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番外編
お月見の前の冒険
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おつき、み?ってなに?と返された私は、つい「え?」と目を丸くして美紅ちゃんを見つめてしまった。
「えぇと………おつき、み、じゃなくてお月見っていうんだけど。みんなで月を眺めて楽しむ、ってことかな。お団子をお供えして」
ふぅん?と小首を傾げて相づちを打った美紅ちゃんだけど、今一つ解ってないみたい。うぅん?と逆サイドに頭を傾けると、眉をもう少し寄せた。
「…………………………おつきさま、みてたのしいの?」
「う」
正直お月見をぼんやりと知ってるだけで、今までマトモにやってこなかった私は、その良さを伝えるなんてできない。
えぇとね、を繰り返しながらなんとか捻り出した。
「ほら、こういう洋服じゃなくてみんなが着物を着てたときは、テレビとかないでしょ?だから、代わりに月を眺めてたというか」
ほぁ、と美紅ちゃんがちょっと気の抜けた声をあげる。
目がキラキラしていて可愛い。
そして、我ながらかなり無理して捻り出した理屈だけど、それで少しは納得してくれたみたい。
今日も安定の美紅ちゃんの可愛いさに萌えて、難問をクリアできた喜びに震える。
心の中で一人忙しくしていると、ゆぃかおねえちゃんと呼ばれた。
なに?と顔を見ると、美紅ちゃんはまた頭を傾けた。
「おだんごって、だれにおそなえするの?」
「ぅえ」
さらに降ってきた難問に固まる。
神さま、仏様?とぐるぐる考えこむ私を見て、ふ、と美紅ちゃんが大人びた息をついた。
「ゆじゅうおにぃちゃんなら、しってぅかなぁ?」
「う、ん。先輩なら知ってるよ」
たぶん、と心の中で付け加えていると、じゃあおめかししなくちゃと美紅ちゃんが笑った。
お月見を楽しみにしてる様子は可愛いけど、美紅ちゃんの疑問を先輩に丸投げする結果になってしまった。
先輩、ごめんなさい!
心の中で先輩に向かって拝む私を、美紅ちゃんは「ゆぃかおねえちゃんもおしゃれしなきゃ、ダメなのよ?」と引っ張った。
美紅ちゃんの速さに合わせてゆっくり歩いていると、「あ」と美紅ちゃんが声をあげた。
どうしたのと聞くと、前を指差してあのねと目を輝かせた。
「ゆじゅうおにぃちゃんがいたよ」
「え、先輩?」
美紅ちゃんがこくんと頷く。
前は必ず先輩が家まで迎えに来てくれることになっていたけど、最近は日が出てる時間帯なら私一人で先輩の家まで歩いても大丈夫になった。今日は美紅ちゃんも一緒だから迎えに行こうかと先輩は言ってくれたんだけど、美紅ちゃんも引っ越し前より速く歩けるようになったし、大丈夫と断った。
だから、先輩は家で待っていてくれると思っていたんだけど。
つい確認すると、美紅ちゃんはあれは絶対先輩だと断言した。
「そこをね、はいっていったの」
わき道に入って行ったらしい。
早く早くと指を引っ張る美紅ちゃんに引かれて、いつもはあまり通らない道に入った。
知らない道を歩くのは、いつもなら楽しいんだけど今はちょっと怖い気持ちが強い。
ここは本当の裏道みたいで、通りすぎる建物はみんな裏手だし、右手はやぶばかりで気を抜くと腕をひっかけそう。
美紅ちゃんに引っ張られて足を動かすうちに、まだお昼にもなっていないのに、なんだか視界が暗くなってきた。
ちょっと顔を上げると、やぶばかりだと思っていた緑の向こうに太い樹がちらほら見え始めた。
突然目にした鬱蒼とした光景に怖じ気づく私を引いて、美紅ちゃんはずんずん歩く。
先輩がこんな暗く細い道を通ってどこに行くつもりなのか知りたい気持ちはあるけど、これ以上進んで美紅ちゃんと二人、道に迷ったら大変だと繋いだ手を軽く引いた。
「美紅ちゃん。もう引き返そう?」
「だいじょぶ、ゆぃかおねえちゃん。もぉすこしでおっつくから」
美紅ちゃんは遠くに見える先輩の背中を追うのに夢中で、こちらを見ずになおも手を引く。
無理に手を引いて転ばせるわけにいかないから、つられて歩きながら説得することにした。
「でも、ほら。約束の時間になっちゃうし、あんまり知らない道を歩くと迷子になっちゃうし」
「だいじょうぶよ?」
なぜか自信満々で即答した美紅ちゃんは、不思議そうな目で私を見上げた。
「だってまっすぐだもん」
一本道だから迷うわけがないと指摘されると、う、と言葉に詰まる。
前から思ってたけど、美紅ちゃんって三歳のときの私よりよっぽどしっかりしてるというか、頭が良い気がする。
でも、保護者としてはここで説得を諦めるわけにもいかない。
「あ、あのね?道、暗くなってきたでしょう?転んだら大変だよ?」
だから戻ろう?と続ける前に、美紅ちゃんのまっすぐな視線が私に向けられた。
「ゆぃかおねえちゃん、こわいの?」
「う」
美紅ちゃんの声にからかいの色がなくてホッとはしたけど、正直ちょっと怖くなってきたのを見透かされているようで、また口と脳が動きを止める。
無言で固まる私を少し見つめると、さらに先に進みながら「だいじょうぶよ」と慰めるような声で言った。
「みく、まえもしたもみてるから。あぶないとこあったら、おしえてあげるね?」
「あ、ありがとう……………」
三歳の女の子に面倒をみてもらう形になってしまった。
説得に失敗したことも相まって、手を引かれながら私はがっくり肩を落とした。
まだ陽は高いはずなのに、辺りはどんどん暗くなっていく。
右を見るともう樹ばかりで、日頃森や林とは関係ない生活を送ってる私にはよけいに怖く映る。
陽の射さない、人気のない、自然だらけの森。
見るだけでも震えがこみ上げてきそうで気持ちやや左を向いて進むけど、家屋の裏側だけの景色は見ててもあまり気分の晴れるものではなかった。
たまに美紅ちゃんが石を見つけては「いしあった!」と叫んでは、えいっと森に向かって石を蹴る。
美紅ちゃん………なんてたくましい!
