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【7話】愛のことば
しおりを挟む薄暗い洞窟に入る。少し入っただけで、空気の暖かさを感じた。
それだけ雨に熱を奪われていたんだ。体力を削られるのも無理はない。
抱いているミャンの体から刻一刻と温もりが消えていく。俺はもう動揺することさえなくなっていた。
妙に静かな気分だ。
あまりにあっけなく、実感がないのだ。
生きてる心地もしなかった。
もはや動かないミャンの服を脱がせた。
水を絞り、その服で丁寧に彼女の体を拭いた。
「…………ミャン」
まるで眠っているようだ。
これまで、仲間の死は何度も見てきた。
ミャンもそれと同じだ。
悲しいことは悲しいが、いつかは訪れる避けがたい別れ。
そう自分に言い聞かせるが、胸の中で何かが膨れ上がろうとしていた。
それは特別な感情としか言いようがなかった。
美しい死に顔を見ていると、せき止められていた想いがあふれるように込み上げてきた。
愛しさだ。紛れもなく。
これまで俺が必死に禁じ、封じ込めて鍵をかけた感情だった。長きにわたり侵食され続けてきた防波堤は、最後の一撃で瓦解し、涙となって込み上げてきた。
濡れた青い髪の毛をかきあげ、その額に口づけをする。
唇は震えていた。
「好きだ。俺も。お前と同じだったんだよ。あ……愛してる」
濡れた唇でミャンの唇に触れようとした時だった。
「ぷはぁっ⁉」
突然、ミャンがびくんと起き上がった。
ごんっと痛烈な頭突きが俺の鼻にお見舞いされる。
「へぶっ!」
衝撃。すてんと俺はひっくり返っていた。
赤が花開くように、鼻の奥で血の香りがパッと広がる。
「なんだよ⁉︎」俺は鼻を押さえながら声をうわずらせた。
「はっ、アル様……?」
起き上がったミャンは俺が右手に持つ彼女の服と自らのあらわになった谷間を見比べた。
徐々にその顔が、さすがに赤くはならないが、困惑の色に染まっていく。
「あ、あ、あ、アル様⁉ いったいぜんたいあたしの身体になにをっ⁉」
この状況で思わぬ反応。
なにがなんだかわからないながらも。
「い、いや誤解だ! っていうか、そんなこと言ってる場合か? なんで生きてんだよ⁉」
「勝手に殺さないでください! あたしは生きてますよ。ちょっと眠くなっただけで!」
「眠く? あぁ、なあんだ……って!」俺はぶるぶる首を振った。「いやいや、絶対ちがうだろ!」
「そんなことより、寝てる隙に何をしようとしてたんです!」ミャンは叫んだかと思うやいなや、照れながら下着の肩ひもをするりとずらし始めた。「でも、アル様がそのつもりなら……あたしは構いませんよ……」
伏目がちに身をくねらせている。
「いやいやいや!」俺は首をぶんぶん振りながら、どこかに落とした理性とやらを咄嗟にかき集めた。「濡れてた身体を拭こうとしたんだよ!」
「死んだと思った相手をですか?」
「そうだよ。死んだ人間に花とか手向けるだろ。せめて綺麗にしてやろうと思ったんだよ」
「なるほど」と、ミャンは納得したのかどうかもわからないぽかん顔をした後、それでもまだなにか気がかりなことがあるらしく。いぶかしフェイスで首を傾げた。
「ふと思ったんですが、あたしが眠っている時なにか言ってませんでした?」
「俺が……? いやあ……」
俺のすっとぼけの下手さときたら。三流舞台監督でも、もうワンテイク要求するだろう。
だがそれでも、ミャンは納得してくれたみたいだ。
「そうかあ。夢だったのかなあ。いい夢だったのに」
「へいへい。また見れるといいな」
わざとらしくため息をついた俺は、涙が隠れるよう背を向けて立ち上がった。
まだ状況を何一つ飲み込めてない自分がいる。
夢でも見てたのか。
脈がないと思ったのは、単なる俺の勘違いだったのか?
