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番外編

ゴールデンウィーク最後のある日

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  ただいまとドアを開けた結香の胸に、黄色とピンクの塊が飛び込んできた。
「ひゃああっ?」と悲鳴を上げて引っくり返る結香の背中を支える。
  目を白黒させたままの結香が仰向けに「先輩、ありがとうございます」と言うのに頷くとその胸に飛び付いている存在に声をかけた。
「美紅ちゃん、ただいま」
「ゆじゅぅおにぃちゃんも、おかぇりなしゃい」
  にこりと笑った美紅ちゃんは上がり框に身軽に飛び降りると結香に向かって「だいじょぉぶ?」と小首を傾げた。
「うん、大丈夫だよ」
  なんとか返事した結香に、そう?と首を傾げた美紅ちゃんは「おどろかせてごめんなしゃい」と頭を下げた。
「本当に大丈夫。美紅ちゃんがウチにいるって思ってなかったから、驚いただけだよ」
  結香の微笑みを見て、美紅ちゃんはホッと安心したように笑ってから説明してくれた。

  俺たちが東京へ発った後程無くして帰ることにした牧野家に美紅ちゃん親子も同行することにしたのだそうだ。
  母子でゆっくり過ごしたいというのもあったが、久しぶりに会った陽ともっと遊びたいと美紅ちゃんが思うのも当然。それを感知した母さんが「じゃあ、しばらく美紅ちゃんをウチで預かりましょう!」と言い出すのもある意味当然だった。
  美紅ちゃんの母親としては、娘が気に入られて嬉しくない訳では無いが、だからといって大切な娘をどうぞどうぞと預けられる筈が無い。
  断りたいが、相手は従姉妹の嫁ぎ先。
  返答に困ったところで、茜さんが母さんより先に美紅ちゃんを抱えたのだ。
「一週間ばかりあたしに美紅ちゃんを預けてくれない?ちょっとあたしの仕事に付き合ってもらいたいし、貴女もお祖父さんを気にせず勉強できる時間欲しいでしょ?」
  そうして美紅ちゃんは久しぶりに牧野家に、母親は茜さんが社宅として所有しているマンションの一室に滞在することになった。
  茜さんがマンションを持っていることを知らなかった結香は、「マンションを所有………お姉ちゃん、いつの間にリアルなセレブに………」と頭を抱えた。
「結香、驚きと動揺の現れ方がお父さんそっくりね。お父さんと違ってひたすら可愛いだけだけど」
  そう言って茜さんは混乱する結香をさらりと愛でた。


  その美紅ちゃんは今、陽と一緒になって俺たちが東京から持ち帰った菓子の箱を次々に取り出している。美紅ちゃんが「これ、キレイ!」とか「これ、おいしそぉ!」とか楽しそうに叫ぶ度に陽がうんうん頷いている。
「美紅ちゃんに仕事を手伝わせるって、何をさせるの?」
  結香が聞いても茜さんは「大したことじゃないわよ」とにこりと笑うだけだった。
  むぅと眉を寄せた結香はめぼしい菓子を掲げて目を輝かせている美紅ちゃんに、「お姉ちゃんのお仕事、手伝うって何するの?」と聞いた。
  んーと少し思い出すように宙を見上げた美紅ちゃんは、「あのねぇ」と口を開いた。
「きれぇなおねぇちゃんとおっきなおねぇちゃんとおはなししたの」
  はい?と目を丸くした結香がどういうこと?と美紅ちゃんの前に前のめりに正座した。
「どんなふくしゅきーとか、こゆのじゃまーとかきかりぇてー。おっきなおねぇちゃんがみくとよぅおにぃちゃんみてぐぁぁぁぁっておえかきしたの。すごかったよぉぉ」
「ぐぁぁぁぁってお絵描き………?」
  美紅ちゃんの説明に頭を悩ませる結香に、更に美紅ちゃん流の説明は続く。
  手振りで呼んだ陽に説明を求める。
  いつだったか俺と結香がそうなったように、美紅ちゃんもデザインのモデルになったようだ。
「しかし、茜さんのブランドは子ども服を扱っていなかったんじゃないか?」
  そこら辺は知らないと首を傾げる陽の隣で茜さんはニヤリと笑った。
「今まで扱ってなかったけど、扱っても良いでしょ?服屋が服売って悪い?」
  首を振って茜さんに意見するつもりが無いことを示すと、茜さんはニンマリと笑った。
「幸い、まだ保育園に入ってないから美紅ちゃんにはもう少し手伝ってもらうことになると思うのよね。まぁ、美紅ちゃんのお母さんとの交渉次第だけど。上手くいけば、陽にだって良い話になるはずよ?」
「茜姉ちゃん、頑張れ」
  詳細も聞かずにあっさり靡いた陽に「現金ねぇ」と呆れながらも、茜さんはホホホッと高らかに笑い声を上げた。
「ホホホ、そうね、陽。美紅ちゃんに頻繁に会えるように、このあたしをちょっとは敬いなさいな」
  茜さんと陽の気軽なやり取りはかなり久しぶりだ。
  二人の様子に安心しながらふと顔を上げると。
「おっきなおねえちゃんはねぇ、ほんとはおじしゃんなんだけど、おじしゃんじゃないんだって。だから、おじしゃんていっちゃダメなんだょ?」
「うん???」
  結香はまだ美紅ちゃんの説明を解読しようと奮闘していた。