なんて一人で感動している間にも、美紅ちゃんに引かれるまま足は進む。
美紅ちゃんの勇敢さに対する驚きも、周りの雰囲気から感じる恐怖ですぐに消える。
止めれば良いだけなのに、止めなきゃ後悔するのは自分だと解ってるのに、目は勝手に右を見る。脳は勝手に怖いことを考える。
なんだか足音まで聞こえてきた気がする。
「ねぇ、美紅ちゃん………そろそろ帰ろう………?」
説得するつもりで出した声が自分でも引くくらい震えて小さい。
「もう、ゆぃかおねえちゃん………」
情けない声だから慰めようとしたのかもしれない。
振り返った美紅ちゃんの寄った眉が少し離れて、元から大きかった目が丸く大きく見開かれた。
驚いた表情にどうしたのと聞きかけた私の肩に、ドンっと何かが落ちてきた。
「~~~~~~~~~~~っっっ」
言葉なく踞ると美紅ちゃんの驚いた顔が正面に見えた。
そうだ、美紅ちゃんを守らないと。
走るどころ体力どころか立ち上がる気力すらなかったけど、なんとか手を伸ばして美紅ちゃんを抱きしめる。
ゆぃかおねえちゃんと呼ぶ声が不安そうに聞こえて、大丈夫、大丈夫と呪文のように呟いた。
「ゆぃかおねえちゃん、だいじょぶ?」と美紅ちゃんが聞くのに、大丈夫だよと言い聞かせていると、前からも足音が聞こえた。
人一人が通れるくらいの細い道だから、私の肩を叩いた人とは別の人ではないと思うけど、恐怖にすくんでる今、新たな人物の登場にもう涙が勝手にこみ上げてきそうになった。
「一体何をやっているんだ?」
不機嫌そうな声、でも絶対に安心できる声に、ばっと顔を上げる。
滲んだ視界に、大好きな顔が浮かんでいた。
「ぇっ………んぱっ………!」
無意識に息を詰めていたから、発音が上手くできない。
でも私が呼んだことを察してくれたみたいで、先輩は屈むと私の目を優しく拭ってくれた。
「…………………………せんぱい」
息を整えて呼び直すと、頷くように先輩はゆっくり微笑んだ。
「大丈夫か?」
頷くと安心したように破顔してから間にいた美紅ちゃんにも大丈夫かと聞いた。
「みく、へいきだけど、いまはちょっとあつい」
守ろうとして抱きしめる力を強くしてしまったらしい。
あと、ちょっといたい。と言われて慌てて手を離した。
「ご、ごめんね、美紅ちゃん。大丈夫?痛かった?」
痛かったと美紅ちゃんが言ってるから痛いのは解ってるのに、つい聞いてしまう。
服の上から擦って確かめると、痛いと言った美紅ちゃん本人が、だいじょぶよ、と笑った。
「みく、だいじょぶよ。ゆぃかおねえちゃんは、だいじょぶ?」
「う、うん。へいき」
こくこく頷くと、よかったと微笑まれる。
「ゆぃかおねえちゃん、もうだいじょぶだからね?」
「う………うん………ありがとう………?」
あれ?いつの間にか私が守られた形になってる?
なんとなく納得できないけど、だいじょぶ、だいじょぶ、と頭を撫でてくる美紅ちゃんの姿になんだかほっこりしてしまって、うんうん頷きながらされるがままになっていた。
そんな私たちを優しい目で見守っていた先輩は、ふいにキリリとその目を細く光らせて私の後ろを睨み上げた。
「ーーーそれで、何故結香が怯えている。親父」
久しぶりに見る凛々しい刀のような目に見惚れる中聞こえた呼びかけに、へ?とまぬけな声をあげながら後ろを振り返る。
自分がしゃがんでいるから、さらに影が大きく見えてちょっと怖い。でも、先輩の言葉があるから必死に目を凝らした。
逆光になんとか目が慣れてくると、大きな影がだんだんちゃんとした人に見えてくる。
先輩の言う通り、お父さんだった。
私を見下ろす眉尻が下がっていて、珍しくちょっと戸惑っているように見える。
「お、とう、さん?」
微かに頷いたお父さんは、私の顔を覗きこむようにゆっくり屈むと「ごめんな」と言った。
「驚かせたな」
まだ心臓がバクバクしてるから、声が思うようにしっかり出ない。
だから、大丈夫だと伝わるようにぶんぶんと首を横に振った。
「だ、いじょぶです。勝手に、私が勝手にビビ………びっくりした、だけなのでっ」
安心したように破顔したお父さんは、少し目線を上げていつものような力強い目に戻った。
前を向くと、先輩も何も言わないまま頷くように瞬きをした。
先輩もお父さんも言葉じゃなくて視線でお喋りしているみたい。目だけで以心伝心できるってすごい。
「この道で二人を見るなんて想定してなかったから驚いたよ」
だから呼び止めようとしたらしい。
驚かせて済まないともう一度謝られたので、私ももう一度ふるふると首を振った。
「俺が言っても説得力が無いが、何故こんな暗い道に居たんだい?」
尋ねるお父さんに、あのねっと美紅ちゃんが声をあげた。
「ゆじゅうおにぃちゃんをみつけたから、おっかけてきたのよ」
美紅ちゃんの言葉に一瞬目を見開いた先輩は納得したかのように、成る程と頷いた。
「親父にしては気配に違和感があったが、二人だったのか」
「け、けはい?先輩、私たちが後ろにいたの、解ってたんですか?」
あっさり頷かれて、はわぁ、と気の抜けた息を洩らしてしまう。
「結香と美紅ちゃんだと特定はしていなかったが、この道に入ってやや進んでからつけられていることには気付いていた。殺気が無いから放っておいたが」
こんな事態になるなら振り返るべきだった。済まない、なんて謝られてしまったけど、私は呆然と首を振ることしかできない。
さ………殺気って、日常生活の中で感じるもの?
というか、そもそも感じとれるものなの?
やっと心臓が穏やかに動くようになったのに今度は混乱してしまった私の前で、美紅ちゃんが「ねぇねぇ、ゆじゅうおにぃちゃん」と小首を傾げた。
「さっきがないっておかしいよ?」
うん?と首を傾げた先輩に向かって、だって、と美紅ちゃんは続けた。
「さっきがなかったら、いまもないでしょ?」
「美紅ちゃん、その『さっき』じゃないと思うの………」
さっき違いだけどなんだか難しいことを言い出した美紅ちゃんに訂正を入れてみたけど、「え。じゃあ、ゆじゅうおにぃちゃんの『さっき』ってなに?」と聞かれてしまって、私は思いきり頭を抱えたくなった。
殺気について説明すること自体は私でもなんとかできそうだけど、そもそも戦いとか殺生に関わる言葉を三歳の美紅ちゃんに気軽に教えて良いものなの?