ともかく。うん、喜んでいいんだよな。
「とりあえず洞窟の奥を偵察してくるよ。何時も安全確保は必須だからな」
「じゃあ、あたしはアル様のこの宝石をちゃちゃっと錬金術で装備品に変えますね」
「好きにしな。もうお前のもんだからな」
「ううん。お返しするんです。アル様を守護するお守り。これからはこれをあたしだと思ってくださいね。いつも一緒です」
俺は横目でミャンを見つめた。
それからため息を吐き、肩をすくめる。
「…………まったく、なに言っているんだ。寝ぼけてる暇あったら本当に寝ておけよ」
もう一度服をしぼり、ミャンの身体にかぶせた。
それから『トーチライト』という威力は弱いが持続性のある炎の魔法を空中に浮かべる。
調理や魔物除けとしては役立たないが、光源とかちょっとした熱源になる生活魔法だ。手をかざせば、ぽかぽかと温かい。
「アル様、ありがとう」ミャンは青白い顔でにこりと笑った。「優しいところ、大好きですよ」
俺はさっと視線を外した。顔が熱くなるのを感じていた。
よくそんな恥ずかしい言葉、笑って言えるもんだ。
「錬金もいいが、休んでおけよ。すぐに戻るから」
ぶつくさ言いながら、洞窟の奥へと進んだ。もちろん自分用の『トーチライト』で周囲を照らしながらだ。
かなり広い洞窟だった。天井にコウモリ、地面には虫やねずみが密集して生息している。外の雨風から避難してきたのだろう。おびただしい数だが、直接の害にはならなそうだ。
「おっと……あれは、やばそうだな」
かなり奥までいくと、グゴゴと地鳴りのようなイビキが聞こえてきた。
魔物のイビキだ。
息を殺し、岩陰からこっそり観察する。
熊の頭を持つ巨大な怪人が数匹、横になって眠っていた。
「また人型モンスターか……」
ひと目でやっかいな敵だと判別できる。
無論、倒す気も起こす気もさらさらない。
探索は切り上げ、引き返すことにした。
魔物のいない無害な洞窟であれば、もう少し滞在しても良かったがな。
雨宿りしたら早々にひきあげることにしよう。
「ミャン、戻ったぞ」
念の為、魔除けの結界をはる。ある程度の魔物なら、侵入を防げるだろう。
それから俺は冷えた体を手でさすりながら、ミャンの元へ戻った。
「ミャン? 寝たのか? おい、ミャン」
反応がない。
よく見れば、ミャンのその姿勢は俺が横たえた時のまま変わっていないような気もする。
「……ミャン?」
音もなく足場が崩れていくような気がした。信じていたものが、急に疑わしく思えてくるような。
さっきまでの俺は、いったい何を見ていたんだ。
まさか幻覚か?
ミャンが目覚めたように見えたあれは幻覚だったというのか?
「そうだよな……ふふっ。俺はバカだ」
ショックのあまり、どうやら俺はおかしくなってしまったらしい。
脈のない死んだ人間が再び起き上がるはずがないのだ。
ミャンに生きていて欲しい、そんな強烈な願望が俺に夢を見せたということか。
ひざまずいた俺はうなだれるようにミャンを見下ろし、胸に手をおいた。
やはり鼓動はない。当たり前だ。
「…………?」
俺はふとミャンの手を見た。アタリから奪い返した宝石は、紐のついたペンダントとなって、再び彼女の手に握られていた。
━━これからはこれをあたしだと思ってくださいね。いつも一緒です。
ミャンの意味深な言葉が頭の中でくりかえし鳴り響いた。その意味がくっきりとした輪郭となり胸に刻み付けられていく。
「ミャン……」
奇跡を目の当たりにしたような気がした。もしかすると俺が見たのは幻覚というより、ミャンの魂が見せた最後の奇跡だったのかもしれない。
涙がとめどなく流れ出していく。
彼女への思いは、今や濁りのない純粋な結晶となった。
「ミャン、ありがとう。俺はずっと、死ぬまでお前を愛する。お前だけを……」
その時だった。
「ん……んん……」
ミャンがぴくぴくとまぶたを動かした。
「ふあぁ~、よく寝た」
俺はひざまずいた姿勢から、とてっと尻もちをついた。
開いた口が塞がらない。
「あれ? アル様、戻ったんですね」
「…………」
「どうしたんです。おばけでも見てるような顔して。顔が真っ青ですよ」
