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番外編

にゃんにゃんイントロ、ドン!

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「にゃーにゃーにゃーにゃにゃにゃにゃにゃにゃーにゃ、にゃにゃにゃー」
  可愛いから良いものの。
  一体これはどういう状況なのか?
「にゃーにゃーにゃぁ、にゃにゃにゃにゃにゃーにゃ、にゃにゃにゃー」
  結香が気持ち良さそうに歌っている。
  ふわふわした髪の間から白い猫耳を生やして。
  リズムに合わせてか、白いしっぽは時折ピクピクと揺れる。
  結香、と呼ぶと振り返った結香が綻ぶように破顔した。「せーんぱいっ」と愛らしく跳ねながら抱き付いてきた。
  かなり珍しいが、せっかくの機会なので存分に堪能する。
  ピコピコ動く猫耳がどうにも気になって軽く触ると「ふにゃぁっ」と可愛らしく鳴いた。
「みみっ。触っちゃダメですっ」
  謝るが結香は拗ねたように頬を脹らませる。だがいつものように距離を取ろうとせず、寧ろ甘えるように寄り掛かってきた。
  一体どういう事態なんだ。俺としては嬉しい状況だからいいが。
「結香、一体どうしたんだ?」
  何が、を明確にしなかったからか。
  結香はきょとんと目を大きく丸くするだけで、また頬を脹らませる。
「誤魔化そうとしてもダメですよ。耳、すーっごくくすぐったかったんだから」
「そうか。悪かった」
  怒ってると言いながらも嬉しそうに笑って柔らかい身体を押し付けてくる。
「悪いと思ってるなら、いーっぱい撫で撫でしてください」
  催促されるとはかなり嬉しい状況だ。
  勿論と答えるなり存分に頭を撫で髪を弄る。
  腕の中で結香は気持ち良さそうに微笑んだ。
「それで、何をしていたんだ?」
  抱き締めたまま聞いてみると、結香は紅い顔で微笑みながら俺を見上げる。
「歌ってたんですよ?」
  正直な気持ちとしてはどうして歌っていたのかを知りたいのだが、結香が楽しそうなのでそうかと頷くだけに止める。
  何を思い付いたのか、そうだっと目を輝かせた結香がするりと俺の腕から逃れる。腕の力を弛めたつもりはないが、本物の猫のような動きでつい見惚れた。
「何の歌か、当ててください」
  いきますよーと声を上げると、先程のメロディをまた猫語で歌い出した。
  だいぶ前に聞いた気もするが思い出せない。
  首を捻っているうちに歌が終わり、「さあっ、何でしょーかっ」と期待に満ちた目を向けられた。
  解らないと言うと、えぇーと残念そうに肩を落とされた。
  正解は、確かにそんなメロディだったと頷けるが、結香にしてはかなり年代が違うんじゃないかと思われる選曲だった。
  意外性に目を見開く俺に構わず、仕方ないですねぇとどこか上機嫌で結香は笑った。
「次は当ててくださいね。テーマは『春』ですよ」
  歌当て問題は続くのか、と思う前に結香が「では、次の問題です」と楽しそうに宣言した。


「全然当たりませんねぇ」
  なぜか残念そうに言う結香に、そうだなと頷く。
  俺自身あまりカラオケに行かないこともあるが、猫語で歌う結香に見惚れてて正直クイズはどうでもよかったというのが原因だとは解っている。
「私……今まで自覚なかったけど、音痴なのかなぁ……あんまり行かないけど、カラオケ、聞くだけにしようかな……」
「音痴じゃない。可愛いだけだ」
  突然勘違いで悩み出した結香を急いで抱えて髪を撫でる。
  これでカラオケで歌わなくなったら、確実に茜さんの制裁が下るだろう。
  髪を撫で、音痴じゃないと何度も言い聞かせると、結香はやっと顔を上げた。
「……………本当ですか?」
  少し訝しげな目に、本当だと大きく頷いてみせた。
「もう一度歌ってくれないか?今度は当てる。春の歌だよな?」
  暫く俺を見上げたまま考え込んでいた結香だが、一つ頷くと俺から離れて立った。
  いきますよ、と落ち着いた声で合図すると高らかに歌い出した。


