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第二章 unDead
#27 秩序の神殿へ
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────神暦38326年2月4日─────
イアリが目を覚ましたのは、まだ日が昇り始めたくらいの時間だった。朝の空気の寒さに思わず震える。
ふとフォレンの方を見ると、彼は上裸のまま昨夜座っていた丸太の上に寝転がっていた。豪快である。
「イアリ、起きたね」
「! ……ロレン」
ロレンが反対側の木の幹でもたれかかったまま目を覚ましていた。彼は兄の方を見ると苦笑する。
「すごいだろ? 僕が起きたら交代ですぐに寝た。いつもこうなんだ」
「……にしたって無防備すぎねェか?」
イアリが指を差しながら言うと、ロレンは肩を竦めた。
「そう思うなら、起こしてみる?」
「……え、何……?」
ロレンの態度に訝しみながらも、イアリはフォレンに手を伸ばした。
「……フォレンさ……」
と、突然その手を掴まれたかと思うと世界が反転した。
「わっ、だっ……⁉︎」
背中を打ち付けて息が詰まる。さらに喉を押さえつけられて思わず息を呑んだ。見れば寝ぼけ眼のフォレンが体を起こして自分を制圧している。彼は瞬きしてしばらくして、ようやく相手を認識したのか手を離した。
「ああ、イアリ君か、ごめん」
「……ないっすよ、そんなん……」
「ほらね」
なぜか自慢げに言うロレン。フォレンは眠そうに目を擦り、大きな欠伸を一つする。イアリは後頭部を摩りながら体を起こして胡坐をかいた。
「よく眠れた?」
フォレンはいつもの顔でそう訊いてくる。イアリはまだ心臓が跳ねているのを感じながら頷いた。
「お陰様で……」
しかし、寝起きの力とは思えなかった。あの体制からどうやって自分のことをひっくり返したんだ……と疑問に思い、そして恐ろしくなる。同時に、この人に守られていたら何も怖くないなとも思った。
「なら良かった。……さすがに冷えるな」
フォレンはようやくそんなことを言うと、体を摩った。
「……あの、貸しましょうか?」
イアリは自分のストールを差し出すが、フォレンは首を横に振った。
「いや、いいよ。えーと……」
彼は立ち上がるとすぐ傍の茂みの中に入って行った。しばらくして、薄汚れた服を着て出て来た。
「……どうしたんすかそれ」
「ん。奪った」
「え? 誰から」
「昨晩襲ってきた盗賊だよ。そこで……伸びてる」
と、フォレンが親指で後方を差すので、ロレンとイアリは茂みの奥を覗き込んだ。そこでは確かに五人の盗賊らしき男たちが伸びていた。……死んでいるのか生きているのか分からない。一人が上をひん剥かれているので彼の服を頂戴したのだろう。というか、そんな盗賊が堂々と襲ってくる場所で自分が眠っていたことに寒気がした。
「さて。じゃあ行こうか」
「……どこへ?」
フォレンの言葉にイアリは振り向く。何を言ってるんだ、という顔をしてフォレンは続けた。
「レスト」
「えっでも……道分かんないっすよ」
「大丈夫だ。ロレン。追跡に使った道具を貸しな」
「……分かったよ」
渋々と、ロレンはポケットから何かを取り出した。フォレンが受け取るのを覗き込んでみると、それは方位磁針のような形をしていた。
「……え、“属性指針”……?」
「知ってるんだ。軍ではよく使う道具なんだ。オフの時まで持ってるもんじゃないけど」
と、フォレンは片眉を上げてロレンを見る。ロレンはフイと顔を逸らした。
「誰の何を入れた?」
「……エレンの髪の毛」
「上出来だ。針は向こうを指しているね。これを辿れば村には着けるよ」
「どういう仕組みなんです? これ」