「そ、それはお前だ。ミャン……本当に生きてるのか……?」
「だから勝手に殺さないでくださいって。それより、私が寝てる間になにか言ってませんでした?」
「い、いや……なにも」
俺はミャンの体に触れた。冷たい。首に触れても脈をとることができなかった。
だが触れているのは確かだ。幻覚でもないし、奇跡を見ているわけではなさそうだった。
「ど、どうしたんです、アル様。くすぐったいです」
「いやっ、すまない……」
「なにかあったんですか? 様子がおかしいですよ」
だからそれはお前だって。そう心の中で呟いた直後だった。
「グオオオオオオオオオォォォォ!」
背後で魔物の雄叫びが響いた。魔物の、と咄嗟に判断できたのは、さっきの熊頭の魔物を見ていたせいだろう。
残念ながら結界は意味をなさなかった。
どすどすどすと地面の激しい揺れ。魔物が迫り来る。
「アル様、危ないっ!」
飛び出してきたミャンが俺の身体を突き飛ばした。
「ガアアアアッ!」
「きゃあっ!」
ざくりと肉が引き裂かれるような音が響く。俺の顔にミャンの血しぶきが付着した。
「ミャン!」倒れた彼女の身体を引き寄せる。「大丈夫か⁉ しっかりしろ!」
「ア、アル様……逃げて……」ミャンの声はか細い。
ミャンの背中に添えた手を見ると、べったりと血に染まっていた。
「grrrrrrrrrrrrrrr」
敵は二体いた。
白く煙る息を吐きつけながら、よだれを垂らす巨体が俺たちを睨みつけている。
頭は熊。両手には鋭い爪を持ち、針のような体毛に覆われていた。
「クマアアアッ!」
一体が突進してきた。俺はミャンを抱きながら、ぎりぎりでかわす。
素早い。運良く避けられたと言った方がよかった。
ミャンを置いて戦っても、勝てる気がしなかった。
「アル様……この、ペンダントを……」
「そうか!」
勇者アタリが所持していた、身につけた者のステータスを大幅に底上げするという伝説の宝玉だ。
ミャンは腕を伸ばし、俺の首筋に紐をまわした。
この世界では、どんなに優れた宝玉でも装飾アイテムにして、かつ装備までしなければ効果を発揮しない。
しかし、身につけた瞬間、実感するのだ。
「力がみなぎる……」
宝玉がきらきらと光輝いた。
それと同時に全身から白い煙が噴き出す。
とてつもなく身体が熱い。燃えるように熱かった。
なんだかよくわからないが。やれる。これなら倒せそうだ。
「アル様、いって」
俺はぐったりしているミャンを横たえ、地を蹴った。
「うおおおおおお!」
ぺちっ。めきょっ。
クマ男を殴りつけた拳が変な音を立てた。
しかも手首の関節がぐにゃりとして、激痛が走る。
「いってええ……」
「クマ?」
まるで効果なし。クマ男は何が起きたのかと不思議そうな顔をしている。
だが、もっと不思議なのは俺の方だ。
「なんだよ! まるで強くなってないじゃないか!」
「アル様……どこ? なにが起きてるんです?」
相変わらず俺の身体からは白い煙が噴き出し続けている。
もはや周囲一帯がもうもうとした濃霧に包まれたようになっていた。
「「クマ、クマッ!」」
二体のクマ男は煙たそうにしている。
よくわからないがチャンスだ。
「ミャン、今のうちに逃げるぞ!」
ミャンを抱き上げ、俺たちは洞窟の外に飛び出した。
雨はすでにやんでいた。
どうやら夕立やスコールのような一過性の豪雨だったらしい。
「ミャン、傷は大丈夫か」
「アル様……」
腕の中でミャンが力を失ったようにぐったりしていた。
背後を振り返るが、クマ男たちの姿は見えない。俺たちを追う気はないらしい。
だが、俺が走る足をとめる理由にはならない。ミャンは依然として危険な状態だ。
「ミャンしっかりしろ! すぐに手当てしてやるからな」
「あたしのことはいいから……すごく寒いの……もうだめかも……」
「バカなこと言うな。ほらっ、あれっ! 見てみろ! 小屋が見えたぞ」
煙で視界は悪いが、視線の先に小屋のようなものが見えた。明らかな人工物だ。
人がいるかもしれない。
かすかな希望が見えてきた。
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