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番外編

二人で迎える誕生日

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  最近思うのは、私は自分の誕生日をあまり祝われ慣れていなかったんだな、ということ。
  もちろんお姉ちゃんには毎年お祝いしてもらってたし知佳ちゃんにもおめでとうと言ってもらってたけど、なんとなくちょっとだけ豪華な春休みの一日という感覚が大きいと思う。
  そう、誕生日が奇しくも春休み中に過ぎてしまうというのが一因だと思う。学校があるときに誕生日を迎える人は、
「そういえば昨日誕生日」
「マジで?おめでとう」
みたいな軽い会話でも誕生日を迎えたことをアピールできるわけで。特別にパーティーなんて開かなくても、いつの間にか誕生日過ぎてた、と認識されるかどうかの私よりはるかにマシなはず。
  十七年近く生きてきた上での実感だから、そんなに間違いでもないと思うんだけど。
  そういえば、夏休み中に誕生日を迎える人はそこのとこどうなんだろう?
  学校始まったら、ぜひ聞いてみなくては。


「………ということを毎年今頃の時季は考えてる気がするんですよ」
  知佳ちゃんには毎年呆れられてる話に呆れるでも笑うでもなく、先輩はそうかと頷き様にヘタを取ったイチゴを丸ごと口に放りこんだ。
  ただいまイチゴ狩りの真っ最中です。
  狩りという言葉の響きと農園のおじさんの説明からするともう少し一生懸命食べなくてはいけないような気もするけど、大きなイチゴを立て続けに食べるのはけっこう大変で、意外にたくさん食べられなかったりする。果物だけでお腹いっぱいなんて、初めての経験に少し感動するけど、せっかくのイチゴだからもう少し食べたい。
  食べ放題スタートの合図で張り切ってノルマの五粒は食べたけど、その後はゆっくりお喋りしながらたまにイチゴを食べている。場所がイチゴのビニールハウスになっただけで、いつものお散歩と雰囲気あまり変わってないかも。
  朝の早い時間に来たから他にお客さんもいなくて私たちの貸し切り状態みたいになってるから、よけいのんびりしてしまうのかも。
  先輩は私の話を聞きながらもずっと手と口を動かしているけど、背が高いからいちいちイチゴを採るのも大変そう………そうだっ。
「先輩、はい」
  見つけた赤いイチゴを摘んで先輩に差し出す。
  私はもうそんなにたくさん食べられないけど、手は空いてるからイチゴを摘めばいい。先輩はまだまだ食べられそうだけど、イチゴを摘む度に屈んでたら腰が痛くなっちゃう。
  だったら私が採って先輩に食べてもらえば良いよね。適材適所だよ!
  差し出されたイチゴを目を見開いて見た先輩は、フッと破顔した。
「ありがとう」
  そして、つと顔を寄せるとそのままパクリと食べた。私の手から、直接。
「ふぇっ!?」
「うん。甘くて旨い」
  固まる私に構わずイチゴを堪能して満足そうに頷いた先輩は、サッと次のイチゴを摘んだ。
  流れるような動きで口に入れると、今度は少し眉を寄せて小さく唸った。
「これは、まだ早かったか」
  酸っぱかったらしい。
  先輩の目線ではイチゴの状態を確認するのも一苦労なのかもしれない。
  手探りでイチゴを探しながら、先輩は私を振り返った。
「結香。甘いイチゴが食べたい。探してくれ」
「へ?あ、はいっ」
  珍しく先輩から頼まれたんだから、固まってる場合じゃない。
  急いで見渡してうんと赤いイチゴを見つけた。でも今日見た中では小さい方かも。
「ありました、けど、小さいですよ?」
  うん、とこくんと頷く動きがちょっと可愛い。
  自分より背の高い男の人に対して可愛いはおかしいよね、と思っているうちに、足早に近づいた先輩にまたイチゴを食べられた。
  今度は、指先までパクリと咥えられた。
「~~~~~っ!!?」
  声も出ずに再び固まる私の前で、あっという間に嚥下した先輩は満足そうに頷いた。
「ついヘタまで飲んでしまった。でも、甘いな」
  次も甘いイチゴが食べたいと催促される。
「結香。頼む」
  頬を摘ままれて、数回瞬きしてから解りましたと少し後ろに下がった。
  距離を取ろうとする私を、先輩は咎めないけどどこか楽しそうに見詰めている。
  二回もあーんをしてしまった恥ずかしさと肉食獣のような目付きに歩く足が強張る。

  おかしいよ?さっきまでのんびりまったりイチゴを楽しんでたよね?
  狩りっていってるのにまったりしちゃって、おじさんごめんなさい。くらいののんびりモードだったよね?
  なんでいきなりこんな心臓がバクバクいってるんだろう?
  そもそも、先輩があーんしちゃうから!
  美味しそうなイチゴ見つけたから食べてくださいねっていう親切な思いつきだったのに!
  あーんするから、一気にドキドキしちゃったじゃないですか!

「転ばないように、気を付けろよ」
  私の動揺と関係のない忠告をする先輩をついキッ!と睨むと、先輩は変わらず私を見詰めていた。やっぱりその目はやたら色っぽくてどこか楽しそうに私を見詰めていて。
「わ、かって、ますっ」
  あまりに悔しくて私は可愛いげのない返事をしてザカザカと歩き出した。

  悔しい悔しいくやしぃぃぃぃぃっ!!!
  先輩、めちゃくちゃ笑ってるよ!?
  私がドギマギしてるの見て笑ってるよ!!
  こーなったら!
  先輩がお腹いっぱいになるまでイチゴ採っちゃうんだから!
  甘くて、おっきなおっきなイチゴを!

  闘志を燃やした私は理想のイチゴを求めてビニールハウスの中を探索し始めたのでした。


  制限時間が終わってビニールハウスから出ると、少し冷やっとした空気が心地よくて大きく深呼吸した。
  練乳入りのカップがついたトレイを回収しながら感想を聞いたおじさんに先輩はごちそうさまでしたと頭を下げた。
「甘くて美味しかったです」
「それは良かった。今年はもうだいぶ客が入った後だから、イチゴが見付かりにくかったのではないですか?」
  おじさんが申し訳なさそうに小首を傾げた。
  いえ、と首を振った先輩がぽふっと私の頭に手を置いた。
「彼女が一生懸命歩き回ってイチゴを探してくれたので、思う存分頂きました」
  トレイから溢れるほど積まれたヘタの山がその言葉を証明している。
  おじさんにお礼を言って農園を出た。