イアリが覗き込んだ文字盤には紫の針が浮かんで一方向を指していた。本で存在は知っていたが、実物を見たのは初めてだし仕組みもよく知らなかった。
「対象者の髪の毛とか……爪とか。体の一部に残った僅かなエレメントを解析してその持ち主の方を指し示す道具だ。大昔は追跡対象が自分でエレメントを籠めないといけなかったらしいけど、技術の進歩だね」
それを片手で握ると、フォレンはイアリを見て笑う。
「というわけで問題なく追跡出来る。俺は君を送り届けよう。君は怪我してるわけだしね。ロレンはどうする?」
「僕は戻るよ。やることもあるし。少し一人になりたいんだ」
そう言う弟に、フォレンは顔を曇らせた。
「……ライナーのことか?」
「うん」
「あまり思い詰めるなよ」
「分かってる。少し話をするだけさ」
そう言うロレンは無理に笑っているようだった。イアリもその顔に不安を覚える。
「大丈夫か? 力になれることがあったら協力するから……」
「ありがとう。僕は大丈夫だよ。それじゃあ。イアリたちも気を付けてね」
「ああ……」
ロレンは踵を返して去って行く。イアリはチラリとフォレンの方を見る。弟を見送るフォレンは、少し不安そうな顔をしていた。が、イアリの視線に気付くと彼はいつもの明るい表情をして見せた。
「さ。行こうか」
* * *
「ライナー」
心理の窟に降りたロレンは、そこで優雅にティータイムをしている貴族風の男に声をかけた。
「やあ。あの子生きてたね」
「ライナー、少し話がある」
「話? 君が、この僕にかい?」
振り向いた赤い瞳。その顔立ちはどこかロレンと似ていた。同じように後ろで一つにまとめた長い茶髪が背中で揺れている。しかし、笑った口元からは爬虫類のように鋭く形の揃った牙が覗いている。
「やり過ぎなんだよ、僕の意識まで飲み込んで」
「やり過ぎ? あんなもので? あの小僧を殺しきれなかったじゃないか、邪魔が入ったせいで」
分からないな、という風にライナーは両手を広げた。
「あー、あのガキは邪魔だ。殺したいな」
「兄さんのことは殺せないよ。いつも僕らの暴走を止めてるだろ」
「君が頑固に僕に意識を譲らないから。万全の力が出ないんだ」
そう言いながらライナーは爪を弄って笑う。ロレンはムッとする。
「ライナー。僕に憑いた以上は、お前は僕の力の一部だろう」
「それが何だ。君如きにこの僕を服従させる権利があると思ってるのかい?」
「精霊とはそういうものなんだろ」
「ハ! 悪いけど僕は精霊じゃない。誇り高き闇竜族だ」
そう言うとライナーは立ち上がり、ロレンの方へと歩き出す。サァ、とガーデンテーブルと椅子と、ティーセットが闇の粒子となって消える。
「僕は誰にも従わない。ましてや下等な人間になんかに」
「……じゃあどうして僕に憑いたんだ」
「何で? そんなの、決まってる。人界に来たかったからだ。それ以外にはない」
だから、とライナーは白手袋をした人差し指をロレンの胸に突きつけた。布越しに鋭い爪がチクりとする。
「器なんて何でもいいんだ。いいか、僕は、ただ暴れたい。下等な命を蹂躙したい。それだけだ」
「……命はそんな軽いものじゃない」
「命なんて数多にある。それも下等な価値のない命だ。いくつか気まぐれに潰したところで何も変わりやしないよ」
自分に似た顔がそんなことを喋る。ロレンは時々思う。コイツは自分の闇の部分なんじゃないかと。だが、すぐにその考えを振り払った。別人だ。人ですらない。育った環境も何もかも違う存在だ。
「……そんな考えのお前に、僕が体を貸すと思うか」
「思わないね。君は弱虫の癖に頑固だから。だから体を貸せだなんて頼まないよ。君が僕の力を使おうとしたって、まともに貸してなんかやらない。せいぜい呑まれてあのクソ兄貴に殴られてろ。いい気味だ」
