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第三章 精霊の御霊
#31 連れ去られし魂
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────神暦38326年3月26日────
暖かい日差しを感じて、男は目を覚ました。
一瞬、自分が誰なのか思い出せなかった。しかし、意識がはっきりして来ると共に徐々に記憶が浮かび上がってきた。…………だが。
辺りの様子を知るべく、体を起こす。その時に何か、違和感を覚えた。まるで、体がなくなってしまったような……。そう、丁度“心理の窟”にいる時と同じような感覚だと、そう思った。肩にかかる金髪の質量も、どこか感じられない。
「ここは……」
口から零れた声は、記憶にあるものよりも遥かに頼りなかった。その問いに返って来た声は、聞き覚えのあるものだった。
「ようやく目覚めたか」
「!」
驚いて視線を向けると、その壁際に立っていたのは短い青い髪と青い目を持った細顔の男だった。目を疑った。何度か瞬きをしながら、男はその名を口にする。
「……エエカトル……?」
「どうやら、記憶は残っているようだな」
「────────え……ええと、待て、何だ」
頭に手を当て、男は記憶を探る。何があったのか。どうして自分はこんなところにいるのか。最後の記憶は……。
「…………死んだのか、俺」
思い出されたのは、側頭部への衝撃と一瞬の痛み。撃たれたか何かで……。
「────────死後の世界ってわけか? ここは」
思っていたものと随分違う。……それにしては、おかしい。なぜこいつもいる。
そう思いながらエエカトルの方を見ると、彼は首を横に振った。
「残念ながら違う。ここは神界だ」
「……シンカイ?」
単語の音を頼りに、記憶の中を探る。そして、繋がる。
「って、神界? 精霊界ってことか」
「そうだ。俺がお前を連れて来た。今のお前は精霊と同じ存在ということだ」
「……俺が? 精霊? どういう……」
エエカトルはこちらへ歩いて来ると、ベッドのすぐ横に置いてある椅子へ座った。
「人間は────生命エネルギーである“魂”、そして人格たる“精神”、そして、それらを宿す器たる“体”から成る。それに対して、精霊は“体”を持たず、“魂”と“精神”のみで成りたつ。……一般には、体以外のものをまとめて“魂”と称するのだが」
そこでエエカトルは一呼吸置くと、続けた。
「お前は死んだ。肉体的にはな。だが、お前の魂が冥界へ向かうその寸前で、俺がその魂を捕まえたのだ。宿主の死に伴う強制送還を利用して共に連れ帰って来た。……いちかばちかだったがな」
そう言ってエエカトルは右腕を見る。そこには痛々しい傷痕が残っていた。
「それ……」
「通行証なしにゲートを通ろうとした報いだ。もう癒えている。俺もお前も命があったのは運が良かった。悪運はまだ尽きてはいないようだな、カリサ」
「……」
男────────カリサは信じられない、という顔で自分の体を見た。違和感に服をめくると、自分の体にも知らない傷痕が残っていた。
「これからどうする、カリサ。まぁ、精霊として生きるしか道はないのだがな」
「……人界には、もう帰れないってことか」
「お前の肉体は既に朽ちている頃だろう。カリサとしては二度と帰れんよ」
エエカトルは淡々としてそう言う。カリサは俯く。人界には帰れない、と言われて少しショックだった。人としての生に悔いがないと言えば嘘になる。……復讐は、確かに果たしたが。それでも。
「……カレンに会いたい」
妹のことを思い出した。思えば、彼女とちゃんと話をしていない。
蚊の鳴くような声に、エエカトルはため息を吐いた。
「……まぁ。人界に戻る方法がないわけではないが」
「! 本当か」
「考えてみろ。俺も人界にいただろう」
「……あ! 憑神……」
そうだ。そんな手があった。自分の体で降りるわけではないが、人界には行ける。
