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番外編
たぶん、幸せな悩み
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◆ 弓弦 side ◆
道の途中で呼ばれて振り返る。
「あぁ、ちゃんと来たんだな」
思ったまま口に出すと、光司はむすっと膨れた。
「バックレたらどうなるか解ったもんじゃねぇだろ」
暗におばさんと師匠のことを言っているのだろう。
嫌がる振りをしながらもやって来る光司の律儀さに思わず苦笑した。
「なーんだよ。そんなに笑うってことは、昨日のこと、そんなに怒ってるわけでもないのか?」
昨日、結香とデートしていた時にいきなりこいつは現れて、俺をそっちのけで結香と話をしていた。あまり面白くない状況だが、そんなことをしたのはストーカーをどうにかするためらしいし、結香の気持ちも聞けたので、まぁ今更どうこう言うつもりはない。
俺の顔を見て、ため息をついて空を仰ぎ見る。
「夏休みのこんな良い天気の日に、なんでヤロー二人仲良く剣道やるハメになるかな………」
「冒険家には体力作りも必要なんじゃないか?」
経験者なら手っ取り早く出来る方法だろうと言うと、光司は、まぁそうなんだけどさ、と遠くを眺める。
いつものようにふざけたノリで返してこない光司に、俺は首を傾げた。
「もしかして、今日都合悪かったか?」
いや、と光司は首を振る。
実は、体調が良くないのか?
俺の顔から懸念を読みとったのか、光司はにっと笑った。
「心配しなくても、俺は元気よん?お前こそ、こんなお出かけ日和の日に俺と剣道なんてしてていいのか?俺、後から彼女ちゃんに焼きもち妬かれたら嫌だぞ?」
「結香は今日、友だちと先約があるらしい」
いつもは夏休み後半に入ってから、お互いに苦手な課題を一緒にやっているそうだが、相手の都合に合わせて早々にやってしまうことにしたらしい。
「ふぅん。俺は暇潰しの相手ってわけか」
「悪かったな」
結果的にはそうなってしまったので素直に謝ると、まぁいいけどさ、と光司は笑った。
揃って頭を下げて挨拶した俺たちを、師匠は上から下までじっくり眺めると、うんうんと頷きながら俺たちの肩を交互に叩いてきた。
「ま、悩めるうちは幸せだよな。悩め悩め。命短し恋せよ乙女ってな」
「………師匠………俺たち、ゴリゴリの男なんだけど………」
ため息をつきながら言い返す光司の隣で、俺も深く頷く。
師匠は構わず豪快に笑い飛ばした。
「お前らはまだゴリゴリなんてもんじゃねぇよ。そんな口利きたかったらもうちょい積むこった」
今更案内なんぞ要らないだろう。道場が壊れん程度に好きにやれや、と師匠は奥へ戻っていった。
「道場が壊れるとか、師匠は相変わらず大袈裟だよな」
支度をして竹刀を持つと、二人ともそれまでの会話や雰囲気を振り切って神経を研ぎ澄ます。
この打ち合う前の張り詰めた緊張感が堪らなく好きだ。
五感どころか頭の中まで澄みきったようになって、打ち合っているうちに悩み事の大半は解決する。
これは相手が誰でも出来るわけではない。打ち合い自体が早く終わっても駄目だし、相手が勝ちに拘ってくるとその気迫が邪魔で結局答えが纏まらない。光司と打ち合う時が一番やりやすい。
何度か打ち合うと、光司が待った、と合図をした。
「―――――どうした?」
「はっ………ちょい、たんま………はぁっ、あちぃ」
言うや下がって面を外す。
俺も面を外して汗を拭った。
「昔は休憩時間が鬱陶しいくらい平気で打ち合ってたんだけどなぁ」
「それでよく師匠に拳骨をもらったな」
よく脱水症状を起こさなかったものだ。
「あー………年かなぁ………」
「まだ成人してないのに………」
呆れた声で答えていると、遠くから荒い足音が近付いてきた。
「お前らっ!生きてるかぁっ!」
怒鳴り声が大きすぎて、襖を開ける音が全く聞こえなかった。
師匠はギョロリと見開いた目で固まっている俺たちを見ると、襖に手をかけたまま、はぁぁぁっと大きく息を吐いた。
「おー………吃驚した。お前ら、驚かせるなよ」
「………いや、師匠。吃驚したの、俺らだから」
呆然と呟く光司の隣で俺も頷く。
よほど心配だったのか、師匠はずりずりとその場に座り込んだ。
「いきなり竹刀の音が聞こえなくなったから、二人揃って暑さにやられたかと思ったぞ。お前らときたら昔から殴って止めるまで打ち合い続けるからなぁ」
「師匠。それ、俺らなら許されるけど、今の時代やると体罰になるからね。コンプライアンスは怖いよー」
「そりゃ大丈夫だ。そういうのに騒ぎ立てる家庭には他の道場を勧めているし、そもそも俺のところに預けるのは、自分の代わりにしっかり叱ってくれ、という人が多いからな」
妙な所で師匠は胸を張る。元々道楽半分だと豪語するだけあって、親に媚びて子どもを多く預かろうというつもりは全くないらしい。師匠の思惑とは逆に入門する子どもは年々増えているそうだが。
「ふぅん、親御さんは大変だ。とにかく、俺たちはこの通りピンピンしてるよ。ただ休憩してただけ」
へらりと笑う光司を師匠はジト目で見据える。
「そう思うなら、帰省中はお袋さんの肩でも揉んでやるんだな。自分で休憩するようになったのは成長と言えないこともないが、お前は身体が鈍りすぎているだけだ」
光司は何も言い返すことなく、ただ肩を竦めるだけだった。
師匠は俺たちの顔を見つめて、はぁっと息を吐いた。
「全く。二人して何を悩んでいるのか知らんが、クヨクヨ悩んでいるうちに大事なモン失うなんてことにならんよう適当にしておけよ」
師匠はスッと立ち上がると、水滴の浮いたヤカンと湯呑みを持ってきてドカリと置くと、程々にしろよ、と言いながら奥へ戻って行った。
「師匠にはお見通しなのかね」
冷たい麦茶を飲みながら、光司が呟いた。
「元刑事だからかな」
「見通したなら、答えまでサクッと教えてくれてもいいんじゃね?」
「そこまで甘やかすことはしないだろう?それに、師匠にあぁしろこうしろ言われたところで、お前はそうしないんじゃないか?」
光司はしばらくしてから、どうかな、と呟いた。
「俺が納得できる答えなら、その通りにするかもしれん。師匠の方が、俺のことを知ってるわけだし」
光司はどこか遠くを睨み付けていた。
「何かあったのか?」
率直に聞いてしまうと、光司はうん、と唸った。
「ありきたりだけどさ。今更進路の悩み?」
「大学受け直すのか?」
そこまではしない、と光司は手を振った。
「大学の登山サークルの集まりに参加したんだけどな―――どうも、俺の苦手なタイプらしい」
光司が人を苦手だと言うのはかなり珍しい。
「なんというか―――仲間内で金にモノいわせて騒いでる集まりらしくてな。それでも卒業後、そいつらは冒険家になるらしい」
「そんなにあっさりなれるものなのか?」
「スポンサーになってくれる企業がいるんだと」
あーあ、と光司は天井を見上げた。
「なんだかなぁ。俺も親に金出してもらってる身だけどさ。あいつらと同じにはなりたくないっつーか。遊んでばかりのあいつらが楽々夢叶えるのが悔しいっつーか」
そんな感じ。と締めくくった光司に、俺はただ、そうか、と言った。
はーっと長く息をついてから、光司は俺を振り返った。
「お前は?」
「うん?」
「お前も、なんか悩んでたんじゃねぇの」
あぁ、うん。と俺は湯呑みを覗きこんだ。
「もしかして、俺が昨日ベラベラ喋ったことか?」
俺の顔を覗きこんで、あちゃーっと光司は額を押さえた。
「あのな、ありゃ、八つ当りとか僻みとかそういう下らないモンだ。悪い。気にするな」
光司が頭を下げるのを、首を横に振って止める。
「お前が言ったことももっともなんだ。俺は、結香に甘え過ぎてるんじゃないか?」
湯呑みを置いて仰向けに倒れて目を瞑る。
行き先も食事も、基本的に俺の提案を結香が受け入れている。
結香は我慢してないと言うが。
結香が不満に思わない程度に毎回無理させてるんじゃないだろうか?