そう言うライナーは心底愉快そうだった。悪趣味だ。そう思った。ロレンはどうしようもない目の前の悪意に言葉を失くしていた。説得の糸口が見えない。そうして俯いているロレンを他所に、ライナーは恍惚とした顔で上体を起こすと人差し指を顎に当てた。
「そうして、君の精神が弱ったら……いや。君の愚かな姿に飽きたら、この体を貰うとするよ」
「! なんだって……」
「君の精神を殺して、僕がこの体の主になる。そうして君になりすまして……手始めに君の兄を殺してやろう。八つ裂きだ、跡形もなく。いいね、最高じゃないか」
ニヤリと凶悪な笑みをライナーは浮かべる。それは人の笑みではなかった。ケダモノだ。
「……イカレてる」
「何とでも言えばいい。それが僕の楽しみだ」
クツクツとライナーは笑う。
「そういうわけだ。今すぐに殺しはしないけど、僕はいつでもチャンスを狙ってる。せいぜい僕を飽きさせないことだ」
ロレンは絶望を感じた。説得しに来たのに、これでは逆効果だった。常に命を狙われることになるだなんて。それも、逃れようのない相手から。
途方に暮れていると、高笑いを残してライナーは視界から消えて行った。気が付くと自室の椅子だった。誰もいないそこで、ロレンは顔を覆う。
「兄さん……助けて……」
* * *
「ここだ」
疑似太陽が照らす中、ジリョンがエレン達を案内したのは、村長の家だという場所だった。村の中でも一際立派な作りをしているのが分かる。
「村長、おられますか」
ジリョンがノックをしながら中へ呼び掛けると、しばらくして応答があった。
「ジリョンか、どうした」
聞こえて来たのは年老いた女性の声だった。そう言えばリトが「ばあちゃん」と言っていたのをエレンは思い出した。
「神殿への客人をお連れしました」
「……負けたのか?」
「────ハイ」
ジリョンは自信のない声で答えた。中からため息が帰って来る。
「まぁよい、入りなさい」
キィ、と扉が音を立てて開く。中に入るといたのは、60かそこらに見える白髪の女性だった。思ったより若いな、とエレンは思った。
まず口を開いたのはエレンの隣にいたアーガイルだった。
「はじめまして。僕はアーガイル・エウィン。ジリョンの従弟です。こっちは相棒のエレン。レオノール。それからその弟のケレン・レオノールです」
「なんと。ジリョンの血縁者か」
「ええ。ものすごく偶然ですが」
ジリョンはバツが悪そうに答えた。しかし、それで僅かに村長の警戒は解けたように見えた。
「レストの村長、エルフィ・エディカだ。……ジリョンが負けたのであれば仕方ない。こやつの命も取らんでいてくれたようだしな。ならば、一つだけ約束をせい。この村のことを一切他言せぬと」
厳しい声だった。エレンは頷く。
「分かってます」
「そうか。お前たち、手を出しなさい」
言われて、彼女が示したようにエレン達三人は手の甲を上にして差し出す。するとエルフィは何かをブツブツと唱えたかと思うと、手にした杖の先で一人ずつの手の甲を順に軽く叩いた。
「うっ……?」
エレンは体をエレメントが駆け巡るのを感じた。他の二人はそうでもなかったようで、ケレンが心配そうにこちらの顔を覗き込む。
「兄さん、大丈夫?」
「……なんか変な感じした……」
「お前は心の守護者か。なら少しばかり違和感を感じたかもな。心理系の魔術をかけさせてもらった。これでお前たちはこの村のことを他言出来ない」
「約束する意味あったんですか……?」
アーガイルが訊くと、エルフィは目を伏せて頷いた。
「同意ありきの方が効果が強く、そして負担も少ないのでな」
トン、と村長は床を杖で叩くと、続けた。
「では、お前たちが神殿に行き、儀式をすることを許可しよう。案内は私がする」
「あ、ちょっと待って下さい」
エレンは慌てて、そして遠慮がちに言った。
「仲間がまだ一人来てなくて。来るまで待ってていい……ですか」