  隣を歩く先輩をチラリと見上げる。
  まっすぐ前を見て私の歩調に併せて歩く先輩はすっかりいつもの先輩で、さっきとのギャップにちょっとクラクラする。
「結香。どうした?」
  見ていたことに気づかれてしまった。
  慌てて首を横に振ると、フ、と先輩は微笑む。
「流石にまだ腹は空いてないだろう?」
  今度は首を縦に振る。
  軽くだけど朝ごはんも食べたし、イチゴもたくさん食べたから食べ物も飲み物もしばらくはいらない。
  そうかと先輩は頷くと繋いだ手を優しく引いた。


  歩きで移動して連れてきてもらったのは一軒の建物だった。
  周りは普通に人が暮らしている家が並ぶ中に立っているその建物は、デザインに拘った家のようにも見える。ムーミンの家をちょっと縮めて色を黒くしたら、こんな感じになると思う。
  周りの家と雰囲気が違うその建物の入り口には、小さな看板が立っていて、そこが住宅じゃない証になっていた。
  美術館なんだそうだ。と先輩がポツリと言った。規模は小さいけど毎回とても素敵な企画を見せてくれると人づてに聞いたみたい。
  建物も可愛いし、そんな評判を聞くとますます楽しみになってくる。
  期待でへにゃっと崩れた顔を見たのか、破顔した先輩は入るかと一言言って私の手を引いた。


  私たちが見たのは、キリスト教に纏わる展示だった。静まり返った空間の中で見る絵は、鉛筆だけで描いたとは思えないくらい迫力があった。
  私たちの他にお客さんがいないけど、感嘆の息さえも遠慮しなければいけないような雰囲気だった。うっかり変な音を漏らさないように、空いてる手を口に当てて一枚一枚ゆっくり見た。
  入り口で画集を買って建物を出ると、思わずぶはぁっと大きく深呼吸をした。
「怖くなかったか?」
  地獄とか悪魔の絵はまた迫力があったので、先輩が気づかうように目をすがめた。
「大丈夫ですよ?すごかったですね。キリスト教とか失楽園とかもっと詳しければ、もっと理解できたと思うんですけど」
  少し勉強してから画集を見れば、もう少しちゃんとした感想も言えるかもしれない。
「あ。画集、ありがとうございました」
  建物の中では声を抑えていたのでお礼が遅くなってしまった。
  いや、と首を振った先輩は安心したように破顔して頭を撫でてくれた。


  次の行き先なんだが、と先輩が言ったのは少しドライブをして遅めのお昼ご飯をとっているときだった。
「二通りですか?」
  スプーンに息を吹きかけるのを中断して聞くと、ナポリタンを巻き巻きしながら先輩がこくんと頷いた。
「別の美術館か、博物館かなんだが」
  美術館といってもトリックアートの美術館だから、見るというより遊ぶカンジらしい。
  博物館は、と説明しかけた先輩はフォークを置くとスマホを出してこれだ、と見せてくれた。
  写真を見た私はつい、おぉぉ、と女子っぽくない声を出してしまった。
「すごいですね。時代劇っぽいです」
  古墳や重要文化財の建物を見るのも楽しそうだけど、お煎餅とかほうじ茶とか作る体験もできるらしい。
  ものすごく楽しそうだけど、スマホを返しながら首を傾げた。
「のんびり見てて大丈夫ですかね?チェックインの時間に間に合いますか?」
  せっかくだからゆっくり楽しみたいけど、チェックインの時間に遅れたら予約キャンセルとかになっちゃわないか心配になった。自分でホテルの予約とかとったことないから、こういうとき頭が回らなくて情けない。
  私の目をじっと見詰めた先輩が、チェックインは三時だと教えてくれる。
  今は二時少し前。やっぱり廻るには時間が足りないかも。
「それなら、ドライブしながらホテルに向かうことにしませんか?トリックアートもその博物館もすごく面白そうだから、時間のあるときにゆっくり廻りたいです」
「それは、いいんだが」
  先輩は少し眉を寄せて私を見詰めている。
  どうしたんだろう?と首を傾げてその目を見つめ返すと、首を触りながら小さく咳払いをした。
「いいのか?」
「?何がですか?」
  一言で聞かれても何がいいのか解らないのでさらに首を傾けると、先輩ももう一度咳払いをする。
「本当に行って、大丈夫か?」
  そう聞き直す先輩の頬が珍しく紅い。
  きっと私の頬だって真っ赤になってる。でも、心臓はバクバクと動いているけど心は驚くほど落ち着いていた。
  考えてみれば、驚く理由がそもそもないのかもしれない。
  だって。
「今日行けるように、先輩がお姉ちゃんに用意を頼んだんじゃないですか」
「…………………………そうだが」
  頬を膨らませてむくれる私に、先輩は気まずそうに首を掻いた。

  お母さんは先輩のことをすごく気に入ってるから、お出掛けの帰りが少し遅くなっても小言は言わない。夕ごはんを外で食べると電話をしても「え。さっき夕弦くんから電話もらったからいーのに」と言われることもしばしば。
  先輩が毎回マメに連絡してくれるからお母さんも安心して、お出掛けしていいよと言ってくれる。
  でも、さすがにお泊まりまで簡単にOK出してくれるとは思えない。それに、こんなときくらい自分から許可をもらうべきだと覚悟して申し出たのだけど。
「へ?あぁ、あれね。聞いてるから大丈夫よ?」
「へっ?」
  夕ごはん外で食べてから帰ると電話したときとまったく同じ返しに、私の目は絶対点になったはず。
「きっ!きききぃてるって、誰にっ???」
  焦った私が腕にしがみついても、お母さんは「結香ったらキツツキみたい」と暢気に笑ってる。
  キツツキはたぶん、キキキとは鳴かないと思う。
  けど、それは今はどうでもよくて。
「先輩っ?先輩がお母さんに言ったの?お泊まりで温泉行きますって!??」
  か、彼氏がか、彼女の親に外泊の許可を取るってどうなの?普通なの?無断外泊はダメだけど!
  混乱する私の前で、お母さんは暢気にコントローラーを弄っている。
「うふふ、さすが声だけでも素敵だわぁ。ヒデ様のためにこのゲームは頑張ってクリアを目指すわ!」
  ダメだ。お母さんはゲームに夢中で聞いてない。
  脱力する私をお姉ちゃんが呼んだ。
「お姉ちゃん、あのね」
「結香、トートバッグ出して」
  フラフラと歩み寄って切り出した声とお姉ちゃんがバッグ頂戴と手を出しながら切り出す声が、見事に重なった。
  へ?と呆けた声をあげて首を傾げる私に、お姉ちゃんは同じトーンでもう一度繰り返した。
  唐突だから驚いてしまったけど、貸してってことなのかな。お姉ちゃんが私の物を借りるなんて、珍しいな。
  そんなことをぼぉっと思いながら部屋に入ってトートバッグを取り出す。
  一緒に部屋まで入ってきてたお姉ちゃんにはいと渡すと、ありがと、と受け取って私のタンスを開けた。
「お、お姉ちゃん?それ、私のタンスなんだけど」
「そうね」
  短く答えてお姉ちゃんは私の服を手早くだけど丁寧に取り出す。
  取り出したあとも綺麗に畳まれた状態なのは、さすがアパレルの仕事をしているだけあるなぁと思うけど。
「あの、私の服だとお姉ちゃんには小さすぎると思うんだけど」
  大きめの服をダボッと着るのが流行ってるんだって。
  そんなことを言いながらたまにお姉ちゃんは自分のトップスを私に着せてくれる。
  でも、逆はあまりない。だって小さい服を着たら苦しいだけだから。
「こんな感じかしら。大丈夫だと思うけど、厚手のカーディガンを入れておきましょう」
  私の困惑に構わず服を選び出したお姉ちゃんは、さてと、と小さくかけ声をかけながらとある引き出しに手をかけーーーーー
「そっ!そこはダメっっっ」
  私の悲鳴に構わず引き出しを開けたお姉ちゃんは真面目な表情でうーんと唸った。
「あたしとしてはこれかこっちなんだけど………結香はどっちがお気に入り?」
  混乱続きで返事もまともにできなくなった私を見てお姉ちゃんは、ま、いっか。と両方出して引き出しを閉めた。
「下着は多目に用意した方が良いしね。夕弦くんがどのタイミングでどれだけ盛るか解らないし」
「ぅぇえっっっ!!?」
  最後の一言に珍妙な悲鳴をあげる私を、お姉ちゃんは振り返ってあっさり言い放った。
「夕弦くんに頼まれたから用意してるのよ。結香に任せてたら、またしおり作るとか言い出すでしょ」
「!!!!???」
  衝撃の告白に身体がピシリと固まった。
  つまり、先輩が外泊の許可を取ったのはお姉ちゃんで。お姉ちゃんがお母さんに話して。

