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食べる事が好きな方々へ
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このエッセイを読んでいる皆様は、自分の嫌いな食べ物があるだろうか? 私は椎茸が嫌いだ。特に、お吸い物や炊き込みご飯に入っている出汁として使われる椎茸が殊更に駄目だ。あの強い風味がどうしても好きになれないのだ。個人的にはカセットコンロのガスの臭いを嗅いでいる気分になる。
ただし、焼椎茸は好きだ。風味の強さも丁度良く、歯応えも含めて茸としての美味しさを楽しめる範疇にいるからだ。
このように、皆様は自分の嫌いな物を何故嫌いなのか説明できるだろうか? 好きな理由でも同じだが、要は自分の味覚を含めた『感覚』を言語化する技術は案外重要だと私は考えている。
それは何故かを考えていこう。
自身の感覚、つまり五感に由来する物事は言語化が非常に難しい物の一つだ。何故なら感覚と言う物は、今まで生きてきた環境的な要因や生物的な本能によって構成されるものであり、経験の積み重ねで発達する物だからだ。その発達を常に自覚しながら追いかける事ができる人ならば、言葉にする事も容易になるだろう。しかし、なかなかそんな人間はいない。とは言え、事実として成長して感覚を発達させてきているわけだから、経験は確実に蓄積されているのだ。
例えば、幼少期に食べられなかった物も今なら食べられる、と言った事に思い当たる節はないだろうか?
味の感じ方については、舌にある『味蕾』と呼ばれる味を関知する器官の数が影響しているが、それも含めた上での感覚の話だ。そう言った経験に裏打ちされた発達は、実は無意識のうちに行われている。これが、言語化を難しくさせている要因だ。
人間の脳は、己の身体にとって問題のある刺激とそう出ない刺激を判断している。過剰に問題のある刺激であれば、脳で判断する前に反射という形で拒否反応を示す。この三つを繰り返しながら感覚は発達を続けるのだ。
ここで、無意識で行われる事なのだから言語化は不可能だ、と考える方もいるのではないだろうか? しかし、私はそうは思わない。
感覚的に不快だから拒否反応を示す、つまり似たような状況で不快に感じた経験が過去にあるのだ。少なくとも、あなたの脳味噌は不快な経験を覚え続けているのだ。
そして、経験を積み重ね続けると、自分が不快に感じる物の傾向がある程度見えてくる。二十年以上生きていたら、自分が嫌いな物の傾向も多少は把握できているだろう。そして、その傾向を分析する能力も多少は備わっているだろう。そうすると、後は分析した結果を言語化するだけだ。可能ならば、中学生くらいの子供に伝える事を意識して言葉にしてみるとなお良い。
長い説明になってしまったが『感覚を言語化する』と言う行為は、自分の趣向の傾向を分析して言葉にして伝える、と言う事なのだ。従って、この一連の行為を通じて、自身を見つめ直すきっかけになり、同時に情報の分析から言語化までの訓練にもなり、何かと役に立つ事ではあるのだ。
では、現実的にどんな利点があるのだろうか?
例えば、会議やそれに準ずる場面で、自身に意見を求められたとする。この時、漠然とした意見は持っているが、はっきりと言葉にできていないと言う状態の方は一定数いるだろう。しかし、『感覚を言語化する事』にある程度慣れていれば漠然とした感想も明確な言葉に変換する事ができるようになる。要は、伝えたい事を文章化して伝えられるようになるのだ。
他にも『何か違和感を感じる事』に対しても敏感になる。そうすると、ある程度その正体を予測する事ができ、それを伝えられるようになる。これは、特に現場職では重要な感性で、『違和感』を放置したままにしておくと後でとんでもない問題として表面化してしまう場合があるので、やはり結構大事だ。
要は『感覚を言語化する能力』を鍛えておくと、物事の説明が上手くなるのだ。そして、これは技術なので、訓練さえすれば誰でもある程度は身に着ける事ができる。
しかし、ここで日本人ならではの壁が立ちはだかる。それは『羞恥』だ。
以前投稿した『船頭多くして船山を登る』では、日本人の特性について本音を口にする事を嫌がると表現した。そして、その原因が『羞恥』であると分析した。
この『羞恥』を感じる理由の一部は『感覚を言語化する能力』が弱い、つまり物事の説明が苦手であるから、上手く伝えられなかった場面を想像し、恥ずかしいと感じ萎縮してしまう事にあると予測する。恐らく根幹にあるものは、大勢の注目に晒される事への緊張感だろう。
大抵の日本人は、目立つ事や失敗を恥ずかしいものである、と捉えている節がある。これについては、私もよく分かる。私個人としても、注目の的に晒されるのは少々緊張してしまう。その上、そんな場所で何か失敗をしようものなら恥ずかしすぎて黒歴史になってしまう。
