64 / 128
番外編
みんなで楽しくクリスマスを
しおりを挟む
皆さんこんにちは。牧野結香です。
今さらこんな堅苦しい挨拶、自分でもどうかな、とは思うのですが許してください。今、ちょっと余裕がないのです。主に手元の問題で。
「……で……できましたっ……!」
そぉっと手を離して、はふ、と息をつくと、お疲れ様、とオーブンを見ていたお母さんが微笑んだ。
「結香ちゃん、やっぱり上手ね。あと二つくらいお願いできる?」
「は、はいっ」
出来上がった物を新しい皿と交換して、ポテトサラダを盛る。茹でたブロッコリーをズブズブ差して、ポテトサラダが見える隙間にはミニトマトを半分に切って張りつける。
お皿を回して、ポテトサラダが見えないか確認してから細く切ったハムをかけると、小さなツリーになった。
二個目だから少しは手早く作れた、かも。
「おぉ、可愛いじゃん」
「ひゃぁっ!??」
突然近くから聞こえた声に驚いて、右手に力が入ってマヨネーズが左手にまでかかってしまった。
「あぁぁ………」
「ありゃ、ごめんぐぇっ?」
思わずがっかりした声が出る。謝る声の語尾が妙にはねあがったので振り返ると、夏目先輩の後頭部を先輩が片手で鷲掴みしていた。
「ぃだだだだだだだだっ」
頭を押さえて悶える夏目先輩を感情のこもらない目で見下ろすと、先輩は後頭部を掴んだまま夏目先輩を台所から引っ張り出した。
自由になった夏目先輩は、両手を握って口元に当てて頬を膨らませた。
「んもぉ夕弦くん、ひっどぉぉい!俺たちが一緒に寝たってバラしたこと、まだ根にもってるのぉぉぅごっ!」
瞬きをした一瞬の間に、先輩の人差し指が夏目先輩の眉間に刺さってました。
すごいです、先輩!夏休みのときはあっという間に夏目先輩が帰っちゃってじっくり見れなかったけど、仕事人のような技だったんですね!
「妙な言い方をするな。それ以上ふざけるなら、今夜からお前の寝場所は玄関にする」
「邪魔してごめんなさい。夕弦の部屋で寝させてもらったけど、夕弦はベッドで俺は布団で寝ました。わざと紛らわしい言い方しました。ごめんなさい」
「は、はいっ」
真顔で一息に釈明される圧力が怖くて、思わず戦きながらブンブン首を振る。
真顔をキープしている夏目先輩の後ろから「結香を怖がらせるな」と先輩が手刀を脳天に落とした。
確かにちょっと怖かったけど、玄関で寝るのを回避したい夏目先輩の気持ちは解るので、勘弁してください、先輩。
「先輩。ビックリしただけなので、大丈夫ですよ」
だからこれ以上夏目先輩を怒らないでください、と目で訴えると通じたのか、先輩は表情を少し柔らかくすると、こちらに戻ってきて私の左手をキッチンペーパーで軽く拭いた。
「いいから、手を洗え」
洗えと言いながら、シンクに私の左手を出して先輩は丁寧に洗う。密接した身体と左手が先輩の両手に包まれている状況がひたすら恥ずかしい。
「先輩、私、自分で洗えますよ」
必死に囁くけど、先輩はフッと微笑むだけで結局洗い終わった手の水分を拭き取るところまでやってくれた。
なんとか顔を上げてありがとうございますと言う声はカスカスだったけど、先輩は柔らかく破顔する。その表情に見入っていると、「あー、良かったぁぁ」と夏目先輩の安心した声が大きく聞こえて、慌てて先輩から少し離れて立った。
「いやー、マジで助かった。流石だ彼女ちゃん、マジ天使」
「ふぇっ!!?」
「何を今更。それにお前が言うな」
「ふぇぇっ!!?」
先輩たちのやり取りに驚いている間に、離れた距離が先輩に腰を引き寄せられて呆気なくゼロになる。
軽くパニックになっていると、クスクスとお母さんの笑い声が響いた。
「ふふふ、仲良しねぇ。夕弦、和室の準備はできた?」
あぁ、と私を抱き寄せたまま、先輩が言った。
「飾り付けは大体出来たが、テーブルを出そうとしたところで、光司が脱走したんだ」
呆れ顔で先輩が見ると、悪い悪いと夏目先輩が苦笑した。
「だって旨そうな香りするからさ。つまみ食いしたくなるだろ?」
「働け。居候」
先輩のキツめの一言にも、ヘイヘイ、と夏目先輩は平然と応える。
今日は先輩の家でクリスマスパーティーです。
来月引っ越しする美紅ちゃんを楽しませたいという気持ちから、クリスマスパーティーのお誘いをありがたく受けました。
いつもと同じように、手土産はいらないというのは解る。でも、美紅ちゃんと同じようにもてなされるだけというのはいけないと思うのです。大量の料理に付け加えて、テーブルの上も壁や窓、庭にまで及ぶ飾り付けまで準備するのは、お母さんの楽しみかもしれないけど、時間も手間もかかると思うのです。
何回か申し出ても、「そんなに大変じゃないから大丈夫よー」と断られてしまったけど、せめて当日、少しでもお手伝いしたいと午前中にお邪魔したのですが。
門に近づいて気づきました。
すでに門には小さな小人やサンタの人形がぶら下がっていたのです。
もうここまで準備してしまったの、と聞いてみると、先輩は小さくため息をついて首を振った。
「木の枝を払うのに失敗してな。切りすぎた所を隠してるんだ」
「そう、なんですか?先輩が失敗なんて、珍しいですね?」
首を傾げると、答えようと先輩が口を開く前に玄関のドアがガラリと開いた。
「いらっしゃい、彼女ちゃん!待ってたがっ?」
飛び出してきた夏目先輩が両手を広げて歓迎したのを、先輩が伸ばした右手でその額を掴み上げて止めた。ついでに左手で私の腰を引いて私と夏目先輩の間に滑りこむ。
そしてそのまま説明してくれたのです。
ちょっとした行き違いがあって夏目先輩は冬休みの間、先輩の家に泊まることになったこと。泊まる代わりに家の手伝いをすることになっていること。
その流れで、最近遊びに来た美紅ちゃんと陽くん、それに監督役の先輩と一緒にクリスマスの飾りをたくさん作っていたことも。
生け垣の枝を切りすぎたのも、実は夏目先輩なのだそうです。
「日常生活で木の枝なんか切らないんだから、失敗しても仕方ないだろ。怒るなよー」
「慣れてないのに最初から内側の太い枝を切るヤツがいるか。防犯がまずくなったらどうしてくれる」
「だから俺が泊まり込みでここん家のセキュリティをお守りしてんじゃんよ」
「それなら専門家に来てもらうからお前は」
「悪かった。ごめん。謝るから。手伝うから。許して?そんでこの手も放して?ちょっとマジで痛い」
「働け。そして結香に触るな。半径五メートル以内に近付くな」
「いや、一つの家に居てその距離をキープするのは難しいと思うんだよね。言わんとするところは解るから、マジで放して?あと、左手もそろそろ放してやらんと、彼女ちゃん酸欠になるか脳ミソ爆発するぞ?」
左腕一本で抱き抱えられて熱い頬を押さえて固まる私を見て、先輩はひとまず夏目先輩への怒りを治めてくれたのでした。
ときどき味見に来る夏目先輩を回収する先輩を見送りながら、なぜか私はおにぎりを握っている。炊き上がったご飯をお櫃に入れてまたご飯を炊いていたので、出来上がるおにぎりの数はすごいことになると思うんだけど。
ちなみに、見かける度にちょっと大きいかな、と思っていた先輩の家の炊飯器は、なんと十合炊き用でした。近くで見るとものすごく大きくて驚きました。
男の子一人で蔵が一つ潰れるなんて表現を小説で読んだけど、本当なんだなぁと感心してしまいました。
パーティー用にはサンドイッチを作ろうと具材の下拵えとか野菜の準備とかしていたはずなんだけど、とにかく握るよう任されたわけだし、と延々握っていると、萌ちゃんがお盆を持って「結香お姉ちゃん」と私を呼んだ。お盆には、ティースプーンが差しこまれた小鉢がいくつか乗っている。
「これ、追加の具材。ご飯ももうすぐ炊けるから」
「うん。わかっ………あっ!」
どうしたの?と小首を傾げる萌ちゃんに、ごめんなさい、と首を竦めた。
「おにぎり、握ったそばから皿に乗せてたから、中身が解らなくなっちゃった………ごめんね」
おにぎりを握ってお皿に五つほどできたら海苔でまいて大きなお皿に置く。それを無心で繰り返していたから、中身が混ざってしまった。奥の方が最初に握っていた梅のおにぎり、手前がそぼろだというくらいは解るけど、どこからどこまでが高菜なのかは握った自分でも解らない。全部似たり寄ったりの大きさの三角おにぎり。
どうしよう、と項垂れていると、萌ちゃんは構わずお皿に手をかけた。
「大丈夫大丈夫。みんなアレルギーとかないし、食べちゃえばいっしょ………重っ!」
「あっ、私運ぶよ」
おにぎりを握っていた両手を浮かせたまま腰を上げた私に大丈夫と手を上げて、萌ちゃんは声を張り上げた。
「光司お兄ちゃぁぁんっ、ちょっと来てーっ」
ほいほーいとのんびりした返事と共に、夏目先輩がやって来て、おぉっ、と目を輝かせた。
「おにぎり!旨そーっ、ぁだっ」
おにぎりに伸びた手を容赦なく叩き落として萌ちゃんは夏目先輩を睨んだ。
「つまみ食いしないの!手を洗ってから、このおにぎりを運んでください」
解ったよぅ、と叩かれた手を擦りながら夏目先輩がぼやいた。
「全く容赦のない兄妹だ………」
萌ちゃんはニコリと笑った。
「私思うんだけど、ご飯はともかく、寝るくらいならここでなくてもできると思うの。光司お兄ちゃんの家、壁も屋根もあるんでしょ?」
「手を洗ってきまぁぁぁすっ」
洗面所に向かってダッシュした夏目先輩の後ろ姿に、申し訳ないと思いながらも萌ちゃんと少し笑ってしまった。
