水霊の贄 孤独な少女は人ならぬ彼へ捧げられた

春想亭 桜木春緒

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第四章

俗 六

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 みなほの帰還によって、贄の担い手だった八人の男達は、不名誉を挽回した。みなほが祭礼の社から姿を消し、空の輿を担いで帰ってきた彼らは、贄を殺したと噂を立てられた。
「俺たち何も悪いことはしてねえってのに」
 疑いをかけられてからというもの、分別があるとされる大人や、正しいことが好きな若い娘は、彼らに白い目を向けてきた。
 担い手の一人である八助は、神社までみなほを見に行った。供物などを捧げ、龍彦様の下から帰ってきたというみなほを「贄の御前」なぞと読んであがめ奉る村人達の存在も知った。村以外の人々もいた。物見高いというか、信心深いというか、そんな連中もいるのだと感心した。
「本当にみなほだったのか」
「間違いない。顔を見た」
 被衣をかぶっていたが、立ち居の動作の合間にのぞいた顔は、輿に乗せたみなほの記憶と一致した。
 八助など担い手の八人は、みなほを祭り上げる騒ぎに加わらない。つい先日まで、みなほをよってたかって嬲り殺しにしたと白眼視されていたのだ。面白くない。
「阿呆らしい」
 と、みなほの騒動に背を向ける。

 八助の見るところ、村長も彼らと同じようにみなほのお祭り騒ぎに苦い顔を向けている。
 宮司と共にみなほを祭り上げているのは、先日まで村長の屋敷に居た歩き巫女の一行だ。彼女らが、みなほを取り囲んで、物見高い連中との間を取り持っている。お布施のようなものを取って、みなほに頭を撫でさせたり、何かしら言祝がせたりするのだ。みなほと龍彦様にちなんだお守りやらお札やら、金を取って配ってもいる。
 何より八助たちがつまらないのは、そんな商売が始まってしまったせいで、浮草もほかの女達も、身体を売らなくなった事だ。
「まったく頭にくるぜ。あんなに疑って、悪し様に言ってやがったくせに、こうなっても誰も何も言わねえ」
「俺たちを人殺しの人でなし扱いしやがって、腹立つ」
「やってなかったと解ったんだから何とか言えよ」
 春だというのに、彼らには楽しみがない。鬱憤がたまるばかりである。
 辰の大祭でみなほが行方知れずになってから、担い手の八人には良いことがない。
 禁忌である御下がりの悪行を為し、その上でみなほを殺したとまで疑われた。担い手になったのは良い年頃の強壮な男達だが、その後、嫁取りもできないままで居る。ごく親しい身内だけは何とか彼らの言い分を信じてくれた。だがそれ以外の村人からは不信の目を向けられた。
 本当に不信に感じずとも、他の者に疑われる彼らに肩入れすれば、肩入れした者も同列に見なされる。村とはそういう社会だ。
「どいつもこいつも、誰もみなほなんぞ嫌って無視して、居なくなりゃ良いって言ってたくせに」
 そのみなほを殺した疑いで、担い手の若者達を村の者が冷遇するのは、筋が通らない、と思うのだ。
 別の日に、担い手の一人がみなほを見に行った。人殺しめ、と彼を叱った老女と目が合ったが、そのまま無言で通り過ぎた。老女はそのままみなほがよく見える隙間で、手を合わせてありがたそうに目を閉じた。
 他の者もそうだ。みなほを殺した、という噂で彼を冷遇した人々は、生きているみなほを見ながら、彼にはやはり誰も声を掛けなかった。

 村長の住まいである上の屋敷は、御子ヶ池のある山塊の麓にある。村のたいていの土地より少し高い。斜面を石垣で補強し、小規模だが堀も切ってある。
 上の屋敷よりもう少し高い位置に村の神社があった。神社のほうがより御子ヶ池に近い。
 村に何らかの事が起きたときは、上の屋敷と社に村人を収容する。村長の屋敷と社の両方を合わせて砦となるよう配置してある。本丸と二の丸のようなものだ。
 村長の工兵衛は庭に面した広縁に座しながら、八助らの訪問を受けた。
「村長、みなほが帰ってきたっていうけど、会いましたか?」
「さあな」
「ずっと養ってもらってたって言うのに。みなほも恩知らずだなぁ。何か言ってやれば良いのに」
 返事をせず、手元にあった書状をたたみ直す。覚えず、舌打ちが出た。
「なんの手紙ですか? 戦ですか?」
「そんな知らせがあったらすぐに言う」
「なぁんだ。ちょっとばかり暴れたかったのにな」
「わしもそう思う」
 それで、と八助は工兵衛に問うた。
「真由が、みなほに会いに来るとよ」
「へえ! 真由様が」
 美しくて優しい真由は、男達にも懐かしい。彼らにとっては、遠く仰ぎ見る憧れの美女だった。一度は、贄になると聞いて色めき立ったものだ。
「あれ? たしかご懐妊では……」
「ああそうだ。みなほに、否、贄の御前にあやかりに来たいとよ」
 辰の大祭でみなほが贄となり、行方不明となったが、村では大変な豊作となった。そして春に戻り、龍彦に愛でられたと語った。
 これが奇瑞でなくて何だ、と真由は書状に書いてきた。だから、生まれ来る子もあやからせたい、と。
「みなほが吉祥の徴《しるし》の訳がない。あの血腥い奴らの子が! どうせ本当は山賊にでも掠われたのに、世迷い言を連ねているだけだ」
「まあ、そうだろうと、思いますけどね」
 しかし八助達は、祭礼の社の扉を見ている。何の傷もなく、前夜のまま閂の鍵は架かっていた。そもそも贄を外に出さないための鍵であるが、閂の鍵が無ければ、扉でも壊さねば中の者を掠うこともできなかったはずだ。
 だからといって、本当に龍彦様が現れてみなほを連れて行ったというのも、信じがたい。
 何らかの方法で無傷のまま鍵を外し、扉を開閉して鍵を戻したという話の方がよほど信じられる。
 人ではない神か精霊の実在を示す根拠は乏しい。山の民や山賊は、実際に居るのだ。山の奥に潜む、山賊か山の民の仕業と考えるほうが現実味がある。

 次の日も、また次の日も、みなほは宮司と巫女達に連れられて社に出る。
「ねえっ! みなほ! みなほ、……様! こっちを見てよ。覚えているだろ? あたしたちのこと」
「上の屋敷でお世話してあげたじゃないか。松江だよ」
 祭礼の前の潔斎までの間に、屋敷でみなほに付いた女達だった。肥えた田津、茂代、松江である。
 覚えている。食事を運んでくれた。ありがとう、と礼を言ったが、冷たい顔で返事もなく去ってしまった三人の内一人は、子が村の子達にいじめられたと言って怒っていた。
「ちょっと、ほら、今あたしを見てくれた。言っただろ? 贄の御前の面倒を見てたんだよ、あたしは」
「すごいだろ」
「良いことがあるよ、あたしたち。おそばでお世話したんだからさ」
 三人の女達は、回りの家族やそれ以外の人に向かって、声高に自慢を述べる。

 お前なんかのせいで。確か、みなほにそんな言葉を投げつけた。
 痛い目にあえばいい。
 確か、そんな風に言っていた。
 遠くにある嬉しそうな三人の顔から、みなほはそっと目を伏せる。
 
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