うぅんとね、えぇとね、と悩んでいると、右手の茂みがガサガサガサッと音をたてて揺れた。
「「ぃにゃぁぁぁぁぁぁっっっ」」
思わず悲鳴をあげて美紅ちゃんに抱きつく。
また痛いと怒られるかもと思ったけど、美紅ちゃんも力一杯抱きついてきたから、おあいこになるとホッとした。
なぁんだ、となんだか聞き覚えのある声が茂みから聞こえた。
「珍しく人が居ると思ったら、お前らか。ナニやってんだよ。こんなとこに座り込ん………うぉっ?」
呆れたような夏目先輩の声が不自然なほどに裏返って途切れた。
首を傾げながら目を開けると、私たちの前に屈みこんだままの先輩が眼光鋭く右手を見上げていた。
その視線を追うと、やっぱり夏目先輩が茂みに半分身体を埋めたまま立っていた。なぜ作業着を着てるのか解らないけど、それのお蔭で草の中でも平気で立っていられるみたい。
作業着の夏目先輩は、なんだか頬をひくひくさせて先輩に呼びかけた。
「ゆ、ゆ、ゆづるくんっ?せめて立って怒らないか?お前の下からの睨み上げなんてレア過ぎて逆に威力満載っつーか、とにかく謝るから立とう?なっ?頼むからっ」
少し目の光を抑えて先輩が夏目先輩を見つめる。
な?な?と繰り返す夏目先輩に小さくため息をつくとスッと立ち上がって、夏目先輩に向かって半歩詰め寄った。
「結香が落ち着いてきてそろそろ立てる頃合いだったのに、お前というヤツは」
「解ったから、謝るからっ」
すっかり涙目になった夏目先輩が、それでも本気でごめんねと繰り返すから、美紅ちゃんと二人で大丈夫ですと首を振った。
私たちが先輩を追いかけてあの細い道に入ったことを聞いた夏目先輩は、「じゃあ、そもそもお前が悪いんじゃんよ」としかめ面になった。でも、眉を寄せた先輩に見つめられると「ナンデモゴザイマセン」と視線を反らした。
そんな夏目先輩は、なんで森の中にいたんだろうと心の中で首を傾げていると、美紅ちゃんがさっさと尋ねていた。
「こーじおにぃちゃん、なにしてたの?」
「んー?バイトだよ」
平日は他県にいるのにこっちでもバイトしてるらしい。
大学生になったらそんなにたくさんバイトしないといけないのかな。
ぼぉっとそんなことを考えてる私の隣で、美紅ちゃんは疑うような目つきで夏目先輩を見上げた。
「こーじおにぃちゃん、ほんとぉにちゃんとおしごとしてぅの?」
「みっ。美紅ちゃんっ」
いくら夏目先輩が気安くお喋りしてくれる人とはいえあまりにも失礼な言い方に、めっと声をあげると、美紅ちゃんはこっちを見てちょっと肩をすくめ、当の夏目先輩はけらけら笑った。
「言ってくれるなぁ、もう。ちゃんとやってるよ。サボったら紹介した夕弦から拳で説教喰らうからなぁ」
「そっか。じゃあ、さぼれないね」
今さっき諌めたばかりなのに、美紅ちゃんはまた元の調子に戻って「ちゃんとおしごとしなきゃダメなのよ」と上から目線で言っている。
「美紅ちゃんてばもう………夏目先輩、すみません」
美紅ちゃんをしっかり叱れない分謝ろうとするのを夏目先輩は、いーのいーのと手を振った。
「一緒に居る分にゃ良い子の方がそりゃこっちは楽だけどさ、やっぱ子どもってこういうモンだって。俺がこんくらいの時は、ぅおっ?」
「いい加減、口より手を動かせ」
話の途中で先輩が背後から夏目先輩の頭に手刀を落とした。
不満そうに振り返った夏目先輩に、桶を差し出して「水を汲んでこい」と言う。
「えぇぇ」と夏目先輩は声をあげて渋った。
「重労働を終えたばっかの俺に、なんと無体なっ。非情よ、夕弦くんっ」
オニ、アクマっ。とぷんすか怒ってみせる夏目先輩に、先輩は表情を変えないまま桶を突きつけた。
「解った。非情な人間として、お前が二人を酷く驚かせたと報告するとしよう」
「あ、私が」
「喜んで水汲み行かせて頂きまぁすっ」
言い終わる前に夏目先輩が桶を持ってダッシュした。素早い。
行ってきますと上げた手が気まずい。
私の気まずさを見てとったのか、先輩は「二人はもう少しそこで待っていてくれ」と言う。
周りの景色や黙々と作業しているお父さんをしげしげと見ていた美紅ちゃんは、さっきから何をしているのか聞いた。
「墓掃除をしているんだ」
「はかそー、じ?」
美紅ちゃんがおうむ返しに首を傾げると、彼処にな、と先輩は黒い墓石を指差した。
「俺の祖父母や先祖が眠ってるんだ」
そして、美紅ちゃんが会ったのはお父さんの両親で、ここに眠ってるのはお母さんの両親や祖父母だとつけ加えた。
昔はこの辺りの土地をお母さんのお祖父さんが管理していて、その関係でお墓も森と畑に囲まれたここに建てられたらしい。
夏目先輩がバイトしている森も、元はそういった森の一つみたい。
「美紅ちゃんは、お墓参りって来たことない?」
かく言う私も数回しか行ったことはないんだけど。
美紅ちゃんは少し首を傾げていたけど、むーっと眉を寄せて、ない、と呟いた。
「おばぁしゃまが、みじゅくだからつれていけないって」
はずかしいからって、とつけ加えた美紅ちゃんの頬がパンパンに紅く膨れている。
美紅ちゃんが元々住んでいた家は、聞いた話では由緒正しい立派な旧家らしい。だから美紅ちゃんのしつけとか教育が厳しくなるのは仕方なかったかもしれないけど、そのおばあさんは言葉をもう少し柔らかくすれば良いのに。
おばあさんから見たらきっと私も未熟者だから、そんなことを言ったらただ叱られるだけだと思うけど。
たぶん当時のことをいろいろ思い出しているのかもしれない。