「どうしたら憑神できるんだ⁈」
「修行を重ね……皇帝より“神”の称号を得ること。それが人間に憑くことが出来るようになる大前提だ」
「……それにはどれくらいかかる」
「俺は50年かかった。それから10年後にお前に憑いた」
「ご、50年……」
精霊の身では僅かな時間だろう。だが、人間のカレンはその頃にはもう年老いている。……あまり考えたくなかった。
「まぁ、気持ちは分かる。俺も60年ぶりに降りた時には、自分の生きていた頃と随分と様変わりしていて驚いたからな」
「……え?」
妙な言葉にカリサは訊き返す。エエカトルは窓の方を見ながら答えた。
「俺も元人間だ。エリサ・ファルシオン……それが俺が人間だった時の名だ」
「────────は⁈ 『精霊の御霊』の⁈」
エエカトルは頷く。
「まだ人界では行方不明ということになっているようだが、この通り俺は精霊となっているわけだ。死体が上がらんのは……やはり獣に襲われて死んだからか。骨も残らんかったようだな」
つまり、60年前に失踪したエリサ・ファルシオンは獣に襲われて死亡し、そして今のこのカリサのように精霊に連れて来られた……ということだ。
「俺の顔は知らんかったのか?」
「……名前しか」
「そうか。そういうこともあるか。────俺をここへ連れて来たのはクフィアという精霊だ。『精霊の御霊』は彼の協力があって完成した。……60年前、俺はとある街に取材へ向かう途中、山道で命を落とした」
そう語るエエカトルの顔は、どこか他人事のように淡々としていた。
「そして、クフィアは俺を救うべく神界へ魂を連れ帰ったわけだが……その時に彼は重症を負った」
「……」
今、エエカトルとカリサに残っている傷痕。それがもっと酷かったのだろう。
「ゲートを通行証なしに通ろうとした罰だ。その時俺はほとんど無傷だったが……俺のエレメントをこれに咄嗟に籠めさせたのか」
と、エエカトルは胸元から羽根のペンダントを取り出す。羽根の根元で薄水色の石が光っている。
「……それは?」
「神狼と呼ばれる獣の羽根だ。これに各国の皇帝が特殊な術をかける。国が作ったこのペンダントでしか、神界と人界を繋ぐゲートは通過できない。なしに通過しようとしたものには罰が与えられる」
そう言いながら、エエカトルは窓から遠くを眺めた。
「その為に……クフィアは神界の右も左も分からん俺を独り遺して逝ってしまった」
「────精霊は死んだらどうなるんだ?」
「冥界へも行けずに、完全に消滅してしまう。だから、彼にはもう二度と会えない」
無表情だったその顔に、僅かに寂寥が浮かんだのを見てカリサも少しばかり胸が痛む。
「……故に。俺はお前を助けた。ここで見捨てては、彼に顔向け出来んと思ったのでな。なんとか無事に来られたからには、お前の面倒は最後まで俺が見る」
「ひとつ疑問なんだが……何で俺もお前も怪我したんだ?」
クフィアの時はエエカトル────エリサはほとんど無傷だったという。通行証がひとつあれば、どちらか一人は無傷でいられそうなものだが。
「リスクを分散した。どちらかだけが生き残るより、どちらも死ぬか生きるかの方が良いと……ので、この通行証には二人分のエレメントを籠めてみたわけだが、まぁ結果はこの通りだ」
「……」
死なば諸共というわけか。肝の据わった奴だなとカリサは思う。
「それで……俺はこれから何をすればいい?」
「まずは精霊としての登録をしなければ。……お前は影と風の守護者だからな。影の国スケアと風の国ウィンディルのどちらかを選べるが、どうする」
「お前はどうせその……ウィンディルなんだろ。だったら俺もそうする」
「そうか」
エエカトルは頷く。恐らくここもその風の国のどこかなのだろうとカリサは思った。
「じゃあ、早速行こう。登録して……10年だ、10年で皇帝に認められてやる」
「性急だな。まだ無理はするな、体が慣れておら」
言っている傍から、カリサは立ち上がろうとしてベッドから転げ落ちた。