  美紅ちゃんがモデルになったと言えば、結香は「あぁ、そういうことだったんですね」とあっさり納得した。『おじさんと呼んではいけないおねえさん』も茜さんの仕事仲間なのだろう、と推測するように言った。
「みく、ちゃんとせつめぇしたのに」
  自分の説明が通じてなかったことに、美紅ちゃんは俺の肩の上で少し不満気に身体を揺らした。だが、結香が「ごめんね」とその小さな膝をあやすように軽く叩くと「いーよっ」とすぐに破顔して、今度は楽しそうに身体揺らす。
「たかいの、ひしゃしぶり!たのしーっ」
  肩車が楽しいらしい。
  そういえば、長野で一緒に暮らしている人には美紅ちゃんくらい小さな子どもでも肩車が出来る人間が居ない。こんなことでも自分がまだ美紅ちゃんの中で『肩車が出来る相手』と認識付けられていることに内心満足を覚えた。
「美紅ちゃんは、大きくなったな」
  最後に乗せた時より確実に重くなった。
  まだまだ身体は小さくても日々成長していると感じ入って言うと、美紅ちゃんは嬉しそうに笑ってから俺の顔を覗きこもうと身動きしながら聞いてきた。
「そぉ?みく、おもい?ゆじゅぅおにぃちゃん、いたい?」
  答える前に、そうだな、と一拍置いた。
  性格は違うが美紅ちゃんも女の子だ。言い方一つで「デリカシーってものを知らないのっ」と怒り狂う萌が脳裏に浮かんだ。
「この間肩車した時からだいぶ経ったからな。美紅ちゃんはちゃんとたくさん食べて毎日たくさん遊んだんだなと解るくらいの大きさになったな」
「そぉだよっ。すごいっ。ゆじゅぅおにぃちゃん、エスパぁだっ」
  反応を窺う間も無く美紅ちゃんは喜んで跳ねた。
  『重い』を使わないように表現したが、『大きい』も女の子に対する表現としては不味いのではと一瞬冷や汗をかいたが美紅ちゃんが好意的に受け取ってくれる子で助かった。
  俺の動揺を知らず、美紅ちゃんはご機嫌な様子で長野での生活を話してくれた。
「―――でね。しょのこもおとぉさんがいないのへんっていってくるけど、みく、なかないのよ。しょのこ、いろいろいじわるゆぅけど、あかねおねぇちゃんがおしえてくりぇたのつかうと、ままぁってにげるの」
  その相手の顔が脳裏に浮かんだのか顔を顰める美紅ちゃんに寄り添うように歩きながら、先程から無言の陽も忌々しそうな表情を浮かべた。
「しょのこ、みくよりおっきぃからって、みくのことばかにすぅの。みく、くやしーからおっきくなゅのよ。いっぱいたべればおっきくなりぇるれしょ?」
  そうだな、と同意すると顰め面から一変して満足そうに「でしょおっ?」と笑った。
「美紅、その子、男?」
  ぼそりと陽が呟いた。
  荒い聞き方に構わず肯定した美紅ちゃんに、陽は更にその子と遊んでるのかと聞いた。
「あしょばないよ」
  当然、というように美紅ちゃんはけろりと答えた。
「だってみく、そのこきりゃいだもん」
  美紅ちゃんの断言を聞いた陽が満足そうに息をついた。
  思わずその頭をわしわしとかき混ぜると、不満そうに見上げられたが文句は飛んでこなかった。