すっかり俯いてしまった美紅ちゃんを前に、先輩は小さくため息をつくと右手に嵌めていた軍手をとった。脱いだ手を少し見つめると、その手を伸ばして小さな金色の頭をぽふぽふと撫でた。
美紅ちゃんが顔を上げると先輩は目元をやわらげて微笑んだ。
ちょっと控え目だけど美紅ちゃんが笑うと先輩は手を離して軍手を着け直す。
ゆじゅうおにぃちゃんと呼ばれた先輩は、右手をにぎにぎしながら、何だ、と呟いた。
「あれ、はかまいりなの?おばぁしゃまは、黒いおきものでおしゃれしてたの」
「うん?ーーーあぁ」
一度首を傾げた先輩は納得したように頷いて、「法事と混同してるのか」と呟いた。
「今日はただの墓参りだからな。あぁして草むしりをしてちょっと挨拶するだけだ」
「ふぅん?」
畏まる必要がないと説明された美紅ちゃんはそうなんだ?と小首を傾げると、「みく、おてつだいする!」と元気良く手を上げた。
先輩は微笑んで手を伸ばしかけて、その手を戻す。軍手を嵌めた手で撫でたら髪に土がついちゃうから。
上げかけた手を下ろしながら、結香と待っていてくれ、と先輩は言った。
「せっかく綺麗にしてるから、二人に線香をあげてもらえば皆喜ぶだろう」
「ほんと?」
先輩が頷くとふふふーと嬉しそうに笑って美紅ちゃんは私の隣に戻ってきた。
上機嫌に戻った美紅ちゃんを見届けて、先輩は私に一つ頷くと草むしりに戻っていった。
追いかけてきておいて手伝いの一つもしないなんて、人としてどうなのと首を捻る私を置いて、お墓はどんどん綺麗になっていった。
男の人三人がかりで掃除しているから、周りの草はあっという間に取り除かれたし、墓石は陽の光を浴びて黒く光っている。
周りと比べると太く長い草がそんなになかったことも原因の一つかなと思っていたら、日頃からちょくちょくここに来て掃除をしているんだと教えてくれた。
「こまめに来るようにはしているが、この季節はどうしてもすぐに生えるからな」
細い煙を立ち上らせた線香を美紅ちゃんに渡して、彼処に置くんだと先輩が指差す。
誘導に従って置いた美紅ちゃんにお父さん、先輩が続き、私もみんなの分の上にそっと置いた。
先輩が残りの線香を夏目先輩に渡して目で促すと、夏目先輩はふむと唸ってサッと置いた。
みんなで手を合わせると後片づけをする。
「人数が多いから帰りは正面から帰ろう」
先輩が言って指差す先を振り返ると、墓の正面に道が延びていた。さっき通ってきた道よりも広くて、何より嬉しいことに陽があたって明るい。
あかるーいひろーい、と喜んでから美紅ちゃんが振り返りざま小首を傾げた。
「なんでこっちでこなかったの?」
「多少遠回りになるんだ」
ふぅん?と解ったような解らないような唸り声をあげる美紅ちゃんを肩車すると、先輩は夏目先輩に向かって「バイトは?」と聞いた。
「今更それを聞くか?終わって帰ろうとしたらお前らに出会したんだろうが」
「お前が二人を怖がらせたんだろ。過去をねじ曲げるな」
訂正してから今日お月見をやることを先輩が教えると「おぉ、餅か!」と喜んだ。
「早く行こうぜ。つきたて餅は軟らかいうちにきな粉で食わないと」
「それは良いが、お前は一度家に帰ったらどうだ?」
先輩が提案するけど夏目先輩の頭のなかはお餅で一杯らしくて、早く早くと手招きされた。
◆ 数日後の親子 ◆
美紅ちゃんは墓参りも月見もあの日初めて体験すると言う。
朝から総出で餅をつかされるのは案の定面倒だったが、二人が喜んでくれるなら、そして美紅ちゃんに去年のような適当な月見を見せずに済んで僥倖というものだ。
正当な月見のやり方なぞ把握していないが。
「一般的な月見の形で良かった」
感慨深く言うと、母さんはぶすっと頬を膨らませたが。
「ーーーという感じでほっこり月見を皆で楽しんだんだけどさ。やっぱ愛しの彼女ちゃんをビビらせたことに対する怒りはまた別ってことなんだってよ」
呼吸を整える間に、光司のどこかのんびりした声が聞こえてきた。
それに対し「それは良いけどよ」とどこか投げ槍な口調の師匠の声が応える。
「何だってわざわざここで親子喧嘩するかねぇ?」
「そりゃここなら堂々と殺り合えるから?」
「そら確かに」
嘆息した師匠を光司が慰めているらしい。
ガタガタと重箱を開ける音が響いて「まぁ、いーじゃんか」と声が続いた。
「道場の賃料代わりにおばさんのおはぎ食べ放題なんだからさ。ほい、まずはお一つどーぞ」
師匠がちゃっかり相伴に預かっている光司を咎めたようだが、親父が突いてきたので声は聞こえなかった。
結局仲良く一緒に食べているらしい。
「ひふぁのはぁひひゃぼひゃ」とくぐもった声を師匠が出した。
「今の話だと、お前も驚かせたんだろ?よくそんな暢気にしてられるな。あれが終わったら次はお前だろ?」
「ふんみゃ」と妙な声で光司が否定した。
「あの日さぁ、俺そのまま夕弦ん家に入り浸ってたら笹良に怒鳴り込まれてよぅ。そん時の光景が自業自得とはいえちょい不憫て理由で俺は今回免除」
「ふぉぅ?ほひゃ、助かったな」
お代わり、と差し出したらしい皿の上に、ほいほいと光司がぼた餅を乗せたらしい。
「師匠も好きだよねぇ。おばさんの」
構えた木刀に鈍い音を立てて親父の木刀が突っ込んできた。
嘆息しつつ光司を呼ぶと、「ほいほい、何さ?」と暢気に返す。
「妙な言い方をするな。親父が無駄なやる気に満ち溢れた」
「そりゃ失礼」
ぺしりと額を打つ光司の隣でなにやら師匠の顔が青くなったようにも見えたが、親父の連撃を防ぐのに忙しく確かめる暇は無かった。
