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番外編

お酒はじめました

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  目覚ましが鳴った。
  ここ最近、日曜日は先輩とのお出かけが楽しみで、支度がきちんと終わるか不安でついつい早起きしがちだったから、目覚ましで起きるなんてちょっと変な感じ。平日は目覚ましで起きるし、前までは日曜日だって目覚ましが当たり前だったのに。
  慣れっておそろしい。
  同時に、今日一日どうしようとワタワタしてしまう自分に笑えてしまう。前までは日曜日の予定なんてないのが当たり前だったのに。
  今日は先輩は東京で研修を受ける日。
  思いきり遊びまくるのは少し気が引ける。でもぜんぜん遊ばなかったと知ったら、先輩は私のことを心配して研修に行けなくなっちゃうとも思う。
  ほどよく、本当にほどよく遊びましたと言える一日にしないと。
「んー………ぅんん………」
  とりあえず布団の中でごろごろしてみる。
  先輩とお付き合いする前は日曜日どうしてたっけ………?
  思い出そうとしてみたけど、欠片も思い出せなくてパタリと動きを止める。
「…………………………おきよ」
  このまま二度寝してみようかなとも思ったけど、なんだか勝手に泣けてきそうな気配がしたから無理やりベッドから降りた。


  なんだかものすごく様子を窺われてる気がする。
  部屋着のまま一階に降りた私を見て、あれ?と首を傾げたお母さん。今日は先輩の都合でお出かけしないよと言ったら、ずーっとこそこそ観察してくるのです。
  お味噌汁が熱くてアチッと言っただけで「どうしたのっ」と駆けてくる。醤油さしを取るのもやたら確認される。
「あ」
  あんまり気になるから、つい醤油が多くかかっちゃった。朝の目玉焼きはもう少し薄い味が良いのに。
「どしたの、結香っ。大丈夫っ?」
「大丈夫だから。もう、お母さん。なんでそんなにビクビクしてるの?」
  もう少し落ち着いてよと言うと、「だってだってぇ」と洗濯物を弄くる。
  何に動揺してるのかは解らないけど、お母さん?そんなに引っ張ったらお父さんのパンツのゴム、伸びちゃうよ?
「こんなときに茜がいないなんて………もうお母さん、どうすれば良いのよぅ………?」
「どうもしなくて良いんじゃないの?」
  いつもはお姉ちゃんが過保護すぎるなんて笑ってるのに、いないときは思いきりアテにしてる。お姉ちゃんがマンションに行くことを勧めたのもお母さんなのに、今は仏間に向かって「茜~、結香のピンチだから帰ってきてよぅぅ」なんて泣きついている。
  落ち着いてよ、と言っても聞こえてないみたいだから、さっさとご飯を食べて洗い物を済ませた。
「お母さーん?汚れた食器ってもうこれだけー?」
  スポンジを泡立てながら大きな声を出すと、「はっ!??」と覚醒したらしいお母さんがパンツをカゴに投げ戻してパタパタとこっちへ走ってきた。
「ゆ!結香。洗い物はお母さんがするからっ」
「え。でももう終わっちゃったもん」
「えぇぇっ?ーーーじゃ、じゃあね?」
  やたらテンパった声でえーとを繰り返してたお母さんは、目を輝かせて「あ、そーだっ」と手を打った。
「お買い物!お母さんとお買い物に行こう、結香!ね?思いっきりおしゃれしてっ」
「………………お母さん、パートでしょ?」
  カレンダーを指差すと、笑顔のままお母さんが固まった。ギギギ、と音が鳴りそうなくらいぎこちなく首を回すと、しまったぁぁ!みたいな悲鳴を声なくあげた。
  でもすぐにムリに笑顔を作って「いやぁね、結香」と手をパタパタ振った。
「そんな真面目なこと言っちゃってー。今日は自主休業ってことでパーッと」
「ダメだから。パート行ってね」
  ため息混じりに言うと、ぷぅっとお母さんは頬を膨らませた。
「んもぉぉっ。結香のいけずぅぅっ」
「はいはいーーーぅん?」
  チャイムが鳴ったみたい。
  だけどお母さんは「春物セールやってるのに」とか「お母さんに似すぎたのかしら。結香ってば真面目すぎなんだから」とかぶつくさ言っている。
  不真面目ってわけでもないけど、お母さんってそんなに真面目キャラじゃないと思うんだけど。
  なんてことを考えながら「どちら様ですか?」と玄関で声をあげる。
「おはようございます」
「ーーーえ!!?」
  ドア向こうから聞こえた声に、思わず鍵を外すなり大きくドアを開いた。
「ぉわっ?」
  小さく悲鳴をあげながら飛び退いたのは、やっぱり陽くんだった。
「よ、陽くん?朝からどうしたの?」
  今日美紅ちゃんはこっちに来てないのに陽くんが来るなんて、ちょっと珍しい。たまに作りすぎたと野菜のおすそ分けに来てくれるけど、今は手ぶらだし。
  ーーーま、まさか。
  先輩の身に何かあったんじゃ………!?
