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第二章 unDead
#25 その夜
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イアリは冷たい風に目を覚ました。木々の間から夜空が覗いている。灯りと熱を感じて体を起こすと、焚火の横に上裸のフォレンがいた。
「あ、起きた?」
「何で服……」
「ん」
と、顎で指されて自分の体を見ると、引き裂かれたフォレンのシャツで手当てがされていた。どうやらあのまま夜までずっと気絶していたらしい。足にも添え木がしてある。
「あ、すみません、その、ありがとうございます……」
「いいよ。身内の責任は俺が取る」
なんでもないような顔をしているが、気温は随分と低い。本当に平気なのかが気になるところだ。
奥に目を向けると、木の幹に寄りかかってロレンが眠っていた。彼も左目に布が巻かれている。その様子に複雑な気持ちになっていると、不意に焼けた肉の刺さった枝を差し出された。
「えっ……と」
イアリが戸惑っていると、フォレンはくい、と促すように枝────串を動かす。
「食べる? 腹減ってるだろ」
「……何ですか、これ」
「タヌキ。さっきとって来た」
さも当たり前のように言う。軍人ならばこれくらいのことは出来て当然ということだろうか。
「……大丈夫ですかこれ」
「心配いらない。処理はしてあるし火もしっかり通した」
ほら、とフォレンは自分で食べて見せる。とは言え食中毒はそんなすぐに出るものではないので不安は払拭されないが……ぐう、と腹が鳴り、こんがりとよく焼けた肉に食欲を誘発されてかぶりつく。……が。
「……んぐ……」
「調味料持ってなくてね。うん、美味くはないがまぁまぁいけるだろ」
「……まぁまぁ、っすね、ハイ……」
ここでは文句は言えない。随分迷惑をかけているなと申し訳ない気持ちが勝つ。
「……本当に……すみません」
「君が謝ることじゃない。ロレンが悪い」
フォレンはそう言って、眠る弟の方を見た。焚火に照らされたフォレンの顔は、昼間とは違う風に見えた。
「君も憑神者なんだって? しかも竜の」
「え、ああ、はい。……ロレンのとは全然違うタイプなんですけど」
「聞いたよ。グリフィンだっけ。鷲の上半身と獅子の下半身を持った……。ロレンの竜には歯が立たなかっただろ」
「そうっすね。全然……歯はないんすけど。あはは」
冗談めかして笑うと、フォレンもフッと笑った。
「あれを使いこなせれば、ロレンはもっと強くなれるんだけど。いかんせん憑いた精霊の性分が悪いらしい。闇竜族ってそういうものなのかな? 俺は直接話したことはないんだけどね。……ロレンが時々塞ぎ込んでるのを見る」
パチパチと、焚火のはじける音がする。それを眼鏡越しにフォレンは眺め、目を伏せた。
「俺は……精霊のことは分からない。俺には精霊はいないからね」
「あんなに強いのに?」
「俺はこう、そんなに力に頼らないからね。……ロレンもそういう風に強くなれればいいんだけど、なかなか。あれは気性もあるのかな」
フォレン顎を指で撫でると、続ける。
「ロレンは昔から……弱虫だ。俺と性格が正反対で。顔はこんなに似てるのに。背丈が大きくなっても全然変わらない。軍に入って少しは、精神も強くなったけど。根っこのところは変わってない。……まぁ、イアリ君も知ってると思うけど」
ロレンとは幼い頃から一緒に育った。イアリは12歳で孤児院に入った。ロレンとフォレンは二年先にいた先輩だった。エレンたち兄弟はさらにその一年前からいた。初めはフォレンとロレンの見分けがつかなかったのを覚えている。でも、段々と言動や立ち振る舞いから見分けがつくようになった。小さい頃は、フォレンの方が背が高かった。今やそんなに変わらないが。
