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番外編
◯◯の秋を堪能したい
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⚪️⚪️の秋。
先輩や知佳ちゃんなら勉学の秋かな。陽くんなら豊作の秋。最近美紅ちゃんにオモチャを送ってくれた夏目先輩は、行楽、じゃなくて、スポーツの秋かな?
そんなことを思いながら空を見上げていると、腰回りが温かい体温に包まれて先輩の穏やかな表情が逆さまに映った。
「そんなに見上げてると、後ろにひっくり返るぞ」
「ふひゃぁっ!??せんぱいっ!ここ、外ですからぁっ!!」
人目につくところで抱っこは恥ずかしいと慌てると、クスクス笑ってぎゅぅっと抱きしめられた。離した手で軽く私の頭を撫でる。
「ここまで来れば、結香のクラスメイトに見られる心配、ないだろう?」
「それは、そうなんですけど………」
空気は少し冷たいのに、うぅぅと唸る頬がすごく熱い。
先輩は唸る私を穏やかな笑顔で見つめた。
最近のお昼休み。
生徒会長になった知佳ちゃんは相変わらず忙しいみたいで、お弁当を食べ終わるとすぐに生徒会室へ行く。そうすると一人になって寂しいかな、と思ったけどそうでもなかった。
知佳ちゃんが席を立つや否や近くでお昼を食べていた女の子たちが、「結香、結香」とどこかワクワクしながら手招きをする。
「これ、新発売のお菓子だけど食べない?」
「え、いいの?ありがとう」
お菓子を貰おうと近づくと、近くの椅子を引き寄せて、まぁ座って座って、と勧められる。
「ねぇ、この間遊園地行ったって、本当?」
口の中がお菓子でいっぱいだったのではっきり首を縦に振ると、みんな期待したような目で前のめりになる。
「もちろん、デートだよね?」
「どうだった?」
こんなカンジで先輩と出かけた話をいろいろ聞かれるのです。
みんなは参考にしたいからと話を聞きたがるんだけど、先輩とのデートの話はなかなか話しづらくて大変。どこそこに行った、くらいじゃ満足してくれなくて、先輩とどんな話をしたかとかその………スキンシップがどのくらいなのかを主に聞かれるので。
先輩とのお喋りの内容も、あれこれ勝手に話すのも気が引けるし、スキンシップの内容なんて恥ずかしくて話しづらい。
たいてい困りきっていると、戻ってきた知佳ちゃんがやんわりと断ってくれる。
「進藤先輩はもう大学生なんだから、今結香の話を聞いたところで参考にはならないわよ。それと、結香たちのイチャイチャぶりを聞いたんなら、後日あなたたちのも聞かせてくれるのよね?あぁ、でも………この人数まとめて聞く時間を作るのは面倒だから、レポートにしてね」
ちゃんと内容確認するから、しっかり書いてくれる?と笑顔で手を差し出す知佳ちゃんに、みんなはちょっと引きつったように笑う。
そして、その後ろから宮本くんがやんわり知佳ちゃんを宥めるのだ。
「水瀬、水瀬。皆羨ましくなっちゃっただけだからさ。そう怒るなよ」
「そもそもあなたがお土産をおねだりするから、遊園地に行く話が知れ渡ったんでしょうが」
知佳ちゃんがギロリと睨むけど、宮本くんはそうかなぁと首を捻る。
「でもさぁ、牧野たちが仲良いのはもう皆知ってるし。週明けに、進藤先輩とどっか出掛けたー?とか聞いたら、牧野ならモロ解りの反応するんじゃないかなぁ」
「まぁ、それはそうよね」
「酷いよ、知佳ちゃん………」
こんなカンジでみんなジワジワと本格的に進路を決めつつも、穏やかに日々を送っているのです。
知佳ちゃんのお蔭であまり頻繁に聞かれなくなったとはいえ、以前先輩とのお出かけを目撃されたことでちょっとトラブルにもなったので、私としては気をつけようと思うのだけど。
先輩は、最近ますます攻撃力を増しています。
前から手を繋ぐのは当たり前だったけど、最近、屋外でも先輩は当然のように私を抱き抱えたり軽くキスするようになった。
万が一クラスの友だちとかに見られたら恥ずかしいと言うと、「じゃあ、遠出ならいいだろ」とあっさりレンタカーを借りちゃうあたり、改めて先輩がもう大学生なんだなぁと思うけど、そのフットワークの軽さに驚くばかりで。
その理由が私に触るためというのが、とてつもなく恥ずかしいような。でも、それだけ私のことをす、好きなんだな、と思うとひたすら嬉しかったり。
私の心は、この秋の空のように穏やかに冴えわたったり激しく荒れ狂ったり忙しないけど、幸せいっぱいの秋なのです。
色鮮やかな花にも負けない、壮観な眺めにため息をついた。辺り一帯で青空の下ススキが風に揺れる光景は、まさに金色の絨毯。
いつまでも見入っていたいけど、遠くから流れるアナウンスが、立ち止まらずに進むように促す。
手を引かれるまま、ススキが一斉にそよぐ丘を目に焼きつけて時おり先輩を仰ぎ見る。凛と立って真っ直ぐ前を見つめる先輩は、どこかこの景色にすごく合ってる。ススキ野原の真ん中に立ってもらったら、ものすごく素敵な絵になるなぁ、なんてついぼんやりとしてしまう。
「周りにぶつからないように歩いたらもう出てしまったけど、もう一度入り口に戻るか?」
頬を親指で押されながら聞かれて、思わず首を横に振った。
「わ、私は先輩に手を引いてもらってたから、歩いてるときもずっと見れたから大丈夫ですよ?先輩は?ちゃんと見れました?」
「結香程しっかりと見てないが、歩きながら見たぞ」
先輩の答え方に首を傾げる。
つまり、見ることは見たけど、人を避けるのに忙しくて楽しめなかった、ってことかな?
考えこんでいると、先輩が破顔して頬をつついた。
「結香みたいに後で絵に再現出来る程深く細かく見ているわけじゃないが、普通に楽しんだぞ」
だから心配するな、と眉と眉の間を人指し指で撫でられる。
思わず、ふへっと笑うと蕩けそうな笑みを浮かべて頭を撫でる。その瞳に見惚れていると、先輩の指は私の髪の間に少しずつ入りこみ、後ろ頭を温かく包んだと思ったら唇が先輩の温かいそれに覆われた。
「……………っ!??んむっ………!!?」
驚いた拍子に開いたすき間から肉厚の舌が入りこんで口の中を撫で回す。ビクリと震える身体は逆の腕に抱きこまれてしっかりと閉じこめられる。舌先で私の舌を撫でられて目を見開くと、先輩は目を細めて笑みを浮かべる。
甘くけどどこか獰猛な笑みに、身体はゾクゾクと震えるけどどこか嬉しさに心が震えた。
「んんっ……………んっ………」
思いきり舌を吸われて少し痛いのに、なぜか嬉しい。自分の気持ちや反応が解らなくて涙目になると、先輩の舌が私の口の中からゆっくり出ていった。
驚いたしときどき苦しかった気がするけど、離れると少し寂しく感じてしまって短く息をしながらぼんやりと先輩の唇を見つめた。
惚けてる私をどこか嬉しそうな目で眺めてから、先輩は両手で私をぎゅむっと抱きこんだ。
「………こ、ここ………そと、なのに………」
息の合間に切れ切れに言うと、フッと笑った息が頭にかかってまた身体の熱が上がる。
「ちゃんと移動したから大丈夫だ」
言われてそろりと周りの様子を窺うと、駐車場や周りの店に向かって歩く人の流れから外れたわき道に、いつの間にか移動していたことに気づく。流れに沿って歩く人は、人にぶつからないように歩くのに精一杯で、確かにこちらを見る人はいない。
「でも、外でいきなりき………き、キス、されたら、ビックリします、ょ」
平然としている先輩が少し悔しくて、モスグリーンのセーターにぐりぐりと頭を擦りつける。Vネックから覗く鎖骨に心臓がドクドクと音を立てた。
はぁっと首にかかる息が熱い。
「最近、完全に二人きりというのはあまり無かったからな。今日は思う存分触りたい。それに、景色に心を奪われる結香が可愛い過ぎるのが悪い」
「かわっ!!?」
ストレートに可愛いと言われて沸騰する私の身体を反転させてもう一度片腕で抱きこむと、空いた片手でスマホを操作して写メを撮る声は、しばらく頭と身体がふわふわするくらい甘かった。
言われてみれば、深いキスってあまりしてないかもしれない、けど。
唇と唇を合わせるキスは何回もしてるし。
人にぶつからないようにとか、座席が硬いからって抱っこされる回数はすごく増えたし。
は、恥ずかしすぎて思い出せなかったけど、先輩に抱きかかえられたまま一晩寝ちゃってたわけだし!
