六丁の娘

大純はる

文字の大きさ
上 下
2 / 15

第一話 室町の家出兄妹

しおりを挟む
 すすむが郷里の渡辺津わたなべのつを叩き出されたのは、父の後妻に手を出したからだ。それは間違いない。
「だけど、お兄ばっかりが悪いわけじゃないよ」
 妹のしほが、小さな唇をすぼめながら言い募ってくれた。
「あたし、ずっと見てたもん。あのメスギツネ、ずうっといやらしい目でお兄を見てたもん。後ろ肩とか、太腿とかさ。仕方ないよ、あんなでっかい乳袋押しつけて言い寄られたら。あたしなんか、まだぺったんこなのに」
「ありがとよ」
 進は鼻の穴からため息をついた。
 淀川の流れを左手に見つつ、一刻ばかり歩いてきた。夏の日差しは薄曇りにゆるめられ、風のにおいも甘い。旅立ちの日和としては悪くなかろう。 
「ていうか」
 進は振り返り、妹の方へ尖った目尻を投げた。浅葡萄えび色の丸い船底袖を、気ままに広げている。
「お前はいつまでついてくる気だ。ぼちぼち江口に差しかかるぞ。早く帰らないと、親父がまたブチ切れて、したたか殴られちまうぞ」
「もう帰らない」
 ぷい、と顔を背けて言い放つ。頭のてっぺんで束ねた二つ輪のもとどりが、鈴を振るように揺れた。
「帰らないって、お前」
「お兄こそ、どっか行くあてでもあるの。なんか自信たっぷりで、ずんずん歩いていくけどさあ」
「まあな」
「なんのアテよ。たいして津の外にも出たことないくせにさ」
 生意気に口を尖らせ、足を速めて肩口にまとわりついてくる。
「聞かせなさいよ。教えないと、このままどんどんついていっちゃうよ」
「それは困る」
「教えてくれたら、内容によっちゃ、さっさと帰る気になるかもね」
 進はちょっと首をかしげて考えた。それももっともかもしれない。いわば現実の重みでもって、すっかり脅しつけてやればいいのだ。
「遠藤の、為次郎ためじろうだよ」
「為次郎? あのアブレ者の?」
 遠藤は渡辺の家にとって、隣同士の遠い親戚みたいなものだ。船乗り稼業を始めたころには、ずいぶん手を取り合ったものだというが、それから何十代も経て、今やすっかりいがみ合っている。「渡辺惣官そうかん」とか「四天王寺執行しぎょう」とか「坐摩佑いかすりのすけ」とか、得分のつく名前を血眼で争っているのだ。
「その為次郎が、お兄のなんのアテなのよ」
「あいつは今、鳥羽で馬借ばしゃくの一味に加わってるらしいんだ」
「馬借? 確か、先祖代々の滝口たきぐちの武者を継ぐ、とか言って飛び出していったんじゃないの」
「まあな。しかし今どき、滝口もないだろうよ」
 摂津の渡辺党は、確かに代々滝口の武者を輩出してきた。だが承久じょうきゅう正中しょうちゅうという二度のご謀叛において、まめまめしく敗北した帝の側へ従ってきたのだから、そんな姿はもうどこにもない。てっきり軍記の中のお伽話と化している。
「馬借の生き様はな、普段ははした金の駄賃で口をしのいでいても、一朝変事があれば、こぞって洛中へなだれ込む。獲物と見定めたら、公家も武家も商家も関係ない。ただ力づくで奪い取る。そんな暮らしさ」
 ちら、と横目で窺い見た。ここまで言えば、まだ年端もいかない小娘のこと、ぶるぶる震え上がって、さっさと実家へ戻る気になっただろう。
 ところが案に相違して、妹は足取りも軽やかに歩き続けている。頭の後ろで両手さえ組み、てんでのんきな有様だ。
「なんだお前、まだついてくるのか」
「ふん」
「さっさと帰れや、親父とあのメスギツネのところに」
「帰らない」
「話を聞くだけ聞いといて、結局言う通りにしないんじゃないか」
「例え土一揆の一味になったって、あんな家にいるよりはずっとましだ。お兄のいるところが、あたしの家なんだ」

(第二話へ続く)
しおりを挟む

処理中です...