「なんッ……体が……」
「……精神体の体にまだ感覚が馴染んでいない。そもそも2ヶ月も寝たきりだったしな」
「2ヶ月⁈」
それは生身の体でも鈍るだろうな、とカリサは思った。こんな調子で皇帝とやらに認められるほどになれるのか、今から少しばかり不安だった。
エエカトルの助けを借りて、なんとか立ち上がる。なんとなくフワフワした感じがまだ慣れない。
「……じゃあ、これからよろしく、エエカトル」
「今さらと言えば今さらな挨拶だな。今後もよろしく頼む」
「もう俺、お前の主じゃねェし」
「それもそうか」
エエカトルは眉を上げると、近くの机の上を指した。
「着替えはそこにある。支度が出来たら出発しよう」
「あぁ」
カリサはぎこちないながらも歩いて行くと、エエカトルが用意してくれたのだろう服に着替えた。人界で着ていたものとは随分と違う。降ろしてあった髪をリボンでまとめる。
身支度を整えた頃には、少し動くのが楽になっていた。
* * *
その日、ロレンはいつもの時間に起きて来なかった。不安に思ったフォレンは彼の部屋の前に立っている。
「……ロレン?」
先日のように呼び掛ける。相変わらず返事はない……が、今回はまた様子が違った。扉の向こうの気配を探るが、いつも感じられるそれがなかった。
嫌な予感がした。先日ロレンが言っていたことが脳裏を過る。少し躊躇ったあと、意を決してフォレンは部屋の扉を開けた。
「……ロレン!」
ロレンは、いた。いるが、ベッドで眠ったままだった。近付いても身じろぎ一つしない。その表情はどこか苦しそうだった。慌てて顔を近づけると、微かに呼吸をしているのが分かった。
「……ロレン」
ゆさゆさと、体を揺すった。しかし、彼は一向に目覚める気配がなかった。その時、フォレンは全身の力が抜けるのを感じた。
「……おい……ふざけるなよ……」
弟は自分を驚かせようとしているんだ。そう自らに言い聞かせて、話しかけ続ける。
「ロレン……ふざけんなよ……生きてるだろ、息してるじゃねェかよ」
それでも、心の隅では分かっていた。ロレンの意識が今はないことを。嫌な靄がフォレンを絶望へ誘う。……ライナーは、ロレンの精神だけを殺そうとしている。だから、体は死なない。だけど、それはロレンじゃない────────。
目の前の“これ”は、もうロレンではないのかもしれない。目が醒めるなり襲って来るかもしれない。そう考えると、体を揺する気力ももうなかった。気が付けば涙が溢れていた。ロレンの傍にいてやらなかった自分に腹が立つ。……いたとして、何が出来たのかは分かりやしないが。
大きな虚無感がフォレンを包み込む。だから、後ろから足音が近付いて来ているのにも彼は気が付かなかった。
「おい、フォレン」
「!」
声に振り向くと、グレンがドアの所に立っていた。座り込んでいるフォレンには、彼がとても大きく見えた。自分の情けない姿を見られていることにまで、思考が廻らなかった。今はただ、彼に助けを求めたかった。
「……どうした」
「………ロレンが────────」
それしか言えなかったが、グレンは何かを察して無言でロレンの元へと歩いて行った。フォレンはただ、その姿を見ていることしかできなかった。
グレンはフォレンが泣いているところを初めて見た。彼はプライドが高い。何があっても大概笑っている奴だ。だからこそ、この事態の異常さが分かった。
ロレンは静かに眠っていた。ただ眠っているにしては、やけに生命力が感じられない。
(……おい)
『おいって呼ぶな。……何だ。お前にしては珍しく察しがいいな』
ゼイアがそんなことを言う。グレンは眉を顰める。
(珍しくって何だ。……これお前らの方が状況分かるだろ)
『まぁ正解だ』
と、ゼイアは促すような気配を見せ、そしてアレスが続けて応える。
『精神が抜けている。魂も半分無い。……精霊もおらんな』
(……いない?)
『考えられるのは一つだが……見てみるのが早いな』
(え?)