なんだかんだで結局ちょこちょこ触られてるんじゃない?
そんな疑問が浮かんだのは、車が動き出してからのことでした。
ふひゃぁっと笑い声をあげると、先輩が一瞬こちらを見た。
「だいぶ揺れてるが、大丈夫か?」
激しいエンジン音の合間に聞こえる声は、怒鳴ってるわけでもないのにスッと耳に届く。先輩って声まですごいの?
「大丈夫、というより、楽しい、ですっ」
右に左に揺れながら、エンジン音に負けない声で叫ぶと、そうか。という呟きがちゃんと聞こえた。
「もう少し速度を落としたいが、前後の車もこの速さにノってるみたいだからな。とりあえず、もう少しで展望スペースがあるからそこに入ろう」
頷きながら見ると、片手でしきりにギアを切り換えて、真剣な目付きで道の先を見ている。よく人間の本性は運転すると解るなんて聞くけど、運転しているときの先輩はいつも以上に格好良い。
なんというか、格好良いの上限がなくて、そんなすごい人がなぜか私のか、彼だという奇跡にたまに心の中でジタバタする。
大きな手や凛凛しい横顔に見惚れていると、車は山道をそれて停まった。
先輩に遅れないように急いで車を降りて、軽く伸びをしている先輩の背中に廻る。マッサージ師さんを意識して、ここですかーと腰を擦ると、先輩は小さく笑った。
「もう少し上でお願いします」
「かしこまりましたー………こちらですかー?」
あぁ、そこです。とつく息がどこか艶っぽい。
その声を聞いた私の方がなぜか顔が熱くなって、擦る手に力をこめて必死に腰を擦る。
しばらく擦っていると、フーッと先輩が長く息をついた。
「ありがとう。結香もマッサージするか?」
「あ、大丈夫ですよ?こってないし」
首を横に振ると、そうか?と首を傾げる表情がどこか残念そう。
手すりに手をかけて思いきり息を吸った。
息をつきながら目を開けると、ススキの丘で見上げたときより青みを増した空が視界いっぱいに飛びこんできて、心の隅まで広がっていく感覚に満足する。
目線を下げると、ところどころ朱に染まる木々と離れた先に、黄金に波打つ丘が見えた。
「先輩、さっき行ったススキの丘、あっちに見えますよ!」
指差して振り返ると、私越しに覗く。背中が温かい体温に包まれて、山の空気は冷たいんだな、と改めて思った。
「本当だ。あの道を通って来たんだ―――ほら、結香が可愛いと喜んだ家はあの辺りだ」
長い指で示しながら、逆の腕は私の腰にしっかり巻きつく。
「先輩、抑えてたら見えませんよ?」
見上げると、先輩はにこりと笑った。
「捕まえておかないと、身を乗り出して落ちたら危ないだろう?」
「そんな子どもっぽいことしませんよっ」
頬を膨らませて抗議するけど、先輩は構わず笑顔で私を抱きこんでおでこにキスを落とす。
「~~~~~っ、先輩っ」
もうっ、もうっ、と言葉にならない抗議に先輩は眉尻を下げる。
「周りに誰も居ないだろう?」
そんなねだるような目をするのは、ズルい。
結局何も言えなくて、下りてくる唇をそのまま受け止める。
顔の下半分の感覚がおぼつかなくて、なのに唇はジンジンと熱くて少し痛くて、私はきっとだらしない顔をしていたと思う。
峠を降りた車は建物が少ない道を走り、木々の中にいきなり開けた空間に滑りこんだ。
それはどう見ても大きな一軒家で、もしかしてお婆ちゃんの別荘かなにか?と焦ると、ぽふぽふと頭を撫でながら先輩は首を横に振った。
「ここは喫茶店だぞ」
たまにテレビで見る流行りの古民家カフェというものらしい。庭に見える小さな畑に飾られている人形とか、駐車場の奥で薪を割ってるおじさんとか、目新しいものを次々見ながら店の中に入った。
落ちついた声でいらっしゃいと言った男の人がマスターなのかな。カフェのウェイター風の服装と庭に面した座敷にある大きな囲炉裏が合っていないようで、でもカフェ全体としてはしっとりとしていて、ついキョロキョロしてしまう。
「今日は少し冷えますからね。宜しかったら囲炉裏の前へどうぞ」
「は、はい」
じぃぃっと見ていたからかな。囲炉裏の側を勧められてしまった。
先輩に続いて靴を脱いで座敷に上がる。囲炉裏からはほんのり温もりが伝わる。
「結香、どれにする?」
先輩が持っているお品書きを覗きこむ。上の方につけ加えられた「新米あります!」のコメントを見て、ご飯が食べたくなった。
「ご飯………私、この塩むすびセットに豚汁つけます」
おかずを自分で三品選べるらしい。なんだかとても魅力的なメニューだ。目で一生懸命おかずを選んでいると、先輩がマスターを呼んでくれる。
「塩むすびセットを二つと、豚汁一つ、あとほうとう一つをください」
「はい。おかずはどうしますか?」
先輩は迷うことなく鮭の塩焼き、肉じゃが、ぬか漬けを選んだ。私は考えた末にだし巻き玉子と海苔のつくだ煮、浅漬けを選んだ。
「只今用意しますので、宜しければ庭やそちらの作品等をご覧下さい」
マスターはそう言うと、丁寧に頭を下げて奥へ行く。
庭も近くで見たいけど、作品という響きが気になって少し中腰になってしまう。
「先輩、見に行ってもいいですか?」
先輩は軽く頷くと身軽に立って、さっき脱いだばかりの靴を履く。おねだりした私がモタモタしてはいけないので、慌ててその後に続いた。
立ち上がる所作が綺麗だったりもたつかずにできるのは、先輩の家が和室の多い家だからかな。それとも、剣道をやっていたからかな。なんか優雅で憧れる。
テーブル席の一画に、小さな棚があった。そこに並んでいるのが、マスターが言ってた作品だと思う。
「………はわぁ………可愛い………」
ススキで作った人形や動物が、隣り合ったり少し向かい合ったりして並んでいる。作ったものと解っていても、どこか表情や愛嬌があって可愛い。この男の子と女の子は何を話してるのかな、とかウサギたちは何を見ているのかな、とか。昔お姉ちゃんとおままごとしたときの感覚を思い出す。
「フクロウなら、作れるかもしれないぞ」
先輩が棚の端に置いてあった案内を指差す。
『ススキでフクロウを作ってみませんか?ご希望の方はカウンターまで』
どうする?と目で聞かれて、その小さな案内を覗きこんだ。
「やってみたい、です。でも、こういうのって予約必要ですよね?」
「あぁ、フクロウ作りですか?予約は要りませんよ。今日は居ますから」
「ふひゃぁっ?」
案内のどこかに予約や値段について書いてないかな、と探していたので、マスターが答える声に小さく飛び上がった。
「そこの作品は妻の作でしてね。在宅している時だけその案内を出しているんですよ」
「今日これから体験出来ますか?」
マスターの説明に納得していると、先輩がサッと聞いてくれた。マスターはにこりと笑って頷いた。
「お召し上がりになっている間に、聞いてまいります」
二人分の塩むすびセットができあがったみたいなので、囲炉裏の側に戻った。
二人揃っていただきますをしてから、おかずを分け合いっこしながら塩むすびを食べる。
「カフェで塩むすびを食べるって、不思議な感覚ですけど、美味しいですね」
おかずを一口食べては塩むすびを少し齧っている隣で、先輩は一つのおむすびを三口くらいで食べている。セット一つにおむすびは三つついてるけど、一つの大きさが小さいから先輩には足りないかもしれない。
「先輩、私のおむすび一つどうですか?」
聞くと、先輩は少し首を傾げた。
「どうした?具合悪いか?」
「え?いえ、元気ですよ?」
そうか。と少し安心したように息をついてから、先輩は私の顔を覗きこんだ。
「どうしても余るなら貰うが、きちんと食べないと駄目だ。すぐに寒くなるんだから、しっかり食べないと風邪で寝込むことになるぞ」
心配してくれるのは嬉しいけど、少し頬を膨らませる。
「それ、毎年お母さんに言われてますよ。そして食べ過ぎちゃって春に困るんですよ」
強い熊だって冬眠前にはしっかり食べるの。結香だってしっかり食べて栄養いっぱい摂れば、風邪なんかひかないんだから。
小さい頃、秋冬には毎年のように風邪をひいていた。治ったと思ってもまた風邪をひいて、学校にも行けなくて憂鬱でご飯も食べたくなくなったとき、氷枕をあてがいながらお母さんは明るい声でこう言った。
懐かしい。
前ほど頻繁に風邪をひかなくなった今では、連日の看病で疲れていたはずなのに明るく励ましてくれたお母さんにありがたいなと心から思ってる。
でも。
今年も変わらず言ってくるお母さんに思う。
熊は冬眠中にカロリー消費するから太らないけど。
毎日ご飯が食べれるのに、冬眠前の熊をイメージして食べたら絶対に食べ過ぎだよ!
