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第三章 精霊の御霊
#47 決着(前編)
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────シェレブ城2階・階段前────
「無駄だって言ってるだろ」
「……ぐ」
手が痛む。グレンは血の滲む手を振る。竜人の鱗は硬く鋭い棘のようになっている。素手で殴ればこちらにダメージが来る。おまけにクライド自身にはそれほどダメージが通っていないように見えた。
「……グレン、良いか。闇雲に殴ってもダメだ」
「あ?」
アレスの言葉に、グレンはそちらを向く。アレスは横目でグレンをちらりと見てから続ける。
「竜の弱点は胸だ。そこに強い衝撃を与えれば人の姿に戻る」
「……なんで?」
そう訊くと、アレスは口を開きかけてやめた。そして首を横に振ると続ける。
「理屈はいい。ともかくそこを狙え。奴は鱗が武器だ、それ以外は無防備に晒してくるが……胸だけは守って来るはずだ」
「じゃあどうすんだ」
「俺が隙を作る」
そういうアレスをグレンは上から下まで見る。同じく近接攻撃を加えているのに自分と違って傷一つないその姿を見てグレンは目を細める。
「……逆の方が良い気がするけど」
「いや。機動力は貴殿の方に分がある」
「そうかな……」
「来るぞ」
「!」
クライドが迫って来る。迎え撃つグレンは拳を腕で受ける。袖を突き抜けて鱗が腕を傷付ける。その痛みを堪えて弾くとぐるりと回って尾が薙ぎ払ってくる。上に跳んで躱すと開けっ広げになっている胸元へ指を二本揃えて向ける。
「“影の矢”!」
収束した影が矢となって撃ち出される。が、あえなくそれは竜人の腕によって阻まれる。少しはその鱗を傷付けたが、大したダメージにはなっていないようだった。
「……アレス!」
着地しながらアレスの方を見ると、彼の姿が何やら赤と青の光に包まれているのが見えた。
「“闘神武装”」
格闘士らしい軽装だったアレスの姿が、光と共に甲冑に包まれる。そしてその手には青龍刀が現れた。
「……な……!」
降ろされていた髪も髪紐で一つにまとめられる。随分と様変わりしたその姿にグレンは驚く。
「──────最初から出せよ!」
「……少々準備が必要なのでな」
渋い顔をして答えたアレスは青龍刀を構えるとキッと竜人を見据えた。
「その鱗に太刀が通ずるか、試させてもらおう」
「そんなものが通るかよ!」
クライドがアレスへと襲いかかる。鋭い爪を青龍刀の柄で受ける。薙ぎ払い、下がったクライドを追うように青龍刀を突き出す。後ろへ反って彼は躱したが、構造的に後ろへ曲がるのは苦手なのか僅かにバランスを崩す。そこへすかさず飛び上がったグレンが現れる。
「!」
クライドの胸めがけて踵落としが繰り出される。腕で防ぐも諸共胸元へ打ち付けられ、床に叩きつけられる。
「っちぃ……」
しかし竜化は解けず竜人は尾を振りながら立ち上がる。下がったグレンはアレスに抗議する。
「おい! 戻んねェぞ!」
「直接衝撃を与えねば核には届かん」
「あ? 核を叩けってことか?」
「竜族は胸元にエレメントを生成する核を持つ……精霊と最も違うところだな。そこへ強い衝撃を加えれば生成機能が揺らぎ竜化が維持できなくなるというわけだ」
「……最初に言えよ」
「貴殿はまたよく分からんと言うだろうと思い……」
「あぁ! 分からんけど分かった!」
やれやれとアレスはため息を吐く。さらなる隙を生み出すべく攻撃を再開する。
深く踏み込み、青龍刀を薙ぐ。ガキ、と腕の鱗に止められる。
「ふむ、ここは特に硬いようだな」
引き戻し、噛みつき攻撃を躱しアレスは縦に青龍刀を振り降ろす。クライドは強く床を蹴り、下がって避けた。青龍刀が床を穿ち、そして重心を後ろに戻したアレスは反動でさらに踏み込みクライドの上腕の内側を狙った。切っ先が鱗を断ち鮮血が散る。
「!」