  子連れで四人で歩き回っていても仕方ないだろう、と結局ショッピングモールに来てしまった。
「わざわざ人が多い場所に来なくても」と陽がボヤきかけたが、「ほぁぁぁぁぁっ」と美紅ちゃんが歓喜したので慌てて口をつぐんだ。
「すっごぉぉいっ!ひといっぱいだぁぁっ!」
  どうやらショッピングモールに来るのも久しぶりらしい。
  美紅ちゃんは喜んでいるようだぞ、と視線を向けると陽はふ、と息をついて一度ゆっくりと頷いた。


  一階の中央に臨時で売り場が設置されていて、中々賑わっていた。
  近付いて、そういえば母の日が近いと思い出す。
「先輩の家は、母の日しないんですか?」
  結香に聞かれた俺は陽と見詰め合って暫く答えに悩む。
  一応やるはやるのだが、と俺が口を開いたのを陽が引き取った。
「ウチの母の日とお母さんの誕生日は、ぶっちゃけ大掃除なんだよ」
「え。大掃除?」
  どういうこと?と首を傾げる結香に、陽が説明した。

  ウチの暗黙のルールの一つに、母さんへのプレゼントは物以外で贈るように、というのがある。
  理由は単純に、親父が面白くないからだ。
  俺たちが幼い時に似顔絵や折り紙で作った花を贈る分には構わなかったようだが、店でわざわざ買った品となると表面上は無関心を装っているが内心不満らしい。
  そしてその不満は仕事に反映されるようで、一度差し入れに行った俺に一人の刑事が恐る恐る話しかけてきたことがある。
「つかぬことを聞くけど、お父さん、家で―――というか、奥様と何かあったりするかな?」
  詳しく話してもらえはしなかったが、同僚の刑事や上司すら常時以上に恐々とせざるを得なかったらしい。
  その原因が、小学生が小遣いで買ったプレゼント一つだと判明した時。俺は母さんへのプレゼントは買った品では駄目だと後々双子にこっそり教えなければ、と決意した。

「小学校高学年にもなって似顔絵なんて恥ずかしくて描けないじゃん。だから手伝いくらいしかないんだよ。代わりに晩ごはん作るっつったって、ウチの冷蔵庫開ければ一食か二食余裕じゃん?」
  確かにと頷いた結香を、だろ?と見やった陽が続ける。
「手伝いっつっても、いつもと変わりなくなっちゃうから、結局大掃除になるんだよ」
  今年はどこを掃除させられるのかなぁ、と早くも窶れた表情を浮かべる陽に合わせて、俺も内心嘆息してしまった。