「……ふむ。ならば外で待ってておやりなさい。……リトや」
エルフィの呼びかけに、奥からリトが現れた。
「共に外で待っていてあげなさい。……ここまでの案内はお前がしたのだね?」
「……ごめんなさい、ばあちゃん」
「よい。ほら、行きなさい」
リトはエレンの方へ来ると、見上げて行った。
「ほら、行こう」
「僕らはここで待ってるよ」
アーガイルがそう言う。ケレンも頷いた。
「分かった。迎えに行ってくる」
エレンはそう答えて、リトと共に村の外へ向かうのだった。
* * *
「うーん、近いと思うんだけどね」
フォレンは手元の針を睨みながらそう唸った。辺りを見ても森ばかりで、村がある様子は一切見られない。イアリは不安になりながらも、応える。
「地下にあるって聞いてるんで……表には見えないんでしょうね」
「地下? まじか。へえ……じゃあ、真上に着いたら針は下を向くわけか」
しかし羅針盤の針は依然として前方を向いている。森の中を進んでいると、やがて一本の大きな木が見えて来た。
「でけェ木だな……ん? あそこ誰かいないか?」
「え?」
フォレンが木の根元を指差す。イアリが目を凝らして見ると、その人影には見覚えがあった。
「あ! エレンたちだ!」
「本当か。じゃあ俺の案内はここまでだな。ロレンが心配だし、戻るよ」
「はい。ありがとうございました」
イアリはフォレンにそう礼を言うと、エレンとリトに向かって手を振った。向こうも気が付いて手を振っている。
「お~~い! 遅いぞ!」
風に乗ってそんな声が聞こえてくる。紛れもなくエレンの声だった。
「じゃあ、フォレンさんもお気をつけて」
「ああ」
そして去り際、少し迷った後にフォレンは言った。
「……頼んだぞ」
その目的語が何なのかは、言わずと伝わった。イアリは頷くと、エレン達の待つ方へと翼を広げて飛び立った。
* * *
「それで……ロレンはどうなったんだ?」
イアリを迎え、地下へ向かうエレンはまずそう訊ねた。イアリは少し気まずそうにしながら、ここへ来るまでの経緯を手短に話した。
「……というわけだ。ロレンは帰ったよ」
「そうか……まぁ、二人とも大事なくて良かったよ」
「いや。そこそこの怪我だけどな? まぁ、グリフのお陰で俺も今歩けてるわけだが……」
エレンはイアリとロレンが憑神していることに少しだけ驚いた。だが、みんな強くなったんだなとそんなことを思う。
(……そういやエレボス、お前ジリョンが憑神者だって教えてくれたけど……イアリやロレンのことも気が付いてたのか?)
『ん? そりゃな。俺たち精霊は互いの存在を感じ取れるからな。でも、いちいち言うことじゃないだろ? 味方なんだし』
(そうか……)
それにしても、二人とも竜族とは。エレンは竜を見たことがない。博物館で骨格や剥製くらいは見たことがあるが。二人の親友がそんな姿に変身できることを思うと、何だか不思議だった。
(……変身かぁ)
『なんだよ』
(ケレンとフェールも大きな狼に変身出来るし……お前はなんか無いのかよ)
そういえばエレボスには猫耳が生えている。化け猫みたいな姿はないのかと僅かに期待する。
『ねェよ。俺はこの人型一つだ。天狼様みたいなのは特殊だよ。精霊の中にも色んな種族がいて……ほとんどの精霊は人型ひとつで、変身出来る方が少数なんだよ』
(じゃあその猫耳はなんなんだ)
『これはっ……その。……変身出来ても戦闘に役立つとは限らないってゆーか……』
いじけたような声になるエレボス。指をつんつんと突き合わせている様が脳裏に浮かぶ。ないと言い切っていたが本当にないわけではないようだ。
エレボスがそれ以上答える気配がないので、エレンは意識を現実に引き戻す。もう村の入り口に辿り着く頃だった。
#27 END
To be continued...