「陽くん?もしかして、先輩がどうかしたの?」
「結香姉ちゃん。おはよう」
  焦る私に朝の挨拶をする陽くんは、なぜかちょっとジト目。
  へ?と呆けるとジト目のまま陽くんは「結香姉ちゃん、おはよう」と繰り返した。
「お、おはよう………」
  やっと挨拶した私にはぁぁと大きなため息をついた陽くんは、「結香姉ちゃんさぁ」と腰に手を当てた。
「ちゃんと相手が誰か確認してからドア開けなよ。無用心」
「ご。ごめんなさい………」
「あと。ドア大きく開けすぎ。危ないから」
「ご。ごめんなさい………」
  朝から注意されてしまった。
  謝ると、でもすぐに「ま、良いけどさ」とにっこり笑った。
「まだ家にいてくれて良かった。結香姉ちゃん、今日予定入れた?」
「え?ーーーううん。何も予定ないけど」
  首を横に振ると陽くんは「良かったー。マジで間に合って良かった!」と繰り返した。
  陽くんも何か買い物とかに付き合ってほしいのかなと思っていたら、あのさと切り出された。
「結香姉ちゃん。今からウチ来れる?」
「陽くんの家?良いけど、なんで?」
  何かあったの?と聞くと、陽くんはクツ箱の植えにある置き時計を眺めてどうかなーと呟いた。
「たぶん起こるならこれからだと思うんだけど」
「へ?」
  どういうこと?と首を傾げるけど陽くんは早く行こうよと私を急かした。
「早くしないと間に合わないよ。早く」
「???わ、解った」
  ぜんぜん解らないけど、事情を聞いていたら間に合わないらしい。
  リビングに戻ると、まだ何かを呟いていたお母さんに先輩の家に行ってくると行ってから、部屋に駆け戻った。


  離れの窓が開いてることにも驚いたけど。
  わけが解らないまま連れてこられた私を迎えてくれたのは。
「ーーー結香?わざわざ来てくれたのか?」
「先輩っ?研修はどうしたんですかっ?」
  とっくに東京へ行っているはずの先輩だった。
  服装はセーターとジーンズというラフな格好だけど、片手にワイシャツやスーツをまとめて抱えている。
  一旦はスーツに着替えたみたいだから行くつもりだったみたいなのに、どうしてこの時間に家にいるんだろう……?
「先輩。研修は………?」
「あぁ、まぁな」
  空いてる手で首を掻いた先輩は、困ったように軽く首を傾げた。
「中止みたいなものだ」
「ちゅ、中止?」
  会社の研修が中止なんてありえなさそうだけど、先輩は「そういうものだ」とだけ言って、そこは寒いから早く上がれと手招きした。
「夕弦。さっさと………結香さんか」
  廊下から先輩を呼んだのはお父さんだった。着物姿だから一瞬解らなかった。すごく似合ってるけど。お父さんも今日はお休みだったのかな?
