水霊の贄 孤独な少女は人ならぬ彼へ捧げられた

春想亭 桜木春緒

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第四章

俗 四

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 みなほが歩き巫女の浮草と少しなじんできたと、宮司から工兵衛は聞いた。
「何とか、どこから戻ったかだけでも思い出させるんだ」
「かわいそうだ、とあの女が言う」
「忘れてもどうせ姦《や》られた傷が消えるわけでもなかろう。小さな情をかけて村を危なくさせるわけにはいかん。嫁入り前の娘だって村に何人も居る。その者たちを守るんだ」
 どうせ、みなほだ。口には出さないが、工兵衛はそう思っている。
 難色をしめした浮草には、国主の子に嫁いだ真由から贈られた美しい絹と、五粒ほどの金を渡す。
 懐が温かくなった浮草は、生業を怠けた。身体を売らなくなった。

 贄の輿の担い手だった男達は、みなほをあやめた疑いのせいで、今でも村人から冷たい目を向けられる。自然、あぶれた彼らだけでつるむ。
 担い手では八助の他にも浮草の客がいる。浮草は名の通り流れ者だ。歩き巫女としてお札を売ったり、まじないをしたりするのが本業である。最も需要があるのが売色だった。
 しかしこのところ数日、浮草の客になる男の話が絶えた。
「つまらんな」
「隣の村にでも夜這いに行くか」
「今は忙しいからなぁ」
 農閑期には少し遠出をして遊べるが、春先は忙しい。
 上岡工兵衛が村長になってからは、多少の戦に出ることもあった。戦は危ないが、村の外の世界を知るのは若い者には良い刺激でもある。だが春先は、どこも戦などしない。戦う兵の大半はそもそも農民だ。
 黄昏時、畑からの帰りに誰からともなく村長の屋敷に向かう。作業を終えてすぐに家に帰る者のほうが多いが、担い手に選ばれた男達は別だ。労働の後でも活力がみなぎっている。
 目新しいものごとに、彼らは飢えている。外からの物も事も、たいてい最初に村長の屋敷に届く。浮草たち歩き巫女の一行も、村を訪れた当初から村長の屋敷の一角に居る。
 男達の記憶では、浮草の他に、もっと若い巫女も居たはずだ。居たり居なかったりだから、誰かは残っている期待があった。
 村長の屋敷の外に、みなほの住まいだった場所があった。空隙に小さな祠がぽつんとある。
「……ちっ」
 八助は、祠を見るたびに舌打ちをする。他の者もそうだった。

 浮草が客を取らずに屋敷で寝ていたり、たまに社へぶらぶらと行くばかりなのを、連れの者達がいぶかしがった。
「あんた、何してんのさ」
「なんかね、どっかで危ない目にあって気が触れちゃった子が見つかって、どこにさらわれてたか言わせろって、ここの人に頼まれてんのよ」
 三人ばかりの女達に囲まれて、浮草はぺろりとみなほのことを吐いた。村長や宮司との約束など、浮草にとってさほどの重みはない。いずれすぐに去る土地だ。金をもらって結んだ約束など羽より軽い。
「村の人に言っちゃダメだよ」
 一応の念は押す。
「でもさ、この辺でそんな目にあったんだったら、あたし達だって危ないんじゃない?」
「山の上に行って、居なくなったらしいよ」
 へえ、と巫女達は嘆声を吐いた。
 浮草がそんなことを漏らしてから十日も経たぬうちに、村には噂が広まった。

