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第三章 精霊の御霊
#41 夜明けと共に
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────神暦38326年3月28日────
夜が明けて、人型になったローフィリアとリリスと共にエレンは皆の元へ戻って来た。そこでは兄とイアリが体を動かしていた。
「おはよ」
「おはようございます」
「おう、おはようエレンにリリー。どこで寝てたんだ?」
伸びをしながら、グレンはそう聞いて来る。「ちょっとその辺で」とエレンは曖昧に笑う。そこへイアリが近付いて来る。
「おはよ。調子はどうだ」
「いつも通りだ。よく眠れたし」
「そか。俺もグリフのお陰でぐっすり」
船の上を見上げると、まだ鷲獅子竜姿のグリフがまだ寝ている。一緒に寝ていたのだろうか。
と、グレンはエレンがリリスと共に来たことが気になったようで二人を交互に見る。
「……何で二人?」
「いや、色々あって……」
と、ローフィリアに視線を落とす。そこでようやくグレンとイアリは彼の存在に気が付いたようだった。
「あ、目が覚めたのかお前」
「……えっと、はじめまして。僕は闇白竜のローフィリア。よろしく……」
他の精霊はやはりまだ少し怖いのか、ローフィリアはそう言うと僅かにエレンの後ろに隠れた。
「そっか。お前がエレンを助けてくれたんだってな。ありがとう。俺はエレンの兄貴のグレンだ。よろしく」
グレンがそう言って笑うと、イアリも続く。
「俺はイアリ。あっちは俺の……相棒のグリフだ」
と、上で眠っている鷲獅竜を指差す。
「竜族と友だちなの?」
「あぁ」
イアリが笑うと、ローフィリアは少しばかり警戒が解けたようだった。エレンは彼の背中に手を置いて笑う。
「大丈夫だよ。こいつらはお前が闇竜族だからって怖がったりしない」
「……ほんとに?」
「お前が悪い竜じゃないのは俺が保証するし。な、だから隠れなくても大丈夫」
「はい。私も知ってます」
リリスもそう言って頷く。ローフィリアはホッとしたような顔をする。
「…………そう言えば、フェールは?」
「フェール? 見てないが……カ……アスラたちもいねェし」
「え?」
あの後、フェールはどうしたのだろう。あのまま帰って来ないなんてことはないだろうが、少し心配だ。
「……大丈夫か?」
「え? 何が」
「いや、何かあったのかと……」
こういう時、グレンは妙に鋭い。エレンは眉を下げ首を振る。
「……いや何も。姿が見えないから、気になっただけだ。……ゼイアとアレスとエレボスは?」
「エレボスはまだ寝てる。アレスはもっと早くに起きてどこかへ鍛錬へ……俺も行こうと思ったんだけど眠くて。ゼイアはそれに付いてった」
「じゃあその内戻って来るか」
それにしてもグリフとエレボスは随分とのんびりしている。グリフは半分獅子だし、どうもネコ科動物らしい。
と、その時近付いて来る二つの足音が聞こえた。
「おーい」
「あ」
カリサとエエカトルが何かを持って戻って来た。エエカトルは薪になりそうな枝を持っているが、カリサの方は小さな動物の死骸を二つ手にしている。
「……それは?」
「朝飯になるかなと思って……獲って来たんだけど」
茶色いふさふさの小さな獣だ。耳と尾が長いその獣には見覚えがある。
「……ラビリスか。故郷の山でよく獲らされてたっけ……」
「あぁ、あれか。そうだな。……神界にも同じのがいって!」
グレンの言葉にエレンはノールックで足を踏む。リリスが横で首を傾げている。グレンは一瞬抗議の目をしたあとハッとして顔を逸らした。
「食えるのか?」
「勿論。なかなか美味い」
エレンは頷き、そして獣を指差しながらカリサに問う。
「……お前捌ける?」
「………………いや」
