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番外編

映画………のはずなんですよ?

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  店先で掃除をしていた人が、顔を上げて私を見た。
  「おや。結香ちゃん」
  「店長さん、こんにちは」
  一礼して挨拶すると、店長さんが申し訳なさそうに眉を下げた。
  「ごめんねぇ、せっかくのデートの日に足止めしちゃって」
  そのまま頭を下げそうにするのを、首を横に振って止める。
  「いえいえ!お仕事ですし!」
  頭は下げさせずに済んだけど、店長さんはまだ申し訳なさそうな表情をしている。
  「夕弦くん、もうちょっとで終わると思うから。中で待ってて」
  もうちょっとなら店先のベンチでいいんだけど、あまり断って店長さんを煩わせるのも……。
  お邪魔します、と頭を下げて、店長さんの家にお邪魔した。
  声をかけると、店長さんの奥さんも申し訳なさそうにごめんなさいね、と言ってくる。
  大丈夫ですと笑顔で首を振ると、ホッとしたように笑ってくれた。
  「おばあちゃん、こんにちは」
  座布団に座りながら挨拶すると、おばあちゃんはふもふもと口を動かして笑った。

  今日は映画に行く予定だった。
  いつものように家で先輩を待っていたら、電話がきた。
  バイトの人が一人無断欠勤をしてしまったらしい。先輩は忙しい時間だけ代打で入りながら、その人に連絡をつけなければならなくなった。
  代打の時間はそんなに長くないらしいので、コンビニで待たせてもらうことにしたのだ。

  家まで迎えに行けないことをしきりに謝ってたけど、私としては平気なんだけどな。毎回先輩に迎えに来てもらうの嬉しいけど申し訳ないし、家にお邪魔しちゃって店長さん夫婦には申し訳ないけどおばあちゃんとお喋りするの楽しいし。
  「おばあちゃん、外はもう日が強くて眩しいよ。おばあちゃんは暑くない?」
  おばあちゃんはにこにこ笑顔で緩く首を横に振った。ゆっくりと腕をあげて急須を指差す。
  おばあちゃんの湯飲みを見ると、ほとんど空だった。
  「あ、お茶飲む?私も飲んでいい?」
  うんうんと頷いてくれたので、新しい湯飲みをおばあちゃんのと並べてお茶を淹れた。
  冷ましながら飲んでホッと息をつくと、おばあちゃんの前に折りかけの折り紙があることに気がついた。
  「おばあちゃんは折り紙してたの?」
  笑顔で頷いて黄色の折り紙を私に差し出す。
  「私もやっていいの?できるかなぁ………」
  おばあちゃんの手元を見ながら折ると、なんとか鶴が出来た。へにょへにょだけど。
  おばあちゃんは出来上がった鶴を大きめの箱に入れる。中には綺麗に折られた色とりどりの鶴がたくさん入っていた。箱をこちらに向けてにこにこ笑う。
  「え。これも入れていいの?」
  綺麗な鶴たちの中にこのへにょへにょ鶴を入れるのは申し訳ない気がするけど、おばあちゃんが箱を差し出したまま待ってるので、そっと入れた。
  新しい折り紙を渡され、ゆっくり折って箱に入れる。
  なんとかへにょってない鶴が折れるようになる頃、背後から声をかけられた。
  「失礼します、進藤さんの彼女さん」
  「ふぁい?」
  折り紙に夢中で間抜けな返事をしてしまった。
  キャップを斜めにかぶった女の子が私ににこりと笑いかける。
  「進藤さんなんですけど。やっと今日元々シフトに入る予定だった人が来まして、今話をしているところなので………もうすぐ来るとは思うんですけど………」
  話しながら申し訳なさそうに眉を下げる。
  「あ、解りました。ありがとうございます」
  バイトが終わって帰る前にわざわざ声をかけてくれたらしい。
  頭を下げると、女の子は慌てたように首を振った。
  「い、いえ!あの!今日………デート、でしたよね?」
  「は、はぃ………」
  面と向かってデートと言われると、顔がじわじわ熱くなって思わず両手で頬を抑える。
  「あの、こちらの都合でお邪魔しちゃって、申し訳ありませんでした」
  「いえいえ!大丈夫ですから、お気になさらず!」
  深々と頭を下げられて、思いきり首を横に振る。
  「お仕事ですし!えと、教えてくださってありがとうございます」
  できるだけ丁寧に頭を下げると、女の子は少し目を見開いて私の顔を見ていた。

  あれ?何か間違えたかな?
  こういうときお姉ちゃんや知佳ちゃんならもっとスマートに返せるのになぁ………

  対応に困っているところに、首をまわしながら先輩が姿を見せた。
  「先輩!お仕事終わりましたか?」
  声をかけると、厳しい表情が緩んで優しく私を見て、結香、と呼んだ。
  「迎えに行けなくてごめん」
  優しく髪を撫でながら謝るので、首を横に振って先輩を見上げた。
  いつも通り優しい顔だけど、ちょっと疲れてるみたい。バイトの後だから仕方ないよね。
  「先輩。今日、映画止めときますか?」
  疲れてるときに人がたくさんいるところを歩き回るのは大変かと思って言う。
  先輩は私の頭に手を乗せたまま首を傾げていたけど、笑みを深くして髪を撫でる。
  「いや。結香が行けるなら行こう」
  「でも」
  「大丈夫だ」
  先輩が無理してないか気になるけど、優しく微笑まれて髪を撫でられるので、安心してえへーっと笑いかけて………こちらを目元を紅くして見る女の子に気がついた。

  ひぃぃぃぃぃっ!見られたぁぁぁぁぁっ!
  そうだよね!見るよね!ごめんなさい!
  わざわざ来てくれたのに、すっかり忘れてたよぉぉぉぉぉ……………!

