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第二章
祈 六
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敷地の外の小屋にみなほを住まわせていれば、いつ誰が彼女を訪れても知ることが出来ない。誰とも知らぬ村の者とみなほを接触させてはならない。
そういう事情で、みなほは屋敷の一室を与えられた。
食餌などはどうするかと、みなほを連れて来た侍女たちが工兵衛に尋ねた。
「お前たちと同じものでよい。少し太らせよ」
三十歳になった田津のいささか肥えた顔を見て、答えた。
ふう、と溜息をつきながら田津は、侍女仲間の茂代と松江に工兵衛の命令を告げた。
「そしたら、あたしたちがみなほの世話をするのかい? 嫌だよ!」
繰り返し、いやだよ、と若い茂代が言った。彼女には幼い子供がいる。
「しかたないだろ。そういうことになっちゃったんだからさ」
投げやりに言う松江は二年前の戦で夫を失った独身だ。まだ二十八歳であり色気が濃厚に残っている。上の屋敷の下男と忍びあう仲である。
みなほは、村で忌み嫌われる存在だ。その彼女の世話をすることで、自分たちや子供まで忌避されるようになってはたまらない。
みなほ自身がどういう性質の少女であるか、実際のことは田津にも茂代にも松江にも関心がない。
自分や子供の村での立場に悪い影響があるなら、それだけでみなほを嫌う理由になり得た。
柔らかく炊かれた米の甘みを、みなほは十六歳で初めて知った。
塩で漬けた菜の味も、葱の入った味噌汁も、炭火で焼いた魚も、何もかもがご馳走に感じる。
上の屋敷の一室から出ぬようにと工兵衛に命じられ、言われたとおりに閉じ籠もっている。
「用事があるときには、必ず、田津か茂代か松江をお呼び。小用の時もだよ。一人で歩き回るのはいけない。祭りまでは大事な身だからね」
温かい笑みを浮かべながら工兵衛はみなほに言い聞かせる。
「はい」
潤んだような眼差しで、みなほは工兵衛に頷いた。
祭で、贄という役を務める。それがそれほど大事なことだとは思ってもみなかった。
三人もの侍女にかしずかれ、今までの粟や稗の粥とは比べものにならないご馳走を、日々、朝昼晩と、それもお腹がいっぱいになるほどの量を食べさせてもらえる。
何故、みなほが祭礼の贄に選ばれたのか、理由はわからない。
しかし、贄に選ばれたことは、みなほにとって幸いなことに他ならぬと感じられた。満腹になるほどの糧を与えられ、小綺麗な衣装を与えられ、その上、工兵衛や真由が、時折みなほのもとを訪れて温かい笑みを見せてくれる。
「みなほ、髪を梳いてあげる」
たまに訪れる真由がそんなことを言う。遠目に見て、美しいと憧れた村長の娘が、間近で、みなほに柔らかく微笑みをくれる。嬉しくて、頬が熱くなった。
桜が散り、若葉の萌える頃になると、少しずつみなほも肥えてきている。
「みなほ、これをお使い」
行水の時に使う、糠が入った袋を真由がみなほに贈った。
暮らしぶりが一転して、みなほの肌に潤いと艶が生じている。
「似合うのではないかしら」
ある日、萌黄色に染められた綺麗な小袖を持って、真由がみなほのところに現われた。
「立ってごらん。……ほら似合う」
真由が小さなみなほの肩に小袖を着せかけながら、その頭を幼女にするように撫でた。年齢の割に小さいみなほは、真由の鼻先にようやく頭のてっぺんが来る。生い立つのに糧が足りなかった者と、飢えを知らぬ者の差は体格にも如実である。
「みなほが着るといい」
「こんな綺麗なもの」
「構いはせぬ。後で帯を持ってきて上げる」
小袖を抱くようにしてみなほは真由に礼を言って頭を下げた。含羞と、感激で頬が赤い。大きな瞳を潤ませた。
そんな姿は、確かに以前よりずいぶん少女らしくなってきた。
ふん、と冷笑を柱の陰で隠す者も居る。
茂代が田津に
「あれ真由様も気前の良いこと」
笑いながら零した。それはそうさ、と二人は目を見交わして頷き合う。真由の元には若殿からずっと上等な絹の衣が幾つも届けられている。
そなたに似合う、と書状の添えられた、淡い紅色に染められた美しい小袖が、真由の部屋の衣桁に飾られている。侍女達は見て知っている。