  ………家族公認でかか、彼氏とお泊まりしに行く私ってどーなの!!?
  友だちの話ではもっとこう、彼氏と関係を深めたいけど親との関係も悪くしたくない、とか理解してもらいたい、とかそんな悩みだったよ?
  ………ちょっと待って?
  先輩。無理強いしないって言ってたけど、なんか逃げる暇がないですよ、そもそも!

  石化したまま心の中で悲鳴をあげ続ける私の前で、お姉ちゃんは淡々と荷物を作ったのでした。


「つまり、今日家に帰ったら。その、結局バレていろいろ言われるわけですよ、いろいろ」
  他のお客さんや店員さんに聞かれるわけにいかないから曖昧な説明だったけど、先輩が先にお姉ちゃんに宣言したことに驚いたことを伝えたい気持ちはちょっぴりあって。
  恥ずかしさのあまり責めるような口調になってしまうけど、先輩は神妙に頷いた。
「すまん」
  そのこくんと動く首やポツリと落とされる謝罪の言葉が可愛く思えてしまって、結局最後まで怒るなんてできない。
  実際、自分で外泊の許可を上手く取れるとも思えないし、服の用意だってまともにできなかっただろうから、前もって説明してくれた先輩に感謝する気持ちもある。
  いいですけど、と可愛いげのない言い方になってしまったけど。
「なので。行きます」
  そう言った顔はきっと真っ赤にブスくれてるのに、先輩は目元をうっすら紅くした顔を嬉しそうに弛めて、ありがとうと言った。
「じゃあ、行こう。でも、無理はするなよ」
  そんなことを言う目が、愛しさと欲情の他に気づかいや動揺も含んでいて、その目に見詰められている私の心臓もぎゅうっと縮んだ。
「早く、食べて、行きましょう?」
  湯気がおさまったグラタンを睨みながらスプーンをグッと握りしめる。
  あぁ、と答える先輩の声が嬉しそうで期待に満ちているようで。
  心臓がもっと縮みそうだから、せかせかとスプーンを動かした。


  運転席の先輩はいつもと同じようにまっすぐ前を見ている。
  いつもと違うのは、やっぱり私。
  いつもは気にしない姿勢を気にして座り方を直してみたり、隣の様子を気にしてみたり、無駄に一生懸命窓の外を見たり。
  こういうとき上手にお喋りできればいいのに。
  明るくて場が盛り上がるような、それでいてバカっぽくない話題………と考えるとぜんぜん思いつかなくて、自分にがっかりしていると視界に見慣れない物が通り過ぎた。
「?たけ?」
  瞬きして出た一人言に、うん、と先輩は頷いた。
「もうすぐ着く。疲れたか?」
「だっ、大丈夫です」
  ずっと黙っていたから疲れてると勘違いさせてしまったみたい。
  慌てて首を振ると、そうかと頷いた先輩がふ、と微笑んだ。