  ぴきっ!と固まった私を不思議に思った先輩が辺りを見渡し、女の子に気がつく。
  「―――あぁ、伝言してくれたんだよな。帰宅前に済まないな」
  先輩が声をかけると、いきなり女の子はびしぃっ!と敬礼をした。
  え。なんで敬礼?
  「い!いえっ!彼女さんにお目にかかれて光栄でした!失礼しますっ!」
  「こうっ………?」
  光栄ってなんで?と聞く前に、失礼します!としっかり一礼して女の子は帰ってしまった。
  「……………えぇっと?」
  女の子の去った方を見ながら首を傾げる私を見て、先輩は苦笑する。
  「後で説明するから。俺たちも行くか」
  「あ、はい!」
  使った湯飲みや机の上を片付けて、おばあちゃんに向き直る。
  「おばあちゃん、鶴教えてくれてありがとう。またね」
  おばあちゃんがにこにこ笑うのに小さく手を振って、先輩に連れられて外に出た。
  室内に慣れた目と肌を強烈な光と熱が襲う。
  私があげた小さなうめき声を拾って、先輩が「大丈夫か?」と覗きこんできた。

  バイト明けの先輩に心配されるなんて、なにやってるんだ!私!

  「大丈夫です!さっきまで思いっきり休んでましたから!」
  握り拳を作って力強く答えると、先輩はそういえば、と思い起こすように遠くを見た。
  「結香におばあちゃんの相手してもらったと奥さんが礼を言っていたが、何をしていたんだ?」
  「ふ?えぇっと、一緒にお茶飲みながら折り鶴折ってただけですよ?」
  お邪魔したけどお礼言われるようなことはしてないんだけどなぁ。
  首を傾げていると、先輩が優しく私の顔を覗きこむ。
  「それが嬉しかったんだろうな」
  ほめられていると解るけど、どうしてほめられているのか解らなくて首を傾げる。
  先輩は苦笑しながら私の髪を撫でる。
  「いつの間にかバイト仲間にも人気者になってるから、心配だな」
  先輩は髪を撫でながら、真っ直ぐ私を見ていて。
  「……………えと。人気者、て」
  まさかね~と冗談で自分を指差してへらぁ、と笑うと。

  こくり。

  先輩は重々しく頷いた。
  「えぇ~………?」
  なかなか信じがたくて言葉を失ってしまう。
  「着いてから説明するよ」
  先輩が私の頭を一撫でしたところで、バスが来た。
  これから行くのは、春休みに先輩と行って以来ご無沙汰だったショッピングモール。あのとき以上に先輩に触られてる気がするけど、あのときみたいにドギマギしてないのは、先輩の目がうんと優しくて嬉しそうで、私も先輩に触れられて恥ずかしいけど嬉しい気持ちが強いからだと思う。


  「―――えと、夏目先輩の話をバイト先の皆さんが鵜呑みにしちゃった、てことですか?」
  「それが半分だな」
  私が首を傾げて確認すると、先輩はため息をつきながらホットドッグに齧りついた。
  映画が始まる前にロビーで軽く食べながら、先輩が話してくれたことによると。

  四月から先輩はそれまでのように長時間シフトに入らなくなった代わりに、皆さんのシフトを組んだり新人さんの研修をしたりするようになった。
  これは私も春に聞いた。「バイトリーダーと冷やかされて困る」と苦笑していた先輩の表情が新鮮だった。
  元々バイト仲間だった人にも春から入った新人さんにも夏休みのみの短期の人にも、先輩は「頼りになるバイトリーダー」として認識されているらしい。
  そこまではいいんだけど。
  問題は、先輩がバイトリーダーとして尊敬を集めると同時に、たまに付随して現れる女の子―――私がバイト仲間さんたちの話題に頻繁にあがるようになったこと。
  元々先輩と一緒のシフトに入ってた人や店長さんに「あれ誰?」て聞いた人は知ってるだろうけど、お客さんでもないのにウロチョロしてたら目につくのは仕方ない。
  皆さんが気になって気になって、先輩に直接聞いてみようかと囁きあっていたそのとき。
  バイト先にぶらりと現れた夏目先輩が、私が先輩のか、彼女、であることをこんこんと説いたというのです。

  チーズケーキをちぎりながら、私は眉を下げた。
  「お仕事の邪魔にならないようにしてたつもりだったんですけど、やっぱり邪魔になっちゃいましたね」
  「邪魔なんて思ってない」
  先輩は食べかけの手を拭きながらフォローしてくれる。
  「結香はマナーを守ってるし、寧ろ人気者になってるんだよ」
  大げさな、と思うけど、真っ直ぐな先輩の目がそうじゃないことを表している。
  「元々結香はバイト中に押しかけるとか無暗に話しかけるとかしないで、婆さんの相手をしたり大人しく待っていただろう?目があえば皆と笑顔で挨拶していたし、元々皆に好印象だったんだよ」
  なんだか恥ずかしいけど、否定しずらくてただ頷く。

  先輩のバイトが終わるのをベンチやおばあちゃんの所で待ってただけで、何もやってない。
  仕事の邪魔だと思われてないだけ良いけど。
  人気者なんて意外すぎる。
  先輩の言葉を信じないわけじゃないけど。