  周囲を物珍しそうに眺めていた美紅ちゃんは、母の日を知らなかったらしい。結香に説明してもらうと納得したように売り場を見るが、すぐに肩を落として項垂れた。
「みく、おかねない………」
  プレゼントが買えないと涙目になる美紅ちゃんに陽が慌てて声をかけた。
「お母さんの絵を描けばいいじゃん。美紅なら、上手に描けるだろ?」
  陽の言葉で多少は落ち着いたようだが、でも、と上げた顔はまだ沈んでいた。
「おはな、あげたいの。ママ、おはなすきだもん」
  何かに思い至ったのか、あ、と結香が口を開けた。だが、この場では言えないのか俺の視線に困ったように眉尻を下げる。首を横に振ってみせると、小さく息をついて頷いた。
  花なら、と陽が俺の肩の上でショゲている美紅ちゃんを見上げた。
「似顔絵にいっぱい描けばいいよ。それに、ウチのお母さんなら折り紙で花作る方法、おしえてくれるよ」
「ほんとっ!??」
  一気に顔を輝かせた美紅ちゃんに頷いてから、確認するように俺を窺う。
  母さんならカーネーションの作り方は今でも覚えているだろう。
  俺が頷くのを見て、美紅ちゃんはすっかり上機嫌になって肩の上で飛び跳ねる。
  体勢を崩さないか心配そうにしながらも、美紅ちゃんの嬉しそうな様子に結香も安心したように破顔した。
  結香はどうするんだと聞いてみると、品物は決めたけどたぶんここには無い物だ、と売り場を眺めた。
「何を贈るんだ?」
  聞くと、えぇと、と恥ずかしそうにしながらも教えてくれた。
「指サックです」
「指サック?」
  初めて聞く言葉に首を傾げる美紅ちゃんに身振りを交えて説明してから、結香はパートで使うかもしれないからと付け加えた。
「ウチのお母さん、しょっちゅう紙で指を切るから………調べてみたら、可愛いのも売ってるみたいだからそれを買おうかなって」
  それなら雑貨屋や文房具屋を探してみるか、と移動することにした。


  結香は雑貨等の細々した物を見るのが好きだ。大きな目をキラキラと輝かせて商品が陳列された棚をじっと見詰めている。たまに慌てたように俺を振り返って、俺が退屈してないか確かめる様子がまた可愛い。
「せ、先輩。ごめんなさい、つい他のものまで見ちゃって」
  気にするな、と申し訳無さそうに眉尻を下げる結香の頭を撫でた。
「二人のことは俺が見てるから、結香はゆっくりと見ると良い」
  安心したように破顔した結香は礼を言って再び棚に視線を戻す。
  結香から離れないように気を配りつつ、少し離れた場所で折り紙を見ている陽と美紅ちゃんを見守る。
  二人で熱心に商品を見聞してるかと思ったら、陽がひょいと頭を上げて意味ありげに俺を見た。
  どうした、と手招くと美紅ちゃんの様子を窺いながら半身をこちらに向かって乗り出す。俺も一歩分陽に近付いて屈むと「美紅がさ」と囁き声で切り出された。
「和紙の折り紙、欲しそうにしてるんだけど」
「買えば良いだろう」
  支払いをするのは俺だから気にするなと言えば、「別におれが買ったって良いんだけど」と陽が口を尖らせた。
「カーネーション用の折り紙なのに、和紙はダメだよねって」
  柄が綺麗だからどうしても気になるが、花を折る為の折り紙でないならと買うのを躊躇っているらしい。
  大して使いもしない物を買えと強請る我が儘も困るが、美紅ちゃんは元々遠慮をし過ぎる所がある。欲を見せるのもある意味美紅ちゃんの成長とすら思えるのは、以前の物分かりの良過ぎる美紅ちゃんを知っているからでもあり、美紅ちゃんを気に入っているからでもあるだろう。
  まぁ、せっかく美紅ちゃんが欲しいと思っているなら、その気がかりを無くして買うまでだ。
「カーネーション用のは普通のを買って、和紙のは別の物を折るとか似顔絵に張るとかすれば良いだろう」
  全体的に赤い紙の千代紙でカーネーションを折っても良いとは思うが、美紅ちゃんがシンプルなカーネーションを望むなら千代紙は別の物に使えば良い。
  陽は首を捻ると「兄ちゃんが美紅に何か買ってやりたい、とか言ってもいい?」と聞いてきた。
  頷くと「解った」と言って美紅ちゃんの傍に戻る。
  俺も身体を起こして結香の傍に戻る。
  探し物はどうだ、と声をかけると、振り返った結香が苦笑を浮かべた。
「見つけたんですけど……サイズで色が違うんですよ」
  そう言って指差されたのは猫の形をした指サックだった。
  指サックといえばオレンジ色のシンプルな物が頭の中にあったので、ここまで見た目の違う物が売られていることに驚いた。
  ピンクの猫を嵌めた指先をピコピコ動かしながら、うー、と結香が唸った。
「サイズはMサイズだけど……黒にゃんこのが可愛いよなぁ……しっぽのカンジとか……」
  色と大きさが違うだけでどちらがより可愛いか区別がつかない俺の前でうーん、と結香が悩む。
  意見を求められたらどうするか。内心首を捻っていると、「ゆじゅぅおにぃちゃん?」と呼ばれた。
「うん?どうした、美紅ちゃん」
  美紅ちゃんの視線に合わせて屈むと、少し頬を紅くした美紅ちゃんが何度か「あのね」を繰り返して俺の顔をおずおずと見上げた。
「あの、あのね。このおりがみ、かって、ください」
「うん。いいよ」
  カゴに入れな、とタイミング良くカゴを持ってきた陽の手元を指し示すと、パアァッと破顔した。
  取り扱っている品物が全体的に小さいからだろうか。店内用のカゴもかなり小さく、縁の部分部分がビーズで飾られていた。
「みくっ。みくがもつっ」
  興奮した声で言う美紅ちゃんに苦笑して、カゴを渡しながら陽が美紅ちゃんの頭を撫でた。
  とりあえず美紅ちゃんの方は落ち着いたか、と内心頷いていると胸元近くで「よしっ」と声が上がった。
  決まったかと聞くと笑顔で「はいっ」と頷かれる。
「両方買っちゃいます!お姉ちゃんにも買っていこう」
  いそいそとカゴに指サックと包装用の小袋を入れる結香を美紅ちゃんがじぃっと見詰めて、「ねこしゃん、かわいい」と呟いた。
  でしょっ?と結香が笑顔を美紅ちゃんに向ける。
「猫さん、可愛いよね!美紅ちゃんも買う?」
「でも、みく、つかわないよ?」
  買うと聞きながらも美紅ちゃんの分までカゴに入れる結香に、美紅ちゃんはおずおずと声をかけた。
  えぇ、と小首を傾げた結香はサッと屈むと美紅ちゃんの耳に何かを囁いて「どう?」と窺うように首を傾げた。
「うん!みく、やってみたいっ」
  美紅ちゃんの笑顔に良かった、と結香も微笑んだ。
「じゃあ、帰ったらやろうね?」
  楽しそうに指切りをする結香に何をやるんだと聞いてみると、「恥ずかしいから内緒です」と言われてしまった。