「……孤児院に来る前から、あんな感じなんですか?」
もっと幼い頃のこと聞きたくて、イアリはそう訊ねた。しかし、フォレンは顔を曇らせる。
「それが……覚えてないんだ。孤児院に入る前のことは」
「え?」
「12歳より以前のこと……親のこととか、それまでどこで育ったのかも、俺は覚えていない」
フォレンは右手で額を抑えた。記憶を探るように目を細める。だが、何かに阻まれるように彼はどこか苦しそうな表情をして、続けた。
「気が付いたら、孤児院にいて。隣にロレンがいた。それが俺の……大事な弟だってことだけは分かった。記憶を失くした俺を、ロレンは変わらず兄として受け入れてくれたし……。何も分からない中で、絶対に守らなきゃって……そういう想いだけは覚えてた。だから、俺は……」
はあ、とフォレンはため息を吐く。炎がそれに応えるように揺らめく。
「俺は、ロレンのことだけは何があっても守らなきゃならないんだ。何からも。……だのに、俺にはロレンに憑いてる精霊のことはどうにもできない。それがどうにも、もどかしい」
フォレンは膝を抱えて俯く。イアリは何も言えなかった。
「頑張ろうとして暴走したロレンを、俺は暴力で抑えてやることしかできない。顕現状態で受けたダメージは、そのまま宿主に反映されるだろ? ……本当は、あんなこと……したくない」
勿論、竜の体で受けたダメージがそっくりそのまま来るわけではない。体のスケールに応じて多少縮小はされる。ただ、割合としては同じだ。竜の体は人より頑丈だ。鷲獅子竜の風も炎も受け付けない巨躯が、フォレンの蹴りで仰け反る様は凄まじいものだった。あれを人の身で食らえばひとたまりもないだろうなと思うが、竜の体にはさして命に関わるような衝撃は加わっていないように見えた。現にロレンは、鷲獅子竜に突かれた左目以外はそんなに重症ではないようだった。
「……そんなに気に病まなくても大丈夫ですよ、きっと」
「守りたいものを守るために、それに手を上げなきゃいけないとか、矛盾してるだろ」
フォレンはそう言いながら手を広げる。そしてずいとイアリに顔を寄せた。
「なぁ。人間に憑いた精霊を神界へ追い返す方法ってないのかな」
「……えーと、それは訊いてみないと……」
と、チラ、とイアリはなんとなく視線を下に向ける。すると内側から声が返って来た。
『ないな』
「……ない、そうです」
「そうか……」
フォレンは落胆し、そしてすぐに「でも」、と顔を上げた。
「グレンを生き返らせることが出来るように、抜け穴がないとも限らないよな」
「それは……どうでしょう。色々調べてみないと……」
『ないものはない』
グリフが不機嫌そうにそう言うので、イアリはそうフォレンに伝えた。
「ないことの証明は悪魔の証明だ」
「……でも、精霊本人がそう言ってるんで」
「むう……」
フォレンはまだ諦めきれないというような顔をしていたが、やがて一つ大きなため息を吐くと元の姿勢に座りなおした。
「まあ……ライナーのことはロレンに任せるしかないよな」
「……ロレンは強い奴ですよ。自分のことはきっと、自分でなんとかできます」
「そう……だよな」
仄かにフォレンの表情が和らいだ。そして彼はイアリに向かって笑いかける。
「ありがとう。ちょっとすっきりした」
「なら、良かったです」
「もう寝なよ。明日、エレン君たちを追うんだろ?」
「あ、そう、ですね……道分かるかな」
「多分大丈夫だ。俺に任せて」
ぐっ、とフォレンは胸を親指で差してウィンクした。
「俺はこのまま見張りでしばらく起きてるよ。だから安心して眠るといい」
「……いいんですか?」
「大丈夫。慣れてる」
ほら、と手で促されるのでイアリは礼を言って横になった。野宿には慣れているので、環境には問題なかった。途端に睡魔に襲われ、あっという間にイアリは夢の世界へと落ちて行った。