ドッ、と竜人の右腕の筋が断ち切られ、ぶらりと垂れ下がる。回した青龍刀の石突で顎を撃つ。打ち上げられたクライドは脳震盪を起こして目を回す。そこへすかさずグレンが飛び込み、影を纏った拳を胸の中心目掛けて打ち込む。
「いっけ……!」
「ぐあ……!」
打点から黒い光のヒビが広がる。その体躯が床に落ちると共に、砕け散るような闇の粒子に包まれクライドの姿が人型に戻る。
「やった……!」
「くぅ……やりやがったな」
立ち上がったクライドの腕は力なく垂れ下がったままだ。彼はその腕を左腕で抱き寄せると、歯軋りする。
「くそ……再生速度も落ちてやがる……」
「核の機能低下は一時的だ。さっさと仕留めるぞ」
アレスがグレンにそう言う。頷いたグレンはさっと飛び出す。まだくらくらした様子のクライドは、それでもグレンに反応してくる。赤い目が鋭く光る。嫌な気配を感じたグレンはその場から左へずれた。直後、床が盛り上がって岩の棘が出現した。
「……力は使えんのかよ!」
「あくまで機能低下だからな。……多少のことはしてくる」
冷静なアレスは自身の方に現れた棘を跳躍して避けるとその上に着地する。
「まあ、精度と威力は落ちているだろうが」
「ムカつくな! 精霊風情が!」
クライドはそう叫びながら接近したグレンの右ストレートを左手で受ける。衝撃が肘まで伝わり顔をしかめたクライドへ、グレンは左の上段蹴りをかます。階段の中段へ吹き飛んだクライドを追ってグレンは一蹴りでそこまで跳ぶと腕に影を纏い、手の先から刃を生成する。落下と共に突き刺そうとするそこへ、クライドが両手を伸ばす。
「!」
空中でグレンは体を捻った。階段に横たわるクライドの両サイドから地の棘が二つ飛び出し、それはグレンの左脇腹を軽く抉った。
「ッ……!」
「グレン!」
「串刺しにしてやるつもりだったのによ……!」
起き上がったクライドは、床に落ちで血を流すグレンに向かおうとして、その体を硬直させた。
「!?」
「……アレス……やれ!」
グレンは床に落ちている影の上で拳を握りしめている。不自然に伸びた影がクライドの影を縛る。
「──────影の精霊め!」
「“蒼星牙突”」
「!」
青い光と共に槍へと姿を変えた青龍刀が、流星の如く飛び、クライドの胸を刺し貫いた。
「アッ……!」
目を見開き、どうとその体が後ろへ倒れる。僅かに体を起こしもがいた様子を見せたものの、やがてその力が抜ける。それを確認したグレンは影の力を解く。
「……はぁっ……」
「グレン!」
アレスが駆け寄って来る。グレンは腕に力を入れて起き上がるが出血が酷い。
「無理に動くな。血を流し過ぎては死んでしまう」
「これくらいじゃ、くたばらねェよ……」
そう言いながらも、段に座ったグレンは痛みに顔をしかめる。見かねたアレスは武装を解くと屈み、グレンの傷に手を当てる。そこに妙な力が集まるのを感じて、グレンは眉を動かす。
「……お前治癒魔術とか使えんの……?」
「魔術とは違う。気を集め僅かばかりに止血を早めるだけだ。応急処置に過ぎない」
「はは、そうか、助かるよ」
グレンは冷や汗の浮かんだ頬で笑う。背後で斃れた竜の亡骸が塵と化し始める音がする。それを一瞥したグレンは、大きなため息と共に言葉を吐き出した。
「───少し休むか……」
「そうだな……」
* * *
────シェレブ城3階・中庭────
水が次々にフェールへと襲いかかる。それら全てをフェールは淡々と障壁を張り防ぎ切る。
〈お前! 影狼族のくせに魔術を使うんだな! 変身しないのか!〉
「爪と牙ばかりが私の武器ではあらぬよ」
そう言いながら、フェールは杖を振る。カン、と強く杖が地面を打つ。アラドロークは辺りのエレメントが蠢くのを感じた。
〈……うお⁈〉
自身の周囲を漂っていた水が一斉に凍りつく。浮遊力を保っていられなくなった翼水竜が同じく凍りついた池に落下する。
「そなた、飛行能力は持っておらぬな。水を操り疑似的に遊泳空間を創り出しておる。ゆえに凍り付かせれば地に落ちる。地を這うトカゲは喰らいやすい」
