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第四章 秩序のカタストロフィ
#57 瞞着
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────19時18分 セシリア軍基地4階 広間────
「君と真面目に戦うのは初めてだっけ」
「当たり前だろ!!」
エルザの剣が銃弾を弾く。既に何発か掠っている。だがいずれも大した傷ではない。当たってはまずいものは全て弾くか避けている。
「じゃあ僕の実力も知らないね!」
「そうだな!」
エルランの手が閃く。直後、エルザの右耳を焼けつくような痛みが襲う。右耳に触れるとぬるりとした感触があった。指先が血に濡れていた。
「ッ!」
「さっきから弾いてばかりでちっとも仕掛けて来ないじゃないか。殺す気で来ないと僕はとれないよ」
「てめ……」
エルランは素早く銃弾を再装填する。
「まぁ君は愚直で馬鹿だから、殺さないと言えばそれを曲げることはないんだろうけど」
「曲げねェ! お前は連れて帰る!」
「君が厳しいのは口だけかよ。本当は甘ちゃんだったんだな、知らなかったよ」
「………!」
ぶちりと何かが切れる音がした。強く踏み込む。刀が炎を纏う。エルランに向かってブンブンと振る。しかし彼はバックステップを繰り返して避け、反撃に何度か撃って来る。避けながら、そして炎で斬り裂きながらエルザは前進する。腕の一本や二本くらいは斬り飛ばす勢いだ。
「……いいじゃん、その感じだよ」
エルランが笑みを浮かべながら言う。エルザのこめかみに青筋が浮かぶ。
「────何で!」
紅蓮の炎が孤を描く。ついにエルランは壁に背をつく。ギィィンと大きな音を立てて、刀が壁に突き刺さる。エルランの左耳を少し掠った。
「……何でお前はそんなヘラヘラしてんだよ!」
「…………」
「俺はこんなに必死なのに! お前を連れ戻したいから戦いたくもねェのに戦ってる! それなのにお前は……」
「……何で泣くんだ」
「!」
冷たく刺さるような声で言われて、エルザは自らの頬を伝うものに気がつく。だが、そんなことに構ってはいられない。
「裏切りなんてよくあることさ。僕はそうした元仲間を幾度となく殺して来た。君みたいなのは戦場ですぐに死ぬよ」
「構うか。俺の居場所はそこじゃない。お前の居場所もだ」
エルザがそう言うと、エルランはぎゅっと眉根を寄せる。
「僕の居場所はここだ! ずっと昔からそうだ! 君と出会う前からずっと! この世界で僕は生まれ育った。逃げられやしないんだよ、救いようのない殺人者なんだよ僕は!」
「なら……!」
刀がさらに深く突き刺さる。彼が目を逸らせないように、ぐっと顔を近付ける。
「俺が! 救ってやるよ!」
「……!」
エルランは一瞬目を見開き、そして口を真一文字に引き結んだ。
「……何も………知らないクセに……僕の何も知らないクセに!! 勝手なこと言うなよ!」
「知ってる。知ってるよお前のことは」
「うるさい!」
エルランはエルザの額に銃口を突きつける。今までの冷静さが失われている。
「ムカつくんだよ君のそういうところが! 僕の痛みの何を知ってる! 過去は僕を逃してくれなかった! だから僕はここにいる……!」
きら、とエルランの目元が光るのを、エルザは見た。それを隠すようにエルランは腕で顔を拭う。
「……消えてくれよ僕の前から、頼むから消えてくれ」
「じゃあ撃てばいいだろ」
「!」
エルザはそこから動かない。まっすぐにエルランの目を見続けた。瞳が揺れる。エルザは続ける。
「本当にそう思うなら、今、撃てばいい。簡単なことだろ」
「…………っ」
エルザはエルランの右手首を掴んだ。手が震えている。
「……馬鹿じゃないのか」