  正解できて良かったと心底安堵する俺の腕の中に、先程から結香は上機嫌で収まっている。ハミングしたり時折俺の胸に額を擦り付けるようにしてみたり、かなり機嫌が良いようだ。
「ふふーっ、先輩、正解おめでとうございます」
  ありがとうと答えると嬉しそうな笑い声を上げる。
「結香は、たくさん歌を知ってるんだな」
  有名とはいえ俺たちが生まれる以前に流行った歌だったり男性ボーカルの歌が多く出題されていたことに、今更驚いた。
  中でもとある男性アイドルグループの曲が何曲も入っていることに驚くと同時に妙に気になった。年齢はかなり離れているが、好きなんだろうか。
  聞いてみると少し考えただけで、そうですね、とあっさり頷いた。
「小さいときからよく歌を聞いていたし、バラエティーでもよく見るので。ドラマに出ると聞いたら初回は見ちゃいますから」
  言ってから少し物憂げな表情を浮かべた。
  最近流れた活動休止の報道のせいだろう。
  芸能界の人間相手とはいえ、やはり他の男のことを考えられるのは癪に障る。
  思い切り抱き締めると、ふにゃっ?と鳴いた。
「せんぱいっ?」
「お仕置きだ」
  自分でも理不尽かと思ったが、目を白黒させる結香を強く抱き締め、存分に触った。


  腕の力を少しだけ弛めるが、結香は顔を紅く火照らせたまま俺の胸に寄り掛かっている。
「うぅぅ……いきなり酷いですよ、先輩……」
「結香が可愛いから仕方ない」
  思ったまま即答すると、紅い顔で小さく唸る。
  その拗ね方すら可愛いので頭を撫で様猫耳に軽く触れると、にゃっと声を上げて頭を振った。
「みみっ。触っちゃダメって言ったのに、いっぱい触った!」
  紅い顔で怒っているが、あれだけ蕩けた表情を見せていたのだから説得力が無い。
「気持ち良さそうにしていたが」
  言うと首筋まで真っ赤に染まる。
「本当に嫌だったか?」
  頷かれたら謝るだけだが、結香は真っ赤な顔で悔しそうに唸るだけだった。
  触ってもいいかと聞くと白い耳がペタンと折れる。
「いっ……いきなり、いっぱいは……ビックリして、ドキドキしちゃうから……」
「ゆっくりならいいか?」
  少し潤んだ目を覗き込みながら重ねて聞くと、うぅぅと唸りながらも小さく頷いた。
  了解がとれたので指先でそっと触れる。
  ピクッと小さく耳が動いたが、結香自身は紅い顔のまま目で俺の動きを追うだけで大人しく膝の上に収まっている。
  指先から手の平へ増やし撫でる速度を少し上げても結香は嫌だと言わなかった。寧ろ表情はまた少し蕩けて、時折ふにゃと息を漏らしている。
  耳を触っていた手で後頭部を軽く押さえ、代わりに唇を耳に当てる。
  途端に「なぁぁっ」と大きく鳴いて身体を振るわせた。
「くちっ。くちだめぇっ」
  駄目と言われるが嫌がっているようには見えない。
「痛いか」
「にゃあっ。そこで喋っちゃやぁっ」
  一度唇を離して髪を撫でて落ち着かせる。
  小さく唸る結香に痛かったか聞くと少し逡巡してから微かに首を横に振った。
「そうか。痛くはないんだな」
「でもっ。いっぱいドキドキしちゃうからっ」
  言外に止めてほしいと訴える結香が可愛らしくて、思わず笑みが自然に浮かんだ。
  俺の顔を見た結香がぴっ?と可愛らしい悲鳴を上げて固まった。
「ゆっくり、触るからな。約束通り」
  どこで、をあえて言わなかったが解ったのだろう。
  大きな目を潤ませながらも「……………っ、ぁい」と幾分舌足らずに応えた。