  こんにちはと頭を下げると、頷くようにちょっと目を細められた。
「突然呼び出してすまんな。今日は宜しく頼む」
「はい………?」
  何をよろしくなのか解らなかったけど、つい頷いてしまう。
  お父さんはちょっと目を細めると先輩が下げている服を見下ろした。
「早く片付けろ」
  一言促すとお父さんはすたすたと奥へ歩いていってしまった。

  台所でガタゴト音がしてる。
  こんにちはと声をかけると、冷蔵庫の前に座り込んでいたお母さんが少し驚いた顔で振り返った。
「あ、結香ちゃん。もうそんな時間なの?」
  大変大変と言いながら足元のカゴに野菜やら肉やらを放りこんでいる。大きな藤のカゴだけど、だいぶ形が歪んでいる。片っ端から食べ物を詰めこんだみたい。
「急いでお煮しめ作らなくちゃーーー陽、萌は?」
「知らね。逃げ出したんじゃない?」
  肩をすくめた陽くんに「もぅぅ~」とお母さんは頬を膨らませた。
「おれも逃げたい」
  陽くんがぽそりと言うのが聞こえていたみたいで、「だぁめ」とお母さんが眉を寄せた顔をずいっと近づける。
  ちぇ、と肩をすくめた陽くんに、お母さんはカゴを離れへ持っていってとお願いした。
  陽くんはちょっと肩をすくめただけで、すぐにカゴを持ち上げた。
「おっも!何入れたんだよ、もう………」
  ボヤきながらだけど、途中で湯かに置かないでゆっくりゆっくり運んでいく。
  さすが男の子。背はそんなに高くないみたいだけど、かなりの力持ちみたい。
  その背中を見送ってからお母さんは「さてと」と私を振り返った。


  冷蔵庫に入ってる作り置きのお惣菜を温めて器に入れ換えるだけの作業だけど、先輩たちが待ってると思うと気がはやる。
  早くといっても電子レンジが一台しかないんだから、焦っても仕方ないんだけど。
  器を用意してウロウロしてたら、やっと電子レンジが鳴った。
「あちちっ」
  何個かお惣菜を温めて器に入れ換えたところで、サラダはイチから作らないといけないことを思い出した。
「ど、どうしよ」
  サラダとはいえ今から作ってたら、せっかく温めた料理が冷めちゃう。
  焦って意味なくウロウロしてる私の傍を、小柄な影が通りすぎた。
「とりあえず、ぬか漬け切って出しとけば良いんじゃない」
  流しの下から大きめのツボを重そうに取り出した萌ちゃんが、これこれ、とツボをぺしぺし叩いてみせた。
「萌ちゃん?家にいたの?」
  うん。と頷いた萌ちゃんはいたずらっ子のようにぺろりと舌を出した。
「ちょっと隠れてたの。だっているのバレたらあれやこれや言いつけられるでしょ?」
  ボウルを片手にツボの蓋を開けた萌ちゃんは、顔を歪めて手を入れるのを躊躇った。
  少し離れてる私のところまでぬかの匂いが漂ってきた。
「萌ちゃん。私が出そうか?」
「ぇえひ」
  息を止めてるのか、ちょっとコメディみたいな声になった。
  しかめ面で壺の中を睨んだ萌ちゃんが、バッと腕まくりした右手を壺に突っ込んだ。勢いよく何かをボウルに入れると、慌てたように蓋を閉める。
  身軽に立ち上がると手をザバザバ洗って、壺を流しの下に戻すと。
「っはぁぁっ。臭かった!」
  ぜぇぜぇと息を整えながら野菜についたぬかを落とした。
  たまに手についた匂いを気にしながら、萌ちゃんがきゅうりと大根を切る。
「ありがとう。手、大丈夫?」
  手をクンクン嗅ぎながら萌ちゃんが小首を傾げて、ぬか漬けの小鉢をお盆の空いたところに置いた。
「とりあえず、持ってっちゃって。私、お母さんに見つかりたくないから」
  言いながら冷蔵庫を開けて、「次は………これでいっか」と言いながらタッパーを取り出している。
  これならなんとかなりそう。
  助っ人に来てくれた萌ちゃんの背中に、心の中でありがとうと頭を下げて、お盆に手をかけた。


  離れはしんと静まり返ってる。
  静か過ぎて人がいないのかなと思ってしまうほど。
  でも障子に近づくと、カタッと食器を動かす音と小さく息をつく音が聞こえる。
  ウチでお酒を飲むときと雰囲気が真逆。
  最初はちょっと楽しそうにお喋りしていたはずが、あっという間ににぎやかを通り越して近所迷惑にならないか不安になるくらい騒ぐ。
  飲み会といったらこれが普通だから、こんなに静かだと戸惑う。