ご飯が少なくなってきたとき、先輩が顔を出した。
「あ、先輩。えと………皆さんはどちらに?」
少し前まで遠くで指示を出す先輩の声が聞こえたり、傍を萌ちゃんやお母さんが通り過ぎたりしていたはずなんだけど、いつの間にか静まり返っていて驚いた。
握りかけのおにぎりを持ったまま固まる私に、先輩は優しく笑いかける。
「皆なら居間に居る。調子はどうだ?」
「あ、えと、もうすぐで終わります」
そうか、と頷いた先輩は、私が握り終わって手を洗うのを待って、おにぎりのお皿を持ってくれた。
居間ではすでに皆さんがおにぎりとお味噌汁でご飯にしていた。準備の合間に手早く食事するつもりだったから、おにぎりがたくさん必要だったんだ。食器も紙コップと紙皿、割り箸だからいつもと雰囲気が違って楽しい。
夏目先輩が運んだ最後のお皿がほぼ空になっていて驚いていると、皆さんにとっては今日初めての食事だと聞かされてさらに驚く。
クリスマスパーティーの準備に張り切ったお母さんが朝から台所に籠っていたので、朝ごはんの支度どころではなかったとか。
「メニューはもう決めたと言っているのに、光司のヤツが要らんことを言うから止めるのに苦労した」
先輩がため息をつきながら私の分の味噌汁をよそっていると、新しいおにぎりを掴みながら夏目先輩が口を尖らせた。
「だってクリスマスといったら、七面鳥だろう」
美紅ちゃんのためにと張り切っている今日なら七面鳥を拝めたかもしれないのに、と悔しがっていた夏目先輩だけど、おにぎりを一囓りして目を丸くした。
「旨っ!何これ、肉?」
「あ、それはブリの照り焼きです」
具材が少なくなったのでお母さんに聞いたら、冷蔵庫の中から使えそうなものを使ってと言われた。
積まれたタッパーにブリの照り焼きがあったので、ほぐして余ったキノコのソテーと一緒にご飯に混ぜこんで握ったのです。
他のおにぎりがみんな見た目が同じなので、タレに染まってツヤツヤしているおにぎりはみんなの興味を引いたみたい。
「旨い!彼女ちゃん、ぐっしょぶ!」
「おれもそれ食べる」
「光司お兄ちゃん、食べ過ぎズルい!」
一斉におにぎりのお皿に飛びつく三人に目を丸くしていると、お母さんが朗らかに笑った。
「皆、他のおにぎりも美味しいわよ?」
そう言って笑うお母さんだけど、その手にはいつの間にかブリ照りおにぎりが握られていて、お母さんの早業に目をみはった。
お母さんの声は届いていないみたいで、三人はまだおにぎりを取り合っている。
その後ろから先輩は、長い腕を伸ばしてパパッとおにぎりをお皿に乗せて戻ってきた。
「こら夕弦っ。狡いぞっ。二つもっ」
怒ったような声をあげる夏目先輩を、先輩は静かに見下ろした。
「結香の分だが?」
「あ、ハイ。どうぞ」
なぜか急に落ち着いた夏目先輩を放って私の隣に座り直した先輩は、私のお皿にブリ照りのともう一つおにぎりを乗せた。
「ほら、沢山握ったんだからきちんと食べろ」
ありがとうございますとお礼を言ってもそもそ食べていると、お母さんが先輩を振り返った。
「夕弦、このあと予定がないならパン屋さんに行ってきてくれない?」
解ったと頷いた先輩は、私を見つめて「結香も行くか?」と聞いた。
口の中がおにぎりでいっぱいだったので返事代わりに頷くと、先輩は破顔してお味噌汁を飲んだ。
お母さんから電話があったみたいで、戸口に現れた先輩を見たおばさんが挨拶と一緒に「注文の品なら、もう包んであるよ」と微笑んだ。
先輩はホッとため息をついて列の後ろに並んだ。
「サンドイッチを作る予定だったのに、パンを用意するのを忘れるなんて、なんとも咲さんらしいねぇ」
注文のケーキを受け取りに来た人で店は賑わっているけど、おばさんはその列を手際よく捌きながらあははと笑った。
「お手数おかけします」
先輩が後ろ首を掻くと、おばさんは明るい営業スマイルを浮かべた。
「いえいえ。毎度ありがとうございます」
ふふふ、と微笑んだおばさんが、先輩の後ろに立つ私を見つけて、おや、と表情を輝かせた。
「もしかして、咲さんご自慢の彼女かい?」
ご自慢の一言に頬が一気に熱くなったけど、なんとか「こんにちは」と頭を下げる。
「はい、こんにちは」と返したおばさんはケーキを取り出しながら言った。
「今度は是非うちのパンを買いに来てね。なかなか美味しいと評判なんだから」
「ありがとうございます」
こちらこそ毎度ありがとうございますと包んでもらったパンとケーキを受け取って、先輩と店を出た。
先輩の家では、昔からあのパン屋さんでパンを買い続けているらしい。剣道をやっていた頃の先輩は、行き帰りによく寄っていたそうだ。
「帰りは営業時間に間に合わないことも多かったからな。基本的に行きに買っていたんだが、そうすると光司が横取りしてきて、よく喧嘩したな」
騒ぎが大きくなるとお師匠さんに拳骨を落とされて、挙げ句にパンを取り上げられることもあったから大変だったと眉を寄せる先輩に、思わず笑ってしまった。
後ろから先輩を呼ぶ声と走る足音が近づいて来た。
「何だ、相原か」
「何だとは挨拶だな。久しぶり、メリークリスマス」
先輩に苦笑しながらも私にも挨拶してくれた相原先輩に「メリークリスマスです」と返す。習慣でつい頭を下げそうになったけど、メリークリスマスとお辞儀は合わないよね、となんとか止まった。
相原先輩はニコリと笑うと、先輩に来月の成人式に参加するかどうかを聞いた。
「一応出るが、実際に成人するまでまだ一年以上あるのに成人式に参加するのは不思議な感覚だな」
「あぁ、早生まれならではの悩みだな」
頷いた相原先輩は、それでな、と切り出した。
「せっかく集まるんだし、成人式が終わった後一緒に食事でもしないかって話が出てるんだがな」
明らかに顔をしかめた先輩を見て、相原先輩は焦ったように続ける。
「いや、同窓会みたいな大掛かりじゃなくてたぶん男だけになると思うし。本当に気軽な集まりになると思うんだが」
うん、と先輩は小首を傾げて考えこんだ。
そんな思案顔も絵になるって、格好良いなぁ。
「家族のこともあるから今返事は出来ないな」
解ったと相原先輩は頷いた。
「こっちも細かいことは当日その場で決めるから、それで構わない。式終わったら声かけるから―――あぁ、そうだ。お前、夏目がどこにいるか知らないか?てっきりこっちに戻ってきてると思ったら全然見かけないからさ」
「あいつなら俺の家に居候している」
「はぁ?なんで?」
先輩が簡単に説明すると、何ともあいつらしい話だ、と相原先輩が呆れたように頷いた。
「ま、健勝ならいいんだ。悪いが、スマホを見ろと伝えてくれないか?返信がないから、冬山で遭難でもしてるんじゃないかと気が気でなかったぞ」
解ったと先輩が頷くと、宜しくなと上げた手を私にも軽く振って相原先輩は来た道をゆっくり歩いて帰った。
「何だ、これは」
玄関を見上げて、先輩が眉をひそめた。
上の方に細い枝が何本もガムテープで留められている。
家を出たときはなかったのに、何だろう?と首を傾げていると、おかえりー、と縁側から声が響いた。
「お前、何をやっているんだ」
「見て解らんか。爪切りだよ」
広げた新聞紙の上でのんびり爪を切っている様子は落ち着いていて、居候ではなくてすっかり家族の一員みたいな貫禄がある。ちょっと羨ましい。
先輩が相原先輩に会ったことを言うと、あぁ、そんな話もあったなぁ、と足の先を見つめたままのんびり言った。
「そういや、返信するの忘れてたや。あー………夕弦、俺のスマホは何処だ?」
「何だ、今度は年寄りキャラか」
呆れたように首を傾げる先輩に、そうじゃないけど、と夏目先輩が顔を上げた。
「仕方ないだろう。ここん家に居ると、スマホ見るタイミングが自然に無くなるんだから。俺、自分がスマホ持ってたのつい忘れてたくらいだぞ」
「妙な開き直りしてないで、相原に返信しろよ。お前が遭難してるんじゃないかと心配してたんだぞ」
仕方ないなぁと夏目先輩は慎重に新聞紙を持ちながら立ち上がった。
「冬山なんて初心者が行けるものではないということを、教えてやるか」
「その前に返信が遅くなったことと心配をかけたことを詫びろよ」
夏目先輩の背中に話しかけながら先輩は縁側から中に入った。
パンとケーキは先輩が持っていってくれるというので、私は二人分の靴を玄関に置きに行く。
並んだ二足の靴をついへにゃっと笑いながら眺めていると、後ろから呆れた声で話しかけられた。
「幸せに浸ってるとこ悪いけど、そんなとこに座ってたら冷えるわよ」
「はわっ?知佳ちゃん、来てたのっ?」
振り返ると、腰に手を当てた知佳ちゃんが呆れ顔で私を見下ろしていた。「招待されたからね」と応える知佳ちゃんの後ろから「俺もいるよ」と宮本くんが顔を出した。
「あ、宮本くん。こんにちは」
「メリークリスマス、牧野。午前中から手伝いに来てたんだってな。お疲れさん」
あまり手伝った実感がないので曖昧に笑って首を振ってから、ガラス越しに見える緑を指差して聞いてみた。
「ねぇ、あれってやったの宮本くん?」
「牧野、そんなに俺が人様ん家で好き勝手に振る舞う人間に見えるのか」
ちょっとじとっとした目を向けられて、慌てて首を振ると、まぁいーけど、と宮本くんは軽くため息をついた。
「あれやったのは夏目先輩だよ。ヤドリギだってさ」
「ヤドリギって、下にいたらキスしなくちゃいけないっていう、あのヤドリギ?」