〈いてて……くそ、魔術師はこれだから! せめて詠唱くらいしてくれよ! 何して来るか分かったもんじゃない〉
翼腕を支えにアラドロークは立ち上がる。泳ぐことに適した後ろ脚は地に立つことは苦手なようだった。よろよろとバランスを取っていたアラドロークはフェールが再び杖を構えたのを見て水のブレスを吐く。影が壁となりそれを塞ぐと、水流を切り裂いて影が刃のように飛び出す。それが翼水竜の肩を、腹を貫いたかと思うと竜の姿が水と化す。空中を移動し始めたそれをフェールは氷柱を射出し追撃する。水の塊から小さな水球が飛び出し氷柱を飲み込み氷塊と化すと砕け散る。キラキラとした水のエレメントが水塊へ返って行くのを天狼の目は捉えた。
「……一筋縄ではいかんな」
水塊が迫って来る。自身を飲み込もうとしてきたそれを、フェールは影に溶けて躱す。ばしゃ、と巨大な水塊が地面に落ちるとむくむくと盛り上がって翼水竜が姿を現す。
〈……どこへ行った! 逃げるのか!〉
そう叫んだ途端、アラドロークは下から腹を何かに突き上げられた。そのまま吹っ飛ぶ。翼を持った黒い影をその目は捉える。漆黒の狼が上に乗っている。しばらくもがいた後に竜は狼を跳ね飛ばすことに成功する。が、牙がいくらか刺さり皮膚が破れ血が流れる。
〈案外硬くはないようだな〉
狼が口元から血を垂らしながらそう言う。アラドロークは咆哮を上げながらその一切光を返さぬ狼へ叫ぶ。
〈影の塊が! くそ! 苦手だ!〉
狼は翼を一振りすると軽やかに跳ぶ。喉笛を喰い千切らんとして竜へ襲いかかる。動くのが苦手なアラドロークは避けられない。水化しようとエレメントそのものである影狼の牙はその体に突き刺さる。振り払おうとブンブンと首を振る。
〈この……!〉
振り払えぬと分かった竜はその尾で凍った池の表面を叩き割る。そのまま狼の後ろ脚に食らいつくと水の中へと飛び込んだ。
〈!〉
水へ入るその寸前、狼が肉を喰千切る。水の中で血が溢れる。
〈やりやがったな……! だがこんなもの水に戻れば……〉
水中深くまで潜ったアラドロークは狼の脚を放す。そして水化しようとしたその時、その体を何かに絡め取られる。
〈何……!〉
影の鞭だ。それが水底の深淵から伸びて体を絡め取っている。水中の影狼はなお四つの瞳を光らせてこちらを見ている。
〈影より出ずる。森の影より出ずるもの。我が名の下に集え、集え〉
アラドロークの耳に届いたのは遠吠えだった。一際大きく、目の前の影狼が啼く。しかしこんな水中で陸の生物の音が響くはずがない。それは魔術的な音に違いなかった。
水底から多くの何かの気配を感じた。気が付くとそこはどこかの森のようだった。そんなはずはない。アラドロークの体は確かに浮力を感じている。ここは池の中だ。だが妙だった。知らない森の中にいる。奥で天狼が岩の上で鎮座している。その周りからわらわらと、影狼たちが湧いて出て来た。
〈な……〉
〈水中ならば分があると踏んだか。甘いな。我らは影の在るところ全てを領域とする。そなた、天狼たる私を討つことを望んでいたな。これが神界でのみ私が行使できる権能よ〉
アラドロークは動けない。影狼の群れがにじり寄ってくるのをもがきながら見ている。
〈我が一族の糧となるが良い。恨んでくれるな。世は弱肉強食、それが獣の掟だ〉
獣の唸り声が近付いて行く。それを天狼が奥から静かに見ている。
〈……卑怯だぞ天狼! 己の力で戦え!〉
竜は叫ぶ。しかし狼はただそこで静かに見ているだけだった。
* * *
「ゲホッ…ごほっ……はぁ……ごほっ」
フェールは池から這い上がり咳き込む。水を吐き出し呼吸を整える。濡れた着物が重く、その場に座り込む。その目の前に着物の足が現れる。顔を上げると見知った顔の女にフェールは微笑む。
「────久しいな」
「ええ。……貴方はもう神界には戻られないのかと」
女は影色の髪の間から寂しそうな目を見せた。
「何。精霊の身である限り人界に留まり続けることもできぬ」
「しかし一族のことは私に任されたではないですか」