  あんぐりと口を開けて周りを見渡している私を隣に置いたまま、先輩は淡々とチェックインを済ませた。
  竹林を進んだ先にあったのは、なんとも洗練された和モダンな旅館でした。竹林に囲まれた中にひょっこりあるお宿は、家と同じ県内とは思えないくらい非日常的で受け付けに立つだけでドキドキする。
「先輩、大丈夫ですか?」
  目の前に受け付けの人がいるので具体的に何が大丈夫なのかは聞けなかった。本当にこんな立派なお宿に泊まるのか、お財布は大丈夫なのか、などなど。
  先輩は訝しげに少し首を傾げてから、安心しろ、と頷いた。
「もうチェックインの手続きは終わったから、中に入れるぞ」
「それは手早く済んで良かったです………じゃなくてですね、私が言いたいのは」
  さすが先輩!手慣れてるなぁ、大人だなぁと一瞬見惚れたけど、慌てて首を振る。
  そんな落ち着きのない私の頭を先輩が撫でていると、仲居さんにクスクス笑われた。
「可愛らしいですねぇ。カップルですか?」
「かっ!!?」
「はい」
  奇声をあげて固まる私とあっさり頷く先輩を見て、仲居さんはさらに笑った。そして、部屋に案内する前に、今日使う浴衣を選ぶよう言った。
  自分で浴衣を選べるサービスは珍しくなくなったみたいだけど、私は初めてなので動揺していたのも忘れるくらいワクワクしてしまう。
  色鮮やかな浴衣に悩んでいると横からこれが良いと大きな手が伸びた。
「結香には、これが似合う」
  仲居さんがそちらで宜しいですか?と問うように小首を傾げるのに、お願いします、と頷いた。
「先輩、ありがとうございます」
  決めてくれてありがとうと言うと、先輩はうんと微笑んだ。
  お返しに先輩の浴衣は私が選びたかったのだけど、先輩はもう指定した浴衣を仲居さんに渡していた。
「ズルいです、先輩」
  声の大きさには気をつけていたつもりだけど、大した距離もないので先導していた仲居さんにはしっかり聞こえていたらしい。
  クスクス笑われてしまって肩を竦めると、先輩は苦笑しながら、ごめん、と言った。
「だが、選ぶにしても何枚も無かったから楽しくなかったと思うぞ」
「そんなことないですよ」
  元々男性用の浴衣の色や柄があまり種類がなくて、しかも先輩みたいに背が高い人が着るサイズの浴衣となるともっと限られてしまうのかもしれないけど。
  先輩が浴衣を着るなんて初めてだもん。せっかくなら私が選んだ浴衣を着てほしかった。
「じゃあ、今度は私に浴衣を選ばせてくださいね?」
  今日はもう選んじゃったからせめて今度は、とお願いしてみると、先輩は目を丸くして私の顔を見た。
「え?ダメですか?私、ファッションセンスに自信があるわけじゃないけど、さっきみたいに選ぶ形ならちゃんと選べると思うんですけど」
  フルコーデを考えろとかに比べたら、三種類の浴衣から一枚選ぶくらい難易度はずっと低いと思うんだけど、任せてもらえないのかな?
  じっと見上げると、少し視線を彷徨わせた先輩が小さく咳払いをした。
「………あぁ、いいけど………いいのか?」
  む。やっぱり私のファッションセンスを疑っているらしい。
「私だって、浴衣の柄ちゃんと選べます」
「うん、それはいいんだが」
  むーっと頬を膨らませると先輩はふ、と破顔して、解った、とやっと言ってくれた。
「じゃあ、次の機会には頼むな」
「はい!任せてください!」
  握りこぶしを軽く振ってみせると、先輩は嬉しそうに私の頭を撫でた。


「~~~っ、すごいっ!雰囲気あるっ!」
  感動のままに言い放ってしまってから、自分の声の大きさに驚いて今さらながら口を押さえた。
  笑い声でありがとうございますと言いながら、仲居さんはお茶を淹れてくれた。そして一通りの説明をしてから、丁寧に頭を下げて部屋を出ていった。
  たん、と障子が閉まり、かちゃん、とドアが閉まってオートロックが落ちる音がしたきり、部屋のなかはしんと静まり返る。
  さっきまでののんびりワクワクはしゃいだ空気が一気に消えて、私は窓を背にして立ち尽くしたまま両の手を軽く握って固まった。
「結香」
「ひゃいっ」
  ムダに大きな声とか裏返ってしかも噛んだ返事とかをスルーして、先輩は私に向かって手招きした。
「せっかく淹れてもらったんだ。温かいうちに飲もう」
「へ?あ、そですね。お菓子食べないと」
  先輩の向かいに座って湯飲みを確認する。湯気がまだはっきり見えるから、私はまだ熱くて飲めないな、とお菓子入れの蓋を開けた。
「わ、やった、栗きんつばだ」
  はい、と私が渡したお菓子を見詰めて、先輩はふ、と破顔した。
「そういえば、温泉の前にはお菓子を食べろと言うな。でも、どうしてだっけ?」
  珍しく先輩が首を捻っている。
  先輩でも知らないことってあるんだ。当たり前かもしれないけど、なんか新鮮。
「どうしてでしたっけ………知佳ちゃんに毎回説明してもらうんですけど………思い出せないです………」
  そして私の残念っぷりは今日も安定。
  毎回細かく説明されるんだけど、温泉なんて滅多に行かないから忘れちゃうんだよね。
「とにかく!温泉に入る前にはお茶とお菓子を忘れちゃ駄目なの!」
  最終的にはそう力説する知佳ちゃんに何度も解ったと頷いて、やっと許してもらえる。
  同意するように、先輩は頷いた。
「とりあえず、忘れてないんだからいいんじゃないか」
  そう言って一口で栗きんつばを食べてしまった。
  特別大きいわけでもないけど、私は一口で食べるなんてできない。こういうところで、先輩は男の人なんだなぁと改めて思う。


  お風呂の支度を持って廊下をしずしずと歩く。
  日が落ちてきて間接照明に照らされた廊下はすごく幻想的で、自然と言葉が少なくなって歩き方もお淑やかになる。
  ふと、大きな生け花越しの窓の向こうに黒々と続く竹林が見えて、ほぅっとため息をついた。
  色違いの暖簾の前で、先輩は私の手を離した。
  近くの休憩スペースで落ち合おうと言われたけど、たぶん先輩の方がすぐお風呂から上がってしまう。待たせて湯冷めさせてしまっては申し訳ない。
「先輩、先に部屋に戻っててください」
  そう言うと、先輩は訝しげに小首を傾げた。
「一人で戻れないだろう?」
「う」
  戻れますよ!と言いたいけど、部屋からここまでだいぶ歩いた気がするし、綺麗な廊下はどこまで行っても同じ景色。
  ………絶対迷うよ。先輩が言い切っちゃってることがちょっと気になるけど、絶対、私迷子になるよ………
  固まって視線を彷徨わせた私の頭に先輩が手を乗せて軽く撫でた。
「あそこで待ってるから。気にしないでしっかり浸かって来いよ」
「うぅ………はい」
  頷いてあとで、と手を振って脱衣場の扉を引いた。