* * *
アーガイルは何かが動く気配を感じて飛び起きた。反射的に自分に迫っていた手を右手で捉える。その手に握られていた小刀に、アーガイルはヒヤリとした。相手が驚いた様子が伝わって来たので、襲撃者の顔を確認すべく光で照らす。
「……ジン、なんの真似だ」
驚きを飲み込みながら、襲撃者の名を呼ぶ。襲撃者────ジリョンはしくじったという顔で舌打ちすると、呟いた。
「……ちっ、迷いが出たか」
掴んでいた手を振りほどかれる。思っていたより強い力に驚きながら、アーガイルは布団の下に隠していた双剣の片割れを手にした。
状況が理解しきれないまま、アーガイルは再び振られた小刀を短剣で受ける。その力の入り方に、完全に相手がこちらを殺しにかかってきていることを感じた。
「……説明しろ、ジン」
「分からないか? 生かしとくわけにはいかねェんだよ、お前らを」
「何、だって?」
アーガイルはジリョンの体を蹴ると、胸倉を掴んでそのまま窓の方へ投げた。パリィン! という音と共に窓ガラスが割れ、ジリョンの体は外へ放り出される。アーガイルは双剣を手にその後を追って外へ出る。
辺りにほとんど光はなかった。空には虚像の月が浮かんでいるが、本物の月ほどの明るさはない。
「おい……みんな起きちまうだろ……」
ジリョンは体についたガラスを払いながら起き上がった。目には明確な殺意が宿っている。それが信じられないアーガイルは、首を振る。
「何で……こんなこと」
「俺の、役目だ。神殿の番人。そのために俺はここにいる。……神殿目当てに訪れた者を追い返す。帰らなければ殺す。それだけだ」
「そんな……」
「それが例えお前でもだ、アル」
小刀の切っ先がこちらに向けられる。ショックだった。だが、そうも言っていられないことを理解する。
「……どうしても神殿に行きたければ、君をねじ伏せろってことか」
「そうだな。……俺が負けたらその先は拒めない」
「なるほど。簡単な話だな」
「!」
突然エレンの声がして驚く。声に振り向くと、医院の屋根の上に棒を携えたエレンが立っていた。
「エレン!」
「……いつの間に」
「そこらじゅう影だらけで潜み放題だよ」
ヒュンヒュン、と棒を回し、エレンはどん、と屋根を突く。
「正直、この村に来てそんなあっさり受け入れられるなんて拍子抜けだったんだよ。こんな隠匿された村で、村人に案内されて来たとは言え……。村長より先にお前に会わせられたのも、このためだろ」
「それは僕が頼んだからで……」
「いや。多分リトに仕向けられてる。……お前が身内であることは想定外だろうがな」
「!」
秩序の力か。こんな場所だと強化されているのか、それとも気の緩みで力が通ってしまったのか。となると、だ。
「……リトもグルか……」
「グルというか。村の決まりだ。リトはそれに従っただけ」
ジリョンはそう言って両手を広げた。
「でもま、リトは本当にお前たちを神殿に連れて行きたかったんじゃないかな。……俺はそう思うけど。生き返しの儀を経験した唯一の村人だし」
「じゃあ……!」
「でも、同時にリトは村長の孫だ。そりゃ逆らえないよ。秩序の掟は絶対だから」
肩を竦めたジリョンはそして、左手の中指と人差し指をくっつけてこちらに向けた。
「リトには悪いが、ここで始末させてもらうぜ。良かったな、会いたい人に会えるぞ」
「!」
揃えられた指先に、眩く白い光が収束する。
「“クロス・レイ”」
X字状の巨大なビームがアーガイルに向けて放たれる。光の力で躱す。光線は背後の医院に当たるが、何の影響もないように見えた。
「何だ⁉」
線の消えた方を見て驚いているアーガイルの影から、エレンがヌッと出てくる。
「うわっ、びっくりした」
