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3章.目論見

38.きれいだ

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 無機質だった白い床と壁が、今は真っ赤な血で汚れている。
 ……このほとんどが、俺の血。

「――うっ」

 吐きそうになって、口元を手で強く押さえた。
 ……だめだ。こんなところにいるべきじゃない。とにかく早く逃げなければ。
 そう気がついて、ふらつきながら部屋に一つしかない扉へと向かう。
 予想以上に重い鉄の扉を何とかこじ開けて、血にまみれた部屋を脱出した。メアとカルナさんは完全に気絶してしまったようで、追いかけてくる気配はない。
 建物内をおぼつかない足取りで歩きながら、出口を探す。幸いすぐに外への扉は見つかり、手をかける。
 扉を開けると、外はメアの言った通り夜になっていた。辺りに街灯はなく、真っ暗だ。

「はぁ……っ、は、はぁ……っ」

 息が切れる。どうしてだろう。うまく呼吸ができない。
 切断した左腕は綺麗に治ったはずなのに、今にも倒れてしまいそうなぐらい、疲れていた。
 遅れて、自分の身体がおびただしいほどの血で汚れていることに気が付いて、慌てて近くに生えている大きな木の影に身を隠す。
 がたがたと震える指先で、外されたシャツのボタンを閉め、衣服を整えた。
 危なかった。あのまま本当に犯されるかと思った。思い出すと吐きそうになって、また手のひらで口を覆った。
 ……駄目だ、今は思い出すな。必死に首を振って、現状を確認する。
 辺りは真っ暗で、今のところ人影はないけど、もしこの血まみれの姿を見られたらまずいことになる。騒ぎになって、また捕まってしまうかもしれない。

「そうだ、リオ……!」

 リオの身が危ないことを思い出して、すぐに召喚の体勢に入る。
 頭がくらくらして、召喚にすら手間どってしまう。

「――リオ、来い……っ!」

 声と同時に、亜空間が現れる。
 その中にリオの姿が見えて、ほっと胸を撫で下ろした。
 よかった……無事だ……!
 そう分かった途端、さらに身体の力が抜けた。

「――スズさんッ!?」

 リオが俺を呼ぶ大声が、静かな夜の街に反響した。
 おとなしいリオのこんな大きな声、初めて聞いたな、なんて。途切れそうになる意識でそんなことを考えた。
 リオはすぐにしゃがんで、俺に向かって手を伸ばした。伸ばされた手はガタガタと震えている。

「あ、ああああ……っ!」
「こんなところに呼び出して、ごめんな」
「血、血が……すごい、血が……っ!」
「大丈夫。これもう治ってるし、返り血も含まれてるから」

 安心させるようにそう言って、にっこりと笑う。
 けれどリオは顔面蒼白のまま、身体の震えは止まらなかった。

「ご、ごめんなさい……! 僕が、スズさんを守れなかったから……」
「何も謝ることないよ。俺こそ、油断してごめんな。王宮に何か言われたか?」
「ぼ、僕のことは……い、いいんです……! それより、スズさんが……」

 リオは言葉を濁したように聞こえた。
 あーこれは何か言われてるな……。絶対に手出しさせんけど。
 何とかふらつく身体を起こしてリオを見る。リオは今にも泣きそうなぐらい、瞳に涙をためていた。俺はもう一度にっこりと笑って、口を開く。

「そんな顔しなくていいよ。でも、さすがにちょっと疲れた。王宮まで運んでもらってもいいか?」
「はい、もちろんです。すぐに帰りましょう。準備をしますから、待っていてください」

 リオはそう言って、着用していた上着を脱ぐ。それを二つに破った。引き裂かれた音が、夜の街に響く。

「ス、スズさん、立てますか……?」
「うん、大丈夫だよ」
「僕の背中におぶさってください」

 しゃがんで背中を向けられて、小さな背中に身体をあずける。
 リオは俺の両手を前にして、やぶったマントで俺の両手を結ぶ。それからすぐに狼に変身した。狼の太い首に両手を回した状態だ。
 なるほど、これなら俺が眠ってしまっても落ちない。

 綺麗な灰色の毛に、真っ赤な血がべっとりと付く。リオを汚したくなかったけど、温かい背中が心地よくて、すぐにうとうとしてしまう。
 狼は走りはじめた。
 真っ暗な夜を、早いスピードで駆け抜けていく。
 ふと薄目を開けると、翡翠色の瞳から、ぼろぼろと涙がこぼれて、透明な水滴が暗闇に舞っていた。
 きれいだ。
 不謹慎だけど、その風景がきれいで、つい見とれてしまった。


***


 目を開ける。
 少し眠っていたみたいだ。
 ほんのちょっとだけ、身体が楽になってる。まだ辺りは暗く、夜のままだった。あれからさほど、時間が経っていないのかもしれない。
 そのときだった。
 突然そばに黒い空間が現れて、思わずじっと見てしまう。
 え、何だろ、これ……。
 すると、それに気が付いたらしいリオが減速して、立ち止まる。それから、変身を解いて人間の姿に戻った。