  髪と身体を洗って、湯槽に浸かる。
  つい、はぁぁっと息を洩らしていると、こんにちは、と少し離れて座っていたお姉さんたちに声をかけられた。
「あ、こんにちは。お邪魔します」
  言ってしまってから挨拶として正しいのか心の中で首を傾げたけど、温泉でほっこりしているからかお姉さんたちは笑顔で流してくれた。
「ね、あなた、彼と一緒に来てる娘よね?あ、お喋りしても平気?」
「は、はい」
  こくこく頷くとお姉さんたちはお湯のなかをついとこちらに寄ってきた。
  お姉さんたちも今日チェックインして、受け付けで私たちを見かけたらしい。
「お姉さんたちは、OLさんですか?」
  そうよと頷くお姉さんとちょっと違うけど、と小首を傾げるお姉さんに分かれた。
  みんな同じ会社に勤めているけど、事務系の人もいれば技術系の人もいるらしい。
  私は科学や物理が苦手だから、それを仕事にしてるなんてすごいな、と言うとお姉さんは照れたように笑った。
「好きなことやってるだけだから、すごくもないのよ」
「そう。好きなことでも仕事でやってるといろいろストレスも溜まるから、こうして豪遊して発散してるってワケ」
  豪遊、の一言に気になっていたことを聞いてみる。
  あの、と口に片手を添えると、ナニナニ?とお姉さんたちは身体を寄せてくる。豊かな胸がちょっと羨ましい。
「ここって、やっぱりお高いんですか?」
  初対面の人に、しかもお風呂でお金の話なんて非常識かなと思ったけど、お姉さんたちはぱちくりと瞬きをしただけで、そりゃあね、とあっさり頷いた。
「私たちもいろいろ調べてそれなりに値段抑えたつもりだけど、やっぱりお安くはないわよ」
「そ、そうですよね」
  肩を落とすと、とりなすように、でもね?と続けられる。
「ここってかなり昔からある旅館で、今に合わせてリノベーションとかしてるらしいの。それ考えたら、高額過ぎるってこともないかなと思うの」
「そうよ。ご飯も美味しいらしいし」
  お姉さんたちは遠方から慰安で来たと言う。
  貴女も?と聞かれ、首を振った。
「いえ。私は家は県内なんですけど。ここからはちょっと離れてて、あの、私の誕生日で」
  あ、そうなの!とはしゃいだ声で祝われた。
「おめでとう。いくつ?」
「ありがとうございます。十七になります」
  高校生かぁ、良いなぁっと言われ、よく解らないけどちょっと恥ずかしくなった。
「彼は?社会人?」
「いえ。大学生です」
  なんで先輩のことを社会人だと思ったのかな、と首を傾げる私の周りで、お姉さんたちはへぇぇっと声をあげた。
「彼氏、頑張るねぇ」
「貴女も頑張ってね」
「は、はい。ありがとうございます?」
  肩を叩かれよく解らないままお礼を言うと、そろそろ上がらないとのぼせちゃう、とお姉さんたちが身体を引いた。
「それじゃあね。お喋りしてくれて、ありがとう」
「あ、はい。ありがとうございました」
  湯槽にくっつかない程度に頭を下げて手を振ると、手を振り返してくれたお姉さんたちは楽しそうに上がっていった。

  何を、頑張るんだろう?

  一人残った私は首を傾げながらぽけっと遠くに見える夕暮れ時の景色を眺め、のぼせないうちにと慌てて上がった。


  待ち合わせをしていたことを思い出してできるだけ手早く着替えて休憩スペースに行くと、やっぱり先輩はソファーに座って何かの雑誌を捲っていた。
「先輩、すみません。お待たせしましたっ」
  顔を上げた先輩の目がよけいに艶っぽくて息をのんだ。
「焦ることはない。走ったら、せっかく汗を流したのにまた汗をかくぞ」
「え!??」
  ぱっと首を触って確認する私を見て、先輩はふっと笑う。
  うぅ…また、からかわれた?
  悔しさで固まる私にサッと近寄ると、先輩は私の髪の中に指を潜らせた。
「ちゃんと、渇かしたか?」
「渇かしました、よ」
  聞いておきながら指先で私の頭を撫でて確かめる。微笑みを浮かべたまま、少し膨らんだ私の頬を指先で軽く押した。
「そう怒るな。良いもの買うから」
  何ですかと首を傾げる私の手を引いて、先輩は自動販売機の前まで連れていった。
  見慣れた自動販売機とは違う商品に瞬きをする。
「飲める温泉?」
「そう。飲むか?」
  興味のままに頷くと、すぐにお金を入れてボタンを押す。
  ガコンと落ちてきた瓶の口を開けて一口飲んでみる。
「冷たい水、だろ?」
  首を傾げて成分表を見ようと瓶を持ち上げた私を見て先輩が面白そうに言った。
「またからかいました?」
  ちょっと頬を膨らませて聞くと、違うと首を振る。
「俺も気になって飲んでみたんだ。だが、やはり水だと思って、結香にも飲ませてみようと思ったんだ」
  風呂の後の水分補給は必要だろう?と言われてしまってはこれ以上怒るに怒れず。
  こくこくと飲み終わった瓶を瓶ケースに入れて、先輩と手を繋いで静まり返った廊下を歩いて戻った。


  珍しく廊下がガヤガヤしてるかな、と見回しながら歩いていると「進藤様」と前から声がした。
「お帰りなさいませ。夕食をお持ちしましたが、配膳しても宜しいでしょうか?」
  先輩が私を振り返って首を傾げる。
  頷いてみせると、先輩は仲居さんに向き直ってお願いします、と言った。
「それでは、失礼致します。宜しければ、広縁でお待ちください」
  廊下には配膳のワゴンがあるし、勝手も解らないまま立っていても作業の邪魔になってしまう。
  仲居さんの言葉に甘えて先に部屋の奥に入って椅子に座った。
  てきぱきと食器や料理を並べていく仲居さんたちを見ていると、温泉はどうだったと先輩に声をかけられた。
「すごく、気持ち良かったです。先輩も、ちゃんと浸かれましたか?」
  あぁ、と先輩は柔らかい表情で頷く。
「一人で、寂しくなかったか?」
「寂しくなかったですよ。OLのお姉さんとお喋りしてましたから」
  不思議そうに首を傾げた先輩に説明しようと口を開きかけたところで、準備ができたと仲居さんに呼ばれた。
  料理の前に座り直すと料理の説明をしてくれる。今目の前に並んでいるのは前菜とお刺身だけらしいけど、二人分といっても広い座卓いっぱいに並べられている料理にクラクラした。
  本当はお品書きの順番に仲居さんが料理を運んでくれるそうだけど、私たちはまだ未成年で当然お酒も飲まない。最後のデザートを除いて、温かい料理とご飯、お椀を一度に運んでもいいかと聞かれ、お願いしますと頷いた。
  失礼致しました、と障子が閉まる。
  じゃ、と先輩につられてジュースが入ったグラスを持ち上げた。
「結香、誕生日おめでとう」
「ありがとうございます」
  袖に気をつけながらグラスを持ち上げると、先輩が袖を捲った腕を伸ばして私のグラスに軽く当てた。
  小さく軽やかな音が鳴る一瞬、最近は服に覆われて見えない筋肉がついた腕に見惚れる。
「どうした?」
  訝しげに首を傾げる先輩に、慌てて首を横に振る。
「このあともたくさんあるからな。無理しない程度にしっかり食べろよ」
「は、はい」
  二人で手を合わせると、綺麗に盛り付けられた前菜の器に手を添えた。
  申し訳ないことに料理の説明はすっかり忘れてしまったのだけど、美味しいね、と言い合いながらうんと豪華なご飯を二人でのんびり食べた。