  「それで光司が俺と結香のことをあれこれ言ったから、皆が結香を一目でも見たくなったらしい」
  恥ずかし過ぎて何も言えない。きっと私の顔は真っ赤だと思う。
  「……えと……私、わざわざ見るほどのものじゃないと思うんですけど……」
  「俺は思いきり見るが、他はいい。普段通りにしておけ」
  ふぐっ!
  なんか甘い攻撃を受けた気がしますっ!
  「な!夏目先輩が私のことを話してくれたんですよねっ。な、何かお礼しないとですかねっ!」
  「あいつは好きなように言いふらしただけだ。放っておけ」
  ちょっとムスッとされてしまったけど、先輩の攻撃力減った!やった!
  「そろそろ中入るか」
  安堵のため息をついていると、先輩が時計を見ながら言う。
  もうそろそろ上映時間を知らせるアナウンスが流れる頃合いだ。
  「先輩、お腹大丈夫ですか?」
  そんな風に聞いてしまったのは、先輩がホットドッグを二つしか食べてなかったから。いつもたくさん食べるのを見てるから、量が少ないと逆に心配になる。
  「あー………ポップコーン買う。結香も何か要るか?」
  「じゃあ、温かい紅茶お願いします。あの………」
  私の視線を追って察したのか、先輩が解ったと頷いてくれたので、私は急ぎ足でトイレに行った。

  「ジュビっ………せん………ずびばべ………」
  「まだ出入り口混んでるから、大丈夫だ」
  鼻を啜りながらダラダラ涙を流している私の頭を、先輩が優しく撫で続ける。
  今日見たのは、少年漫画を実写化したもの。
  私はアニメ化したものを後半だけ、先輩は原作の漫画を途中まで読んでいたらしいので、お互い少しずつ知ってるということで見てみた。
  映画が始まった最初の頃は、知らなかったり忘れちゃったりしていた設定にふんふんと頷きながら見ていたのだけど。ストーリーが進むにつれてどんどんのめり込み。エンドロールが終わっても、涙と鼻水が止まらなくなりました。
  情けないけど。
  思いきり鼻水をかんでやっと落ち着く。
  落ち着いたか?と聞く先輩の目が優しくて、なおさら恥ずかしくなって苦笑いしてしまう。
  「―――ごめんなさい、落ち着きました。アニメ見てたときは子供だったから解ってなかったけど、最後あんなに泣けるとは思ってませんでした」
  「あぁ、そういうのあるな。俺も単行本の続き探してみようかな」
  先輩も退屈じゃなかったみたい。よかったぁ。
  人気が少なくなってきた出口に向かって、先輩に手を引かれる。「ありがとうございましたー」と挨拶するスタッフさんに借りてたブランケットを返し、その隣にあるごみ箱にゴミを棄てる。

  待ち合わせ場所を決めてトイレで顔を洗い出てみると、やっぱりというか先輩の周りには鮮やかにコーディネートしたお姉さんたち。
  見て面白くない光景なんだけど、以前のようにイライラしないのは、先輩が無表情だから。
  ゆっくり近付くと、私に気付いた先輩が微笑みを浮かべて私の傍に歩み寄り、頬を両手で包んで顔を覗きこんだ。
  「ふぇっ?」
  いきなり触れられて驚く私に構わず先輩はしげしげと私の顔を見て。
  「うん、もう泣いてないな」
  破顔してぽんと私の頭を一撫でする。
  「か、感情移入しちゃっただけで、悲しいわけじゃないですから。もう大丈夫です。あ、ご飯どうしますか?」
  「さっきパン食べたからな………ラーメン、とか」
  珍しく言葉の途中でこちらを窺う。
  「じゃあ、行きましょう?」
  笑って言うと、先輩はちょっと驚いたように目を見開いてから、嬉しそうに微笑んで私の髪を撫でてから手を繋いで歩き出した。

  ついついその機械をじっと見ていたら、クスッと笑われて温かい重みが頭に乗った。
  「ラーメン屋も初めてか?」
  「初めて、ではないですけど、あんまり来たことなくて。あ、あの機械が珍しくて!」
  私の指先を目で追って、あぁ、と先輩が穏やかに頷く。
  「食券機か。最近はわりと多いよな―――ん?」
  振り返った先輩の顔が一変する。
  「やっほー。二人して同じテに引っ掛かるなんて、ィヨッ!似たもの夫婦!今日も仲が良くて結構結構!」
  先輩の肩を叩いた人差指を伸ばし、振り返った先輩の頬を突っついている満面笑顔の―――
  「ふぁっ!?夏目先輩っ!?」
  「やほー、彼女ちゃん!今からラーメン?俺も一緒にいい?」
  「は、はい!」
  あ!先輩に断りなく返事しちゃった!と私が焦るのと同時に先輩の眉間に深い深い皺がめりめりっ!と音がなりそうな勢いで刻まれる。
  渋面のまま先輩はため息をつき―――
  「いでででであだだだだっ!!!ギブ!ギブ!」
  無言で頬に刺さっていた夏目先輩の人差指をむんずと掴み反対方向に曲げる。
  生理的に涙目になる夏目先輩とあわあわと狼狽える私の顔を交互に見て、もう一度軽くため息をついて手を離す。
  「んもぅ、夕弦くんてば、ら・ん・ぼ・う★」
  「煩い。何故お前がここにいる」
  シナをつくって上目遣いに瞬きまでする夏目先輩を、容赦なく先輩は切り捨てる。
  不機嫌顔の先輩にも、夏目先輩は構わず飄々と答える。
  「俺だってぶらりとウィンドウショッピングくらいするよ。偶然お前ら見かけたから挨拶しただけで。尾行とかストーカーとかしてないぞ。一応俺の名誉の為に言っとくけど」
  「挨拶だけでいいだろう。何故一緒に食う流れになる」
  途端に夏目先輩はぷくーっと頬を膨らませた。
  「いーじゃん、メシくらい~っ!食ったら退散するからぁっ。デートの邪魔なんてしねぇからぁっ」
  「ホントーだな。食ったら別行動だぞ」
  ジト目で見下ろす先輩に、夏目先輩は高速で首を縦に振る。
  そんなに激しく首振って大丈夫なのかな?
  先輩が私に気遣わしげな視線を送る。
  「一緒で構わないか?食い終わったら絶対邪魔させないから」
  先に私が了解出してるし、大丈夫だと頷くと先輩はホッとしたように微笑んだ。