イアリが目を覚ましたのは、まだ日が昇り始めたくらいの時間だった。朝の空気の寒さに思わず震える。
ふとフォレンの方を見ると、彼は上裸のまま昨夜座っていた丸太の上に寝転がっていた。豪快である。
「イアリ、起きたね」
「! ……ロレン」
ロレンが反対側の木の幹でもたれかかったまま目を覚ましていた。彼は兄の方を見ると苦笑する。
「すごいだろ? 僕が起きたら交代ですぐに寝た。いつもこうなんだ」
「……にしたって無防備すぎねェか?」
イアリが指を差しながら言うと、ロレンは肩を竦めた。
「そう思うなら、起こしてみる?」
「……え、何……?」
ロレンの態度に訝しみながらも、イアリはフォレンに手を伸ばした。
「……フォレンさ……」
と、突然その手を掴まれたかと思うと世界が反転した。
「わっ、だっ……⁉︎」
背中を打ち付けて息が詰まる。さらに喉を押さえつけられて思わず息を呑んだ。見れば寝ぼけ眼のフォレンが体を起こして自分を制圧している。彼は瞬きしてしばらくして、ようやく相手を認識したのか手を離した。
「ああ、イアリ君か、ごめん」
「……ないっすよ、そんなん……」
「ほらね」
なぜか自慢げに言うロレン。フォレンは眠そうに目を擦り、大きな欠伸を一つする。イアリは後頭部を摩りながら体を起こして胡坐をかいた。
「よく眠れた?」
フォレンはいつもの顔でそう訊いてくる。イアリはまだ心臓が跳ねているのを感じながら頷いた。
「お陰様で……」
しかし、寝起きの力とは思えなかった。あの体制からどうやって自分のことをひっくり返したんだ……と疑問に思い、そして恐ろしくなる。同時に、この人に守られていたら何も怖くないなとも思った。
「なら良かった。……さすがに冷えるな」
フォレンはようやくそんなことを言うと、体を摩った。
「……あの、貸しましょうか?」
イアリは自分のストールを差し出すが、フォレンは首を横に振った。
「いや、いいよ。えーと……」
彼は立ち上がるとすぐ傍の茂みの中に入って行った。しばらくして、薄汚れた服を着て出て来た。
「……どうしたんすかそれ」
「ん。奪った」
「え? 誰から」
「昨晩襲ってきた盗賊だよ。そこで……伸びてる」
と、フォレンが親指で後方を差すので、ロレンとイアリは茂みの奥を覗き込んだ。そこでは確かに五人の盗賊らしき男たちが伸びていた。……死んでいるのか生きているのか分からない。一人が上をひん剥かれているので彼の服を頂戴したのだろう。というか、そんな盗賊が堂々と襲ってくる場所で自分が眠っていたことに寒気がした。
「さて。じゃあ行こうか」
「……どこへ?」
フォレンの言葉にイアリは振り向く。何を言ってるんだ、という顔をしてフォレンは続けた。
「レスト」
「えっでも……道分かんないっすよ」
「大丈夫だ。ロレン。追跡に使った道具を貸しな」
「……分かったよ」
渋々と、ロレンはポケットから何かを取り出した。フォレンが受け取るのを覗き込んでみると、それは方位磁針のような形をしていた。
「……え、“属性指針”……?」
「知ってるんだ。軍ではよく使う道具なんだ。オフの時まで持ってるもんじゃないけど」
と、フォレンは片眉を上げてロレンを見る。ロレンはフイと顔を逸らした。
「誰の何を入れた?」
「……エレンの髪の毛」
「上出来だ。針は向こうを指しているね。これを辿れば村には着けるよ」
「どういう仕組みなんです? これ」
イアリが覗き込んだ文字盤には紫の針が浮かんで一方向を指していた。本で存在は知っていたが、実物を見たのは初めてだし仕組みもよく知らなかった。
「対象者の髪の毛とか……爪とか。体の一部に残った僅かなエレメントを解析してその持ち主の方を指し示す道具だ。大昔は追跡対象が自分でエレメントを籠めないといけなかったらしいけど、技術の進歩だね」