プライドが邪魔したのか、妙に長い間のあとカリサは答えた。まぁそんな経験はないのだろう。仕方ない、とエレンはカリサから二匹を受け取る。そして一匹を兄に差し出す。
「一匹頼むわ」
「うい」
何とはなしに受け取るグレン。それを見てカリサは目を細める。
「……お前ら何でも出来るわけ……?」
「山育ちは伊達じゃないぜ。な」
「ああ。フェールに色々仕込まれた。……狩りの仕方とか山の走り方とか……」
狼の仔の様な育てられ方をした気がする。それしかフェールは知らなかったのかもしれないが。
「…………」
やっぱりフェールのことが気掛かりだ。彼がエレンのことを想っているのは分かっている。ローフィリアを排除しようとしたのだって、そもそもはその為だ。エレンが庇ったが為に、目的と手段が食い違ってしまったのだ。
どうすれば良かったのだろう、と思う。どうしようもなかったのだとも思う。そして、フェールを見つけて声を掛けるべきも、自分ではない。
「……エレン? どうした?」
「! ……何でもない」
グレンに顔を覗き込まれて、エレンはハッとする。
「ナイフか何か貸してくれ。道具がない」
「仕方ないな……」
「何でも持ってるのか……」
カリサがもう一つ呆れたようにそう言う。サブ武器としての短剣と何かあった時に使えるツールとしてのナイフくらいは持っている。備えあれば憂いなしだ。突然サバイバル環境に放り込まれても生き延びれるくらいの装備はいつも揃えてある。
グレンにナイフの方を渡し、自分は短剣の方を使うことにする。こっちだと少し難しいが……兄弟の中で一番上手くてフェールに褒められたプライドがある。
よし、とエレンは腕をまくり、兄と共に腹拵えの準備を始めるのだった。
* * *
────少し前────
明朝。アレスに釣られて出て来たゼイアはしばらくは彼の鍛錬に付き合っていた。とは言え、体を少し動かしたあとはじっと瞑想しているので、それには流石にゼイアも飽きていた。こういうのは性に合わない。
そっと集中しているアレスを置いて、ゼイアは森の中の探索に出る。フェールとリリスが張った結界はそれなりに広範囲だった。竜の気配もなく、暗い森の中を進む。────堕ちて闇属性を持つ様になってから、こういう環境が落ち着くようになった。夜の眠りも浅い。元から寝付きが良いタイプではなかったが、余計にだ。だから夜はほとんど起きていた。日が昇る前に目覚めたアレスについて来たのはその為だ。だが、結局アレスは眠っているようなものだ。
「……?」
森の暗闇の中に、騒ついた気配を感じた。森の影が蠢いている。足元の影が這い回ってどこかへ集まって行く感じだ。妙だ、と思いながらゼイアはその気配の元へと向かった。
半ば予想はしていたが、不自然に暗くなったそこにいたのは巨大な漆黒の狼だった。翼で体を覆い、うずくまっている。歪みながらも見知った気配にゼイアはため息を吐いた。
「……随分と荒れてるな天狼。何か嫌なことでもあったか」
〈…………何をしに来た堕天使。放っておけ。喰われたくなければな〉
顔を上げぬまま、くぐもった低い声が漆黒の狼から発される。苛立った様に尾が地面に何度か叩きつけられる。ゼイアはそれを恐れることなく続ける。
「誰を喰うって。八つ当たりはバカのすることだ。ダサいぜ。親子喧嘩でもしたか?」
ピク、と翼が反応したかと思うと、閉じていたそれが開いて影狼の顔が現れる。漆黒の中で唯一光を持った四つの瞳がゼイアを捉える。
「何だ。睨んでも怖くないぜ。話を聞こうかって言ってんだよ。姿は……どっちでもいいけど。戻れないって言うなら戻してやるが?」
そう言って、ゼイアは首を傾げて狼を指差す。ぐるると狼は唸った。辺りの影は絶え間なくその体へと流れ込んでいるように見える。
「……ヤケ喰いは感心しないな。森の影がハゲるぞ」
〈去れと言っている。聞こえぬのか〉
「聞こえてる。お前の言葉を聞き入れるつもりがないだけだ」
〈死にたいのか─────!〉
ぐわ、と狼が顎門を開き立ち上がる。それと同時に、ゼイアはパチンと指を鳴らす。途端に集まっていた影が辺りに還って行く。
