水霊の贄 孤独な少女は人ならぬ彼へ捧げられた

春想亭 桜木春緒

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第四章

俗 二

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 宮司は、たまたま訪れた流れ者の歩き巫女の一人を使って、みなほに食料や着る物を届けさせた。三日に一度ほど、宮司自らがみなほの様子を見に行く。
 みなほは大人しく倉庫の中で暮らしている。白小袖は着替えたが、恭しく畳み、その上に貝を一つひっそりと供えるように置いている。時折、その貝を胸に抱く。貝を胸に、ひっそりと目蓋を閉じるみなほの顔つきは清らかにも見えた。
「娘たちが己を食えと申したか」
「以前より、魚を食べてきましたが、それが本当は、なんと惨いことであったかと思いました」
 あゆ、ます、などと呟き、みなほが白い頬に涙を滴らせる。そのことのせいか、みなほに与える食事は豆や米ばかりである。何か食うかと問うたとき、魚や鳥は要らぬ、とみなほが言った。
 そんなことのために自らの身を湖水に投げ出したと聞いて、宮司は、偽善めいた小娘らしい感慨だと胸の底で嘲った。

 みなほの父のことも、宮司は覚えている。
 宮司より一回りくらい年下の、腺病質だがきれいな顔をした男だった。彼の狂乱した父親が家族や郎党を殺し、村長の一家として住んでいた上の屋敷を逐われた。
「子らが、可愛くてたまりませんね」
 村人から疎外されるようになっても、子を連れて、神社にはたまに参詣していた。宮司と会うと、影の薄い微笑で話をした。
 頼りないが、子を慈しむ父親であった。痩せていたが、力はあった。このあたりの者の常として、生活の中で必要があって山も歩く。薪割りなど筋力を使う作業も行う。
 腕力があったから、あのような事件を起こしたのだろう。
(しかし、あの男が、妻や子を殺すのか)
 諦観の籠もった寂しい目つきだったが、子らへの愛おしさが視線に宿っていた。何が彼を狂わせたのか、宮司には未だに謎である。
 通り魔に憑かれた。
 そう思うほかに、みなほの父が家族を皆殺しにした意味がわからない。彼の父つまりみなほの祖父も似た事件を起こした。二代続けての家族殺しだ。
 何の呪いか、恐ろしい。宮司は村人からそういう相談を受けたこともある。
「村から祓った方が、良いのでは?」
 追い出したい、と口に出す村人も多かった。
 災厄の種は村の外に出すに限る。近くでなければ、みなほたちにまた魔が取り憑いても村人は呪いに触れない。他村の誰かが殺されても、村人にとって痛みはない。
 魔が取り憑いた。
 あの家の者達は呪われた。
 みなほたちの一家に被せられた言葉である。
 近づくな、見るな、口をきくな。
 一家について、村人たちが一致して取った行動だ。その認識で、皆が心を一つにした。みなほたちを疎外することで、村人は団結していた。多くの者が同じ認識を持つこと、多数による共通の認識こそが、村の正義になった。

 みなほは、父母きょうだいと八歳まで暮らした。それまでもその後も、他の者とはほとんど口も聞かず、触れあいもない日々であったはずだ。それにしては、施しに礼を言うなど行儀は良い。
 宮司はみなほを倉庫に入れている。春先であり、まだ寒い。流れ者の歩き巫女を使いにして、着る物と火鉢を届けた。
 村長の工兵衛がよこしたみなほの着物は、色あせた藍の小袖だった。袖も襟もすり切れかけている。これまで誰の着ていた物だろう。若い娘が喜んで身にまとうものではない。しゃれ心のある娘ならむしろ嫌がる。
「ありがとうございます」
 それでもみなほは、そんな着物を受け取って、しっかりと礼を言った。澄んだ声で、口元には笑みがあった。
(愚かではないのだな)
 宮司は、汚い身なりで村に居たみなほを覚えている。あのときは気の触れた娘だと思っていた。今も、別の意味で気が触れているのかもしれないが、人に礼を言う顔には聡明さがあった。
 使いにした歩き巫女は心得たもので、みなほが何故に倉庫に入れられているかなど、疑問を述べなかった。
「良い子なのにねえ」
 とは、言った。彼女は浮草と名乗っていた。
 歩き巫女とは、各地を流れ歩きながら祈祷などを行う生業だ。浮草の一行は七人だった。そのうち三人が修験者風に装った護衛の男達で、四人の女達が巫女だ。女は春を売ることもある。
 歩き巫女の一行は村長の屋敷の一角を拠点にして、隣村などにも赴く。三日ほどずつ誰かが出かけ、帰ってきて、また出かける。浮草だけはずっと上岡の村に残って、上岡工兵衛と宮司の間の密かな使いで稼いだ。
「他言は無用」
 約束は忠実に守っている。浮草は、三十路を二つ三つ越えた、世間知にも長けた女だった。美しくもないが、色気はあった。村の男たちの相手に回って、忙しいらしい。人の出入りも少ない田舎である。よそ者の女は人目を引いた。
 みなほの担い手であった男達もまた、歩き巫女の客となった。彼らはそのことを祈祷と呼び、誰が祈祷を何度行ったか、畑仕事の合間に噂をする。
 稲刈りも終わり、冬に備える季節である。収穫した大根を櫓に幾本も干しながら、男達はまた夜を楽しみにした。
 娯楽の乏しい田舎のことだ。上の屋敷や神社に滞在する客が、遠方から運ぶ噂も村では大いに娯楽であった。村内の噂はすでに語り尽くされている。
 浮草の客に八助という男が居る。十九歳で、筋骨がたくましい。頑丈な身体をもてあました独り身だ。
「お祭? そんなお祭りがあったの」
「この秋は十二年に一度の大祭でな。御子ヶ池に贄を捧げたんだ。俺は贄の輿を担いだ。そこの山の上まで絶対に落としてはならんから、担い手も強い者が選ばれる」
「貴方、強いもんねぇ」
 喉の奥で笑いを漏らしながら、女は指先で男の胸板をなぞる。
 祈祷と称するが、用は男女の一通りの事をいたした後、火照りの残る身体を寄せ合って話をする。歩き巫女の浮草は、人の話をよく聞く。次に他の土地に渡ったとき、その話題が良い稼ぎの種になる。
 最初に「贄」と聞いたときには、生け贄として首でも切るのかと、歩き巫女はぞっとした。しかし、八助の他の客からも辰の大祭の話を聞き、死は伴わないともう知っている。
「御下がりってのを、みんなで楽しみにしてたのに、みなほめ、あいつ、消えちまいやがった」
「へえ、消えちゃったの。おっかないねえ」
 なるほど、と胸の中で浮草はうなずく。
 八助が担いだ贄とは、社に閉じ込められたみなほだと解った。
「あいつは村の厄介者で、贄なんて図々しいと思ったもんだ。ガリガリでいつも小汚い、臭い奴だったしな。だけど祭で見たら、何だよ、普通の娘になってた。だから、もう待ちきれねえ気持ちで、みんなで」
「みんなで、やっちまおうって思ったんだね」
 それもひどい話だな、と同じ女として、浮草はみなほに同情した。
「もしそのみなほって娘が帰ってきたら、あんたたち、どうするね?」
「帰ってきたら?」
 虚を突かれた顔をして、八助は少し黙った。唇を触って思案する内に、口の端がぐずりと笑み崩れた。
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