小さい頃は本当に心配かけた自覚があるから、お母さんには言えないけど………
私の話を、先輩は箸で鮭を触りながら聞いていた。
「そんなに毎年風邪で寝込んでいたなら、今でもハルさんは心配になるんだろう?しっかり食べろ」
そう言ってだし巻き玉子の鉢の空いたところに鮭を半分置いた。
「先輩………あの、今では本当に風邪ひかなくなってきましたし。毎日熊のように食べたら太っちゃいますよ………」
訴えるように先輩を見上げるけど、先輩は変わらず食べるように目で促す。
うぅ………鮭、美味しい……ご飯が進んじゃう。
「結香はもう少し食べた方がいい。軽すぎる」
そんなことを先輩は真面目な顔で言う。
「軽すぎる。結香だったら、楽に高い高いが出来る。投げるタイプの」
「高い高い………」
オーバーだとも思うけど、さっきも抱きしめてくれた腕を思い描く。丸太のように太くもないけど、筋肉がついた綺麗な長い腕。
離れて座る私を膝に乗せるときも、小さくあげるかけ声はつい出ちゃうものじゃなくて、私への合図だと思う。
あの腕なら、十六歳の私でも高い高いできると思う。
考えながら食べていたみたいで、いつの間にか二つ目のおむすびを半分ほど食べていた。
先輩が見守る目が嬉しくて恥ずかしくて、へにゃっと笑う。
先輩が微笑んで頷いたところに、マスターが汁椀の乗ったお盆を持ってきた。
「お待たせいたしました。こちら、豚汁とほうとうになります。あと、体験の件ですが、お食事の後に始められるよう準備していますので」
「あ、ありがとうございます」
大きめの汁椀を受け取りながらお礼を言うと、マスターは笑顔で頭を下げて戻っていった。
だしと野菜と豚と味噌。うま味がつまった汁を一口飲んでほぅっと息をつく。
ぼんやり先輩を見ると、ほうとうを摘まむ目元がやわらかい。
目が合ってしまって、お互いに苦笑しながらゆっくりご飯を食べた。
ご飯を食べるのに夢中で気づかなかったけど、テーブル席の一つにフクロウ作りの用意がすっかり整っていた。
「ごめんなさい、ゆっくり食べちゃいました」
講師をしてくれるマスターの奥さんを待たせてしまったのでは、と謝ると、奥さんは笑顔で首を横に振った。
「ゆっくりしていただくのが主人の望みですから」
そう言いながら用意していた材料を見せてくれる。見慣れた黄色いススキの束の隣にある、白い束が珍しくて眺めていると、それはススキじゃなくてオギなのだと教えてくれた。オギを使うと白いフクロウが出来上がるらしい。
白いフクロウ………ファンタジー映画に出てきた白いフクロウ、可愛かったなぁ………
可愛い白いフクロウを作りたいけど、正直自分の器用さに自信がない。無難にススキを選んだ。
先輩はどうするのか聞いたら、拘りがなかったみたいなので、思いきってオギで作ってとお願いしてみた。
「解った。でも、上手く作れるかは解らないぞ」
「大丈夫です、先輩なら。絶対」
その確信は何が根拠なんだ、と先輩が苦笑するけど、先輩は基本的にいろいろそつがないと思う。気合いを入れて臨んだゲームの得点で負けた記憶はまだ新しい。
マスターは仕事柄かもしれないけど、奥さんもほんわかした人だった。一応手順を書いたプリントを貰ったけど、ほとんど私とお喋りをしながら「あ、じゃあ次はここを紐で縛ってね」と私たちの進み具合を見ながら教えてくれる。先生というより優しいお姉さんという雰囲気。
一昨年脱サラしてここでカフェを始めたけど、その前はもっと賑やかな街中で暮らしていて、今とは百八十度違う生活だったという奥さんの話を聞いてるうちに、先輩は黙々と白いフクロウを完成させ、奥さんの勧めに頷いて黄色いフクロウも作り始める。
先輩が黄色いフクロウを作り上げるころ、やっと私もフクロウを完成させた。
「あぅぅぅぅ……………」
想像はしていたけど、想像通りの出来に落胆を隠せない。
二羽寄り添う白と黄色のフクロウ。美男美女のカップルに見える。そしてぽつんと離れた場所で佇むずんぐりむっくりフクロウ。
初めて作ったわりには上手よ、と奥さんは微笑むけど、凹むものは凹む。
「細長いより、丸い方が可愛いんじゃないか。柔らかそうで」
先輩、丸いというフレーズはフォローになってますかね………?
「そうよ。こうすると……ほらっ。なんだか良い雰囲気じゃない?」
奥さんが位置をずらして、カップルの間に丸いフクロウを置く。スタイルの良いフクロウの角度をずらすと、なんだか幸せに子育てを楽しんでいる家族みたいに見えてきた。
「容姿が綺麗な者同士が並んでる姿は見ていて絵になるけど、こっちの方がわたしは好きよ。なんか感情があって」
「―――私も、好きです」
ぽつりと同意すると、奥さんは、ね?と満足そうに微笑んだ。
先輩を見上げると、すごく優しい目をしていて胸が温かくなった。
店の外まで出て見送ってくれる奥さんたちの姿が見えなくなってから、前を向いて座り直す。
「楽しかったですね!」
頷く先輩は前を向いたままだけど、柔らかい笑顔を浮かべている。
「作り方のプリントも貰ったし、家でも作れちゃいますね………あ、でもススキって手に入らないかな………」
子どもの頃は近所の空き地にたくさん生えてたはずだけど、ここ最近は自然に生えてるススキなんてあまり記憶にない。思い出すとちょっと切なくなる。今までお月見とかしてこなかったのに、今さら勝手な感情だとは思うけど。
「ススキなら、婆さんに頼めばいい」
「ふぇ?」
先輩があっさり言う。
先輩の家では毎年ちゃんとお月見をしていて、お供えのススキはお婆ちゃんが分けてくれるらしい。
「付き合いで生け花をやる関係で、手に入れるのに苦労は無いそうだ」
だから今年は多目に分けてもらおう、という提案は嬉しいけど、ちょっと考えてしまう。
生け花………すごい。セレブの嗜みだよね。
それに使うススキって、もしかして私が知らないブランドの高級ススキ?それでフクロウ作っていいものなの?