いずれ、結香が耐えられなくなったら―――
嫌な考えに無理矢理目を開ける。
目線を泳がせると、心配そうに俺を見守る光司が視界に入った。
「やりたいことでも何でも、どうすれば自分から言ってくれると思う?」
問えば光司はうーん、と頭を掻いた。
「これは俺の勝手な考えなんだが」
あてになるかは解らんと前置きされて、うん、と頷いて先を促す。
「見聞きしてる限り、彼女ちゃんは元々あぁしたいこれ食べたいとか言い出すタイプではないと思う」
「うん」
「自分の要求が通らなくても、まぁいいかって受け入れて、他の提案をそれはそれで楽しむ。そういうことを自然に出来る子なんじゃないか?」
目で頷くと光司は、だから、と続ける。
「彼女ちゃんは本当にお前に付き合わされてるなんて微塵も思ってないと思う。それに、彼女ちゃんも何か提案することもあるんだろう?彼女ちゃんは今お前と会うのを楽しんでるんだから、それでいいんじゃないか?」
そこまでは俺も考えた。独りよがりの考えになってないかが心配なところだが。
「それに、お前ら付き合ってまだ半年経ってないだろ?長く付き合えば、彼女ちゃんだって我が儘言うようになるかもしれないぞ」
「そうかな?」
俺の顔を見た光司は、ため息をついた。
「なんか俺………彼女ちゃんが我が儘言い放題になったところで、嬉々としてベタベタ付き合うお前の姿が目に浮かんだよ………」
自分でもそう思うから、微かに笑う。
「ま、フリーの俺からしたら羨ましい悩みだわな」
「あぁ、もう一つあって」
何だよ?と首を傾げる光司に、軽くため息をついて話し出す。
「春から入ったバイトの一人がな、年下の俺に指導されたりシフト組まれたりするのが気に入らないらしい」
「年上の後輩か。その人は、コンビニとかでバイトした経験あるのか?」
「いや。春までサラリーマンだったらしい」
ふぅん、と光司は不愉快そうに眉をひそめる。
「いくら年上といっても、仕事では新人だろう。それが気に入らないとは、その人の問題じゃないか?」
そうかもしれないが、と俺はため息をついた。
「俺も店長も何度か話してみたんだが、どうにも上手くいかなかった。現場も混乱して、昨日はとうとう無断欠勤された」
寝転がったまま目を閉じて長く息を吐く。
「昨日の夜、店長から電話があったんだ。結局、辞めたらしい」
「店長が話しても駄目だったなら、どうしようもなかったんだろう。忘れろ」
うん、と声に出して目を開ける。
「その人もいろいろモヤモヤしてるのかもしれんが、今は誰が何を言おうが無理なのかもしれん。お前がどうの、という問題じゃない」
しかし、と光司はいつもの調子で言う。
「お前、そんなストレス溜まるヤツ相手にしてて、よく平気だったな」
起き上がりながら、あぁ、と首を掻く。
「結香触ってると、落ち着くんだ」
「結局のろけか!ぅしっ、休憩終わり!今度はお前が俺のストレス発散に付き合えよ!」
湯呑みを取り上げられ、再び面をつけて向かい合った。
もう一本、と向かい合って竹刀を構えたところで―――――
パシパシィィィンッ
音と共に軽い衝撃を頭に感じた。
「だから!適当にしておけゆーてるだろうがっ!お前らは結局殴らんと止まらんのかっ」
「いや、だから師匠………コンプライアンス………」
「うっさいわ!そんなモン持ち出す前に体調管理くらい自分でしろっ」
恨みがましく文句を言う光司と鬼の形相で木刀を片手に叱り飛ばす師匠の掛け合いの合間に、明るい笑い声が聞こえた。
面を外して見渡すと、師匠の後ろに意外な人物を見つける。
「―――マスター?」
「やぁ、弓弦くん。君の幼馴染み、面白いね」
はぁ、と答えると、面を外してからも頭を擦っている光司が誰?と目で聞いてくる。
電話で話してる時に話題に出ていたので、説明は簡単だった。
「あぁ、めちゃ強いと思われる謎のマスター」
光司が手を打って言えば、あはは、謎のってナニ、とマスターが更に笑う。
「奥で将棋射してたんだよ」
「師匠、将棋なんてできたんだ?」
失礼な言い方だが師匠は怒らない。
「最近始めたから弱いけどな。マスターに相手してもらってたんだよ」
マスターの手加減の上手さは、将棋でも発揮されているらしい。
「あ。光司。お前、向こう帰るまで昼間ガキ共の相手しろ」
「は?え、なんで俺?」
光司が自分を指差して間抜けな表情をする。
「お前、バイトも予定もないんだろう?毎日毎日ふらふらしてるとお袋さんが嘆いていたぞ。夏休み中は昼間休みにしようと思ってたんだが、親御さんたちが開けてくれと言うもんでな。お前も鈍ってた身体鍛え直せるし、調度いい」
話の流れで既に決定事項なのだと察して光司は頬を膨らませる。
師匠はにぃっと口の端を上げて笑った。
「この暑い時期に稽古なんぞ苦行だが、お前が加わるなら俺も楽できるしな」
盛大にむくれる光司と俺を、そろそろ切り上げて帰れと師匠は追いたてた。
「いい加減機嫌治せよ」
光司は、ふんっと鼻を鳴らした。
「やっぱしお袋には個人情報保護を訴える」
道具を抱えて歩きながら、光司はぶつぶつと文句を言い続けている。
「勝手に決められるのは尺かもしれんが、身体を鍛えるのは無駄にはならないんじゃないか?」
そうだけどさ、と光司はまだ不貞腐れている。
「思ったんだが、さっき話してた金持ちとは別の方法で冒険家になることはできないのか?」
「うん?」
光司が首を傾げて俺を見上げた。
「大学の登山サークルじゃない集まりで、登山を経験できないか?」
ふむ、と光司は考え込む。
「同じ冒険家になったからといって、そいつらとお前が同類とはならないだろ」
沈黙に居たたまれなくて言えば、光司はにっと笑顔で俺を見上げた。
「―――だな。俺はまだ一年だし、もうちょい調べたり考えたりしてみるよ」
そうか、と頷くと光司は照れたように笑った。
「弓弦、さんきゅーな」
気恥ずかしくて、うん、とだけ答える。
「ま、とりあえずガキ共の相手しないとなぁ。あ、お前、夏休み中にもう一度手合わせしろよ?」
「は?」
改まって何を言うのかと見れば、光司は拗ねたような表情をしていた。
「いくら引退してから一年近く経ってるとはいえ、こうもお前に差をつけられるのは悔しい。鍛えてもう一度お前に手合わせを申し込む!」
よく解らんがやる気になっているようなので、口答えしないことにした。
◆ 結香 side ◆
「それは、進藤先輩にもだけど、あんたにも一言物申してたんでしょうね」
書き上げたノートを確認しながら、知佳ちゃんは言った。
「わ、私にも?」
そう、と頷かれて、昨日のことを思い返す。
「―――あ。やっぱり買い物しないのにバイト先に行くのは、ぁだっ?」
「ち・が・う。何でもかんでも進藤先輩に決めさせるなって話よ」
デコピンされた額を押さえて考え込む。
「うーん………でも、私決めるの遅いし………先輩は毎回美味しそうなの選んでくれるし」
「うん、私は付き合い長いからそんなことだろうと思ったけどね。男性サイドからしたら、何も希望言ってくれないのは自分が頼りないと思われているんじゃないか、とか。自分と居てもつまらないと思ってるんじゃないか、とか」
「えぇぇっ」
そんなことない!と思いきり首を横に振った。
知佳ちゃんは私を宥めるように手を振る。
「そう思うかもしれないってこと。我が儘言いまくるのも迷惑だけど、何も言われないと相手は不安に思うのかもしれないでしょ」
「うぅぅ~………どうすればいいの~………」
思わず涙目で頭を抱える。
私が暢気に楽しんでるときに先輩は不安に思ってたの?
私が行きたい所とか食べたい物言えばいい?
でも、私が決めるまで先輩待たせるのは気が引けるし、私が好きなものを先輩が好きじゃなかったら?
「進藤先輩に聞けば?」
知佳ちゃんがあっさり言う。
思わず知佳ちゃんを見つめる。
それができたら、そもそも悩んだりしないのに………
「結局、私や夏目先輩が言ったことなんて、他人の勝手な言い分でしょ。進藤先輩が思ってることなんて、進藤先輩にしか解らないわよ」
知佳ちゃんの言う通りなので、そうだよね、と頷くと知佳ちゃんはにこりと笑った。
「まぁ、見聞きする限り、進藤先輩があんたに不満なんて無さそうだけど」
「そうかな」
そうよ、と知佳ちゃんは大きく頷く。
「私の勝手な観察だけどね。進藤先輩があんたに嫌気さすとかあり得ないし、あんたが我が儘の一つ二つ言ったところで、進藤先輩ならにこにこ笑って叶えてくれるわよ」
「そ、そうかな」
あくまで私の意見だけどね、と知佳ちゃんはそれでも確信しているように笑った。
「さ。一通り終わったし、甘いものでも買いに行きましょ」
「うん!」
机の上を片付けて、知佳ちゃんと家を出た。
店先に見慣れた人影を見つけて、小さな声で話しかける。
「―――先輩?」
振り返った先輩は、一瞬驚いたような表情で私を見てから破顔した。
「あれ。彼女ちゃんだ」
「夏目先輩、こんにちは」
先輩の隣でメニューを睨んでいた夏目先輩が目を丸くする。
「結香、課題は終わったか?」
「はい。先輩たちは、剣道してたんですか?」
「そうなんだよ。俺が昨日彼女ちゃんにいろいろ聞きまくってデート邪魔したから弓弦が怒ってさぁ、さっきまでボコボコにされてたのさ」
「えぇっ!」
夏目先輩がやれやれといった様子で過激なことを言う。
昨日のことで、先輩が夏目先輩をボコボコに………どうしよう、先輩たちが喧嘩?