「────っ!」
がく、と人型に戻ったフェールがその中から現れ、膝をつく。荒い息をし、まだ獣の目をしたフェールにゼイアはゆっくりと歩み寄る。
「アンタおかしくなってるな。エレメントに呑まれかけてる。……自然起源の精霊ってそういうモンか? ……えーと……そうだな……」
ゼイアは少し考えると、空中で少し指を振り、それをフェールに向ける。
「“Dal Exos”」
辺りの影が晴れて行く。フェールの目に理性が戻る。───ハッとした彼は顔を抑え、目だけで辺りを見回した後、その目がゼイアを捉える。
「私は────」
「正気に戻ったか。アンタほどの精霊がそこまで取り乱すとはな。……何があった」
「……すまない。少し気を……整えるつもりだったのだが」
「来たのが俺で良かったな。……さて? 何か吐き出したいことがあるなら聞くが?」
膝をついたままのフェールの目の前に、ゼイアは屈む。フェールは焦燥した目を地面に落とすと、正座した。ゼイアは隣に座り直す。フェールは視線を泳がせた後、口を開いた。
「…………エレン殿に手酷いことをした」
「……あ? 親子喧嘩が図星かよ。……らしくないな」
「そんなつもりは無かったのだ。私は、ただ、エレン殿の身を案じただけだ。だのに……」
フェールは顔を上げると、ゼイアの方を見る。
「……あの闇白竜の仔に、眠りの術を掛けたのはそなただな」
「ん? あぁ。アレか。そうだな。治したついでに目覚めちゃ面倒かと……あぁ、なるほど? 闇竜族をエレンが囲って不安だったわけだ」
ゼイアは生来の精霊ではないが、神界での闇竜族と精霊の実情は何となく分かっている。ただ、自身の感覚としてそれを持ち合わせてはいないが。
「私は自身の過去の過ちから、闇竜族をとんと許せぬ。今まで出遭って来た闇竜族は、いずれも違わず暴虐に満ちておった。時には善を装う者も見た。……エレン殿はまだ若い。私は……彼を何も知らぬ者と断じ、その手から闇竜族の仔を取り上げようとした」
「まぁ、分からんでもない」
自分も一般には忌避される悪魔────堕天使の一人であることを思う。何か自分が企んでいると言われても文句は言えない。自分がまともな神徒であったならば、間違いなくそう断ずる。いや、今でさえ自分以外の堕天使や悪魔が友好を装っても疑う。
「────ままならぬものだ。護るべきものを護るだけのことなのに、その為に護るべきものを傷付けねばならんとは。……結果、それも必要のないことだったが。私はただ……エレン殿を傷付けただけだ」
フェールは己の手を見、そしてぐっと握り締める。
「挙句に排除しようとした者が、私の凶牙からエレン殿を護る始末だ。私は……それを見て、己の意義が分からなくなった。居た堪れずに逃げ出した」
「そんでこんな所で影のバケモンになり掛けてたってところか」
「ふ。精神の乱れで自然に呑まれるとは、我が身もまだ未熟よの」
自虐的にフェールは笑う。そしてその色を残した目をゼイアに向ける。
「嗤いたくば嗤えば良い。私は愚かで矮小なただの獣に過ぎぬ。過去に捉われ、目的の為にその根幹すら見失う」
「随分と自分を卑下するモンだ。それともアンタは俺を高尚なものだと思ってるのか?」
そう言ってゼイアは翼を広げ、自分の頭の上の方を見る。
「まぁ────俺だって護るべきものがある。そして護りたいものがあった。けど…………物事はそう簡単には行かない」
翼を畳む。そして膝を抱えた。
「何をしたら神徒が堕ちるか知ってるか。仲間殺しだ。殺した神徒の血が神徒に穢れをもたらす。…………目的が何であれだ」
「……そなた」
「後悔は、していない。俺は断つべき悪を断っただけだ。純潔に見える天界も、全てが完璧じゃない」
堕ちたその日のことを思い出して、ゼイアは大きなため息を吐く。