  料理を持ってきたは良いけど、どう声をかけるか悩むし、そもそも声をかけづらい。
  料理が冷めちゃうしこんな所で立っていても意味ないんだけどなぁ………
「…………………………結香?」
  畳を擦るような音がした、と思ったら障子がす、と開いて先輩が微笑んだ。
  お盆を下げたまま立ち尽くしている私を見てふ、と破顔する。なんとなく、だけどその目にちょっと色っぽさを感じてしまって急にドキドキしてしまう。
「料理を持ってきてくれたのか」
「そそそそ、そうなんです」
  そうかと頷いた先輩が数歩こちらに近づいてきた。よく解らない緊張で食器がカタカタ鳴ってしまいそうで、手に力を入れてお盆に集中する。
「旨そうだ」
  お盆に影が射した。
  その距離と声の艶っぽさに、また心臓がばくばくと音をたてる。
「お、お母さん料理上手ですからっ」
  今さらなことを言ってしまった。
  そうだな、と言う声に呆れが混じってないことにホッとしたけど、「しかし」と続く声がまた私をドキドキさせる。
「結香の料理は無いのか?」
「わわわたひ、でふっ?」
  お盆を落とさないように集中しすぎて、語尾がおかしくなった。頬が熱い。
  わたひとかでふとか、何だその言葉は。とかツッコまないで、あぁ、と先輩が肯定する声が落ちてきた。
「結香は、作ってくれないのか?」
  お母さんにはいつかのときと同じようにばんばん作っちゃって、とは言われてるけど、お酒飲み会おつまみなんて作ったことないし、まだ何を作るか考えてもなかったのです。
「な、にを作ろうか考え中、でして」
「そうか。でも、作ってくれるのか?」
  優しい声なんだけど、どこか色っぽすぎる。
  ぶんぶんと上下に首を振ると、そうか。と嬉しそうな声が振ってきた。
  息が詰まるくらいに顔が熱い。
  きっと真っ赤だ。
  持ってきた料理をテーブルに並べて、先にお母さんが出してくれてたお皿を集めると急いで台所へ戻った。


「………何かあったの?」
  後半はもう競歩の勢いで台所へ飛び込んだ私に、萌ちゃんはまゆをしかめて小首を傾げた。
  お兄さんがいきなり色気すごくて、なんて小学生の萌ちゃんに言えないけど。
「わ、私が作った料理も出すように言われちゃって」
「ふぅん」
  何だ、そんなことか。みたいに萌ちゃんは悠々と洗い物を始めた。
「お、お酒のおつまみなんて何を作れば良いの………?」
  ついつい他所の家の台所でウロウロ動き回ってしまう。
  この間の経験を生かしてスマホでパパッと検索できれば格好良いけど、私はレシピ一つ探すにも時間がかかる。
  これだと思える一品を探す間に飲み会はきっと進んでしまう。出来上がる頃には終わってる可能性だって………さすがにそれは言いすぎと思いたいけど、私ののろさならあり得るし。
「あれでいいじゃん」
  落ち着きない私と違って、萌ちゃんは至って冷静に戸棚を漁って「あ、あった」と声をあげた。
「……………もしかして、さばじゃが?」
  差し出された缶詰めを見て首を捻ると、そうと萌ちゃんは頷いた。
「お兄ちゃん、結香お姉ちゃんの煮物大好きだし、良いんじゃない?」
  私の手料理を気に入ってくれるのは嬉しいけど、さっきもお母さんの煮物をたくさん持っていった。
「煮物ばかりだと飽きないかな………」
「大丈夫じゃない?」
  思わず呟いた不安を、萌ちゃんは一蹴する。
「普通でさえやたら食べるんだもの。とにかくおつまみが切れなければ何でも良いの。それに、お兄ちゃんは結香お姉ちゃん大好きだもん。お姉ちゃんが作ったって言ったら、野菜焼いただけでもがっつくよ。きっと」
「……………そ、かな?」
  なんだか途中で恥ずかしいセリフがあったような気もするけど、気にしてたら本当に時間がなくなっちゃう。
  とにかくさばじゃがに使う野菜を探すことにした。


  萌ちゃんのアドバイスは正解だった。
  さばじゃがを持っていくとおちょこを置いた先輩が目を少しキラキラさせたようにみえた。
「結香。これはお代わりあるのか」
  さばじゃがを指差されて聞かれるから、同じ鉢にもう一杯分くらいはと答えると、とたんにガッカリしたように肩を落とす。
「あの………もう少し作りますか?」
  あんまりガッカリしてるから言ってみるとガバッとにじりよられる。
