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第二章 unDead
#26 精霊と人間
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アーガイルの双剣による連撃を、ジリョンは小刀一本で容易く受け止めて行く。力が使えなくても、彼は十分強かった。想定していなかった従弟の実力に、アーガイルは内心焦りを見せる。
「へえ、そんなもん? 大口叩いてた割には大したことないな」
「うるさい!」
キン! と弾き合って、お互い後ろに跳んで距離を取る。
「……でもさすがに二刀流を受け続けるのはちょっと厳しいか」
ジリョンはそう言いながら腕をブラブラと振る。それなりに衝撃は堪えているようだった。
「力が使えたらすぐに畳んでやるのに……」
「……むかつくなあ!」
アーガイルが地を蹴る。力を使わないただの跳躍。双剣による攻撃を繰り出すが、軽くさばかれる。さらに、一撃を強く弾かれてその隙に左手の手刀が飛んで来る。それは鋭く空を切る。アーガイルは下からジリョンを見上げる。
「……避けるか」
左手を地につき、思い切り地を突き放す。その勢いを載せた蹴り上げがジリョンの顎に炸裂する。
「がっ!」
後ろにジリョンは倒れる。体勢を立て直したアーガイルはジリョンの右手首を踏んで小刀を放させると遠くへ蹴り、右手で首を抑えて左手に逆手に持った短剣を鼻面へ突きつけた。
「……!」
「お前、僕をナメすぎだ」
「…………油断した」
「言い訳とかダサいよ。僕がその気なら一回の油断で君は死ぬんだから」
「……ぐぅの音も出ないな。しかも情けをかけられちゃ……」
はぁ、とため息を吐くジリョンに、アーガイルは目を眇める。
「殺すつもりは初めからないよ」
「違う違う。お前、力を使わなかったろ。……くそ。情けねェ」
放してくれ、とジリョンはアーガイルの手を指先で突つく。念押しで、アーガイルは言う。
「……僕の勝ちってことでいい?」
「いいよ。……でも」
チラ、とジリョンは激しい戦闘音のする方を見た。
「あいつを止めるのは無理かも」
「…………」
精霊たちの戦いだ。彼らが場所を移したために、音以外の状況は分からない。
アーガイルはエレンの方を振り返る。
「君も止められないの?」
「巻き込まれる、多分」
エレンはそう言って苦い顔をし、続けた。
「…………フェールの気配がする」
* * *
パラパラパラ、とピオスの持つ本のページがめくれ、あるページで止まった。
「“症例・凍傷”」
本が光り、エレボスの左半身が凍りつく。右手に持った鎌で、躊躇いなくエレボスは自身の体を薙ぐ。刃は体を通り抜け、凍てつきが弾けて消える。
「……厄介だな、その大鎌」
「神具“ロブ・ファルチェ”。この鎌はあらゆるものを刈り取る!」
エレボスは笑ってそう叫ぶと、前へ跳躍する。ピオスの右手に、メスの様な刃が現れた。その先端からX字の光が閃き、収束したあと放たれる。
「“クロス・レイ”」
「“イレイス・スロウ”!」
光線は鎌によって打ち消される。エレボスはそのまま突進し、左手に持った黒い剣で攻撃する。ピオスは小さな刃でそれを受け止めると、弾き返して距離を取る。
「接近戦は得意ではないのだがね」
「それで弾き返しておいて言うことか⁈」
び、とエレボスは剣をピオスの方へ突き出して言う。見た目には実に小さな刃だ。役割としては近接武器より杖などの魔導具に近いものだろう。
「軟弱な魔導士の癖に……」
「おや、誰が軟弱だと?」
「!」
突如声が降ってきて、二人は上空を見上げた。そこには黒い翼を広げたフェールがいた。
「……て、天狼様!」
「久しいなエレボス。エレン殿の中におる気配は感じていたが」
翼を羽ばたかせながら、ストンとフェールはエレボスの横へ降りて来る。
「……宿主は」
「ケレン殿なら側で隠れておるよ。ただならぬ魔導の気配を感じ、室内より避難させた。……なるほど、貴様が相手か。この私を差し置いて夜の戦を楽しもうとは、無粋なものよの」