「────翼が黒に染まって、頭に角が生えても、俺は自分のままだった。普通は意思が闇に染まって、破壊衝動に襲われる。そうしたらそのまま天界で殺されるか、拘束されて全権限を剥奪された上で魔界に追放されるかだ。……でも、そうはならなかった」
広げた手のひらの上に光が集まる。それが二つの小さな玉になって、くるくると回りながら辺りへ散って森の中を微かに照らす。
「……つまりだ。一つの失敗で、必ずしも全部がおしまいになる訳じゃない。そこに正しい信念があるならな。アンタは何も失っちゃいない。護るべきものを知ってる。だから悔いてる。失敗したなら学べばいい」
「エレン殿は……許してくれるだろうか」
「それはきっと大丈夫だ。長い付き合いなんだろ」
そう。信頼のおける者同士なら、歪みの修復も早い。
「アンタがなぜそんな事をしたのか、エレンにだって分かってるはずだ。その上で立ち向かった。……成長を喜ぶところじゃないのか? ここは」
「────そうか。そうかもしれんな」
フェールはそしてフッと笑った。ゼイアも眉を上げてやれやれと笑う。
「意外だ。アンタみたいなのでも色々思い悩むことがあるんだな。知れて良かったよ」
「嫌味な奴だ。……しかし助かった。私の身のこともな」
「良いってことよ」
ゼイアは立ち上がると、元来た方へ顎で促した。
「戻ろうぜ。もう夜が明ける。早くロレンの奴を助けに行かねェと」
「あぁ。そうだな。この様な場所で腐っている場合ではない」
フェールは立ち上がる。消耗していたはずの彼の肌艶が、心なしか良い。
「……ヤケ喰いの効果か? すっかり元気だな」
「魔力の補充にはなったな。獣の身も多少は便利だ」
「そうか。そりゃあ良い」
はは、と笑いあって、二人は飛空挺を目指して歩き出した。
* * *
朝食の準備が出来た頃に、フェールとゼイアは戻って来た。先に戻って来ていたアレスがゼイアに気付いて言う。
「途中で消えたが、どこに行っていたんだ?」
「ちょいと散歩に。お前の鍛錬動かな過ぎてつまらねェんだよ」
「何。あれは闘気を高める重要な────」
「はいはい」
「アレス、今度それ俺も一緒に連れてってくれよ」
グレンが口を挟む。起きられるのならな、と言うアレスとげんなりした顔のゼイア。自動的に付き合わされるのが目に見えている。人界では一人散歩に行く訳にもいかない。
「フェール、どこ行ってたんだ」
「っ……」
それを眺めていたところにエレンに話しかけられて、フェールはどきりとする。心の整理はつけて来たはずだが、いざ当人を目の前にすると言葉が詰まる。
「…………その」
「え? あ、怒ってないって。ほら見ろ! どこも怪我してないし、もうどこも痛くない」
と、そう言ってエレンは両腕を広げて見せる。そしてフェールは、彼がその手に持っているものに気付く。
「……それは?」
エレンも手に持っていた肉のついた串のことを思い出した。
「朝飯だよ。カリサが獲って来て……ほら、ルグマルの近くにもいっぱいいただろ、ラビリス。で、俺と兄貴で捌いたんだ。上手く出来てるだろ。兄貴は相変わらず下手でさー」
と、ややボロボロな肉の方を見せながら、エレンはやれやれと肩を竦める。刺さっている串も、その辺の枝をナイフで削ったものだ。削り方から、一目でフェールは二人のどちらが作ったものなのかが分かる。
「…………エレン殿は昔から手先が器用だな」
「そうだろ。はい、じゃフェールにはこっちをやる」
正直、エレメントの吸収し過ぎで腹はいっぱいだが、精霊にも別腹というものがある。綺麗な方の串を受け取ると、フェールは微笑む。
「ありがとう。頂こう」
「おう。あ、調理してから何だけど、これ人界の奴と同じだよな?」
「無論だ。影狼の仔もラビリスから狩りを始める」
「そうか、だからか」
妙に納得した顔でエレンは肉を食む。うん、美味いと漏らすその様子を見ていると、フェールの中に暖かな気持ちが湧き上がる。それを大事にしようと、天狼は心に誓うのだった。
#41 END
To be continued...