そう、と苦々しげに知佳ちゃんが頷いた。
「お蔭で着いた早々面倒くさいやり取りさせられたわ」
疲れた表情で深いため息をつく知佳ちゃんが、あははと笑う宮本くんをギッとキツく睨みつけた。
一体何があったのか気にはなるけど、聞いたら知佳ちゃんの機嫌がさらに悪くなりそう。
「え、と。知佳ちゃん、宮本くんと一緒に来たの?すっかり仲良しだね」
ヤドリギから話題を反らそうと言ってみると、私の真ん前にしゃがんだ知佳ちゃんが据わった目で私を見据えた。
「あんた、喧嘩売ってんの?」
「えぇぇっ?なんでそうなるのっ?」
久しぶりに知佳ちゃんにお説教を喰らう、と冷や冷やしたけど、居間で遊んでいた美紅ちゃんに呼ばれて事なきを得ました。
居間ではみんなで仲良くトランプ大会をしています。美紅ちゃんが覚えたゲームを順番にやっているで、長い間やっていても飽きないみたいです。
私はサンドイッチ作りの手伝いをさせてもらおうと思ったのですが。
「あの、何か問題があったんですか?」
声をかけると、神妙な表情で具材を見つめていたお母さんが私を振り返って一瞬表情を和らげたけど、またすぐに頬に片手を当てて視線を戻した。
「ど、どうしたんですか?もしかしてパンが足りなくなりそうですか?」
「いえ、それは大丈夫なんだけどね。ちょっと困っちゃって………どれが食パン用の具材だったかなって」
午前中に調理していたときはしっかり把握していたはずなんだけど、お昼を食べて一休みしていたら忘れてしまったらしい。
「自分で考えたことなのに嫌になっちゃうわよねぇ。書いておけば良かったって毎回反省するんだけど、次には忘れてるのよね、さっぱり」
「解ります解ります。私もテスト勉強のときに勉強する科目の順番を一生懸命考えたのに、すっかり忘れちゃって、勉強し忘れがないかドキドキするんです」
あるよねーっと二人で頷き合ってから、改めてサンドイッチに関心を戻した。
「えぇと、アボカドのディップとミニトマトはバゲットに乗せる気がしませんか?」
そうね、と頷いたお母さんがチーズの塊を取った。
「これもバゲットじゃないかしら。厚さがあるし」
そうしてバゲット用とおぼしき具材をまとめて一度冷蔵庫にしまってから、食パンで残った具材を挟んでいく。
「ちょっと焦ったけど、クリスマスっぽいカンジになりそうね」
「ですね。間に合って良かったです」
なんとか時間内に作り終わった達成感と安心感で笑い合っていると、「楽しそうだな」と先輩が台所を覗きこんだ。
「うふふ、母さんと結香ちゃんは一緒にピンチを乗り越えた喜びを噛み締めているのよ。妬かないでちょうだいね」
「は?」
首を傾げる先輩に具材とパンの組み合わせで迷ったことを話すと、先輩は小さくため息をついてお母さんに向かって小首を傾げた。
「具材を用意した時に、バケット用と食パン用にトレイに分けてメモを付けておけば良かったのに」
「冷静過ぎる息子ねっ」
お餅のように頬を膨らませたお母さんに、先輩は大きくため息をついた。
三人で料理を運ぶと、トランプを片づけてテーブルに集まっていたみんながわぁぁっと歓声をあげた。
骨付きチキンや唐揚げ、エビフライの盛り合わせはもちろん、一口サイズに盛りつけられたサラダやサンドイッチも美味しそうとか綺麗とかたくさん嬉しい言葉が聞こえる。
美紅ちゃんがブロッコリーツリーをキラキラした目でじぃぃっと見ていて、心のなかでばんざいしたくて堪らなくなった。
料理を並べて飲み物もみんなに行き渡ったところで、不意に沈黙に包まれる。
お互いに顔を見合わせるけど、誰も声を出さずに誰かが話し出すのを待っている。
「こういうときなんて言うの?いただきますじゃないよね?」
萌ちゃんの言葉に進藤家の皆さんが首を捻る。
「何か挨拶して乾杯、じゃないかしら」
じゃあやってよ、と振られたお母さんは嫌よぅと困った表情で首を振った。
「大勢の人の前で挨拶なんてやったことないもの。無理よぅ。夕弦、お願い」
涙目で見つめられた先輩は、コップを握ったまま視線を彷徨わせる。
「もう、いただきますでいいんじゃない?どうせ食べるんだし」
陽くんがなげやりに言うと、それはないだろうと三人に否定されるけど、その先が続かない。
「ちょっとしたカオスだな」
「この人たちでも躓くことあるのね」
知佳ちゃんと宮本くんはどこか皆さんのやりとりを楽しんでいる。
「光司、お前こういうの得意だろう」
催促された夏目先輩は、えぇーと肩を竦めた。
「居候の俺がでしゃばってどうするんだよ。ここは長男のお前が行け」
拒否されて眉を寄せた先輩だけど、立ち上がると少し悩んでからゆっくり切り出した。
「皆さん、今日はクリスマスパーティーに来てくれてありがとうございます。ゆっくり楽しんで、たくさん食べていってください。乾杯の前に、成り行きとはいえ会場の準備を手伝ってくれた光司と午前中から調理を手伝ってくれた結香にはお礼を言わせてください。ありがとう」
一旦挨拶を切ると、夏目先輩に頷いたあと私に向かって柔らかく微笑んだ。
慣れない挨拶で緊張してるのかもしれないけど、目元を少し紅らめた笑顔を間近で直視してしまったものだから、ボボボッと頬が熱をもった。
顔を前に戻した先輩が何か言っているけど、何も聞こえずただ先輩の横顔を見上げていた。
「―――ふ、んぁっ!??」
頬を柔らかく摘ままれて、瞬きをしたら先輩のどアップが視界いっぱいに広がって、妙な声をあげてしまった。
「結香、ケーキだけ食べようとするのは駄目だ。料理もきちんと食べろ」
先輩に心配そうに覗きこまれて慌てて頷く。
「適当に取ったが、ちゃんと食べろよ」
「あ、ありがとうございます」
差し出されたお皿を前に、手を合わせて心の中でいただきますを言っていると、先輩に名前を呼ばれた。
「はっ、はぃっ?」
振り返ると、先輩はコップを掲げて目を細めた。
「メリークリスマス」
「め……メリークリスマス」
小さな声で囁くと、コップを持ち上げて笑い合った。
大人数だけど、テーブルの上の料理がなくなる頃にはみんな思い思いにお腹を擦りながら息をついていた。
洗い物のお手伝いをしようとすると、萌ちゃんと陽くんがやると断られてしまった。
「ちょっとでも動いてカロリー消費しないと、ケーキ食べられないじゃない?」
なるほど、と頷いていると先輩に呼ばれた。
「少し庭を散歩しないか?」
私もカロリー消費したい。
はい、と頷くと先輩は私のコートを持って手招きした。
縁側から庭に降りると、冷たい空気が頬を刺して身体の熱を奪う。さっきまで少し熱いくらいだったから、ちょうどよかった。
遠くにカラフルな灯りが浮かんで消えてを繰り返す。先輩の家では庭の木や門に灯りを灯してないから、周りの灯りがよく見えた。
窓を閉めると夏目先輩たちの賑やかなやりとりも遠のく。
よく知っている場所なのに、別世界にふわりと浮かんでるような気分。
これからどこかへ冒険にでも行くような、高揚感。
ふわっと左手が温かくなって見上げると、先輩が自分の手袋を嵌めていた。
「あ、りがとうございます」
にこりと微笑むと、私の右手ごと上着のポケットに手を入れてゆっくり歩き出した。
足元でぼうっと青白い光が浮かぶ。
身動ぎすると、センサーでつくライトだと教えてくれた。
「そっか。陽くんの畑、踏んじゃったら大変ですもんね」
納得していると先輩はひっそり笑った。
「近所のライティングを見に行こうか」
「はい。あ、なら誰かに伝言しないと」
振り返ろうとする私を引いて先輩は門から外に出てしまった。お母さんに二人で腹ごなししてくると言ったから、少し近くを歩き廻る時間くらいは大丈夫だろうと微笑む。
近くの灯りを目指してゆっくり歩く。
家ごとに雰囲気やキャラクターが違って感想を言いたい気もするけど、騒ぐわけにもいかないし上手いコメントが言えるわけでもないので、ライティングの前で少しゆっくり歩いて次の家に向かう。
ときどきものすごく好きな色合いやキャラクターを見つけて、あれ可愛いと伝えたくて見上げると、先輩はいつの間にか私を見ていて優しく微笑む。そうすると今度はその笑顔に胸が詰まって、熱い頬を見られないように一生懸命前を向いてせかせかと歩く。
暗闇の先に浮かんだ灯りにホッと息をつくと、先輩も白い息を出した。
「この先も、もう無さそうだな。ここで折り返すか」
そうですね、と返す前に繋いでない方の手で頬に触れられて身体が少し跳ねた。
「もう少し手前で引き返せば良かったな。怖かったか?」
恥ずかしさとずっと喋っていなかったせいで声が出てこない。
音が鳴るほど首を振ると、先輩は目元を柔らかく弛めると「カイロ代わりに」とロイヤルミルクティーの缶を買ってくれた。
「―――っ、ぐ、ぁ」
微かに聞こえた物音と悲鳴が気になって伸ばした手をそのままに来た道を振り返るけど、最後のライティングの家までは距離があるからはっきりと見えない。黒い固まりが脇道に消えたように見えただけ。
見上げると、先輩も私と同じように暗闇を見ていた。でもその目は、夏目先輩の竹刀を受けていたときの目で。
張りつめた緊張感をこめた目と引き締まった口元に見惚れていると、視線がゆっくりこちらを向いた。
言葉なく見上げていると、ふっと雰囲気が和らいだ。
「―――ほら。温かいうちに」
私の目の高さに缶を持ち上げて振ってみせた。
「ぁ、ありがとうございます。先輩、さっきそこで」
「あぁ」
何か物音しましたよね?