「冗談よ」
隣から知佳ちゃんがぼそりと言う。
「え」
見ると、知佳ちゃんは夏目先輩をじっと観察していた。
夏目先輩と目が合うと、ニーッコリと笑う。
「初めまして。結香の友人の水瀬と申します」
「あ。ハイ、どうも。夏目光司です」
夏目先輩がちょっとタジタジとなる。
「結香はこの通りぼんやりしていて、見ていてイラ~っとなさることもあるかと思いますが。進藤先輩はそれを踏まえて付き合っているので、外野がどうこう言うことではないのでは?」
知佳ちゃんは笑顔のまま一息に言いきった。
ふぇぇぇぇっ!?
知佳ちゃんっ!いきなり何を言うのっ!
「ち、知佳ちゃん!初対面!先輩だよ?」
「煩いわね。年上だろうがヒトの恋愛にあーだこーだ勝手に言ってくるようなヤツには一言言ってやらないと気がすまないのよ、私は」
慌てて袖を引っ張るけど、知佳ちゃんは平然と夏目先輩を細目で見据えている。
「………ぇと、それって同族嫌悪ってやつ?」
「………私が、いつ、あんたたちの恋愛に、エラソーに、意見したかしら?」
笑顔で一言ずつ区切って言う知佳ちゃんに、全力で首を横に振る。
怖いよ、知佳ちゃん!
笑い声が聞こえて二人でそちらを見ると、夏目先輩が目に涙を浮かべていた。
「あー、うん………余計な口出しして、悪かったよ。ごめんね?」
「い、いえっ」
謝られて慌てて首を横に振る。
「えーっと、水瀬さん?も気分悪くしちゃって、ごめんね?」
知佳ちゃんは落ち着いて、いいえ、と首を振る。
ホッとした様子の夏目先輩はニッコリ笑った。
「よし!じゃあお詫びに水瀬さんの分は俺が奢ろう!どうせ彼女ちゃんのはお前、出すだろ?」
「「えぇっ?」」
驚く私たちをよそに、急に夏目先輩に振られた先輩はあっさり頷く。
「いえ、私も初対面の先輩に失礼な言い方をしましたし、奢って頂くわけには」
「俺たちはもう選んだんだ。さ、水瀬ちゃんも選んで選んで」
「いや、話を聞いて―――というか、いきなりちゃんづけ?」
戸惑いながらも細かく言い返す知佳ちゃんを、夏目先輩がさぁさぁと促す。
残された私たちは、お互いの顔をポカンと見つめあった。
「―――ぇと。私、自分の分は払いますよ?」
先輩はいや、と頭を振った。
「この分だと、四人で食べることになるだろう。せっかく女子同士で食べようとしてたのを邪魔してしまったんだ。出させてくれ」
そう言って、先輩は少し首を傾げた。
「結香が嫌だと言うなら、諦めるけど」
その言い方が少し気になって見上げると、先輩は困ったような切なそうな表情をしていた。
先輩はいつも綺麗な顔だけど、今の表情はちょっと可愛い。男の人に可愛いというのは、失礼かもしれないけど。
「じゃ、じゃあ、ご馳走になります」
そう言うと、先輩は嬉しそうに破顔した。
知佳ちゃんはもう注文を決めたみたいで、夏目先輩と四人用のテーブルに座っていた。
早く決めなきゃ、と思うとかえって焦って決められない。
「―――どれで迷ってるんだ?」
聞かれて、二つ指差す。どちらも寒天だけど、両方綺麗で美味しそうで決められない。
「抹茶セットでいいか?」
はい、と頷くと先輩は店員さんに向き直る。
「かき氷の宇治抹茶金時一つと抹茶セット一つ―――これで。あと、こっちとこれを一つずつください」
さくさくと注文を終えて、先輩は私をテーブルに連れていく。
「いやぁ、ダブルデートみたいだね」
向かいの席では、満面笑顔の夏目先輩と対称的に知佳ちゃんがこめかみにうっすら青筋をたてて黙っている。
「悪いヤツではないんだが。悪い」
先輩が謝り、知佳ちゃんがいいえと首を横に振ったところで、注文の品が届いた。
「あ。知佳ちゃんも抹茶セット?それ何?」
「水無月よ。結香はあじさい?」
「んー。でももう一つ青いのがあったから迷った」
あぁ、と知佳ちゃんは頷く。
「あんた好きそうだもんね。どっちにしたの?」
両方、と答えると知佳ちゃんは軽く驚く。
「え。大丈夫?」
「余ったら俺が食べるから、大丈夫だ」
知佳ちゃんが小さく聞くと、先輩があっさり頷く。
先輩が頼もしくて、思わずにへーっと笑ってしまった。
私たちの分も届いて、皆で食べ始める。
「弓弦、白玉一個ちょうだい」
「嫌だ」
「どら焼まであるのに。いーじゃん、ケチー」
「白玉食べたいなら、金時にすればいいだろ」
「いや、白玉が食べたいだけであんこは………」
私と知佳ちゃんがお菓子を分けっこしながら食べていると、先輩たちはかき氷を挟んでそんなやり取りをしている。
さっきまで運動してたから暑かったようで、大きなかき氷がどんどん減っていく。
道着姿でうっすら汗をかきながらかき氷を食べる姿も綺麗なんて、さすがだなぁ………
「食べるか?」
「ふぇ?」
目の前にかき氷の匙が差し出されている。
じーっと見ていたから、勘違いされたみたい。
少し口を開けるとスッと差し入れられる。
冷たくて美味しい。
お返しにお菓子を一口切って差し出すと、先輩は食べて微笑んだ。
「いやー、青春だねぇ。水瀬ちゃんも苺ミルク食べる?」
「お前、初対面の子に何てことをするんだ」
「結構です」
「うーん………昨日のはさ、本当に反省してるから。許してくれない?」
知佳ちゃんは顔を上げると、さっきと同じようにニーッコリと笑顔で夏目先輩を見る。
「えぇ。解って頂けて良かったです。でも、それとかき氷とは関係ありませんよね?」
知佳ちゃん………その笑顔怖いよ。
知佳ちゃんの笑顔のプレッシャーに、夏目先輩は苦笑する。
「うーん………俺、明日から子どもの稽古相手させられるんだけど………今のうちに、可愛い女の子と楽しく過ごして英気養いたいなーって」
「そうですか。でもそれに私が付き合う義務はありませんよね?」
二人の笑顔の応酬が怖い。
「夏目先輩、お師匠さんのお手伝いするんですか?」
「そうなんだよ、彼女ちゃん!」
先輩に聞くと、夏目先輩がガバッとこちらに向き直った。
「はいっ?」
「師匠とお袋の陰謀でさ!夏休み中子どもの練習相手だよ!お袋には個人情報保護を訴える!」
「じゃあ私はセクハラを訴えますね」
「え」
笑顔を深めて言った知佳ちゃんに夏目先輩が固まった。
「知佳ちゃん、夏目先輩だって謝ってくれたし、もう少しソフトでもいいんじゃないかな」
小さく言うと、知佳ちゃんはムッとしてから、だって、と呟く。
「この人、あの人たちと同じ匂いがするんだもの」
知佳ちゃんの言葉に少し首を傾げて、もしかして、と私も呟く。
「生徒会の?」
知佳ちゃんが勢いよく頷いた。
「笑顔で強引なところとか、同じ匂いがする!明日からあの人たちとまた仕事しないといけないのに、なんでよりによって今日!あの人たちの同類に会うの………」
夏目先輩が首を傾げているので先輩が簡単に説明すると、にこにこと頷いた。
「あぁ、あいつらかぁっ。形式とか伝統とかに拘る生徒会に悩んでたからたまに話聞いてたぞ。あいつら、ちゃんと生徒会在籍してたんだな」
「お前、生徒会をも手懐けてたのか」
「話しただけだって。でもやたらなつかれてさぁ。文化祭の出し物ベラベラ話しただけで書類にして通してくれたっけ。いいやつらだった」
「あの人たちがあーなったの、あんたのせいですかっ」
夏目先輩の言葉を聞きかじって知佳ちゃんがギロリと睨む。
夏目先輩は動じずに、あはは~っと笑う。
「なんか知らないところで俺、水瀬ちゃんに迷惑かけた?お詫びに苺ミルクあげるよ」
「い・り・ま・せ・んっ」
目をつり上げて怒っている知佳ちゃんに、夏目先輩は懲りずにかき氷を差し出しては苦笑していた。
知佳ちゃんと夏目先輩とは店の前で別れた。
夏目先輩曰く、「苺ミルクでお詫び出来なかった分、せめてちゃんと家まで送るよ~」らしい。
知佳ちゃんは最後まで断っていたけど、結局連れていかれてしまった。
「光司、悪気はないから。後で水瀬に連絡してくれないか?」
「はい。でも知佳ちゃん、夏目先輩のことそんなに嫌ってるわけでもないと思うんですよ」
そうなのか?と先輩が首を傾げるので、頷く。
「知佳ちゃんは嫌いな人にはものすごく礼儀正しく対応しますから。嫌いな人に礼儀やマナーで揚げ足を取られるのはとことん嫌なんだそうです。だから」
あんなにムスッとしたりセクハラなんて言ったりあんた呼ばわりするのは、知佳ちゃんは夏目先輩のことをそこまで警戒してないってことだと思う。
「そうか」
先輩はどこか安心したように笑って歩き出した。
並んで歩くけど、なぜか手は繋がれない。
私は少し歩いてから、呼びかけた。
「先輩?手、繋いでもいいですか?」
え。と先輩は戸惑った表情で私を見る。