  夏目先輩の向かいに先輩と並んで座る。映画のときはスクリーンに見入っていたけど、この距離で横並びで座るのはまだ慣れなくてドキドキする。
  「俺は暇潰しにウロウロしてたんだけどさ。夕弦たちは何してたんだ?」
  先輩が映画だと答えると夏目先輩が気にしているようなので、さっき買ったパンフレットを見せた。
  「へー、これ映画化してたんだ。懐かしいなぁ。夕弦が途中で漫画買うの止めちゃって続き読めなくなったんだよなー」
  「自分で買えばいいだろ………」
  「あの時はサッカー漫画にハマってたからなー。あの必殺技の数々を習得しようと情熱を傾ける日々だった………」
  「それで試合前に怪我して師匠に叱られたのか」
  「そぉゆー黒歴史をバラすなよ。彼女ちゃんに幻滅されちゃうじゃん」
  「…………………………」
  「うん。謝るから。殺気撒くの止めて?」
  テンポ良く進む会話のなかに物騒な単語が聞こえて、隣の先輩を見上げる。
  先輩がいつも通り優しい微笑みをくれたので、安心してにへーっと顔が緩んでしまった。
  「お前、器用だな~」
  「何の話だ?」
  胡椒を追加投入しながら夏目先輩が「んにゃ、こっちの話」と呆れた目をした。
  「しっかし、やっぱデートスポットの定番は上下左右カップルだらけだな。三階なんか凄絶だったぞ」
  げんなりとラーメンを啜っていたけど、先輩の視線を受けて夏目先輩はにんまりと笑った。
  「水着だよ。カップルはやり方こそ個人差あるけど結局イチャイチャ。女の子同士で来てる子たちは仲良く選び合ってるのもいりゃ女の戦い繰り広げてるのもいてさ。店員は陰でため息ついててさ。いやぁ、カオスだった!」
  「お前………それをわざわざ見てたのか。水着売り場で男一人」
  「売り場の中までは入ってないぞ?この両目2.0を誇る視力を生かして歩きながら見たのさっ」
  「視力の無駄遣いだな」
  「夕弦くんてば、手厳しい!ところで彼女ちゃん、さっきから何やってんの?」
  「ふぇ?」
  いきなり声をかけられて驚いて間抜けな声をあげてしまったけど、夏目先輩は笑わずに私の手元を珍しそうに覗いている。
  「あ。えと………絵を描いてたんです。いつもやってたのでつい………すみません」
  先輩を描くときにはいちいち断らなくても構わないと言われていたし最近なかなか描けなかったからつい描いてしまったけど、夏目先輩の前では控えるべきだったかな。
  夏目先輩は、あぁ!と笑顔で頷いた。
  「噂の夕弦コレクションか。見てもいい?」
  「?は、はい………どうぞ?」
  スケッチブックを手渡すと、「へぇ」とか「ほぉ」とか小さく唸りながら一枚一枚見ていく。
  「あのー………夕弦コレクション、て何ですか?」
  そっと聞くと、夏目先輩は目線はスケッチブックに向けたまま答える。
  「彼女ちゃんが夕弦の絵をたくさん描いてるって聞いたからさ。俺が命名したんだよ」
  「聞いたって誰にだ」
  チャーハンをレンゲで集めながら先輩が眉を上げる。
  「師匠だよ」
  「お前、顔出したのか。珍しい」
  「お袋が話したらしくてさぁ、呼び出し喰らって挨拶そっちのけで手合わせ責めよ。もぉキッツイのなんのって………お袋には個人情報保護を訴えなければ」
  ムスッとする夏目先輩に、呆れたようなため息をついて先輩は残りを綺麗に食べた。

  お店を出たとき、朝のことを思い出して夏目先輩に歩み寄る。
  どした?とキョトンとする夏目先輩に抑えた声で切り出す。
  「あの、先輩のバイト先の皆さんに私のことを夏目先輩が説明してくださったと聞きまして………ありがとうございましたっ」
  言い切った勢いのまま頭を下げるけど、夏目先輩は何も言わない。

  あれ?何かトチった?

  そっと顔をあげると、一瞬呆然としていた表情が破顔する。
  「いやぁ、勝手にベラベラ喋っただけだから。お礼言われるなんて初めてで、ちょっと吃驚しちゃったわ」
  「やっぱり面白おかしく暴露したんだな」
  頭に温かい重みが乗ったので振り返ると、先輩が呆れた目で夏目先輩を見ていた。
  「聞いてくれる相手がいると、つい話したくなっちゃうのが俺の性ってもんで」
  「営業妨害するなよ」
  「店内じゃなくて休憩室で喋ったから大丈夫ですぅ。店長も入っていいよって言ったしぃ」
  わざと語尾を伸ばす夏目先輩に、先輩の目がグッと細くなった。
  「それに彼女ちゃん本人に個別に問い合わせ来なくなるんだから、いいだろうが」
  夏目先輩の一言に、「それはそうだが」と先輩が言葉に詰まる。
  「彼女ちゃんだって、ありがとうって言ってたしー」
  ねー?と目で問われて、小さく頷く。
  チラリと振り返ると、先輩は渋面を浮かべていた。
  「まぁ……………助かった面もある」
  渋々呟くと、夏目先輩はふふん、と胸を反らした。
  「お礼なんて要らないさっ。あ、どうしてもっていうなら、彼女ちゃんのゆか―――っ!?」

  ずぶッ!