夜が明けて、人型になったローフィリアとリリスと共にエレンは皆の元へ戻って来た。そこでは兄とイアリが体を動かしていた。
「おはよ」
「おはようございます」
「おう、おはようエレンにリリー。どこで寝てたんだ?」
伸びをしながら、グレンはそう聞いて来る。「ちょっとその辺で」とエレンは曖昧に笑う。そこへイアリが近付いて来る。
「おはよ。調子はどうだ」
「いつも通りだ。よく眠れたし」
「そか。俺もグリフのお陰でぐっすり」
船の上を見上げると、まだ鷲獅子竜姿のグリフがまだ寝ている。一緒に寝ていたのだろうか。
と、グレンはエレンがリリスと共に来たことが気になったようで二人を交互に見る。
「……何で二人?」
「いや、色々あって……」
と、ローフィリアに視線を落とす。そこでようやくグレンとイアリは彼の存在に気が付いたようだった。
「あ、目が覚めたのかお前」
「……えっと、はじめまして。僕は闇白竜のローフィリア。よろしく……」
他の精霊はやはりまだ少し怖いのか、ローフィリアはそう言うと僅かにエレンの後ろに隠れた。
「そっか。お前がエレンを助けてくれたんだってな。ありがとう。俺はエレンの兄貴のグレンだ。よろしく」
グレンがそう言って笑うと、イアリも続く。
「俺はイアリ。あっちは俺の……相棒のグリフだ」
と、上で眠っている鷲獅竜を指差す。
「竜族と友だちなの?」
「あぁ」
イアリが笑うと、ローフィリアは少しばかり警戒が解けたようだった。エレンは彼の背中に手を置いて笑う。
「大丈夫だよ。こいつらはお前が闇竜族だからって怖がったりしない」
「……ほんとに?」
「お前が悪い竜じゃないのは俺が保証するし。な、だから隠れなくても大丈夫」
「はい。私も知ってます」
リリスもそう言って頷く。ローフィリアはホッとしたような顔をする。
「…………そう言えば、フェールは?」
「フェール? 見てないが……カ……アスラたちもいねェし」
「え?」
あの後、フェールはどうしたのだろう。あのまま帰って来ないなんてことはないだろうが、少し心配だ。
「……大丈夫か?」
「え? 何が」
「いや、何かあったのかと……」
こういう時、グレンは妙に鋭い。エレンは眉を下げ首を振る。
「……いや何も。姿が見えないから、気になっただけだ。……ゼイアとアレスとエレボスは?」
「エレボスはまだ寝てる。アレスはもっと早くに起きてどこかへ鍛錬へ……俺も行こうと思ったんだけど眠くて。ゼイアはそれに付いてった」
「じゃあその内戻って来るか」
それにしてもグリフとエレボスは随分とのんびりしている。グリフは半分獅子だし、どうもネコ科動物らしい。
と、その時近付いて来る二つの足音が聞こえた。
「おーい」
「あ」
カリサとエエカトルが何かを持って戻って来た。エエカトルは薪になりそうな枝を持っているが、カリサの方は小さな動物の死骸を二つ手にしている。
「……それは?」
「朝飯になるかなと思って……獲って来たんだけど」
茶色いふさふさの小さな獣だ。耳と尾が長いその獣には見覚えがある。
「……ラビリスか。故郷の山でよく獲らされてたっけ……」
「あぁ、あれか。そうだな。……神界にも同じのがいって!」
グレンの言葉にエレンはノールックで足を踏む。リリスが横で首を傾げている。グレンは一瞬抗議の目をしたあとハッとして顔を逸らした。
「食えるのか?」
「勿論。なかなか美味い」
エレンは頷き、そして獣を指差しながらカリサに問う。
「……お前捌ける?」
「………………いや」
プライドが邪魔したのか、妙に長い間のあとカリサは答えた。まぁそんな経験はないのだろう。仕方ない、とエレンはカリサから二匹を受け取る。そして一匹を兄に差し出す。
「一匹頼むわ」
「うい」
何とはなしに受け取るグレン。それを見てカリサは目を細める。
「……お前ら何でも出来るわけ……?」
「山育ちは伊達じゃないぜ。な」