  鳴き疲れたのか、唇を離しても結香は短い息継ぎを繰り返しながら俺の胸に凭れかかったままだった。
  とりあえず身体を抱え直して抱き込んだままじっとしていると、不意に最近の考え事を思い出した。
「結香。何か欲しい物とか行きたい場所とかあるか?」
  声をかけると「ふぁ?」と緩慢な動きで顔を上げて俺をぼんやり見上げる。
  その無防備な顔も可愛いが先程存分に愛でたばかりなので、欲を抑えて質問を繰り返した。
「ほしいもの。いきたい、とこ?」
  ぼんやりと繰り返す結香にそうだと頷く。
「何かないか?」
  結香から提案されることも少しは増えたが、基本的に行き先を決めるのは俺だ。
  結香が好きそうなものを選んでいるので一応喜ばれてはいるが、希望があるなら叶えてやりたい。
  先程とは種類が違う唸り声を上げて結香が俯いた。
「でも、もうすぐテストですよ。先輩も、準備忙しそうにしているじゃないですか。考え事すること多くなったし」
  夕食の支度をしている間等を使って頭の中で纏めているのを気付かれていたらしい。
  忙しいだろうと気遣われるのは有り難いが、だからといってバレンタインのお返しを後日に廻すのもデートを中止にするのも御免だ。
「結香だって毎日夕食を用意してくれたのとは別にプレゼントをくれただろう?俺もきちんとお礼をしたいんだ」
  だから断らないでほしいと背を擦ると同時に首筋を指先で撫でると、ふぅぅっと身体を振るわせて長い息をついた。
「わ、解りましたっ。行きますっ、お出かけっ」
「そうか。それで、何処がいい?」
  デートを受け入れたことに安堵して笑みを浮かべて聞くと、えぇと、えぇと、と再び俯いて唸る。
  暫く唸ったままなので大丈夫かと声をかけると困ったように目を潤ませて見上げてきた。
「思いつかないですよぅ。先輩、楽しいところにいっぱい連れていってくれるし、最近チェックできてないし」
  そういえば結香の試験日の方が早い。必然的にテレビや雑誌を見る時間も減るだろう。
  ホワイトデーはいつものように俺が計画して結香の希望は誕生日にするか、と考えていると結香が小さく呼んだ。
  何だと顔を見ると困った表情で躊躇いがちに口を開いた。
「食いしん坊って思われるのは嫌なんですけど」
「うん」
  思うわけがない。
  寧ろもっと食べてくれないと、抱き締めた時に潰しはしないか不安になるくらいだ。
  続きを目で促すと結香は不安そうに言い淀む。
「あの。子どもっぽいって思うかもしれないんですけど」
「大丈夫だ」
  重ねて頷くと内緒話のように身体を伸ばし様に手で口元を囲む。
  耳を寄せると、可愛らしくも魅惑的な声がぼんやりと響いた。
「あの。どうしてもこの時期に食べたくなるものがあって―――」