「ス、スズさんっ! あの、これ、召喚の空間ですっ!」
「召喚の、空間……?」

 よく分からなくて、首をかしげる。
 リオは俺を背負いなおしてから、うなずいた。

「はい! スズさんが僕を召喚するとき、この空間に手を伸ばしたら、スズさんの元に行けました。だからおそらく……陛下がスズさんを召喚しようとしているんだと思います……」

 王様が俺を召喚しようとしている。
 あ、そっか。俺、王様と召喚契約を結んだんだったな……忘れてた。
 つまり、ここに手を伸ばせば、王宮に帰れるってことだ。なるほど通常の召喚は手を伸ばさなければ拒否できるんだな。
 どうしようか少し考えて。だけど、俺は首を振った。

「いや、ここは拒否するよ。こんな血まみれの格好で王様の前の現れたら、何を言われるか分からないし。それに、この後のことを考えたら、少しでもリオへの心象をよくしておきたい。リオに連れて帰ってもらった方がいいよ」

 笑ってそう言うと、リオはまた泣きそうな顔をして。
 けれど、すぐに困ったように微笑んだ。

「……いいえ。すぐに帰りましょう。今はスズさんの身の安全が一番大切ですから」
「えっ、ちょっとリオ!? だめだ、やめろ!」

 俺の静止も聞かずに、リオは黒い空間に手を伸ばした。
 途端に、引き寄せられる感覚がする。目をぎゅっとつむって、開いたときには、景色が変わっていた。
 柔らかい絨毯に、豪華な家具。高い天井。
 一瞬で王宮に戻ってきたんだ。そう気が付いた。

「……余計なものがついて来ましたね」

 冷たい声が聞こえて、声のする方を見る。
 濃紺の髪に、ぞっとするぐらい美しい金色の瞳。
 数日前に会ったときと同じ、美しい姿のままで、王様は立っていた。
 王様は俺の血まみれの姿を見てか、驚いた表情をして、近づいてくる。

「……ああ……一体どうしたんですか……酷い怪我ではありませんか……」

 俺はリオの背中に身体を預けたまま、王様に向かって小さく頭を下げた。

「助けて頂いて、ありがとうございます。でも、大丈夫です。もう治りましたから……。こんな汚い格好で申し訳ありません」
「そんなことは気にしませんよ。治っているとはいえ、それだけの血、きっと痛かったでしょう……。かわいそうに、心が苦しいです……」

 王様は形のいい眉を下げて、苦しそうにそう言った。
 ……心配してくれているのは、本心なんだろうか?
 相変わらず、王様が何を考えているのか読めなかった。

「本当に大丈夫です。すごい血に見えるかもしれませんが、返り血もありますから」
「返り血? まさかあなたが戦ったのですか?」
「え、ええ、まぁ……」

 しまった。言わない方がよかったかもしれない。
 案の定、王様は金色の瞳をリオに向けた。

「……役に立たない犬ですね。役目もまともに果たせないのですか? 本当に邪魔です。今度こそ、殺してやりましょうか」

 あまりにも冷たい声でそう言った王様に、リオの背中が大きく震える。
 俺はすぐに顔を上げて、口を開いた。

「待ってください! リオはこうして俺を助けてくれました! 捕まったのは、俺の不注意です!」
「あなたの不注意で捕まろうと、この駄犬が守れなかったのは事実でしょう?」
「……っ! そ、そんな言い方ないだろ!? リオは、今まで何度も危ないところを助けてくれたんですよ!」

 そう叫んで、結ばれていた布から両手を抜く。リオの背中から降りて、王様に近づいた。
 身体がふらつく。
 けれど、王様を真っ直ぐに見て、視線をそらさなかった。

「――だから絶対に、リオを殺すな。少しでも手を出したら、お前を一生許さないからな」

 強い口調で、そう言った。
 こんな脅しに効果がないのは分かってる。王様からすれば、俺に恨まれようが嫌われようが、どうでもいいはずだ。
 だけど、どうしたらリオが殺されずにすむのか、その方法が分からなかった。こうして感情的に訴えることしかできなかったのだ。
 王様は表情を変えずに俺をじっと見ている。
 それから小さくため息を吐いた。

「……疲れたでしょう。今日は早く休んでください」
「リオを殺さないって、約束しろよっ!」
「分かりましたよ。あなたが言うなら、殺しません」
「く、口先だけで言ってるんだろ!?」
「本当ですよ。殺しません。頑固なところは、相変わらずですね」

 王様は困ったように、だけど少し微笑みながらそう言った。
 どうしてだろう。
 この人は嘘を言っていない気がする。それを漠然と感じた。
 すんなりと要求を受け入れてくれたことに驚いて、毒気が抜かれてしまう。安心して、一気に身体から力が抜けてしまった。
 ……よかった。とりあえず、これでリオは殺されずにすむ。

「疲れているでしょう。もう休んでください。部屋にはその子……リオといいましたか。に、運ばせますから。リオ、この子を自室に運んでください。服は侍女に頼んでください」
「は、はい……っ!」

 リオは大きく返事をして、俺の身体を再び背負った。
 あーリオには悪いけど、めちゃくちゃ眠い。気が抜けたせいもあるけど、もう目も開けてられないや……。
 運ばれている感覚の中、いつの間にか、俺は意識を手放していた。
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