  門の前に珍しくタクシーが停まっていた。
  出てきたのが両親なので安堵の息を吐き肩の力を抜く。
  母さんがいち早く俺たちを見つけて「まぁ、美紅ちゃん。おかえりなさい」と駆け寄って来るなり、俺の肩から美紅ちゃんを抱っこした。「おばちゃんも、おかえりなしゃい」と言ってもらえた母さんはすっかり機嫌が良くなって美紅ちゃんをぎゅっと抱き締めた。
「おばちゃん、どこへおでかけしてたの?」
  うふふ、と笑って答えた。
「おじさんとデートに行ってきたのよ」
  いつかのカラオケ大会の商品がとうとう日の目をみたらしい。親父がやたらカラフルな大袋を両手に下げてこちらにやって来た。
  袋を見た結香が「いいなぁ、夢の国……」と呟いた。
「俺たちも、行くか?」
  耳元に囁くと息が耳に当たったのか、「ひゃ?」と小さな悲鳴を上げて結香が俺を振り返った。
「ゆっ!夢の国は特別なときに行くんですっ」
  解ったと髪を撫でると「またそうやって誤魔化そうとする」と頬を膨らませていたが、次第に強張りが解けて穏やかな笑顔を浮かべた。
「こんなところでイチャついてないで、家の中でやりなよ」
  近所迷惑だよ、と半眼になる陽に親父が袋の一つを持たせた。
  デートの終盤で呼び出しを受けたらしい。
「事件は同僚が起こした訳じゃないんだから、八つ当たりするなよ」
  嘆息して言うと能面を歪めてニヤリと笑った。
「捜査に先入観は、禁物だ。警察官だって、人間だ」
  後は頼む、と残りの袋を俺に押し付けると巨体を揺らして歩いていった。
「余計な一言だったかもしれないね」
  そうだな、と頷くと陽は「でも」と首を傾けた。
「父さんに電話かけた時点でたぶん、覚悟してるよ」
  いつものことじゃん。と軽く言う陽に、確かにと俺は嘆息した。


