Strain:Cavity

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Chapter 1 The [C]yclops

Act1:運命とは、最もふさわしい場所へと、貴方の魂を運ぶのだ

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 月のない夜。静かなエントランスホールに、カチャリと無機質な音がする。足音もなく玄関口に向かうその影は、白いコートの内にシルバーの大ぶりの拳銃をしまう。

「旦那様、お出掛けでございますか」

 暗闇の中から、女の声が掛かる。声をかけられ、振り向いた白いコートの男は、襟元を下げ、穏やかに笑う。

「あぁ。しばらく戻らない。留守の間家族を頼むよ、エイダ」

「承知いたしました」

「いつもすまないね」

 暗闇の中の使用人の女は、深々と頭を下げた。

「いってらっしゃいませ、アルヴァーロ様」







 窓から差し込んだ光に、青年は目を開けた。開いた目は片方だけだった。寝ている間に少しずれていた白い眼帯を直す。

 半分に欠けた視界。その青年には、生まれつき右目が無かった。

 ガンガンと、乱暴にドアが叩かれる。返事をする前に開いたドアの向こうからは、自分と同じ顔をした青年が現れる。

「ルチアーノ、ほら飯だぞ」

「………」

 片手で彼は銀のお盆を入ってすぐ横の棚の上に置いた。その上には小さなパンと、冷めたスープが乗っている。

 眼帯の青年……ルチアーノは、早く去れと言うように相手を見る。しかし彼は左右で色の違う目を細めると、意地悪げに笑った。

「何だその顔は。飯が食えるだけありがたいと思えよ、出来損ない。……あぁ、お前のその目がないのは俺のせいか。………俺が腹の中で間違えて嵌めちまったからな」

「……それはもう聞き飽きた、ルキウス」

 ルキウスはルチアーノの双子の兄だった。彼の右目は、ルチアーノの左目と同じ色をしている。もう片方の目は銀色だった。温度のない、冷たいその目がルチアーノは嫌いだった。

「早く出てけよ。用なんかないだろ」

「………何だよ、兄に向かってその態度は。ほんっとに……」

 キィ、とドアが軋みながら閉まりかける。

「……あぁ、そうだ。今日は兄貴が帰って来る。楽しみにしとけよ、ルチアーノ」

「……………」

 嫌な笑みと共に、ルキウスはバタンという音と共に消えた。ため息すら出なかった。十八年、同じ扱いを受けていれば嫌でも慣れる。……と、思ってはいるが無意識に腕を摩ってしまうのは、たまに帰って来る兄の存在に怯えているからだ。

 一番上の兄、ロベルトは7歳離れた25歳で、一人立ちして良い仕事について、家に仕送りをして家を支え……両親のお気に入りだった。“出来損ない”のルチアーノとは扱いが雲泥の差だった。ルチアーノはもう長らく両親の顔を見ていない。見せると怒られる。顔を合わせるのは質素な飯を運んで来るあの同じ顔の兄と、たまに帰って来るその優秀な兄だった。

 ……しかし、ロベルトは、両親には決して見せない一面を持っていた。



 夕方、ベッドで無気力に眠っていたルチアーノは、階段を登って来る足音で飛び起きた。体が震える。遠くで両親の声がする。何を喋っているかは分からないが、上機嫌な声だった。

 足音は段々近付いて来る。逃げ出したくなって、壁際に身を寄せる。だが、逃げ場なんてない。思わず、窓に手を掛けた。その時、ドアが乱暴に開かれる。自分と同じ色の髪をオールバックにした、一見して好青年なその顔を見た途端、ルチアーノの体は強張る。