じっと見上げていると、困ったように眉をひそめた。
「ダメですか?」
「駄目じゃないが、道場の後だから汗臭いかもしれない。汗は拭ったし、手も洗ったけど」
それでもじーっと見上げていると、苦笑して手を握ってくれる。
にへーっと笑いながら歩き、知佳ちゃんが話してたことを思い出す。
先輩、と呼ぶと、ん?とこちらを見る。
「あぁあの!私、先輩のこと頼りないとか思ってないですよ」
「え」
「先輩と出かけるのも、ぇと、一緒にいるだけで嬉しいんです!だから、だから」
先輩は黙って私をじっと見つめている。
早く言わなきゃと焦って空いた手を振り回す。
「あのっ、食べたいもの早く思い付くように特訓しますから!えぇっと………」
何と言っていいか解らなくて焦っていると、ぽふ、と頭に暖かくて大きな手が乗った。
「ふ?」
「結香。解ったから。ありがとう」
手の隙間から見る先輩の顔は、すごく柔らかい笑みを浮かべていた。
また手を繋いで歩きながら嬉しくてニコニコしていたら、先輩がそういえば、と声をあげた。
「結香の家はお盆どうするんだ?」
「お盆入る前に一泊二日で行く予定です。先輩は?」
「うちは日頃から暇あると墓参りしてるしこの間七夕やったから、特に何も予定ない」
そうなんだ、と頷きながら歩いていると先輩が先約がないなら、と切り出した。
「また、出掛けるか?」
はい、と頷くと、どこがいい?と聞かれる。
しばらく考えて、はいっ、と手を上げる。
「ジェットコースター乗りたいですっ」
「遊園地か。暑いのキツいんじゃなかったのか?」
「暑さを乗り越えて乗るジェットコースターは最高です」
なぜか先輩が面白そうに笑うので、ちょっと頬を膨らませる。
「じゃあ先輩はどこに行きたいんですか?」
先輩は目を細めてニッと笑った。
「海かプール」
「えぇぇっ!」
私が驚きで顔を歪めると、先輩が笑った。
「い、行くんですか………?」
「そのために水着買ったんだろ」
あっさり言われる。
うぅ~っと唸っていると、気遣わしげに覗き込まれる。
「そんなに、嫌か?」
~~~~~っ、だから、その表情ズルいっ!
「い、嫌じゃ、ないですけど……………」
つっかえながら言う私を、先輩がジィィ~っと覗きこむ。
何だろう、なんだか逃げ道ないような。
「………………い、一回だけ、なら」
切れ切れに言うと、先輩は満面の笑みで笑った。
「一回!一回ですよ?」
「うん」
「遊園地も一緒に行ってくださいね?」
「うん」
歩きながら見上げる先輩の横顔は、柔らかい笑みを浮かべていた。
夜。お風呂の後部屋で電話をかけた。
プルルルルッ………ピッ
「あ。もしもし、知佳ちゃん?」
『結香?どうしたの?』
知佳ちゃんの声はどこか暗い。もともとテンションが高いわけじゃないけど、いつもより低い声をしている。
「えぇと、今日あの後どうだったかなって。先輩も気にしてたし」
『そうだったの。まぁ、フツーに送ってくれたわよ』
声の調子が少しいつもの感じに近づいた。
「知佳ちゃん、夏目先輩にイライラしてたでしょ?先輩が気にしてたの。悪い人じゃないんだけどって」
『そう。進藤先輩には余計な気を遣わせちゃったわね』
電話の向こうで、ふ、と軽く知佳ちゃんが息をついた。
『夏目先輩もやたらこちらに気を遣ってたわ。今の生徒会なんて、卒業してる夏目先輩には関係ないと思うんだけどね』
「私も夏目先輩と話した回数は多くないけど、すごく優しい人だと思う」
甘いものは得意じゃないと言いながら、初対面の私にケーキを買ってきてくれて先輩のことを頼むと言ったときの夏目先輩を思い出す。
先輩の優しさと比べると解りにくいけど、とても優しい人なのだと思う。
『そうね。でも、そういうことは進藤先輩には言わない方がいいわよ』
「え。なんで?」
『いくら友だちとはいえ、自分以外の男誉められたらいい気分しないんじゃない?彼氏としては』
そう言った知佳ちゃんの声はいつも通りで。
心の中でホッと一息ついた。
「えぇ~、先輩はヤキモチなんて妬かないよ?」
『ナニ言ってるの。あんたのことに関しちゃあの人、男女構わず火が出るくらい妬いてるわよ』
そうかなぁ、と首を傾げる。
『夏目先輩もそう言ってたし、確かよ』
「ま、待って待って。生徒会の話してたんじゃないの?」
慌てて聞くと、するわけないじゃない、と言い捨てられる。
『夏目先輩はもう卒業してるんだから。卒業生とはいえ、ベラベラ話せるわけないでしょ。夏目先輩としては私の愚痴でも聞いてやるつもりだったかもしれないけど、丁重にお断りしたわよ』
断ったんだ………知佳ちゃんらしいけど。
『そういえば、あんた進藤先輩とプールとか行くの?』
「にゃっ?な、なんでっ?」
いきなりの話題に少し声が上擦る。
『夏目先輩が言ってたの。昨日進藤先輩があんたの水着買ったって』
そうだった。そういえば、夏目先輩に見られてたんだっけ。
『とうとうあるかしらね?恋人の次のステップアップ』
「………やっぱり、知佳ちゃんと夏目先輩って似てると思う………」
思わずポツリと言った一言を知佳ちゃんはちゃんと聞いていて、私はかなり長く怒られたのでした。
◆ その頃の男たち ◆
「―――じゃ、ちゃんと送ったんだな」
『お前は俺を何だと思ってるんだ。ちゃんと送りましたよ』
「随分怒らせてただろ」
『まーな。でも、帰りは割と話できたぞ。生徒会の愚痴は言わなかったけどな』
う、うん、と咳払いの音がした。
『夏目先輩はもう卒業されていらっしゃるので、生徒会の話をお耳にいれるわけにはいきません―――ってな』
無理に高い声を出す。
「似てないぞ」
『放っとけ。あの子、面白いな』
そういう面では見たことがないので、少し驚いた。
「そうか?」
『うん。俺が話しかけると面倒くさそうにしながらもきちんと聞いてるんだ。ただ聞くだけじゃなくて、俺の表情や動きを観察しているんだ。話していて、あんなドキドキハラハラしたのはお前の親父さんと話して以来だぞ』
しかも耳を傾けているときの表情がどこか頼もしいんだよな 、と光司はどこか楽しそうに言う。
『お前に話した俺の悩みを話したんだけどさ』
師匠にも言わなかったことを初対面の後輩に話すとは、水瀬のことをかなり見込んだようだ。
『剣道辞めてすっかり身体鈍らせるなんて下らないことしてるから、そんな下らないことでイチイチ悩めるんですよって片付けられちった』
「凄い言い草だな」
あの目つきと口調の鋭い水瀬と優しく穏やかな結香がどうやって友人になったのか、時々すごく気になる。
まぁな、と言う光司の声はどこか明るい。
『山歩きレベルから面倒みてくれる団体をチャチャッと検索してくれてさ。リスト送ってよってお願いしたら、むす~っとしてたけどすげぇ見易いリスト送ってくれたよ。ありゃあ生徒会で重宝がられるわけだよなぁ』
「お前………お詫びするとか言ってなかったか?何故こきつかってんだ?」
思わず頭を抱える。
『あー………そうだよなぁ………やっぱり、まずいよなぁ。水瀬ちゃん、明日から生徒会の仕事なんだよなぁ………合間にでも、陣中見舞いにでも行こうかな、俺』
「ただでさえ厄介なヤツと仕事をするんだろ。お前が顔出したら、余計心労が祟るんじゃないか?」
『あら弓弦くん、ご挨拶な!』
「それにお前は明日から稽古だろ」
『そういえば、そうでした!』
大袈裟に残念がる光司の声に、俺は安堵と呆れのため息をついた。
道の途中で呼ばれて振り返る。
「あぁ、ちゃんと来たんだな」
思ったまま口に出すと、光司はむすっと膨れた。
「バックレたらどうなるか解ったもんじゃねぇだろ」
暗におばさんと師匠のことを言っているのだろう。
嫌がる振りをしながらもやって来る光司の律儀さに思わず苦笑した。
「なーんだよ。そんなに笑うってことは、昨日のこと、そんなに怒ってるわけでもないのか?」
昨日、結香とデートしていた時にいきなりこいつは現れて、俺をそっちのけで結香と話をしていた。あまり面白くない状況だが、そんなことをしたのはストーカーをどうにかするためらしいし、結香の気持ちも聞けたので、まぁ今更どうこう言うつもりはない。
俺の顔を見て、ため息をついて空を仰ぎ見る。
「夏休みのこんな良い天気の日に、なんでヤロー二人仲良く剣道やるハメになるかな………」
「冒険家には体力作りも必要なんじゃないか?」
経験者なら手っ取り早く出来る方法だろうと言うと、光司は、まぁそうなんだけどさ、と遠くを眺める。
いつものようにふざけたノリで返してこない光司に、俺は首を傾げた。
「もしかして、今日都合悪かったか?」
いや、と光司は首を振る。
実は、体調が良くないのか?
