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第一章
贄 二
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みなほの傍らに膝を付いたその人影は、みなほの頬に手をかけて引き寄せた。
「 贄、名は?」
「……みなほ」
声は不惑を超えた男のように低い。だが、顔を引き寄せられて見た姿は、みなほの思いのほか若かった。
若いといっていいのか。そもそも年齢があるのか。
とにかく、青年には見えた。
揺らぐ燭台の火明かりで、端正な面差しが見える。切れ長の目も、彫の深い高い鼻梁も、面長な輪郭の中に過たぬ位置に収まっている。
「 龍彦様……」
「そう、そなたらはそう呼ぶな」
麓の六か村の皆が祭神として奉る、御子ヶ池の精霊の名。
龍神様の御子。
怖い。
みなほの脳裏は畏怖に満たされた。
慄き強張ったみなほの身体を、青年の姿をした龍彦が、白絹の褥の上にゆるゆると倒す。
贄は、龍彦様に献上される一夜の妻。
実態のないただの言い伝えなのだとみなほは思っていた。
しかし、ただの言い伝えだとするならば、では、みなほの唇を蹂躙している彼は何者だというのだろう。
息苦しいほどの、龍彦の唇の感触がある。熱いようにみなほの唇の中で彼の舌が蠢く。
怖い。
みなほは自身に重なる身体を押し離そうと試みた。渾身の力を込めて龍彦の胸を押し返す。だが彼はびくとも動かなかった。
昂ぶったような吐息を漏らしながら、龍彦の手が小袖にかかる。みなほは、息を詰めてその手を掴んで遮った。
「つまらぬ真似をするな」
拒絶するみなほの手をものともせずに、龍彦は彼の思うように、身体を暴いた。
「嫌!」
襟元を剥がれながら鋭く叫ぶ。社の中にも外にも、人の気配などは無い。誰も助けなど来ない。
人を圧迫するような静けさと、御子ヶ池から流れ出る沢の水音が耳朶を撫でる。
もう一つ。
みなほの慄いた呼気と、時折漏れる龍彦の嘆息と。
「か細いな」
「いや、嫌……」
目蓋の下に涙が滲む。衣の下に露にされた胸元を、痛いような力で龍彦が触れる。わずかな膨らみが、惨たらしい形に歪められている。
「嫌」
みなほは、嫌だと言い続ける。怖かった。
身体に触れる龍彦が、ただ怖く、嫌だった。美しい青年の姿をした彼が、もし御子ヶ池の神そのものだとしても、否、だとしたら、なおのこと怖い。
理不尽だ、と頭の中で叫ぶ。硬く閉ざした目蓋から、涙が滲んだ。
本当なら、贄に選ばれたのはみなほではなかった。
贄は、辰の年の大祭の前年の、卯年の祭りでの 神籤によって決められる。
贄を出すのは御子ヶ池の龍彦様を祭神とする六か村で回り持ちだった。贄は、卯年の祭の際、その年の番となる村の、おおむね十五歳から二十歳くらいまでの未婚の娘に限られた。その年頃の女子が居る家の主の名を記した短冊を、箱に納め、祭壇に捧げる。祭の後に、六か村の宮司が皆で、恭しく籤を引くのである。
みなほには親が居ない。
身寄りの無いみなほは、現在の村長の屋敷の裏手にぽつりと建てられた小屋に一人で住んでいた。糧は、村長の慈悲で、わずかながら与えられていた。
本来なら。
嫌、とみなほはまた言う。
龍彦がみなほの細い首筋を唇で吸った。
本来なら。
籤で選ばれたのは、村長の家の娘だったはずだ。
卯年の祭の後に宮司達が引いた籤には、村長の 上岡工兵衛と名が書かれていた。工兵衛には確かに娘が居る。
真由という美しい娘だった。辰年には十八歳になる。近隣にも聞こえるほど、評判の美少女だった。
それゆえに。
山奥の、因習に支配された小さな村でさえ、世間のうちである。
村の周辺一帯を支配する国主の若殿が、その評判を聞きつけて真由を望んだ。
工兵衛はもろもろのことを考えたのだろう。
贄、とは神のための一夜妻としてささげられる。神が本当に存在し、本当に真由を犯すとは思うまいが、辰年に贄の役を果たして終わるまで、娘を所望する若殿に待てとは、言えない。