手から拳銃が落ちる。エルザの手から離れたエルランの手が顔を覆う。
「…………僕にこれ以上殺らせるなよ、友達を……」
「エルラン」
エルザは刀を放してエルランの両手を取る。ぽろぽろと涙を零しながらエルランは口を開く。
「やめてくれよ、折角抑えてたのに……自分に言い聞かせてたのに。僕だっていたいよ、探偵に。でも…………あの日銃を久しぶりに持たされた時に思い知ったんだよ。僕は、逃げられないって」
エルザは思い出す。あの日のエルランは浮かない顔だった。ちっとも誇りには思っていない顔だった。彼がどうありたいのかを、エルザは過去を知らずとも分かっていた。
「……逃げられるよ。お前が戻りたくないのならさ。今からだって間に合う。やり直せるよ」
「────ずるい。ずるいよ、そうやって僕に希望を見せるなんてさ」
エルランは右手で目元を拭うと微笑んだ。
「……でも、君がいたから僕は、過去から逃れられるかもって、逃げてもいいのかもって、そう思ったんだ」
「────帰ろうエルラン。一緒に」
「帰っても、いいのかな」
「いいんだよ。な」
エルザもそう言って笑いかけた。エルランは少し悩んだあと頷いた。
「うん。……ありがとうエルザ。迎えに来てくれて」
「勿論だ。皆んなもお前のことを待ってるよ」
と、そう言ってエルザは閉じられたシャッターの方を見る。
「……あれ、どうやって開けるんだ? 閉めたのはお前?」
「管制室に連絡したのは僕だけど。………いや。カメラで裏切りはバレてるか。連絡しても開けてくれないだろうね」
と、そう言ってエルランは天井を見上げる。エルザも目線を追って見ると、そこではカメラが赤く点灯している。
「……じゃああのエレベーターは?」
「あれは上へしか通じてないんだ。上の階へ行けば階段はあるけどね。…………ラローグたちも来ていたね。僕たちだけ脱出するのは得策じゃないだろう。ここまで来てくれた仲間たちを見捨てて行くわけにはいかないし」
「そうだな。……そういや黒影の協力者が管制室に行くって言ってた。待ってたらここも開けてくれるかも……」
「そうか、じゃあそうしよう。お互い疲れてることだしね」
エルランはそう言って肩を竦める。エルザはため息を吐く。
「お前、体力ないな」
「慣れない近接戦をしたもので。やれやれ、肝が冷えたよ君の剣捌きにはね」
「嘘こけ余裕そうだったろ!」
「まさか。内心ヒヤヒヤだよ。戦いの時はいつだってそうだ」
二人は顔を見合わせる。そして同時にプッと吹き出して、笑い合うのだった。
* * *
────19時23分 セシリア軍基地9階 訓練室B────
「────おい。おい。生きているか」
「う……」
誰かにつつかれているのを感じて、ロレンは目を覚ました。目を開けると、見知らぬ赤い癖毛の眼鏡の男が眼前で屈んでこちらを覗いていた。
「うわっ?!」
「おうおう、驚くな。失礼な奴め」
「……クリカラ。無理もないだろ……」
後ろでエランがやれやれと頭を抱えている。ロレンは座り込んだまま辺りを見渡す。向こうでレフカが倒れているのが見えた。あの業火を受けた割には、それほど重症には見えない。
「……僕はどれくらい……」
「ほんの一瞬だよ。悪いな、クリカラの炎がお前に効くの忘れてた。心の守護者のあいつはあの通りだが……」
エランはそう言ってバツが悪そうにする。謝られるのが少し意外に感じつつ、ロレンはクリカラらしき男の方を見る。ばちりと目が合う。不思議な光を宿した黄色い瞳だ。縦の瞳孔の竜の目。装いは東洋風の黒い着物だ。全体に金の竜の鱗の刺繍が入っている。
「闇の子。おまえ、善くないものを飼っているな」
「!」
どきりとする。内でライナーが息を呑む気配がした。
「……クリカラさん────」