聞く前に、先輩は頷くと今度はなんてことないようにそちらを眺めた。
「クリスマスだからな。サンタをやらないといけないんだろうな」
「あ、なるほど。クリスマスですもんね。お父さんは大変ですよね」
プレゼントを用意するのも、起こさないように枕元に忍び寄るのも大変そうだけど、家族思いで胸がほっこりする光景だよね。
缶で手を温めながら笑っていると、先輩は私を見て微笑んでいる。
「先輩は、寒くないんですか?」
身を縮めたりしないで真っ直ぐ立っているけど、手袋をしてない手は上着のポケットに入れたまま。
全然寒くないはずはない。
この缶を先輩に渡すか、新しく買う?
あれ。今、私、お金持ってたっけ?
お財布はバッグの中……せめて小銭だけでもない?
ポケットの中を指先で探っていると、先輩がフッと破顔した。
そして、正面から私をふわっと抱きしめる。
「ふぁ!??」
「こうすれば、俺も温かい」
缶の熱が私の手と先輩の胸に伝わる。私の背中は先輩の大きな手で温められる。息を吸うと先輩の香りが身体の中に広がっていく気がして、クラクラする。頭のてっぺんや耳元に微かな熱がかかると、身体の内側から熱がどんどん頬に集まるような感覚になる。
まるで、私がカイロになったみたい。
でも、先輩がそれで温かくなるなら、幸せかも。
そうして、少しの間先輩に包まれていた。
「来年のクリスマスは、どこかにライティングを見に行こうか」
私の手を引きながら、先輩がぽつりと言った。
最近は大きな公園や通りでも華やかなライティングをやっているから、そういうのを見に行くのも楽しそうだけど。
「楽しそうです。でも、みんなでパーティーするのも楽しそうですよ」
そうだな、と先輩は空を見上げた。
「何処かに星を見に行くのもいいかもしれないな」
クリスマスは関係ないかもしれんが、と付け加えたのがなんとなく可愛くて、クスッと笑った。
「毛布とかカイロとかたくさん準備しましょうね」
うん、と頷く先輩の笑顔が優しくて私はもっと嬉しくなる。
「次のクリスマスまで一年あるからな。ゆっくり決めればいいか」
「ですね」
二人で笑い合いながら歩く帰り道は、不思議と全然寒くなかった。
「お前は今度は何をやっているんだ」
先輩が青筋を立てて見下ろす先で、夏目先輩が困ったような笑い声をあげた。
「何ってツイスター。ケーキに向けて、皆で効率良く腹ごなししてたんだよ」
「そろそろ助けてほしいところだったの。帰ってきてくれてありがとう」
ルーレット係りの知佳ちゃんにしみじみとお礼を言われてしまった。
「う、うん。みんな、ものすごく絡まってるけど、大丈夫?」
「攻める!とか言って夏目先輩が他の人に絡みついてるだけで、まぁ、大丈夫なんじゃない?」
私たちが話してる間に先輩は挟まっていた美紅ちゃんを引っ張り出した。
「大丈夫、美紅ちゃん?どこか痛くない?」
ぷはっと息をついた美紅ちゃんは、意外に元気だった。
「陽、萌、よく頑張ったな」
先輩が労いながら陽くんと萌ちゃんを起き上がらせる。
二人で美紅ちゃんが潰されないように守ってくれたみたい。
ありがとうと言うと、照れ臭そうに笑って首を振る仕草がそっくりで、今さら二人が双子だったことを思い出した。
「母さんまで何をやっているんだ………」
苦笑しながら立ち上がるお母さんの傍で宮本くんは手助けなしに悠々と立ち上がった。
「いやぁ、遊んだ遊んだ。中々面白いもんなんだな、こーゆーファミリー向けのゲームって。水瀬も今度は一緒にやろう」
知佳ちゃんの呟きは私には聞こえなかったけど、宮本くんはにこりと笑った。
「あ!夕弦!お前、玄関から帰ったんなら、ちゃんと利用したよな?俺の力作、ヤドリギ!」
私が奇声をあげて固まる前に、先輩は一瞬額の青筋を一本増やすと、にーっこりと珍しい笑顔を浮かべた。
「さぁ、そろそろケーキ食べようか」
「ケーキ!食べたい!」
はしゃぐ美紅ちゃんを和室へ促す先輩の背中に、夏目先輩が一生懸命話しかける。
「ケーキ、俺も食べたい!夕弦、起きるの手伝って―――頼むよ!謝るから!」
ため息をついた先輩は、しぶしぶ夏目先輩を助けました。
今夜中にヤドリギを外すこととみんながケーキを食べる間ずっと芸を披露することを条件に。
◆ その頃ある屋敷では ◆
映像が切れたところで、妻と息子は同時に息をついた。
「―――とりあえず、男は取り押さえてますが」
どうしますか、と言いたげな視線を向けられた息子は、唸って目を開けた。
「実際には未遂だからな。拘束するのも難しいだろう」
渋面であることを見ると、内心では引っ立てて自ら尋問してやりたい憤りを抑えているのだろう。
そうだねぇ、と千鶴子は番茶を啜った。
「二人がもう少し先へ進んでればこの男が何かやらかして、こちらも堂々と動ける理由ができようってもんだけど。やらかされて何かあっても困るからねぇ」
勿論です、と影山が勢い気味に頷いた。
「そんなことが起ころうもんなら、警察に渡す前にアイツがボロ雑巾のようにノシますよ。アイツ、仕事抜きで結香様の母親に懐いてるんですから。ここまで引き留めるのも苦労しました」
門から出ようとする二人の前に飛び出そうとした相棒を止めるのに引っ掛かれた頬を弄りながらため息をつく影山に、それは災難だったね、と千鶴子はカラカラと笑った。
とりあえず、と息子が口を開く。
「男は近くの交番に突っ込んでくれ。職質でも少しは抑止になるかもしれん」
影山から窺うような視線を受けた千鶴子はあっさり頷いた。
「長く引き留めてもこちらが不利になる。悔しいが、男はそっちに任せて嫁ぎ遅れの始末はこちらでしよう」
訝しげに目を細めた息子に、千鶴子は「怖い顔しなさんな」と手を振った。
「要は、嫁ぎ遅れの落とし所を用意してやりゃいいんだろ?蓼食う虫も好き好きと言うし、需要はあるものさ」
久しぶりに見る攻撃的な笑みについ見入る。
「娘が納まれば、父親も黙るだろう?」
「いやはや。大奥様は強く恐ろしい」
頬を弄りながら息をつく影山に、千鶴子は微笑んだ。
「あたしはしつこい人間は嫌いなのさ。まさかあの嫁ぎ遅れがわざわざ夕弦に遺恨を持つ人間を探し出してくるとは誤算だったが、年内に片付けることが出来て良かったじゃないか」
ご苦労さんと労う千鶴子に、影山は返事代わりに頭を下げた。
「それで、いつまでそんな格好をしているんだい?」
からかう口調の千鶴子に、影山は悪怯れることなく赤い上着を引っ張った。
「そりゃやっぱり、クリスマスなんで」
息子は呆れたような目をしただけだが、千鶴子はクスクスと笑って「プレゼントの袋は用意したのかい?」と聞いている。
「一応は。でも皆さん難しい年頃ですからねぇ。難しくて」
引っ張り出した袋の中には何故か園芸の本や赤本、結婚情報誌が入っていた。
夕弦はもう大学受験は終わった筈だが。
「デート情報誌にしようかとも思ったんですけどね。余計なお世話だと怒られそうだな、と」
それはそうかもしれないね、と真面目に千鶴子は頷いた。
「でも、コレも結局怒るんじゃないかい?」
ですよねぇ、と影山はため息をついた。
「プレゼント選びって、難しいですよねぇ」
悩む二人を余所に、息子は立ち上がった。
問題の男が運ばれる交番に向かうのだろう。
「悪かったな」
何に対しての詫びかは断定出来なかった。
自分たちの付き合いで夕弦が目をつけられたことか。
もう少しで結香さんが危うい目に遭うところだったことか。
こんな夜更けに呼び出したことか。
そもそも二十年以上も前に飛び出した筈の世界に今更巻き込んだことか。
息子に詫びるには筋違いのこともある。
職務だと言われてしまえば、それだけなのかもしれない。
今更申し訳ないと言われても、と詰られれば良いのか。
息子はただ儂の目を真っ直ぐ見ていた。
そして小首を傾げると、「メリークリスマス」と一言残して行ってしまった。
今さらこんな堅苦しい挨拶、自分でもどうかな、とは思うのですが許してください。今、ちょっと余裕がないのです。主に手元の問題で。
「……で……できましたっ……!」
そぉっと手を離して、はふ、と息をつくと、お疲れ様、とオーブンを見ていたお母さんが微笑んだ。
「結香ちゃん、やっぱり上手ね。あと二つくらいお願いできる?」
「は、はいっ」
出来上がった物を新しい皿と交換して、ポテトサラダを盛る。茹でたブロッコリーをズブズブ差して、ポテトサラダが見える隙間にはミニトマトを半分に切って張りつける。
お皿を回して、ポテトサラダが見えないか確認してから細く切ったハムをかけると、小さなツリーになった。
二個目だから少しは手早く作れた、かも。
「おぉ、可愛いじゃん」
「ひゃぁっ!??」
突然近くから聞こえた声に驚いて、右手に力が入ってマヨネーズが左手にまでかかってしまった。
「あぁぁ………」
「ありゃ、ごめんぐぇっ?」
思わずがっかりした声が出る。謝る声の語尾が妙にはねあがったので振り返ると、夏目先輩の後頭部を先輩が片手で鷲掴みしていた。
「ぃだだだだだだだだっ」
頭を押さえて悶える夏目先輩を感情のこもらない目で見下ろすと、先輩は後頭部を掴んだまま夏目先輩を台所から引っ張り出した。
自由になった夏目先輩は、両手を握って口元に当てて頬を膨らませた。
「んもぉ夕弦くん、ひっどぉぉい!俺たちが一緒に寝たってバラしたこと、まだ根にもってるのぉぉぅごっ!」
瞬きをした一瞬の間に、先輩の人差し指が夏目先輩の眉間に刺さってました。
すごいです、先輩!夏休みのときはあっという間に夏目先輩が帰っちゃってじっくり見れなかったけど、仕事人のような技だったんですね!