それを片手で握ると、フォレンはイアリを見て笑う。
「というわけで問題なく追跡出来る。俺は君を送り届けよう。君は怪我してるわけだしね。ロレンはどうする?」
「僕は戻るよ。やることもあるし。少し一人になりたいんだ」
そう言う弟に、フォレンは顔を曇らせた。
「……ライナーのことか?」
「うん」
「あまり思い詰めるなよ」
「分かってる。少し話をするだけさ」
そう言うロレンは無理に笑っているようだった。イアリもその顔に不安を覚える。
「大丈夫か? 力になれることがあったら協力するから……」
「ありがとう。僕は大丈夫だよ。それじゃあ。イアリたちも気を付けてね」
「ああ……」
ロレンは踵を返して去って行く。イアリはチラリとフォレンの方を見る。弟を見送るフォレンは、少し不安そうな顔をしていた。が、イアリの視線に気付くと彼はいつもの明るい表情をして見せた。
「さ。行こうか」
* * *
「ライナー」
心理の窟に降りたロレンは、そこで優雅にティータイムをしている貴族風の男に声をかけた。
「やあ。あの子生きてたね」
「ライナー、少し話がある」
「話? 君が、この僕にかい?」
振り向いた赤い瞳。その顔立ちはどこかロレンと似ていた。同じように後ろで一つにまとめた長い茶髪が背中で揺れている。しかし、笑った口元からは爬虫類のように鋭く形の揃った牙が覗いている。
「やり過ぎなんだよ、僕の意識まで飲み込んで」
「やり過ぎ? あんなもので? あの小僧を殺しきれなかったじゃないか、邪魔が入ったせいで」
分からないな、という風にライナーは両手を広げた。
「あー、あのガキは邪魔だ。殺したいな」
「兄さんのことは殺せないよ。いつも僕らの暴走を止めてるだろ」
「君が頑固に僕に意識を譲らないから。万全の力が出ないんだ」
そう言いながらライナーは爪を弄って笑う。ロレンはムッとする。
「ライナー。僕に憑いた以上は、お前は僕の力の一部だろう」
「それが何だ。君如きにこの僕を服従させる権利があると思ってるのかい?」
「精霊とはそういうものなんだろ」
「ハ! 悪いけど僕は精霊じゃない。誇り高き闇竜族だ」
そう言うとライナーは立ち上がり、ロレンの方へと歩き出す。サァ、とガーデンテーブルと椅子と、ティーセットが闇の粒子となって消える。
「僕は誰にも従わない。ましてや下等な人間になんかに」
「……じゃあどうして僕に憑いたんだ」
「何で? そんなの、決まってる。人界に来たかったからだ。それ以外にはない」
だから、とライナーは白手袋をした人差し指をロレンの胸に突きつけた。布越しに鋭い爪がチクりとする。
「器なんて何でもいいんだ。いいか、僕は、ただ暴れたい。下等な命を蹂躙したい。それだけだ」
「……命はそんな軽いものじゃない」
「命なんて数多にある。それも下等な価値のない命だ。いくつか気まぐれに潰したところで何も変わりやしないよ」
自分に似た顔がそんなことを喋る。ロレンは時々思う。コイツは自分の闇の部分なんじゃないかと。だが、すぐにその考えを振り払った。別人だ。人ですらない。育った環境も何もかも違う存在だ。
「……そんな考えのお前に、僕が体を貸すと思うか」
「思わないね。君は弱虫の癖に頑固だから。だから体を貸せだなんて頼まないよ。君が僕の力を使おうとしたって、まともに貸してなんかやらない。せいぜい呑まれてあのクソ兄貴に殴られてろ。いい気味だ」
そう言うライナーは心底愉快そうだった。悪趣味だ。そう思った。ロレンはどうしようもない目の前の悪意に言葉を失くしていた。説得の糸口が見えない。そうして俯いているロレンを他所に、ライナーは恍惚とした顔で上体を起こすと人差し指を顎に当てた。