「……あいつ憑神者だ」
「えっ」
エレンの言葉に、アーガイルがジリョンを見ると、彼は片眉を上げてやれやれとエレンを指差す。
「お前もだな。最初から感じてたけど。……アルは違うのか。ふーん」
と、エレンの胸元から小さな光が飛び出した。ふわりと二人の前に躍り出たそれは、やがて人の形を取る。アーガイルはその姿を初めて見た。フードを被った後ろ姿から、猫耳が覗いている。
「エレボス! 何で出て来た」
エレンが言うと、猫耳がピクリとする。
「……あいつの中にいる精霊。俺に任せて欲しい」
「え?」
エレボスの両手に、それぞれ大鎌と黒い剣が現れた。そして彼は鎌をジリョンの方へ向けると、叫ぶ。
「おい! 出て来いよ“医神”!」
「……それは出来ない。ピオスは出てこないよ」
ジリョンは目を細めてそう言う。エレボスは鎌を肩に担いだ。
「そうか。なら、無理矢理引きずりだすまでだ」
ダン、と猫の如き跳躍力で、エレボスはジリョンへと距離を詰める。
「!」
「ジン!」
アーガイルは思わず叫んだ。エレボスの大鎌がジリョンの体を捉える。──────だが、その刃はジリョンの体を傷付けることなくすり抜け、変わりに何か霊体のようなものが体から引きはがされた。
「……ぐっ」
ジリョンが膝をつく。引きずり出された霊体は、はっきりとした形を持って体勢を整えるとエレボスから距離を取った。
「……全く。避けてくれなきゃだめじゃないか、ジリョン君」
首の横でまとめられた赤毛と白衣が印象的な精霊だった。眼鏡の奥の水色の瞳は、穏やかな光を湛えている。黒いシャツに締められた緑のネクタイを直しながら、彼は膝をついている宿主に困ったような顔を向ける。
「……いや、動けなかったんだよ」
「だろうねえ。これだから影の奴らは嫌いだ」
左手に持っていた本をペラペラとめくりながら、顎を上げて精霊はエレボスに向かって言う。
「いつかの戦争ぶりだ、“暗黒神”エレボス。……君がお望みならば、ピッタリの処方箋を出してやろう」
「必要ねぇよヤブ医者が」
「私の診察はいつだって的確だ。君たちのような野蛮な者たちには少々手荒なくらいが丁度いい」
「相変わらずだなァ……」
二人の精霊の間に、ピリついた空気が流れる。精霊同士でも色々あるらしい、ということをエレンたちは察する。
「仕方ない。この精霊の相手は私がしよう。ジリョン君、君はあの人間たちのことを頼むよ」
「……力使えねェのは少し困るんだが……」
「向こうも同じだ」
「いや、もう一人いるだろ」
「……なんとかしたまえ」
「んな勝手な」
「……えっ? ……あっ!」
そこでエレンは、影の力が使えなくなっていることに気が付いた。
「エレボスお前! どうすんだよこれ!」
「どうにかなるだろ!」
ええ、とエレンは困る。と、アーガイルが肩を叩いて僕に任せて、と自分を指差した。アーガイルが前に出てジリョンに目を向けると、彼は立ち上がりながら眉根を寄せる。
「……アンフェアじゃない?」
「二対一とどっちがいいわけ。僕らは賊だよ。卑怯とかどうとか関係ない。これでも譲歩してる方だ」
「……そう言われたらぐうの音も出ない」
「その代わり」
と、アーガイルはジリョンを指差す。
「僕が負けたら大人しく出て行く。エレンやケレン君に手を出すのは無しだ。でも、僕が勝ったら神殿に連れて行くんだ。いいね」
「……まあ、その方が楽で助かるけど」
はあ、とジリョンは腰に手を当ててため息を吐いた。
「お前が戦えるようになってるとは、思いもしなかったな」
「昔のままだって甘く見てると、痛い目見るからな」
アーガイルは双剣を抜き、構えた。ジリョンも小刀を手に戦闘の構えを取る。
次の瞬間、二人は一気に駆けだして、激しい剣戟の音が響いた。
#25 END
To be continued...