「妙な言い方をするな。それ以上ふざけるなら、今夜からお前の寝場所は玄関にする」
「邪魔してごめんなさい。夕弦の部屋で寝させてもらったけど、夕弦はベッドで俺は布団で寝ました。わざと紛らわしい言い方しました。ごめんなさい」
「は、はいっ」
真顔で一息に釈明される圧力が怖くて、思わず戦きながらブンブン首を振る。
真顔をキープしている夏目先輩の後ろから「結香を怖がらせるな」と先輩が手刀を脳天に落とした。
確かにちょっと怖かったけど、玄関で寝るのを回避したい夏目先輩の気持ちは解るので、勘弁してください、先輩。
「先輩。ビックリしただけなので、大丈夫ですよ」
だからこれ以上夏目先輩を怒らないでください、と目で訴えると通じたのか、先輩は表情を少し柔らかくすると、こちらに戻ってきて私の左手をキッチンペーパーで軽く拭いた。
「いいから、手を洗え」
洗えと言いながら、シンクに私の左手を出して先輩は丁寧に洗う。密接した身体と左手が先輩の両手に包まれている状況がひたすら恥ずかしい。
「先輩、私、自分で洗えますよ」
必死に囁くけど、先輩はフッと微笑むだけで結局洗い終わった手の水分を拭き取るところまでやってくれた。
なんとか顔を上げてありがとうございますと言う声はカスカスだったけど、先輩は柔らかく破顔する。その表情に見入っていると、「あー、良かったぁぁ」と夏目先輩の安心した声が大きく聞こえて、慌てて先輩から少し離れて立った。
「いやー、マジで助かった。流石だ彼女ちゃん、マジ天使」
「ふぇっ!!?」
「何を今更。それにお前が言うな」
「ふぇぇっ!!?」
先輩たちのやり取りに驚いている間に、離れた距離が先輩に腰を引き寄せられて呆気なくゼロになる。
軽くパニックになっていると、クスクスとお母さんの笑い声が響いた。
「ふふふ、仲良しねぇ。夕弦、和室の準備はできた?」
あぁ、と私を抱き寄せたまま、先輩が言った。
「飾り付けは大体出来たが、テーブルを出そうとしたところで、光司が脱走したんだ」
呆れ顔で先輩が見ると、悪い悪いと夏目先輩が苦笑した。
「だって旨そうな香りするからさ。つまみ食いしたくなるだろ?」
「働け。居候」
先輩のキツめの一言にも、ヘイヘイ、と夏目先輩は平然と応える。
今日は先輩の家でクリスマスパーティーです。
来月引っ越しする美紅ちゃんを楽しませたいという気持ちから、クリスマスパーティーのお誘いをありがたく受けました。
いつもと同じように、手土産はいらないというのは解る。でも、美紅ちゃんと同じようにもてなされるだけというのはいけないと思うのです。大量の料理に付け加えて、テーブルの上も壁や窓、庭にまで及ぶ飾り付けまで準備するのは、お母さんの楽しみかもしれないけど、時間も手間もかかると思うのです。
何回か申し出ても、「そんなに大変じゃないから大丈夫よー」と断られてしまったけど、せめて当日、少しでもお手伝いしたいと午前中にお邪魔したのですが。
門に近づいて気づきました。
すでに門には小さな小人やサンタの人形がぶら下がっていたのです。
もうここまで準備してしまったの、と聞いてみると、先輩は小さくため息をついて首を振った。
「木の枝を払うのに失敗してな。切りすぎた所を隠してるんだ」
「そう、なんですか?先輩が失敗なんて、珍しいですね?」
首を傾げると、答えようと先輩が口を開く前に玄関のドアがガラリと開いた。
「いらっしゃい、彼女ちゃん!待ってたがっ?」
飛び出してきた夏目先輩が両手を広げて歓迎したのを、先輩が伸ばした右手でその額を掴み上げて止めた。ついでに左手で私の腰を引いて私と夏目先輩の間に滑りこむ。
そしてそのまま説明してくれたのです。
ちょっとした行き違いがあって夏目先輩は冬休みの間、先輩の家に泊まることになったこと。泊まる代わりに家の手伝いをすることになっていること。
その流れで、最近遊びに来た美紅ちゃんと陽くん、それに監督役の先輩と一緒にクリスマスの飾りをたくさん作っていたことも。
生け垣の枝を切りすぎたのも、実は夏目先輩なのだそうです。
「日常生活で木の枝なんか切らないんだから、失敗しても仕方ないだろ。怒るなよー」
「慣れてないのに最初から内側の太い枝を切るヤツがいるか。防犯がまずくなったらどうしてくれる」
「だから俺が泊まり込みでここん家のセキュリティをお守りしてんじゃんよ」
「それなら専門家に来てもらうからお前は」
「悪かった。ごめん。謝るから。手伝うから。許して?そんでこの手も放して?ちょっとマジで痛い」
「働け。そして結香に触るな。半径五メートル以内に近付くな」
「いや、一つの家に居てその距離をキープするのは難しいと思うんだよね。言わんとするところは解るから、マジで放して?あと、左手もそろそろ放してやらんと、彼女ちゃん酸欠になるか脳ミソ爆発するぞ?」
左腕一本で抱き抱えられて熱い頬を押さえて固まる私を見て、先輩はひとまず夏目先輩への怒りを治めてくれたのでした。
ときどき味見に来る夏目先輩を回収する先輩を見送りながら、なぜか私はおにぎりを握っている。炊き上がったご飯をお櫃に入れてまたご飯を炊いていたので、出来上がるおにぎりの数はすごいことになると思うんだけど。
ちなみに、見かける度にちょっと大きいかな、と思っていた先輩の家の炊飯器は、なんと十合炊き用でした。近くで見るとものすごく大きくて驚きました。
男の子一人で蔵が一つ潰れるなんて表現を小説で読んだけど、本当なんだなぁと感心してしまいました。
パーティー用にはサンドイッチを作ろうと具材の下拵えとか野菜の準備とかしていたはずなんだけど、とにかく握るよう任されたわけだし、と延々握っていると、萌ちゃんがお盆を持って「結香お姉ちゃん」と私を呼んだ。お盆には、ティースプーンが差しこまれた小鉢がいくつか乗っている。
「これ、追加の具材。ご飯ももうすぐ炊けるから」
「うん。わかっ………あっ!」
どうしたの?と小首を傾げる萌ちゃんに、ごめんなさい、と首を竦めた。
「おにぎり、握ったそばから皿に乗せてたから、中身が解らなくなっちゃった………ごめんね」
おにぎりを握ってお皿に五つほどできたら海苔でまいて大きなお皿に置く。それを無心で繰り返していたから、中身が混ざってしまった。奥の方が最初に握っていた梅のおにぎり、手前がそぼろだというくらいは解るけど、どこからどこまでが高菜なのかは握った自分でも解らない。全部似たり寄ったりの大きさの三角おにぎり。
どうしよう、と項垂れていると、萌ちゃんは構わずお皿に手をかけた。
「大丈夫大丈夫。みんなアレルギーとかないし、食べちゃえばいっしょ………重っ!」
「あっ、私運ぶよ」
おにぎりを握っていた両手を浮かせたまま腰を上げた私に大丈夫と手を上げて、萌ちゃんは声を張り上げた。
「光司お兄ちゃぁぁんっ、ちょっと来てーっ」
ほいほーいとのんびりした返事と共に、夏目先輩がやって来て、おぉっ、と目を輝かせた。
「おにぎり!旨そーっ、ぁだっ」
おにぎりに伸びた手を容赦なく叩き落として萌ちゃんは夏目先輩を睨んだ。
「つまみ食いしないの!手を洗ってから、このおにぎりを運んでください」
解ったよぅ、と叩かれた手を擦りながら夏目先輩がぼやいた。
「全く容赦のない兄妹だ………」
萌ちゃんはニコリと笑った。
「私思うんだけど、ご飯はともかく、寝るくらいならここでなくてもできると思うの。光司お兄ちゃんの家、壁も屋根もあるんでしょ?」
「手を洗ってきまぁぁぁすっ」
洗面所に向かってダッシュした夏目先輩の後ろ姿に、申し訳ないと思いながらも萌ちゃんと少し笑ってしまった。
ご飯が少なくなってきたとき、先輩が顔を出した。
「あ、先輩。えと………皆さんはどちらに?」
少し前まで遠くで指示を出す先輩の声が聞こえたり、傍を萌ちゃんやお母さんが通り過ぎたりしていたはずなんだけど、いつの間にか静まり返っていて驚いた。
握りかけのおにぎりを持ったまま固まる私に、先輩は優しく笑いかける。
「皆なら居間に居る。調子はどうだ?」
「あ、えと、もうすぐで終わります」
そうか、と頷いた先輩は、私が握り終わって手を洗うのを待って、おにぎりのお皿を持ってくれた。
居間ではすでに皆さんがおにぎりとお味噌汁でご飯にしていた。準備の合間に手早く食事するつもりだったから、おにぎりがたくさん必要だったんだ。食器も紙コップと紙皿、割り箸だからいつもと雰囲気が違って楽しい。
夏目先輩が運んだ最後のお皿がほぼ空になっていて驚いていると、皆さんにとっては今日初めての食事だと聞かされてさらに驚く。
クリスマスパーティーの準備に張り切ったお母さんが朝から台所に籠っていたので、朝ごはんの支度どころではなかったとか。
「メニューはもう決めたと言っているのに、光司のヤツが要らんことを言うから止めるのに苦労した」