「作ってくれるのか?」
「はっ?はい………」
  コクコク頷くと、満面の笑みで「ありがとう」と言われた。さっきみたいな色気はないけど、これはこれで攻撃力高い。
  とにかくサッとできるもの、と考えて、萌ちゃんが言った通り、本当にズッキーニをただ切って両面焼いたものを出してみた。塩コショウはちゃんとしたけど、焼いただけだから料理とは言えないかも。
  それも先輩は嬉しそうに平らげてくれた。
  先輩もお父さんも、空いたお皿を入り口側の縁にまとめて置いて置いてくれるから、空き皿の回収も本当に楽。
  ウチのお母さんにも見習ってほしい、なんて一瞬考えてしまった。
  お酒のビンはものすごくたくさんだけど、ウチのと違ってぜんぜん静かなのが逆に気になる。
「ーーー夕弦」
  私を手伝って、料理を並べていた先輩をお父さんが静かに呼んだ。
「次はこれだ」
  指差したのはセピアっぽいラベルのビンだった。文字の色も朱色っぽいから、赤ワインかなと思ったけど、これも日本酒みたい。
  萌ちゃんが言っていた通り、お父さんは日本酒が大好きみたい。
  何と読むのか解らない名前の日本酒をお父さんが自分のおちょこに注ぐと、先輩を一瞬見る。先輩がくっと空けたおちょこに腕を伸ばして調度良く注いだ。
  日本酒のビンって重いのに、あんな風にテーブル越しに注げるってすごい。
  ビンを畳に置くと、お父さんは自分の分を一息で飲んだ。静かに息をつくと目を開けて目の前の先輩を見守る。
「これは、冷で飲むものか?」
  おちょこを覗きこみながら先輩が尋ねると。
「知らん」
  あっさり言ったお父さんはまたビンを持ち上げてお代わりを注いだ。
「酒の飲み方に決まり等無い。呑まれなければ良いだけだ」
  そう言ったきり、お父さんは一息でおちょこを空けては料理を摘まんで、お代わりを注ぐ。
  その動きが滑らかで、ついつい見入ってしまう。
  こういうとき、お酌ってものをした方が良いのかな?
  はた、と思いついたけどビンはお父さんがしっかり握っている。
「ーーー結香。どうした」
  少し腰を浮かせて手で宙を掻いているのを奇妙に思ったのか、先輩が首を傾げた。
「いえあの………お酌ってしなくて良いのかなって」
「しなくて良い」
  遮るように答えた先輩は、なんだかちょっと不機嫌になったみたいだった。
「………すみません」
  部屋を出るタイミングを失ってついつい見入っていたけど、余計なことを言って水を差したかもしれない。
「ーーーいや。違う」
  すとんとお尻を落とした私に、少し慌てたように先輩が頚を横に振った。
「あの通り、親父は自分で楽しんでいる。やらせておく方が良い」
  確かに、自分で注げば好きなタイミングで飲めるかも。
  解りましたと頷くと、先輩は安心したように微笑んで、ところで、と言った。
「これはまだあるか?」
  ズッキーニのお皿がいつの間にか空になっている。
「どうだったかな……でも、これすぐできるから持ってきますね」
  あぁ、と頷いた先輩もおちょこを一気に空けた。相変わらず先輩の喉は綺麗に動く。
  はぁ、とつく息が艶っぽすぎてその場にへたりこみそうになるのを叱咤して部屋を出た。


  料理を作っては持っていって空いたお皿を受け取って洗って。
  それを繰り返しているうちになんとか慣れてきた気がする。今テーブルが煮物だらけだったから生野菜か焼き物か、どっちにしようなんて相談する余裕も出てきた。
  でも、これは萌ちゃんが来てくれたからできること。
  今も離れの台所ではお母さんが同じことを一人でしているはず。
「お母さんは本当にすごいよねぇ」
  ため息とともに呟くと「そぉ?」と萌ちゃんが洗い物を次々済ませながら首を傾げたから、すごいよ、ともう一度繰り返した。
「次何を作ろうとか相談しないで一人でちゃっちゃか作っていっちゃうんだよ?すごいよ!」
「あぁ、それねー」
  タオルで手を拭った萌ちゃんが、思い出すように宙を眺めた。
「単にお父さんが好きなものを次々作ってるだけなんだって」
  先輩の家飲み冷蔵庫にはいつも作り置きのお惣菜がたくさん入ってる。それでもお母さんは毎日おかずを作っては冷蔵庫にしまう。
  おかずはもうあるのにどうして作るの?