俺の顔から懸念を読みとったのか、光司はにっと笑った。
「心配しなくても、俺は元気よん?お前こそ、こんなお出かけ日和の日に俺と剣道なんてしてていいのか?俺、後から彼女ちゃんに焼きもち妬かれたら嫌だぞ?」
「結香は今日、友だちと先約があるらしい」
いつもは夏休み後半に入ってから、お互いに苦手な課題を一緒にやっているそうだが、相手の都合に合わせて早々にやってしまうことにしたらしい。
「ふぅん。俺は暇潰しの相手ってわけか」
「悪かったな」
結果的にはそうなってしまったので素直に謝ると、まぁいいけどさ、と光司は笑った。
揃って頭を下げて挨拶した俺たちを、師匠は上から下までじっくり眺めると、うんうんと頷きながら俺たちの肩を交互に叩いてきた。
「ま、悩めるうちは幸せだよな。悩め悩め。命短し恋せよ乙女ってな」
「………師匠………俺たち、ゴリゴリの男なんだけど………」
ため息をつきながら言い返す光司の隣で、俺も深く頷く。
師匠は構わず豪快に笑い飛ばした。
「お前らはまだゴリゴリなんてもんじゃねぇよ。そんな口利きたかったらもうちょい積むこった」
今更案内なんぞ要らないだろう。道場が壊れん程度に好きにやれや、と師匠は奥へ戻っていった。
「道場が壊れるとか、師匠は相変わらず大袈裟だよな」
支度をして竹刀を持つと、二人ともそれまでの会話や雰囲気を振り切って神経を研ぎ澄ます。
この打ち合う前の張り詰めた緊張感が堪らなく好きだ。
五感どころか頭の中まで澄みきったようになって、打ち合っているうちに悩み事の大半は解決する。
これは相手が誰でも出来るわけではない。打ち合い自体が早く終わっても駄目だし、相手が勝ちに拘ってくるとその気迫が邪魔で結局答えが纏まらない。光司と打ち合う時が一番やりやすい。
何度か打ち合うと、光司が待った、と合図をした。
「―――――どうした?」
「はっ………ちょい、たんま………はぁっ、あちぃ」
言うや下がって面を外す。
俺も面を外して汗を拭った。
「昔は休憩時間が鬱陶しいくらい平気で打ち合ってたんだけどなぁ」
「それでよく師匠に拳骨をもらったな」
よく脱水症状を起こさなかったものだ。
「あー………年かなぁ………」
「まだ成人してないのに………」
呆れた声で答えていると、遠くから荒い足音が近付いてきた。
「お前らっ!生きてるかぁっ!」
怒鳴り声が大きすぎて、襖を開ける音が全く聞こえなかった。
師匠はギョロリと見開いた目で固まっている俺たちを見ると、襖に手をかけたまま、はぁぁぁっと大きく息を吐いた。
「おー………吃驚した。お前ら、驚かせるなよ」
「………いや、師匠。吃驚したの、俺らだから」
呆然と呟く光司の隣で俺も頷く。
よほど心配だったのか、師匠はずりずりとその場に座り込んだ。
「いきなり竹刀の音が聞こえなくなったから、二人揃って暑さにやられたかと思ったぞ。お前らときたら昔から殴って止めるまで打ち合い続けるからなぁ」
「師匠。それ、俺らなら許されるけど、今の時代やると体罰になるからね。コンプライアンスは怖いよー」
「そりゃ大丈夫だ。そういうのに騒ぎ立てる家庭には他の道場を勧めているし、そもそも俺のところに預けるのは、自分の代わりにしっかり叱ってくれ、という人が多いからな」
妙な所で師匠は胸を張る。元々道楽半分だと豪語するだけあって、親に媚びて子どもを多く預かろうというつもりは全くないらしい。師匠の思惑とは逆に入門する子どもは年々増えているそうだが。
「ふぅん、親御さんは大変だ。とにかく、俺たちはこの通りピンピンしてるよ。ただ休憩してただけ」
へらりと笑う光司を師匠はジト目で見据える。
「そう思うなら、帰省中はお袋さんの肩でも揉んでやるんだな。自分で休憩するようになったのは成長と言えないこともないが、お前は身体が鈍りすぎているだけだ」
光司は何も言い返すことなく、ただ肩を竦めるだけだった。
師匠は俺たちの顔を見つめて、はぁっと息を吐いた。
「全く。二人して何を悩んでいるのか知らんが、クヨクヨ悩んでいるうちに大事なモン失うなんてことにならんよう適当にしておけよ」
師匠はスッと立ち上がると、水滴の浮いたヤカンと湯呑みを持ってきてドカリと置くと、程々にしろよ、と言いながら奥へ戻って行った。
「師匠にはお見通しなのかね」
冷たい麦茶を飲みながら、光司が呟いた。
「元刑事だからかな」
「見通したなら、答えまでサクッと教えてくれてもいいんじゃね?」
「そこまで甘やかすことはしないだろう?それに、師匠にあぁしろこうしろ言われたところで、お前はそうしないんじゃないか?」
光司はしばらくしてから、どうかな、と呟いた。
「俺が納得できる答えなら、その通りにするかもしれん。師匠の方が、俺のことを知ってるわけだし」
光司はどこか遠くを睨み付けていた。
「何かあったのか?」
率直に聞いてしまうと、光司はうん、と唸った。
「ありきたりだけどさ。今更進路の悩み?」
「大学受け直すのか?」
そこまではしない、と光司は手を振った。
「大学の登山サークルの集まりに参加したんだけどな―――どうも、俺の苦手なタイプらしい」
光司が人を苦手だと言うのはかなり珍しい。
「なんというか―――仲間内で金にモノいわせて騒いでる集まりらしくてな。それでも卒業後、そいつらは冒険家になるらしい」
「そんなにあっさりなれるものなのか?」
「スポンサーになってくれる企業がいるんだと」
あーあ、と光司は天井を見上げた。
「なんだかなぁ。俺も親に金出してもらってる身だけどさ。あいつらと同じにはなりたくないっつーか。遊んでばかりのあいつらが楽々夢叶えるのが悔しいっつーか」
そんな感じ。と締めくくった光司に、俺はただ、そうか、と言った。
はーっと長く息をついてから、光司は俺を振り返った。
「お前は?」
「うん?」
「お前も、なんか悩んでたんじゃねぇの」
あぁ、うん。と俺は湯呑みを覗きこんだ。
「もしかして、俺が昨日ベラベラ喋ったことか?」
俺の顔を覗きこんで、あちゃーっと光司は額を押さえた。
「あのな、ありゃ、八つ当りとか僻みとかそういう下らないモンだ。悪い。気にするな」
光司が頭を下げるのを、首を横に振って止める。
「お前が言ったことももっともなんだ。俺は、結香に甘え過ぎてるんじゃないか?」
湯呑みを置いて仰向けに倒れて目を瞑る。
行き先も食事も、基本的に俺の提案を結香が受け入れている。
結香は我慢してないと言うが。
結香が不満に思わない程度に毎回無理させてるんじゃないだろうか?