  瞬きした一瞬の間に、先輩の人差指が夏目先輩の眉間にめり込んでいた。
  先輩を見上げると、満面の笑みを浮かべていた。

  笑顔なんだけど………なんかものすごく不機嫌?

  「メシ食ったら?」
  にこぉ~っと笑顔のまま先輩が問う。
  「別行動です。退散します」
  眉間に先輩の人差指を埋めたまま、夏目先輩がビシィッ!と敬礼した。
  「じゃね、彼女ちゃん!お邪魔しました!」
  「は、はい。失礼します………?」
  片手を上げて挨拶してくれたので、慌てて頭を下げる。
  頭を上げると、「猛者の突きをこんなとこで使うなっつの」とぼやきながら去っていく後ろ姿が見えた。
  「俺たちも移動するか」
  「あ、はい!」
  見上げた先輩の表情はいつもの優しい笑顔で安心した。
  手を繋いで歩きながら、先輩?と呼びかけると、ん?と優しく微笑まれる。
  「私の床って何ですか?」
  「あいつの寝言は気にするな」
  なんだか苦笑しながら髪を撫でられました。


  手を引かれるまま連れて来られたのは。
  「……ここ……入るんですか……?」
  戸惑う私の手を引いて、先輩は迷いなく他の客を避けながら通路を進む。

  水着売り場を堂々と歩けるって………先輩、なぜそんなに冷静でいられるのですか………?

  夏目先輩が言ってた通り男の人もちらほらいるけど、やっぱり女の人が多い。
  お客さんも店員さんも、周りを見渡しながら歩く先輩を気にしている。
  ………そして先輩に引っ付いている私に目を丸くしている。

  うぅぅ~っ、私もここに入るって思ってなかったんです~~~っ!
  騒がず大人しくしてるので、皆さんお買い物続けてください~~~っ!

  「結香は好きな水着のタイプ、あるか?」
  「ふぁっ!?」
  耳元で囁かれて妙な声を出してしまった。
  音楽の音が大きいので、顔を近付けて話したせいらしい。
  周りがこちらを気にしていないと見て、安堵のため息をついてから間近にある先輩の顔を見る。
  「え、と。体育以外で水着着ないから、よく解らないです」
  じわじわと熱くなるのに耐えながら答えると、先輩はふ、と微笑んだ。
  「じゃあ、俺が選んでいいか?」
  慣れない売り場と間近で見てしまった先輩の笑顔に言葉を失う。
  こくこくっと頷くと、先輩は空いている手で一着一着水着をじっと見始めた。
  先輩の視線が外れたので、急いで深呼吸する。
  「いらっしゃいませー。サイズ等ございましたらお声おかけください」
  「は、はい」
  傍で聞こえた高い声に思わず返事すると、目があった店員さんがニコリと笑った。
  「どういったものをお探しですか?」
  あ。話しかけられてしまった………
  「えと。初めてなのでよく解らなくて」
  そうなんですか、と店員さんは商品を取り出しながら言う。
  「今年はこういうビタミンカラーが流行りですよ。花柄はずっと定番だけど、ビビッドな色合いの花柄がトレンドですね。素材だと、ベロアやデニムが流行りです」
  「え。水着なのに?」
  泳ぎづらくないの?と首を傾げると、「インスタ映えするんですよ」と教えてくれた。
  へぇーと感心してると、後ろから先輩が「すみません」と声をかけた。
  「これ、試着したいんですけど」
  「ふぇ?」
  本当に選んじゃったんですか?と顔をひきつらせる私の後ろで、こちらへどうぞーと店員さんが高い声をあげる。
  「サイズは大丈夫ですか?」
  案内しながら店員さんが聞くと、先輩が私を見る。
  「えぇと………」と詰まると、「解りました」と店員さんがニコリと笑った。
  「では、一度試着室で採寸させて頂いて、お持ち致しますねー」
  「よ、よろしくお願いします………」
  なんとか返事をする。先輩に手を引かれてなかったら、恥ずかしくてまともに歩けなかったと思う。

  「お待たせ致しました。こちらになります」
  「あ、ありがとうございます………」
  いまだ真っ赤な顔の私に店員さんは営業スマイルで水着を渡した。
  カーテンを閉めて、改めて水着を見る。