  男の声で名字を呼ばれ、極僅かに目を開けた。
  軽く肩を揺すぶられたような気もする。
「何だ、杉か」
  出た声が自分でも驚く程素っ気なくて、一つ息をついてから悪い、と謝る。
  幸いにも杉は、気にするな、と苦笑しただけで気を悪くした気配は無かった。
「悪いかとは思ったけどな。こんな場所で転た寝して試験前に風邪引いたら大変だろうと思ってな。余計だったか?」
「いや。助かった。ありがとう」
  軽く首と肩を回しながら辺りを見渡す。
  作業しようと学食に来た時にはちらほら居た学生も、午後の授業が始まって大分経つ為かすっかり居なくなっていた。カウンターの向こうでは、黙々と昼の片付けが進んでいる。
  意外に長く眠ってしまったようだと思いながら画面をスリープモードから切り替え、入力状態を確認する。
  一見入力ミスは無いだろうが、一応後で見直すとしよう。
「こんな所でレポートか?お前にしては珍しく追い込まれてるじゃないか」
  音を立てて前の椅子に座った杉が、やおらまじまじと俺の顔を見詰める。更には珍しく、手伝いは要るかと聞いてきた。
  心配させる内容でもないので大丈夫だと首を振った。
「これは、レポートじゃないから大丈夫だ」
「は?でもそれ、外国語だろ………あ。さっきチラッと見てアルファベットだなと思っただけで、内容なんぞ全く解らないからな。読んでないからな」
  慌てたように言葉を重ねる杉に大丈夫だと繰り返した。
「これは私用の物だから、安心しろ」
  レポートや試験に関係ないと解り明らかに安堵した様子の杉が、私用?と首を傾げた。
  杉は俺程無愛想でもないがお喋りでもないので、話したところで害は無いだろう。
  カウンターの向こうを一瞬眺めてから、少し声を落として簡単に説明した。
  途中で口こそ挟まなかったが、杉の真面目な顔は次第に驚きと困惑に歪んだ。
「あー………つまり、それ、デートの計画書ってことか?お前、いつもそんな下準備してるのか?」
  お前っぽいっちゃぽいが。と蔑視しているのか誉めているのか判断に悩むことを言う杉に、そんなに丁寧にしているわけではないと首を振る。
  いつもは、美術館の企画なりイベントなりで結香が興味を持ちそうなものをメモしているだけだ。細かく日程を組んだところで当日変更せざるを得ない場面は幾らでもあるだろうし、日程通りに進まないことを結香が気に病んでは意味が無いから。
  今回計画書まで書き上げているのは、それだけ実現させたいという俺の欲の現れだ。障害も大きいだろうし最終的に結香に受け入れられなければ仕方ないことだが、ついここまで書き上げてしまった。
  流石にそこまで説明はしなかったが、「そんなメモしてるだけ、お前どこまで必死なんだ」と杉は大きく嘆息した。
「ま。とりあえず学業に関係ないし俺が内容理解してないってことを解ってもらえすりゃいいんだけどな。でもなんだってわざわざ外国語で書いてるんだよ?」
「万が一人に見られても直ぐに内容を把握されない為だ」
  流石に私用のものを書く為に自習スペースを使うのは気が引けるので、人気の無い時間帯の学食で作業していたのだと説明すれば、「お前はそんなとこまでクソ真面目だな」と杉は嘆息した。