ゼイアの言葉に訊き返した途端、フッと意識が落ちた。立っていた体が崩れるのを寸前に感じる。気が付くと心理の窟にいた。しかし何だか体が痺れるような感覚を覚える。近くにゼイアとアレスの姿があった。
「……何……ここ俺の中じゃねェな」
「あのガキの心理の窟だ。“リンク”つってこういうことも出来る。今回は相手が眠ってるからすんなり入れたが、普通はしっかり意識を合わせる必要がある。……まぁ今はそんなことはどうでもいいんだ」
ゼイアはそう言って、辺りを見回した。
「見ろ。誰もいない。普通は宿主の姿と精霊の姿が見えるもんなんだが……」
「いないってことは……」
「まぁ十中八九二人とも神界か、ガキは殺されたか……」
「縁起でもねェこと言うな! ……精霊もいねェなら前者だろ」
「ま、そうだな。……だがその場合は……」
「ともかく、まずはこやつの兄者に知らせるべきだろう」
アレスが上を指差しながらそう言う。グレンが頷くと、世界が暗転する。
風景が見える前に、声が聞こえた。
「グレン!」
「……お、おう、悪い」
リンクした時に倒れたのを、フォレンは心配してずっと呼び掛けていたらしい。頭を摩りながら起き上がるグレンに、フォレンは泣きそうな顔をして言う。
「びっくりさせるなよ……お前まで何かあったのかと」
「それはごめん……でも朗報がある」
「朗報?」
「ロレンはまだ生きてる……可能性が高い」
そう伝えた瞬間、フォレンは目を見開く。
「本当か⁈」
「確証はねェけど。……ロレンの心理の窟を見て来たら、誰もいなかった。多分、神界にいるんじゃないかって……」
「……神界」
「どうするかは……これから考える」
するとフォレンは落胆した表情を見せる。
「……方法は……あるのか?」
「それは……精霊たちの意見を聞いてみないと」
「俺は……力になれねェのかな」
そんなことない、と反射的に言いかけてやめる。フォレンは憑神していない。無理に否定してやることはない。そんなことは、本人が一番分かっているのだから。
「……大丈夫だ。俺たちで絶対になんとかする。だからそんな顔するな」
「分かった……」
グレンは立ち上がり、部屋を出る。フォレンはそこから動こうとはしなかったが、無理に連れて行こうとは思わなかった。
今はただ、そっとしておいてやろうと思った。
#31 END
To be continued...
暖かい日差しを感じて、男は目を覚ました。
一瞬、自分が誰なのか思い出せなかった。しかし、意識がはっきりして来ると共に徐々に記憶が浮かび上がってきた。…………だが。
辺りの様子を知るべく、体を起こす。その時に何か、違和感を覚えた。まるで、体がなくなってしまったような……。そう、丁度“心理の窟”にいる時と同じような感覚だと、そう思った。肩にかかる金髪の質量も、どこか感じられない。
「ここは……」
口から零れた声は、記憶にあるものよりも遥かに頼りなかった。その問いに返って来た声は、聞き覚えのあるものだった。
「ようやく目覚めたか」
「!」
驚いて視線を向けると、その壁際に立っていたのは短い青い髪と青い目を持った細顔の男だった。目を疑った。何度か瞬きをしながら、男はその名を口にする。
「……エエカトル……?」
「どうやら、記憶は残っているようだな」
「────────え……ええと、待て、何だ」
頭に手を当て、男は記憶を探る。何があったのか。どうして自分はこんなところにいるのか。最後の記憶は……。
「…………死んだのか、俺」
思い出されたのは、側頭部への衝撃と一瞬の痛み。撃たれたか何かで……。
「────────死後の世界ってわけか? ここは」
思っていたものと随分違う。……それにしては、おかしい。なぜこいつもいる。
そう思いながらエエカトルの方を見ると、彼は首を横に振った。
「残念ながら違う。ここは神界だ」
「……シンカイ?」
単語の音を頼りに、記憶の中を探る。そして、繋がる。
「って、神界? 精霊界ってことか」
「そうだ。俺がお前を連れて来た。今のお前は精霊と同じ存在ということだ」
「……俺が? 精霊? どういう……」
エエカトルはこちらへ歩いて来ると、ベッドのすぐ横に置いてある椅子へ座った。