  チョコレート菓子の類いを冷蔵庫に仕舞って戻ると、母さんは既に美紅ちゃんと折り紙をしていた。
  随分賑やかにやっているな、と先に畑から戻っていた陽に話を振ると、前にDVD鑑賞会で観たキャラクターの折り方がネットに載っていたので、結香のスマホを頼りに三人で挑戦しているらしい。
「タイトルには簡単だって書いてあったけど、見本の人は台を使わずにきっちり半分に折れるらしいから、なんか苦戦してるみたいだよ」
  ただいまと帰ってきた萌が、予定より早く母さんが帰宅していることに驚いてから「で、これは何事?」と机にかじりつく三人を指差した。
  陽が俺にしたのと同じ説明を繰り返すと、一度大きく嘆息してパソコンを立ち上げた。結香に何度か声をかけ、結香のスマホと同じものをパソコンの画面に映し出した。
「こっちで見ればいいじゃん」
  俺が思ったことを呆れたように言った萌だが、三人に「すごぉぉぉいっ」と賞賛されて気を良くしたのか、三人の要求に応えてパソコンを操作していた。


  暫く賑やかに折り紙をしていた結香たちだが、そのうち折ったもので穏やかに遊び始めたようだった。
  その光景を眺めながら先程買った本を読んでいると、いつの間にか輪を抜けた美紅ちゃんに名を呼ばれた。
  どうしたと聞く俺に、はいと何かを乗せた手を差し出した。
  千代紙で作った、小物入れだった。
「上手だな。美紅ちゃんが作ったのか」
  うん、と頷いた美紅ちゃんは尚も手を俺に差し出す。
  くれるのか、と問うとはにかんで頷いた。
  ありがとうと受け取ると、「あと、これも」と小さく折ったものを逆の手に乗せられた。
「ありがとう。これは、何だ?」
  パンダだと言われる。
「トトトは、むずかしかったの」
  だからパンダなのだと申し訳無さそうに俯く頭を撫でると、安心したように破顔した。
「ゆじゅぅおにぃちゃんも、あしょぼぉ?」
  頷いて立ち上がると、美紅ちゃんに指を引かれて結香の隣に座らされた。
  見ると皆指に折り紙で作った人形を嵌めている。
「皆で指人形をしていたんだな」
  そうだよ、と美紅ちゃんが自信満々に人差し指を俺に見せるように動かしてみせた。
「みくはね、ねこさんなの。ゆぃかおねぇちゃんがかってくりぇたんだょっ」
  可愛いでしょ、と揺れる小さな指に被せたピンクの猫が大きく揺れる。
  「うん、可愛いな」と頷いて隣を見ると、恥ずかしそうに頬をうっすら紅く染めながらも、黒猫を嵌めた親指を結香が小さく揺らす。
  美紅ちゃんも喜んでいるのだし、内緒にしなくても良かったのに。
  耳元に囁くと、結香の頬が更に紅く染まった。





