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エピローグ~結ばれた手
しおりを挟む麻衣香は常に笑っている。
声を出して笑うときは、にゃはは、と変な声になる。
(いつも、こうなんだ……)
辛くても痛くても、麻衣香は暗い顔をしない。絶対に、笑っている。
小綺麗な顔の中の、愛嬌のあるきょろっとした目で、麻衣香はいつも滑稽なような「にゃはは」という声で明るく笑っていた。辛い顔は誰にも見せたことがなかった。
目覚めた麻衣香は、傍らに眠る理史を起こさないようにベッドを抜け出そうとした。
「……麻衣香?」
「手、離して」
「なんで?」
引き寄せて、また理史は麻衣香をベッドに沈めた。
「顔見ちゃだめ。目とか腫れてるからひどいもん」
「どれ?」
「だめだってば」
顔を覆う麻衣香の手を掴んで、左右に押さえつける。
目蓋が少し腫れぼったくなっている。
「そんなにひどくないよ」
「そんなに、ってことは、ちょっとはひどい?」
訊かれて、理史は噴き出した。
睫毛が少し濡れていて、目蓋が赤く重たげになっている。
幼児のように、麻衣香は泣いていた。
理史が、初めて見た麻衣香の泣き顔だった。
いつも誰に対しても、不愉快な顔をしたこともなく、泣き言も言わない麻衣香だった。
そんなところに敬意を覚えていたし、そこが良いところだと好意を感じてもいた。
でも、と思う。
それだけ、麻衣香は誰に対しても気を遣っていた証でもあるだろう。
理史の前で、麻衣香は泣いた。大きな声で、子供のように無防備に泣いていた。
それだけ、麻衣香は理史に心を許したということに、なるのではないだろうか。
嬉しかったと言ったら、まるで麻衣香を泣かせたかったのかと思われそうだ。
だが、理史は確かに、号泣する麻衣香を腕に抱いたことが、嬉しかった。
(だけど俺は、麻衣香を泣かせることは、ないよ)
そんなクサイ台詞を言えば、きっと、麻衣香はまたにゃははと笑う。
麻衣香をベッドに押さえつけながら、理史はじっとその腫れぼったい目を見つめ続ける。
沈黙が長くなって、麻衣香は思わず、訊いた。
「なあに?」
「何って……」
また噴き出しながら、理史は麻衣香の目蓋にキスを落とした。
もう少し、ベッドに居ても良い時間だと、理史は麻衣香を抱きしめる。
さて、と身支度をする前に、理史はホテルの浴衣のままで、コンパクトにまとまったシングルルームの小さなデスクに開いたパソコンを見始めた。
同じように浴衣を着た麻衣香が、椅子に座る理史の背中にもたれて首を抱きしめていた。
「……私、明日まで、居てもいい?」
振り向いて、麻衣香の頬を引き寄せて唇を唇で触れる。
それを答えだと思ってくれれば良い。
「後悔してたの……」
「後悔?」
「うん。ずっとね、後悔してた。どうして言えなかったんだろうって。どうして言わなかったのかなぁって」
「……俺も、後悔してた。臆病だった。怖かった。だから……」
「そのままでいいと思ったんだよね。一緒に居られるなら、友達で」
「変なこと言って、関係を壊すくらいなら友達のままで」
「同じ事、考えてたんだね……」
お互いの気持ちに踏み込むことが怖くて、一線を守って、足りなくて後悔した。
踏み出せなくて、言い出せなくて、友達で良いと思って、別の人を選んでみたりもした。
そのせいで多分、他の誰かも傷つけた。
臆病は、罪だ。
「回り道、しちゃったね」
「……そうだね。でもそれもまた、良いんじゃないか」
「そう? もったいなかったって思わない?」
「でも、回り道したからこそ、解ったんだと思うんだ」
「何を」
「本当にずっと一緒に居たいのは、麻衣香だけなんだってことを……」
すう、と息をのんだ音が、理史の耳にも聞こえていた。
「いいよ、麻衣香。……答えはまだ要らない」
目を、見つめ合った。何も言わず、口を閉じて。
その沈黙が、心に優しい。
ホテルを出て、麻衣香が腕を青い空にかかげて伸びをした。
「いーい、お天気っ!」
ひんやりした朝の空気が心地よく肌を撫でている。
立地の良いホテルで、エントランスを出ると正面に京都駅が見える。
バスのロータリーが一望でき、目的の乗り場に目を巡らせた。
「あ、麻衣香! もうバスが来てる」
早く、と言って理史は麻衣香の手を取った。
「理史さん、ごめんね!」
「急に、何?」
「新幹線の切符、取り上げちゃって、ホントごめん」
「後にしろ、その話は……」
いいからほら急げ、と笑う。
笑顔の理史に引っ張られて走りながら、麻衣香も、結ばれた手を見て笑顔になった。
足元から延びる淡い影が重なっている。
朝の澄んだ太陽が、ほのぼのと二人に光を差していた。
FIN.
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