「だってナオさんには好きなものを食べてほしいじゃない?」
  幼い萌ちゃんが尋ねると、お母さんはこう言って冷蔵庫を開けると、慌ててきんぴらごぼうを作り始めたそうだ。
「あのときはお父さんがいつ帰ってきてもご飯が食べれるように準備してるお母さん、すごいと思ってたけど。今思えばあれってただのノロケだよねぇ」
「そ、そう………かな?」
  それでもサクサク動けるお母さんってことですごいと思うんだけどな。
  言いかけた私に「そういえば」と萌ちゃんが首を傾げた。
「使った食器って、これで全部だったっけ?」
「あ、取ってくるね」
  振り返ると足早に離れへ向かった。


  失礼しますと障子を開けると、お父さんは変わらずお酒を飲んでいたみたいだけど、先輩は座ったまま目を閉じていた。
  姿勢はずっと綺麗なままだから寝てるわけではなさそうだけどーーーもしかして、飲みすぎて気持ち悪いのかな?
「先輩?大丈夫ですか?」
「………………………ぅん………?」
  声をかけるとちょっと呻いて、目がパチリと開いた。
「ーーーーーーーーーーゆぃか」
  ぼんやりした目で私を見つけると、にっこりと破顔する。
  その嬉しそうな微笑みがまた、攻撃力が高い。
  目の下がほんのり赤いし私を呼ぶ声が少し舌足らず。
  ちょっと可愛いかも。
「先輩、大丈夫ですか?気持ち悪いとか、ありませんか?」
  尋ねるとちょっと小首を傾げて私を見つめる。
  綺麗な顔にじぃっと見つめられると頬がじわじわ熱くなるんだけど、そっぽを向くのは失礼だから耐える。
  少ししてから先輩はひらひらと手を振って私を呼んだ。
「???何ですーーーぅわっ!??」
  何だろうと近づいたところに長い手が伸びてきてぐいっと抱き抱えられてしまった。
  お腹の前で腕をクロスさせて私を抱きこんだ先輩は、頭のてっぺんに顎を乗せてふぅと息をついた。
「先輩っ。急に何ですかっ?」
  慌てる私に構わずに、先輩は頭のてっぺんに頬をスリスリさせて「んん」と唸る。
  顔の熱さと動悸がどうしようもなくなるから、間近でそんな声を出さないでほしい。
「眠い」
「はいっ?ぅえっ???」
  一言言うなり先輩は私を抱えたまま、ごろりと畳に横たわった。
  お父さんがすぐそこにいるのに!
「先輩!寝るならちゃんとベッドで寝ましょう?」
「やだ」
  離してと直接言う勇気がないから遠回しに提案したのに、一言で却下された。
  いつもきちんと話す先輩が「やだ」なんて可愛いけど!