「……影狼の長。永らく神界で話を聞かんと思っていたが、こんなところにいたのか? しかも宿主は未熟と来た。あの眼鏡の小僧だろう。随分と落ちぶれたものだな」
「好きに言うが良い。私は私の誇りを持ってここにいる。一族のことは次代に任せておるし、私はただの隠居に過ぎぬ。だが、この力は衰えてはおらぬよ。普段はケレン殿の身のこともあるゆえ、百の力は出せんところだが。幸いここは影に満ち満ちている」
フェールが杖をピオスに向け、獣の如き笑みを浮かべる。
「既にここは我が支配圏。傷を恐れ敗走するなら今のうちだ。影狼は一度定めた獲物に容赦はせぬぞ」
「これはまた。実力の伴った威嚇は恐ろしいな。この二匹の獣を私一人で相手しろというのか? 冗談じゃない。…………猫はともかく狼は少々骨が折れる」
「おい!」
エレボスは耳を立て、足を一歩踏み出して唸る。やれやれとピオスは肩を竦めた。
「まぁいい。ここで影の二柱を討ち取れば、名も上がるというもの」
「甘く見られたものよの、エレボス」
「…………あぁ」
ジャリ、とエレボスの持つ武器の鎖が鳴る。そしてそれを合図に戦闘は再開する。
エレボスが飛び出す。剣撃をピオスは上へ躱すと、手にした刃をエレボスへ向け、その先に光が収束する。
「“γナイフ”」
細く放たれたその光線を、エレボスは横へ跳んで躱す。光線は地面を穿ち、焼け焦がした。
「反射が良いな」
「猫だもんで」
鎌が空中のピオスへと襲い掛かる。ピュン、と体を光と化したピオスはさらに上空へと逃げた。
「卑怯だぞ!」
「空も飛べない戦士め。元が地を這う猫なら仕方ないか」
「何を!」
と、その時さらに上空から強い殺気を感じてピオスは見上げる。咄嗟に展開した光の盾が飛んで来た影の槍を弾く。
翼を広げたフェールが、杖を構えてピオスを見下ろしていた。不意にピオスはゾワリとしてその場から飛び退いた。直後、地面が盛り上が り、棘となって空中を刺し貫いた。
「…………無詠唱とは畏れ入る」
「属性変換など造作もないことだ」
魔術。それは守護者や精霊が通常扱うものより特殊な力を指す。
扱うものは同じだ。大気や大地に満ちるエレメント。だがその利用の仕方がより複雑なのである。
魔術師、あるいは魔導士は自身の適正属性以外の属性も操ることが出来るが、それは本来自分が持つ属性を強制的に変換して利用している。これには相当な鍛錬とそれなりの才能が必要で、その工程を意識するためにも多少なり詠唱が必要になる。
だが、永きに渡って魔術を極めてきた、さらにはその天才には、それは必要ない。
風の斬撃がピオスを襲う。横へ躱すが頬が浅く切れた。動じずにピオスは刃をフェールへと向ける。
「“銀の矢”!」
銀色の光の矢が五つ、高速で打ち出される。フェールは落ち着いた様子で空中に闇の盾を作り出す。矢を打ち消した盾は、十数の闇の矢へと転じるとピオスへと降り注いだ。
「なっ……!」
ピオスが出した光の盾も打ち砕き、矢は彼を穿ち地へ堕とす。そこで待っていたエレボスは大鎌を肩に担ぎため息交じりに言う。
「やっと戻って来やがったな」
「ぐうっ……」
呻くピオスに近付こうとしたその時、突如として光り輝く蛇が飛び出して来た。驚いたエレボスは剣でそれを打ち払う。光と化して消えた蛇は、再びピオスの側へ現れた。
「…………使い魔……⁈」
「……“蛇の秘薬《サーペンス・セクレタムメディカ》”」
蛇の牙から光の雫が垂れる。それがピオスの体に触れると、たちまちあらゆる傷が消えた。
「お前……ずるいぞ!」
「治癒魔術は戦術のうちだ。それに私は医神、治すことが本分。悔しければお前も治癒魔術くらい身につけろ」
「なっ……出来るし! 俺も! 少しくらい!」
立ち上がったピオスに耳を下げて威嚇するエレボス。ピオスの首元に光の蛇が巻き付いている。
「まぁ。この力についてはこの使い魔のものだが」
「だろうな!」