「………」

「何だ。『お帰り』も無しかルチアーノ。可愛くない奴だな」

 ロベルトはルキウスと同じ目をする。後ろからルキウスが顔を出す。ニヤニヤしたその顔は、双子の自分より余程その兄と似ている。

 どすどすと入って来たロベルトは、ルチアーノの前髪を掴むと顔を寄せる。タバコの匂いが鼻につく。嫌な匂いと、兄の圧にルチアーノは息が止まる。

「『お帰りお兄ちゃん』、だ、言えよ、なぁ」

「……お、かえり、なさい……」

 ダン、と壁に叩きつけられて視界に星が散る。……あぁ、始まるんだとルチアーノは静かに絶望した。

「…………ったく。そう震えるなよ。たっぷり可愛がってやるからな」

 変に優しい嫌な声が耳を撫でる。両親はこの事を知らない。ルキウスも告げ口したりしない。むしろ二人はグルだ。……いや、例え知っていたとしても、両親は自分を助けたりしない。

 肩を掴まれる。嫌な息が近付く。薄っすらと開けた隻眼が、嫌なものを見る。あぁ嫌だ、嫌だ。でも、逃げられない。

 自分の匂いが染みついたベッドに押し倒された時、窓に目が行った。その時、カラスが鳴きながら飛んで行った。カァカァというその声は、まるで自分を嗤っているようだった。







 ────やっと静かになった。どれだけ時間が経ったのか、ルチアーノは考えるのをやめていた。体が痛い。気持ちが悪い。それももうどうでも良かった。気付けば外は暗い。月は細く弧を描いていた。それがまるで兄たちの下卑た笑みのように見えて、ルチアーノは目を伏せた。



 コンコン、とガラスを叩く音がした。気のせいだと思った。ここは2階だ。風で飛んで来た小石か何かの音だろうと思ったその時、もう一度同じ音がした。怪訝に思って、ルチアーノは目を開ける。

「………!」

 驚いてベッドから転げ落ちた。月を隠すように、見知らぬ男が窓に張り付いている。

「……だっ……」

 叫ぼうとして、気付いた。叫んだって、何にもならない。

「………誰……」

 窓の向こうの白い男は、にこ、と笑った。口元は襟に隠れて見えない。だが、それはルチアーノが今まで見たどの表情よりも優しく見えた。気付いたらルチアーノは窓の鍵を開けていて、それと同時に男は部屋の中に転がり込んで来た。

「うはー、助かったぁ、寒いったらなんの」

「お、おっさん、どうしたんだそれ」

「ん」

 そうしてようやく気付いたが、彼の左腕は紅く染まっていた。それが血であることは容易に分かった

「あぁ……ゴメンね。ちょっとだけ休ませて。すぐ出てくから」

 男はコートを脱ぐと、青年の部屋が汚れないように気を付けながら自分で応急手当てを始めた。何の傷かは分からないが、その手慣れた様子にルチアーノは何かドキドキした。

「……て」

「ん?」

「手伝おうか、それ……」

 思わずそう言った。なぜ男がここを選んだのか分からない。分からないが、何だか助けたかった。

 彼は少し目を見開くと、優しく笑った。

「そうか、助かるよ。片手じゃやりにくくってさ。こっち、抑えてくれるか」

 言われるがままに、布の片一方を抑えた。傷はもう隠れて見えないが、痛そうだと思った。でも、男は顔色ひとつ変えない。

「ふう、完了だ。ありがとうな坊主、入れてくれて」

「………いや……うん……」

 不意に大きな固い手が頭に置かれて、ルチアーノはびくりとする。しかしその感触は優しく……恐る恐る目を開けた先で、男は紫の目をぱちくりとさせた。

「あ、なんだ、ゴメン。つい。……嫌だったか」

「………知らない男にいきなり頭撫でられたら、誰だって嫌だろ……」

「そ、そうか。それは無神経だったな……」

 男は真っ白な頭を掻くと、ルチアーノに笑った。

「すまねぇな。名前はちと教えられんが、助けてくれた礼に何かしたい。何かあるか? して欲しいこと」

 彼の声はとても心地が良かった。いつまでも聞いていたいような、そんな声だった。

 ルチアーノは考える。して欲しいこと。そんなこと、何も無い自分には────。いや、あるじゃないか。

「……助けて、欲しいんだ」

「ん」

「俺を、ここから連れ出してくれ」



 それは無茶な願いだと思った。見知らぬ男だ。それは、ルチアーノの今後の人生に大きく関わることで、そんな大それた願いなど聞いてくれないかもしれないと思った。だが、二階の窓に音もなく張り付いていたこの男なら、突然転がり込んで来たこの人なら、そんな願いも叶えてくれるんじゃないかと、そんな一縷の望みがあった。