  ………先輩………私みたいなチビッ子にビキニ着せてもオコサマ感は抜けませんよ………?
  お陰で、上半身裸で採寸されたショックが和らいだけれど!
  うぅぅ~………スタイルに自信ないのに………
  でも先輩が選んでくれたんだし。
  先輩待ってるし。
  ………試着室入ってるわけだし。
  ~~~っ、えぇい!いくよっ!着るよ?
  女は度胸!当たって砕けるよっ!

  なんとか水着を着て、細くカーテンを開ける。
  ソファに座っていた先輩が気付いて立ち上がる。
  「着れたか?」
  「は、はぃ………」
  「………何故カーテンを開けない?」
  「あ、開けるんですかっ?」
  不思議そうな表情で首を傾げる先輩は綺麗だけど、ここは譲れない。
  「あ、開けたら………見えちゃいますよ………?」
  「見るだろ。試着したんだから」
  抑えた声で言い合う私たちの間に、店員さんの高い声が割って入った。
  「お客さまー。先程仰っていたのは、こういったものでしょうか?」
  「あぁ、そうです」
  何のことか気になって顔だけ出して覗くと、店員さんが数枚のトップスを持って控えていた。
  「水着の上に着るものを探してもらったんだ」
  先輩が説明してくれる。

  なるほどー。上に何か着てたらビキニでも恥ずかしくないよね。
  先輩、ありがとうございます!

  ジィィィンと感謝に浸っていると。
  「いくつかお持ちしたので、合わせてみてください!」
  営業スマイルで店員さんがシャッ!とカーテンを全開にしてしまった。

  ふぇぇぇぇぇぇっっっ!!!?

  思わず固まる私の身体に店員さんがトップスを当てて、先輩がじぃぃっと見る。
  店員さんと先輩とでやり取りが進み、言われるがまま元の服に着替え、あっという間に会計が済まされ「ありがとうございましたー」という高い声に見送られて売り場を後にしたのでした。


  むにぃ~

  「はぅっ!?」
  「お、起きた」
  気がつくと、そこは人気の少ない階段でした。
  ぼーっと手を引かれるまま歩いていた私を見て、少し心配したみたいです。

  心配かけちゃったのは申し訳ないけど。
  私の頬は覚醒スイッチじゃないですよー。

  「試着疲れたか?蒸し暑かったりするからな」
  先輩は本当に心配そうに私を見ていて。
  いきなり水着売場に連れて来られたこととか思いきり水着姿見られたこととか、いろいろ言いたかった気もするんだけど、どうでも良くなってしまった。
  「ちょっと暑かっただけだから、大丈夫です!」
  笑って言うと、先輩は安心したように微笑んだ。
  「じゃあ、一階でアイスでも食べよう」
  「はい!」
  微笑み合うと、手を繋いでエレベーターに向かった。

  カップルが多いせいか、『メガカップでラブラブキャンペーン』と書かれた大きな看板が店先に置いてある。
  「こちらのカップにお好きなアイスを五種類入れて、お二人で召し上がって頂くというものです!是非お試しください!」
  カウンターから店員さんが説明してくれる。
  「普通に五つ買うより安いんだな」
  先輩は感心したように言うけど。

  二人でアイス五個って、多くない?

  「結香?どれがいい?」
  「ふぇ!?」
  先輩はすでにアイスを選んでいる。
  「せ、先輩。二人でアイス五個はさすがに多いんじゃ………」
  「結香は無理しないで食べたい分だけ食べればいいぞ?」
  先輩に促されて私もケースを覗く。
  「えぇと………あのピンクと黄色のマーブルのが食べたいです。あ!あれ、バニラじゃなくて杏仁なんですね」
  「こっちはミルクだそうだ」
  「俺は抹茶かチョコが好きー」
  「へぇ………っ、ふぁぁっ!!?」
  驚きで仰け反る私を先輩が支えてくれる。
  「………………………………………」
  「彼女ちゃん、驚かせちゃってごめんね?」
  「だ、大丈夫、です」
  なんとか言うと、夏目先輩は私越しに先輩に向かって眉を下げた。
  「彼女ちゃんには謝ったからさぁ、怒るなよ」
  「お前、まだいたのか」
  「帰るとは言ってないし!」
  満面笑顔で親指を立てる夏目先輩に大きなため息をつくと、先輩は注文を済ませて品物を受け取ると私の手を引いてベンチに座る。
  渡されたスプーンでマーブルのアイスを掬って口に入れる。
  「ん~~っ!」
  甘い冷たさに目を細めている私を見て、先輩が微笑んで杏仁のアイスを一口食べる。
  「旨いな」
  「はい!」
  笑い合っていると、夏目先輩が先輩の逆隣に座った。
  「いいねぇ。食べ物の好みが近い夫婦は上手くいくんだってよ。知ってた?」
  「何なんだ、一体」
  呆れたような声を出す先輩に、夏目先輩はまぁまぁと笑う。
  「男一人でアイス食うなんて寂しいだろ。まぜておくれよー」
  「俺たちはデート中なんだが」
  知ってるよーと夏目先輩はアイスをつつく。
  「映画見てメシ食って水着買って仲良くアイス食べる。流れは一応デートだけど、見ていて心配になるんだよなぁ」
  「お前………跡つけてたのか」
  先輩が低い声で言うと、夏目先輩はとんでもない!と声をあげる。
  「ヒトをストーカーみたいに言うな!冤罪だ、冤罪!」
  「じゃあ何故水着買ったと知ってる」
  夏目先輩は視線で水着が入った袋を示す。
  むすっと黙る先輩に、小さくため息をついた。
  「ホント、彼女ちゃんのこととなると必死だねぇ」
  「煩いな」
  「なのに、デートの内容はお前の趣味ばかりな気がして心配なのですよ。俺は」
  夏目先輩がゆっくり言った一言に、先輩はぴくりと方眉を上げる。
  「お前が大食いなのは解るけどさ、デートにラーメンはどうなのさ?映画のチョイスは?お前の好みばかりになってないか?」
  周りの賑やかさがやけに遠くに聞こえる。
  「彼女ちゃんを大事にするなら、そこら辺を―――彼女ちゃん、さっきから顔紅いけど、どうした?」
  「ふぇ!?」