先輩がため息をつきながら私の分の味噌汁をよそっていると、新しいおにぎりを掴みながら夏目先輩が口を尖らせた。
「だってクリスマスといったら、七面鳥だろう」
美紅ちゃんのためにと張り切っている今日なら七面鳥を拝めたかもしれないのに、と悔しがっていた夏目先輩だけど、おにぎりを一囓りして目を丸くした。
「旨っ!何これ、肉?」
「あ、それはブリの照り焼きです」
具材が少なくなったのでお母さんに聞いたら、冷蔵庫の中から使えそうなものを使ってと言われた。
積まれたタッパーにブリの照り焼きがあったので、ほぐして余ったキノコのソテーと一緒にご飯に混ぜこんで握ったのです。
他のおにぎりがみんな見た目が同じなので、タレに染まってツヤツヤしているおにぎりはみんなの興味を引いたみたい。
「旨い!彼女ちゃん、ぐっしょぶ!」
「おれもそれ食べる」
「光司お兄ちゃん、食べ過ぎズルい!」
一斉におにぎりのお皿に飛びつく三人に目を丸くしていると、お母さんが朗らかに笑った。
「皆、他のおにぎりも美味しいわよ?」
そう言って笑うお母さんだけど、その手にはいつの間にかブリ照りおにぎりが握られていて、お母さんの早業に目をみはった。
お母さんの声は届いていないみたいで、三人はまだおにぎりを取り合っている。
その後ろから先輩は、長い腕を伸ばしてパパッとおにぎりをお皿に乗せて戻ってきた。
「こら夕弦っ。狡いぞっ。二つもっ」
怒ったような声をあげる夏目先輩を、先輩は静かに見下ろした。
「結香の分だが?」
「あ、ハイ。どうぞ」
なぜか急に落ち着いた夏目先輩を放って私の隣に座り直した先輩は、私のお皿にブリ照りのともう一つおにぎりを乗せた。
「ほら、沢山握ったんだからきちんと食べろ」
ありがとうございますとお礼を言ってもそもそ食べていると、お母さんが先輩を振り返った。
「夕弦、このあと予定がないならパン屋さんに行ってきてくれない?」
解ったと頷いた先輩は、私を見つめて「結香も行くか?」と聞いた。
口の中がおにぎりでいっぱいだったので返事代わりに頷くと、先輩は破顔してお味噌汁を飲んだ。
お母さんから電話があったみたいで、戸口に現れた先輩を見たおばさんが挨拶と一緒に「注文の品なら、もう包んであるよ」と微笑んだ。
先輩はホッとため息をついて列の後ろに並んだ。
「サンドイッチを作る予定だったのに、パンを用意するのを忘れるなんて、なんとも咲さんらしいねぇ」
注文のケーキを受け取りに来た人で店は賑わっているけど、おばさんはその列を手際よく捌きながらあははと笑った。
「お手数おかけします」
先輩が後ろ首を掻くと、おばさんは明るい営業スマイルを浮かべた。
「いえいえ。毎度ありがとうございます」
ふふふ、と微笑んだおばさんが、先輩の後ろに立つ私を見つけて、おや、と表情を輝かせた。
「もしかして、咲さんご自慢の彼女かい?」
ご自慢の一言に頬が一気に熱くなったけど、なんとか「こんにちは」と頭を下げる。
「はい、こんにちは」と返したおばさんはケーキを取り出しながら言った。
「今度は是非うちのパンを買いに来てね。なかなか美味しいと評判なんだから」
「ありがとうございます」
こちらこそ毎度ありがとうございますと包んでもらったパンとケーキを受け取って、先輩と店を出た。
先輩の家では、昔からあのパン屋さんでパンを買い続けているらしい。剣道をやっていた頃の先輩は、行き帰りによく寄っていたそうだ。
「帰りは営業時間に間に合わないことも多かったからな。基本的に行きに買っていたんだが、そうすると光司が横取りしてきて、よく喧嘩したな」
騒ぎが大きくなるとお師匠さんに拳骨を落とされて、挙げ句にパンを取り上げられることもあったから大変だったと眉を寄せる先輩に、思わず笑ってしまった。
後ろから先輩を呼ぶ声と走る足音が近づいて来た。
「何だ、相原か」
「何だとは挨拶だな。久しぶり、メリークリスマス」
先輩に苦笑しながらも私にも挨拶してくれた相原先輩に「メリークリスマスです」と返す。習慣でつい頭を下げそうになったけど、メリークリスマスとお辞儀は合わないよね、となんとか止まった。
相原先輩はニコリと笑うと、先輩に来月の成人式に参加するかどうかを聞いた。
「一応出るが、実際に成人するまでまだ一年以上あるのに成人式に参加するのは不思議な感覚だな」
「あぁ、早生まれならではの悩みだな」
頷いた相原先輩は、それでな、と切り出した。
「せっかく集まるんだし、成人式が終わった後一緒に食事でもしないかって話が出てるんだがな」
明らかに顔をしかめた先輩を見て、相原先輩は焦ったように続ける。
「いや、同窓会みたいな大掛かりじゃなくてたぶん男だけになると思うし。本当に気軽な集まりになると思うんだが」
うん、と先輩は小首を傾げて考えこんだ。
そんな思案顔も絵になるって、格好良いなぁ。
「家族のこともあるから今返事は出来ないな」
解ったと相原先輩は頷いた。
「こっちも細かいことは当日その場で決めるから、それで構わない。式終わったら声かけるから―――あぁ、そうだ。お前、夏目がどこにいるか知らないか?てっきりこっちに戻ってきてると思ったら全然見かけないからさ」
「あいつなら俺の家に居候している」
「はぁ?なんで?」
先輩が簡単に説明すると、何ともあいつらしい話だ、と相原先輩が呆れたように頷いた。
「ま、健勝ならいいんだ。悪いが、スマホを見ろと伝えてくれないか?返信がないから、冬山で遭難でもしてるんじゃないかと気が気でなかったぞ」
解ったと先輩が頷くと、宜しくなと上げた手を私にも軽く振って相原先輩は来た道をゆっくり歩いて帰った。
「何だ、これは」
玄関を見上げて、先輩が眉をひそめた。
上の方に細い枝が何本もガムテープで留められている。
家を出たときはなかったのに、何だろう?と首を傾げていると、おかえりー、と縁側から声が響いた。
「お前、何をやっているんだ」
「見て解らんか。爪切りだよ」
広げた新聞紙の上でのんびり爪を切っている様子は落ち着いていて、居候ではなくてすっかり家族の一員みたいな貫禄がある。ちょっと羨ましい。
先輩が相原先輩に会ったことを言うと、あぁ、そんな話もあったなぁ、と足の先を見つめたままのんびり言った。
「そういや、返信するの忘れてたや。あー………夕弦、俺のスマホは何処だ?」
「何だ、今度は年寄りキャラか」
呆れたように首を傾げる先輩に、そうじゃないけど、と夏目先輩が顔を上げた。
「仕方ないだろう。ここん家に居ると、スマホ見るタイミングが自然に無くなるんだから。俺、自分がスマホ持ってたのつい忘れてたくらいだぞ」
「妙な開き直りしてないで、相原に返信しろよ。お前が遭難してるんじゃないかと心配してたんだぞ」
仕方ないなぁと夏目先輩は慎重に新聞紙を持ちながら立ち上がった。
「冬山なんて初心者が行けるものではないということを、教えてやるか」
「その前に返信が遅くなったことと心配をかけたことを詫びろよ」
夏目先輩の背中に話しかけながら先輩は縁側から中に入った。
パンとケーキは先輩が持っていってくれるというので、私は二人分の靴を玄関に置きに行く。
並んだ二足の靴をついへにゃっと笑いながら眺めていると、後ろから呆れた声で話しかけられた。
「幸せに浸ってるとこ悪いけど、そんなとこに座ってたら冷えるわよ」
「はわっ?知佳ちゃん、来てたのっ?」
振り返ると、腰に手を当てた知佳ちゃんが呆れ顔で私を見下ろしていた。「招待されたからね」と応える知佳ちゃんの後ろから「俺もいるよ」と宮本くんが顔を出した。
「あ、宮本くん。こんにちは」
「メリークリスマス、牧野。午前中から手伝いに来てたんだってな。お疲れさん」
あまり手伝った実感がないので曖昧に笑って首を振ってから、ガラス越しに見える緑を指差して聞いてみた。
「ねぇ、あれってやったの宮本くん?」
「牧野、そんなに俺が人様ん家で好き勝手に振る舞う人間に見えるのか」
ちょっとじとっとした目を向けられて、慌てて首を振ると、まぁいーけど、と宮本くんは軽くため息をついた。
「あれやったのは夏目先輩だよ。ヤドリギだってさ」
「ヤドリギって、下にいたらキスしなくちゃいけないっていう、あのヤドリギ?」
そう、と苦々しげに知佳ちゃんが頷いた。
「お蔭で着いた早々面倒くさいやり取りさせられたわ」
疲れた表情で深いため息をつく知佳ちゃんが、あははと笑う宮本くんをギッとキツく睨みつけた。
一体何があったのか気にはなるけど、聞いたら知佳ちゃんの機嫌がさらに悪くなりそう。
「え、と。知佳ちゃん、宮本くんと一緒に来たの?すっかり仲良しだね」
ヤドリギから話題を反らそうと言ってみると、私の真ん前にしゃがんだ知佳ちゃんが据わった目で私を見据えた。
「あんた、喧嘩売ってんの?」
「えぇぇっ?なんでそうなるのっ?」