竜の瞳孔が細くなる。瞬間的な殺気。立ち上がって逃げる暇もない。─────と、その時胸元から光が飛び出て人型になったかと思うと、クリカラに飛び掛かった。黒竜は押し倒されるより早く身を引き、エランのすぐ前まで下がって立ち上がった。
「────闇竜の皇」
「待て待て殺す気か! これはあんたの宿主の仲間だろ!」
「おや邪竜。世界を恨むおまえが人の子を護ろうとは。まぁ、おまえが好みそうな人の子よな」
「そんなんじゃない! あんたこそこんな所で何してる! 人間の器に収まるようなタマじゃないだろう」
「天を漂い続けるのにも飽いた。それだけのことだ。我が身に制約を掛け暴虐を愉しむのもたまには良かろうて。それにこの炎の子は良い。大変良いぞ。儂の無聊を慰めてくれる。まぁ、儂が出ては何もかもすぐに終わってしまうが」
やれやれとクリカラは首を振り、そしてぽんと手を叩いた。
「違う。儂の話はどうでも良い。誤解だ邪竜よ。儂は其奴の魂を少し覗き見たかっただけだ。焼き払おうとは思うていない」
「そう言ってプチッとうっかり潰すのがあんただ! 自覚がない分、僕より邪悪だ聖竜め」
ライナーはそう言いながらクリカラを指差し、そしてロレンを手で隠す。
「……これの何が気になるんだ。僕の力すらまともに扱いきれないただのガキだよ」
「おまえがいようがいまいが関係ない。興味があるのはその闇の子の魂の有り様だ」
「?」
ライナーは眉根を寄せる。と、ふとハッとして心当たりがあるような顔をしてロレンを見る。ロレンはその目を見返し、そしてクリカラの方を見た。彼は腕を組み首を傾げそして口を開いた。
「おまえ、純粋な人の子ではないな」
「!」
「それと。炎の子の中から見ていた時にも気になったが……」
クリカラは目を細める。邪悪なものでも見るようなそんな目に、ロレンは身が竦む。
「────おまえ、なぜ二人いる?」
* * *
────19時02分 セシリア軍基地10階 指令室────
「…………っ」
「……俺を盾に防ぐつもりだったか。残念ながら俺の雷は俺自身には効かない。俺を通ってお前を焼くだけだ」
体が痺れる。床に手をついているフォレンをイーサイルは見下ろす。フォレンは体の痛みもよく分からないまま、顔を上げる。
「まだ意識があるとはしぶとい奴だ」
イーサイルはそう言うとフォレンの胸ぐらをぐんと掴み上げ、頭から床へ叩きつける。
「がっ!」
体が跳ねてうつ伏せに倒れる。額から血が出ている。ぐらぐらと揺れる視界。それでもフォレンは立ち上がった。その様子を見たイーサイルは目を細める。
「まだ立つか」
「……あんたに負けてるようじゃ……俺はいつまでもあいつには勝てない」
「……誰を目指しているのかは知らんが、そいつは俺より強いのか?」
「さあな。でもあんたを越えたらその時は、俺はあいつより強いのかも」
闇を纏い、イーサイルへ突っ込む。渾身の蹴りを放つが避けられる。
「威勢は良いが、まだまだ遅いな」
「!」
フォレンの視界の隅で光が炸裂した。気がつくと頭に衝撃を受けて吹き飛んでいた。壁にぶつかる。全身が軋む。光の速さで蹴られたのだと、理解したのは床に膝をついてからだった。
「…………ッ…」
『おいしっかりしろ!』
飛びかけた意識をクザファンの声が引き戻す。フラリと立ち上がる。
「……そろそろくたばらねェか」
イーサイルが突き出した剣を、フラつくままに右に避けた。そして体重を左に移動させ、右足で上段蹴りを放つ。が、左腕でガードされる。僅かにミシッと音がして、イーサイルの顔がヒクつく。フォレンは片頬で笑った。
反動を使い右足を軸に左の回し蹴りを繰り出す。イーサイルは今度は後ろに跳んで躱す。
「だいぶ動きが鈍って来たな」
「……まだまだ……!」
叫ぶが、限界が近いのは確かだった。ふらつく身体をなんとか支える。と、その時フォレンは迫る鋒に反応出来なかった。