いずれ、結香が耐えられなくなったら―――
嫌な考えに無理矢理目を開ける。
目線を泳がせると、心配そうに俺を見守る光司が視界に入った。
「やりたいことでも何でも、どうすれば自分から言ってくれると思う?」
問えば光司はうーん、と頭を掻いた。
「これは俺の勝手な考えなんだが」
あてになるかは解らんと前置きされて、うん、と頷いて先を促す。
「見聞きしてる限り、彼女ちゃんは元々あぁしたいこれ食べたいとか言い出すタイプではないと思う」
「うん」
「自分の要求が通らなくても、まぁいいかって受け入れて、他の提案をそれはそれで楽しむ。そういうことを自然に出来る子なんじゃないか?」
目で頷くと光司は、だから、と続ける。
「彼女ちゃんは本当にお前に付き合わされてるなんて微塵も思ってないと思う。それに、彼女ちゃんも何か提案することもあるんだろう?彼女ちゃんは今お前と会うのを楽しんでるんだから、それでいいんじゃないか?」
そこまでは俺も考えた。独りよがりの考えになってないかが心配なところだが。
「それに、お前ら付き合ってまだ半年経ってないだろ?長く付き合えば、彼女ちゃんだって我が儘言うようになるかもしれないぞ」
「そうかな?」
俺の顔を見た光司は、ため息をついた。
「なんか俺………彼女ちゃんが我が儘言い放題になったところで、嬉々としてベタベタ付き合うお前の姿が目に浮かんだよ………」
自分でもそう思うから、微かに笑う。
「ま、フリーの俺からしたら羨ましい悩みだわな」
「あぁ、もう一つあって」
何だよ?と首を傾げる光司に、軽くため息をついて話し出す。
「春から入ったバイトの一人がな、年下の俺に指導されたりシフト組まれたりするのが気に入らないらしい」
「年上の後輩か。その人は、コンビニとかでバイトした経験あるのか?」
「いや。春までサラリーマンだったらしい」
ふぅん、と光司は不愉快そうに眉をひそめる。
「いくら年上といっても、仕事では新人だろう。それが気に入らないとは、その人の問題じゃないか?」
そうかもしれないが、と俺はため息をついた。
「俺も店長も何度か話してみたんだが、どうにも上手くいかなかった。現場も混乱して、昨日はとうとう無断欠勤された」
寝転がったまま目を閉じて長く息を吐く。
「昨日の夜、店長から電話があったんだ。結局、辞めたらしい」
「店長が話しても駄目だったなら、どうしようもなかったんだろう。忘れろ」
うん、と声に出して目を開ける。
「その人もいろいろモヤモヤしてるのかもしれんが、今は誰が何を言おうが無理なのかもしれん。お前がどうの、という問題じゃない」
しかし、と光司はいつもの調子で言う。
「お前、そんなストレス溜まるヤツ相手にしてて、よく平気だったな」
起き上がりながら、あぁ、と首を掻く。
「結香触ってると、落ち着くんだ」
「結局のろけか!ぅしっ、休憩終わり!今度はお前が俺のストレス発散に付き合えよ!」
湯呑みを取り上げられ、再び面をつけて向かい合った。
もう一本、と向かい合って竹刀を構えたところで―――――
パシパシィィィンッ
音と共に軽い衝撃を頭に感じた。
「だから!適当にしておけゆーてるだろうがっ!お前らは結局殴らんと止まらんのかっ」
「いや、だから師匠………コンプライアンス………」
「うっさいわ!そんなモン持ち出す前に体調管理くらい自分でしろっ」
恨みがましく文句を言う光司と鬼の形相で木刀を片手に叱り飛ばす師匠の掛け合いの合間に、明るい笑い声が聞こえた。
面を外して見渡すと、師匠の後ろに意外な人物を見つける。
「―――マスター?」
「やぁ、弓弦くん。君の幼馴染み、面白いね」
はぁ、と答えると、面を外してからも頭を擦っている光司が誰?と目で聞いてくる。
電話で話してる時に話題に出ていたので、説明は簡単だった。
「あぁ、めちゃ強いと思われる謎のマスター」
光司が手を打って言えば、あはは、謎のってナニ、とマスターが更に笑う。
「奥で将棋射してたんだよ」
「師匠、将棋なんてできたんだ?」
失礼な言い方だが師匠は怒らない。
「最近始めたから弱いけどな。マスターに相手してもらってたんだよ」
マスターの手加減の上手さは、将棋でも発揮されているらしい。
「あ。光司。お前、向こう帰るまで昼間ガキ共の相手しろ」
「は?え、なんで俺?」
光司が自分を指差して間抜けな表情をする。
「お前、バイトも予定もないんだろう?毎日毎日ふらふらしてるとお袋さんが嘆いていたぞ。夏休み中は昼間休みにしようと思ってたんだが、親御さんたちが開けてくれと言うもんでな。お前も鈍ってた身体鍛え直せるし、調度いい」
話の流れで既に決定事項なのだと察して光司は頬を膨らませる。
師匠はにぃっと口の端を上げて笑った。
「この暑い時期に稽古なんぞ苦行だが、お前が加わるなら俺も楽できるしな」
盛大にむくれる光司と俺を、そろそろ切り上げて帰れと師匠は追いたてた。
「いい加減機嫌治せよ」
光司は、ふんっと鼻を鳴らした。
「やっぱしお袋には個人情報保護を訴える」
道具を抱えて歩きながら、光司はぶつぶつと文句を言い続けている。
「勝手に決められるのは尺かもしれんが、身体を鍛えるのは無駄にはならないんじゃないか?」
そうだけどさ、と光司はまだ不貞腐れている。
「思ったんだが、さっき話してた金持ちとは別の方法で冒険家になることはできないのか?」
「うん?」
光司が首を傾げて俺を見上げた。
「大学の登山サークルじゃない集まりで、登山を経験できないか?」
ふむ、と光司は考え込む。
「同じ冒険家になったからといって、そいつらとお前が同類とはならないだろ」
沈黙に居たたまれなくて言えば、光司はにっと笑顔で俺を見上げた。
「―――だな。俺はまだ一年だし、もうちょい調べたり考えたりしてみるよ」
そうか、と頷くと光司は照れたように笑った。
「弓弦、さんきゅーな」
気恥ずかしくて、うん、とだけ答える。
「ま、とりあえずガキ共の相手しないとなぁ。あ、お前、夏休み中にもう一度手合わせしろよ?」
「は?」
改まって何を言うのかと見れば、光司は拗ねたような表情をしていた。
「いくら引退してから一年近く経ってるとはいえ、こうもお前に差をつけられるのは悔しい。鍛えてもう一度お前に手合わせを申し込む!」
よく解らんがやる気になっているようなので、口答えしないことにした。
◆ 結香 side ◆
「それは、進藤先輩にもだけど、あんたにも一言物申してたんでしょうね」
書き上げたノートを確認しながら、知佳ちゃんは言った。
「わ、私にも?」
そう、と頷かれて、昨日のことを思い返す。
「―――あ。やっぱり買い物しないのにバイト先に行くのは、ぁだっ?」
「ち・が・う。何でもかんでも進藤先輩に決めさせるなって話よ」
デコピンされた額を押さえて考え込む。
「うーん………でも、私決めるの遅いし………先輩は毎回美味しそうなの選んでくれるし」
「うん、私は付き合い長いからそんなことだろうと思ったけどね。男性サイドからしたら、何も希望言ってくれないのは自分が頼りないと思われているんじゃないか、とか。自分と居てもつまらないと思ってるんじゃないか、とか」
「えぇぇっ」
そんなことない!と思いきり首を横に振った。
知佳ちゃんは私を宥めるように手を振る。
「そう思うかもしれないってこと。我が儘言いまくるのも迷惑だけど、何も言われないと相手は不安に思うのかもしれないでしょ」
「うぅぅ~………どうすればいいの~………」
思わず涙目で頭を抱える。
私が暢気に楽しんでるときに先輩は不安に思ってたの?
私が行きたい所とか食べたい物言えばいい?
でも、私が決めるまで先輩待たせるのは気が引けるし、私が好きなものを先輩が好きじゃなかったら?
「進藤先輩に聞けば?」
知佳ちゃんがあっさり言う。
思わず知佳ちゃんを見つめる。
それができたら、そもそも悩んだりしないのに………
「結局、私や夏目先輩が言ったことなんて、他人の勝手な言い分でしょ。進藤先輩が思ってることなんて、進藤先輩にしか解らないわよ」
知佳ちゃんの言う通りなので、そうだよね、と頷くと知佳ちゃんはにこりと笑った。
「まぁ、見聞きする限り、進藤先輩があんたに不満なんて無さそうだけど」
「そうかな」
そうよ、と知佳ちゃんは大きく頷く。
「私の勝手な観察だけどね。進藤先輩があんたに嫌気さすとかあり得ないし、あんたが我が儘の一つ二つ言ったところで、進藤先輩ならにこにこ笑って叶えてくれるわよ」
「そ、そうかな」
あくまで私の意見だけどね、と知佳ちゃんはそれでも確信しているように笑った。
「さ。一通り終わったし、甘いものでも買いに行きましょ」
「うん!」
机の上を片付けて、知佳ちゃんと家を出た。
店先に見慣れた人影を見つけて、小さな声で話しかける。
「―――先輩?」
振り返った先輩は、一瞬驚いたような表情で私を見てから破顔した。
「あれ。彼女ちゃんだ」
「夏目先輩、こんにちは」
先輩の隣でメニューを睨んでいた夏目先輩が目を丸くする。
「結香、課題は終わったか?」
「はい。先輩たちは、剣道してたんですか?」
「そうなんだよ。俺が昨日彼女ちゃんにいろいろ聞きまくってデート邪魔したから弓弦が怒ってさぁ、さっきまでボコボコにされてたのさ」
「えぇっ!」
夏目先輩がやれやれといった様子で過激なことを言う。
昨日のことで、先輩が夏目先輩をボコボコに………どうしよう、先輩たちが喧嘩?