  いきなり注目されて妙な声をあげてしまった。
  隣からも先輩がじっと見ているのが解る。
  「えと……先輩が、デートってはっきり言うから……照れたのです……」
  しん、と静まり返る音が聞こえる気がした。

  うぅぅ………恥ずかしぃ………
  誰か何か言ってほしい………

  ぽふ、と暖かい重みが頭に乗って目を開けると、目の前には先輩のシャツ。
  「ふぇ?」
  顔を上げると、先輩は嬉しそうに髪を優しく撫でてくれた。
  「彼女ちゃん、大丈夫ー?」
  「あ、はい」
  夏目先輩の顔を見ようと身体をずらすけど、先輩の身体が壁となって見えない。
  「あー……なら、そのままでいいや。さっき俺らが話してたこと、彼女ちゃんはどう思ってる?」
  「さっき………映画とか、ご飯ですか?」
  そう、と夏目先輩の声が聞こえた。
  うーん、と少し考える。
  「映画は二人で決めたから、文句なんてないですよ。私はアニメ版をちょっと見ただけだけど、面白かったですよ?私がアニメ見てたって知っても先輩は笑わないし、今日の映画の設定とか登場人物とか知らなくてもバカにしないし」
  あとは、ご飯の話だっけ。
  「ご飯は……フードコートが多いですね。いろんなものが食べられるし。ちょっとずつ分けっこするの、恥ずかしいけど楽しいですよ。あ、でも回転寿司と焼肉食べ放題にも連れて行ってもらいましたよ!すっごく楽しかったです!」
  夏目先輩は何も言わない。
  答え方間違えたかな?
  「えと………先輩がたくさん食べるのは、初めて見たときは驚いたけど、先輩は男の人だし身体も大きいからそういうものかなって思ってました。それに先輩は食べ方も食べる姿勢も綺麗だから、つい見ちゃうんですよ」
  そう、と夏目先輩の穏やかな声が答えてくれた。
  「夕弦の好みとか都合ばかりに付き合わされてない?」
  問われて首を傾げる。
  「行き先や何食べるかを決めてもらうことは多いですけど、振り回されてる感じじゃないですよ?どうしたいかちゃんと聞いてくれるし、私の好きなものにも付き合ってくれますし」
  思い出しながら、それに、と続ける。
 「先輩が食べてる間に絵を描こうとして、逆に絵を描き終わるの待っててもらうことのが多いですし。先輩は私がモタモタしても怒らないで待ってくれるんですよ、優しいです」
  夏目先輩は明るい声で、じゃあさ、と問う。
  「夕弦はさ、こう見えてスイーツ好きじゃん?イメージと違うとかガッカリしたとか、ない?」
  「一緒にケーキ食べるとき、私がいろんなものを少しずつ食べれるようにしてくれますよ。食べ残しを食べてもらうみたいで申し訳ないなって思いましたけど、先輩は構わないって笑ってくれるんです」
  話してるうちに興奮してきて、身を乗り出す。先輩の壁があるから、あまり乗り出せないけど。
  「私が上手く話せなくてもちゃんと聞いてくれるし、私の好きなものにも付き合ってくれるし。優しいです。イメージ通りです。ガッカリなんてしません!」
  目の前に白いアイスが差し出される。
  あむっとパクつくと冷たさで少し落ち着いて、いつの間にか両手を握り締めていたことに気がついた。
  手を開いて爪のあとがついてないか確かめていると、今度はマーブルのアイスが差し出される。

  ん~~っ、さっきのミルクのも美味しかったけど、やっぱりこの桃とマンゴーのアイス美味しい~~っ!

  差し出されるままアイスを堪能してると、ククッと小さな笑い声が聞こえた。
  「んむ?」
  「……フハッ……いや~……愛されてるねぇ、夕弦」
  見上げると先輩は顔だけ夏目先輩を振り返っていたけど、こちらに気付くと目元をほんのり紅くして破顔した。
  「じゃあ、夕弦は彼女ちゃんのどんなところが好き?」
  「お前な………」
  先輩が不満そうな声をあげるけど、夏目先輩は構わず、まぁまぁと促す。
  「後学のためにさ、教えて」
  「そんな勿体無いことするか」
  「一個だけ、一個だけでいいから」
  しばらく呆れたような目を夏目先輩に向けていたけど、軽くため息をついて私をじっと見る。
  「ちっちゃくて軽いのに、芯が通ってて一生懸命で気遣いできるところ」
  真っ直ぐ目を見て言われたものだから、顔が熱くて仕方ない。  
  先輩は真っ赤な私を嬉しそうに見つめ、アイスを乗せたスプーンで私の唇をつついた。
  薄く口を開くと、優しく差し入れられる。
  「あーもー!バカップルめ!いちいちイチャつきやがって!」
  夏目先輩がわざとらしいため息をついた。
  「お前が言えって言ったんだろ」
  「言えとは言ったが、イチャつけとは言ってない!ま、充分聞けたからいいや。じゃな!」
  夏目先輩は立ち上がりながら手を上げると、振り返ることなく行ってしまった。
  「えと。不愉快にさせちゃいましたかね?」
  「放っとけ。ほら、早く食べないと溶けるぞ」
  「ふえ?じ、自分で食べれますよ?」
  断ろうとするけど、先輩はスプーンを私の口元に差し出したまま微笑んでいる。
  結局、最後の一口まで先輩にあーんされてしまったのでした。





  ◆ その日の夜 ◆


  ―――プルルルルッ―――ピッ

  『よくここまで辿り着いたな、選ばれし勇者よ』
  「お前、普通に電話に出られんのか」
  『いやぁ~……今日、漫画とかアニメとか話してたら無性に昔読んでたヤツが読みたくなってさぁ。今の俺の頭の中は冒険ものファンタジーに溢れている』
  「そこで何故魔王に感情移入するんだ。勇者じゃないのか」
  『だって俺のキャラじゃねぇもん』
  「まぁ………そうだな」
  『そこは否定しろよ』
  不機嫌そうな声から一変して、真面目な口調で切り出される。
  『デートの後で電話かけるなんて、やっぱ二回目のヤツか?』
  「あぁ。結局何だったんだ?」
  うーん、と電話の向こうで困ったような唸り声を上げる。
  「話しづらいことか?」