「えぇと………おつき、み、じゃなくてお月見っていうんだけど。みんなで月を眺めて楽しむ、ってことかな。お団子をお供えして」
ふぅん?と小首を傾げて相づちを打った美紅ちゃんだけど、今一つ解ってないみたい。うぅん?と逆サイドに頭を傾けると、眉をもう少し寄せた。
「…………………………おつきさま、みてたのしいの?」
「う」
正直お月見をぼんやりと知ってるだけで、今までマトモにやってこなかった私は、その良さを伝えるなんてできない。
えぇとね、を繰り返しながらなんとか捻り出した。
「ほら、こういう洋服じゃなくてみんなが着物を着てたときは、テレビとかないでしょ?だから、代わりに月を眺めてたというか」
ほぁ、と美紅ちゃんがちょっと気の抜けた声をあげる。
目がキラキラしていて可愛い。
そして、我ながらかなり無理して捻り出した理屈だけど、それで少しは納得してくれたみたい。
今日も安定の美紅ちゃんの可愛いさに萌えて、難問をクリアできた喜びに震える。
心の中で一人忙しくしていると、ゆぃかおねえちゃんと呼ばれた。
なに?と顔を見ると、美紅ちゃんはまた頭を傾けた。
「おだんごって、だれにおそなえするの?」
「ぅえ」
さらに降ってきた難問に固まる。
神さま、仏様?とぐるぐる考えこむ私を見て、ふ、と美紅ちゃんが大人びた息をついた。
「ゆじゅうおにぃちゃんなら、しってぅかなぁ?」
「う、ん。先輩なら知ってるよ」
たぶん、と心の中で付け加えていると、じゃあおめかししなくちゃと美紅ちゃんが笑った。
お月見を楽しみにしてる様子は可愛いけど、美紅ちゃんの疑問を先輩に丸投げする結果になってしまった。
先輩、ごめんなさい!
心の中で先輩に向かって拝む私を、美紅ちゃんは「ゆぃかおねえちゃんもおしゃれしなきゃ、ダメなのよ?」と引っ張った。
美紅ちゃんの速さに合わせてゆっくり歩いていると、「あ」と美紅ちゃんが声をあげた。
どうしたのと聞くと、前を指差してあのねと目を輝かせた。
「ゆじゅうおにぃちゃんがいたよ」
「え、先輩?」
美紅ちゃんがこくんと頷く。
前は必ず先輩が家まで迎えに来てくれることになっていたけど、最近は日が出てる時間帯なら私一人で先輩の家まで歩いても大丈夫になった。今日は美紅ちゃんも一緒だから迎えに行こうかと先輩は言ってくれたんだけど、美紅ちゃんも引っ越し前より速く歩けるようになったし、大丈夫と断った。
だから、先輩は家で待っていてくれると思っていたんだけど。
つい確認すると、美紅ちゃんはあれは絶対先輩だと断言した。
「そこをね、はいっていったの」
わき道に入って行ったらしい。
早く早くと指を引っ張る美紅ちゃんに引かれて、いつもはあまり通らない道に入った。
知らない道を歩くのは、いつもなら楽しいんだけど今はちょっと怖い気持ちが強い。
ここは本当の裏道みたいで、通りすぎる建物はみんな裏手だし、右手はやぶばかりで気を抜くと腕をひっかけそう。
美紅ちゃんに引っ張られて足を動かすうちに、まだお昼にもなっていないのに、なんだか視界が暗くなってきた。
ちょっと顔を上げると、やぶばかりだと思っていた緑の向こうに太い樹がちらほら見え始めた。
突然目にした鬱蒼とした光景に怖じ気づく私を引いて、美紅ちゃんはずんずん歩く。
先輩がこんな暗く細い道を通ってどこに行くつもりなのか知りたい気持ちはあるけど、これ以上進んで美紅ちゃんと二人、道に迷ったら大変だと繋いだ手を軽く引いた。
「美紅ちゃん。もう引き返そう?」
「だいじょぶ、ゆぃかおねえちゃん。もぉすこしでおっつくから」
美紅ちゃんは遠くに見える先輩の背中を追うのに夢中で、こちらを見ずになおも手を引く。
無理に手を引いて転ばせるわけにいかないから、つられて歩きながら説得することにした。
「でも、ほら。約束の時間になっちゃうし、あんまり知らない道を歩くと迷子になっちゃうし」
「だいじょうぶよ?」
なぜか自信満々で即答した美紅ちゃんは、不思議そうな目で私を見上げた。
「だってまっすぐだもん」
一本道だから迷うわけがないと指摘されると、う、と言葉に詰まる。
前から思ってたけど、美紅ちゃんって三歳のときの私よりよっぽどしっかりしてるというか、頭が良い気がする。
でも、保護者としてはここで説得を諦めるわけにもいかない。
「あ、あのね?道、暗くなってきたでしょう?転んだら大変だよ?」
だから戻ろう?と続ける前に、美紅ちゃんのまっすぐな視線が私に向けられた。
「ゆぃかおねえちゃん、こわいの?」
「う」
美紅ちゃんの声にからかいの色がなくてホッとはしたけど、正直ちょっと怖くなってきたのを見透かされているようで、また口と脳が動きを止める。
無言で固まる私を少し見つめると、さらに先に進みながら「だいじょうぶよ」と慰めるような声で言った。
「みく、まえもしたもみてるから。あぶないとこあったら、おしえてあげるね?」
「あ、ありがとう……………」
三歳の女の子に面倒をみてもらう形になってしまった。
説得に失敗したことも相まって、手を引かれながら私はがっくり肩を落とした。
まだ陽は高いはずなのに、辺りはどんどん暗くなっていく。
右を見るともう樹ばかりで、日頃森や林とは関係ない生活を送ってる私にはよけいに怖く映る。
陽の射さない、人気のない、自然だらけの森。
見るだけでも震えがこみ上げてきそうで気持ちやや左を向いて進むけど、家屋の裏側だけの景色は見ててもあまり気分の晴れるものではなかった。
たまに美紅ちゃんが石を見つけては「いしあった!」と叫んでは、えいっと森に向かって石を蹴る。
美紅ちゃん………なんてたくましい!
