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 振動が止んだ。

 そしてすぐにまた、ぶー、という音と共に奈恵の掌の中で長方形の物体が震える。
「……はい」
「奈恵」
 圭介の声に間違いない。
「いま家?」
「外」
「話しても大丈夫か?」
「うん……」
 電話口を通して、耳元に近く聞こえる圭介の声が、夏のあの日を思い出させる。奈恵はみぞおちの辺りを握った。
「来週には退院できると思うんだ」
「そう……。良かったね」
 は、という笑うような、ただ息を吐いただけのような圭介の声がする。
「病院なのに携帯使って、いいの?」
「今、外に出てる」
「足は?」
「松葉杖だよ」
 奈恵は、歩き続けている。
 図書館は家から五分ほどだ。駐輪場の横のエントランスの壁沿いに立った。
 通話中のまま、少し、沈黙した。何を話せばいいのか、奈恵は戸惑う。

 彼女、素敵ね、とでも言ってやろうか。それとも、彼女がいるくせにどうして、とでも言うべきなのか。
 あの夏の前に、あの人と付き合っていたのだろうか。それともその後だったのだろうか。
 どういつもりだったの?
 奈恵がもっと気が強かったら、そう言っただろう。今ではなく、多分、あのときにもう言えただろう。
 だが、奈恵にはそれが言えない。圭介の反応が怖くて、言えない。

 図書館のエントランスのレンガ風の壁を見て、少し呼吸を整えた。黙ったままでもその向こうに圭介がいるのはわかる。同じように、呼吸をしているのがわかる。気詰まりで、胸が苦しい。
 切るよ、とでも言って、終話のボタンを押してしまえばいい。ただ黙って通信を切ってしまえばいい。

「奈恵」
 圭介の耳元に、奈恵の呼気が届いただろう。
「会えないかな」
 すう、と圭介が息を吸う音が奈恵の耳元に聞こえた。
「来週、退院する。その次の週でもいい。……会いたい」
 母さんに聞いた、と圭介は言う。奈恵の父と母が最近は留守がちだということを、聞いたと続けた
「お前んとこ、行く……。できれば叔母さんも叔父さんも居ない時がいい。わかるだろ?」
「圭ちゃ……」
「また連絡する」
 圭介が通話を切った。
 
 嫌、と言ってしまえない自分が、奈恵は嫌いだ。
 きっとそういう奈恵の性格を、圭介は知っている。幼い頃からきっと知っていた。だから、だったのだろう。
 図書館のカウンターで、借りていた本を返し、書架に向かう。奈恵はただぼんやりと本の背表紙を眺める。文字が視界を埋めるが、ただそれは映像として奈恵の瞳を撫でるだけだ。
 ○○の冒険、と言うような題名の上下巻のファンタジーの物語と、偉人の伝記を1冊借りて、奈恵は図書館を出た。

 キッチンでウーロン茶を注いで、自室に持ち込み、借りた本を持ってベッドに寝転がった。
 わかるだろ、と圭介は言った。
(わかるよ……)
 と奈恵は思った。
 嫌、と思っている。夏のあのことを、圭介が続けようとしているのがわかる。
 嫌だと思う。怖い。
 気がおかしくなるほどの、あの時の感覚を、忘れたくても忘れられない。忘れたいと願っているはずなのに、ふと思い出しては眠っているときにも目が覚める。
 「奈恵、なんか、スゲエいい」下品なような言葉で、圭介は奈恵を讃えた。
(嫌……)
 目を閉じると、浴室の中で見たものが目に浮かぶ。確かに、奈恵の中に圭介が入っていた。それも根元まで、深々と。ずるずると出入りを繰り返していた。
 嫌、あんなのもう、嫌……。いやらしいことは、嫌。

 奈恵の右の手が、無意識だろうか、下着の内側に忍び込んでいる。あの夏の日に、圭介が盛んに往来していたその暗い襞を、指先が触れる。ぴくり、とつま先が揺れた。
 左の手が、カットソーの裾から下着をずりあげた。指の先で堅くなった乳首が震えた。
「は……」
 小さな溜息を吐きながら、奈恵は、圭介が触れたように身体に触れた。

 もう、とろとろだ、と彼は言っていた。下着を引っ張って、足先から抜く。スカートの中で、奈恵は圭介の軌跡を追う。ここだ、そう、ここだった。指先を沈めた。ぬるりと温かい感触がある。びくびくしてる、と圭介が言っていた。乳首、立ってる、と圭介は言っていた。そのとおりだ。
「んぅ……」
 圭ちゃん、と頭の中で呼んだ。

 わずかに沈めた指先を迎えるように奈恵の腰が揺れる。粘質な音が耳に届く。時折、カットソーの裾からもう露出した胸を両手で触れ、奈恵のその小さな花の蕾のようなそれを指先で捩り、引っ張った。半ば開いた唇から潤んだ吐息が漏れる。
 こんななんだ、と圭介は言った。くちゅくちゅ言ってる、と奈恵を揶揄した。
「……あ、はぁ……」
 奈恵の秘所が、奈恵の指先を咥えたままで痙攣している。奥へと求め、その通りにする。
「んぁ!」
 頭がぼうっとなるような思いに駆られながら、奈恵は指を花芯に突き立てたままで身体を捩る。内股に露が伝う。身体を揺すった。襞が、指を締め付けて擦った。その感触に奈恵は喘ぐ。脳裏の底のほうで、いっそうの触覚を求めて身体を揺さぶる奈恵を、もう一人の奈恵が非難した。何をしているの、と。

(だって、圭ちゃんが……)
 自らに弁解をするように圭介のなしたことを思い浮かべる。奈恵をおもちゃのように、弄り、貫いた。奈恵は身体を支配した圭介に、朦朧としたままに、意識を散らされた。
 あの時の感覚は、嫌悪するべきものだったか。

 ちがう、と奈恵は解っている。
 二指を身体に深々と埋めて、背中を反らしながら奈恵は思う。もっと、圭介のほうが、もっと気持ちが良かった。圭介の、あの猛々しい物が奈恵の身体の奥を叩いたときは、もっともっと圧倒的で、何もかも解らなくなるほどに気持ちが良かった。
「はっ! はぁ……ぁ……」
 掌まで濡れるほどに身体からの反応を滴らせながら、奈恵は背を反らし、爪先を痙攣させた。
 イッただろ?という圭介の声が聞こえた気がした。
「圭ちゃん……」
 呼吸を乱しながら奈恵は、圭介の名を呼んだ。

 涙ぐむほどに自らを犯す作業に夢中になっていたことを、少し羞恥した。
 横臥して、鼓動を鎮めてから、奈恵はぼんやりとした頭で、病院で見たあの、さおりという人物を思い浮かべていた。綺麗で、朗らかで、奈恵から見れば、まぶしいほどに大人びたお姉さんだった。
(あの人とも……)
 あんなこと、するの? 脳裏に浮かんだ圭介に、訊いた。
 無論、答えは無い。

 目に映る窓の外がもう暗い。


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