いやいや、その前に!
孫のか、彼女ってだけでススキくださいなんて図々しいんじゃ………
ぐるぐる考えていると、先輩が声をあげて笑う。
「せ、先輩?」
どうしました?と首を傾げると、悪い、と言いながらも先輩は肩で息をする。
「高級ススキなんて、考えたこともなかったぞ」
思わず声に出ていたみたいで、とたんに頬が熱くなる。
「どうせ月見が終わったら、ゴミになってしまうんだ。フクロウにした方がいい。二、三体でも渡せば、婆さんも喜ぶだろ」
確かにゴミにしちゃうよりも良いとは思うけど、お婆ちゃん、喜ぶでしょうか。ずんぐりむっくりフクロウ。私なら困るのだけど。
せめてお礼のフクロウは先輩が作ってくださいとお願いしたけど、先輩は最後まで頷いてくれなかった。
「そこは結香でないと駄目だろう」
なぜそう断言できるのか、首を捻りながら車は私の家に向けて走るのでした。
◆ 後日談・話の話題はやはり結香 ◆
『いいじゃない。いいなぁ。あたしもお誘い受けたいなぁ』
羨ましがる気持ちは少しは解る。大切な友だちに違いはないけど、京都は遠い。気軽に訪ねてた子どもの頃が懐かしく貴重だったのだと再認識する。
「彼氏ができたとたんに友だち放置するのもどうかと思うけど、イベントの度に呼んだりデートの度にお土産くれるってどうなのかしらね。しかも実際に支払ってるのが友だちじゃなくてその彼氏っていうとさらに理解し難いんだけど」
『結香らしいといえばらしいわよね。珍しいとは思うけど』
笑い声で雅は続けた。
『まぁ、エラソーには言えないわね。独り者のあたしとしては』
それは自分もそうだけど、やはりおかしいと思う。はっきり言って泣かれると非常に困るので言えてないけど。
『それに進藤家の隠し玉が噂通りで、あたしとしては安心ね。安心して結香を託せるわ』
後半は同意できるが、隠し玉とは何のことか。
「進藤先輩って、そういう華やかな所で噂になってるの?進藤先輩のお父さんは警察官だと聞いたけど」
『上層部から昇級試験を受けるように毎回催促される刑事さんらしいわよ。SD製薬の経営陣にも取引先にも、進藤夫人の事業の関係者にも、今からでも後継者になってほしいと言う人が多くてね。当然、その息子も期待されてるわけ』
想像はできてた話だけど、ついため息が出た。
「個人情報がそんなに流れてるなんて、恐ろしいわね。お父さんは後継者を辞退していて、進藤先輩もお披露目されてないはずよね?」
『お披露目されてない優秀な人間だから、他に取られる前にと手間暇かけて情報を探るんでしょ。SD製薬の後継者に名乗りを挙げさせれば自分は社長夫人になれる。逆に婿入りしてもらって親の会社を継いでもらえるのも良し』
何が良し、か。
不愉快な発想に不満気な息をつく。
電話の向こうで、宥めるような笑い声が響いた。
『少し前に、進藤家に収まりたいと意気込んだ女の人が一人いたらしいんだけどね。進藤夫人の怒りをかったそうで、父親共々身動きできないみたいよ。そういう見せしめがいるから、婚期を焦る女も簡単に名乗りを挙げないんじゃないかしら』
一度だけ会った快活な老夫人を思い出す。あの人が怒ったら、かなりの剣幕で追いたてられるだろう。
『それにしても、知佳。結香の彼氏がSD製薬創設者の縁の者なんて、よく解ったわね。嫌いでしょ。あぁいう見た目だけ華やかな世界』
「嫌いだけど。お祖父さんの顔、前に雑誌で見たから」
夏に見かけたときは、正直孫同様に無愛想だと思ったが、そういえばとひっくり返した雑誌の写真を見て、あのときの方が余程リラックスしていたのかもしれないな、と思ったものだ。
『そんな雑誌読む女子高生もどうかと思うけど、知佳なら納得できちゃうのよね』
散々な言われようだけど、特に反論はしない。
「結香は最近やっと知ったみたい。私に言おうかどうか迷ってるのかしらね。最近、話の途中で途切れがちになるから」
そんなもん気にしなくていいのにね、と言い捨てると雅はクスクス笑う。
『知佳が、小学生のときから全面的に敵視してたからでしょ?』
「そう………かもしれないけど」
渋々認めると、穏やかな声で聞かれた。
『今でも、許せない?』
「許す許さないなんて、そもそも考えたくない。視界に入れたくない。存在を感じるのも嫌」
思わず強い声で言い切ってから、一つ深呼吸をした。
「ごめん。八つ当たりだった」
『いいよ。水向けたのはあたしだから』
あっさり許してくれる雅の余裕が羨ましい。
三年後、今の雅と同じ歳になれば、自分も余裕を持てるのだろうか。振り回されずにいられるのだろうか。
そんな予感は全然しないけど。
「あの人たちは正直何十年経とうが変わらないと思うけど。進藤先輩は、というか、進藤先輩のお祖父さんとお祖母さんはあの人たちと違うって解ってるから。結香はもう大丈夫だって私も思う。進藤先輩は、たまに金銭感覚がセレブの雰囲気出てるけど、話に聞いてる限りじゃどうも結香に関する限りっぽいし。お蔭で、いつの間にか終わってた!て大騒ぎする結香も、楽しんでるわよ。トロトロあっまい恋愛の秋をね」
そう、と雅は面白そうに相槌を打つ。
『その、お月見とフクロウ作りだっけ?楽しくなりそうよね。本当にあたしも行きたいわ』
「セレブはセレブの集まりで忙しいんじゃないの?」
忙しいけど、と今度は雅がため息をついた。
『忙しいばかりで欠片も楽しくないもの。進藤夫人だって、本音はあんな会合なんて放ってそっちに行きたがるはずよ―――あーぁ、あたしも行きたいなぁ………いっそそっちに引っ越そうかしら』
「冗談ばっかり」
呆れた声で言うと、雅は一転して楽しそうな笑い声をあげた。
『とにかく。あたしからしたら、知佳のぼやきは逆に羨ましいんだから。イベントのお誘いもデートのお土産も、あまりギャアギャア言っちゃダメよ?』
「ギャアギャアなんて言わないわよ。だっておかしいと思わない?ススキを見に行って、なんでお土産が海苔の佃煮なの?おかしいでしょ?」
私の勢いにも構わず、雅はフフっと笑う。
『美味しかったんでしょう?』
ならいいじゃない、と言われて言葉に詰まる。
私の沈黙を解ってるみたいで、雅はクスクス笑った。
『寂しい気はするけど、結香が幸せなら言うことないわね。次は知佳かしら』
「次?厄介な生徒会長が終わったら受験よ。当分予定は埋まってて充実してるわ。お蔭様で」
そんなこと言って、と雅は年上らしく言い聞かせるような声を出した。
『結香ほどトロトロはしてないかもしれないけど、知佳も軽く恋愛の秋なんでしょ?なんていったっけ………みやもと、くん?』
「はぁぁっ!!?」
絶叫してから、リーク元を思い描く。
「結香………今度クラスメイトにからかわれてても放置してやるんだからっ」
唇を噛みしめる私を、笑い声で雅が宥めた。
雅に免じて最終的には助けるけど、気持ち長めに放置してやる。
そう決意してしまう私は、まだまだ子どもなのかと自分でショックを受けた。
先輩や知佳ちゃんなら勉学の秋かな。陽くんなら豊作の秋。最近美紅ちゃんにオモチャを送ってくれた夏目先輩は、行楽、じゃなくて、スポーツの秋かな?