久しぶりに知佳ちゃんにお説教を喰らう、と冷や冷やしたけど、居間で遊んでいた美紅ちゃんに呼ばれて事なきを得ました。
居間ではみんなで仲良くトランプ大会をしています。美紅ちゃんが覚えたゲームを順番にやっているで、長い間やっていても飽きないみたいです。
私はサンドイッチ作りの手伝いをさせてもらおうと思ったのですが。
「あの、何か問題があったんですか?」
声をかけると、神妙な表情で具材を見つめていたお母さんが私を振り返って一瞬表情を和らげたけど、またすぐに頬に片手を当てて視線を戻した。
「ど、どうしたんですか?もしかしてパンが足りなくなりそうですか?」
「いえ、それは大丈夫なんだけどね。ちょっと困っちゃって………どれが食パン用の具材だったかなって」
午前中に調理していたときはしっかり把握していたはずなんだけど、お昼を食べて一休みしていたら忘れてしまったらしい。
「自分で考えたことなのに嫌になっちゃうわよねぇ。書いておけば良かったって毎回反省するんだけど、次には忘れてるのよね、さっぱり」
「解ります解ります。私もテスト勉強のときに勉強する科目の順番を一生懸命考えたのに、すっかり忘れちゃって、勉強し忘れがないかドキドキするんです」
あるよねーっと二人で頷き合ってから、改めてサンドイッチに関心を戻した。
「えぇと、アボカドのディップとミニトマトはバゲットに乗せる気がしませんか?」
そうね、と頷いたお母さんがチーズの塊を取った。
「これもバゲットじゃないかしら。厚さがあるし」
そうしてバゲット用とおぼしき具材をまとめて一度冷蔵庫にしまってから、食パンで残った具材を挟んでいく。
「ちょっと焦ったけど、クリスマスっぽいカンジになりそうね」
「ですね。間に合って良かったです」
なんとか時間内に作り終わった達成感と安心感で笑い合っていると、「楽しそうだな」と先輩が台所を覗きこんだ。
「うふふ、母さんと結香ちゃんは一緒にピンチを乗り越えた喜びを噛み締めているのよ。妬かないでちょうだいね」
「は?」
首を傾げる先輩に具材とパンの組み合わせで迷ったことを話すと、先輩は小さくため息をついてお母さんに向かって小首を傾げた。
「具材を用意した時に、バケット用と食パン用にトレイに分けてメモを付けておけば良かったのに」
「冷静過ぎる息子ねっ」
お餅のように頬を膨らませたお母さんに、先輩は大きくため息をついた。
三人で料理を運ぶと、トランプを片づけてテーブルに集まっていたみんながわぁぁっと歓声をあげた。
骨付きチキンや唐揚げ、エビフライの盛り合わせはもちろん、一口サイズに盛りつけられたサラダやサンドイッチも美味しそうとか綺麗とかたくさん嬉しい言葉が聞こえる。
美紅ちゃんがブロッコリーツリーをキラキラした目でじぃぃっと見ていて、心のなかでばんざいしたくて堪らなくなった。
料理を並べて飲み物もみんなに行き渡ったところで、不意に沈黙に包まれる。
お互いに顔を見合わせるけど、誰も声を出さずに誰かが話し出すのを待っている。
「こういうときなんて言うの?いただきますじゃないよね?」
萌ちゃんの言葉に進藤家の皆さんが首を捻る。
「何か挨拶して乾杯、じゃないかしら」
じゃあやってよ、と振られたお母さんは嫌よぅと困った表情で首を振った。
「大勢の人の前で挨拶なんてやったことないもの。無理よぅ。夕弦、お願い」
涙目で見つめられた先輩は、コップを握ったまま視線を彷徨わせる。
「もう、いただきますでいいんじゃない?どうせ食べるんだし」
陽くんがなげやりに言うと、それはないだろうと三人に否定されるけど、その先が続かない。
「ちょっとしたカオスだな」
「この人たちでも躓くことあるのね」
知佳ちゃんと宮本くんはどこか皆さんのやりとりを楽しんでいる。
「光司、お前こういうの得意だろう」
催促された夏目先輩は、えぇーと肩を竦めた。
「居候の俺がでしゃばってどうするんだよ。ここは長男のお前が行け」
拒否されて眉を寄せた先輩だけど、立ち上がると少し悩んでからゆっくり切り出した。
「皆さん、今日はクリスマスパーティーに来てくれてありがとうございます。ゆっくり楽しんで、たくさん食べていってください。乾杯の前に、成り行きとはいえ会場の準備を手伝ってくれた光司と午前中から調理を手伝ってくれた結香にはお礼を言わせてください。ありがとう」
一旦挨拶を切ると、夏目先輩に頷いたあと私に向かって柔らかく微笑んだ。
慣れない挨拶で緊張してるのかもしれないけど、目元を少し紅らめた笑顔を間近で直視してしまったものだから、ボボボッと頬が熱をもった。
顔を前に戻した先輩が何か言っているけど、何も聞こえずただ先輩の横顔を見上げていた。
「―――ふ、んぁっ!??」
頬を柔らかく摘ままれて、瞬きをしたら先輩のどアップが視界いっぱいに広がって、妙な声をあげてしまった。
「結香、ケーキだけ食べようとするのは駄目だ。料理もきちんと食べろ」
先輩に心配そうに覗きこまれて慌てて頷く。
「適当に取ったが、ちゃんと食べろよ」
「あ、ありがとうございます」
差し出されたお皿を前に、手を合わせて心の中でいただきますを言っていると、先輩に名前を呼ばれた。
「はっ、はぃっ?」
振り返ると、先輩はコップを掲げて目を細めた。
「メリークリスマス」
「め……メリークリスマス」
小さな声で囁くと、コップを持ち上げて笑い合った。
大人数だけど、テーブルの上の料理がなくなる頃にはみんな思い思いにお腹を擦りながら息をついていた。
洗い物のお手伝いをしようとすると、萌ちゃんと陽くんがやると断られてしまった。
「ちょっとでも動いてカロリー消費しないと、ケーキ食べられないじゃない?」
なるほど、と頷いていると先輩に呼ばれた。
「少し庭を散歩しないか?」
私もカロリー消費したい。
はい、と頷くと先輩は私のコートを持って手招きした。
縁側から庭に降りると、冷たい空気が頬を刺して身体の熱を奪う。さっきまで少し熱いくらいだったから、ちょうどよかった。
遠くにカラフルな灯りが浮かんで消えてを繰り返す。先輩の家では庭の木や門に灯りを灯してないから、周りの灯りがよく見えた。
窓を閉めると夏目先輩たちの賑やかなやりとりも遠のく。
よく知っている場所なのに、別世界にふわりと浮かんでるような気分。
これからどこかへ冒険にでも行くような、高揚感。
ふわっと左手が温かくなって見上げると、先輩が自分の手袋を嵌めていた。
「あ、りがとうございます」
にこりと微笑むと、私の右手ごと上着のポケットに手を入れてゆっくり歩き出した。
足元でぼうっと青白い光が浮かぶ。
身動ぎすると、センサーでつくライトだと教えてくれた。
「そっか。陽くんの畑、踏んじゃったら大変ですもんね」
納得していると先輩はひっそり笑った。
「近所のライティングを見に行こうか」
「はい。あ、なら誰かに伝言しないと」
振り返ろうとする私を引いて先輩は門から外に出てしまった。お母さんに二人で腹ごなししてくると言ったから、少し近くを歩き廻る時間くらいは大丈夫だろうと微笑む。
近くの灯りを目指してゆっくり歩く。
家ごとに雰囲気やキャラクターが違って感想を言いたい気もするけど、騒ぐわけにもいかないし上手いコメントが言えるわけでもないので、ライティングの前で少しゆっくり歩いて次の家に向かう。
ときどきものすごく好きな色合いやキャラクターを見つけて、あれ可愛いと伝えたくて見上げると、先輩はいつの間にか私を見ていて優しく微笑む。そうすると今度はその笑顔に胸が詰まって、熱い頬を見られないように一生懸命前を向いてせかせかと歩く。
暗闇の先に浮かんだ灯りにホッと息をつくと、先輩も白い息を出した。
「この先も、もう無さそうだな。ここで折り返すか」
そうですね、と返す前に繋いでない方の手で頬に触れられて身体が少し跳ねた。
「もう少し手前で引き返せば良かったな。怖かったか?」
恥ずかしさとずっと喋っていなかったせいで声が出てこない。
音が鳴るほど首を振ると、先輩は目元を柔らかく弛めると「カイロ代わりに」とロイヤルミルクティーの缶を買ってくれた。
「―――っ、ぐ、ぁ」
微かに聞こえた物音と悲鳴が気になって伸ばした手をそのままに来た道を振り返るけど、最後のライティングの家までは距離があるからはっきりと見えない。黒い固まりが脇道に消えたように見えただけ。
見上げると、先輩も私と同じように暗闇を見ていた。でもその目は、夏目先輩の竹刀を受けていたときの目で。
張りつめた緊張感をこめた目と引き締まった口元に見惚れていると、視線がゆっくりこちらを向いた。
言葉なく見上げていると、ふっと雰囲気が和らいだ。
「―――ほら。温かいうちに」
私の目の高さに缶を持ち上げて振ってみせた。
「ぁ、ありがとうございます。先輩、さっきそこで」
「あぁ」
何か物音しましたよね?