「ああ。フェールに色々仕込まれた。……狩りの仕方とか山の走り方とか……」
狼の仔の様な育てられ方をした気がする。それしかフェールは知らなかったのかもしれないが。
「…………」
やっぱりフェールのことが気掛かりだ。彼がエレンのことを想っているのは分かっている。ローフィリアを排除しようとしたのだって、そもそもはその為だ。エレンが庇ったが為に、目的と手段が食い違ってしまったのだ。
どうすれば良かったのだろう、と思う。どうしようもなかったのだとも思う。そして、フェールを見つけて声を掛けるべきも、自分ではない。
「……エレン? どうした?」
「! ……何でもない」
グレンに顔を覗き込まれて、エレンはハッとする。
「ナイフか何か貸してくれ。道具がない」
「仕方ないな……」
「何でも持ってるのか……」
カリサがもう一つ呆れたようにそう言う。サブ武器としての短剣と何かあった時に使えるツールとしてのナイフくらいは持っている。備えあれば憂いなしだ。突然サバイバル環境に放り込まれても生き延びれるくらいの装備はいつも揃えてある。
グレンにナイフの方を渡し、自分は短剣の方を使うことにする。こっちだと少し難しいが……兄弟の中で一番上手くてフェールに褒められたプライドがある。
よし、とエレンは腕をまくり、兄と共に腹拵えの準備を始めるのだった。
* * *
────少し前────
明朝。アレスに釣られて出て来たゼイアはしばらくは彼の鍛錬に付き合っていた。とは言え、体を少し動かしたあとはじっと瞑想しているので、それには流石にゼイアも飽きていた。こういうのは性に合わない。
そっと集中しているアレスを置いて、ゼイアは森の中の探索に出る。フェールとリリスが張った結界はそれなりに広範囲だった。竜の気配もなく、暗い森の中を進む。────堕ちて闇属性を持つ様になってから、こういう環境が落ち着くようになった。夜の眠りも浅い。元から寝付きが良いタイプではなかったが、余計にだ。だから夜はほとんど起きていた。日が昇る前に目覚めたアレスについて来たのはその為だ。だが、結局アレスは眠っているようなものだ。
「……?」
森の暗闇の中に、騒ついた気配を感じた。森の影が蠢いている。足元の影が這い回ってどこかへ集まって行く感じだ。妙だ、と思いながらゼイアはその気配の元へと向かった。
半ば予想はしていたが、不自然に暗くなったそこにいたのは巨大な漆黒の狼だった。翼で体を覆い、うずくまっている。歪みながらも見知った気配にゼイアはため息を吐いた。
「……随分と荒れてるな天狼。何か嫌なことでもあったか」
〈…………何をしに来た堕天使。放っておけ。喰われたくなければな〉
顔を上げぬまま、くぐもった低い声が漆黒の狼から発される。苛立った様に尾が地面に何度か叩きつけられる。ゼイアはそれを恐れることなく続ける。
「誰を喰うって。八つ当たりはバカのすることだ。ダサいぜ。親子喧嘩でもしたか?」
ピク、と翼が反応したかと思うと、閉じていたそれが開いて影狼の顔が現れる。漆黒の中で唯一光を持った四つの瞳がゼイアを捉える。
「何だ。睨んでも怖くないぜ。話を聞こうかって言ってんだよ。姿は……どっちでもいいけど。戻れないって言うなら戻してやるが?」
そう言って、ゼイアは首を傾げて狼を指差す。ぐるると狼は唸った。辺りの影は絶え間なくその体へと流れ込んでいるように見える。
「……ヤケ喰いは感心しないな。森の影がハゲるぞ」
〈去れと言っている。聞こえぬのか〉
「聞こえてる。お前の言葉を聞き入れるつもりがないだけだ」
〈死にたいのか─────!〉
ぐわ、と狼が顎門を開き立ち上がる。それと同時に、ゼイアはパチンと指を鳴らす。途端に集まっていた影が辺りに還って行く。
「────っ!」
がく、と人型に戻ったフェールがその中から現れ、膝をつく。荒い息をし、まだ獣の目をしたフェールにゼイアはゆっくりと歩み寄る。