「俺のベッドは狭い。足が足らん。結香を抱える場所が無い。ここで寝る」
  身長が高いとそんな苦労があるんですね………って呆けてる場合じゃないっ。
「こんなとこで寝たら風邪ひきますよっ」
「結香があったかい」
  ぐぐぐ、と抱く腕が力強くなる。
  苦しくはないけど暴れてもぜんぜんほどけない。
「~~~っ、もう!恥ずかしいんですっ!本当に風邪ひきますよっ」
「気にするな。今、掛ける物を持ってくる」
  とうとう大きな声を出した私に答えたのはお父さんだった。
  ここからじゃ見えないけど、カタカタ音が鳴ってるから食器を片づけてくれているみたい。
「す、すみません。今、片づけを」
「そこから抜け出せないだろう」
  うぐ、と答えに詰まる私を放って片づけをしながらお父さんは開けたビンを数えた。
「ーーー六本か。まぁまぁだな」
  何がまぁまぁなのか解らないけど、そこで待ってなさいと言ったお父さんはお盆を持って出ていってしまった。
  足音が遠ざかるとしんと静まり返る。
「…………………………先輩?」
  呼んでみたけど返事がない。
  耳を澄ませると規則正しい寝息が聞こえてきた。
「先輩?……………寝てるの?」
  かなり煩かったはずなのに、いつの間にか寝ていたみたいだった。
  今なら抜け出せるかも。
「ーーーーーんんっ」
  そろそろともがくと、咳払いのように唸った先輩がぎゅうぎゅうと抱きしめてくる。
  ちょっと苦しい。
  苦しいのと疲れたのとでジッとしていると、少し腕が弛んで楽になった。
  でも、また抜け出そうと動くとぎゅうと抱きしめられる。
  諦めて動かないでいると、温かくてなんだか瞼が重くなってきた。
  このまま寝て風邪ひかないかなぁ、と意識がぼんやりする端で、軽い足音とあらあら、と笑うお母さんの声が聞こえた気がした。


  久しぶりに会えなくて寂しくなるかと思った日曜日。
  先輩は静かにお酒デビューしたのでした。





  ◆ 進藤家の酒盛り・賑やかバージョン ◆

  牧野家を経由して帰った俺を出迎えたのは、赤ら顔の光司だった。
「ぃよぅっ!おかえりぃっ、ゆづぐっ!」
「煩い。近所迷惑だ」
  放ってしまってから、酔った相手に凸ピンはいけなかったか一瞬脳裏に浮かんだが、まぁいいか。
  幸い光司の酔いもまだ深くないようで、情が薄いだの友だち甲斐の無いヤツだの俺を詰っている言動は割とはっきりしている。
「お前。授業はどうした」
「お前なぁ。後期も後半だぞ?課題とテストさえ乗りきればどうとでもならぁな」
「その課題とテストは大丈夫なのか」
  その前に出席日数も単位の条件だった筈だがと尋ねる前に、「お前なぁ」と光司が大袈裟に項垂れた。
「萎えること言うなよなぁ?まぁ、新婚光司くんがここで萎えても問題は無いけどーーーってナニを言わせるんだ。夕弦のえっち!」
  非常に阿保らしい。
  酔っ払いの相手は真面にやるものでは無いと以前聞いたが、まさか自分の家で実感するとは思わなかった。
「真面に歩けるうちにさっさと帰れ」
「待て待て待て。待てとゆーにっ」
  じゃあなと背を向けた俺を光司が呼び止める。
「お前もとうとう二十歳だろ?お前の飲酒デビューを祝いに寮から駆け付けた俺の優しさを無下にするなっ」
  二十歳にもなるというのに俺の誕生日を覚えていた律儀さにも驚いたが、先に飲んでいたところを見ると単に飲酒する理由にされたのではという気もする。
  しかしわざわざ来たと言うので、嘆息を噛み殺して振り返った。
「それは有り難いが。俺はもう酒は飲んだぞ」
「何ぃっ?いつの間にっ。俺を差し置いて酒に手を出すとはっ。この不幸者めっ」
  どうして俺の飲酒を光司が管理するのだ。
  言ってやりたい衝動には駆られたが、まぁ座れと光司が椅子を忙しなく叩くのでそこへ座った。
「んで。お前いつの間にデビューしたんだよ。二十歳なったノリで平日に飲む性格じゃねぇだろ?」
  日曜日に親父と酒を飲んだことを話すと、「ふへぇぇぇぇ」と光司が唸った。