エレボスは剣を構えて飛びかかる。大振りの斬撃を後ろへ退がって避けたピオスは、刃をまた相手へと向ける。呼応するように蛇がそれに巻きつき、たちまち杖へと姿を転じた。
「神具が……⁈」
「力の消耗が激しいからな。普段はあまり出さんのだが」
ピオスは視線を上へ向け、片眉を上げた。
「一流の魔術師が相手では、致し方ない」
「お前! 俺のことは無視か!」
「獣のことは獣に任せるさ」
「!」
と、ピオスは杖を頭上へ掲げる。その背後に巨大な魔法陣が現れ、そしてそこからヌッと何かが出て来た。
「何だ……」
「……召喚術とは。変わったものを使う」
フェールが感心したように呟く。やがて現れたのは三つ首の巨大な白い蛇だった。それぞれの頭がチロチロと舌を出し、六つの黄金の目がエレボスを睨めつけている。
「……ドラゴンじゃねェな」
「魔法生物だ。お前はこれの相手をしていろ」
ピオスが言うや否や、蛇は素早くエレボスへと襲い掛かる。飛び退いたあとに砂煙が立ち上る。
「へへ、いぃ~ねェ、滾って来たァ!」
三つの首が次々とエレボスへ襲いかかるが、彼はひょいひょいと避け、頭の上へと飛び乗る。そして脳天へ剣を突き刺そうとするが、キン、と音がして弾かれた。
「硬っ!」
エレボスが乗っていた蛇が頭を跳ね上げ、打ち上げられる。
「うわあああ!」
落ちるエレボスを、蛇は飲み込もうとそのあぎとを開く。空中でなんとか体勢を整え、狙いを定めたエレボスは剣の鋒を向けて叫ぶ。
「“ノア・ピアース”!」
黒き剣から、影の突撃が放たれる。蛇の口に入ったそれはその喉を貫いた。一つの頭が墜落する。
「やりぃ! ………っと!」
着地の寸前、一瞬ふわりと体が浮いてとす、と地に足がついた。見上げるとフェールがこちらに杖を向けている。
「フェール! 助かった!」
「油断するな」
「!」
見ると、喉を貫かれた頭が再び起き上がっている。光が集まって傷が再生しているのが見て取れた。
「何⁈ 不死身か⁈」
「どうやら三つの頭を同時に破壊せねばならぬようだ。そうだろう?」
フェールはピオスの方を見る。彼は肩を竦めた。
「さて。やれるものならばやってみるが良い」
ピオスが杖をかざす。周囲にいくつか光が集まり、一つ一つがメスのような形を成す。
「“切り開く光”」
それらが回転しながら放たれる。フェールは再び影の盾を作る。だが。
「! 何っ!」
盾が斬り裂かれる。フェールは咄嗟に回避行動を取るが、腕や脚を浅く斬られた。
「おや、さすがは獣。反射速度は優れているね」
「……全てを切り裂く光というわけか」
目を細め、フェールが言うと共に再びピオスが光を放つ。翼で自らを覆ったフェールの姿が黒い羽根を残して消える。
「!」
ピオスは辺りの気配を探る。濃い影のエレメントを感じたそこに、黒き玉となったフェールが現れ、翼を大きく広げた。それはピオスのすぐ傍だった。杖を振りかぶったフェールに、思わずピオスは反応が遅れる。鈍い音を立てて、ピオスは杖で頭を打たれた。
「ッ⁉」
「油断したな」
蛇の方へ飛ばされ、ピオスがその頭の上に着地すると上空でフェールが杖をこちらに構えているのが見えた。ただならぬ気配がそこに集まっている。ピオスも、そしてエレボスも辺りの影が騒めいているのを感じて冷や汗が垂れた。
「おいおいおいマジか」
エレボスは蛇の頭を退けつつ、偽の月の前で浮かんでいる天狼の姿を見た。
「“森の影、海の影、地の影、幾千に在りし其の力よ、今此処に一つと成りて我に力を与え給え”」
詠唱。彼がそれを口にすることが何を意味するのか、精霊の一流の魔術師ならば誰もが知っていた。勿論、彼を良く知るエレボスも。
杖の先に黒く四角い魔法陣が現れた。それは徐々に大きくなると、中心に暗い力を蓄えている。
「“黒方陣・影ノ波動”」
「おい! 俺ごと巻き込む気か!」
「くっ! そんなもの!」
真ん中の蛇の頭の上で、ピオスは光の盾を展開した。放たれた黒き波動が彼へと押し寄せた。盾がそれを弾くが、ぎりぎりと押されているのをピオスは感じた。