なんて一人で感動している間にも、美紅ちゃんに引かれるまま足は進む。
美紅ちゃんの勇敢さに対する驚きも、周りの雰囲気から感じる恐怖ですぐに消える。
止めれば良いだけなのに、止めなきゃ後悔するのは自分だと解ってるのに、目は勝手に右を見る。脳は勝手に怖いことを考える。
なんだか足音まで聞こえてきた気がする。
「ねぇ、美紅ちゃん………そろそろ帰ろう………?」
説得するつもりで出した声が自分でも引くくらい震えて小さい。
「もう、ゆぃかおねえちゃん………」
情けない声だから慰めようとしたのかもしれない。
振り返った美紅ちゃんの寄った眉が少し離れて、元から大きかった目が丸く大きく見開かれた。
驚いた表情にどうしたのと聞きかけた私の肩に、ドンっと何かが落ちてきた。
「~~~~~~~~~~~っっっ」
言葉なく踞ると美紅ちゃんの驚いた顔が正面に見えた。
そうだ、美紅ちゃんを守らないと。
走るどころ体力どころか立ち上がる気力すらなかったけど、なんとか手を伸ばして美紅ちゃんを抱きしめる。
ゆぃかおねえちゃんと呼ぶ声が不安そうに聞こえて、大丈夫、大丈夫と呪文のように呟いた。
「ゆぃかおねえちゃん、だいじょぶ?」と美紅ちゃんが聞くのに、大丈夫だよと言い聞かせていると、前からも足音が聞こえた。
人一人が通れるくらいの細い道だから、私の肩を叩いた人とは別の人ではないと思うけど、恐怖にすくんでる今、新たな人物の登場にもう涙が勝手にこみ上げてきそうになった。
「一体何をやっているんだ?」
不機嫌そうな声、でも絶対に安心できる声に、ばっと顔を上げる。
滲んだ視界に、大好きな顔が浮かんでいた。
「ぇっ………んぱっ………!」
無意識に息を詰めていたから、発音が上手くできない。
でも私が呼んだことを察してくれたみたいで、先輩は屈むと私の目を優しく拭ってくれた。
「…………………………せんぱい」
息を整えて呼び直すと、頷くように先輩はゆっくり微笑んだ。
「大丈夫か?」
頷くと安心したように破顔してから間にいた美紅ちゃんにも大丈夫かと聞いた。
「みく、へいきだけど、いまはちょっとあつい」
守ろうとして抱きしめる力を強くしてしまったらしい。
あと、ちょっといたい。と言われて慌てて手を離した。
「ご、ごめんね、美紅ちゃん。大丈夫?痛かった?」
痛かったと美紅ちゃんが言ってるから痛いのは解ってるのに、つい聞いてしまう。
服の上から擦って確かめると、痛いと言った美紅ちゃん本人が、だいじょぶよ、と笑った。
「みく、だいじょぶよ。ゆぃかおねえちゃんは、だいじょぶ?」
「う、うん。へいき」
こくこく頷くと、よかったと微笑まれる。
「ゆぃかおねえちゃん、もうだいじょぶだからね?」
「う………うん………ありがとう………?」
あれ?いつの間にか私が守られた形になってる?
なんとなく納得できないけど、だいじょぶ、だいじょぶ、と頭を撫でてくる美紅ちゃんの姿になんだかほっこりしてしまって、うんうん頷きながらされるがままになっていた。
そんな私たちを優しい目で見守っていた先輩は、ふいにキリリとその目を細く光らせて私の後ろを睨み上げた。
「ーーーそれで、何故結香が怯えている。親父」
久しぶりに見る凛々しい刀のような目に見惚れる中聞こえた呼びかけに、へ?とまぬけな声をあげながら後ろを振り返る。
自分がしゃがんでいるから、さらに影が大きく見えてちょっと怖い。でも、先輩の言葉があるから必死に目を凝らした。
逆光になんとか目が慣れてくると、大きな影がだんだんちゃんとした人に見えてくる。
先輩の言う通り、お父さんだった。
私を見下ろす眉尻が下がっていて、珍しくちょっと戸惑っているように見える。
「お、とう、さん?」
微かに頷いたお父さんは、私の顔を覗きこむようにゆっくり屈むと「ごめんな」と言った。
「驚かせたな」
まだ心臓がバクバクしてるから、声が思うようにしっかり出ない。
だから、大丈夫だと伝わるようにぶんぶんと首を横に振った。
「だ、いじょぶです。勝手に、私が勝手にビビ………びっくりした、だけなのでっ」
安心したように破顔したお父さんは、少し目線を上げていつものような力強い目に戻った。
前を向くと、先輩も何も言わないまま頷くように瞬きをした。
先輩もお父さんも言葉じゃなくて視線でお喋りしているみたい。目だけで以心伝心できるってすごい。
「この道で二人を見るなんて想定してなかったから驚いたよ」
だから呼び止めようとしたらしい。
驚かせて済まないともう一度謝られたので、私ももう一度ふるふると首を振った。
「俺が言っても説得力が無いが、何故こんな暗い道に居たんだい?」
尋ねるお父さんに、あのねっと美紅ちゃんが声をあげた。
「ゆじゅうおにぃちゃんをみつけたから、おっかけてきたのよ」
美紅ちゃんの言葉に一瞬目を見開いた先輩は納得したかのように、成る程と頷いた。
「親父にしては気配に違和感があったが、二人だったのか」
「け、けはい?先輩、私たちが後ろにいたの、解ってたんですか?」
あっさり頷かれて、はわぁ、と気の抜けた息を洩らしてしまう。
「結香と美紅ちゃんだと特定はしていなかったが、この道に入ってやや進んでからつけられていることには気付いていた。殺気が無いから放っておいたが」
こんな事態になるなら振り返るべきだった。済まない、なんて謝られてしまったけど、私は呆然と首を振ることしかできない。
さ………殺気って、日常生活の中で感じるもの?
というか、そもそも感じとれるものなの?
やっと心臓が穏やかに動くようになったのに今度は混乱してしまった私の前で、美紅ちゃんが「ねぇねぇ、ゆじゅうおにぃちゃん」と小首を傾げた。
「さっきがないっておかしいよ?」
うん?と首を傾げた先輩に向かって、だって、と美紅ちゃんは続けた。
「さっきがなかったら、いまもないでしょ?」
「美紅ちゃん、その『さっき』じゃないと思うの………」
さっき違いだけどなんだか難しいことを言い出した美紅ちゃんに訂正を入れてみたけど、「え。じゃあ、ゆじゅうおにぃちゃんの『さっき』ってなに?」と聞かれてしまって、私は思いきり頭を抱えたくなった。
殺気について説明すること自体は私でもなんとかできそうだけど、そもそも戦いとか殺生に関わる言葉を三歳の美紅ちゃんに気軽に教えて良いものなの?