若殿は、真由にじかに会いにきた。
近在には居ない、颯爽とした美しい青年だった。真由は、一目で心惹かれ、若殿もまた、深山の百合のような真由に心惹かれた。
今すぐにでも、と若殿は言う。
それが、辰年の桜の頃のことである。
若殿との縁を結ぶのは、工兵衛にも望ましい。
真由もまたそれを望んだ。
その日の朝、工兵衛はみなほの小屋の戸を叩いた。
「この家も我が家の一部である。みなほはいうなればずっと、我が家の養い子であったことになる。そうだな?」
彼は、そう言った。みなほはただ、はい、と頷いた。
夏に、若殿が豪華な品を携えて、真由を迎えに来た。
遠目に眺めたみなほは、ただ羨ましく、美しく装った真由と、その隣で彼女の手を取るきらびやかな青年を見つめるだけだった。
「やめて……。お願い、やめて下さい」
みなほは身を捩って龍彦から逃れようとする。
下肢に、龍彦の膝が乗っていた。みなほの意志では、もう身体が動かせない。
龍彦を押し離そうとし、肌に触れるのを遮ろうとしていたみなほの手は、抗えぬように頭上にまとめて押さえつけられた。
みなほの胸のささやかなふくらみに、龍彦が唇をつけている。その唇の中で、桜の蕾のようにとがった膨らみの頂が、弄ばれた。やわやわと歯で噛まれ、舌先で弾かれた。龍彦の仕草に連れて、みなほの身体が波打った。
「快いか」
いや、だとみなほは言う。啜り泣く。それが答えだ。
見も知らぬ、男とおぼしき存在が、身体の上に居る。恥ずかしいような仕草で肌に触れる。快かろうと思う方が不思議である。
そもそも彼が何者なのか。
本当に御子ヶ池の神の龍彦様なのか。それさえ定かではない。
露わになったみなほの腹に、龍彦の衣の袖がざわりと触れる。柔らかな綾絹の肌触りのようだ。
みなほの頬に龍彦の長い髪が触れる。
微かに開いた目に見えたのは、つややかな黒髪と、白く光沢を帯びた小袖。灯明にわずかに描き出される、みなほを見下ろす龍彦の美しい容貌。
遠目に見た、真由を迎えに来た若殿より、龍彦は秀でて美しい。
灯明の光は赤い。しかし龍彦の眸の底が青白い。
(人ならざる、もの……)
怖い、とみなほの肌が粟立った。
「 贄、名は?」
「……みなほ」
声は不惑を超えた男のように低い。だが、顔を引き寄せられて見た姿は、みなほの思いのほか若かった。
若いといっていいのか。そもそも年齢があるのか。
とにかく、青年には見えた。
揺らぐ燭台の火明かりで、端正な面差しが見える。切れ長の目も、彫の深い高い鼻梁も、面長な輪郭の中に過たぬ位置に収まっている。
「 龍彦様……」
「そう、そなたらはそう呼ぶな」
麓の六か村の皆が祭神として奉る、御子ヶ池の精霊の名。
龍神様の御子。
怖い。
みなほの脳裏は畏怖に満たされた。
慄き強張ったみなほの身体を、青年の姿をした龍彦が、白絹の褥の上にゆるゆると倒す。
贄は、龍彦様に献上される一夜の妻。
実態のないただの言い伝えなのだとみなほは思っていた。
しかし、ただの言い伝えだとするならば、では、みなほの唇を蹂躙している彼は何者だというのだろう。
息苦しいほどの、龍彦の唇の感触がある。熱いようにみなほの唇の中で彼の舌が蠢く。
怖い。
みなほは自身に重なる身体を押し離そうと試みた。渾身の力を込めて龍彦の胸を押し返す。だが彼はびくとも動かなかった。
昂ぶったような吐息を漏らしながら、龍彦の手が小袖にかかる。みなほは、息を詰めてその手を掴んで遮った。
「つまらぬ真似をするな」
拒絶するみなほの手をものともせずに、龍彦は彼の思うように、身体を暴いた。
「嫌!」
襟元を剥がれながら鋭く叫ぶ。社の中にも外にも、人の気配などは無い。誰も助けなど来ない。
人を圧迫するような静けさと、御子ヶ池から流れ出る沢の水音が耳朶を撫でる。
もう一つ。
みなほの慄いた呼気と、時折漏れる龍彦の嘆息と。
「か細いな」
「いや、嫌……」
目蓋の下に涙が滲む。衣の下に露にされた胸元を、痛いような力で龍彦が触れる。わずかな膨らみが、惨たらしい形に歪められている。