「トリセプス・サーペンス! 押し返せ!」
蛇がぐぐ、とピオスの乗っている頭を押し上げた。しかし、やがてピシピシと盾にヒビが入り始めた。
「何……」
「仕舞いだ。その大蛇ごと穿ってくれる」
波動が盾を押し切った。ピオスがそれに呑まれ、そして蛇も次いでさらに撃たれた二撃の波動に全ての頭を穿たれた。
「うわっ!」
近くにいたエレボスは慌ててそこから逃げ出した。波動が消えると、蛇も姿を消し、その痕をキラキラと光が舞っている。それを影の粒子が飲み込む様を見、エレボスは息を呑んだ。
近くにバサ、と翼をしまいながらフェールが降りてくる。その彼にエレボスは目を吊り上げた。
「おい! 俺にも当たったらどうするんだ!」
「お主ほどの影の精霊であればさほどの影響は出ぬよ。腕の一本や二本は消し飛ぶかもしれんが」
「それはだいぶ重症なんだが……⁉」
エレボスの抗議をものともせず、フェールは悠々とクレーターの中へと歩いて行く。中心にはボロボロになり消えかけたピオスが膝をついている。両腕がなくなっている。こちらを見た目を見返し、フェールは笑う。
「命は取らぬ。その体も宿主の内で休めば治るであろう。お主は医神でもあるしな」
「……医者の不養生などと言われんようにするよ。悔しいが私の負けは認めざるを得ないな。またの再戦を願うぞ“天狼”。今度は邪魔な猫のいないところでな」
「あ⁉」
エレボスが噛みつくが、二人の魔導士は相手にしなかった。やがてピオスの体は一つの小さな光の玉になって宿主の方へと飛んで行った。
「……さて。我々も戻らねばな。ケレン殿にも多大な負担をかけてしまった」
「あんたの宿主、貧弱そうなんだからあんまり無茶させんなよ」
「お主に言われずとも心得ている。ここは影の力に満ちておったゆえ、つい普段より出力を上げてしまったが」
「そんな満足気な顔で言われてもな」
「ふふ」
フェールは意地悪げに笑うと体を光の玉に転じさせ、ケレンがいるのであろう方向へ飛んで行った。エレボスも一つため息を吐くと光の玉となって、エレンの方へ戻って行くのであった。
#26 END
To be continued...
「へえ、そんなもん? 大口叩いてた割には大したことないな」
「うるさい!」
キン! と弾き合って、お互い後ろに跳んで距離を取る。
「……でもさすがに二刀流を受け続けるのはちょっと厳しいか」
ジリョンはそう言いながら腕をブラブラと振る。それなりに衝撃は堪えているようだった。
「力が使えたらすぐに畳んでやるのに……」
「……むかつくなあ!」
アーガイルが地を蹴る。力を使わないただの跳躍。双剣による攻撃を繰り出すが、軽くさばかれる。さらに、一撃を強く弾かれてその隙に左手の手刀が飛んで来る。それは鋭く空を切る。アーガイルは下からジリョンを見上げる。
「……避けるか」
左手を地につき、思い切り地を突き放す。その勢いを載せた蹴り上げがジリョンの顎に炸裂する。
「がっ!」
後ろにジリョンは倒れる。体勢を立て直したアーガイルはジリョンの右手首を踏んで小刀を放させると遠くへ蹴り、右手で首を抑えて左手に逆手に持った短剣を鼻面へ突きつけた。
「……!」
「お前、僕をナメすぎだ」
「…………油断した」
「言い訳とかダサいよ。僕がその気なら一回の油断で君は死ぬんだから」
「……ぐぅの音も出ないな。しかも情けをかけられちゃ……」
はぁ、とため息を吐くジリョンに、アーガイルは目を眇める。
「殺すつもりは初めからないよ」
「違う違う。お前、力を使わなかったろ。……くそ。情けねェ」
放してくれ、とジリョンはアーガイルの手を指先で突つく。念押しで、アーガイルは言う。
「……僕の勝ちってことでいい?」
「いいよ。……でも」
チラ、とジリョンは激しい戦闘音のする方を見た。
「あいつを止めるのは無理かも」
「…………」
精霊たちの戦いだ。彼らが場所を移したために、音以外の状況は分からない。
アーガイルはエレンの方を振り返る。