 男は、少し考えた後、目を細めて笑った。三日月のような嫌な笑みじゃない。どこか、心がほぐれるようなそんな笑みだった。

「俺と来るか? 青年」

「………連れて行ってくれるのか」

「おう。お安い御用だ。丁度助手が欲しかったところだしな」

「助手?」

「俺は殺し屋なんだ」

 さも当たり前の事かのように、男は言った。ルチアーノはさして驚かなかった。それどころか、彼が次に浮かべた、鋭く、それでいていたずらっ子の様な笑みに心惹かれた。

「────それで、お願い事はそれだけでいいのか、青年?」



 彼は初めから全て分かっていたのかもしれない。

 彼の後をついて、久しぶりに見た父と母が血溜まりに斃れるのを見て、ルチアーノはそう思った。

 重い銃声が二発、耳にこびりついている。硝煙の匂いが鼻に届く。だが、それらは何だか心地良かった。閉ざされていた扉が開く様な、そんな感覚がした。

「何だ! 何の音っ………母さん⁈ 父さん!」

 2階から降りて来たのはルキウスだった。リビングに面した階段の上で、彼は固まる。ルチアーノと同じ顔をした彼を見て、白い男は口笛を吹いた。

「すげぇ。本当にソックリだ」

「何ッ……誰だお前、どこから入った!」

「こんばんは。哀れな子供に招かれて。……クリスマスにゃあちと早いけど、サンタクロースです」

「ふざけるな!」

「うん、ちょっとふざけ過ぎた」

 呆気らかんとそう言って、無造作に男は銃をルキウスに向ける。その手をルチアーノは止める。

「………お? 何」

「ちょっと待って」

 そこでようやく、ルキウスは男の側にいる弟の姿に気付いたようだった。

「……ルチアーノ⁈ 何してる!」

「何って……お別れだよ」

「はぁ⁈ 何言ってんだこの出来損ないが……」

「ルキウス、何の騒ぎ……っ⁈」

 遅れて降りて来たロベルトが言葉を詰まらせる。つい先程まで自分とにこやかに話していた両親が、物言わぬ肉塊と化しているのを見て彼は顎が外れんばかりに叫んだ。

「て、てんめええぇぇ!」

 ドン、とひとつ音がして、ばかっ、とロベルトの顎がなくなった。大量の血が隣のルキウスに掛かる。後ろに倒れて、そのまま階段を転げ落ちた兄の姿を見て、ルキウスは絶句する。