「…………!!」
右側の視界が突如として消える。そして激しい痛みが襲って来る。
「……ぐ、ああああぁあぁぁ!!」
剣が抜かれると同時に、フォレンは右目を抑えて膝をついた。血がだくだくと流れる。あっという間に手のひらが赤く染まった。左目でぼんやりそれを眺めていると、頭のどこかがチクリと痛んだ。そして、何かの場面がフラッシュバックする。
「…………?!」
何だ、何の記憶だ。そう考えると頭痛が酷くなる。目の痛みと混じって訳が分からない。さっき、力を使おうとした時の痛みと同じだ。頭が激しく痛む。目の奥がチカチカする。
『フォレン、フォレン』
(……何だクソガラス…………)
思わずそんな悪態が漏れる。妙な馴染みを感じて、フォレンは湧き出るままに疑問を彼に向ける。
(……クザ、もしかして俺たち、ずっと前から…………)
『フォレン。いいか、よく聞け。お前の心理の窟に、隠されたスペースを見つけた』
(…………え?)
そんな事言ってる場合か。イーサイルが迫っている。と、フォレンの意識は急に闇に引き摺り込まれる。気が付けば心理の窟だ。目の前に現れたクザファンに、フォレンは思わず叫ぶ。
「………何やってる!」
「時間がない。二人ともここにいれば少し時間の流れに猶予が出来る。いいか、見ろ、あれだ」
と、クザファンは岩壁を指差す。よく見ると向こう側に空間があるようだった。
「……何だあれは」
「あの向こうから強い力を感じる。……お前、記憶がないんだろ。あれはその封じられた記憶だ」
言われて、フォレンはハッとする。孤児院に辿り着く以前の、失われた記憶。……しかし、待て。
「お前、何で俺の記憶のこと知ってる」
「それは……あれを解放したら分かることだ。良いか、お前は昔の記憶と一緒に本来あるべき力もあそこに封じてる。俺の力が使えないのも、お前が今の限界を越えられないのも、あれが原因だ」
こいつは何を言っているのだろう。何故そんな事が分かるのか。フォレンはクザファンに対して疑念を抱く。そもそも彼がいつから自分の中にいたのかも。分からないことだらけだ。現に、フォレンは今、自分の力に違和感を覚えている。そして、もし、彼の言う事が本当ならば。
「……あの壁を壊せば、俺は今より強くなれるわけだな」
「あぁ。だが強固な精神的な封印だ。砕けばかなりの苦痛がお前を襲うが…………それでもやるか?」
「────やってくれ。俺には今、力が必要だ」
記憶のことも気になる。何故覚えていないのか。幼い頃に何があったのか。
強い決意の宿った目に、クザファンは頷く。
「じゃあ行くぞ。覚悟はいいな」
クザファンの手に、黒い刀が現れる。逆手に持ったそれに闇の力を纏わせ、彼は大きく振りかぶる。
「そら! 目醒めの時だ!」
刀がぶん投げられる。それは岩壁を直撃し、砕いた。直後、フォレンは酷い頭痛に襲われる。
「…………アァァ……があぁぁぁッ!!」
一気に色んな記憶が流れ込んで来る。酷く鮮明に、まるで今そこにいるかのような感覚に陥る。
────白く何もない部屋。白衣を着た女が微笑む。そして傍らにいるのは、自分と同じ顔をした少年。その顔を見た瞬間────フォレンの中に湧き上がったのは、酷くどす黒い感情だった。
#57 END
To be continued…
「君と真面目に戦うのは初めてだっけ」
「当たり前だろ!!」
エルザの剣が銃弾を弾く。既に何発か掠っている。だがいずれも大した傷ではない。当たってはまずいものは全て弾くか避けている。
「じゃあ僕の実力も知らないね!」
「そうだな!」
エルランの手が閃く。直後、エルザの右耳を焼けつくような痛みが襲う。右耳に触れるとぬるりとした感触があった。指先が血に濡れていた。
「ッ!」