そんなことを思いながら空を見上げていると、腰回りが温かい体温に包まれて先輩の穏やかな表情が逆さまに映った。
「そんなに見上げてると、後ろにひっくり返るぞ」
「ふひゃぁっ!??せんぱいっ!ここ、外ですからぁっ!!」
人目につくところで抱っこは恥ずかしいと慌てると、クスクス笑ってぎゅぅっと抱きしめられた。離した手で軽く私の頭を撫でる。
「ここまで来れば、結香のクラスメイトに見られる心配、ないだろう?」
「それは、そうなんですけど………」
空気は少し冷たいのに、うぅぅと唸る頬がすごく熱い。
先輩は唸る私を穏やかな笑顔で見つめた。
最近のお昼休み。
生徒会長になった知佳ちゃんは相変わらず忙しいみたいで、お弁当を食べ終わるとすぐに生徒会室へ行く。そうすると一人になって寂しいかな、と思ったけどそうでもなかった。
知佳ちゃんが席を立つや否や近くでお昼を食べていた女の子たちが、「結香、結香」とどこかワクワクしながら手招きをする。
「これ、新発売のお菓子だけど食べない?」
「え、いいの?ありがとう」
お菓子を貰おうと近づくと、近くの椅子を引き寄せて、まぁ座って座って、と勧められる。
「ねぇ、この間遊園地行ったって、本当?」
口の中がお菓子でいっぱいだったのではっきり首を縦に振ると、みんな期待したような目で前のめりになる。
「もちろん、デートだよね?」
「どうだった?」
こんなカンジで先輩と出かけた話をいろいろ聞かれるのです。
みんなは参考にしたいからと話を聞きたがるんだけど、先輩とのデートの話はなかなか話しづらくて大変。どこそこに行った、くらいじゃ満足してくれなくて、先輩とどんな話をしたかとかその………スキンシップがどのくらいなのかを主に聞かれるので。
先輩とのお喋りの内容も、あれこれ勝手に話すのも気が引けるし、スキンシップの内容なんて恥ずかしくて話しづらい。
たいてい困りきっていると、戻ってきた知佳ちゃんがやんわりと断ってくれる。
「進藤先輩はもう大学生なんだから、今結香の話を聞いたところで参考にはならないわよ。それと、結香たちのイチャイチャぶりを聞いたんなら、後日あなたたちのも聞かせてくれるのよね?あぁ、でも………この人数まとめて聞く時間を作るのは面倒だから、レポートにしてね」
ちゃんと内容確認するから、しっかり書いてくれる?と笑顔で手を差し出す知佳ちゃんに、みんなはちょっと引きつったように笑う。
そして、その後ろから宮本くんがやんわり知佳ちゃんを宥めるのだ。
「水瀬、水瀬。皆羨ましくなっちゃっただけだからさ。そう怒るなよ」
「そもそもあなたがお土産をおねだりするから、遊園地に行く話が知れ渡ったんでしょうが」
知佳ちゃんがギロリと睨むけど、宮本くんはそうかなぁと首を捻る。
「でもさぁ、牧野たちが仲良いのはもう皆知ってるし。週明けに、進藤先輩とどっか出掛けたー?とか聞いたら、牧野ならモロ解りの反応するんじゃないかなぁ」
「まぁ、それはそうよね」
「酷いよ、知佳ちゃん………」
こんなカンジでみんなジワジワと本格的に進路を決めつつも、穏やかに日々を送っているのです。
知佳ちゃんのお蔭であまり頻繁に聞かれなくなったとはいえ、以前先輩とのお出かけを目撃されたことでちょっとトラブルにもなったので、私としては気をつけようと思うのだけど。
先輩は、最近ますます攻撃力を増しています。
前から手を繋ぐのは当たり前だったけど、最近、屋外でも先輩は当然のように私を抱き抱えたり軽くキスするようになった。
万が一クラスの友だちとかに見られたら恥ずかしいと言うと、「じゃあ、遠出ならいいだろ」とあっさりレンタカーを借りちゃうあたり、改めて先輩がもう大学生なんだなぁと思うけど、そのフットワークの軽さに驚くばかりで。
その理由が私に触るためというのが、とてつもなく恥ずかしいような。でも、それだけ私のことをす、好きなんだな、と思うとひたすら嬉しかったり。
私の心は、この秋の空のように穏やかに冴えわたったり激しく荒れ狂ったり忙しないけど、幸せいっぱいの秋なのです。
色鮮やかな花にも負けない、壮観な眺めにため息をついた。辺り一帯で青空の下ススキが風に揺れる光景は、まさに金色の絨毯。
いつまでも見入っていたいけど、遠くから流れるアナウンスが、立ち止まらずに進むように促す。
手を引かれるまま、ススキが一斉にそよぐ丘を目に焼きつけて時おり先輩を仰ぎ見る。凛と立って真っ直ぐ前を見つめる先輩は、どこかこの景色にすごく合ってる。ススキ野原の真ん中に立ってもらったら、ものすごく素敵な絵になるなぁ、なんてついぼんやりとしてしまう。
「周りにぶつからないように歩いたらもう出てしまったけど、もう一度入り口に戻るか?」
頬を親指で押されながら聞かれて、思わず首を横に振った。
「わ、私は先輩に手を引いてもらってたから、歩いてるときもずっと見れたから大丈夫ですよ?先輩は?ちゃんと見れました?」
「結香程しっかりと見てないが、歩きながら見たぞ」
先輩の答え方に首を傾げる。
つまり、見ることは見たけど、人を避けるのに忙しくて楽しめなかった、ってことかな?
考えこんでいると、先輩が破顔して頬をつついた。
「結香みたいに後で絵に再現出来る程深く細かく見ているわけじゃないが、普通に楽しんだぞ」
だから心配するな、と眉と眉の間を人指し指で撫でられる。
思わず、ふへっと笑うと蕩けそうな笑みを浮かべて頭を撫でる。その瞳に見惚れていると、先輩の指は私の髪の間に少しずつ入りこみ、後ろ頭を温かく包んだと思ったら唇が先輩の温かいそれに覆われた。
「……………っ!??んむっ………!!?」
驚いた拍子に開いたすき間から肉厚の舌が入りこんで口の中を撫で回す。ビクリと震える身体は逆の腕に抱きこまれてしっかりと閉じこめられる。舌先で私の舌を撫でられて目を見開くと、先輩は目を細めて笑みを浮かべる。
甘くけどどこか獰猛な笑みに、身体はゾクゾクと震えるけどどこか嬉しさに心が震えた。
「んんっ……………んっ………」
思いきり舌を吸われて少し痛いのに、なぜか嬉しい。自分の気持ちや反応が解らなくて涙目になると、先輩の舌が私の口の中からゆっくり出ていった。
驚いたしときどき苦しかった気がするけど、離れると少し寂しく感じてしまって短く息をしながらぼんやりと先輩の唇を見つめた。
惚けてる私をどこか嬉しそうな目で眺めてから、先輩は両手で私をぎゅむっと抱きこんだ。
「………こ、ここ………そと、なのに………」
息の合間に切れ切れに言うと、フッと笑った息が頭にかかってまた身体の熱が上がる。
「ちゃんと移動したから大丈夫だ」
言われてそろりと周りの様子を窺うと、駐車場や周りの店に向かって歩く人の流れから外れたわき道に、いつの間にか移動していたことに気づく。流れに沿って歩く人は、人にぶつからないように歩くのに精一杯で、確かにこちらを見る人はいない。
「でも、外でいきなりき………き、キス、されたら、ビックリします、ょ」
平然としている先輩が少し悔しくて、モスグリーンのセーターにぐりぐりと頭を擦りつける。Vネックから覗く鎖骨に心臓がドクドクと音を立てた。
はぁっと首にかかる息が熱い。
「最近、完全に二人きりというのはあまり無かったからな。今日は思う存分触りたい。それに、景色に心を奪われる結香が可愛い過ぎるのが悪い」
「かわっ!!?」
ストレートに可愛いと言われて沸騰する私の身体を反転させてもう一度片腕で抱きこむと、空いた片手でスマホを操作して写メを撮る声は、しばらく頭と身体がふわふわするくらい甘かった。
言われてみれば、深いキスってあまりしてないかもしれない、けど。
唇と唇を合わせるキスは何回もしてるし。
人にぶつからないようにとか、座席が硬いからって抱っこされる回数はすごく増えたし。
は、恥ずかしすぎて思い出せなかったけど、先輩に抱きかかえられたまま一晩寝ちゃってたわけだし!