「人間は────生命エネルギーである“魂”、そして人格たる“精神”、そして、それらを宿す器たる“体”から成る。それに対して、精霊は“体”を持たず、“魂”と“精神”のみで成りたつ。……一般には、体以外のものをまとめて“魂”と称するのだが」
そこでエエカトルは一呼吸置くと、続けた。
「お前は死んだ。肉体的にはな。だが、お前の魂が冥界へ向かうその寸前で、俺がその魂を捕まえたのだ。宿主の死に伴う強制送還を利用して共に連れ帰って来た。……いちかばちかだったがな」
そう言ってエエカトルは右腕を見る。そこには痛々しい傷痕が残っていた。
「それ……」
「通行証なしにゲートを通ろうとした報いだ。もう癒えている。俺もお前も命があったのは運が良かった。悪運はまだ尽きてはいないようだな、カリサ」
「……」
男────────カリサは信じられない、という顔で自分の体を見た。違和感に服をめくると、自分の体にも知らない傷痕が残っていた。
「これからどうする、カリサ。まぁ、精霊として生きるしか道はないのだがな」
「……人界には、もう帰れないってことか」
「お前の肉体は既に朽ちている頃だろう。カリサとしては二度と帰れんよ」
エエカトルは淡々としてそう言う。カリサは俯く。人界には帰れない、と言われて少しショックだった。人としての生に悔いがないと言えば嘘になる。……復讐は、確かに果たしたが。それでも。
「……カレンに会いたい」
妹のことを思い出した。思えば、彼女とちゃんと話をしていない。
蚊の鳴くような声に、エエカトルはため息を吐いた。
「……まぁ。人界に戻る方法がないわけではないが」
「! 本当か」
「考えてみろ。俺も人界にいただろう」
「……あ! 憑神……」
そうだ。そんな手があった。自分の体で降りるわけではないが、人界には行ける。
「どうしたら憑神できるんだ⁈」
「修行を重ね……皇帝より“神”の称号を得ること。それが人間に憑くことが出来るようになる大前提だ」
「……それにはどれくらいかかる」
「俺は50年かかった。それから10年後にお前に憑いた」
「ご、50年……」
精霊の身では僅かな時間だろう。だが、人間のカレンはその頃にはもう年老いている。……あまり考えたくなかった。
「まぁ、気持ちは分かる。俺も60年ぶりに降りた時には、自分の生きていた頃と随分と様変わりしていて驚いたからな」
「……え?」
妙な言葉にカリサは訊き返す。エエカトルは窓の方を見ながら答えた。
「俺も元人間だ。エリサ・ファルシオン……それが俺が人間だった時の名だ」
「────────は⁈ 『精霊の御霊』の⁈」
エエカトルは頷く。
「まだ人界では行方不明ということになっているようだが、この通り俺は精霊となっているわけだ。死体が上がらんのは……やはり獣に襲われて死んだからか。骨も残らんかったようだな」
つまり、60年前に失踪したエリサ・ファルシオンは獣に襲われて死亡し、そして今のこのカリサのように精霊に連れて来られた……ということだ。
「俺の顔は知らんかったのか?」
「……名前しか」
「そうか。そういうこともあるか。────俺をここへ連れて来たのはクフィアという精霊だ。『精霊の御霊』は彼の協力があって完成した。……60年前、俺はとある街に取材へ向かう途中、山道で命を落とした」
そう語るエエカトルの顔は、どこか他人事のように淡々としていた。
「そして、クフィアは俺を救うべく神界へ魂を連れ帰ったわけだが……その時に彼は重症を負った」
「……」
今、エエカトルとカリサに残っている傷痕。それがもっと酷かったのだろう。
「ゲートを通行証なしに通ろうとした罰だ。その時俺はほとんど無傷だったが……俺のエレメントをこれに咄嗟に籠めさせたのか」
と、エエカトルは胸元から羽根のペンダントを取り出す。羽根の根元で薄水色の石が光っている。
「……それは?」
「神狼と呼ばれる獣の羽根だ。これに各国の皇帝が特殊な術をかける。国が作ったこのペンダントでしか、神界と人界を繋ぐゲートは通過できない。なしに通過しようとしたものには罰が与えられる」
そう言いながら、エエカトルは窓から遠くを眺めた。
「その為に……クフィアは神界の右も左も分からん俺を独り遺して逝ってしまった」
「────精霊は死んだらどうなるんだ?」
「冥界へも行けずに、完全に消滅してしまう。だから、彼にはもう二度と会えない」