「親父さんとなら仕方無ぇかなぁ。仕方無い。譲るかぁ」
「だから何故お前が俺の飲酒の面倒を見たがるんだ」
「しかしよぉ」
  割と真面に会話しているかと思ったが、俺のツッコみを無視して光司は首を傾げた。
「お前という酒を飲むって動機で一企業に電話かける親父さんの横暴さにもビックリだけど、毎週のように東京に呼び出す会社にも困ったもんだな。お前、大丈夫なのかよ?」
  確かにインターンの話を提示された時に出た条件とはかなり状況が違っている。学業に支障が出ないようにとの話だった筈だが、ここでこちら側が指摘すれば内定取り消しを持ち出す可能性もあるだろう。
  仕方無い。
「ーーーまぁ、手は打つ」
「本当かよ?」
  訝しげな目で俺を睨んだ光司は、やけに長い嘆息を洩らした。
  そのくせ、何だと尋ねると「べっつにぃぃ?」と語尾を伸ばす。
「お前がそういう据わった目をしてる時は、大抵何か無茶をやらかす時なんだよなぁ」
「無茶をやった記憶は無いが」
  言い返すが光司は「はいはい、そうでしょうよ」と本気にしない。
「お前。あんまり派手にやらかすなよ。念願の新婚生活がおじゃんになったら間抜けもいーとこだぞ」
  解ってると頷くと、「で?」と一変して明るい声を出した。
「初めての酒はどうだったよ?」
  問われて思い返すのは、喉が焼けるような飲み物を初めて飲んだ驚きと幸せな目覚めだった。
「素晴らしい寝心地と目覚めだった。だがそれは酒の為ではなく結香のお蔭だろうが」
「誰もそんな桃色世界の感想なぞ求めとらんわっ。酒の味とか、飲んだ後やらかした愚行だの二日酔いに泣いたかどうかを聞いてるんだっつーの」
  思い出せ白状しろと凄まれるので思い返してみるが、特に翌日堪えた記憶も無い。
「つまらんヤツめ」
  特に無かったと答えると光司は一言ボヤいて缶ビールを呷った。
「ビールは旨いのか?」
「は?」
  目を丸くした光司に、先日飲んだのは日本酒で、ビールはまだ飲んでいないことを言うと「けっ。お上品なデビューしやがって」とボヤきながらもやけに嬉しそうに笑った。
「じゃあ、飲んでみろよ。光司様がお前のビールデビューを祝ってやる」
「平日なんだが」
  嘆息するが光司が新しい缶を開けて寄越したので一口飲んでみる。
  苦いなと言うと、してやったりと言わんばかりの笑みを見せた。
「それがビールの旨いところなのだよ、夕弦くん」
  その後騒ぎながらビールを立て続けに飲んだ光司は、あっという間にテーブルの上に突っ伏した。
  隙をみてそのくせ周囲から皿を離していたとはいえ、何もない場所に突っ伏して寝入るとは妙に器用だ。
「光司の方が余程酔った上での愚行を犯していそうだがな」
  洩らした独り言に、「どーだか?」と少々呆れたような声が飛んできた。
「萌。起きたのか?」
「起こされたの。明日だって学校なのに。お肌が荒れて目が充血してたらお兄ちゃんたちのせいだからねっ」
  すまんと謝るが、すっかり頭に血が上っている様子の萌は腰に両手を当ててこちらを睨んでいる。
「ところで、先日俺も何かやったのか?暴れた記憶等は無いのだが」
「知ーらない。結香お姉ちゃんに聞いたら?」
  余程機嫌が悪いようで、ふぃっとそっぽを向かれた。
  結香にあの日のことを尋ねると途端に慌てて涙目で話題を反らされるので萌に聞いてみたのだが、萌は「ふぅぅぅぅんっ?」とジト目を俺に向けた。
「お兄ちゃんも、お酒はほどほどにしたら?結香お姉ちゃんとちゃーんと結婚したかったら、ね!」
  言うなりべーっと舌を出すと、「私、もう寝るからねっ」と言い捨てて二階へ上がっていってしまう。
  眠くなったので結香を抱き締めて眠った記憶もはあるが、何が問題だったのだろう?
  首を捻りながらも、とりあえず光司を転がすべく和室に布団を敷くことにした。
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