「あ、起きた?」
「何で服……」
「ん」
と、顎で指されて自分の体を見ると、引き裂かれたフォレンのシャツで手当てがされていた。どうやらあのまま夜までずっと気絶していたらしい。足にも添え木がしてある。
「あ、すみません、その、ありがとうございます……」
「いいよ。身内の責任は俺が取る」
なんでもないような顔をしているが、気温は随分と低い。本当に平気なのかが気になるところだ。
奥に目を向けると、木の幹に寄りかかってロレンが眠っていた。彼も左目に布が巻かれている。その様子に複雑な気持ちになっていると、不意に焼けた肉の刺さった枝を差し出された。
「えっ……と」
イアリが戸惑っていると、フォレンはくい、と促すように枝────串を動かす。
「食べる? 腹減ってるだろ」
「……何ですか、これ」
「タヌキ。さっきとって来た」
さも当たり前のように言う。軍人ならばこれくらいのことは出来て当然ということだろうか。
「……大丈夫ですかこれ」
「心配いらない。処理はしてあるし火もしっかり通した」
ほら、とフォレンは自分で食べて見せる。とは言え食中毒はそんなすぐに出るものではないので不安は払拭されないが……ぐう、と腹が鳴り、こんがりとよく焼けた肉に食欲を誘発されてかぶりつく。……が。
「……んぐ……」
「調味料持ってなくてね。うん、美味くはないがまぁまぁいけるだろ」
「……まぁまぁ、っすね、ハイ……」
ここでは文句は言えない。随分迷惑をかけているなと申し訳ない気持ちが勝つ。
「……本当に……すみません」
「君が謝ることじゃない。ロレンが悪い」
フォレンはそう言って、眠る弟の方を見た。焚火に照らされたフォレンの顔は、昼間とは違う風に見えた。
「君も憑神者なんだって? しかも竜の」
「え、ああ、はい。……ロレンのとは全然違うタイプなんですけど」
「聞いたよ。グリフィンだっけ。鷲の上半身と獅子の下半身を持った……。ロレンの竜には歯が立たなかっただろ」
「そうっすね。全然……歯はないんすけど。あはは」
冗談めかして笑うと、フォレンもフッと笑った。
「あれを使いこなせれば、ロレンはもっと強くなれるんだけど。いかんせん憑いた精霊の性分が悪いらしい。闇竜族ってそういうものなのかな? 俺は直接話したことはないんだけどね。……ロレンが時々塞ぎ込んでるのを見る」
パチパチと、焚火のはじける音がする。それを眼鏡越しにフォレンは眺め、目を伏せた。
「俺は……精霊のことは分からない。俺には精霊はいないからね」
「あんなに強いのに?」
「俺はこう、そんなに力に頼らないからね。……ロレンもそういう風に強くなれればいいんだけど、なかなか。あれは気性もあるのかな」
フォレン顎を指で撫でると、続ける。
「ロレンは昔から……弱虫だ。俺と性格が正反対で。顔はこんなに似てるのに。背丈が大きくなっても全然変わらない。軍に入って少しは、精神も強くなったけど。根っこのところは変わってない。……まぁ、イアリ君も知ってると思うけど」
ロレンとは幼い頃から一緒に育った。イアリは12歳で孤児院に入った。ロレンとフォレンは二年先にいた先輩だった。エレンたち兄弟はさらにその一年前からいた。初めはフォレンとロレンの見分けがつかなかったのを覚えている。でも、段々と言動や立ち振る舞いから見分けがつくようになった。小さい頃は、フォレンの方が背が高かった。今やそんなに変わらないが。
「……孤児院に来る前から、あんな感じなんですか?」
もっと幼い頃のこと聞きたくて、イアリはそう訊ねた。しかし、フォレンは顔を曇らせる。
「それが……覚えてないんだ。孤児院に入る前のことは」
「え?」
「12歳より以前のこと……親のこととか、それまでどこで育ったのかも、俺は覚えていない」
フォレンは右手で額を抑えた。記憶を探るように目を細める。だが、何かに阻まれるように彼はどこか苦しそうな表情をして、続けた。
「気が付いたら、孤児院にいて。隣にロレンがいた。それが俺の……大事な弟だってことだけは分かった。記憶を失くした俺を、ロレンは変わらず兄として受け入れてくれたし……。何も分からない中で、絶対に守らなきゃって……そういう想いだけは覚えてた。だから、俺は……」