「君も止められないの?」
「巻き込まれる、多分」
エレンはそう言って苦い顔をし、続けた。
「…………フェールの気配がする」
* * *
パラパラパラ、とピオスの持つ本のページがめくれ、あるページで止まった。
「“症例・凍傷”」
本が光り、エレボスの左半身が凍りつく。右手に持った鎌で、躊躇いなくエレボスは自身の体を薙ぐ。刃は体を通り抜け、凍てつきが弾けて消える。
「……厄介だな、その大鎌」
「神具“ロブ・ファルチェ”。この鎌はあらゆるものを刈り取る!」
エレボスは笑ってそう叫ぶと、前へ跳躍する。ピオスの右手に、メスの様な刃が現れた。その先端からX字の光が閃き、収束したあと放たれる。
「“クロス・レイ”」
「“イレイス・スロウ”!」
光線は鎌によって打ち消される。エレボスはそのまま突進し、左手に持った黒い剣で攻撃する。ピオスは小さな刃でそれを受け止めると、弾き返して距離を取る。
「接近戦は得意ではないのだがね」
「それで弾き返しておいて言うことか⁈」
び、とエレボスは剣をピオスの方へ突き出して言う。見た目には実に小さな刃だ。役割としては近接武器より杖などの魔導具に近いものだろう。
「軟弱な魔導士の癖に……」
「おや、誰が軟弱だと?」
「!」
突如声が降ってきて、二人は上空を見上げた。そこには黒い翼を広げたフェールがいた。
「……て、天狼様!」
「久しいなエレボス。エレン殿の中におる気配は感じていたが」
翼を羽ばたかせながら、ストンとフェールはエレボスの横へ降りて来る。
「……宿主は」
「ケレン殿なら側で隠れておるよ。ただならぬ魔導の気配を感じ、室内より避難させた。……なるほど、貴様が相手か。この私を差し置いて夜の戦を楽しもうとは、無粋なものよの」
「……影狼の長。永らく神界で話を聞かんと思っていたが、こんなところにいたのか? しかも宿主は未熟と来た。あの眼鏡の小僧だろう。随分と落ちぶれたものだな」
「好きに言うが良い。私は私の誇りを持ってここにいる。一族のことは次代に任せておるし、私はただの隠居に過ぎぬ。だが、この力は衰えてはおらぬよ。普段はケレン殿の身のこともあるゆえ、百の力は出せんところだが。幸いここは影に満ち満ちている」
フェールが杖をピオスに向け、獣の如き笑みを浮かべる。
「既にここは我が支配圏。傷を恐れ敗走するなら今のうちだ。影狼は一度定めた獲物に容赦はせぬぞ」
「これはまた。実力の伴った威嚇は恐ろしいな。この二匹の獣を私一人で相手しろというのか? 冗談じゃない。…………猫はともかく狼は少々骨が折れる」
「おい!」
エレボスは耳を立て、足を一歩踏み出して唸る。やれやれとピオスは肩を竦めた。
「まぁいい。ここで影の二柱を討ち取れば、名も上がるというもの」
「甘く見られたものよの、エレボス」
「…………あぁ」
ジャリ、とエレボスの持つ武器の鎖が鳴る。そしてそれを合図に戦闘は再開する。
エレボスが飛び出す。剣撃をピオスは上へ躱すと、手にした刃をエレボスへ向け、その先に光が収束する。
「“γナイフ”」
細く放たれたその光線を、エレボスは横へ跳んで躱す。光線は地面を穿ち、焼け焦がした。
「反射が良いな」
「猫だもんで」
鎌が空中のピオスへと襲い掛かる。ピュン、と体を光と化したピオスはさらに上空へと逃げた。
「卑怯だぞ!」
「空も飛べない戦士め。元が地を這う猫なら仕方ないか」
「何を!」
と、その時さらに上空から強い殺気を感じてピオスは見上げる。咄嗟に展開した光の盾が飛んで来た影の槍を弾く。
翼を広げたフェールが、杖を構えてピオスを見下ろしていた。不意にピオスはゾワリとしてその場から飛び退いた。直後、地面が盛り上が り、棘となって空中を刺し貫いた。
「…………無詠唱とは畏れ入る」
「属性変換など造作もないことだ」
魔術。それは守護者や精霊が通常扱うものより特殊な力を指す。
扱うものは同じだ。大気や大地に満ちるエレメント。だがその利用の仕方がより複雑なのである。