 歩き巫女達の口からのみならず、みなほを見つけた村人からも、話は流れたようだ。どちらも、一応は村長と宮司に口止めされていたが、己個人に切実な危険のない秘密などは保ちにくい。
 珍しい物事に飢えた村の人にとっては、不思議な噂は興味深い話である。それにみなほのことはまだ村人の記憶に新しかった。祭礼の後の大豊作もある。
「あれは贄の御前だった」
 とみなほを見つけた者は他の村人に語った。御前とは高貴な人の妻を指す言葉でもある。御子ヶ池の神に捧げる贄は、神に嫁ぐ妻として差し出される。それが御子ヶ池を祀る村々の言い伝えだった。それゆえに贄の御前なる呼称が生まれた。
 その語りを浮草の仲間の歩き巫女も聞きつけた。
 もうすぐ種まきの時期だ。先の豊作を幸いなことと思う村人は、贄の御前つまりみなほに、神への信仰に似た思いを抱いているようだ。
「これってさ、……お札とか作ったら売れるやつだよね?」
「あたしたちが来てからそんな子が現れたのも、何か、あるんじゃないの? そういうことにしようよ」
 歩き巫女の一行について歩く護衛の差配に、巫女達から図る。
「困るなあ、勝手なことを言ったら……。ここの村長に怒られるだろう」
「しけたこと言うんじゃないわ。黙ってれば良いのよ。あたしたちが言い出したんじゃない。村の人たちから始まってるんだから」
 宮司から浮草にも苦情があった。
「あれほど口止めを……」
「あたしは何も、村の人には、言ってませんよ」
 社に村の者が問い合わせてくるのだ。みなほが、贄の御前が、現れたと聞いた、会いたい、どこに居るのか、と。

 工兵衛は宮司を呼び出そうと使いを出したが、逆に訪れることになった。人が、鳥居の前にうろうろしているのだ。
「そうだ、この社の池も、みなほ様が、いや贄の御前が、龍彦様のもとに行かれてからできた。これも、神秘である」
 池の前で扇動するように語るのは、みなほを見つけた村人とは違う男だった。皆、人知を超えた出来事に夢中だ。
 人が居る鳥居の方を避け、社殿の裏を回って工兵衛は宮司のもとに足を運んだ。
「みなほ様、だとよ」
「阿呆臭い。あやつらの中に、去年までどれほどみなほを大事にしてやった者がいるのやら。誰もがみなほを見ては鼻をつまんで避けて居たくせに」
「ならおぬしはいいご利益がありそうだな。住まいも食餌も、全部面倒を見てやった」
「皮肉かよ」
 捨て犬に残飯を放るようなやり方であった。だが宮司の言うとおり、孤児になったみなほが生きながらえたのは、工兵衛が食料を与えたおかげではある。
「こうなったら、どうするか」
「今さら隠すのも面倒だ。殺してしまえば良かった」
「酷いことを申す……。もうすぐ真由にも子が生まれるだろう。みなほをあやめては縁起が悪そうだ」
「宮司ともあろう者が、俗な者達の言うことに毒されてどうする。あのみなほが祀るにふさわしい者かどうか、考えるが良い。血塗られた、……否、血に飢えた家の娘だぞ」
 祖父は村長だった頃に、妻子を屋敷で殺した。生き残った一人の男子がまた妻子を殺した。その子がみなほだ。
「何故に、一人が残る。あの惨事の場に何故居なかった? 二度あることは三度あると言うだろう。違うか」
「しかし、神に贄として捧げ、確かに豊作をもたらした。みなほは本当に龍彦様と共に過ごしたと申している。もしかしたら、それは誠なのではあるまいか」
「まことであって、たまるか!」
「どうしても賊に掠われたことにしたいらしいが、その根拠はどこだ。むしろ浮き世離れして聞こえるが、みなほが申すことが、本当なのではないかと思えてきた」
「ならばお前は、みなほをどうする」
「皆に拝ませてやろうと思っている」
 宮司の言葉を聞いて、工兵衛はがくりと首を垂れた。己の足下に向けて大きく息を吐き、愚かしい、と呟く。
「担い手の馬鹿どもが、御前なんぞと奉られるみなほを見てどう思うか。……わしはもう知らんぞ」
「村の皆が仰ぐようになっているのだ。おかしな真似はするまい」
「もう知らん」
 工兵衛は再び言い捨てて、社を去った。
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