との本番あり
外でしたり、侮辱、自慰何でもありな人向け
リバはなし 主人公ずっと受け
メリバかもしれないです
僕のお兄様がヤンデレなんて聞いてない
ふわりんしず。
BL
『僕…攻略対象者の弟だ』
気付いた時には犯されていました。
あなたはこの世界を攻略
▷する
しない
hotランキング
8/17→63位!!!から48位獲得!!
8/18→41位!!→33位から28位!
8/19→26位
人気ランキング
8/17→157位!!!から141位獲得しました!
8/18→127位!!!から117位獲得
脱ハーレムを目指した俺がハーレムの王になるお話
朝顔
BL
短編
BLハーレムゲームの攻略対象者に転生したけど、何故か総受けの主人公に襲われる話。
現実世界で死んだ俺は、ご褒美転生させてもらえることになった。
たくさんの美女に囲まれてウハウハのハーレムを作ろうと、ハーレムゲームのイケメン貴族に転生を選んだが、なんとそこは既に女が絶滅した男だけの世界だった。
自分は攻略対象者なので、総受けの主人公との出会いなんて無視して生きていこうとしたが、どう見ても攻めの主人公に気に入られてしまう。
ハーレムゲームに巻き込まれた俺のただただ逃げ出したい話。
連載版あらすじ↓
BLハーレムゲームの世界に転生してしまった俺は、脱ハーレムを目指して、主人公と主人公が攻略するはずだった対象者達から逃げる日々を送っていた。
ついに耐えかねた俺は、この世界での親父に仕事を辞めたいと頼むが、返ってきたのは結婚しろという命令だった。
これは、脱ハーレムを目指した俺が結局?何故かハーレムの王となるお話である。
4/30番外編追加
5/6番外編追加
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる