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約束
しおりを挟むその夜に、真希子は一臣の家に戻った。
半年ぶりの小西家で、一臣の母から、つまり今は真希子の戸籍上の母となった彼女から、熱烈な抱擁を受けた。
「良かった。真希ちゃん、無事で良かった……!」
真希子の頬をぎゅっと両手で挟みながら、母はただ、無事で帰ったことを喜んで涙を流した。
「ただいま、お母さん、心配かけてごめんなさい」
「そうね。二度とこんな心配はしたくないわ」
「ごめんなさい……」
うんうん、と母は頷いて、泣き出した真希子の背中を何度も撫でた。
真希子の生母である坂巻勝子という女性が訪れたとき。
「お見合いの席から、男と手を取って逃げ出すなんて、こんなはしたないこと! 弟や妹たちの将来にも瑕になります」
「叔母様が心配なのはただ坂巻の家のことだけだろう? 真希子は、縁談のための道具ですか? よくそれで、真希子の母親だなどと言えたものだな!」
「一臣さん、あなたが連れ去ったのではないの? 海軍の紺の制服を着た男を、あの日に見たと何人かから、聞いたのですよ!」
「私ではありません」
叔母の勝子に答える一臣の声が、つい、鋭くなる。
「だいたい、貴方の何が母親だ。何が生みの親だ。十二年も、訪ねてくることさえなかったくせに、縁談のためだけに連れ去って、真希子の気持ちも考えずに見合いに連れ出しただけだろう? そんなことが許されると思っているんですか? もし真希子の行方が解ったとしても、絶対に叔母様に教えることなどしない」
「ばかばかしい。真希子を連れて逃げたのが一臣さんでないなら、それならそれでいいのよ。あの子の行方なんて教えてもらわなくて結構。親の顔に泥を塗るような子、私の娘だなんて思えないわ」
「――だったら、今の言葉を証拠に残していっていただこうか」
「何ですって?」
「真希子を、叔母様の戸籍から出してください。そうすれば、真希子は二度と貴方の道具にならなくて済む」
お母さん、お父さん、と一臣は自室から両親を呼んだ。
「叔母様が、やっと真希子を手放してくれるようですよ。もう、ご自分の娘だと思わないそうだ」
きっ、と睨まれながら、一臣は強いて笑みを作りながら言った。
真希子が失踪した翌日に、勝子が小西家を訪れ、療養中の一臣の寝室に怒鳴り込んできたのだった。
一臣との口論に近いやりとりで、勝子は真希子を、自分の娘と思えないと言った。
そのまま一臣の両親は勝子を引き据えるようにして坂巻家に乗り込み、その後、役場に連れて行き、強引に真希子との養子縁組の届け出を済ませてしまった。
坂巻家で多少の抵抗に遭ったが、真希子を養女にもらうことを、小西の両親は、断固として譲らなかった。
常には、穏やかな両親だったが、真希子を育てる間に生じた愛情が、身勝手な勝子への怒りに転化したのだろう。珍しく、強引になっていた。
ほろほろと泣きながら抱き合う母と真希子の姿を見ながら、一臣は、これで良かったのだと、また胸の中で呟いた。
いずれ、真希子は、「小西」真希子として、友祐に嫁ぐことになる。
友祐とは、横浜の駅で別れた。
また明日から、彼は修理を終えた「飛龍」に乗り組む。横須賀に向かうのだ。
「体は良いのか? 小西」
「結核なんてのが見つかったのは間違いだったと思っているよ。元気だ。再来週には、霞空に行く」
「何よりだ」
「なあ、神野」
少し肩をすくめながら、一臣は言う。
一臣のコートを、真希子に与えている。背広だけでは、黄昏時にはまだ少し寒い。
先ほどまでは、真希子は友祐の外套を借りていた。艦に戻る彼にそれを返した後、ワンピース一枚の真希子に一臣がコートを着せかけた。
「神野、真希子を泣かすような真似だけはしないでくれ」
「もちろんだ」
「ずっと、幸せにすると、約束してくれるか」
「約束する。絶対に生涯ずっと、幸せにする」
「安心した」
「小西」
「何だ?」
「ありがとう」
かつ、と踵を揃え、手袋をした右の指先を軍帽の右端に添えるように、友祐は一臣に敬礼をした。
海軍の敬礼は、脇を締めて肘を張らない。コンパクトでスマートな姿勢である。
一臣も同じ敬礼を返した。療養に入って以来、八ヶ月ぶりの敬礼だった。
「真希子にも、何か」
言ってやれ、と、一臣はそっと二人から離れた。
汽車の中で二人になったあと、真希子は向かいの席の一臣に言った。
「お兄さんに、約束は守ると伝えて、って……」
一臣は深く頷きながら、静かに、笑った。
「何のお約束をなさったの?」
「さあね」
「お兄さんって、いつもそうね」
「そうだったかな」
「大事なことを、私にはいつも黙っているの」
「そうか?」
「そうよ」
と真希子は一臣を見て、幼い頃のように笑った。
「それで良いんだ」
一臣は、窓辺に肘をついて拳で頬を支えながら、唇の両端を上げた。
少し目を細めた。瞳に、真希子を映している。
先ほどの笑顔とは、どこか違う。
(何故そんな風に笑うの……?)
不思議に思った。だが、真希子は一臣には何も問わなかった。
訊いてはいけないことのような気がして、黙って、夜の車窓に流れる町の灯りに、そっと目をこらした。
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