「冗談よ」
隣から知佳ちゃんがぼそりと言う。
「え」
見ると、知佳ちゃんは夏目先輩をじっと観察していた。
夏目先輩と目が合うと、ニーッコリと笑う。
「初めまして。結香の友人の水瀬と申します」
「あ。ハイ、どうも。夏目光司です」
夏目先輩がちょっとタジタジとなる。
「結香はこの通りぼんやりしていて、見ていてイラ~っとなさることもあるかと思いますが。進藤先輩はそれを踏まえて付き合っているので、外野がどうこう言うことではないのでは?」
知佳ちゃんは笑顔のまま一息に言いきった。
ふぇぇぇぇっ!?
知佳ちゃんっ!いきなり何を言うのっ!
「ち、知佳ちゃん!初対面!先輩だよ?」
「煩いわね。年上だろうがヒトの恋愛にあーだこーだ勝手に言ってくるようなヤツには一言言ってやらないと気がすまないのよ、私は」
慌てて袖を引っ張るけど、知佳ちゃんは平然と夏目先輩を細目で見据えている。
「………ぇと、それって同族嫌悪ってやつ?」
「………私が、いつ、あんたたちの恋愛に、エラソーに、意見したかしら?」
笑顔で一言ずつ区切って言う知佳ちゃんに、全力で首を横に振る。
怖いよ、知佳ちゃん!
笑い声が聞こえて二人でそちらを見ると、夏目先輩が目に涙を浮かべていた。
「あー、うん………余計な口出しして、悪かったよ。ごめんね?」
「い、いえっ」
謝られて慌てて首を横に振る。
「えーっと、水瀬さん?も気分悪くしちゃって、ごめんね?」
知佳ちゃんは落ち着いて、いいえ、と首を振る。
ホッとした様子の夏目先輩はニッコリ笑った。
「よし!じゃあお詫びに水瀬さんの分は俺が奢ろう!どうせ彼女ちゃんのはお前、出すだろ?」
「「えぇっ?」」
驚く私たちをよそに、急に夏目先輩に振られた先輩はあっさり頷く。
「いえ、私も初対面の先輩に失礼な言い方をしましたし、奢って頂くわけには」
「俺たちはもう選んだんだ。さ、水瀬ちゃんも選んで選んで」
「いや、話を聞いて―――というか、いきなりちゃんづけ?」
戸惑いながらも細かく言い返す知佳ちゃんを、夏目先輩がさぁさぁと促す。
残された私たちは、お互いの顔をポカンと見つめあった。
「―――ぇと。私、自分の分は払いますよ?」
先輩はいや、と頭を振った。
「この分だと、四人で食べることになるだろう。せっかく女子同士で食べようとしてたのを邪魔してしまったんだ。出させてくれ」
そう言って、先輩は少し首を傾げた。
「結香が嫌だと言うなら、諦めるけど」
その言い方が少し気になって見上げると、先輩は困ったような切なそうな表情をしていた。
先輩はいつも綺麗な顔だけど、今の表情はちょっと可愛い。男の人に可愛いというのは、失礼かもしれないけど。
「じゃ、じゃあ、ご馳走になります」
そう言うと、先輩は嬉しそうに破顔した。
知佳ちゃんはもう注文を決めたみたいで、夏目先輩と四人用のテーブルに座っていた。
早く決めなきゃ、と思うとかえって焦って決められない。
「―――どれで迷ってるんだ?」
聞かれて、二つ指差す。どちらも寒天だけど、両方綺麗で美味しそうで決められない。
「抹茶セットでいいか?」
はい、と頷くと先輩は店員さんに向き直る。
「かき氷の宇治抹茶金時一つと抹茶セット一つ―――これで。あと、こっちとこれを一つずつください」
さくさくと注文を終えて、先輩は私をテーブルに連れていく。
「いやぁ、ダブルデートみたいだね」
向かいの席では、満面笑顔の夏目先輩と対称的に知佳ちゃんがこめかみにうっすら青筋をたてて黙っている。
「悪いヤツではないんだが。悪い」
先輩が謝り、知佳ちゃんがいいえと首を横に振ったところで、注文の品が届いた。
「あ。知佳ちゃんも抹茶セット?それ何?」
「水無月よ。結香はあじさい?」
「んー。でももう一つ青いのがあったから迷った」
あぁ、と知佳ちゃんは頷く。
「あんた好きそうだもんね。どっちにしたの?」
両方、と答えると知佳ちゃんは軽く驚く。
「え。大丈夫?」
「余ったら俺が食べるから、大丈夫だ」
知佳ちゃんが小さく聞くと、先輩があっさり頷く。
先輩が頼もしくて、思わずにへーっと笑ってしまった。
私たちの分も届いて、皆で食べ始める。
「弓弦、白玉一個ちょうだい」
「嫌だ」
「どら焼まであるのに。いーじゃん、ケチー」
「白玉食べたいなら、金時にすればいいだろ」
「いや、白玉が食べたいだけであんこは………」
私と知佳ちゃんがお菓子を分けっこしながら食べていると、先輩たちはかき氷を挟んでそんなやり取りをしている。
さっきまで運動してたから暑かったようで、大きなかき氷がどんどん減っていく。
道着姿でうっすら汗をかきながらかき氷を食べる姿も綺麗なんて、さすがだなぁ………
「食べるか?」
「ふぇ?」
目の前にかき氷の匙が差し出されている。
じーっと見ていたから、勘違いされたみたい。
少し口を開けるとスッと差し入れられる。
冷たくて美味しい。
お返しにお菓子を一口切って差し出すと、先輩は食べて微笑んだ。
「いやー、青春だねぇ。水瀬ちゃんも苺ミルク食べる?」
「お前、初対面の子に何てことをするんだ」
「結構です」
「うーん………昨日のはさ、本当に反省してるから。許してくれない?」
知佳ちゃんは顔を上げると、さっきと同じようにニーッコリと笑顔で夏目先輩を見る。
「えぇ。解って頂けて良かったです。でも、それとかき氷とは関係ありませんよね?」
知佳ちゃん………その笑顔怖いよ。
知佳ちゃんの笑顔のプレッシャーに、夏目先輩は苦笑する。
「うーん………俺、明日から子どもの稽古相手させられるんだけど………今のうちに、可愛い女の子と楽しく過ごして英気養いたいなーって」
「そうですか。でもそれに私が付き合う義務はありませんよね?」
二人の笑顔の応酬が怖い。
「夏目先輩、お師匠さんのお手伝いするんですか?」
「そうなんだよ、彼女ちゃん!」
先輩に聞くと、夏目先輩がガバッとこちらに向き直った。
「はいっ?」
「師匠とお袋の陰謀でさ!夏休み中子どもの練習相手だよ!お袋には個人情報保護を訴える!」
「じゃあ私はセクハラを訴えますね」
「え」
笑顔を深めて言った知佳ちゃんに夏目先輩が固まった。
「知佳ちゃん、夏目先輩だって謝ってくれたし、もう少しソフトでもいいんじゃないかな」
小さく言うと、知佳ちゃんはムッとしてから、だって、と呟く。
「この人、あの人たちと同じ匂いがするんだもの」
知佳ちゃんの言葉に少し首を傾げて、もしかして、と私も呟く。
「生徒会の?」
知佳ちゃんが勢いよく頷いた。
「笑顔で強引なところとか、同じ匂いがする!明日からあの人たちとまた仕事しないといけないのに、なんでよりによって今日!あの人たちの同類に会うの………」
夏目先輩が首を傾げているので先輩が簡単に説明すると、にこにこと頷いた。
「あぁ、あいつらかぁっ。形式とか伝統とかに拘る生徒会に悩んでたからたまに話聞いてたぞ。あいつら、ちゃんと生徒会在籍してたんだな」
「お前、生徒会をも手懐けてたのか」
「話しただけだって。でもやたらなつかれてさぁ。文化祭の出し物ベラベラ話しただけで書類にして通してくれたっけ。いいやつらだった」
「あの人たちがあーなったの、あんたのせいですかっ」
夏目先輩の言葉を聞きかじって知佳ちゃんがギロリと睨む。
夏目先輩は動じずに、あはは~っと笑う。
「なんか知らないところで俺、水瀬ちゃんに迷惑かけた?お詫びに苺ミルクあげるよ」
「い・り・ま・せ・んっ」
目をつり上げて怒っている知佳ちゃんに、夏目先輩は懲りずにかき氷を差し出しては苦笑していた。
知佳ちゃんと夏目先輩とは店の前で別れた。
夏目先輩曰く、「苺ミルクでお詫び出来なかった分、せめてちゃんと家まで送るよ~」らしい。
知佳ちゃんは最後まで断っていたけど、結局連れていかれてしまった。
「光司、悪気はないから。後で水瀬に連絡してくれないか?」
「はい。でも知佳ちゃん、夏目先輩のことそんなに嫌ってるわけでもないと思うんですよ」
そうなのか?と先輩が首を傾げるので、頷く。