「嫌」
みなほは、嫌だと言い続ける。怖かった。
身体に触れる龍彦が、ただ怖く、嫌だった。美しい青年の姿をした彼が、もし御子ヶ池の神そのものだとしても、否、だとしたら、なおのこと怖い。
理不尽だ、と頭の中で叫ぶ。硬く閉ざした目蓋から、涙が滲んだ。
本当なら、贄に選ばれたのはみなほではなかった。
贄は、辰の年の大祭の前年の、卯年の祭りでの 神籤によって決められる。
贄を出すのは御子ヶ池の龍彦様を祭神とする六か村で回り持ちだった。贄は、卯年の祭の際、その年の番となる村の、おおむね十五歳から二十歳くらいまでの未婚の娘に限られた。その年頃の女子が居る家の主の名を記した短冊を、箱に納め、祭壇に捧げる。祭の後に、六か村の宮司が皆で、恭しく籤を引くのである。
みなほには親が居ない。
身寄りの無いみなほは、現在の村長の屋敷の裏手にぽつりと建てられた小屋に一人で住んでいた。糧は、村長の慈悲で、わずかながら与えられていた。
本来なら。
嫌、とみなほはまた言う。
龍彦がみなほの細い首筋を唇で吸った。
本来なら。
籤で選ばれたのは、村長の家の娘だったはずだ。
卯年の祭の後に宮司達が引いた籤には、村長の 上岡工兵衛と名が書かれていた。工兵衛には確かに娘が居る。
真由という美しい娘だった。辰年には十八歳になる。近隣にも聞こえるほど、評判の美少女だった。
それゆえに。
山奥の、因習に支配された小さな村でさえ、世間のうちである。
村の周辺一帯を支配する国主の若殿が、その評判を聞きつけて真由を望んだ。
工兵衛はもろもろのことを考えたのだろう。
贄、とは神のための一夜妻としてささげられる。神が本当に存在し、本当に真由を犯すとは思うまいが、辰年に贄の役を果たして終わるまで、娘を所望する若殿に待てとは、言えない。
若殿は、真由にじかに会いにきた。
近在には居ない、颯爽とした美しい青年だった。真由は、一目で心惹かれ、若殿もまた、深山の百合のような真由に心惹かれた。
今すぐにでも、と若殿は言う。
それが、辰年の桜の頃のことである。
若殿との縁を結ぶのは、工兵衛にも望ましい。
真由もまたそれを望んだ。
その日の朝、工兵衛はみなほの小屋の戸を叩いた。
「この家も我が家の一部である。みなほはいうなればずっと、我が家の養い子であったことになる。そうだな?」
彼は、そう言った。みなほはただ、はい、と頷いた。
夏に、若殿が豪華な品を携えて、真由を迎えに来た。
遠目に眺めたみなほは、ただ羨ましく、美しく装った真由と、その隣で彼女の手を取るきらびやかな青年を見つめるだけだった。
「やめて……。お願い、やめて下さい」
みなほは身を捩って龍彦から逃れようとする。
下肢に、龍彦の膝が乗っていた。みなほの意志では、もう身体が動かせない。
龍彦を押し離そうとし、肌に触れるのを遮ろうとしていたみなほの手は、抗えぬように頭上にまとめて押さえつけられた。
みなほの胸のささやかなふくらみに、龍彦が唇をつけている。その唇の中で、桜の蕾のようにとがった膨らみの頂が、弄ばれた。やわやわと歯で噛まれ、舌先で弾かれた。龍彦の仕草に連れて、みなほの身体が波打った。
「快いか」
いや、だとみなほは言う。啜り泣く。それが答えだ。
見も知らぬ、男とおぼしき存在が、身体の上に居る。恥ずかしいような仕草で肌に触れる。快かろうと思う方が不思議である。
そもそも彼が何者なのか。
本当に御子ヶ池の神の龍彦様なのか。それさえ定かではない。
露わになったみなほの腹に、龍彦の衣の袖がざわりと触れる。柔らかな綾絹の肌触りのようだ。
みなほの頬に龍彦の長い髪が触れる。
微かに開いた目に見えたのは、つややかな黒髪と、白く光沢を帯びた小袖。灯明にわずかに描き出される、みなほを見下ろす龍彦の美しい容貌。
遠目に見た、真由を迎えに来た若殿より、龍彦は秀でて美しい。
灯明の光は赤い。しかし龍彦の眸の底が青白い。
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