うぅんとね、えぇとね、と悩んでいると、右手の茂みがガサガサガサッと音をたてて揺れた。
「「ぃにゃぁぁぁぁぁぁっっっ」」
思わず悲鳴をあげて美紅ちゃんに抱きつく。
また痛いと怒られるかもと思ったけど、美紅ちゃんも力一杯抱きついてきたから、おあいこになるとホッとした。
なぁんだ、となんだか聞き覚えのある声が茂みから聞こえた。
「珍しく人が居ると思ったら、お前らか。ナニやってんだよ。こんなとこに座り込ん………うぉっ?」
呆れたような夏目先輩の声が不自然なほどに裏返って途切れた。
首を傾げながら目を開けると、私たちの前に屈みこんだままの先輩が眼光鋭く右手を見上げていた。
その視線を追うと、やっぱり夏目先輩が茂みに半分身体を埋めたまま立っていた。なぜ作業着を着てるのか解らないけど、それのお蔭で草の中でも平気で立っていられるみたい。
作業着の夏目先輩は、なんだか頬をひくひくさせて先輩に呼びかけた。
「ゆ、ゆ、ゆづるくんっ?せめて立って怒らないか?お前の下からの睨み上げなんてレア過ぎて逆に威力満載っつーか、とにかく謝るから立とう?なっ?頼むからっ」
少し目の光を抑えて先輩が夏目先輩を見つめる。
な?な?と繰り返す夏目先輩に小さくため息をつくとスッと立ち上がって、夏目先輩に向かって半歩詰め寄った。
「結香が落ち着いてきてそろそろ立てる頃合いだったのに、お前というヤツは」
「解ったから、謝るからっ」
すっかり涙目になった夏目先輩が、それでも本気でごめんねと繰り返すから、美紅ちゃんと二人で大丈夫ですと首を振った。
私たちが先輩を追いかけてあの細い道に入ったことを聞いた夏目先輩は、「じゃあ、そもそもお前が悪いんじゃんよ」としかめ面になった。でも、眉を寄せた先輩に見つめられると「ナンデモゴザイマセン」と視線を反らした。
そんな夏目先輩は、なんで森の中にいたんだろうと心の中で首を傾げていると、美紅ちゃんがさっさと尋ねていた。
「こーじおにぃちゃん、なにしてたの?」
「んー?バイトだよ」
平日は他県にいるのにこっちでもバイトしてるらしい。
大学生になったらそんなにたくさんバイトしないといけないのかな。
ぼぉっとそんなことを考えてる私の隣で、美紅ちゃんは疑うような目つきで夏目先輩を見上げた。
「こーじおにぃちゃん、ほんとぉにちゃんとおしごとしてぅの?」
「みっ。美紅ちゃんっ」
いくら夏目先輩が気安くお喋りしてくれる人とはいえあまりにも失礼な言い方に、めっと声をあげると、美紅ちゃんはこっちを見てちょっと肩をすくめ、当の夏目先輩はけらけら笑った。
「言ってくれるなぁ、もう。ちゃんとやってるよ。サボったら紹介した夕弦から拳で説教喰らうからなぁ」
「そっか。じゃあ、さぼれないね」
今さっき諌めたばかりなのに、美紅ちゃんはまた元の調子に戻って「ちゃんとおしごとしなきゃダメなのよ」と上から目線で言っている。
「美紅ちゃんてばもう………夏目先輩、すみません」
美紅ちゃんをしっかり叱れない分謝ろうとするのを夏目先輩は、いーのいーのと手を振った。
「一緒に居る分にゃ良い子の方がそりゃこっちは楽だけどさ、やっぱ子どもってこういうモンだって。俺がこんくらいの時は、ぅおっ?」
「いい加減、口より手を動かせ」
話の途中で先輩が背後から夏目先輩の頭に手刀を落とした。
不満そうに振り返った夏目先輩に、桶を差し出して「水を汲んでこい」と言う。
「えぇぇ」と夏目先輩は声をあげて渋った。
「重労働を終えたばっかの俺に、なんと無体なっ。非情よ、夕弦くんっ」
オニ、アクマっ。とぷんすか怒ってみせる夏目先輩に、先輩は表情を変えないまま桶を突きつけた。
「解った。非情な人間として、お前が二人を酷く驚かせたと報告するとしよう」
「あ、私が」
「喜んで水汲み行かせて頂きまぁすっ」
言い終わる前に夏目先輩が桶を持ってダッシュした。素早い。
行ってきますと上げた手が気まずい。
私の気まずさを見てとったのか、先輩は「二人はもう少しそこで待っていてくれ」と言う。
周りの景色や黙々と作業しているお父さんをしげしげと見ていた美紅ちゃんは、さっきから何をしているのか聞いた。
「墓掃除をしているんだ」
「はかそー、じ?」
美紅ちゃんがおうむ返しに首を傾げると、彼処にな、と先輩は黒い墓石を指差した。
「俺の祖父母や先祖が眠ってるんだ」
そして、美紅ちゃんが会ったのはお父さんの両親で、ここに眠ってるのはお母さんの両親や祖父母だとつけ加えた。
昔はこの辺りの土地をお母さんのお祖父さんが管理していて、その関係でお墓も森と畑に囲まれたここに建てられたらしい。
夏目先輩がバイトしている森も、元はそういった森の一つみたい。
「美紅ちゃんは、お墓参りって来たことない?」
かく言う私も数回しか行ったことはないんだけど。
美紅ちゃんは少し首を傾げていたけど、むーっと眉を寄せて、ない、と呟いた。
「おばぁしゃまが、みじゅくだからつれていけないって」
はずかしいからって、とつけ加えた美紅ちゃんの頬がパンパンに紅く膨れている。
美紅ちゃんが元々住んでいた家は、聞いた話では由緒正しい立派な旧家らしい。だから美紅ちゃんのしつけとか教育が厳しくなるのは仕方なかったかもしれないけど、そのおばあさんは言葉をもう少し柔らかくすれば良いのに。
おばあさんから見たらきっと私も未熟者だから、そんなことを言ったらただ叱られるだけだと思うけど。
たぶん当時のことをいろいろ思い出しているのかもしれない。