「アンタおかしくなってるな。エレメントに呑まれかけてる。……自然起源の精霊ってそういうモンか? ……えーと……そうだな……」
ゼイアは少し考えると、空中で少し指を振り、それをフェールに向ける。
「“Dal Exos”」
辺りの影が晴れて行く。フェールの目に理性が戻る。───ハッとした彼は顔を抑え、目だけで辺りを見回した後、その目がゼイアを捉える。
「私は────」
「正気に戻ったか。アンタほどの精霊がそこまで取り乱すとはな。……何があった」
「……すまない。少し気を……整えるつもりだったのだが」
「来たのが俺で良かったな。……さて? 何か吐き出したいことがあるなら聞くが?」
膝をついたままのフェールの目の前に、ゼイアは屈む。フェールは焦燥した目を地面に落とすと、正座した。ゼイアは隣に座り直す。フェールは視線を泳がせた後、口を開いた。
「…………エレン殿に手酷いことをした」
「……あ? 親子喧嘩が図星かよ。……らしくないな」
「そんなつもりは無かったのだ。私は、ただ、エレン殿の身を案じただけだ。だのに……」
フェールは顔を上げると、ゼイアの方を見る。
「……あの闇白竜の仔に、眠りの術を掛けたのはそなただな」
「ん? あぁ。アレか。そうだな。治したついでに目覚めちゃ面倒かと……あぁ、なるほど? 闇竜族をエレンが囲って不安だったわけだ」
ゼイアは生来の精霊ではないが、神界での闇竜族と精霊の実情は何となく分かっている。ただ、自身の感覚としてそれを持ち合わせてはいないが。
「私は自身の過去の過ちから、闇竜族をとんと許せぬ。今まで出遭って来た闇竜族は、いずれも違わず暴虐に満ちておった。時には善を装う者も見た。……エレン殿はまだ若い。私は……彼を何も知らぬ者と断じ、その手から闇竜族の仔を取り上げようとした」
「まぁ、分からんでもない」
自分も一般には忌避される悪魔────堕天使の一人であることを思う。何か自分が企んでいると言われても文句は言えない。自分がまともな神徒であったならば、間違いなくそう断ずる。いや、今でさえ自分以外の堕天使や悪魔が友好を装っても疑う。
「────ままならぬものだ。護るべきものを護るだけのことなのに、その為に護るべきものを傷付けねばならんとは。……結果、それも必要のないことだったが。私はただ……エレン殿を傷付けただけだ」
フェールは己の手を見、そしてぐっと握り締める。
「挙句に排除しようとした者が、私の凶牙からエレン殿を護る始末だ。私は……それを見て、己の意義が分からなくなった。居た堪れずに逃げ出した」
「そんでこんな所で影のバケモンになり掛けてたってところか」
「ふ。精神の乱れで自然に呑まれるとは、我が身もまだ未熟よの」
自虐的にフェールは笑う。そしてその色を残した目をゼイアに向ける。
「嗤いたくば嗤えば良い。私は愚かで矮小なただの獣に過ぎぬ。過去に捉われ、目的の為にその根幹すら見失う」
「随分と自分を卑下するモンだ。それともアンタは俺を高尚なものだと思ってるのか?」
そう言ってゼイアは翼を広げ、自分の頭の上の方を見る。
「まぁ────俺だって護るべきものがある。そして護りたいものがあった。けど…………物事はそう簡単には行かない」
翼を畳む。そして膝を抱えた。
「何をしたら神徒が堕ちるか知ってるか。仲間殺しだ。殺した神徒の血が神徒に穢れをもたらす。…………目的が何であれだ」
「……そなた」
「後悔は、していない。俺は断つべき悪を断っただけだ。純潔に見える天界も、全てが完璧じゃない」
堕ちたその日のことを思い出して、ゼイアは大きなため息を吐く。
「────翼が黒に染まって、頭に角が生えても、俺は自分のままだった。普通は意思が闇に染まって、破壊衝動に襲われる。そうしたらそのまま天界で殺されるか、拘束されて全権限を剥奪された上で魔界に追放されるかだ。……でも、そうはならなかった」