「知佳ちゃんは嫌いな人にはものすごく礼儀正しく対応しますから。嫌いな人に礼儀やマナーで揚げ足を取られるのはとことん嫌なんだそうです。だから」
あんなにムスッとしたりセクハラなんて言ったりあんた呼ばわりするのは、知佳ちゃんは夏目先輩のことをそこまで警戒してないってことだと思う。
「そうか」
先輩はどこか安心したように笑って歩き出した。
並んで歩くけど、なぜか手は繋がれない。
私は少し歩いてから、呼びかけた。
「先輩?手、繋いでもいいですか?」
え。と先輩は戸惑った表情で私を見る。
じっと見上げていると、困ったように眉をひそめた。
「ダメですか?」
「駄目じゃないが、道場の後だから汗臭いかもしれない。汗は拭ったし、手も洗ったけど」
それでもじーっと見上げていると、苦笑して手を握ってくれる。
にへーっと笑いながら歩き、知佳ちゃんが話してたことを思い出す。
先輩、と呼ぶと、ん?とこちらを見る。
「あぁあの!私、先輩のこと頼りないとか思ってないですよ」
「え」
「先輩と出かけるのも、ぇと、一緒にいるだけで嬉しいんです!だから、だから」
先輩は黙って私をじっと見つめている。
早く言わなきゃと焦って空いた手を振り回す。
「あのっ、食べたいもの早く思い付くように特訓しますから!えぇっと………」
何と言っていいか解らなくて焦っていると、ぽふ、と頭に暖かくて大きな手が乗った。
「ふ?」
「結香。解ったから。ありがとう」
手の隙間から見る先輩の顔は、すごく柔らかい笑みを浮かべていた。
また手を繋いで歩きながら嬉しくてニコニコしていたら、先輩がそういえば、と声をあげた。
「結香の家はお盆どうするんだ?」
「お盆入る前に一泊二日で行く予定です。先輩は?」
「うちは日頃から暇あると墓参りしてるしこの間七夕やったから、特に何も予定ない」
そうなんだ、と頷きながら歩いていると先輩が先約がないなら、と切り出した。
「また、出掛けるか?」
はい、と頷くと、どこがいい?と聞かれる。
しばらく考えて、はいっ、と手を上げる。
「ジェットコースター乗りたいですっ」
「遊園地か。暑いのキツいんじゃなかったのか?」
「暑さを乗り越えて乗るジェットコースターは最高です」
なぜか先輩が面白そうに笑うので、ちょっと頬を膨らませる。
「じゃあ先輩はどこに行きたいんですか?」
先輩は目を細めてニッと笑った。
「海かプール」
「えぇぇっ!」
私が驚きで顔を歪めると、先輩が笑った。
「い、行くんですか………?」
「そのために水着買ったんだろ」
あっさり言われる。
うぅ~っと唸っていると、気遣わしげに覗き込まれる。
「そんなに、嫌か?」
~~~~~っ、だから、その表情ズルいっ!
「い、嫌じゃ、ないですけど……………」
つっかえながら言う私を、先輩がジィィ~っと覗きこむ。
何だろう、なんだか逃げ道ないような。
「………………い、一回だけ、なら」
切れ切れに言うと、先輩は満面の笑みで笑った。
「一回!一回ですよ?」
「うん」
「遊園地も一緒に行ってくださいね?」
「うん」
歩きながら見上げる先輩の横顔は、柔らかい笑みを浮かべていた。
夜。お風呂の後部屋で電話をかけた。
プルルルルッ………ピッ
「あ。もしもし、知佳ちゃん?」
『結香?どうしたの?』
知佳ちゃんの声はどこか暗い。もともとテンションが高いわけじゃないけど、いつもより低い声をしている。
「えぇと、今日あの後どうだったかなって。先輩も気にしてたし」
『そうだったの。まぁ、フツーに送ってくれたわよ』
声の調子が少しいつもの感じに近づいた。
「知佳ちゃん、夏目先輩にイライラしてたでしょ?先輩が気にしてたの。悪い人じゃないんだけどって」
『そう。進藤先輩には余計な気を遣わせちゃったわね』
電話の向こうで、ふ、と軽く知佳ちゃんが息をついた。
『夏目先輩もやたらこちらに気を遣ってたわ。今の生徒会なんて、卒業してる夏目先輩には関係ないと思うんだけどね』
「私も夏目先輩と話した回数は多くないけど、すごく優しい人だと思う」
甘いものは得意じゃないと言いながら、初対面の私にケーキを買ってきてくれて先輩のことを頼むと言ったときの夏目先輩を思い出す。
先輩の優しさと比べると解りにくいけど、とても優しい人なのだと思う。
『そうね。でも、そういうことは進藤先輩には言わない方がいいわよ』
「え。なんで?」
『いくら友だちとはいえ、自分以外の男誉められたらいい気分しないんじゃない?彼氏としては』
そう言った知佳ちゃんの声はいつも通りで。
心の中でホッと一息ついた。
「えぇ~、先輩はヤキモチなんて妬かないよ?」
『ナニ言ってるの。あんたのことに関しちゃあの人、男女構わず火が出るくらい妬いてるわよ』
そうかなぁ、と首を傾げる。
『夏目先輩もそう言ってたし、確かよ』
「ま、待って待って。生徒会の話してたんじゃないの?」
慌てて聞くと、するわけないじゃない、と言い捨てられる。
『夏目先輩はもう卒業してるんだから。卒業生とはいえ、ベラベラ話せるわけないでしょ。夏目先輩としては私の愚痴でも聞いてやるつもりだったかもしれないけど、丁重にお断りしたわよ』
断ったんだ………知佳ちゃんらしいけど。
『そういえば、あんた進藤先輩とプールとか行くの?』
「にゃっ?な、なんでっ?」
いきなりの話題に少し声が上擦る。
『夏目先輩が言ってたの。昨日進藤先輩があんたの水着買ったって』
そうだった。そういえば、夏目先輩に見られてたんだっけ。
『とうとうあるかしらね?恋人の次のステップアップ』
「………やっぱり、知佳ちゃんと夏目先輩って似てると思う………」
思わずポツリと言った一言を知佳ちゃんはちゃんと聞いていて、私はかなり長く怒られたのでした。
◆ その頃の男たち ◆
「―――じゃ、ちゃんと送ったんだな」
『お前は俺を何だと思ってるんだ。ちゃんと送りましたよ』
「随分怒らせてただろ」
『まーな。でも、帰りは割と話できたぞ。生徒会の愚痴は言わなかったけどな』
う、うん、と咳払いの音がした。
『夏目先輩はもう卒業されていらっしゃるので、生徒会の話をお耳にいれるわけにはいきません―――ってな』
無理に高い声を出す。
「似てないぞ」
『放っとけ。あの子、面白いな』
そういう面では見たことがないので、少し驚いた。
「そうか?」
『うん。俺が話しかけると面倒くさそうにしながらもきちんと聞いてるんだ。ただ聞くだけじゃなくて、俺の表情や動きを観察しているんだ。話していて、あんなドキドキハラハラしたのはお前の親父さんと話して以来だぞ』
しかも耳を傾けているときの表情がどこか頼もしいんだよな 、と光司はどこか楽しそうに言う。
『お前に話した俺の悩みを話したんだけどさ』
師匠にも言わなかったことを初対面の後輩に話すとは、水瀬のことをかなり見込んだようだ。
『剣道辞めてすっかり身体鈍らせるなんて下らないことしてるから、そんな下らないことでイチイチ悩めるんですよって片付けられちった』
「凄い言い草だな」
あの目つきと口調の鋭い水瀬と優しく穏やかな結香がどうやって友人になったのか、時々すごく気になる。
まぁな、と言う光司の声はどこか明るい。
『山歩きレベルから面倒みてくれる団体をチャチャッと検索してくれてさ。リスト送ってよってお願いしたら、むす~っとしてたけどすげぇ見易いリスト送ってくれたよ。ありゃあ生徒会で重宝がられるわけだよなぁ』
「お前………お詫びするとか言ってなかったか?何故こきつかってんだ?」
思わず頭を抱える。
『あー………そうだよなぁ………やっぱり、まずいよなぁ。水瀬ちゃん、明日から生徒会の仕事なんだよなぁ………合間にでも、陣中見舞いにでも行こうかな、俺』
「ただでさえ厄介なヤツと仕事をするんだろ。お前が顔出したら、余計心労が祟るんじゃないか?」
『あら弓弦くん、ご挨拶な!』
「それにお前は明日から稽古だろ」
『そういえば、そうでした!』
大袈裟に残念がる光司の声に、俺は安堵と呆れのため息をついた。
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