忠義の方法

春想亭 桜木春緒

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 がたがたと物音が聞こえてきた。気を付けて、などと声を掛け合っている。
 おますを載せた戸板を担いできたのは、信吾と惣七である。弥平次は彼らの後から付いてきた。手に簪と櫛を持っていた。亡骸を持ち上げたときに落ちたらしい。
 そうだ、と思い出して、丈次郎は屋敷の中に戻ろうと振り返った。
「どちらへ?」
「置いてきた脇差しを取りに行く」
 用人の塚田に問われて答えつつ、丈次郎は台所の戸口をくぐる。すたすたと奥に進み、廊下に出て小三郎の脇差しを拾った。鞘を握ったが、べたついていることに気付いて顔をしかめた。
 廊下から台所への戸を開けたとき、壁の向こうを人が歩く気配がした。通り過ぎ、戸を引いて閉める音がする。屋敷の中には、当主の筧太郎助と、奥方かお実乃という女中だけしか居ないはずだ。そのうちの誰かが、検分の様子を見に来たようだ。
 そちらの人の気配のほうに行って、居るのが誰か確かめたくなった。しかしそこにいるのが女中のお実乃なら良いが、殿様や奥方であれば困る。丈次郎が踏み込んで行ったら、無礼者、と咎められそうでためらう。誰ともわからぬその気配に気付かぬふりをして、外に出た。
 先ほどまで検分していた小三郎の戸板の横に、もう一枚の戸板が並んだのが見えた。おますが載せられている。そこへ信吾が水を汲んだ桶を運んできた。
 弥平次がおますの左手のほうにしゃがんでいたのが見えた。おますの身体を真ん中にして向かい側に惣七が居て、彼は八丈絹の小袖の前を開きつつあった。丸い乳房の姿が、立ちすくんだ丈次郎の目に飛び込んだ。亡骸とはいえ、白昼の光に露わにした女の身体など、これまで見たことがない。
「冬木様、目を背けることはなりませぬよ。傷口を拭いますゆえ改めましょう」
「はい」
 小三郎の脇差しを彼の身体の橫に置き、丈次郎は弥平次の横に行く。掌が、脇差しに付いていた血で汚れている。水の入った桶に手を突っ込み、手首を振って滴を払った。
 それからまた紙と筆を持った。絵でも描いていなければ、奥手な丈次郎は落ち着いておますの身体を見ていられない。
 弥平次が水で軽く絞った晒でおますの傷の回りを拭っていく。左の乳房の下に、傷が口を開けていた。もう新たな血は出ない。
「二度、刺しているような?」
 弥平次の言葉で、丈次郎は傷口に顔を近づけてまじまじと見た。
「確かに。刃先の跡が二重になっています」
「峰は一つの跡のようだが、刃先は二つ。少しばかりずれているが、……一つは、少し細いか?」
 傷は、刃を横にして刺したと覚しき跡になっていた。そのうち一つがやや斜め上の角度を示している。傷の幅は一寸に足らぬ。丈次郎の小指の先から二番目の関節ほどの幅であった。
 弥平次が大刀の鞘から笄(こうがい)を外した。先が小指の爪ほどの幅になったへら状のそれを、おますの傷跡に軽く落とし込み、肌の際辺りの部分を摘まんで持ち上げた。
「一寸五分、いや七分ぐらいであろうかな」
 傷の深さを測ったのだと、その言葉で丈次郎はわかった。聞きながら、筆を動かしている。深さ一寸五分から七分、と文字で書き添えた。
「おますは自害でしょうか?」
「左様……」
 うなずくようでもなく、ちょっと唸るような弥平次の返事だ。
 ちら、と首をひねり、戻す。視線の先に、用人の塚田が立っていた。塚田は筧家としての立ち会いである。ずっと奥歯で苦い物を噛み潰したような顔をしている。苛立たしい気配を無遠慮に発散しているのが、目障りと言えば目障りだった。
 弥平次がおますの着物の襟を持ち上げ、裂け目を確かめた。肌の傷跡より、裂け目はやや長いようだ。
「もうよろしいですか?」
 描き終えたか、というような問いだと聞いて、丈次郎は顎を引いてうなずいた。うなずき返した弥平次が、おますの胸元で前を軽く合わせ、外した帯を申し訳程度に腹に置いた。
 頭上から、低い咳払いが降り注ぐ。しゃがみ込んだ丈次郎のすぐ後ろで、塚田が腕組みをして睨んでいる。このまま何もせずに思案に時を費やせば、舌打ちが出てきそうな顔つきをしていた。
 小三郎の右横に弥平次が移動した。丈次郎は弥平次に並んで膝をつく。惣七はまた彼らの向かいで身を屈めた。惣七が小三郎の袴の紐をほどき、帯に手を掛けた。血が結び目を固くしていたようで、胸の辺りを開くまでに時を要した。
 それから水を浸した晒で傷の辺りを拭っていく。左側の、胸よりやや下の、腹と言ってもいい場所に一つの刺し傷があった。刃を横たえて刺した跡のようで、右側に刃を向けたらしく跡が細い。よく見ると、傷口の周囲の皮が少し縮んで内側に入り込んでいる。
 弥平次がまた笄を傷に差し込んだ。柄が少し下に向く。上に刃を向けて刺したと覚しい。
「幅は六分ほど。深さは、……これは三寸は、いっているな。背まで貫いてはいないようですな」
 仰向けにした小三郎の肘から先が、固まって上を向いている。脇差しを握っていた指が曖昧に握られた形のままだった。掌が茶色い。丈次郎は目に止まる限りの物事を紙に写した。懐にしまってきた紙の残りが足りないように思い、部分部分を、紙の余白の許す限り描いた。隙間に文字での補足を入れる。
 三寸ほど、と傷の深さを書き取った後に、おかしい、と丈次郎は記した文字を見た。脇差しの切っ先から三寸ほどの部分にあたる刃の幅は、六分では足りまい。
 傷のほうが刃の幅より狭いのは、おかしい。

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