広げた手のひらの上に光が集まる。それが二つの小さな玉になって、くるくると回りながら辺りへ散って森の中を微かに照らす。
「……つまりだ。一つの失敗で、必ずしも全部がおしまいになる訳じゃない。そこに正しい信念があるならな。アンタは何も失っちゃいない。護るべきものを知ってる。だから悔いてる。失敗したなら学べばいい」
「エレン殿は……許してくれるだろうか」
「それはきっと大丈夫だ。長い付き合いなんだろ」
そう。信頼のおける者同士なら、歪みの修復も早い。
「アンタがなぜそんな事をしたのか、エレンにだって分かってるはずだ。その上で立ち向かった。……成長を喜ぶところじゃないのか? ここは」
「────そうか。そうかもしれんな」
フェールはそしてフッと笑った。ゼイアも眉を上げてやれやれと笑う。
「意外だ。アンタみたいなのでも色々思い悩むことがあるんだな。知れて良かったよ」
「嫌味な奴だ。……しかし助かった。私の身のこともな」
「良いってことよ」
ゼイアは立ち上がると、元来た方へ顎で促した。
「戻ろうぜ。もう夜が明ける。早くロレンの奴を助けに行かねェと」
「あぁ。そうだな。この様な場所で腐っている場合ではない」
フェールは立ち上がる。消耗していたはずの彼の肌艶が、心なしか良い。
「……ヤケ喰いの効果か? すっかり元気だな」
「魔力の補充にはなったな。獣の身も多少は便利だ」
「そうか。そりゃあ良い」
はは、と笑いあって、二人は飛空挺を目指して歩き出した。
* * *
朝食の準備が出来た頃に、フェールとゼイアは戻って来た。先に戻って来ていたアレスがゼイアに気付いて言う。
「途中で消えたが、どこに行っていたんだ?」
「ちょいと散歩に。お前の鍛錬動かな過ぎてつまらねェんだよ」
「何。あれは闘気を高める重要な────」
「はいはい」
「アレス、今度それ俺も一緒に連れてってくれよ」
グレンが口を挟む。起きられるのならな、と言うアレスとげんなりした顔のゼイア。自動的に付き合わされるのが目に見えている。人界では一人散歩に行く訳にもいかない。
「フェール、どこ行ってたんだ」
「っ……」
それを眺めていたところにエレンに話しかけられて、フェールはどきりとする。心の整理はつけて来たはずだが、いざ当人を目の前にすると言葉が詰まる。
「…………その」
「え? あ、怒ってないって。ほら見ろ! どこも怪我してないし、もうどこも痛くない」
と、そう言ってエレンは両腕を広げて見せる。そしてフェールは、彼がその手に持っているものに気付く。
「……それは?」
エレンも手に持っていた肉のついた串のことを思い出した。
「朝飯だよ。カリサが獲って来て……ほら、ルグマルの近くにもいっぱいいただろ、ラビリス。で、俺と兄貴で捌いたんだ。上手く出来てるだろ。兄貴は相変わらず下手でさー」
と、ややボロボロな肉の方を見せながら、エレンはやれやれと肩を竦める。刺さっている串も、その辺の枝をナイフで削ったものだ。削り方から、一目でフェールは二人のどちらが作ったものなのかが分かる。
「…………エレン殿は昔から手先が器用だな」
「そうだろ。はい、じゃフェールにはこっちをやる」
正直、エレメントの吸収し過ぎで腹はいっぱいだが、精霊にも別腹というものがある。綺麗な方の串を受け取ると、フェールは微笑む。
「ありがとう。頂こう」
「おう。あ、調理してから何だけど、これ人界の奴と同じだよな?」
「無論だ。影狼の仔もラビリスから狩りを始める」
「そうか、だからか」
妙に納得した顔でエレンは肉を食む。うん、美味いと漏らすその様子を見ていると、フェールの中に暖かな気持ちが湧き上がる。それを大事にしようと、天狼は心に誓うのだった。
#41 END
To be continued...
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