はあ、とフォレンはため息を吐く。炎がそれに応えるように揺らめく。
「俺は、ロレンのことだけは何があっても守らなきゃならないんだ。何からも。……だのに、俺にはロレンに憑いてる精霊のことはどうにもできない。それがどうにも、もどかしい」
フォレンは膝を抱えて俯く。イアリは何も言えなかった。
「頑張ろうとして暴走したロレンを、俺は暴力で抑えてやることしかできない。顕現状態で受けたダメージは、そのまま宿主に反映されるだろ? ……本当は、あんなこと……したくない」
勿論、竜の体で受けたダメージがそっくりそのまま来るわけではない。体のスケールに応じて多少縮小はされる。ただ、割合としては同じだ。竜の体は人より頑丈だ。鷲獅子竜の風も炎も受け付けない巨躯が、フォレンの蹴りで仰け反る様は凄まじいものだった。あれを人の身で食らえばひとたまりもないだろうなと思うが、竜の体にはさして命に関わるような衝撃は加わっていないように見えた。現にロレンは、鷲獅子竜に突かれた左目以外はそんなに重症ではないようだった。
「……そんなに気に病まなくても大丈夫ですよ、きっと」
「守りたいものを守るために、それに手を上げなきゃいけないとか、矛盾してるだろ」
フォレンはそう言いながら手を広げる。そしてずいとイアリに顔を寄せた。
「なぁ。人間に憑いた精霊を神界へ追い返す方法ってないのかな」
「……えーと、それは訊いてみないと……」
と、チラ、とイアリはなんとなく視線を下に向ける。すると内側から声が返って来た。
『ないな』
「……ない、そうです」
「そうか……」
フォレンは落胆し、そしてすぐに「でも」、と顔を上げた。
「グレンを生き返らせることが出来るように、抜け穴がないとも限らないよな」
「それは……どうでしょう。色々調べてみないと……」
『ないものはない』
グリフが不機嫌そうにそう言うので、イアリはそうフォレンに伝えた。
「ないことの証明は悪魔の証明だ」
「……でも、精霊本人がそう言ってるんで」
「むう……」
フォレンはまだ諦めきれないというような顔をしていたが、やがて一つ大きなため息を吐くと元の姿勢に座りなおした。
「まあ……ライナーのことはロレンに任せるしかないよな」
「……ロレンは強い奴ですよ。自分のことはきっと、自分でなんとかできます」
「そう……だよな」
仄かにフォレンの表情が和らいだ。そして彼はイアリに向かって笑いかける。
「ありがとう。ちょっとすっきりした」
「なら、良かったです」
「もう寝なよ。明日、エレン君たちを追うんだろ?」
「あ、そう、ですね……道分かるかな」
「多分大丈夫だ。俺に任せて」
ぐっ、とフォレンは胸を親指で差してウィンクした。
「俺はこのまま見張りでしばらく起きてるよ。だから安心して眠るといい」
「……いいんですか?」
「大丈夫。慣れてる」
ほら、と手で促されるのでイアリは礼を言って横になった。野宿には慣れているので、環境には問題なかった。途端に睡魔に襲われ、あっという間にイアリは夢の世界へと落ちて行った。
* * *
アーガイルは何かが動く気配を感じて飛び起きた。反射的に自分に迫っていた手を右手で捉える。その手に握られていた小刀に、アーガイルはヒヤリとした。相手が驚いた様子が伝わって来たので、襲撃者の顔を確認すべく光で照らす。
「……ジン、なんの真似だ」
驚きを飲み込みながら、襲撃者の名を呼ぶ。襲撃者────ジリョンはしくじったという顔で舌打ちすると、呟いた。
「……ちっ、迷いが出たか」
掴んでいた手を振りほどかれる。思っていたより強い力に驚きながら、アーガイルは布団の下に隠していた双剣の片割れを手にした。
状況が理解しきれないまま、アーガイルは再び振られた小刀を短剣で受ける。その力の入り方に、完全に相手がこちらを殺しにかかってきていることを感じた。
「……説明しろ、ジン」
「分からないか? 生かしとくわけにはいかねェんだよ、お前らを」
「何、だって?」
アーガイルはジリョンの体を蹴ると、胸倉を掴んでそのまま窓の方へ投げた。パリィン! という音と共に窓ガラスが割れ、ジリョンの体は外へ放り出される。アーガイルは双剣を手にその後を追って外へ出る。