すっかり俯いてしまった美紅ちゃんを前に、先輩は小さくため息をつくと右手に嵌めていた軍手をとった。脱いだ手を少し見つめると、その手を伸ばして小さな金色の頭をぽふぽふと撫でた。
美紅ちゃんが顔を上げると先輩は目元をやわらげて微笑んだ。
ちょっと控え目だけど美紅ちゃんが笑うと先輩は手を離して軍手を着け直す。
ゆじゅうおにぃちゃんと呼ばれた先輩は、右手をにぎにぎしながら、何だ、と呟いた。
「あれ、はかまいりなの?おばぁしゃまは、黒いおきものでおしゃれしてたの」
「うん?ーーーあぁ」
一度首を傾げた先輩は納得したように頷いて、「法事と混同してるのか」と呟いた。
「今日はただの墓参りだからな。あぁして草むしりをしてちょっと挨拶するだけだ」
「ふぅん?」
畏まる必要がないと説明された美紅ちゃんはそうなんだ?と小首を傾げると、「みく、おてつだいする!」と元気良く手を上げた。
先輩は微笑んで手を伸ばしかけて、その手を戻す。軍手を嵌めた手で撫でたら髪に土がついちゃうから。
上げかけた手を下ろしながら、結香と待っていてくれ、と先輩は言った。
「せっかく綺麗にしてるから、二人に線香をあげてもらえば皆喜ぶだろう」
「ほんと?」
先輩が頷くとふふふーと嬉しそうに笑って美紅ちゃんは私の隣に戻ってきた。
上機嫌に戻った美紅ちゃんを見届けて、先輩は私に一つ頷くと草むしりに戻っていった。
追いかけてきておいて手伝いの一つもしないなんて、人としてどうなのと首を捻る私を置いて、お墓はどんどん綺麗になっていった。
男の人三人がかりで掃除しているから、周りの草はあっという間に取り除かれたし、墓石は陽の光を浴びて黒く光っている。
周りと比べると太く長い草がそんなになかったことも原因の一つかなと思っていたら、日頃からちょくちょくここに来て掃除をしているんだと教えてくれた。
「こまめに来るようにはしているが、この季節はどうしてもすぐに生えるからな」
細い煙を立ち上らせた線香を美紅ちゃんに渡して、彼処に置くんだと先輩が指差す。
誘導に従って置いた美紅ちゃんにお父さん、先輩が続き、私もみんなの分の上にそっと置いた。
先輩が残りの線香を夏目先輩に渡して目で促すと、夏目先輩はふむと唸ってサッと置いた。
みんなで手を合わせると後片づけをする。
「人数が多いから帰りは正面から帰ろう」
先輩が言って指差す先を振り返ると、墓の正面に道が延びていた。さっき通ってきた道よりも広くて、何より嬉しいことに陽があたって明るい。
あかるーいひろーい、と喜んでから美紅ちゃんが振り返りざま小首を傾げた。
「なんでこっちでこなかったの?」
「多少遠回りになるんだ」
ふぅん?と解ったような解らないような唸り声をあげる美紅ちゃんを肩車すると、先輩は夏目先輩に向かって「バイトは?」と聞いた。
「今更それを聞くか?終わって帰ろうとしたらお前らに出会したんだろうが」
「お前が二人を怖がらせたんだろ。過去をねじ曲げるな」
訂正してから今日お月見をやることを先輩が教えると「おぉ、餅か!」と喜んだ。
「早く行こうぜ。つきたて餅は軟らかいうちにきな粉で食わないと」
「それは良いが、お前は一度家に帰ったらどうだ?」
先輩が提案するけど夏目先輩の頭のなかはお餅で一杯らしくて、早く早くと手招きされた。
◆ 数日後の親子 ◆
美紅ちゃんは墓参りも月見もあの日初めて体験すると言う。
朝から総出で餅をつかされるのは案の定面倒だったが、二人が喜んでくれるなら、そして美紅ちゃんに去年のような適当な月見を見せずに済んで僥倖というものだ。
正当な月見のやり方なぞ把握していないが。
「一般的な月見の形で良かった」
感慨深く言うと、母さんはぶすっと頬を膨らませたが。
「ーーーという感じでほっこり月見を皆で楽しんだんだけどさ。やっぱ愛しの彼女ちゃんをビビらせたことに対する怒りはまた別ってことなんだってよ」
呼吸を整える間に、光司のどこかのんびりした声が聞こえてきた。
それに対し「それは良いけどよ」とどこか投げ槍な口調の師匠の声が応える。
「何だってわざわざここで親子喧嘩するかねぇ?」
「そりゃここなら堂々と殺り合えるから?」
「そら確かに」
嘆息した師匠を光司が慰めているらしい。
ガタガタと重箱を開ける音が響いて「まぁ、いーじゃんか」と声が続いた。
「道場の賃料代わりにおばさんのおはぎ食べ放題なんだからさ。ほい、まずはお一つどーぞ」
師匠がちゃっかり相伴に預かっている光司を咎めたようだが、親父が突いてきたので声は聞こえなかった。
結局仲良く一緒に食べているらしい。
「ひふぁのはぁひひゃぼひゃ」とくぐもった声を師匠が出した。
「今の話だと、お前も驚かせたんだろ?よくそんな暢気にしてられるな。あれが終わったら次はお前だろ?」
「ふんみゃ」と妙な声で光司が否定した。
「あの日さぁ、俺そのまま夕弦ん家に入り浸ってたら笹良に怒鳴り込まれてよぅ。そん時の光景が自業自得とはいえちょい不憫て理由で俺は今回免除」
「ふぉぅ?ほひゃ、助かったな」
お代わり、と差し出したらしい皿の上に、ほいほいと光司がぼた餅を乗せたらしい。
「師匠も好きだよねぇ。おばさんの」
構えた木刀に鈍い音を立てて親父の木刀が突っ込んできた。
嘆息しつつ光司を呼ぶと、「ほいほい、何さ?」と暢気に返す。
「妙な言い方をするな。親父が無駄なやる気に満ち溢れた」
「そりゃ失礼」
ぺしりと額を打つ光司の隣でなにやら師匠の顔が青くなったようにも見えたが、親父の連撃を防ぐのに忙しく確かめる暇は無かった。
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