「イナ。私は約束の為に一族の元を去らねばならなかった。それに、いつまでも私が長として居座り続けるわけにもいかぬ」
イナと呼ばれた女はムッと眉を吊り上げる。
「天狼様。貴方はただの影狼ではない。特別な躰を持った天狼です。翼を持つものは他にはいない。長であるべきは貴方の他にないのです」
イナは屈むと、フェールの目を見て口を引き結び、そして口を開く。
「どうして私共が貴方の聲に応えたか、お分かりですか。どうか、お戻りください、我らのために」
「……それは出来ぬ。約束を違えることになる」
「我ら一族よりも大切なことですか」
「イナ。見よ。今ここにあるそなたの身は、我が聲に引き寄せられた影法師にすぎぬ。その身を未だ自力で保っておろう。それほどの力を持つ者ならば、私も安心して一族を任せられる。それだけの話だ」
サラサラと、イナの姿が影の塵と化して行くのを見て、フェールは微笑む。
「いずれは里にも顔を出す。その時はゆっくりと話をしよう」
「……約束ですよ」
「私は約束は違えぬよ」
イナの姿が消える。フェールは天を仰いだ。懐かしい故郷の香りが、フェールの鼻を撫でた気がした。
#47 END
To be continued...
「無駄だって言ってるだろ」
「……ぐ」
手が痛む。グレンは血の滲む手を振る。竜人の鱗は硬く鋭い棘のようになっている。素手で殴ればこちらにダメージが来る。おまけにクライド自身にはそれほどダメージが通っていないように見えた。
「……グレン、良いか。闇雲に殴ってもダメだ」
「あ?」
アレスの言葉に、グレンはそちらを向く。アレスは横目でグレンをちらりと見てから続ける。
「竜の弱点は胸だ。そこに強い衝撃を与えれば人の姿に戻る」
「……なんで?」
そう訊くと、アレスは口を開きかけてやめた。そして首を横に振ると続ける。
「理屈はいい。ともかくそこを狙え。奴は鱗が武器だ、それ以外は無防備に晒してくるが……胸だけは守って来るはずだ」
「じゃあどうすんだ」
「俺が隙を作る」
そういうアレスをグレンは上から下まで見る。同じく近接攻撃を加えているのに自分と違って傷一つないその姿を見てグレンは目を細める。
「……逆の方が良い気がするけど」
「いや。機動力は貴殿の方に分がある」
「そうかな……」
「来るぞ」
「!」
クライドが迫って来る。迎え撃つグレンは拳を腕で受ける。袖を突き抜けて鱗が腕を傷付ける。その痛みを堪えて弾くとぐるりと回って尾が薙ぎ払ってくる。上に跳んで躱すと開けっ広げになっている胸元へ指を二本揃えて向ける。
「“影の矢”!」
収束した影が矢となって撃ち出される。が、あえなくそれは竜人の腕によって阻まれる。少しはその鱗を傷付けたが、大したダメージにはなっていないようだった。
「……アレス!」
着地しながらアレスの方を見ると、彼の姿が何やら赤と青の光に包まれているのが見えた。
「“闘神武装”」
格闘士らしい軽装だったアレスの姿が、光と共に甲冑に包まれる。そしてその手には青龍刀が現れた。
「……な……!」
降ろされていた髪も髪紐で一つにまとめられる。随分と様変わりしたその姿にグレンは驚く。
「──────最初から出せよ!」
「……少々準備が必要なのでな」
渋い顔をして答えたアレスは青龍刀を構えるとキッと竜人を見据えた。
「その鱗に太刀が通ずるか、試させてもらおう」
「そんなものが通るかよ!」
クライドがアレスへと襲いかかる。鋭い爪を青龍刀の柄で受ける。薙ぎ払い、下がったクライドを追うように青龍刀を突き出す。後ろへ反って彼は躱したが、構造的に後ろへ曲がるのは苦手なのか僅かにバランスを崩す。そこへすかさず飛び上がったグレンが現れる。
「!」
クライドの胸めがけて踵落としが繰り出される。腕で防ぐも諸共胸元へ打ち付けられ、床に叩きつけられる。
「っちぃ……」
しかし竜化は解けず竜人は尾を振りながら立ち上がる。下がったグレンはアレスに抗議する。
「おい! 戻んねェぞ!」
「直接衝撃を与えねば核には届かん」
「あ? 核を叩けってことか?」