「そうして、君の精神が弱ったら……いや。君の愚かな姿に飽きたら、この体を貰うとするよ」
「! なんだって……」
「君の精神を殺して、僕がこの体の主になる。そうして君になりすまして……手始めに君の兄を殺してやろう。八つ裂きだ、跡形もなく。いいね、最高じゃないか」
ニヤリと凶悪な笑みをライナーは浮かべる。それは人の笑みではなかった。ケダモノだ。
「……イカレてる」
「何とでも言えばいい。それが僕の楽しみだ」
クツクツとライナーは笑う。
「そういうわけだ。今すぐに殺しはしないけど、僕はいつでもチャンスを狙ってる。せいぜい僕を飽きさせないことだ」
ロレンは絶望を感じた。説得しに来たのに、これでは逆効果だった。常に命を狙われることになるだなんて。それも、逃れようのない相手から。
途方に暮れていると、高笑いを残してライナーは視界から消えて行った。気が付くと自室の椅子だった。誰もいないそこで、ロレンは顔を覆う。
「兄さん……助けて……」
* * *
「ここだ」
疑似太陽が照らす中、ジリョンがエレン達を案内したのは、村長の家だという場所だった。村の中でも一際立派な作りをしているのが分かる。
「村長、おられますか」
ジリョンがノックをしながら中へ呼び掛けると、しばらくして応答があった。
「ジリョンか、どうした」
聞こえて来たのは年老いた女性の声だった。そう言えばリトが「ばあちゃん」と言っていたのをエレンは思い出した。
「神殿への客人をお連れしました」
「……負けたのか?」
「────ハイ」
ジリョンは自信のない声で答えた。中からため息が帰って来る。
「まぁよい、入りなさい」
キィ、と扉が音を立てて開く。中に入るといたのは、60かそこらに見える白髪の女性だった。思ったより若いな、とエレンは思った。
まず口を開いたのはエレンの隣にいたアーガイルだった。
「はじめまして。僕はアーガイル・エウィン。ジリョンの従弟です。こっちは相棒のエレン。レオノール。それからその弟のケレン・レオノールです」
「なんと。ジリョンの血縁者か」
「ええ。ものすごく偶然ですが」
ジリョンはバツが悪そうに答えた。しかし、それで僅かに村長の警戒は解けたように見えた。
「レストの村長、エルフィ・エディカだ。……ジリョンが負けたのであれば仕方ない。こやつの命も取らんでいてくれたようだしな。ならば、一つだけ約束をせい。この村のことを一切他言せぬと」
厳しい声だった。エレンは頷く。
「分かってます」
「そうか。お前たち、手を出しなさい」
言われて、彼女が示したようにエレン達三人は手の甲を上にして差し出す。するとエルフィは何かをブツブツと唱えたかと思うと、手にした杖の先で一人ずつの手の甲を順に軽く叩いた。
「うっ……?」
エレンは体をエレメントが駆け巡るのを感じた。他の二人はそうでもなかったようで、ケレンが心配そうにこちらの顔を覗き込む。
「兄さん、大丈夫?」
「……なんか変な感じした……」
「お前は心の守護者か。なら少しばかり違和感を感じたかもな。心理系の魔術をかけさせてもらった。これでお前たちはこの村のことを他言出来ない」
「約束する意味あったんですか……?」
アーガイルが訊くと、エルフィは目を伏せて頷いた。
「同意ありきの方が効果が強く、そして負担も少ないのでな」
トン、と村長は床を杖で叩くと、続けた。
「では、お前たちが神殿に行き、儀式をすることを許可しよう。案内は私がする」
「あ、ちょっと待って下さい」
エレンは慌てて、そして遠慮がちに言った。
「仲間がまだ一人来てなくて。来るまで待ってていい……ですか」
「……ふむ。ならば外で待ってておやりなさい。……リトや」
エルフィの呼びかけに、奥からリトが現れた。
「共に外で待っていてあげなさい。……ここまでの案内はお前がしたのだね?」