  ◆ 鬼と閻魔の語らい ◆

  懐かしい声が聞こえたのでこちらだと怒鳴ってやると、そいつはのそりと現れ俺を見ると呆れたような怒ったような息を一つついた。
「鬼と呼ばれていた男とは思えない様だと思ってな」
  酒を片手に将棋で遊んでいたのに面喰らったようだが、相変わらず表情一つ変えない男だ。ジト目を浮かべても元の眼光の鋭さで解らないとか、ズルいというか面倒な男だな。
「そりゃ失敬。閻魔様に酒を献上しても宜しいか」
  今は仕事を離れているのだから飲んでも構わないだろう?とコップを見せると、存外すんなり縁側に座る。コップに酒を注ぐと一気に飲みきった。口を付ける前に目礼を寄越す辺り、育ちの良さが明らかでかなり笑える。
  閻魔の眼光は怖いから、必死に堪えるが。
「今、捜査に入ってるんだろ。んで、今日は何の用だ」
  注がれた二杯目を眺めながら、うん、と唸った元同僚は一つの名前を呟いた。
「知ってるよな」
「まぁ、警察居た時は何かと情報貰ったし、なぁ」
  警察を離れた今も付き合いはあるが、わざわざ言わなくてもこいつは知っているような気がした。
「そういや、最近顔を見せないな」
  そろそろ手合わせを願いたいんだがな、と一人ごちると、そうだろうな、と事も無げに頷いた。
「今、海外にいる筈だからな」
「は!?」
  海外?と目を見開く俺に、元同僚は幾つかの国名をスラスラと挙げる。
  口振りが滑らか過ぎて何かの呪文に聞こえる、と阿呆な思い付きに一瞬意識を飛ばしてから、どういうことだ、と聞く。
「お前との関係を警察組織全体と取るか、ある老人の要請を受けるかどちらが良いと聞いたら、後者を選ばれてな」
「そりゃ、二択にもなってないよなぁ」
  あの男は、捜査員の中でいう所謂情報屋というものではなかった。俺の辞職に先んじて海外へ姿を消した一件からも、あの男が情報屋になる訳がない。
「警察組織全体が嫌なら、上層部の一部でも良いと譲歩したんだがな」
「そりゃ、嫌がらせにしかならんだろ」
  うんざりと言うと、「確かに」とあっさり頷いて酒を呷る。
「お前、あいつと面識あったのか?あいつは、お前に何をしたんだ」
  一応聞いてみたが、目の前の男は空いたコップを見詰めるだけで何も答えなかった。
  仕方ない。
  ガキの頃から何かと巧く立ち回る男だが、よりデカイ存在に喰ってかかって敗れたのだろう。
「お前は、あの男と親交があるからな。国内に居ないことを伝えておこうと思った」
「そうかよ」
  応えた声が至って普通の声なのは、件の男の危うさを前から知っていたこともあるし、この閻魔が理由無く横暴な真似をする男でもないことを知っているからでもあるだろう。
  それでも悔しさは抜けきらないので、やれやれ、と大袈裟な声を上げてやった。
「せっかく上達してきたってのに。誰が俺の相手してくれるんだよ」
  駒を弄りながら言ってやると、目の前の男は一言「すまん」と呟いた。
「お前。次来るときまでに将棋を覚えて俺の相手をしろよ。あぁ、その時には酒を忘れるな」
  ニヤニヤ笑ってやると、閻魔はむすりと顔を歪めて、数日後には上等の酒を持ってくると言った。
  ニヤニヤ笑いを深めて、「将棋の相手は?」と聞くと、それは他を当たれと返される。
「仕方ない。お嬢さんに頼み込むかぁ」
  呟くと、「止めておいた方がいい」と珍しく忠告された。
「本気の夕弦を倒す自信と双子の口攻撃を撃退する精神力があるなら、止めはせんが」
  それは是非止めておこう。
  俺は即決した。
「三年前ならともかく、今の夕弦と真面に打ち合えるとは思えん」
  そうか?と閻魔は小首を傾げた。
「双子に口で勝るまで耐えることを思えば、夕弦と闘うのは苦でもないが」
  二人とも手強いぞ、と会ったこともない子ども二人のことを言われ、解った解ったと俺は頷いた。
「お前も、もう少し鍛練をすると良い」
  打ち合いなら付き合おうと珍しく笑う元同僚に、俺はぞくりと背筋に悪寒を感じた。

  どうせ暫く相手が居ないのなら、仕方ない。
  素振りでもしておかないと、夕弦の前に閻魔の試し斬りに殺られかねん。

  閻魔の後ろ姿を見送ると、明朝に備えてそそくさと後片付けをした。
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