「竜族は胸元にエレメントを生成する核を持つ……精霊と最も違うところだな。そこへ強い衝撃を加えれば生成機能が揺らぎ竜化が維持できなくなるというわけだ」
「……最初に言えよ」
「貴殿はまたよく分からんと言うだろうと思い……」
「あぁ! 分からんけど分かった!」
やれやれとアレスはため息を吐く。さらなる隙を生み出すべく攻撃を再開する。
深く踏み込み、青龍刀を薙ぐ。ガキ、と腕の鱗に止められる。
「ふむ、ここは特に硬いようだな」
引き戻し、噛みつき攻撃を躱しアレスは縦に青龍刀を振り降ろす。クライドは強く床を蹴り、下がって避けた。青龍刀が床を穿ち、そして重心を後ろに戻したアレスは反動でさらに踏み込みクライドの上腕の内側を狙った。切っ先が鱗を断ち鮮血が散る。
「!」
ドッ、と竜人の右腕の筋が断ち切られ、ぶらりと垂れ下がる。回した青龍刀の石突で顎を撃つ。打ち上げられたクライドは脳震盪を起こして目を回す。そこへすかさずグレンが飛び込み、影を纏った拳を胸の中心目掛けて打ち込む。
「いっけ……!」
「ぐあ……!」
打点から黒い光のヒビが広がる。その体躯が床に落ちると共に、砕け散るような闇の粒子に包まれクライドの姿が人型に戻る。
「やった……!」
「くぅ……やりやがったな」
立ち上がったクライドの腕は力なく垂れ下がったままだ。彼はその腕を左腕で抱き寄せると、歯軋りする。
「くそ……再生速度も落ちてやがる……」
「核の機能低下は一時的だ。さっさと仕留めるぞ」
アレスがグレンにそう言う。頷いたグレンはさっと飛び出す。まだくらくらした様子のクライドは、それでもグレンに反応してくる。赤い目が鋭く光る。嫌な気配を感じたグレンはその場から左へずれた。直後、床が盛り上がって岩の棘が出現した。
「……力は使えんのかよ!」
「あくまで機能低下だからな。……多少のことはしてくる」
冷静なアレスは自身の方に現れた棘を跳躍して避けるとその上に着地する。
「まあ、精度と威力は落ちているだろうが」
「ムカつくな! 精霊風情が!」
クライドはそう叫びながら接近したグレンの右ストレートを左手で受ける。衝撃が肘まで伝わり顔をしかめたクライドへ、グレンは左の上段蹴りをかます。階段の中段へ吹き飛んだクライドを追ってグレンは一蹴りでそこまで跳ぶと腕に影を纏い、手の先から刃を生成する。落下と共に突き刺そうとするそこへ、クライドが両手を伸ばす。
「!」
空中でグレンは体を捻った。階段に横たわるクライドの両サイドから地の棘が二つ飛び出し、それはグレンの左脇腹を軽く抉った。
「ッ……!」
「グレン!」
「串刺しにしてやるつもりだったのによ……!」
起き上がったクライドは、床に落ちで血を流すグレンに向かおうとして、その体を硬直させた。
「!?」
「……アレス……やれ!」
グレンは床に落ちている影の上で拳を握りしめている。不自然に伸びた影がクライドの影を縛る。
「──────影の精霊め!」
「“蒼星牙突”」
「!」
青い光と共に槍へと姿を変えた青龍刀が、流星の如く飛び、クライドの胸を刺し貫いた。
「アッ……!」
目を見開き、どうとその体が後ろへ倒れる。僅かに体を起こしもがいた様子を見せたものの、やがてその力が抜ける。それを確認したグレンは影の力を解く。
「……はぁっ……」
「グレン!」
アレスが駆け寄って来る。グレンは腕に力を入れて起き上がるが出血が酷い。
「無理に動くな。血を流し過ぎては死んでしまう」
「これくらいじゃ、くたばらねェよ……」
そう言いながらも、段に座ったグレンは痛みに顔をしかめる。見かねたアレスは武装を解くと屈み、グレンの傷に手を当てる。そこに妙な力が集まるのを感じて、グレンは眉を動かす。
「……お前治癒魔術とか使えんの……?」
「魔術とは違う。気を集め僅かばかりに止血を早めるだけだ。応急処置に過ぎない」
「はは、そうか、助かるよ」
グレンは冷や汗の浮かんだ頬で笑う。背後で斃れた竜の亡骸が塵と化し始める音がする。それを一瞥したグレンは、大きなため息と共に言葉を吐き出した。
「───少し休むか……」
「そうだな……」
* * *
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〈お前! 影狼族のくせに魔術を使うんだな! 変身しないのか!〉
「爪と牙ばかりが私の武器ではあらぬよ」
そう言いながら、フェールは杖を振る。カン、と強く杖が地面を打つ。アラドロークは辺りのエレメントが蠢くのを感じた。
〈……うお⁈〉
自身の周囲を漂っていた水が一斉に凍りつく。浮遊力を保っていられなくなった翼水竜が同じく凍りついた池に落下する。
「そなた、飛行能力は持っておらぬな。水を操り疑似的に遊泳空間を創り出しておる。ゆえに凍り付かせれば地に落ちる。地を這うトカゲは喰らいやすい」
〈いてて……くそ、魔術師はこれだから! せめて詠唱くらいしてくれよ! 何して来るか分かったもんじゃない〉
翼腕を支えにアラドロークは立ち上がる。泳ぐことに適した後ろ脚は地に立つことは苦手なようだった。よろよろとバランスを取っていたアラドロークはフェールが再び杖を構えたのを見て水のブレスを吐く。影が壁となりそれを塞ぐと、水流を切り裂いて影が刃のように飛び出す。それが翼水竜の肩を、腹を貫いたかと思うと竜の姿が水と化す。空中を移動し始めたそれをフェールは氷柱を射出し追撃する。水の塊から小さな水球が飛び出し氷柱を飲み込み氷塊と化すと砕け散る。キラキラとした水のエレメントが水塊へ返って行くのを天狼の目は捉えた。
「……一筋縄ではいかんな」
水塊が迫って来る。自身を飲み込もうとしてきたそれを、フェールは影に溶けて躱す。ばしゃ、と巨大な水塊が地面に落ちるとむくむくと盛り上がって翼水竜が姿を現す。
〈……どこへ行った! 逃げるのか!〉
そう叫んだ途端、アラドロークは下から腹を何かに突き上げられた。そのまま吹っ飛ぶ。翼を持った黒い影をその目は捉える。漆黒の狼が上に乗っている。しばらくもがいた後に竜は狼を跳ね飛ばすことに成功する。が、牙がいくらか刺さり皮膚が破れ血が流れる。
〈案外硬くはないようだな〉
狼が口元から血を垂らしながらそう言う。アラドロークは咆哮を上げながらその一切光を返さぬ狼へ叫ぶ。
〈影の塊が! くそ! 苦手だ!〉
狼は翼を一振りすると軽やかに跳ぶ。喉笛を喰い千切らんとして竜へ襲いかかる。動くのが苦手なアラドロークは避けられない。水化しようとエレメントそのものである影狼の牙はその体に突き刺さる。振り払おうとブンブンと首を振る。
〈この……!〉
振り払えぬと分かった竜はその尾で凍った池の表面を叩き割る。そのまま狼の後ろ脚に食らいつくと水の中へと飛び込んだ。
〈!〉
水へ入るその寸前、狼が肉を喰千切る。水の中で血が溢れる。
〈やりやがったな……! だがこんなもの水に戻れば……〉
水中深くまで潜ったアラドロークは狼の脚を放す。そして水化しようとしたその時、その体を何かに絡め取られる。
〈何……!〉
影の鞭だ。それが水底の深淵から伸びて体を絡め取っている。水中の影狼はなお四つの瞳を光らせてこちらを見ている。
〈影より出ずる。森の影より出ずるもの。我が名の下に集え、集え〉
アラドロークの耳に届いたのは遠吠えだった。一際大きく、目の前の影狼が啼く。しかしこんな水中で陸の生物の音が響くはずがない。それは魔術的な音に違いなかった。
水底から多くの何かの気配を感じた。気が付くとそこはどこかの森のようだった。そんなはずはない。アラドロークの体は確かに浮力を感じている。ここは池の中だ。だが妙だった。知らない森の中にいる。奥で天狼が岩の上で鎮座している。その周りからわらわらと、影狼たちが湧いて出て来た。
〈な……〉
〈水中ならば分があると踏んだか。甘いな。我らは影の在るところ全てを領域とする。そなた、天狼たる私を討つことを望んでいたな。これが神界でのみ私が行使できる権能よ〉
アラドロークは動けない。影狼の群れがにじり寄ってくるのをもがきながら見ている。
〈我が一族の糧となるが良い。恨んでくれるな。世は弱肉強食、それが獣の掟だ〉
獣の唸り声が近付いて行く。それを天狼が奥から静かに見ている。
〈……卑怯だぞ天狼! 己の力で戦え!〉
竜は叫ぶ。しかし狼はただそこで静かに見ているだけだった。
* * *
「ゲホッ…ごほっ……はぁ……ごほっ」
フェールは池から這い上がり咳き込む。水を吐き出し呼吸を整える。濡れた着物が重く、その場に座り込む。その目の前に着物の足が現れる。顔を上げると見知った顔の女にフェールは微笑む。
「────久しいな」
「ええ。……貴方はもう神界には戻られないのかと」
女は影色の髪の間から寂しそうな目を見せた。
「何。精霊の身である限り人界に留まり続けることもできぬ」
「しかし一族のことは私に任されたではないですか」
「イナ。私は約束の為に一族の元を去らねばならなかった。それに、いつまでも私が長として居座り続けるわけにもいかぬ」
イナと呼ばれた女はムッと眉を吊り上げる。
「天狼様。貴方はただの影狼ではない。特別な躰を持った天狼です。翼を持つものは他にはいない。長であるべきは貴方の他にないのです」
イナは屈むと、フェールの目を見て口を引き結び、そして口を開く。
「どうして私共が貴方の聲に応えたか、お分かりですか。どうか、お戻りください、我らのために」
「……それは出来ぬ。約束を違えることになる」
「我ら一族よりも大切なことですか」
「イナ。見よ。今ここにあるそなたの身は、我が聲に引き寄せられた影法師にすぎぬ。その身を未だ自力で保っておろう。それほどの力を持つ者ならば、私も安心して一族を任せられる。それだけの話だ」
サラサラと、イナの姿が影の塵と化して行くのを見て、フェールは微笑む。
「いずれは里にも顔を出す。その時はゆっくりと話をしよう」
「……約束ですよ」
「私は約束は違えぬよ」
イナの姿が消える。フェールは天を仰いだ。懐かしい故郷の香りが、フェールの鼻を撫でた気がした。
#47 END
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とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。
国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。
ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……
スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活
昼寝部
ファンタジー
この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。
しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。
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しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。
そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。
これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
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ドマゾネスの掟 ~ドMな褐色少女は僕に責められたがっている~
桂
ファンタジー
探検家の主人公は伝説の部族ドマゾネスを探すために密林の奥へ進むが道に迷ってしまう。
そんな彼をドマゾネスの少女カリナが発見してドマゾネスの村に連れていく。
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