  お食事はいかがでしたか、と仲居さんが聞くので、すごく美味しかったです、と当たり前のことしか言えなかったけど答えた。
  食リポが拙い芸人さんやアナウンサーさんを笑えないな。
  量は大丈夫だったか聞かれたので、そこは自信を持って大丈夫と言えた。
「先輩がいるので。大丈夫です!」
  形良く焼かれた魚もすごく柔らかく煮たお肉も、長さを計りたくなっちゃうような天ぷらも、先輩がたくさん食べてくれたので最後のデザートまでちゃんと食べれた。
  先輩はお櫃の筍ご飯もほとんど一人で食べたのにケロリとしている。
  お腹いっぱいの私はちょっと足を崩して息をつきながらお腹を擦っているけど、先輩は食べ始める前と変わらず凛と座っている。
「そうですか。それは、それは」
  そんな対称的な私たちが面白いのか、仲居さんはクスクスと笑って、頃合いをみて布団の用意をすると告げて出ていった。
「大丈夫か?」
  心配してくれる先輩に、うーぅ、とどっちとも解らない唸り声で返してしまった。
「ちょっと、横になっても良いですか?」
  行儀は悪いけどそうした方が楽だと聞いてみると、先輩は気にするなというように先に座卓の向こうでごろりと横になった。
  私も横向きに寝転がって軽く目を閉じる。
  満腹感が少し落ち着くと、温泉で綻んだ身体とぽかぽかの部屋に気持ちが緩んで、なんだか眠たくなってくる。
  うぅぅと唸りながら身体を起こして目を擦った。
「起きて大丈夫なのか?」
「はい。満腹なのは治ったんですけど、目を瞑ってたら眠っちゃいそうで」
  そうか、と先輩は身軽に起き上がった。
「それじゃあ、売店か庭を散歩するか?」
  竹林を見たいだろうと見透かされていて、ちょっと恥ずかしいから小さく頷いた。
「でも、すごく暗くなってるから外に出たら迷いません?」
  雰囲気作りのためか、館内は間接照明が多く、ちょっと見かけた外はほとんどしっかりした灯りは見えなかった。今の時間ならもう本当に暗くて、出たら戻ってこれないんじゃないかと不安になる。
  でも、二人分の上着を取り出しながら先輩は微笑んだ。
「任せろ」
  微笑んで手を差しのべられるので、つい片手を預けてしまった。


  サク、サク、と私たちの足音だけが響く。暗やみに目が慣れてくると、月明かりが届く地面だけがぼんやり明るく、でも見上げた空は黒い竹に覆われていて、声も息も抑えて繋いだ手をぎゅっと握った。
  先輩が痛くないくらいの強さで握り返してくれて、ホッと息をついた。
「そろそろ、戻るか」
  はい、と頷く声はあまりにもカスカスで。もう一度手をぎゅっと握った。


  部屋の真ん中にあった座卓が隅に置かれて、代わりに布団が二組鎮座していた。
  名前を呼ばれて、答えた声がきちんとしていたことに自分で安心する。
「寒かったな。お茶でも飲むか?」
  首を横に振ると、そうか、と頷いた先輩は穏やかな表情を浮かべた。
「じゃあ、寝るか?」
「え?」
「え?」
  意外な一言に首を傾げると、先輩も首を傾ける。

  あれ?ねる?
  ねるって寝るだよね?普通に睡眠?
  あれ?

  戸惑いをどう表現していいのか解らず意味なく手を握って開いてを繰り返す私を見て、あぁ、と頷いた先輩は軽く咳払いをしてから私の頭を撫でた。
「いいんだ」
「えっ………」
  思わず見詰めると、困ったように笑う先輩がいた。
「なっ、なぜです?私、私の身体がお子さま過ぎて………っ」
「違う」
  大きくはないけどはっきりした声で遮られて、息を止めた。
  宥めるように腕を擦りながら、先輩は私の顔を覗きこむ。
「俺は、結香が欲しい。触りたいと思ってる。身体がどうとかはどうでもいい。そもそも、結香を子どもだと考えたことはない」
  確認するように間近で覗きこまれて、かくかく首を振る。
  ほ、と安心したように一瞬破顔した先輩は、でも、と続けた。
「茜さんに協力してもらってここまで半ば強引に連れてきてしまったが、結香を怖がらせたり怯えさせたりはしたくない。そんな思いをさせるなら………っ?」
  一生懸命話していた先輩が戸惑った声で、結香?と呼んだ。
  強張る腕を動かして、指先に当たった先輩の浴衣を軽く引いたから。
「結香?怖いよな?布団、離すか?」
  違うと言いたい声は出なかったけど、必死に首を横に振る。
  先輩はきっとものすごく心配してくれてる。
  顔を上げて、大丈夫ですよと笑えたらいいけど、身体も顔も妙に力が入っていてぜんぜん思うように動かない。
  だから、引いた布地を握りしめた。
「こわい、は、こわい、です」
  自分の声なのになぜか遠くから聞こえる。
  うん、と優しい声で頷いてくれた先輩がじゃあと言う前に、頑張って口を動かした。
「でも、このままは、嫌です」
  小さく息をのむ音がする。
  大浴場で会ったお姉さんたちみたいに豊満な胸とか滑らかなくびれとかがあれば、ちゃんと解るようにはっきり言えるかもしれない。
  直接お願いできる自信はないから、回りくどい言葉を立て続けに紡ぐ。
「こ、ここまで来たんです。お姉ちゃんに準備してもらって、お泊まりの許可もいつの間にか出てて、びっくりはしたけど、私、自分でお母さんに行ってくるって言うつもりだったんです」
  結香、と聞こえるけど、一旦動くようになった口はなかなか止まらない。
「ずんぐりむっくりで、触りがいはないと思うんですけど。それでその、お願いするのはおこがましいとも解ってますけど。ここまで来て覚悟も決めたのに、このままっていうのは私としてもちょっとどーなん?って話でしてっ」
「結香っ」
  叫ぶように呼ばれたとたん、先輩の温もりと匂いに包まれた。
  包まれてホッと息をつく。自分の心臓が異常にドクドク鳴っていることに気づいた。
  私が大人しくなるのを待って、先輩は腕の力を弛めて 私の目を覗きこむ。
「いいのか?」
  今度は何のことか解る。
  その目は珍しく不安そうだけど、どこか期待もしているようで。
  その奥に見える肉食獣の目にゾクッと身震いする。
  はい、と答えた声が聞こえたかどうか、ちゃんと発音できたのかも解らない。
  頬を片手で包まれたと思ったとたん、長く息がつまるようなキスをされたから。