「……あ、兄貴……兄貴っ⁈」

「うるさいのは嫌いだ、全く。で、何だ坊主。……ルチアーノだっけ?」

 また一人殺したというのに平然とした男は、ルチアーノへと目を向けた。

「…………俺にやらせてくれよ」

「……良いけど。これ結構扱いにくいんだよ。ほら」

 と、男はコートの内側から別の銃を取り出す。彼が使っているのより少し小さめの、黒い銃だった。

 それを受け取り、使い方が分からないルチアーノに男は優しく言う。

「弾は入ってる。それで安全装置を外して。そう。持ち方はそう。あ、お前左利きか。丁度良かったな。引き金にはまだ指を掛けるなよ。しっかり狙いを定めるんだ」

 野球のバットの振り方でも教える様な、そんな口調で男はルチアーノの手を支え、階段で動けないでいる兄へと銃口を向けさせた。

「……やめろ、何してるんだルチアーノ、ルチアーノ‼︎」

「………そうやって、俺が何を叫んだって、アンタらはやめなかっただろ」

 照準が合わされる。ルキウスは頭の芯が冷える様だった。それを、どこかでルチアーノは感じる。彼の頭はとても冷静だった。

「……ここでいいのか?」

「うん」

 ルチアーノの指が、引き金を引いた。さっきよりも少し軽い発砲音がして、弾丸はルキウスの右目を貫いた。その背後の壁が汚れる。彼も、糸の切れた人形のように崩れ落ちて、階段を転がりロベルトの死体の上に重なった。銃を下ろして、はっとルチアーノは息を吐く。手がビリビリと痺れていた。その頭を固い手が撫でる。もう、ルチアーノは震えなかった。

「よくやった青年」

「………ルチアーノ・イラーリオだ」

 ルチアーノは、男の紫の目を見た。彼は笑うと、口を開いた。

「アルヴァーロ・ビアンキだ。よろしくルチアーノ。それから、ようこそ・・・・」

 血の海の中で、男────アルヴァーロは、微笑んだ。







「その眼帯イカすね」

 久しぶりに外に出た。冬の空気に晒されて歩いていると、不意にアルヴァーロがそう言った。

「………」

 ルチアーノは黙って右目を押さえた。そこには何もない。

「怪我?」

「いや……生まれつき、なんだ。ルキウスの右目だけ俺と同じ色だったろ。母さんの腹の中にいる時に、あいつが奪ってったんだ」 

「はは、何だそれ。世の中不思議なことがあるモンだな」 

 アルヴァーロは笑い飛ばす。その態度はルチアーノには新鮮だった。

「でもその白いのじゃあ、ちょっと締まらねェわな。よし、俺がもっとカッコいいヤツ買ってやる。服だってちゃんとしよう」

「……良いのか?」

「こう見えて、金はたくさん持ってるんだ。衣装の一つや二つ揃えるくらい大したことない」

 ルチアーノは足を止めた。遅れて足を止めたアルヴァーロは、振り向いて首を傾げる。

「どうしたの?」

「あっ、ありがとうございます」

「ん、何、急に」

「俺、何も出来ない……ですけど。いっぱい、助けて貰ったし……頑張り……ます」

 慣れない敬語を使うと、アルヴァーロは困った様に笑って戻って来た。

「固くなるなよ。そんなの、これから色々覚えて行けばいいんだ。お前は出来る子だルチアーノ」

「そう、ですかね……」

「何で敬語になったの? 普通に喋ればいいよ、俺気にしないし」

「俺が、そうしたいんです。あなたは恩人だから」

「……君の家族を殺したのに?」

「………意地悪ですね。そう願ったのは俺です」

「ふふ、そうだ。………君も君自身で引き金を引いた」

 アルヴァーロは感心したように目を細めた。その目を見返し、ルチアーノは問う。

「どうして、俺のところに来たんですか?」

「………さぁ。たまたまだよ。たまたま……俺が滅多にしないヘマをして、利き腕をやって、寒くて震えてたら寂しそうな灯りを見つけた」

 アルヴァーロは星空を見上げる。町は真っ暗で、月明かりも薄い今夜は、天に幾千もの星がさんざめいている。

「……何ですかそれ」

「俺は昔から……勘が良いんだ」

 穏やかな声が、夜風に乗ってルチアーノの耳を撫でる。夜空を見上げると、これは夢なんかじゃないかと思えて来る。だが、銃声も、血の匂いも、階段の下に重なって死んだ憎たらしい兄たちも、この目に、耳に、鼻にしっかり焼き付いている。

「そんで、君は叫びもせずに俺を窓から招き入れた。ただ、それだけの話だよ」

 さぁ、冷えるぞとアルヴァーロはルチアーノの肩を抱いて歩き出す。

 これは現実だ。自分は逃げ出したのだ、あの家から。戻る道はない。戻る必要なんかない。だから、自分で焼き捨てた。

 暗い夜道に、足を踏み出す。自分の足音だけが、静かな町にこだました。



#1 END
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