なんだかんだで結局ちょこちょこ触られてるんじゃない?
そんな疑問が浮かんだのは、車が動き出してからのことでした。
ふひゃぁっと笑い声をあげると、先輩が一瞬こちらを見た。
「だいぶ揺れてるが、大丈夫か?」
激しいエンジン音の合間に聞こえる声は、怒鳴ってるわけでもないのにスッと耳に届く。先輩って声まですごいの?
「大丈夫、というより、楽しい、ですっ」
右に左に揺れながら、エンジン音に負けない声で叫ぶと、そうか。という呟きがちゃんと聞こえた。
「もう少し速度を落としたいが、前後の車もこの速さにノってるみたいだからな。とりあえず、もう少しで展望スペースがあるからそこに入ろう」
頷きながら見ると、片手でしきりにギアを切り換えて、真剣な目付きで道の先を見ている。よく人間の本性は運転すると解るなんて聞くけど、運転しているときの先輩はいつも以上に格好良い。
なんというか、格好良いの上限がなくて、そんなすごい人がなぜか私のか、彼だという奇跡にたまに心の中でジタバタする。
大きな手や凛凛しい横顔に見惚れていると、車は山道をそれて停まった。
先輩に遅れないように急いで車を降りて、軽く伸びをしている先輩の背中に廻る。マッサージ師さんを意識して、ここですかーと腰を擦ると、先輩は小さく笑った。
「もう少し上でお願いします」
「かしこまりましたー………こちらですかー?」
あぁ、そこです。とつく息がどこか艶っぽい。
その声を聞いた私の方がなぜか顔が熱くなって、擦る手に力をこめて必死に腰を擦る。
しばらく擦っていると、フーッと先輩が長く息をついた。
「ありがとう。結香もマッサージするか?」
「あ、大丈夫ですよ?こってないし」
首を横に振ると、そうか?と首を傾げる表情がどこか残念そう。
手すりに手をかけて思いきり息を吸った。
息をつきながら目を開けると、ススキの丘で見上げたときより青みを増した空が視界いっぱいに飛びこんできて、心の隅まで広がっていく感覚に満足する。
目線を下げると、ところどころ朱に染まる木々と離れた先に、黄金に波打つ丘が見えた。
「先輩、さっき行ったススキの丘、あっちに見えますよ!」
指差して振り返ると、私越しに覗く。背中が温かい体温に包まれて、山の空気は冷たいんだな、と改めて思った。
「本当だ。あの道を通って来たんだ―――ほら、結香が可愛いと喜んだ家はあの辺りだ」
長い指で示しながら、逆の腕は私の腰にしっかり巻きつく。
「先輩、抑えてたら見えませんよ?」
見上げると、先輩はにこりと笑った。
「捕まえておかないと、身を乗り出して落ちたら危ないだろう?」
「そんな子どもっぽいことしませんよっ」
頬を膨らませて抗議するけど、先輩は構わず笑顔で私を抱きこんでおでこにキスを落とす。
「~~~~~っ、先輩っ」
もうっ、もうっ、と言葉にならない抗議に先輩は眉尻を下げる。
「周りに誰も居ないだろう?」
そんなねだるような目をするのは、ズルい。
結局何も言えなくて、下りてくる唇をそのまま受け止める。
顔の下半分の感覚がおぼつかなくて、なのに唇はジンジンと熱くて少し痛くて、私はきっとだらしない顔をしていたと思う。
峠を降りた車は建物が少ない道を走り、木々の中にいきなり開けた空間に滑りこんだ。
それはどう見ても大きな一軒家で、もしかしてお婆ちゃんの別荘かなにか?と焦ると、ぽふぽふと頭を撫でながら先輩は首を横に振った。
「ここは喫茶店だぞ」
たまにテレビで見る流行りの古民家カフェというものらしい。庭に見える小さな畑に飾られている人形とか、駐車場の奥で薪を割ってるおじさんとか、目新しいものを次々見ながら店の中に入った。
落ちついた声でいらっしゃいと言った男の人がマスターなのかな。カフェのウェイター風の服装と庭に面した座敷にある大きな囲炉裏が合っていないようで、でもカフェ全体としてはしっとりとしていて、ついキョロキョロしてしまう。
「今日は少し冷えますからね。宜しかったら囲炉裏の前へどうぞ」
「は、はい」
じぃぃっと見ていたからかな。囲炉裏の側を勧められてしまった。
先輩に続いて靴を脱いで座敷に上がる。囲炉裏からはほんのり温もりが伝わる。
「結香、どれにする?」
先輩が持っているお品書きを覗きこむ。上の方につけ加えられた「新米あります!」のコメントを見て、ご飯が食べたくなった。
「ご飯………私、この塩むすびセットに豚汁つけます」
おかずを自分で三品選べるらしい。なんだかとても魅力的なメニューだ。目で一生懸命おかずを選んでいると、先輩がマスターを呼んでくれる。
「塩むすびセットを二つと、豚汁一つ、あとほうとう一つをください」
「はい。おかずはどうしますか?」
先輩は迷うことなく鮭の塩焼き、肉じゃが、ぬか漬けを選んだ。私は考えた末にだし巻き玉子と海苔のつくだ煮、浅漬けを選んだ。
「只今用意しますので、宜しければ庭やそちらの作品等をご覧下さい」
マスターはそう言うと、丁寧に頭を下げて奥へ行く。
庭も近くで見たいけど、作品という響きが気になって少し中腰になってしまう。
「先輩、見に行ってもいいですか?」
先輩は軽く頷くと身軽に立って、さっき脱いだばかりの靴を履く。おねだりした私がモタモタしてはいけないので、慌ててその後に続いた。
立ち上がる所作が綺麗だったりもたつかずにできるのは、先輩の家が和室の多い家だからかな。それとも、剣道をやっていたからかな。なんか優雅で憧れる。
テーブル席の一画に、小さな棚があった。そこに並んでいるのが、マスターが言ってた作品だと思う。
「………はわぁ………可愛い………」
ススキで作った人形や動物が、隣り合ったり少し向かい合ったりして並んでいる。作ったものと解っていても、どこか表情や愛嬌があって可愛い。この男の子と女の子は何を話してるのかな、とかウサギたちは何を見ているのかな、とか。昔お姉ちゃんとおままごとしたときの感覚を思い出す。
「フクロウなら、作れるかもしれないぞ」
先輩が棚の端に置いてあった案内を指差す。
『ススキでフクロウを作ってみませんか?ご希望の方はカウンターまで』
どうする?と目で聞かれて、その小さな案内を覗きこんだ。
「やってみたい、です。でも、こういうのって予約必要ですよね?」
「あぁ、フクロウ作りですか?予約は要りませんよ。今日は居ますから」
「ふひゃぁっ?」
案内のどこかに予約や値段について書いてないかな、と探していたので、マスターが答える声に小さく飛び上がった。
「そこの作品は妻の作でしてね。在宅している時だけその案内を出しているんですよ」
「今日これから体験出来ますか?」
マスターの説明に納得していると、先輩がサッと聞いてくれた。マスターはにこりと笑って頷いた。
「お召し上がりになっている間に、聞いてまいります」
二人分の塩むすびセットができあがったみたいなので、囲炉裏の側に戻った。
二人揃っていただきますをしてから、おかずを分け合いっこしながら塩むすびを食べる。
「カフェで塩むすびを食べるって、不思議な感覚ですけど、美味しいですね」
おかずを一口食べては塩むすびを少し齧っている隣で、先輩は一つのおむすびを三口くらいで食べている。セット一つにおむすびは三つついてるけど、一つの大きさが小さいから先輩には足りないかもしれない。
「先輩、私のおむすび一つどうですか?」
聞くと、先輩は少し首を傾げた。
「どうした?具合悪いか?」
「え?いえ、元気ですよ?」
そうか。と少し安心したように息をついてから、先輩は私の顔を覗きこんだ。
「どうしても余るなら貰うが、きちんと食べないと駄目だ。すぐに寒くなるんだから、しっかり食べないと風邪で寝込むことになるぞ」
心配してくれるのは嬉しいけど、少し頬を膨らませる。
「それ、毎年お母さんに言われてますよ。そして食べ過ぎちゃって春に困るんですよ」
強い熊だって冬眠前にはしっかり食べるの。結香だってしっかり食べて栄養いっぱい摂れば、風邪なんかひかないんだから。
小さい頃、秋冬には毎年のように風邪をひいていた。治ったと思ってもまた風邪をひいて、学校にも行けなくて憂鬱でご飯も食べたくなくなったとき、氷枕をあてがいながらお母さんは明るい声でこう言った。
懐かしい。
前ほど頻繁に風邪をひかなくなった今では、連日の看病で疲れていたはずなのに明るく励ましてくれたお母さんにありがたいなと心から思ってる。
でも。
今年も変わらず言ってくるお母さんに思う。
熊は冬眠中にカロリー消費するから太らないけど。
毎日ご飯が食べれるのに、冬眠前の熊をイメージして食べたら絶対に食べ過ぎだよ!