「……ごめんなさい、ばあちゃん」
「よい。ほら、行きなさい」
リトはエレンの方へ来ると、見上げて行った。
「ほら、行こう」
「僕らはここで待ってるよ」
アーガイルがそう言う。ケレンも頷いた。
「分かった。迎えに行ってくる」
エレンはそう答えて、リトと共に村の外へ向かうのだった。
* * *
「うーん、近いと思うんだけどね」
フォレンは手元の針を睨みながらそう唸った。辺りを見ても森ばかりで、村がある様子は一切見られない。イアリは不安になりながらも、応える。
「地下にあるって聞いてるんで……表には見えないんでしょうね」
「地下? まじか。へえ……じゃあ、真上に着いたら針は下を向くわけか」
しかし羅針盤の針は依然として前方を向いている。森の中を進んでいると、やがて一本の大きな木が見えて来た。
「でけェ木だな……ん? あそこ誰かいないか?」
「え?」
フォレンが木の根元を指差す。イアリが目を凝らして見ると、その人影には見覚えがあった。
「あ! エレンたちだ!」
「本当か。じゃあ俺の案内はここまでだな。ロレンが心配だし、戻るよ」
「はい。ありがとうございました」
イアリはフォレンにそう礼を言うと、エレンとリトに向かって手を振った。向こうも気が付いて手を振っている。
「お~~い! 遅いぞ!」
風に乗ってそんな声が聞こえてくる。紛れもなくエレンの声だった。
「じゃあ、フォレンさんもお気をつけて」
「ああ」
そして去り際、少し迷った後にフォレンは言った。
「……頼んだぞ」
その目的語が何なのかは、言わずと伝わった。イアリは頷くと、エレン達の待つ方へと翼を広げて飛び立った。
* * *
「それで……ロレンはどうなったんだ?」
イアリを迎え、地下へ向かうエレンはまずそう訊ねた。イアリは少し気まずそうにしながら、ここへ来るまでの経緯を手短に話した。
「……というわけだ。ロレンは帰ったよ」
「そうか……まぁ、二人とも大事なくて良かったよ」
「いや。そこそこの怪我だけどな? まぁ、グリフのお陰で俺も今歩けてるわけだが……」
エレンはイアリとロレンが憑神していることに少しだけ驚いた。だが、みんな強くなったんだなとそんなことを思う。
(……そういやエレボス、お前ジリョンが憑神者だって教えてくれたけど……イアリやロレンのことも気が付いてたのか?)
『ん? そりゃな。俺たち精霊は互いの存在を感じ取れるからな。でも、いちいち言うことじゃないだろ? 味方なんだし』
(そうか……)
それにしても、二人とも竜族とは。エレンは竜を見たことがない。博物館で骨格や剥製くらいは見たことがあるが。二人の親友がそんな姿に変身できることを思うと、何だか不思議だった。
(……変身かぁ)
『なんだよ』
(ケレンとフェールも大きな狼に変身出来るし……お前はなんか無いのかよ)
そういえばエレボスには猫耳が生えている。化け猫みたいな姿はないのかと僅かに期待する。
『ねェよ。俺はこの人型一つだ。天狼様みたいなのは特殊だよ。精霊の中にも色んな種族がいて……ほとんどの精霊は人型ひとつで、変身出来る方が少数なんだよ』
(じゃあその猫耳はなんなんだ)
『これはっ……その。……変身出来ても戦闘に役立つとは限らないってゆーか……』
いじけたような声になるエレボス。指をつんつんと突き合わせている様が脳裏に浮かぶ。ないと言い切っていたが本当にないわけではないようだ。
エレボスがそれ以上答える気配がないので、エレンは意識を現実に引き戻す。もう村の入り口に辿り着く頃だった。
#27 END
To be continued...
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