  『いや、説明すると長くて面倒くさそうなんだけどな。ほら、こないだお前にべったりくっついてた女の子いたろ?』
  少し考える。
  「同窓会のか?」
  『そ。正確には別のクラスだけど、そこはまぁいいや。その女の子がな、あそこにいたんだわ』
  面白くはなさそうだが、それで、と促す。
  『お前らが映画出たところを見かけて跡をつけてたんだな』
  「ストーカーか」
  『やったことはそうなんだよな。まぁ、今日で割と諦めやすくなったんじゃないかな』
  「どういうことだ」
  『あー………あの子はな、お前が彼女ちゃんと付き合ってるのは、恋愛感情じゃなくて保護意識のせいだと思い込もうとしてたんだな』
  「は?」
  『映画の趣味もラーメンも彼女ちゃんの趣味に付き合ってやってる、と言い張ってたんだわ』
  「何だそれは」
  思わず低い声を出すと、俺じゃなくてあの子がな、と光司が慌てたように言う。
  『あの子に言わせると、お前はもっとスマートでラグジュアリーな恋人とかデートとかを望んでるはずなんだと』
  「俺はそんな怪しい人間に見えるのか」
  この間まで高校生だったヤツがそんなフィクションの富豪みたいなマネしたら可笑しいだろう。
  『あくまであの子の中のお前はそうだったみたいだ。あんな大人っぽく見せても、恋に恋してたんだな。お前をちゃんと見てなかった。解ってなかった。てことかな』
  ふぅん、と相槌を打つ。
  『だから、リアルのお前が意外に残念なヤツだってとことか、彼女ちゃんがただチマッと可愛いだけじゃないってことを教えてやったんだわ』
  俺たちのためにやったことだとは解るが。
  「お前が結香を可愛いと言うな」
  『ツッコむとこはそこかよ。まぁ、お前のその残念さとデロ甘振りにガッカリして退散してくれたみたいだから、大丈夫だと思うけど』
  「さっきから残念残念と繰り返しているが、俺のどこが残念なんだ?」
  イラッとして自分でも不機嫌な声が出た。
  『映画のチョイスはともかくさ、メシのチョイス毎回お前に合わせるのはどうかねぇ。夜景の見えるレストランなんてまだ不相応だが、焼肉食い放題はないだろう』
  「めちゃくちゃ喜んでいたが」
  ドリンクバーやソフトクリームに興奮して小さく跳び跳ねている姿を思い出す。
  『うーん……彼女ちゃんが喜んでるならいいんだが。お前らは見ていて飽きないねぇ。出来立てカップルらしくイチャイチャしてるかと思えば、熟年夫婦のように寄り添ってるんだから』
  「お前の楽しみになるつもりはない。見るな。結香が減る」
  減るって何だよ、と呆れる光司を放って、俺はあの時の会話を思い出す。
  「お前、結局ずっと俺たちの跡をつけてたんだな」
  『何言ってんだよ、ラーメン屋出たら別行動って約束したろ?』
  「もっともらしいこと言っても無駄だぞ。その女の行動を知ってるってことは、お前も一緒につけてたんだろう」
  『ぅぐ』
  解りやすく動揺する光司に小さくため息をつく。
  いずれ解ることなのだからさっさと白状すればいいのに。往生際悪くしてどうするつもりだ。
  『一緒につけてたっていうか。お前らの跡をつけるあの子の後ろから歩いてた、というわけで………』
  「………………………………………」
  『結果的につけてました。すみません』
  本当に往生際が悪い。
  「つまり、水着売り場に行ったところも見てたんだな」
  『はい』
  「結香の水着姿も」
  『いやいや!それは見てないって!通路の離れた所から試着室が見えるワケないだろう!?』
  「両目2.0を誇る視力を生かして………」
  『アホっ!そんなことするか!冤罪だ、冤罪!』
  「見てないんだな?」
  『見てませんよ。あの突きを喉に喰らうようなマネするわけないだろ』
  そうか、といつもの口調で頷くと、電話の向こうで大袈裟に息をつく音がした。
  「それで、俺が残念なヤツだってことをどうやって教えたんだ?具体的に?」
  『へ?』
  「アイス食ってた時に結香にあれこれ質問してたアレだよな?お前の口から会話を再現したところで、ストーカー染みたことするくらいだから信じないかもしれないよな?どうやって教えたんだ?具体的に?」
  『えーっとぉ~~………』
  俺は努めて柔らかい声を出した。
  「光司?」
  『………スマホで俺らの会話をそのまま聞かせました………エヘッ?』
  「お前……………」
  『いや、悪いなぁとは思ってるよ?でもな、途中で電話切れてたし、お前があーんなんてするとは俺も思ってなかったし!後で確認したら、あんな人を好きだったなんて、黒歴史よ!って怒ってたから大丈夫なんじゃないか?』
  関わらないで済むに超したことはないが。
  「確かにお前は勇者キャラじゃないな」
  『何だよ、いきなり』
  光司は戸惑ったような声を出す。
  「とは言っても、魔王でもないな。魔王を裏で操って笑う宰相だな」
  『ひどい言い種だな。まぁ否定もしないけど』
  「それで、そいつはいつ電話を切ったんだ?」
  『さぁ~……ずっとスマホ見てたわけじゃないけど、アイスをラブラブあーんしてた時には切れてた』
  「つまり………俺が結香をどうのってのは、関係なかったんだな?」
  『へっ?』
  低くなった俺の声に、光司が間抜けな声を出す。
  『関係ないけど関係あるというか?彼女ちゃんばかり言わせるのも可哀想じゃん?彼氏が自分のどういうところに惚れてるか、女の子は知りたがるものヨ?』
  「気持ちの悪い言い方で誤魔化そうとしても無駄だ。明日道場まで来い。逃げようとしても無駄だ。おばさんに事情話すからな」
  『マジかっ!?行くから、せめてお袋に話すのは夏休み終わってからにしてくれ~~』
  「嫌だ」
  『夕弦さまぁぁぁっ。お情けをぉぉぉっ』
  喚く光司を放って電話を切ると、師匠に電話をかけた。
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