小さい頃は本当に心配かけた自覚があるから、お母さんには言えないけど………
私の話を、先輩は箸で鮭を触りながら聞いていた。
「そんなに毎年風邪で寝込んでいたなら、今でもハルさんは心配になるんだろう?しっかり食べろ」
そう言ってだし巻き玉子の鉢の空いたところに鮭を半分置いた。
「先輩………あの、今では本当に風邪ひかなくなってきましたし。毎日熊のように食べたら太っちゃいますよ………」
訴えるように先輩を見上げるけど、先輩は変わらず食べるように目で促す。
うぅ………鮭、美味しい……ご飯が進んじゃう。
「結香はもう少し食べた方がいい。軽すぎる」
そんなことを先輩は真面目な顔で言う。
「軽すぎる。結香だったら、楽に高い高いが出来る。投げるタイプの」
「高い高い………」
オーバーだとも思うけど、さっきも抱きしめてくれた腕を思い描く。丸太のように太くもないけど、筋肉がついた綺麗な長い腕。
離れて座る私を膝に乗せるときも、小さくあげるかけ声はつい出ちゃうものじゃなくて、私への合図だと思う。
あの腕なら、十六歳の私でも高い高いできると思う。
考えながら食べていたみたいで、いつの間にか二つ目のおむすびを半分ほど食べていた。
先輩が見守る目が嬉しくて恥ずかしくて、へにゃっと笑う。
先輩が微笑んで頷いたところに、マスターが汁椀の乗ったお盆を持ってきた。
「お待たせいたしました。こちら、豚汁とほうとうになります。あと、体験の件ですが、お食事の後に始められるよう準備していますので」
「あ、ありがとうございます」
大きめの汁椀を受け取りながらお礼を言うと、マスターは笑顔で頭を下げて戻っていった。
だしと野菜と豚と味噌。うま味がつまった汁を一口飲んでほぅっと息をつく。
ぼんやり先輩を見ると、ほうとうを摘まむ目元がやわらかい。
目が合ってしまって、お互いに苦笑しながらゆっくりご飯を食べた。
ご飯を食べるのに夢中で気づかなかったけど、テーブル席の一つにフクロウ作りの用意がすっかり整っていた。
「ごめんなさい、ゆっくり食べちゃいました」
講師をしてくれるマスターの奥さんを待たせてしまったのでは、と謝ると、奥さんは笑顔で首を横に振った。
「ゆっくりしていただくのが主人の望みですから」
そう言いながら用意していた材料を見せてくれる。見慣れた黄色いススキの束の隣にある、白い束が珍しくて眺めていると、それはススキじゃなくてオギなのだと教えてくれた。オギを使うと白いフクロウが出来上がるらしい。
白いフクロウ………ファンタジー映画に出てきた白いフクロウ、可愛かったなぁ………
可愛い白いフクロウを作りたいけど、正直自分の器用さに自信がない。無難にススキを選んだ。
先輩はどうするのか聞いたら、拘りがなかったみたいなので、思いきってオギで作ってとお願いしてみた。
「解った。でも、上手く作れるかは解らないぞ」
「大丈夫です、先輩なら。絶対」
その確信は何が根拠なんだ、と先輩が苦笑するけど、先輩は基本的にいろいろそつがないと思う。気合いを入れて臨んだゲームの得点で負けた記憶はまだ新しい。
マスターは仕事柄かもしれないけど、奥さんもほんわかした人だった。一応手順を書いたプリントを貰ったけど、ほとんど私とお喋りをしながら「あ、じゃあ次はここを紐で縛ってね」と私たちの進み具合を見ながら教えてくれる。先生というより優しいお姉さんという雰囲気。
一昨年脱サラしてここでカフェを始めたけど、その前はもっと賑やかな街中で暮らしていて、今とは百八十度違う生活だったという奥さんの話を聞いてるうちに、先輩は黙々と白いフクロウを完成させ、奥さんの勧めに頷いて黄色いフクロウも作り始める。
先輩が黄色いフクロウを作り上げるころ、やっと私もフクロウを完成させた。
「あぅぅぅぅ……………」
想像はしていたけど、想像通りの出来に落胆を隠せない。
二羽寄り添う白と黄色のフクロウ。美男美女のカップルに見える。そしてぽつんと離れた場所で佇むずんぐりむっくりフクロウ。
初めて作ったわりには上手よ、と奥さんは微笑むけど、凹むものは凹む。
「細長いより、丸い方が可愛いんじゃないか。柔らかそうで」
先輩、丸いというフレーズはフォローになってますかね………?
「そうよ。こうすると……ほらっ。なんだか良い雰囲気じゃない?」
奥さんが位置をずらして、カップルの間に丸いフクロウを置く。スタイルの良いフクロウの角度をずらすと、なんだか幸せに子育てを楽しんでいる家族みたいに見えてきた。
「容姿が綺麗な者同士が並んでる姿は見ていて絵になるけど、こっちの方がわたしは好きよ。なんか感情があって」
「―――私も、好きです」
ぽつりと同意すると、奥さんは、ね?と満足そうに微笑んだ。
先輩を見上げると、すごく優しい目をしていて胸が温かくなった。
店の外まで出て見送ってくれる奥さんたちの姿が見えなくなってから、前を向いて座り直す。
「楽しかったですね!」
頷く先輩は前を向いたままだけど、柔らかい笑顔を浮かべている。
「作り方のプリントも貰ったし、家でも作れちゃいますね………あ、でもススキって手に入らないかな………」
子どもの頃は近所の空き地にたくさん生えてたはずだけど、ここ最近は自然に生えてるススキなんてあまり記憶にない。思い出すとちょっと切なくなる。今までお月見とかしてこなかったのに、今さら勝手な感情だとは思うけど。
「ススキなら、婆さんに頼めばいい」
「ふぇ?」
先輩があっさり言う。
先輩の家では毎年ちゃんとお月見をしていて、お供えのススキはお婆ちゃんが分けてくれるらしい。
「付き合いで生け花をやる関係で、手に入れるのに苦労は無いそうだ」
だから今年は多目に分けてもらおう、という提案は嬉しいけど、ちょっと考えてしまう。
生け花………すごい。セレブの嗜みだよね。
それに使うススキって、もしかして私が知らないブランドの高級ススキ?それでフクロウ作っていいものなの?