聞く前に、先輩は頷くと今度はなんてことないようにそちらを眺めた。
「クリスマスだからな。サンタをやらないといけないんだろうな」
「あ、なるほど。クリスマスですもんね。お父さんは大変ですよね」
プレゼントを用意するのも、起こさないように枕元に忍び寄るのも大変そうだけど、家族思いで胸がほっこりする光景だよね。
缶で手を温めながら笑っていると、先輩は私を見て微笑んでいる。
「先輩は、寒くないんですか?」
身を縮めたりしないで真っ直ぐ立っているけど、手袋をしてない手は上着のポケットに入れたまま。
全然寒くないはずはない。
この缶を先輩に渡すか、新しく買う?
あれ。今、私、お金持ってたっけ?
お財布はバッグの中……せめて小銭だけでもない?
ポケットの中を指先で探っていると、先輩がフッと破顔した。
そして、正面から私をふわっと抱きしめる。
「ふぁ!??」
「こうすれば、俺も温かい」
缶の熱が私の手と先輩の胸に伝わる。私の背中は先輩の大きな手で温められる。息を吸うと先輩の香りが身体の中に広がっていく気がして、クラクラする。頭のてっぺんや耳元に微かな熱がかかると、身体の内側から熱がどんどん頬に集まるような感覚になる。
まるで、私がカイロになったみたい。
でも、先輩がそれで温かくなるなら、幸せかも。
そうして、少しの間先輩に包まれていた。
「来年のクリスマスは、どこかにライティングを見に行こうか」
私の手を引きながら、先輩がぽつりと言った。
最近は大きな公園や通りでも華やかなライティングをやっているから、そういうのを見に行くのも楽しそうだけど。
「楽しそうです。でも、みんなでパーティーするのも楽しそうですよ」
そうだな、と先輩は空を見上げた。
「何処かに星を見に行くのもいいかもしれないな」
クリスマスは関係ないかもしれんが、と付け加えたのがなんとなく可愛くて、クスッと笑った。
「毛布とかカイロとかたくさん準備しましょうね」
うん、と頷く先輩の笑顔が優しくて私はもっと嬉しくなる。
「次のクリスマスまで一年あるからな。ゆっくり決めればいいか」
「ですね」
二人で笑い合いながら歩く帰り道は、不思議と全然寒くなかった。
「お前は今度は何をやっているんだ」
先輩が青筋を立てて見下ろす先で、夏目先輩が困ったような笑い声をあげた。
「何ってツイスター。ケーキに向けて、皆で効率良く腹ごなししてたんだよ」
「そろそろ助けてほしいところだったの。帰ってきてくれてありがとう」
ルーレット係りの知佳ちゃんにしみじみとお礼を言われてしまった。
「う、うん。みんな、ものすごく絡まってるけど、大丈夫?」
「攻める!とか言って夏目先輩が他の人に絡みついてるだけで、まぁ、大丈夫なんじゃない?」
私たちが話してる間に先輩は挟まっていた美紅ちゃんを引っ張り出した。
「大丈夫、美紅ちゃん?どこか痛くない?」
ぷはっと息をついた美紅ちゃんは、意外に元気だった。
「陽、萌、よく頑張ったな」
先輩が労いながら陽くんと萌ちゃんを起き上がらせる。
二人で美紅ちゃんが潰されないように守ってくれたみたい。
ありがとうと言うと、照れ臭そうに笑って首を振る仕草がそっくりで、今さら二人が双子だったことを思い出した。
「母さんまで何をやっているんだ………」
苦笑しながら立ち上がるお母さんの傍で宮本くんは手助けなしに悠々と立ち上がった。
「いやぁ、遊んだ遊んだ。中々面白いもんなんだな、こーゆーファミリー向けのゲームって。水瀬も今度は一緒にやろう」
知佳ちゃんの呟きは私には聞こえなかったけど、宮本くんはにこりと笑った。
「あ!夕弦!お前、玄関から帰ったんなら、ちゃんと利用したよな?俺の力作、ヤドリギ!」
私が奇声をあげて固まる前に、先輩は一瞬額の青筋を一本増やすと、にーっこりと珍しい笑顔を浮かべた。
「さぁ、そろそろケーキ食べようか」
「ケーキ!食べたい!」
はしゃぐ美紅ちゃんを和室へ促す先輩の背中に、夏目先輩が一生懸命話しかける。
「ケーキ、俺も食べたい!夕弦、起きるの手伝って―――頼むよ!謝るから!」
ため息をついた先輩は、しぶしぶ夏目先輩を助けました。
今夜中にヤドリギを外すこととみんながケーキを食べる間ずっと芸を披露することを条件に。
◆ その頃ある屋敷では ◆
映像が切れたところで、妻と息子は同時に息をついた。
「―――とりあえず、男は取り押さえてますが」
どうしますか、と言いたげな視線を向けられた息子は、唸って目を開けた。
「実際には未遂だからな。拘束するのも難しいだろう」
渋面であることを見ると、内心では引っ立てて自ら尋問してやりたい憤りを抑えているのだろう。
そうだねぇ、と千鶴子は番茶を啜った。
「二人がもう少し先へ進んでればこの男が何かやらかして、こちらも堂々と動ける理由ができようってもんだけど。やらかされて何かあっても困るからねぇ」
勿論です、と影山が勢い気味に頷いた。
「そんなことが起ころうもんなら、警察に渡す前にアイツがボロ雑巾のようにノシますよ。アイツ、仕事抜きで結香様の母親に懐いてるんですから。ここまで引き留めるのも苦労しました」
門から出ようとする二人の前に飛び出そうとした相棒を止めるのに引っ掛かれた頬を弄りながらため息をつく影山に、それは災難だったね、と千鶴子はカラカラと笑った。
とりあえず、と息子が口を開く。
「男は近くの交番に突っ込んでくれ。職質でも少しは抑止になるかもしれん」
影山から窺うような視線を受けた千鶴子はあっさり頷いた。
「長く引き留めてもこちらが不利になる。悔しいが、男はそっちに任せて嫁ぎ遅れの始末はこちらでしよう」
訝しげに目を細めた息子に、千鶴子は「怖い顔しなさんな」と手を振った。
「要は、嫁ぎ遅れの落とし所を用意してやりゃいいんだろ?蓼食う虫も好き好きと言うし、需要はあるものさ」
久しぶりに見る攻撃的な笑みについ見入る。
「娘が納まれば、父親も黙るだろう?」
「いやはや。大奥様は強く恐ろしい」
頬を弄りながら息をつく影山に、千鶴子は微笑んだ。
「あたしはしつこい人間は嫌いなのさ。まさかあの嫁ぎ遅れがわざわざ夕弦に遺恨を持つ人間を探し出してくるとは誤算だったが、年内に片付けることが出来て良かったじゃないか」
ご苦労さんと労う千鶴子に、影山は返事代わりに頭を下げた。
「それで、いつまでそんな格好をしているんだい?」
からかう口調の千鶴子に、影山は悪怯れることなく赤い上着を引っ張った。
「そりゃやっぱり、クリスマスなんで」
息子は呆れたような目をしただけだが、千鶴子はクスクスと笑って「プレゼントの袋は用意したのかい?」と聞いている。
「一応は。でも皆さん難しい年頃ですからねぇ。難しくて」
引っ張り出した袋の中には何故か園芸の本や赤本、結婚情報誌が入っていた。
夕弦はもう大学受験は終わった筈だが。
「デート情報誌にしようかとも思ったんですけどね。余計なお世話だと怒られそうだな、と」
それはそうかもしれないね、と真面目に千鶴子は頷いた。
「でも、コレも結局怒るんじゃないかい?」
ですよねぇ、と影山はため息をついた。
「プレゼント選びって、難しいですよねぇ」
悩む二人を余所に、息子は立ち上がった。
問題の男が運ばれる交番に向かうのだろう。
「悪かったな」
何に対しての詫びかは断定出来なかった。
自分たちの付き合いで夕弦が目をつけられたことか。
もう少しで結香さんが危うい目に遭うところだったことか。
こんな夜更けに呼び出したことか。
そもそも二十年以上も前に飛び出した筈の世界に今更巻き込んだことか。
息子に詫びるには筋違いのこともある。
職務だと言われてしまえば、それだけなのかもしれない。
今更申し訳ないと言われても、と詰られれば良いのか。
息子はただ儂の目を真っ直ぐ見ていた。
そして小首を傾げると、「メリークリスマス」と一言残して行ってしまった。
0
お気に入りに追加
32
あなたにおすすめの小説
【R18】もう一度セックスに溺れて
ちゅー
恋愛
--------------------------------------
「んっ…くっ…♡前よりずっと…ふか、い…」
過分な潤滑液にヌラヌラと光る間口に亀頭が抵抗なく吸い込まれていく。久しぶりに男を受け入れる肉道は最初こそ僅かな狭さを示したものの、愛液にコーティングされ膨張した陰茎を容易く受け入れ、すぐに柔らかな圧力で応えた。
--------------------------------------
結婚して五年目。互いにまだ若い夫婦は、愛情も、情熱も、熱欲も多分に持ち合わせているはずだった。仕事と家事に忙殺され、いつの間にかお互いが生活要員に成り果ててしまった二人の元へ”夫婦性活を豹変させる”と銘打たれた宝石が届く。
【R18】貧しいメイドは、身も心も天才教授に支配される
さんかく ひかる
恋愛
王立大学のメイド、レナは、毎晩、天才教授、アーキス・トレボーの教授室に、コーヒーを届ける。
そして毎晩、教授からレッスンを受けるのであった……誰にも知られてはいけないレッスンを。
神の教えに背く、禁断のレッスンを。
R18です。長編『僕は彼女としたいだけ』のヒロインが書いた異世界恋愛小説を抜き出しました。
独立しているので、この話だけでも楽しめます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる