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第三章 精霊の御霊
#44 竜伐の戦士たち
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────シェレブ城1階・エントランス───
黒獅子竜が吼える。カリサの蹴りを受けた頭をぶるぶると振る。
「……頑丈すぎるだろ」
舌打ちしながらカリサは呟く。もう何度か攻撃は打ち込んだが、倒れる気配がない。
黒獅子竜が動く。単純な突進。
「当たるか!」
カリサはついと右へ飛ぶ。が、その直後にリオンハートは急に向きを変えてこちらへ向かってくる。
「なっ」
「カリサ!」
大きな牙が迫ったその時、エエカトルが風砲を放ち黒獅子竜の体を押しやった。
〈クソ! 風の精霊が! 鬱陶しいんだよ!〉
「……大口叩いてた割には余裕がなさそうだな」
〈黙れ! そう言うお前もそろそろ限界なんじゃないのか?〉
「馬鹿言うな。これくらいでくたばってちゃ、あいつと肩並べて戦えねェよ」
カリサはそれなりに満身創痍だった。爪や牙だけじゃない。この竜は樹木を操る。咆哮と共に床から鋭い植物が生えて来てカリサとエエカトルの肌を切り裂く。手の動きや詠唱のないその攻撃が読めずに苦戦を強いられている。
(打撃は……少しずつは効いてるみたいだが通りが甘いな。このままだとジリ貧だ)
エエカトルも疲れて来ている。先ほど見せた風の槍も、相当負荷が掛かっている。そう何発も連発出来る代物ではないだろう。
黒獅子竜の大きな手が飛んで来る。カリサはそれを潜り抜けるように躱すと腹の下へと潜り込む。影の中。床に両手を付くと力を籠める。両脇から影の棘が生えて獅子の腹に刺さる。
〈ぐお……!〉
「何だ、影の力は通るのか……」
「カリサ! 奴の胸を狙え!」
「!」
後ろ脚が踏みつけようと降りかかって来たのでカリサは影の中に逃げる。そして胸側に逆さに飛び出して蹴りを叩き込む。直前にエエカトルによって加速されたカリサの攻撃が、黒獅子竜を大きく仰け反らせた。
〈な……にっ」
しゅるしゅると黒獅子竜の体が闇となって解けたかと思うと、後に元の人型のリオンハートが現れる。受けたダメージを飲み込んでいる彼に、カリサは追い打ちをかける。
「“深淵なる投槍”──────!」
「ッ!」
リオンハートがこちらを睨む。床から生えた木のバリケードが影の槍を阻む。貫通はしたが威力が減衰したそれをリオンハートは躱す。
「……影の力も使うのか……」
「──────風属性より通り易そうだな」
カリサはそう言うと手の上に短剣を影で作り出す。
「闇と影はほぼ同質の属性だからな」
エエカトルがそう言うので、浮いている彼をカリサは見上げる。
「……同属性って効きにくいんじゃ?」
「闇と影の性質は特殊でな。同属性を一番苦手とする。光に対しては打ち消しも強めもするし──────」
「あぁあぁ分かった、とりあえず効くんだな」
ぽん、とカリサは影の短剣を投げて回転させてキャッチする。
「その様子だと、しばらく竜型にはなれないな」
「……ッ……」
「人型ならやりようはいくらでもある。……さっさとカタつけさせてもらうぞ」
「ナメた口を!」
リオンハートは突っ込んでくる。さっきまで竜型だったせいか、獅子のような動きがそこに見える。横から猫パンチのように繰り出された右手をカリサは上体を後ろに反らしながら避けると短剣を握った右手でパンチを繰り出す。顔を狙ったその攻撃は躱され、反撃に後ろ蹴りが繰り出される。それとその回転のままに繰り出された両手の引っ掻くような攻撃を躱し、カリサは短剣でリオンハートの首を狙う。
「!」
その刃を、リオンハートの歯が捉えてあろうことか噛み砕く。その口角がニヤリと吊り上がり、思わず怯んだその隙に。カリサは胸に強い衝撃を受けた。
「……!!」
「………カリサ!」
エエカトルが叫ぶ。カリサは遅れて血をごぼりと吐く。リオンハートの右手が胸を貫通している。
「クハハ! 貫いたぞ! お返しだ!」
「……ク……ソ……」
意識が遠のく。笑うリオンハートの顔も、エエカトルの声もどこか遠い──────……
「……なーんちゃって」
「?!」
カリサが笑う。その姿が影となって、リオンハートの目の前から消えた。
後ろから、リオンハートの頭を掴む手があった。彼が反応するより早く、手がその頭を床へと叩きつける。
「……!」
「俺の十八番なんだよね。影分身ってすごく便利だ。相手の油断を簡単に誘う」
体を起こしたカリサは手を払いながらそう言う。上のエエカトルが息を吐く。
「……肝が冷えたぞ」
「そうか、エエカトルは見たことなかったか……ごめん。でも、敵を欺くにはまず味方からだ」
頭を強く打ち付けられたリオンハートが、血を額や鼻と口から垂らしながらゆっくりと起き上がる。その様子を見てカリサは笑う。
「やあ。床の味はどうだった?」
「……小癪な……」
「やだな。使えるものは使わないと」
カリサは大きく息を吸い込む。
「……俺の気質にはこっちの方が合ってるのかな。なんだかすごく……人間だった時より調子がいいんだ」
手を握ったり開いたりするカリサ。足元の影が渦巻く。
「だから、こんなことも出来る」
「!」
ずもも、と影が盛り上がる。それを見ていたエエカトルは目を見張る。目の前に、カリサが三人いる。それに囲まれたリオンハートは怯えた目をしていた。
「何……」
エエカトルすらも思わずゾクリとした。完全に狩る者と狩られる者の立場が定められた図だった。そこにいるのは若い風の精霊などではなく、血に飢えた殺戮者、戦神の如き気迫を宿した影の精霊だった。
* * *
エレン達は中庭に出た。ここは三階だが、城の中層に作られたものらしかった。空は吹き抜けになっていて、4階の廊下がぐるりと空を囲んでいる。
「……こんな場所が」
花壇があるが、花は植わっていない。植えられた樹木は伸び放題になっていて、中には枯れているものもある。蔦植物が自由に蔓延り長らく手入れされていないのが目に見えて分かる。
中庭の中心には池があった。蓮池だ。蓮華らしい花がぽつりと咲いている。水は濁って、底も深いのかよく見えない。
「……何か嫌な予感」
「俺もだ」
エレンのつぶやきに、エレボスが同意を示す。ハッとしてリリスが水面を指す。
「何かいますよ」
水面がボコボコと泡立っている。……完全に生物の気配だ。
「……ライナーの部下か」
「ご名答!」
どこからともなく声が聞こえたかと思うと、水面が急に盛り上がって人一人くらいの体積が飛び上がった。それが床に落ちたかと思うと、たちまち貴族風の男の姿になる。
「僕の名はアラドローク! 見ての通り翼水竜だ!」
「……見ての通りかは分からんが……」
ゼイアがそう言う。先ほど完全に水と化していたようだが、水竜族なのは確かだろう。
「……アラドローク? まさか、あの水竜の……」
リリスが顎に手を当てながらそう呟くと、彼は口角を上げる。
「その通り! この森に古くから棲む湖水竜、アラド様の息子だ! ……まぁ実の仔ではないのだけどね!」
フン! と胸を張るアラドローク。長く透き通った水色の髪といい、耳と歯さえ尖っていなければ白馬にでも乗ってきそうな奴だとエレンはこっそり思う。
「そしてその! 僕の父が殺されたと聞いた! やったのはお前たちだな!」
きり、と眉を吊り上げアラドロークはそう叫ぶ。いちいち声が大きい。
「あぁお労わしや父上! この僕が! 必ずや仇を討って見せましょう!」
そう言うなり、彼の周りに水が浮き上がる。そこで前に出たのはフェールだった。
「すまぬな。そなたの仇はここにおらぬ。だが代わりに私が相手をしよう」
「フェール」
エレンが驚いて言うと、彼は振り向く。
「見たであろう。相手は不定形の特性を持つ。なれば魔術の方が有効だ。ここは私に任せて先に進まれよ」
「ま、魔術ならやっぱり私も残ります!」
リリスが杖を両手で握りしめながら言うと、フェールはかぶりを振る。
「駄目だ。先ほど定めた通りに動け。貴重な魔導士をここで二人も裂けぬ。そなたは先に行ってエレン殿を助けてやってくれ」
「……でも」
「私に構うな。我は天狼ぞ。何者にも負けはせぬ」
そう言って微笑むフェールに、アラドロークは反応して手を合わせる。
「天狼だって?! 竜伐で多くの竜を殺したっていうあの影の狼か! ヒュウ! この僕の相手にとって不足なしだ!」
「そんなに悠長で良いのか。そなたも水に還るぞ」
フェールは杖を水竜へと向ける。
「……リリス。後のことは任せたぞ」
「………はい」
リリスは下がると、エレン達に呼びかけた。
「行きましょう!」
「あぁ」
エレンは答え、先に走り出したリリスの後について行く。皆がそうして去った後、フェールは横目で見送っていた視線をアラドロークへと戻した。
「──────さて。やるか」
影が渦巻く。それと同時にアラドロークの周りにも水が集まった。水となって溶けた彼がそれと合体し、膨らんで行く。そして現れたのは、翼腕を持った蛇のような水竜、翼水竜だった。
* * *
「あと一体か……」
イアリがそう呟く。エレンはその顔を見る。
「……なぁ」
「ん?」
「お前も本当はロレンのとこ行きたいんじゃないのか」
するとイアリは目を見開くと、困ったように笑った。
「……んー、そりゃ。俺だってロレンが無事なのかすっごく心配でたまらないし、自分の手で助け出したい。でも、そんなわがまま言ってられないだろ」
残るメンバーはエレン、イアリ、エレボス、リリス、グリフ、そしてゼイアだ。次に待ち構えている敵に相対するのは、強制的にイアリとグリフということになる。
「俺は任されたことはちゃんとやる。……つっても説得力ないか……」
というのはレストへ行く時のロレンとのことを言っているのだろう。ことの顛末はレストに着いた時にエレンも大体聞いた。
「─────俺は、ライナーに敵わなかったんだ。グリフの力を以てしてもな。だから、俺がそこまで行ったって力にはなれないよ。だから、お前が先に行けるように俺は途中の敵を受け持つ。それでいいんだ」
「イアリ……」
「だからお前、ちゃんとロレンのこと助けて来いよ」
そんな会話をしている内に、広間に出た。何もなく伽藍としているが、礼拝堂のような場所だった。
「……竜族も神に祈るのか?」
ゼイアが言うと、グリフは首を振る。
「──────ないな。国を造った時の精霊の真似事だろう」
「真似事ね……必死だったんだな竜族も」
そう言いながら、ゼイアは何もない礼拝堂を見渡した。そして、正面の一点で視線を止める。
「……」
「どうした? ゼイア」
「そこ。何かいるぞ」
グリフの問いにゼイアが正面の地面を指差す。目をよくこらすと、その辺りの空間が僅かに揺らいでいるように見える。
「──────あーあ。バレたか。目が良いんだなお前」
じわりと風景が変化する。そこに現れたのは気怠げな様子の男だった。
「擬態……」
そういう能力なのか。それまで全く見えなかった。ゼイアは眉を上げる。
「いや。視覚より気配だ」
「ふぅん? そうか」
男は顎に手を当てながら斜め上を見、ぽりぽりと掻く。
「……僕は迷彩竜のラドール。ここでまぁ……待ってたわけだけど。僕は誰の相手をすればいい?」
名乗った男は怠そうな表情のまま面々を見渡す。グリフとイアリが前に出る。
「……エレン、約束だからな」
「──────あぁ」
エレンは手を握りしめて答える。そして皆を連れ立って礼拝堂の奥の扉へと向かった。ラドールはそれを横目で見送りながら、フワ、と欠伸をする。
「二人か……しかも片方は竜族?」
首を傾げながら、妙な色をした瞳がぎょろ、とグリフの方を向く。
「竜族のくせに精霊の肩を持つのか」
「我々嵐竜族は、精霊と共に生きることを選んだ種族だ……というのは語弊があるな。俺たちは自由に生きることを最も重要とする。故にそのために益のある道を選んだだけだ」
「分からないね。自由なら僕たちも持ってる」
「それが招いた結果があの竜伐だ。そしてお前たちは窮屈な森に囚われた。種族の柵にも」
「……お前結構ジジイだな。そういう説教は、いらないんだよね」
その言葉にイアリはえっと思ってグリフを見る。そう言えば彼の年齢を気にしたことがなかった。グリフはその視線に気が付くと帽子を目深に被った。
「……正確な歳はもう忘れたが8500年ほど生きている」
「え⁈ ……竜族の寿命ってどれくらいだ」
「竜族ではなく神界に生きるものの寿命だ。一万年ほどだと言われているが」
「そんなに爺さんだったのかグリフ……」
「まだそんなに老いてはいない」
ムッとした様子のグリフ。あの湖鮫竜とどちらが年上なのだろうとイアリはぼんやりと気になった。
グリフの周りを風が渦巻く。たちまちその姿が鷲獅子竜へと変貌する。ラドールの方は変身せず、相変わらず冷静な様子でその巨躯を見上げる。
「……わお。カッコいいね」
〈悠長だな。行くぞイアリ〉
「あぁ」
イアリも短剣を抜いて構える。グリフの甲高い一声を合図に、その場の戦いは動き出した。
#44 END
To be continued...
黒獅子竜が吼える。カリサの蹴りを受けた頭をぶるぶると振る。
「……頑丈すぎるだろ」
舌打ちしながらカリサは呟く。もう何度か攻撃は打ち込んだが、倒れる気配がない。
黒獅子竜が動く。単純な突進。
「当たるか!」
カリサはついと右へ飛ぶ。が、その直後にリオンハートは急に向きを変えてこちらへ向かってくる。
「なっ」
「カリサ!」
大きな牙が迫ったその時、エエカトルが風砲を放ち黒獅子竜の体を押しやった。
〈クソ! 風の精霊が! 鬱陶しいんだよ!〉
「……大口叩いてた割には余裕がなさそうだな」
〈黙れ! そう言うお前もそろそろ限界なんじゃないのか?〉
「馬鹿言うな。これくらいでくたばってちゃ、あいつと肩並べて戦えねェよ」
カリサはそれなりに満身創痍だった。爪や牙だけじゃない。この竜は樹木を操る。咆哮と共に床から鋭い植物が生えて来てカリサとエエカトルの肌を切り裂く。手の動きや詠唱のないその攻撃が読めずに苦戦を強いられている。
(打撃は……少しずつは効いてるみたいだが通りが甘いな。このままだとジリ貧だ)
エエカトルも疲れて来ている。先ほど見せた風の槍も、相当負荷が掛かっている。そう何発も連発出来る代物ではないだろう。
黒獅子竜の大きな手が飛んで来る。カリサはそれを潜り抜けるように躱すと腹の下へと潜り込む。影の中。床に両手を付くと力を籠める。両脇から影の棘が生えて獅子の腹に刺さる。
〈ぐお……!〉
「何だ、影の力は通るのか……」
「カリサ! 奴の胸を狙え!」
「!」
後ろ脚が踏みつけようと降りかかって来たのでカリサは影の中に逃げる。そして胸側に逆さに飛び出して蹴りを叩き込む。直前にエエカトルによって加速されたカリサの攻撃が、黒獅子竜を大きく仰け反らせた。
〈な……にっ」
しゅるしゅると黒獅子竜の体が闇となって解けたかと思うと、後に元の人型のリオンハートが現れる。受けたダメージを飲み込んでいる彼に、カリサは追い打ちをかける。
「“深淵なる投槍”──────!」
「ッ!」
リオンハートがこちらを睨む。床から生えた木のバリケードが影の槍を阻む。貫通はしたが威力が減衰したそれをリオンハートは躱す。
「……影の力も使うのか……」
「──────風属性より通り易そうだな」
カリサはそう言うと手の上に短剣を影で作り出す。
「闇と影はほぼ同質の属性だからな」
エエカトルがそう言うので、浮いている彼をカリサは見上げる。
「……同属性って効きにくいんじゃ?」
「闇と影の性質は特殊でな。同属性を一番苦手とする。光に対しては打ち消しも強めもするし──────」
「あぁあぁ分かった、とりあえず効くんだな」
ぽん、とカリサは影の短剣を投げて回転させてキャッチする。
「その様子だと、しばらく竜型にはなれないな」
「……ッ……」
「人型ならやりようはいくらでもある。……さっさとカタつけさせてもらうぞ」
「ナメた口を!」
リオンハートは突っ込んでくる。さっきまで竜型だったせいか、獅子のような動きがそこに見える。横から猫パンチのように繰り出された右手をカリサは上体を後ろに反らしながら避けると短剣を握った右手でパンチを繰り出す。顔を狙ったその攻撃は躱され、反撃に後ろ蹴りが繰り出される。それとその回転のままに繰り出された両手の引っ掻くような攻撃を躱し、カリサは短剣でリオンハートの首を狙う。
「!」
その刃を、リオンハートの歯が捉えてあろうことか噛み砕く。その口角がニヤリと吊り上がり、思わず怯んだその隙に。カリサは胸に強い衝撃を受けた。
「……!!」
「………カリサ!」
エエカトルが叫ぶ。カリサは遅れて血をごぼりと吐く。リオンハートの右手が胸を貫通している。
「クハハ! 貫いたぞ! お返しだ!」
「……ク……ソ……」
意識が遠のく。笑うリオンハートの顔も、エエカトルの声もどこか遠い──────……
「……なーんちゃって」
「?!」
カリサが笑う。その姿が影となって、リオンハートの目の前から消えた。
後ろから、リオンハートの頭を掴む手があった。彼が反応するより早く、手がその頭を床へと叩きつける。
「……!」
「俺の十八番なんだよね。影分身ってすごく便利だ。相手の油断を簡単に誘う」
体を起こしたカリサは手を払いながらそう言う。上のエエカトルが息を吐く。
「……肝が冷えたぞ」
「そうか、エエカトルは見たことなかったか……ごめん。でも、敵を欺くにはまず味方からだ」
頭を強く打ち付けられたリオンハートが、血を額や鼻と口から垂らしながらゆっくりと起き上がる。その様子を見てカリサは笑う。
「やあ。床の味はどうだった?」
「……小癪な……」
「やだな。使えるものは使わないと」
カリサは大きく息を吸い込む。
「……俺の気質にはこっちの方が合ってるのかな。なんだかすごく……人間だった時より調子がいいんだ」
手を握ったり開いたりするカリサ。足元の影が渦巻く。
「だから、こんなことも出来る」
「!」
ずもも、と影が盛り上がる。それを見ていたエエカトルは目を見張る。目の前に、カリサが三人いる。それに囲まれたリオンハートは怯えた目をしていた。
「何……」
エエカトルすらも思わずゾクリとした。完全に狩る者と狩られる者の立場が定められた図だった。そこにいるのは若い風の精霊などではなく、血に飢えた殺戮者、戦神の如き気迫を宿した影の精霊だった。
* * *
エレン達は中庭に出た。ここは三階だが、城の中層に作られたものらしかった。空は吹き抜けになっていて、4階の廊下がぐるりと空を囲んでいる。
「……こんな場所が」
花壇があるが、花は植わっていない。植えられた樹木は伸び放題になっていて、中には枯れているものもある。蔦植物が自由に蔓延り長らく手入れされていないのが目に見えて分かる。
中庭の中心には池があった。蓮池だ。蓮華らしい花がぽつりと咲いている。水は濁って、底も深いのかよく見えない。
「……何か嫌な予感」
「俺もだ」
エレンのつぶやきに、エレボスが同意を示す。ハッとしてリリスが水面を指す。
「何かいますよ」
水面がボコボコと泡立っている。……完全に生物の気配だ。
「……ライナーの部下か」
「ご名答!」
どこからともなく声が聞こえたかと思うと、水面が急に盛り上がって人一人くらいの体積が飛び上がった。それが床に落ちたかと思うと、たちまち貴族風の男の姿になる。
「僕の名はアラドローク! 見ての通り翼水竜だ!」
「……見ての通りかは分からんが……」
ゼイアがそう言う。先ほど完全に水と化していたようだが、水竜族なのは確かだろう。
「……アラドローク? まさか、あの水竜の……」
リリスが顎に手を当てながらそう呟くと、彼は口角を上げる。
「その通り! この森に古くから棲む湖水竜、アラド様の息子だ! ……まぁ実の仔ではないのだけどね!」
フン! と胸を張るアラドローク。長く透き通った水色の髪といい、耳と歯さえ尖っていなければ白馬にでも乗ってきそうな奴だとエレンはこっそり思う。
「そしてその! 僕の父が殺されたと聞いた! やったのはお前たちだな!」
きり、と眉を吊り上げアラドロークはそう叫ぶ。いちいち声が大きい。
「あぁお労わしや父上! この僕が! 必ずや仇を討って見せましょう!」
そう言うなり、彼の周りに水が浮き上がる。そこで前に出たのはフェールだった。
「すまぬな。そなたの仇はここにおらぬ。だが代わりに私が相手をしよう」
「フェール」
エレンが驚いて言うと、彼は振り向く。
「見たであろう。相手は不定形の特性を持つ。なれば魔術の方が有効だ。ここは私に任せて先に進まれよ」
「ま、魔術ならやっぱり私も残ります!」
リリスが杖を両手で握りしめながら言うと、フェールはかぶりを振る。
「駄目だ。先ほど定めた通りに動け。貴重な魔導士をここで二人も裂けぬ。そなたは先に行ってエレン殿を助けてやってくれ」
「……でも」
「私に構うな。我は天狼ぞ。何者にも負けはせぬ」
そう言って微笑むフェールに、アラドロークは反応して手を合わせる。
「天狼だって?! 竜伐で多くの竜を殺したっていうあの影の狼か! ヒュウ! この僕の相手にとって不足なしだ!」
「そんなに悠長で良いのか。そなたも水に還るぞ」
フェールは杖を水竜へと向ける。
「……リリス。後のことは任せたぞ」
「………はい」
リリスは下がると、エレン達に呼びかけた。
「行きましょう!」
「あぁ」
エレンは答え、先に走り出したリリスの後について行く。皆がそうして去った後、フェールは横目で見送っていた視線をアラドロークへと戻した。
「──────さて。やるか」
影が渦巻く。それと同時にアラドロークの周りにも水が集まった。水となって溶けた彼がそれと合体し、膨らんで行く。そして現れたのは、翼腕を持った蛇のような水竜、翼水竜だった。
* * *
「あと一体か……」
イアリがそう呟く。エレンはその顔を見る。
「……なぁ」
「ん?」
「お前も本当はロレンのとこ行きたいんじゃないのか」
するとイアリは目を見開くと、困ったように笑った。
「……んー、そりゃ。俺だってロレンが無事なのかすっごく心配でたまらないし、自分の手で助け出したい。でも、そんなわがまま言ってられないだろ」
残るメンバーはエレン、イアリ、エレボス、リリス、グリフ、そしてゼイアだ。次に待ち構えている敵に相対するのは、強制的にイアリとグリフということになる。
「俺は任されたことはちゃんとやる。……つっても説得力ないか……」
というのはレストへ行く時のロレンとのことを言っているのだろう。ことの顛末はレストに着いた時にエレンも大体聞いた。
「─────俺は、ライナーに敵わなかったんだ。グリフの力を以てしてもな。だから、俺がそこまで行ったって力にはなれないよ。だから、お前が先に行けるように俺は途中の敵を受け持つ。それでいいんだ」
「イアリ……」
「だからお前、ちゃんとロレンのこと助けて来いよ」
そんな会話をしている内に、広間に出た。何もなく伽藍としているが、礼拝堂のような場所だった。
「……竜族も神に祈るのか?」
ゼイアが言うと、グリフは首を振る。
「──────ないな。国を造った時の精霊の真似事だろう」
「真似事ね……必死だったんだな竜族も」
そう言いながら、ゼイアは何もない礼拝堂を見渡した。そして、正面の一点で視線を止める。
「……」
「どうした? ゼイア」
「そこ。何かいるぞ」
グリフの問いにゼイアが正面の地面を指差す。目をよくこらすと、その辺りの空間が僅かに揺らいでいるように見える。
「──────あーあ。バレたか。目が良いんだなお前」
じわりと風景が変化する。そこに現れたのは気怠げな様子の男だった。
「擬態……」
そういう能力なのか。それまで全く見えなかった。ゼイアは眉を上げる。
「いや。視覚より気配だ」
「ふぅん? そうか」
男は顎に手を当てながら斜め上を見、ぽりぽりと掻く。
「……僕は迷彩竜のラドール。ここでまぁ……待ってたわけだけど。僕は誰の相手をすればいい?」
名乗った男は怠そうな表情のまま面々を見渡す。グリフとイアリが前に出る。
「……エレン、約束だからな」
「──────あぁ」
エレンは手を握りしめて答える。そして皆を連れ立って礼拝堂の奥の扉へと向かった。ラドールはそれを横目で見送りながら、フワ、と欠伸をする。
「二人か……しかも片方は竜族?」
首を傾げながら、妙な色をした瞳がぎょろ、とグリフの方を向く。
「竜族のくせに精霊の肩を持つのか」
「我々嵐竜族は、精霊と共に生きることを選んだ種族だ……というのは語弊があるな。俺たちは自由に生きることを最も重要とする。故にそのために益のある道を選んだだけだ」
「分からないね。自由なら僕たちも持ってる」
「それが招いた結果があの竜伐だ。そしてお前たちは窮屈な森に囚われた。種族の柵にも」
「……お前結構ジジイだな。そういう説教は、いらないんだよね」
その言葉にイアリはえっと思ってグリフを見る。そう言えば彼の年齢を気にしたことがなかった。グリフはその視線に気が付くと帽子を目深に被った。
「……正確な歳はもう忘れたが8500年ほど生きている」
「え⁈ ……竜族の寿命ってどれくらいだ」
「竜族ではなく神界に生きるものの寿命だ。一万年ほどだと言われているが」
「そんなに爺さんだったのかグリフ……」
「まだそんなに老いてはいない」
ムッとした様子のグリフ。あの湖鮫竜とどちらが年上なのだろうとイアリはぼんやりと気になった。
グリフの周りを風が渦巻く。たちまちその姿が鷲獅子竜へと変貌する。ラドールの方は変身せず、相変わらず冷静な様子でその巨躯を見上げる。
「……わお。カッコいいね」
〈悠長だな。行くぞイアリ〉
「あぁ」
イアリも短剣を抜いて構える。グリフの甲高い一声を合図に、その場の戦いは動き出した。
#44 END
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