魔術師、あるいは魔導士は自身の適正属性以外の属性も操ることが出来るが、それは本来自分が持つ属性を強制的に変換して利用している。これには相当な鍛錬とそれなりの才能が必要で、その工程を意識するためにも多少なり詠唱が必要になる。
だが、永きに渡って魔術を極めてきた、さらにはその天才には、それは必要ない。
風の斬撃がピオスを襲う。横へ躱すが頬が浅く切れた。動じずにピオスは刃をフェールへと向ける。
「“銀の矢”!」
銀色の光の矢が五つ、高速で打ち出される。フェールは落ち着いた様子で空中に闇の盾を作り出す。矢を打ち消した盾は、十数の闇の矢へと転じるとピオスへと降り注いだ。
「なっ……!」
ピオスが出した光の盾も打ち砕き、矢は彼を穿ち地へ堕とす。そこで待っていたエレボスは大鎌を肩に担ぎため息交じりに言う。
「やっと戻って来やがったな」
「ぐうっ……」
呻くピオスに近付こうとしたその時、突如として光り輝く蛇が飛び出して来た。驚いたエレボスは剣でそれを打ち払う。光と化して消えた蛇は、再びピオスの側へ現れた。
「…………使い魔……⁈」
「……“蛇の秘薬《サーペンス・セクレタムメディカ》”」
蛇の牙から光の雫が垂れる。それがピオスの体に触れると、たちまちあらゆる傷が消えた。
「お前……ずるいぞ!」
「治癒魔術は戦術のうちだ。それに私は医神、治すことが本分。悔しければお前も治癒魔術くらい身につけろ」
「なっ……出来るし! 俺も! 少しくらい!」
立ち上がったピオスに耳を下げて威嚇するエレボス。ピオスの首元に光の蛇が巻き付いている。
「まぁ。この力についてはこの使い魔のものだが」
「だろうな!」
エレボスは剣を構えて飛びかかる。大振りの斬撃を後ろへ退がって避けたピオスは、刃をまた相手へと向ける。呼応するように蛇がそれに巻きつき、たちまち杖へと姿を転じた。
「神具が……⁈」
「力の消耗が激しいからな。普段はあまり出さんのだが」
ピオスは視線を上へ向け、片眉を上げた。
「一流の魔術師が相手では、致し方ない」
「お前! 俺のことは無視か!」
「獣のことは獣に任せるさ」
「!」
と、ピオスは杖を頭上へ掲げる。その背後に巨大な魔法陣が現れ、そしてそこからヌッと何かが出て来た。
「何だ……」
「……召喚術とは。変わったものを使う」
フェールが感心したように呟く。やがて現れたのは三つ首の巨大な白い蛇だった。それぞれの頭がチロチロと舌を出し、六つの黄金の目がエレボスを睨めつけている。
「……ドラゴンじゃねェな」
「魔法生物だ。お前はこれの相手をしていろ」
ピオスが言うや否や、蛇は素早くエレボスへと襲い掛かる。飛び退いたあとに砂煙が立ち上る。
「へへ、いぃ~ねェ、滾って来たァ!」
三つの首が次々とエレボスへ襲いかかるが、彼はひょいひょいと避け、頭の上へと飛び乗る。そして脳天へ剣を突き刺そうとするが、キン、と音がして弾かれた。
「硬っ!」
エレボスが乗っていた蛇が頭を跳ね上げ、打ち上げられる。
「うわあああ!」
落ちるエレボスを、蛇は飲み込もうとそのあぎとを開く。空中でなんとか体勢を整え、狙いを定めたエレボスは剣の鋒を向けて叫ぶ。
「“ノア・ピアース”!」
黒き剣から、影の突撃が放たれる。蛇の口に入ったそれはその喉を貫いた。一つの頭が墜落する。
「やりぃ! ………っと!」
着地の寸前、一瞬ふわりと体が浮いてとす、と地に足がついた。見上げるとフェールがこちらに杖を向けている。
「フェール! 助かった!」
「油断するな」
「!」
見ると、喉を貫かれた頭が再び起き上がっている。光が集まって傷が再生しているのが見て取れた。
「何⁈ 不死身か⁈」
「どうやら三つの頭を同時に破壊せねばならぬようだ。そうだろう?」
フェールはピオスの方を見る。彼は肩を竦めた。
「さて。やれるものならばやってみるが良い」
ピオスが杖をかざす。周囲にいくつか光が集まり、一つ一つがメスのような形を成す。
「“切り開く光”」