ここで、恥ずかしい目に遭ったから二度と関わらないのか、次は恥ずかしい思いをしたくないから頑張るのかで、その後の人生が割と変わるのではないだろうかと思う。
さて、物事を説明する能力が高い場合の利点は、先に挙げた二つ以外にもある。それは、対人関係において発揮されるものだ。物事を説明する事が上手な人は他者からの信頼を得やすい傾向があるのだ。恐らく、その人の説明に耳を傾けてくれる人が最後まで近くに残る、と言う方がより正確かも知れない。
何にせよ、信頼がある人物の周りには人が集まりやすい事は間違い無いだろう。つまり、この技術を持っていると自身を手助けしてくれる人が多くなる可能性を秘めているのだ。
現代社会を生きて行くには、個人の力ではどうにもならない事が多い。そうであるならば、自身を手助けしてくれる人は多いに越した事はない。
説明が上手になる事でそう言った人達とで会える可能性が高くなるのなら、やはり身に着けておいて損は無い技術だろう。
自身の失敗を馬鹿にする多数の輩より、努力した結果自分を信頼してくれる少数の人達の方が尊い存在だ。
ここで、物事をしっかり説明できる人の客観的な特徴をいくつか挙げよう。
基本的に落ち着いていて、説明の口調が丁寧かつはっきりと発言する。加えて、極力簡単な言葉を選ぶ傾向もある。
そう言った人物は大抵の方は頼りになる雰囲気を感じ取ると思う。少なくとも、私はそう感じる。
最後になってしまったが、『感覚を言語化する能力』はその能力自体も応用が利く事を紹介したい。具体的には、あなたの思想信条や価値観等も言葉にする事ができるようになるのだ。今まで何となく気分で判断していた事も、言葉にする事ができるようになると明確な判断基準が浮かび上がってくる。それを自覚する事は、何かしらの物事を決断するときの確かな頼れる基準に繋がるのだ。
多様性を尊重する社会において、自分がどういう人間なのかを自覚する事は非常に大事だ。
何事も、相手を知るにはまずは自分からだ。
さて、私のエッセイを読んで下さっているあなたに訊きます。
あなたはどんな食べ物が好きで、どんな食べ物が嫌いですか? その理由は何ですか?
この質問が、あなたの新しい一面を知るきっかけにならん事を願って。
ただし、焼椎茸は好きだ。風味の強さも丁度良く、歯応えも含めて茸としての美味しさを楽しめる範疇にいるからだ。
このように、皆様は自分の嫌いな物を何故嫌いなのか説明できるだろうか? 好きな理由でも同じだが、要は自分の味覚を含めた『感覚』を言語化する技術は案外重要だと私は考えている。
それは何故かを考えていこう。
自身の感覚、つまり五感に由来する物事は言語化が非常に難しい物の一つだ。何故なら感覚と言う物は、今まで生きてきた環境的な要因や生物的な本能によって構成されるものであり、経験の積み重ねで発達する物だからだ。その発達を常に自覚しながら追いかける事ができる人ならば、言葉にする事も容易になるだろう。しかし、なかなかそんな人間はいない。とは言え、事実として成長して感覚を発達させてきているわけだから、経験は確実に蓄積されているのだ。
例えば、幼少期に食べられなかった物も今なら食べられる、と言った事に思い当たる節はないだろうか?
味の感じ方については、舌にある『味蕾』と呼ばれる味を関知する器官の数が影響しているが、それも含めた上での感覚の話だ。そう言った経験に裏打ちされた発達は、実は無意識のうちに行われている。これが、言語化を難しくさせている要因だ。
人間の脳は、己の身体にとって問題のある刺激とそう出ない刺激を判断している。過剰に問題のある刺激であれば、脳で判断する前に反射という形で拒否反応を示す。この三つを繰り返しながら感覚は発達を続けるのだ。
ここで、無意識で行われる事なのだから言語化は不可能だ、と考える方もいるのではないだろうか? しかし、私はそうは思わない。
感覚的に不快だから拒否反応を示す、つまり似たような状況で不快に感じた経験が過去にあるのだ。少なくとも、あなたの脳味噌は不快な経験を覚え続けているのだ。
そして、経験を積み重ね続けると、自分が不快に感じる物の傾向がある程度見えてくる。二十年以上生きていたら、自分が嫌いな物の傾向も多少は把握できているだろう。そして、その傾向を分析する能力も多少は備わっているだろう。そうすると、後は分析した結果を言語化するだけだ。可能ならば、中学生くらいの子供に伝える事を意識して言葉にしてみるとなお良い。
長い説明になってしまったが『感覚を言語化する』と言う行為は、自分の趣向の傾向を分析して言葉にして伝える、と言う事なのだ。従って、この一連の行為を通じて、自身を見つめ直すきっかけになり、同時に情報の分析から言語化までの訓練にもなり、何かと役に立つ事ではあるのだ。
では、現実的にどんな利点があるのだろうか?