辺りにほとんど光はなかった。空には虚像の月が浮かんでいるが、本物の月ほどの明るさはない。
「おい……みんな起きちまうだろ……」
ジリョンは体についたガラスを払いながら起き上がった。目には明確な殺意が宿っている。それが信じられないアーガイルは、首を振る。
「何で……こんなこと」
「俺の、役目だ。神殿の番人。そのために俺はここにいる。……神殿目当てに訪れた者を追い返す。帰らなければ殺す。それだけだ」
「そんな……」
「それが例えお前でもだ、アル」
小刀の切っ先がこちらに向けられる。ショックだった。だが、そうも言っていられないことを理解する。
「……どうしても神殿に行きたければ、君をねじ伏せろってことか」
「そうだな。……俺が負けたらその先は拒めない」
「なるほど。簡単な話だな」
「!」
突然エレンの声がして驚く。声に振り向くと、医院の屋根の上に棒を携えたエレンが立っていた。
「エレン!」
「……いつの間に」
「そこらじゅう影だらけで潜み放題だよ」
ヒュンヒュン、と棒を回し、エレンはどん、と屋根を突く。
「正直、この村に来てそんなあっさり受け入れられるなんて拍子抜けだったんだよ。こんな隠匿された村で、村人に案内されて来たとは言え……。村長より先にお前に会わせられたのも、このためだろ」
「それは僕が頼んだからで……」
「いや。多分リトに仕向けられてる。……お前が身内であることは想定外だろうがな」
「!」
秩序の力か。こんな場所だと強化されているのか、それとも気の緩みで力が通ってしまったのか。となると、だ。
「……リトもグルか……」
「グルというか。村の決まりだ。リトはそれに従っただけ」
ジリョンはそう言って両手を広げた。
「でもま、リトは本当にお前たちを神殿に連れて行きたかったんじゃないかな。……俺はそう思うけど。生き返しの儀を経験した唯一の村人だし」
「じゃあ……!」
「でも、同時にリトは村長の孫だ。そりゃ逆らえないよ。秩序の掟は絶対だから」
肩を竦めたジリョンはそして、左手の中指と人差し指をくっつけてこちらに向けた。
「リトには悪いが、ここで始末させてもらうぜ。良かったな、会いたい人に会えるぞ」
「!」
揃えられた指先に、眩く白い光が収束する。
「“クロス・レイ”」
X字状の巨大なビームがアーガイルに向けて放たれる。光の力で躱す。光線は背後の医院に当たるが、何の影響もないように見えた。
「何だ⁉」
線の消えた方を見て驚いているアーガイルの影から、エレンがヌッと出てくる。
「うわっ、びっくりした」
「……あいつ憑神者だ」
「えっ」
エレンの言葉に、アーガイルがジリョンを見ると、彼は片眉を上げてやれやれとエレンを指差す。
「お前もだな。最初から感じてたけど。……アルは違うのか。ふーん」
と、エレンの胸元から小さな光が飛び出した。ふわりと二人の前に躍り出たそれは、やがて人の形を取る。アーガイルはその姿を初めて見た。フードを被った後ろ姿から、猫耳が覗いている。
「エレボス! 何で出て来た」
エレンが言うと、猫耳がピクリとする。
「……あいつの中にいる精霊。俺に任せて欲しい」
「え?」
エレボスの両手に、それぞれ大鎌と黒い剣が現れた。そして彼は鎌をジリョンの方へ向けると、叫ぶ。
「おい! 出て来いよ“医神”!」
「……それは出来ない。ピオスは出てこないよ」
ジリョンは目を細めてそう言う。エレボスは鎌を肩に担いだ。
「そうか。なら、無理矢理引きずりだすまでだ」
ダン、と猫の如き跳躍力で、エレボスはジリョンへと距離を詰める。
「!」
「ジン!」
アーガイルは思わず叫んだ。エレボスの大鎌がジリョンの体を捉える。──────だが、その刃はジリョンの体を傷付けることなくすり抜け、変わりに何か霊体のようなものが体から引きはがされた。
「……ぐっ」
ジリョンが膝をつく。引きずり出された霊体は、はっきりとした形を持って体勢を整えるとエレボスから距離を取った。
「……全く。避けてくれなきゃだめじゃないか、ジリョン君」
首の横でまとめられた赤毛と白衣が印象的な精霊だった。眼鏡の奥の水色の瞳は、穏やかな光を湛えている。黒いシャツに締められた緑のネクタイを直しながら、彼は膝をついている宿主に困ったような顔を向ける。