「さっきから弾いてばかりでちっとも仕掛けて来ないじゃないか。殺す気で来ないと僕はとれないよ」
「てめ……」
エルランは素早く銃弾を再装填する。
「まぁ君は愚直で馬鹿だから、殺さないと言えばそれを曲げることはないんだろうけど」
「曲げねェ! お前は連れて帰る!」
「君が厳しいのは口だけかよ。本当は甘ちゃんだったんだな、知らなかったよ」
「………!」
ぶちりと何かが切れる音がした。強く踏み込む。刀が炎を纏う。エルランに向かってブンブンと振る。しかし彼はバックステップを繰り返して避け、反撃に何度か撃って来る。避けながら、そして炎で斬り裂きながらエルザは前進する。腕の一本や二本くらいは斬り飛ばす勢いだ。
「……いいじゃん、その感じだよ」
エルランが笑みを浮かべながら言う。エルザのこめかみに青筋が浮かぶ。
「────何で!」
紅蓮の炎が孤を描く。ついにエルランは壁に背をつく。ギィィンと大きな音を立てて、刀が壁に突き刺さる。エルランの左耳を少し掠った。
「……何でお前はそんなヘラヘラしてんだよ!」
「…………」
「俺はこんなに必死なのに! お前を連れ戻したいから戦いたくもねェのに戦ってる! それなのにお前は……」
「……何で泣くんだ」
「!」
冷たく刺さるような声で言われて、エルザは自らの頬を伝うものに気がつく。だが、そんなことに構ってはいられない。
「裏切りなんてよくあることさ。僕はそうした元仲間を幾度となく殺して来た。君みたいなのは戦場ですぐに死ぬよ」
「構うか。俺の居場所はそこじゃない。お前の居場所もだ」
エルザがそう言うと、エルランはぎゅっと眉根を寄せる。
「僕の居場所はここだ! ずっと昔からそうだ! 君と出会う前からずっと! この世界で僕は生まれ育った。逃げられやしないんだよ、救いようのない殺人者なんだよ僕は!」
「なら……!」
刀がさらに深く突き刺さる。彼が目を逸らせないように、ぐっと顔を近付ける。
「俺が! 救ってやるよ!」
「……!」
エルランは一瞬目を見開き、そして口を真一文字に引き結んだ。
「……何も………知らないクセに……僕の何も知らないクセに!! 勝手なこと言うなよ!」
「知ってる。知ってるよお前のことは」
「うるさい!」
エルランはエルザの額に銃口を突きつける。今までの冷静さが失われている。
「ムカつくんだよ君のそういうところが! 僕の痛みの何を知ってる! 過去は僕を逃してくれなかった! だから僕はここにいる……!」
きら、とエルランの目元が光るのを、エルザは見た。それを隠すようにエルランは腕で顔を拭う。
「……消えてくれよ僕の前から、頼むから消えてくれ」
「じゃあ撃てばいいだろ」
「!」
エルザはそこから動かない。まっすぐにエルランの目を見続けた。瞳が揺れる。エルザは続ける。
「本当にそう思うなら、今、撃てばいい。簡単なことだろ」
「…………っ」
エルザはエルランの右手首を掴んだ。手が震えている。
「……馬鹿じゃないのか」
手から拳銃が落ちる。エルザの手から離れたエルランの手が顔を覆う。
「…………僕にこれ以上殺らせるなよ、友達を……」
「エルラン」
エルザは刀を放してエルランの両手を取る。ぽろぽろと涙を零しながらエルランは口を開く。
「やめてくれよ、折角抑えてたのに……自分に言い聞かせてたのに。僕だっていたいよ、探偵に。でも…………あの日銃を久しぶりに持たされた時に思い知ったんだよ。僕は、逃げられないって」
エルザは思い出す。あの日のエルランは浮かない顔だった。ちっとも誇りには思っていない顔だった。彼がどうありたいのかを、エルザは過去を知らずとも分かっていた。
「……逃げられるよ。お前が戻りたくないのならさ。今からだって間に合う。やり直せるよ」
「────ずるい。ずるいよ、そうやって僕に希望を見せるなんてさ」