無表情だったその顔に、僅かに寂寥が浮かんだのを見てカリサも少しばかり胸が痛む。
「……故に。俺はお前を助けた。ここで見捨てては、彼に顔向け出来んと思ったのでな。なんとか無事に来られたからには、お前の面倒は最後まで俺が見る」
「ひとつ疑問なんだが……何で俺もお前も怪我したんだ?」
クフィアの時はエエカトル────エリサはほとんど無傷だったという。通行証がひとつあれば、どちらか一人は無傷でいられそうなものだが。
「リスクを分散した。どちらかだけが生き残るより、どちらも死ぬか生きるかの方が良いと……ので、この通行証には二人分のエレメントを籠めてみたわけだが、まぁ結果はこの通りだ」
「……」
死なば諸共というわけか。肝の据わった奴だなとカリサは思う。
「それで……俺はこれから何をすればいい?」
「まずは精霊としての登録をしなければ。……お前は影と風の守護者だからな。影の国スケアと風の国ウィンディルのどちらかを選べるが、どうする」
「お前はどうせその……ウィンディルなんだろ。だったら俺もそうする」
「そうか」
エエカトルは頷く。恐らくここもその風の国のどこかなのだろうとカリサは思った。
「じゃあ、早速行こう。登録して……10年だ、10年で皇帝に認められてやる」
「性急だな。まだ無理はするな、体が慣れておら」
言っている傍から、カリサは立ち上がろうとしてベッドから転げ落ちた。
「なんッ……体が……」
「……精神体の体にまだ感覚が馴染んでいない。そもそも2ヶ月も寝たきりだったしな」
「2ヶ月⁈」
それは生身の体でも鈍るだろうな、とカリサは思った。こんな調子で皇帝とやらに認められるほどになれるのか、今から少しばかり不安だった。
エエカトルの助けを借りて、なんとか立ち上がる。なんとなくフワフワした感じがまだ慣れない。
「……じゃあ、これからよろしく、エエカトル」
「今さらと言えば今さらな挨拶だな。今後もよろしく頼む」
「もう俺、お前の主じゃねェし」
「それもそうか」
エエカトルは眉を上げると、近くの机の上を指した。
「着替えはそこにある。支度が出来たら出発しよう」
「あぁ」
カリサはぎこちないながらも歩いて行くと、エエカトルが用意してくれたのだろう服に着替えた。人界で着ていたものとは随分と違う。降ろしてあった髪をリボンでまとめる。
身支度を整えた頃には、少し動くのが楽になっていた。
* * *
その日、ロレンはいつもの時間に起きて来なかった。不安に思ったフォレンは彼の部屋の前に立っている。
「……ロレン?」
先日のように呼び掛ける。相変わらず返事はない……が、今回はまた様子が違った。扉の向こうの気配を探るが、いつも感じられるそれがなかった。
嫌な予感がした。先日ロレンが言っていたことが脳裏を過る。少し躊躇ったあと、意を決してフォレンは部屋の扉を開けた。
「……ロレン!」
ロレンは、いた。いるが、ベッドで眠ったままだった。近付いても身じろぎ一つしない。その表情はどこか苦しそうだった。慌てて顔を近づけると、微かに呼吸をしているのが分かった。
「……ロレン」
ゆさゆさと、体を揺すった。しかし、彼は一向に目覚める気配がなかった。その時、フォレンは全身の力が抜けるのを感じた。
「……おい……ふざけるなよ……」
弟は自分を驚かせようとしているんだ。そう自らに言い聞かせて、話しかけ続ける。
「ロレン……ふざけんなよ……生きてるだろ、息してるじゃねェかよ」
それでも、心の隅では分かっていた。ロレンの意識が今はないことを。嫌な靄がフォレンを絶望へ誘う。……ライナーは、ロレンの精神だけを殺そうとしている。だから、体は死なない。だけど、それはロレンじゃない────────。
目の前の“これ”は、もうロレンではないのかもしれない。目が醒めるなり襲って来るかもしれない。そう考えると、体を揺する気力ももうなかった。気が付けば涙が溢れていた。ロレンの傍にいてやらなかった自分に腹が立つ。……いたとして、何が出来たのかは分かりやしないが。
大きな虚無感がフォレンを包み込む。だから、後ろから足音が近付いて来ているのにも彼は気が付かなかった。
「おい、フォレン」
「!」
声に振り向くと、グレンがドアの所に立っていた。座り込んでいるフォレンには、彼がとても大きく見えた。自分の情けない姿を見られていることにまで、思考が廻らなかった。今はただ、彼に助けを求めたかった。