それらが回転しながら放たれる。フェールは再び影の盾を作る。だが。
「! 何っ!」
盾が斬り裂かれる。フェールは咄嗟に回避行動を取るが、腕や脚を浅く斬られた。
「おや、さすがは獣。反射速度は優れているね」
「……全てを切り裂く光というわけか」
目を細め、フェールが言うと共に再びピオスが光を放つ。翼で自らを覆ったフェールの姿が黒い羽根を残して消える。
「!」
ピオスは辺りの気配を探る。濃い影のエレメントを感じたそこに、黒き玉となったフェールが現れ、翼を大きく広げた。それはピオスのすぐ傍だった。杖を振りかぶったフェールに、思わずピオスは反応が遅れる。鈍い音を立てて、ピオスは杖で頭を打たれた。
「ッ⁉」
「油断したな」
蛇の方へ飛ばされ、ピオスがその頭の上に着地すると上空でフェールが杖をこちらに構えているのが見えた。ただならぬ気配がそこに集まっている。ピオスも、そしてエレボスも辺りの影が騒めいているのを感じて冷や汗が垂れた。
「おいおいおいマジか」
エレボスは蛇の頭を退けつつ、偽の月の前で浮かんでいる天狼の姿を見た。
「“森の影、海の影、地の影、幾千に在りし其の力よ、今此処に一つと成りて我に力を与え給え”」
詠唱。彼がそれを口にすることが何を意味するのか、精霊の一流の魔術師ならば誰もが知っていた。勿論、彼を良く知るエレボスも。
杖の先に黒く四角い魔法陣が現れた。それは徐々に大きくなると、中心に暗い力を蓄えている。
「“黒方陣・影ノ波動”」
「おい! 俺ごと巻き込む気か!」
「くっ! そんなもの!」
真ん中の蛇の頭の上で、ピオスは光の盾を展開した。放たれた黒き波動が彼へと押し寄せた。盾がそれを弾くが、ぎりぎりと押されているのをピオスは感じた。
「トリセプス・サーペンス! 押し返せ!」
蛇がぐぐ、とピオスの乗っている頭を押し上げた。しかし、やがてピシピシと盾にヒビが入り始めた。
「何……」
「仕舞いだ。その大蛇ごと穿ってくれる」
波動が盾を押し切った。ピオスがそれに呑まれ、そして蛇も次いでさらに撃たれた二撃の波動に全ての頭を穿たれた。
「うわっ!」
近くにいたエレボスは慌ててそこから逃げ出した。波動が消えると、蛇も姿を消し、その痕をキラキラと光が舞っている。それを影の粒子が飲み込む様を見、エレボスは息を呑んだ。
近くにバサ、と翼をしまいながらフェールが降りてくる。その彼にエレボスは目を吊り上げた。
「おい! 俺にも当たったらどうするんだ!」
「お主ほどの影の精霊であればさほどの影響は出ぬよ。腕の一本や二本は消し飛ぶかもしれんが」
「それはだいぶ重症なんだが……⁉」
エレボスの抗議をものともせず、フェールは悠々とクレーターの中へと歩いて行く。中心にはボロボロになり消えかけたピオスが膝をついている。両腕がなくなっている。こちらを見た目を見返し、フェールは笑う。
「命は取らぬ。その体も宿主の内で休めば治るであろう。お主は医神でもあるしな」
「……医者の不養生などと言われんようにするよ。悔しいが私の負けは認めざるを得ないな。またの再戦を願うぞ“天狼”。今度は邪魔な猫のいないところでな」
「あ⁉」
エレボスが噛みつくが、二人の魔導士は相手にしなかった。やがてピオスの体は一つの小さな光の玉になって宿主の方へと飛んで行った。
「……さて。我々も戻らねばな。ケレン殿にも多大な負担をかけてしまった」
「あんたの宿主、貧弱そうなんだからあんまり無茶させんなよ」
「お主に言われずとも心得ている。ここは影の力に満ちておったゆえ、つい普段より出力を上げてしまったが」
「そんな満足気な顔で言われてもな」
「ふふ」
フェールは意地悪げに笑うと体を光の玉に転じさせ、ケレンがいるのであろう方向へ飛んで行った。エレボスも一つため息を吐くと光の玉となって、エレンの方へ戻って行くのであった。
#26 END
To be continued...
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