エルランは右手で目元を拭うと微笑んだ。
「……でも、君がいたから僕は、過去から逃れられるかもって、逃げてもいいのかもって、そう思ったんだ」
「────帰ろうエルラン。一緒に」
「帰っても、いいのかな」
「いいんだよ。な」
エルザもそう言って笑いかけた。エルランは少し悩んだあと頷いた。
「うん。……ありがとうエルザ。迎えに来てくれて」
「勿論だ。皆んなもお前のことを待ってるよ」
と、そう言ってエルザは閉じられたシャッターの方を見る。
「……あれ、どうやって開けるんだ? 閉めたのはお前?」
「管制室に連絡したのは僕だけど。………いや。カメラで裏切りはバレてるか。連絡しても開けてくれないだろうね」
と、そう言ってエルランは天井を見上げる。エルザも目線を追って見ると、そこではカメラが赤く点灯している。
「……じゃああのエレベーターは?」
「あれは上へしか通じてないんだ。上の階へ行けば階段はあるけどね。…………ラローグたちも来ていたね。僕たちだけ脱出するのは得策じゃないだろう。ここまで来てくれた仲間たちを見捨てて行くわけにはいかないし」
「そうだな。……そういや黒影の協力者が管制室に行くって言ってた。待ってたらここも開けてくれるかも……」
「そうか、じゃあそうしよう。お互い疲れてることだしね」
エルランはそう言って肩を竦める。エルザはため息を吐く。
「お前、体力ないな」
「慣れない近接戦をしたもので。やれやれ、肝が冷えたよ君の剣捌きにはね」
「嘘こけ余裕そうだったろ!」
「まさか。内心ヒヤヒヤだよ。戦いの時はいつだってそうだ」
二人は顔を見合わせる。そして同時にプッと吹き出して、笑い合うのだった。
* * *
────19時23分 セシリア軍基地9階 訓練室B────
「────おい。おい。生きているか」
「う……」
誰かにつつかれているのを感じて、ロレンは目を覚ました。目を開けると、見知らぬ赤い癖毛の眼鏡の男が眼前で屈んでこちらを覗いていた。
「うわっ?!」
「おうおう、驚くな。失礼な奴め」
「……クリカラ。無理もないだろ……」
後ろでエランがやれやれと頭を抱えている。ロレンは座り込んだまま辺りを見渡す。向こうでレフカが倒れているのが見えた。あの業火を受けた割には、それほど重症には見えない。
「……僕はどれくらい……」
「ほんの一瞬だよ。悪いな、クリカラの炎がお前に効くの忘れてた。心の守護者のあいつはあの通りだが……」
エランはそう言ってバツが悪そうにする。謝られるのが少し意外に感じつつ、ロレンはクリカラらしき男の方を見る。ばちりと目が合う。不思議な光を宿した黄色い瞳だ。縦の瞳孔の竜の目。装いは東洋風の黒い着物だ。全体に金の竜の鱗の刺繍が入っている。
「闇の子。おまえ、善くないものを飼っているな」
「!」
どきりとする。内でライナーが息を呑む気配がした。
「……クリカラさん────」
竜の瞳孔が細くなる。瞬間的な殺気。立ち上がって逃げる暇もない。─────と、その時胸元から光が飛び出て人型になったかと思うと、クリカラに飛び掛かった。黒竜は押し倒されるより早く身を引き、エランのすぐ前まで下がって立ち上がった。
「────闇竜の皇」
「待て待て殺す気か! これはあんたの宿主の仲間だろ!」
「おや邪竜。世界を恨むおまえが人の子を護ろうとは。まぁ、おまえが好みそうな人の子よな」
「そんなんじゃない! あんたこそこんな所で何してる! 人間の器に収まるようなタマじゃないだろう」
「天を漂い続けるのにも飽いた。それだけのことだ。我が身に制約を掛け暴虐を愉しむのもたまには良かろうて。それにこの炎の子は良い。大変良いぞ。儂の無聊を慰めてくれる。まぁ、儂が出ては何もかもすぐに終わってしまうが」
やれやれとクリカラは首を振り、そしてぽんと手を叩いた。