「真由様はお優しいから」
事情はどうであれ、自らの幸せを、あのみなほにも分けている。そんな姿は、やはり真由が優しいからだと女達は考えた。
みなほの世話をする三人にはそれぞれ子供が居る。
最も若い茂代の息子が四つで、松江の娘は七つ、田津の息子は十二歳だった。
「おめえの母ちゃん、アイツに触ったんだってなぁ」
そんなことを、松江の娘が言われたと聞いた。アイツとは、村で忌み嫌われるみなほの事だ。
娘は、同じ年頃の男の子にそう言われ、触るな近寄るなと毛虫のように追い払われたと泣いた。
「……だから、嫌だってんだよ」
自分の仕事のせいで、娘が嫌な思いをした。松江は同じ仕事をする田津と茂代に訴えて怒りを露わにした。
「今日はいやだよ。あたしはもうみなほに近寄りたくないんだ」
「勝手なこと言うんじゃない。アンタだけじゃないだろ、あたし達だってさ」
「だから嫌だって、さぁ……」
唇を尖らせて茂代まで吐き捨てるように言い出した。田津も当然それは思っている。
「仕方ないだろ!」
「仕方なくなんかないよ。もう旦那様に言って、別の人に変えてもらおう。もう一月もみなほを見てるんだよ、あたし達。お屋敷には他に何人だって居るじゃないか。また娘がほかの子らに変なこと言われたら、あたし我慢できないよ」
「みなほなんか居なきゃ良いんだよ。呪われた人殺しの子だよ。どうせ居たって誰も相手になんかしやしないんだからさ」
「それでも祭までは居てくれないと、真由様も旦那様も困るんだ。仕方ないだろ」
「祭か……。そのまんま御子ヶ池から帰って来るなってんだ」
舌打ちをしながら、松江はようやく諦めてみなほの食餌の膳を整えた。
運ぶのは、三人の中では一番年長の田津が行った。
みなほが今居るのは、日の当たらない四畳半ほどの板の間だった。戸口のところで田津が声を掛け、中からみなほが開く。そして膳を受け取った。
「ありがとう」
みなほが言うと、昨日はぞんざいでも返事はあった。
この日の田津は無言で、つんと顔を背けて戸を素早く閉めてしまった。ぱん、と音を立てて戸が閉まった。みなほはほんの少し胸がちくんとしている。
それから一人で静かに食べるものを口へ運んだ。
いつものように。
そういう事情で、みなほは屋敷の一室を与えられた。
食餌などはどうするかと、みなほを連れて来た侍女たちが工兵衛に尋ねた。
「お前たちと同じものでよい。少し太らせよ」
三十歳になった田津のいささか肥えた顔を見て、答えた。
ふう、と溜息をつきながら田津は、侍女仲間の茂代と松江に工兵衛の命令を告げた。
「そしたら、あたしたちがみなほの世話をするのかい? 嫌だよ!」
繰り返し、いやだよ、と若い茂代が言った。彼女には幼い子供がいる。
「しかたないだろ。そういうことになっちゃったんだからさ」
投げやりに言う松江は二年前の戦で夫を失った独身だ。まだ二十八歳であり色気が濃厚に残っている。上の屋敷の下男と忍びあう仲である。
みなほは、村で忌み嫌われる存在だ。その彼女の世話をすることで、自分たちや子供まで忌避されるようになってはたまらない。
みなほ自身がどういう性質の少女であるか、実際のことは田津にも茂代にも松江にも関心がない。
自分や子供の村での立場に悪い影響があるなら、それだけでみなほを嫌う理由になり得た。
柔らかく炊かれた米の甘みを、みなほは十六歳で初めて知った。
塩で漬けた菜の味も、葱の入った味噌汁も、炭火で焼いた魚も、何もかもがご馳走に感じる。
上の屋敷の一室から出ぬようにと工兵衛に命じられ、言われたとおりに閉じ籠もっている。
「用事があるときには、必ず、田津か茂代か松江をお呼び。小用の時もだよ。一人で歩き回るのはいけない。祭りまでは大事な身だからね」
温かい笑みを浮かべながら工兵衛はみなほに言い聞かせる。
「はい」
潤んだような眼差しで、みなほは工兵衛に頷いた。
祭で、贄という役を務める。それがそれほど大事なことだとは思ってもみなかった。
三人もの侍女にかしずかれ、今までの粟や稗の粥とは比べものにならないご馳走を、日々、朝昼晩と、それもお腹がいっぱいになるほどの量を食べさせてもらえる。
何故、みなほが祭礼の贄に選ばれたのか、理由はわからない。