  気がついたら、布団の上だった。
  長いキスのあと、必死に口で息をしている間も先輩のキスが頬や瞼に落ちてきた。頬を包んでいた手は布越しだけど私の身体を確かめるようになぞる。
  見慣れない天井と背中に当たる柔らかい手触りに、自分が布団に寝かされているのだ、とやっと解った。
  頬は熱いのに胸元はやけに涼しい。
  何でだろ、と見下ろすときちんと締めたはずの帯が緩んでいて決して大きくはない胸がしっかり晒されていた。
  しかも、私の足を封じるように跨がった先輩がその胸をじっと見ていた。
「っっっ!!?みなっ、ぁっ!??」
  慌てて隠そうとした両手を捕まれ、頭の上で纏められると胸が先輩の目前によけいに晒される。
  下着越しとはいえ、下着だって見せるものじゃないから恥ずかしくて頬がこれでもかというくらい熱くなる。
「先輩、お願い………見ないでぇ………」
  泣き声で訴えると、大丈夫だというように前髪を払われ頬を優しく撫でられたけど。
「そんなことを言うな」
  優しい声で私の願いは拒否された。
「やっと見れたんだ。結香の身体、もっと見たい」
  そう言う顔は本当に嬉しそうで、本心なのだとキュンとしてしまった。
「で、も。胸、小さいから」
  それでもイヤイヤと首を振って言うと、そうか?と先輩は頚を傾げた。
「卑下するほど小さくはないと思うが」
「それはっ。全体的に丸いからですっ」
  恥ずかしさを隠すために叫ぶと、丸い、と呟いた先輩がなぜか嬉しそうに笑った。
「そうだな。この丸みと柔らかさは、女の身体でないと」
「ぁっーーー!」
  納得したように言いながら、先輩は下着越しに私の胸のラインを撫で、鎖骨をなぞって満足そうに微笑んだ。
  先輩が触る度に、私の身体が跳ねて声があがる。
「せんぱい、て、離して………?」
  荒い息の合間にお願いすると、胸を見詰め下着のレースをなぞりながら、どうして、と呟くように聞かれる。
「こえ、でるの、はずかし………」
  顔を上げた先輩は、さっきとはぜんぜん違う、肉食獣の目をギラリと輝かせた。
「俺は、聞きたい」
  そう言うやブラジャーのホックを外された。
「あっ」
  身体を捩った反動でできたすき間から手を差し込まれ、胸を直に触られる。
「あっ」と繰り返される自分の声に、悲鳴に近い音が混じる。
  ブラジャーはすっかり上にずらされて撫でられてない方の胸の先は先輩の口に覆われていた。
  舌が生き物のように肌を這い実を舐めてつつく。
  舌と変わらないくらい熱い手は、胸を弄ったかと思うと身体を滑り、細くもない腰を何度も擦った。
  悲鳴なのか叫びなのか解らない声をあげながら、私は何度も身体をびくつかせ、捩らせた。

  叫びすぎて頭がぼぅっとしている。
  両手はいつの間にか自由になっていたみたいだけど、力なく投げ出されている。
  きっと髪も顔もぐちゃぐちゃなのに。先輩は真剣な目付きで私をじっと見詰めたまま、とうとう口で言えない所へ手を伸ばした。
「っっ!……………あっ………」
  先輩の身体で遮られてて足を閉じることができない。なんとか片ひじをついて起き上がると、真剣な目付きの先輩と視線が絡み、少しの間見詰め合う。
「止めるか?」
  じっと見詰められたまま聞かれる。
  正直、やっぱり怖い。
  でも、ここで止めたらいけないとなんとなくだけど確信していた。
  小さくだけど、はっきり首を横に振った。
「止めない、です」
  そうかというように先輩が微笑んだ。そして、今からここを、と指先でまだ閉じられたそこを軽くつついた。
「っっっ!!?」
「解さないといけない。だから、たくさん触る。大丈夫か」
  一瞬触られただけですでに恥ずかしくて仕方なかったけど、大丈夫です、と言い切った。
「お願い、します」
  なんとか笑顔を作って言うと、先輩は一瞬目を見開いてから優しく、蕩けるような笑顔を見せた。

  何の根拠もないけど、もう大丈夫ですから、と何度か叫んだ。その度に先輩は、もう少し、と言って私の中に指を入れる。
  恥ずかしい、恥ずかしい、恥ずかしい。
  下着越しになぞられてどこか嬉しそうな声で「濡れてる」と言われたのに、「どこが?」と聞く間もないままたくさん触られた。
  いつの間にか下着は取られ、ブラジャーも外されて私だけ裸なのも恥ずかしい。
  直接見られるのも触られるのも恥ずかしいのに、舌を入れられたり吸われたりするのは本当に恥ずかしくて、たくさん叫んでしまった。
  最初はゆっくり、少しずつ抜き差ししていた指も今はなんというか、暴れている。なんだかものすごい音がしてるし、中の別々の所を掠めて私の身体を跳ねさせている。
「ひぅっ………もぉ………ゆび………いっぽん、じゃないのぉ………?」
「何本だと思う?」
  楽しそうに聞きながらも、指は休まない。
  ある所を触られると声と身体が跳ねるのを止められないから止めてとお願いすると、ここか、とよけいに触られた。
「もぉっ………もぉぉっ………いぢめないでぇ………」
  悲鳴の間に泣き声を出すと、は、と色っぽく息をつきながら「可愛い」と呟いた。
  ぐしゃぐしゃの顔が可愛いはずないのに、と思うけど、指を抜いてくれるのかな、と期待する。
  でも、中の指はそのままに親指が小さな粒を捕らえた。
  え?と瞬きをしたとたん。
  中と外から大きな波がやってきて、頭の中が真っ白になった。