「違う。儂の話はどうでも良い。誤解だ邪竜よ。儂は其奴の魂を少し覗き見たかっただけだ。焼き払おうとは思うていない」
「そう言ってプチッとうっかり潰すのがあんただ! 自覚がない分、僕より邪悪だ聖竜め」
ライナーはそう言いながらクリカラを指差し、そしてロレンを手で隠す。
「……これの何が気になるんだ。僕の力すらまともに扱いきれないただのガキだよ」
「おまえがいようがいまいが関係ない。興味があるのはその闇の子の魂の有り様だ」
「?」
ライナーは眉根を寄せる。と、ふとハッとして心当たりがあるような顔をしてロレンを見る。ロレンはその目を見返し、そしてクリカラの方を見た。彼は腕を組み首を傾げそして口を開いた。
「おまえ、純粋な人の子ではないな」
「!」
「それと。炎の子の中から見ていた時にも気になったが……」
クリカラは目を細める。邪悪なものでも見るようなそんな目に、ロレンは身が竦む。
「────おまえ、なぜ二人いる?」
* * *
────19時02分 セシリア軍基地10階 指令室────
「…………っ」
「……俺を盾に防ぐつもりだったか。残念ながら俺の雷は俺自身には効かない。俺を通ってお前を焼くだけだ」
体が痺れる。床に手をついているフォレンをイーサイルは見下ろす。フォレンは体の痛みもよく分からないまま、顔を上げる。
「まだ意識があるとはしぶとい奴だ」
イーサイルはそう言うとフォレンの胸ぐらをぐんと掴み上げ、頭から床へ叩きつける。
「がっ!」
体が跳ねてうつ伏せに倒れる。額から血が出ている。ぐらぐらと揺れる視界。それでもフォレンは立ち上がった。その様子を見たイーサイルは目を細める。
「まだ立つか」
「……あんたに負けてるようじゃ……俺はいつまでもあいつには勝てない」
「……誰を目指しているのかは知らんが、そいつは俺より強いのか?」
「さあな。でもあんたを越えたらその時は、俺はあいつより強いのかも」
闇を纏い、イーサイルへ突っ込む。渾身の蹴りを放つが避けられる。
「威勢は良いが、まだまだ遅いな」
「!」
フォレンの視界の隅で光が炸裂した。気がつくと頭に衝撃を受けて吹き飛んでいた。壁にぶつかる。全身が軋む。光の速さで蹴られたのだと、理解したのは床に膝をついてからだった。
「…………ッ…」
『おいしっかりしろ!』
飛びかけた意識をクザファンの声が引き戻す。フラリと立ち上がる。
「……そろそろくたばらねェか」
イーサイルが突き出した剣を、フラつくままに右に避けた。そして体重を左に移動させ、右足で上段蹴りを放つ。が、左腕でガードされる。僅かにミシッと音がして、イーサイルの顔がヒクつく。フォレンは片頬で笑った。
反動を使い右足を軸に左の回し蹴りを繰り出す。イーサイルは今度は後ろに跳んで躱す。
「だいぶ動きが鈍って来たな」
「……まだまだ……!」
叫ぶが、限界が近いのは確かだった。ふらつく身体をなんとか支える。と、その時フォレンは迫る鋒に反応出来なかった。
「…………!!」
右側の視界が突如として消える。そして激しい痛みが襲って来る。
「……ぐ、ああああぁあぁぁ!!」
剣が抜かれると同時に、フォレンは右目を抑えて膝をついた。血がだくだくと流れる。あっという間に手のひらが赤く染まった。左目でぼんやりそれを眺めていると、頭のどこかがチクリと痛んだ。そして、何かの場面がフラッシュバックする。
「…………?!」
何だ、何の記憶だ。そう考えると頭痛が酷くなる。目の痛みと混じって訳が分からない。さっき、力を使おうとした時の痛みと同じだ。頭が激しく痛む。目の奥がチカチカする。
『フォレン、フォレン』
(……何だクソガラス…………)
思わずそんな悪態が漏れる。妙な馴染みを感じて、フォレンは湧き出るままに疑問を彼に向ける。