いやいや、その前に!
孫のか、彼女ってだけでススキくださいなんて図々しいんじゃ………
ぐるぐる考えていると、先輩が声をあげて笑う。
「せ、先輩?」
どうしました?と首を傾げると、悪い、と言いながらも先輩は肩で息をする。
「高級ススキなんて、考えたこともなかったぞ」
思わず声に出ていたみたいで、とたんに頬が熱くなる。
「どうせ月見が終わったら、ゴミになってしまうんだ。フクロウにした方がいい。二、三体でも渡せば、婆さんも喜ぶだろ」
確かにゴミにしちゃうよりも良いとは思うけど、お婆ちゃん、喜ぶでしょうか。ずんぐりむっくりフクロウ。私なら困るのだけど。
せめてお礼のフクロウは先輩が作ってくださいとお願いしたけど、先輩は最後まで頷いてくれなかった。
「そこは結香でないと駄目だろう」
なぜそう断言できるのか、首を捻りながら車は私の家に向けて走るのでした。
◆ 後日談・話の話題はやはり結香 ◆
『いいじゃない。いいなぁ。あたしもお誘い受けたいなぁ』
羨ましがる気持ちは少しは解る。大切な友だちに違いはないけど、京都は遠い。気軽に訪ねてた子どもの頃が懐かしく貴重だったのだと再認識する。
「彼氏ができたとたんに友だち放置するのもどうかと思うけど、イベントの度に呼んだりデートの度にお土産くれるってどうなのかしらね。しかも実際に支払ってるのが友だちじゃなくてその彼氏っていうとさらに理解し難いんだけど」
『結香らしいといえばらしいわよね。珍しいとは思うけど』
笑い声で雅は続けた。
『まぁ、エラソーには言えないわね。独り者のあたしとしては』
それは自分もそうだけど、やはりおかしいと思う。はっきり言って泣かれると非常に困るので言えてないけど。
『それに進藤家の隠し玉が噂通りで、あたしとしては安心ね。安心して結香を託せるわ』
後半は同意できるが、隠し玉とは何のことか。
「進藤先輩って、そういう華やかな所で噂になってるの?進藤先輩のお父さんは警察官だと聞いたけど」
『上層部から昇級試験を受けるように毎回催促される刑事さんらしいわよ。SD製薬の経営陣にも取引先にも、進藤夫人の事業の関係者にも、今からでも後継者になってほしいと言う人が多くてね。当然、その息子も期待されてるわけ』
想像はできてた話だけど、ついため息が出た。
「個人情報がそんなに流れてるなんて、恐ろしいわね。お父さんは後継者を辞退していて、進藤先輩もお披露目されてないはずよね?」
『お披露目されてない優秀な人間だから、他に取られる前にと手間暇かけて情報を探るんでしょ。SD製薬の後継者に名乗りを挙げさせれば自分は社長夫人になれる。逆に婿入りしてもらって親の会社を継いでもらえるのも良し』
何が良し、か。
不愉快な発想に不満気な息をつく。
電話の向こうで、宥めるような笑い声が響いた。
『少し前に、進藤家に収まりたいと意気込んだ女の人が一人いたらしいんだけどね。進藤夫人の怒りをかったそうで、父親共々身動きできないみたいよ。そういう見せしめがいるから、婚期を焦る女も簡単に名乗りを挙げないんじゃないかしら』
一度だけ会った快活な老夫人を思い出す。あの人が怒ったら、かなりの剣幕で追いたてられるだろう。
『それにしても、知佳。結香の彼氏がSD製薬創設者の縁の者なんて、よく解ったわね。嫌いでしょ。あぁいう見た目だけ華やかな世界』
「嫌いだけど。お祖父さんの顔、前に雑誌で見たから」
夏に見かけたときは、正直孫同様に無愛想だと思ったが、そういえばとひっくり返した雑誌の写真を見て、あのときの方が余程リラックスしていたのかもしれないな、と思ったものだ。
『そんな雑誌読む女子高生もどうかと思うけど、知佳なら納得できちゃうのよね』
散々な言われようだけど、特に反論はしない。
「結香は最近やっと知ったみたい。私に言おうかどうか迷ってるのかしらね。最近、話の途中で途切れがちになるから」
そんなもん気にしなくていいのにね、と言い捨てると雅はクスクス笑う。
『知佳が、小学生のときから全面的に敵視してたからでしょ?』
「そう………かもしれないけど」
渋々認めると、穏やかな声で聞かれた。
『今でも、許せない?』
「許す許さないなんて、そもそも考えたくない。視界に入れたくない。存在を感じるのも嫌」
思わず強い声で言い切ってから、一つ深呼吸をした。
「ごめん。八つ当たりだった」
『いいよ。水向けたのはあたしだから』
あっさり許してくれる雅の余裕が羨ましい。
三年後、今の雅と同じ歳になれば、自分も余裕を持てるのだろうか。振り回されずにいられるのだろうか。
そんな予感は全然しないけど。
「あの人たちは正直何十年経とうが変わらないと思うけど。進藤先輩は、というか、進藤先輩のお祖父さんとお祖母さんはあの人たちと違うって解ってるから。結香はもう大丈夫だって私も思う。進藤先輩は、たまに金銭感覚がセレブの雰囲気出てるけど、話に聞いてる限りじゃどうも結香に関する限りっぽいし。お蔭で、いつの間にか終わってた!て大騒ぎする結香も、楽しんでるわよ。トロトロあっまい恋愛の秋をね」
そう、と雅は面白そうに相槌を打つ。
『その、お月見とフクロウ作りだっけ?楽しくなりそうよね。本当にあたしも行きたいわ』
「セレブはセレブの集まりで忙しいんじゃないの?」
忙しいけど、と今度は雅がため息をついた。
『忙しいばかりで欠片も楽しくないもの。進藤夫人だって、本音はあんな会合なんて放ってそっちに行きたがるはずよ―――あーぁ、あたしも行きたいなぁ………いっそそっちに引っ越そうかしら』
「冗談ばっかり」
呆れた声で言うと、雅は一転して楽しそうな笑い声をあげた。
『とにかく。あたしからしたら、知佳のぼやきは逆に羨ましいんだから。イベントのお誘いもデートのお土産も、あまりギャアギャア言っちゃダメよ?』
「ギャアギャアなんて言わないわよ。だっておかしいと思わない?ススキを見に行って、なんでお土産が海苔の佃煮なの?おかしいでしょ?」
私の勢いにも構わず、雅はフフっと笑う。
『美味しかったんでしょう?』
ならいいじゃない、と言われて言葉に詰まる。
私の沈黙を解ってるみたいで、雅はクスクス笑った。
『寂しい気はするけど、結香が幸せなら言うことないわね。次は知佳かしら』
「次?厄介な生徒会長が終わったら受験よ。当分予定は埋まってて充実してるわ。お蔭様で」
そんなこと言って、と雅は年上らしく言い聞かせるような声を出した。
『結香ほどトロトロはしてないかもしれないけど、知佳も軽く恋愛の秋なんでしょ?なんていったっけ………みやもと、くん?』
「はぁぁっ!!?」
絶叫してから、リーク元を思い描く。
「結香………今度クラスメイトにからかわれてても放置してやるんだからっ」
唇を噛みしめる私を、笑い声で雅が宥めた。
雅に免じて最終的には助けるけど、気持ち長めに放置してやる。
そう決意してしまう私は、まだまだ子どもなのかと自分でショックを受けた。
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