しかし、贄に選ばれたことは、みなほにとって幸いなことに他ならぬと感じられた。満腹になるほどの糧を与えられ、小綺麗な衣装を与えられ、その上、工兵衛や真由が、時折みなほのもとを訪れて温かい笑みを見せてくれる。
「みなほ、髪を梳いてあげる」
たまに訪れる真由がそんなことを言う。遠目に見て、美しいと憧れた村長の娘が、間近で、みなほに柔らかく微笑みをくれる。嬉しくて、頬が熱くなった。
桜が散り、若葉の萌える頃になると、少しずつみなほも肥えてきている。
「みなほ、これをお使い」
行水の時に使う、糠が入った袋を真由がみなほに贈った。
暮らしぶりが一転して、みなほの肌に潤いと艶が生じている。
「似合うのではないかしら」
ある日、萌黄色に染められた綺麗な小袖を持って、真由がみなほのところに現われた。
「立ってごらん。……ほら似合う」
真由が小さなみなほの肩に小袖を着せかけながら、その頭を幼女にするように撫でた。年齢の割に小さいみなほは、真由の鼻先にようやく頭のてっぺんが来る。生い立つのに糧が足りなかった者と、飢えを知らぬ者の差は体格にも如実である。
「みなほが着るといい」
「こんな綺麗なもの」
「構いはせぬ。後で帯を持ってきて上げる」
小袖を抱くようにしてみなほは真由に礼を言って頭を下げた。含羞と、感激で頬が赤い。大きな瞳を潤ませた。
そんな姿は、確かに以前よりずいぶん少女らしくなってきた。
ふん、と冷笑を柱の陰で隠す者も居る。
茂代が田津に
「あれ真由様も気前の良いこと」
笑いながら零した。それはそうさ、と二人は目を見交わして頷き合う。真由の元には若殿からずっと上等な絹の衣が幾つも届けられている。
そなたに似合う、と書状の添えられた、淡い紅色に染められた美しい小袖が、真由の部屋の衣桁に飾られている。侍女達は見て知っている。
「真由様はお優しいから」
事情はどうであれ、自らの幸せを、あのみなほにも分けている。そんな姿は、やはり真由が優しいからだと女達は考えた。
みなほの世話をする三人にはそれぞれ子供が居る。
最も若い茂代の息子が四つで、松江の娘は七つ、田津の息子は十二歳だった。
「おめえの母ちゃん、アイツに触ったんだってなぁ」
そんなことを、松江の娘が言われたと聞いた。アイツとは、村で忌み嫌われるみなほの事だ。
娘は、同じ年頃の男の子にそう言われ、触るな近寄るなと毛虫のように追い払われたと泣いた。
「……だから、嫌だってんだよ」
自分の仕事のせいで、娘が嫌な思いをした。松江は同じ仕事をする田津と茂代に訴えて怒りを露わにした。
「今日はいやだよ。あたしはもうみなほに近寄りたくないんだ」
「勝手なこと言うんじゃない。アンタだけじゃないだろ、あたし達だってさ」
「だから嫌だって、さぁ……」
唇を尖らせて茂代まで吐き捨てるように言い出した。田津も当然それは思っている。
「仕方ないだろ!」
「仕方なくなんかないよ。もう旦那様に言って、別の人に変えてもらおう。もう一月もみなほを見てるんだよ、あたし達。お屋敷には他に何人だって居るじゃないか。また娘がほかの子らに変なこと言われたら、あたし我慢できないよ」
「みなほなんか居なきゃ良いんだよ。呪われた人殺しの子だよ。どうせ居たって誰も相手になんかしやしないんだからさ」
「それでも祭までは居てくれないと、真由様も旦那様も困るんだ。仕方ないだろ」
「祭か……。そのまんま御子ヶ池から帰って来るなってんだ」
舌打ちをしながら、松江はようやく諦めてみなほの食餌の膳を整えた。
運ぶのは、三人の中では一番年長の田津が行った。
みなほが今居るのは、日の当たらない四畳半ほどの板の間だった。戸口のところで田津が声を掛け、中からみなほが開く。そして膳を受け取った。
「ありがとう」
みなほが言うと、昨日はぞんざいでも返事はあった。
この日の田津は無言で、つんと顔を背けて戸を素早く閉めてしまった。ぱん、と音を立てて戸が閉まった。みなほはほんの少し胸がちくんとしている。
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いつものように。
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