(……クザ、もしかして俺たち、ずっと前から…………)
『フォレン。いいか、よく聞け。お前の心理の窟に、隠されたスペースを見つけた』
(…………え?)
そんな事言ってる場合か。イーサイルが迫っている。と、フォレンの意識は急に闇に引き摺り込まれる。気が付けば心理の窟だ。目の前に現れたクザファンに、フォレンは思わず叫ぶ。
「………何やってる!」
「時間がない。二人ともここにいれば少し時間の流れに猶予が出来る。いいか、見ろ、あれだ」
と、クザファンは岩壁を指差す。よく見ると向こう側に空間があるようだった。
「……何だあれは」
「あの向こうから強い力を感じる。……お前、記憶がないんだろ。あれはその封じられた記憶だ」
言われて、フォレンはハッとする。孤児院に辿り着く以前の、失われた記憶。……しかし、待て。
「お前、何で俺の記憶のこと知ってる」
「それは……あれを解放したら分かることだ。良いか、お前は昔の記憶と一緒に本来あるべき力もあそこに封じてる。俺の力が使えないのも、お前が今の限界を越えられないのも、あれが原因だ」
こいつは何を言っているのだろう。何故そんな事が分かるのか。フォレンはクザファンに対して疑念を抱く。そもそも彼がいつから自分の中にいたのかも。分からないことだらけだ。現に、フォレンは今、自分の力に違和感を覚えている。そして、もし、彼の言う事が本当ならば。
「……あの壁を壊せば、俺は今より強くなれるわけだな」
「あぁ。だが強固な精神的な封印だ。砕けばかなりの苦痛がお前を襲うが…………それでもやるか?」
「────やってくれ。俺には今、力が必要だ」
記憶のことも気になる。何故覚えていないのか。幼い頃に何があったのか。
強い決意の宿った目に、クザファンは頷く。
「じゃあ行くぞ。覚悟はいいな」
クザファンの手に、黒い刀が現れる。逆手に持ったそれに闇の力を纏わせ、彼は大きく振りかぶる。
「そら! 目醒めの時だ!」
刀がぶん投げられる。それは岩壁を直撃し、砕いた。直後、フォレンは酷い頭痛に襲われる。
「…………アァァ……があぁぁぁッ!!」
一気に色んな記憶が流れ込んで来る。酷く鮮明に、まるで今そこにいるかのような感覚に陥る。
────白く何もない部屋。白衣を着た女が微笑む。そして傍らにいるのは、自分と同じ顔をした少年。その顔を見た瞬間────フォレンの中に湧き上がったのは、酷くどす黒い感情だった。
#57 END
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主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
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ドマゾネスの掟 ~ドMな褐色少女は僕に責められたがっている~
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スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活
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第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。
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とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。
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