例えば、会議やそれに準ずる場面で、自身に意見を求められたとする。この時、漠然とした意見は持っているが、はっきりと言葉にできていないと言う状態の方は一定数いるだろう。しかし、『感覚を言語化する事』にある程度慣れていれば漠然とした感想も明確な言葉に変換する事ができるようになる。要は、伝えたい事を文章化して伝えられるようになるのだ。
他にも『何か違和感を感じる事』に対しても敏感になる。そうすると、ある程度その正体を予測する事ができ、それを伝えられるようになる。これは、特に現場職では重要な感性で、『違和感』を放置したままにしておくと後でとんでもない問題として表面化してしまう場合があるので、やはり結構大事だ。
要は『感覚を言語化する能力』を鍛えておくと、物事の説明が上手くなるのだ。そして、これは技術なので、訓練さえすれば誰でもある程度は身に着ける事ができる。
しかし、ここで日本人ならではの壁が立ちはだかる。それは『羞恥』だ。
以前投稿した『船頭多くして船山を登る』では、日本人の特性について本音を口にする事を嫌がると表現した。そして、その原因が『羞恥』であると分析した。
この『羞恥』を感じる理由の一部は『感覚を言語化する能力』が弱い、つまり物事の説明が苦手であるから、上手く伝えられなかった場面を想像し、恥ずかしいと感じ萎縮してしまう事にあると予測する。恐らく根幹にあるものは、大勢の注目に晒される事への緊張感だろう。
大抵の日本人は、目立つ事や失敗を恥ずかしいものである、と捉えている節がある。これについては、私もよく分かる。私個人としても、注目の的に晒されるのは少々緊張してしまう。その上、そんな場所で何か失敗をしようものなら恥ずかしすぎて黒歴史になってしまう。
ここで、恥ずかしい目に遭ったから二度と関わらないのか、次は恥ずかしい思いをしたくないから頑張るのかで、その後の人生が割と変わるのではないだろうかと思う。
さて、物事を説明する能力が高い場合の利点は、先に挙げた二つ以外にもある。それは、対人関係において発揮されるものだ。物事を説明する事が上手な人は他者からの信頼を得やすい傾向があるのだ。恐らく、その人の説明に耳を傾けてくれる人が最後まで近くに残る、と言う方がより正確かも知れない。
何にせよ、信頼がある人物の周りには人が集まりやすい事は間違い無いだろう。つまり、この技術を持っていると自身を手助けしてくれる人が多くなる可能性を秘めているのだ。
現代社会を生きて行くには、個人の力ではどうにもならない事が多い。そうであるならば、自身を手助けしてくれる人は多いに越した事はない。
説明が上手になる事でそう言った人達とで会える可能性が高くなるのなら、やはり身に着けておいて損は無い技術だろう。
自身の失敗を馬鹿にする多数の輩より、努力した結果自分を信頼してくれる少数の人達の方が尊い存在だ。
ここで、物事をしっかり説明できる人の客観的な特徴をいくつか挙げよう。
基本的に落ち着いていて、説明の口調が丁寧かつはっきりと発言する。加えて、極力簡単な言葉を選ぶ傾向もある。
そう言った人物は大抵の方は頼りになる雰囲気を感じ取ると思う。少なくとも、私はそう感じる。
最後になってしまったが、『感覚を言語化する能力』はその能力自体も応用が利く事を紹介したい。具体的には、あなたの思想信条や価値観等も言葉にする事ができるようになるのだ。今まで何となく気分で判断していた事も、言葉にする事ができるようになると明確な判断基準が浮かび上がってくる。それを自覚する事は、何かしらの物事を決断するときの確かな頼れる基準に繋がるのだ。
多様性を尊重する社会において、自分がどういう人間なのかを自覚する事は非常に大事だ。
何事も、相手を知るにはまずは自分からだ。
さて、私のエッセイを読んで下さっているあなたに訊きます。
あなたはどんな食べ物が好きで、どんな食べ物が嫌いですか? その理由は何ですか?
この質問が、あなたの新しい一面を知るきっかけにならん事を願って。
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