「試験勉強を名目に、堂々と恋バナしたり青春の一ページ繰り広げちゃってる奴等も居るんだぞ、あそこには。お前が一人真面目な面してパソコンに向かってるのを試験の準備以外だと見破るヤツなんて居やしないぞ、きっと」
  そうかもしれないが人気が少ない方がいい俺は、自習スペースでパソコンを広げるつもりは無い。
  杉も特に押し付けるつもりも無かったらしく、まぁいいんだが、と息をついて、そういえば、と話を切り替えた。
「そのチラ見した文、というか単語か。何語だ?英語じゃないよな」
  一応フランス語だと答えると杉は目を丸くした。
「お前、第二外国語は俺と同じくドイツ語だったろう?もしかしてフランス語は既に習得してたのか?お前、一応御曹司だろ?」
「ウチは親父が警察官であるだけで、普通の一般家庭だ」
  俺の言葉に、杉はそうだったよなと頭を掻いた。
「悪かった。つい、勘違いした」
  構わないと首を振ると、安堵したように破顔してからそれで、と再び聞いてきた。
「それなら、何故フランス語なんて書けるんだ」
「書けてるかは知らん。独学だ」
  は?と首を傾げる杉に簡単に説明した。
「サン=テグジュペリを知っているか?」
「あれだろ?六畳一間に足りてるかどうかすら怪しい星で薔薇を育てるか、とかそういう話だろ?」
  それがどうしたと促される。
「『星の王子様』を読んでみたんだが、今一つ理解出来なくてな。原文ならもう少し解るかもしれないと思ったんだが、授業の兼ね合いでフランス語の授業が履修出来なかったから、自分で適当に勉強してみたんだ」
  説明すればなるほどと頷くが、何故か杉は訝しげに首を傾げた。
「そもそも、なんだってそこまでして『星の王子様』を読もうなんて考えたんだよ?」
  自分で聞いておいて直ぐに、彼女かよ?と確信しているかのように聞く。
  強ち間違いでもないので頷くと、やっぱりとため息をつかれた。
「なんともお前らしいような気もするが、試験前に余裕だな」
  準備は大丈夫なのかと聞かれ頷く。
  前倒しで準備していたのでレポートは出来ているし、後は纏めたノートを記憶すればいい。
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「それはなんとも羨ましい」
  労いに肉まんを食べさせるつもりだと言うと、おいおいと顔をしかめた。
「テストの褒美がコンビニの肉まんかよ………金かけりゃいいってもんでもないだろうが、もう少しあるだろう」
「いや、寒くなると食べたくなるらしい」
  夢の通りならの話だが。
  ついでのように男性アイドルグループの話を思い出して、夢の話だというのに無性に面白くないと感じた。
  早急に確認しなくてはと内心頷いていると、杉も容器を片付けながらどうしたと聞いてくる。
  夢の話だということは省いて話すと、そんなことかよ、と脱力した。
「憧れの芸能人くらい許してやれよ」
「しかし、結香は男が苦手なんだぞ。芸能人とはいえ好きな男がいるというのは懸念すべきだろう」
「画面越しだから身体の大きさなんぞ解らんだろう。ついでに言うと、芸能人ってそういう仕事なんだから、殺気飛ばすの止めろ」
  飛ばしたつもりはないが、割りと感情が眉間に表れていたらしい。
  確認はするが、結香を怖がらせるつもりはない。
  次の講義に出る杉と別れ駅に向かう道すがら、何とはなしに眉間を何度か指で伸ばした。