「……いや、動けなかったんだよ」
「だろうねえ。これだから影の奴らは嫌いだ」
左手に持っていた本をペラペラとめくりながら、顎を上げて精霊はエレボスに向かって言う。
「いつかの戦争ぶりだ、“暗黒神”エレボス。……君がお望みならば、ピッタリの処方箋を出してやろう」
「必要ねぇよヤブ医者が」
「私の診察はいつだって的確だ。君たちのような野蛮な者たちには少々手荒なくらいが丁度いい」
「相変わらずだなァ……」
二人の精霊の間に、ピリついた空気が流れる。精霊同士でも色々あるらしい、ということをエレンたちは察する。
「仕方ない。この精霊の相手は私がしよう。ジリョン君、君はあの人間たちのことを頼むよ」
「……力使えねェのは少し困るんだが……」
「向こうも同じだ」
「いや、もう一人いるだろ」
「……なんとかしたまえ」
「んな勝手な」
「……えっ? ……あっ!」
そこでエレンは、影の力が使えなくなっていることに気が付いた。
「エレボスお前! どうすんだよこれ!」
「どうにかなるだろ!」
ええ、とエレンは困る。と、アーガイルが肩を叩いて僕に任せて、と自分を指差した。アーガイルが前に出てジリョンに目を向けると、彼は立ち上がりながら眉根を寄せる。
「……アンフェアじゃない?」
「二対一とどっちがいいわけ。僕らは賊だよ。卑怯とかどうとか関係ない。これでも譲歩してる方だ」
「……そう言われたらぐうの音も出ない」
「その代わり」
と、アーガイルはジリョンを指差す。
「僕が負けたら大人しく出て行く。エレンやケレン君に手を出すのは無しだ。でも、僕が勝ったら神殿に連れて行くんだ。いいね」
「……まあ、その方が楽で助かるけど」
はあ、とジリョンは腰に手を当ててため息を吐いた。
「お前が戦えるようになってるとは、思いもしなかったな」
「昔のままだって甘く見てると、痛い目見るからな」
アーガイルは双剣を抜き、構えた。ジリョンも小刀を手に戦闘の構えを取る。
次の瞬間、二人は一気に駆けだして、激しい剣戟の音が響いた。
#25 END
To be continued...
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日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
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第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。
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【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2024/12/26……書籍化確定、公表
2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位
2023/12/19……番外編完結
2023/12/11……本編完結(番外編、12/12)
2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位
2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」
2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位
2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位
2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位
2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位
2023/08/14……連載開始
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