  んあ、という自分の間抜けな声に情けなくなったけど、視界にぼんやり映る先輩は安心したように破顔した。
「大丈夫か」
  よく解らないうちにものすごく恥ずかしくて少し悔しい体験をした気がする。
  自分でももて余す感情を、とりあえず先輩の浴衣を引っ張って誤魔化す。
「先輩も、脱いで」
  私だけ裸で先輩はしっかり浴衣を着ていて。
  私ばかり叫んで暴れて声も枯れて涙で顔がぐしゃぐしゃなのに、先輩はいつも通り格好良いままで。
  恥ずかしいし、悔しいし、ズルい。
  重い手を動かしてクイクイと引っ張ると、一瞬目を見開いた先輩がふ、と破顔して手早く浴衣を脱いで放った。
  その手つきの鮮やかさと綺麗な身体に見惚れていると、身体を寄せて抱きしめてくれた。
  熱いくらいの体温が気持ち良くて、うっとり目を閉じる。
「もう、結香を貰っていいか?」
  我慢できないと耳元で囁かれる声が切なくて嬉しくて、へにゃ、と笑った。
「はい」
  重い腕をノロノロと上げて背中に触れる。
  肌の熱さと滑らかさが嬉しくて指先をつ、と滑らせるとひゅっと息をのむ音がして、深い深いキスをされた。
  キスが止むと体温も離れる。
  少し寂しさを感じていると、何かガサガサと音が聞こえた。
  首を動かす余力をないままぼんやりしていると、先輩の顔が見えてホッとした。
  先輩の体温を抱きしめて匂いを嗅いでいると、さっきまで舌や指で蹂躙された場所に固い何かを当てられる。
「んぁ?」
  呆けた声に行くぞ。と応えられた瞬間。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁあああっ!??」
  それまでの比でない叫び声をあげた。
  先輩が私を呼ぶ声がどこか遠くから聞こえる。
  何度も頭を撫でられ、瞬きをして涙を払う。
  目を開けると、心配そうに私を覗きこむ先輩が近くに見えた。
「痛いか?」
  聞いたのに、痛いよな、と言って私の頬を撫でる。
「ひぅ………い、たぃ………」
  泣き言を言う私に、うん、と頷いた先輩はなおも頬を撫でながら、ごめんと呟く。
「大丈夫、です。しばらくしたら、慣れますよね?そしたらもう、痛くないですよ、ね?」
  初めては痛いってこういうことなんだ。
  今は身体が割れるように痛いけど、ちょっとじっとしてたら大丈夫だよね?
  そう引きつった笑顔を浮かべた私に、先輩は軽く眉を寄せて、実は、と口を開いた。
「まだ、半分くらいなんだ」
「え」
  冗談ですよね?と目で聞くけど、先輩は無情にもふるふると首を振る。
「だから、本番はこれからというか、たぶん、今からのが痛い、と、思う」
  珍しく推測が多いのは、先輩も初めてだから仕方ないかもしれないけど。

  さっきより痛いの?
  裂ける、というかもう割れた、と思ったんだけど。
  あれより痛いの?
  それはもう、割れる、というか、砕けるよね?

  固まる私を見かねたのか、先輩がふ、と息をついて腰を引いた。中の圧迫感が少し減る。
「止めるか」
「ダメっ」
  腕に触って先輩を止める。
「でもな」
  渋る先輩を引き留めようと、勢いよく首を横に振った。
「覚悟したんですっ。そうしてほしいんですっ。ここまで大丈夫だったんだから、大丈夫なんですっ。当たって砕ければ大丈夫なんですっ」
  やけくそのように叫ぶ顔は色気も何もないけど、先輩は一瞬目を見開いただけでうんと優しく微笑んで身体が溶けるようなキスをしてくれた。

  口を離した先輩が、は、と熱い息を漏らした。
「入っ、た」
  その一言に、私も短く息をする合間に「よかった」と囁いた。
  長い長いキスの間に、少しずつ先輩が私の中に入って、やっと今こうして抱き合えてる。
  疲労感と達成感と満足と幸福に満たされて目を瞑っていると、先輩が頬やこめかみにキスをして髪を何度もすいてくれた。
  結香、と呼ばれるのに返事をすると、本当に嬉しそうな表情でキスされた。
「結香、ありがとう」
  その目が心から愛しいと言っていて、私はへにゃっと顔を崩した。
「わたし、も、うれし、いです」
  すぐ近くで微笑みあって、時おり軽いキスをする。
  そうしてしばらくキスをしてから、先輩が私の顔を覗きこんだ。
「そろそろ、動いていいか?」
  はい、と頷くと、先輩は嬉しそうに笑ってから身体を起こした。





  ◆ しかめ面は、部屋から抱っこされたから ◆

  和食と洋食どちらにする?と聞くと、結香は可愛らしく頬を膨らませたまま、パンを指差した。
「だし巻き玉子、多目に取ってきた。結香も食べるだろ?」
  言葉は無くむすっとしたままだが、こくこく頷く結香が可愛い。

  確かに昨日はがっつき過ぎた。
  そもそも触ることも断念していたのでそれを許され、更に最後までやってもいいと震えながら言い募る結香が可愛い過ぎた。
  互いに初めてだが、結香の方がより負担がかかるので念入りに解したことも原因の一つだと思う。俺の腕の中で乱れて甘い声を上げる結香に狂いそうになった。
  結香の中は温かく、一度動いてしまえばもう止めることなど出来なかった。互いに初めてとはいえ、小柄な結香に初めてで三回は自分でもやり過ぎだ、と今では反省している。
  結果的に寝たのが遅くなってしまったこと、更に寝起きの結香がまた可愛くて結局襲ってしまったことで、結香を怒らせてしまったが。
  怒ってる様子でさえ可愛い結香は、どれだけ俺を翻弄するのだろう。

  そんなことを考えながらふと見ると、結香の皿が余り減っていない。
  パンに齧りついたまま、うつらうつらしている。
  可愛いがしっかり食べさせたいので頬をつついて起こした。「はぅっ」と声を上げて慌てて周りを見渡す結香が可愛くて仕方ない。
「きちんと食べろ。車の中で寝てて良いから」
  言うと、またぷくっと紅い頬を膨らませる。
「苺みたいに甘そうな頬だな」
「ぴっ」
  昨日結香に差し出された苺を思い出して呟くと、結香が声を上げて固まった。
  結香が食べれるようにデザートでも持ってくるかと立ち上がる。
  見るとまだ固まっているので、頬をつついて少しずつでも食べるように促した。

  戻ってくると、結香は少しはにかんで出口に向かって手を振っていた。
  女性が三人、結香に向かって手を振っていた。
  首を傾げていると、俺に気付いた結香が「あ、先輩」と声をあげた。
「おかえりなさい」
  そう言って微笑む表情はいつもの結香で、もう怒っていないのかと安堵した。
  昨日風呂でお喋りをした相手らしい。
「大丈夫?って、アメ貰っちゃいました」
  エヘヘと笑う結香は可愛らしいが、相変わらず周囲の人間にいつの間にか可愛がられている彼女に小さく苦笑した。
  ただいまと言って皿を差し出すと、嬉しそうに微笑む。
  食事の続きをしながら今日の予定について相談する。
  チェックアウトは十一時。
  十時半くらいにここを出てドライブしながらゆっくり家に帰ろうかと言うと、そうしましょう、と結香は頷いて少し腰を擦る。
「食べたら、少し部屋で休もう。竹林はまた今度見に来よう」
「え」
  戸惑ったような声を上げた結香が視線の彷徨わせる。
  どうした、と聞くと、えぇと、と困惑顔で小首を傾げた。
「あの、竹林はしばらくいいかなって」
  スケッチには気に入らなかったかと思ったが、そうではないと首を振られた。
「あのですね。ちょっと、今は見ると痛くなっちゃうので」
  そう言って結香は苦笑しながら腰を擦った。
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