  ◆ その日の夜 ◆

  お姉ちゃんの大笑いが気になって、つい途中から小走りになってしまった。
  一応声はかけたけどきちんと聞こえていたか不安なので、仏間の障子をそぉっと開ける。
  思いきり漏れていた笑い声の通り、お姉ちゃんは身体を捩って笑い転げていた。
  その前にきちんと正座していた先輩が振り返って穏やかな声で私の名前を呼んだ。
「お姉ちゃん、どうしたんですか?」
  お姉ちゃんはいつも綺麗。
  優しく微笑むときも不敵な笑みを浮かべるときも、起こっているときの笑顔でさえお姉ちゃんの笑う姿は絵になるほど綺麗。
  こんなに涙を流して笑い崩れるなんてとても珍しいので聞いてみると、大したことではないと先輩が小首を傾げた。
「計画書がツボにハマったらしい」
  何の計画書だろう?
  気になったけど、声に出して聞く前にあぁぁと大きく息をつきながらお姉ちゃんがゆっくり座り直した。
「もぅやだ………笑い疲れで死ぬかと思った」
  文句のような言い方のお姉ちゃんに先輩は首の後ろに手をやる。
  癖みたいだけど、これをやっているときの先輩は格好良くてつい見惚れちゃうんだよね。
「ま、いいんじゃない」
  耳に飛び込んできた声に驚いて正面を見ると、お姉ちゃんは私に目を向けていた。なぜか苦笑したような、それでもいつもの優しい目で。
  どうかしたのと聞く前に、お姉ちゃんは苦笑を深めて先輩の方に向き直ってしまった。
「というか。もう終わってるものだと思ってたわよ。何のためにあたしがここを空けたと思ってるの」
  先輩は一瞬私を見た。
  なんか困ってるように見えたけど、私何かやらかした?
「平日でしたし」
  私には謎の言葉でしかも途中で切った感じだけど、そうね、とお姉ちゃんは頷いた。
  ちょっと悔しい。
「二人共学生だもんね。カレンダー的にツイてなかったか」
  先輩は頷くと少し困ったように、実はと口を開いた。
「茜さんはあえてそうしたんじゃないかと思ってました。夏の時のこともあったので」
  首を傾げたお姉ちゃんだけど直ぐに思い当たったようで、あぁ!とまた声をあげて笑い出す。
「いやねぇ、そんな前のこと持ち出して。純粋なアシストのつもりだったのに」
  ま、身から出たサビってヤツかな?
  自虐的に呟いたお姉ちゃんは、私を優しく見詰めた。
「結香、そうヤキモキしないの」
  慌ててブスッとむくれた顔を元に戻そうと焦る間に、先輩に顔のあちこちを触られていた。
  両手で顔を包まれているから物理的に逃げられないんだけど、お姉ちゃんの前で恥ずかしいし先輩の端正な顔がアップで心臓が痛いくらい煩いからものすごく困る。嬉しいけど。
「とりあえずこっちは了解ってことで」
  頑張んなさいと言うお姉ちゃんに、私の顔を掴まえたまま落ち着いた声で先輩は、解りましたと答える。
  あれ?先輩、前は家族の誰かが一緒にいるときはこんなにガッツリ触ってなかったと思うんだけど。
「それで、結香。こっちに来たってことは夕御飯できた?」
  お姉ちゃんも私の体勢だとか顔だとかを無視して話を進める。
「う、うん。そうなんだけど」
  この体勢おかしいよね?なぜスルーするの?
  口にする勇気もないまま、今日のメニューは何と聞かれる。
「今日はね、味噌煮込みうどんだよ」
  昼間は暖かくても毎晩夜は寒いので、結局シチューとお鍋、煮物や温かい麺類をループしがちになってしまう。
  延び延びになってたけどテストも終わったし、今度本屋さんで料理の本を探そう。
  やった、とお姉ちゃんが嬉しそうな声を出して、先輩も微笑んで頭を撫でてくれる。
  嬉しいんだけど、今日はなんだかたくさん頭を撫でられている気がする。先輩、何か良いことあったのかな。
「あの、もうすぐ出来るので呼びに来たんです」
  そうか、と頷いた先輩がまた私の後頭部をゆっくり撫でて笑みを深めた。
「結香、先に戻っていてくれないか?もう少し茜さんに確認することがあるから。すぐ行く」
  先輩の笑顔を見ていると嬉しいんだけど顔がどうしようもなく熱くなって胸も痛くなる。
  音がなるくらい勢い良く首を上下させると、やっと腕の力を弛めてくれた。
「戻る途中、転ばないように気を付けろよ」
「だだだだぃじょぶですっ」
  障子を閉める直前、お姉ちゃんがまた笑いを噛み殺していた気がするけど見ない振りをして障子を閉めて立ち上がる。
  なんとか転ばずに台所に戻って、支度を再開する前に一生懸命深呼吸した。

  そのあとすぐに二人はやって来たのだけど、二人共ものすごく上機嫌でどうしたのかなと首を傾げていると、お姉ちゃんは困ったように笑った。
「一応力説はしたつもりだけど。愛情の裏返しってヤツかな。フォローになってないかも。ごめんね?」
「へ?」
  なぜか謝られて困惑する私の肩をお姉ちゃんは軽く叩いた。
「大丈夫っ。夕弦くんはしっかりしてるから!」
「へ?お姉ちゃん?」
  お休みーとヒラリと手を振って二階に上がるお姉ちゃんを呼び止めようとすると、後ろから先輩に呼ばれた。
「あの、先輩。力説とかフォローとか、何の話です………か?」
  聞いてる途中で先輩の満面の笑顔が気になって語尾がちょっと間延びしてしまった。
  先輩は難なく腰を抱き寄せて耳元で囁いた。
「結香。無理強いをするつもりは無いが、お仕置きは決定だ」
「えぇぇっ!??」

  お仕置きを受けるようなことを、一体いつの間に私はやらかしたの?
  そもそも何をやらかしたの?
  テストのお疲れ会代わりに買ってもらった肉まん、たくさん食べ過ぎて先輩の分まで食べちゃってたとかですかっ?

  気になってちょこちょこ聞いてみたけど、先輩は笑顔を深めるばかりで教えてもらえませんでした。
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