「……どうした」
「………ロレンが────────」
それしか言えなかったが、グレンは何かを察して無言でロレンの元へと歩いて行った。フォレンはただ、その姿を見ていることしかできなかった。
グレンはフォレンが泣いているところを初めて見た。彼はプライドが高い。何があっても大概笑っている奴だ。だからこそ、この事態の異常さが分かった。
ロレンは静かに眠っていた。ただ眠っているにしては、やけに生命力が感じられない。
(……おい)
『おいって呼ぶな。……何だ。お前にしては珍しく察しがいいな』
ゼイアがそんなことを言う。グレンは眉を顰める。
(珍しくって何だ。……これお前らの方が状況分かるだろ)
『まぁ正解だ』
と、ゼイアは促すような気配を見せ、そしてアレスが続けて応える。
『精神が抜けている。魂も半分無い。……精霊もおらんな』
(……いない?)
『考えられるのは一つだが……見てみるのが早いな』
(え?)
ゼイアの言葉に訊き返した途端、フッと意識が落ちた。立っていた体が崩れるのを寸前に感じる。気が付くと心理の窟にいた。しかし何だか体が痺れるような感覚を覚える。近くにゼイアとアレスの姿があった。
「……何……ここ俺の中じゃねェな」
「あのガキの心理の窟だ。“リンク”つってこういうことも出来る。今回は相手が眠ってるからすんなり入れたが、普通はしっかり意識を合わせる必要がある。……まぁ今はそんなことはどうでもいいんだ」
ゼイアはそう言って、辺りを見回した。
「見ろ。誰もいない。普通は宿主の姿と精霊の姿が見えるもんなんだが……」
「いないってことは……」
「まぁ十中八九二人とも神界か、ガキは殺されたか……」
「縁起でもねェこと言うな! ……精霊もいねェなら前者だろ」
「ま、そうだな。……だがその場合は……」
「ともかく、まずはこやつの兄者に知らせるべきだろう」
アレスが上を指差しながらそう言う。グレンが頷くと、世界が暗転する。
風景が見える前に、声が聞こえた。
「グレン!」
「……お、おう、悪い」
リンクした時に倒れたのを、フォレンは心配してずっと呼び掛けていたらしい。頭を摩りながら起き上がるグレンに、フォレンは泣きそうな顔をして言う。
「びっくりさせるなよ……お前まで何かあったのかと」
「それはごめん……でも朗報がある」
「朗報?」
「ロレンはまだ生きてる……可能性が高い」
そう伝えた瞬間、フォレンは目を見開く。
「本当か⁈」
「確証はねェけど。……ロレンの心理の窟を見て来たら、誰もいなかった。多分、神界にいるんじゃないかって……」
「……神界」
「どうするかは……これから考える」
するとフォレンは落胆した表情を見せる。
「……方法は……あるのか?」
「それは……精霊たちの意見を聞いてみないと」
「俺は……力になれねェのかな」
そんなことない、と反射的に言いかけてやめる。フォレンは憑神していない。無理に否定してやることはない。そんなことは、本人が一番分かっているのだから。
「……大丈夫だ。俺たちで絶対になんとかする。だからそんな顔するな」
「分かった……」
グレンは立ち上がり、部屋を出る。フォレンはそこから動こうとはしなかったが、無理に連れて行こうとは思わなかった。
今はただ、そっとしておいてやろうと思った。
#31 END
To be continued...
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武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。
だけど、その母と娘二人は、
とおおおおんでもないヤンデレだった……
第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。
セクスカリバーをヌキました!
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スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活
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