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第一章 エレメス・フィーアン
#12 憑神
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気が付くとそこは洞窟のような暗い場所だった。座り込んでいる地面は水のような液体で満たされている。そこから立ち上がって、濡れた感触がないことにエレンは驚いた。
「……ここはどこだ……」
ふと、右腕を見ると何やらぼやけている。左手をやるとすり抜ける。
「何だこれ……」
「まだ自意識のイメージが確定してないんだよ。本当は無いけどあってほしい……みたいな」
「!」
声に振り向くと、上裸にローブを羽織った男が立っていた。ローブの縁から猫耳が覗いているその姿に、エレンは目を細めた。
「……何で猫……」
「猫で悪かったな。まったく、やっと人間に憑いたと思ったら早速死にかけてやんの。まぁ、人間窮地に成長するっていうからな。珍しいことでもねェか」
猫耳を不機嫌そうにパタパタとさせながら、彼はそう言った。
「さっきも言ったが俺の名はエレボス。影の国の精霊だ。以後よろしく」
「精霊……? って、フェールみたいな」
「あえ? フェール? 天狼様を知ってるのか。まぁそれなら話が早い。そういうことだ。俺はお前の成熟した器に呼ばれてここに来た」
「? 逆に何でフェールを知ってるんだ」
「何でも何も、あの人は神界じゃ有名な精霊だしな。……って、今そんなことはどうでもいいんだよ」
びし、とエレボスは人差し指を突き出す。
「ここは“心理の窟”。お前の精神世界だ。精霊が憑くと現れる。これからここに来たい時は、目を瞑って己の内側に意識を向けるといい。今回は俺が連れてきた。そんで時間がない。よく聞け」
紫の瞳は真剣だった。猫耳がピンと立っている。
「お前は今、死にかけてる。放っておけば出血多量で死ぬ……ところを、俺の治癒魔術で塞いだ。血液量も少し戻した。だが俺は魔術はそう得意じゃないし、治癒魔術も応急処置程度にしかならない。……あとはお前の気力次第ってところだ」
「……そうだ、今俺」
「モタモタしてると殺されるな。今はお前の意識が完全に落ちてるから精神世界と現実世界の時間進行はずれてるが……止まってるわけじゃない」
カフィは自分にとどめを刺すかもしれない。今はまだ辛うじて息があるがそうなったら終わりだ。
「まだ戦えるか。無理なら俺が外に出て変わりに戦う。消耗は激しくなるが……」
「……いや。俺がやる。でも……」
「力は貸すよ。俺の武器を使うといい。少し俺と同調してくれれば上手く扱えるだろう。身体能力も強化できる」
「その……お前、強いのか?」
「馬鹿言うなよ! 俺は神界じゃ名の知れた戦士だ。精霊の力をなめるなよ。お前ら人間より格段に強い。……もうそれはお前の力でもあるわけだが」
そうは言われても、自慢げにぴこぴこしている猫耳に説得力がない。同じ精霊であるフェールの力は知っているが、どうもこの彼を同じ存在だとは見れなかった。
だが、ここは信じてみるしかない。
「いいか。目覚めたら、手に……左手に、武器をイメージしろ」
「具体的には?」
「いらない。力が手にあることをイメージしろ。それから俺に意識を向けろ。最初から上手くできるとは思わないが……ないよりマシだ」
「抽象的だな……」
「抽象的にしか言いようがないんだよ! 精霊と守護者のつながりは精神的なものだ。やってる内に感覚は掴める。心配するな」
エレボスは、エレンの左手を取って両手で握った。
「俺を信じろ。まずはそこからだ。行け!」
目の前の景色が暗くなる。暗転して、目を開けると目の前に刀を振りかざしたカフィがいた。言われたことを思い出し、左手を体の前に持ち上げると強く“力”をイメージした。影が渦巻き、手に大振りの何かが現れるか否やエレンはそれを大きく振る。予想外のことに驚いたのか、避け損ねたカフィの胴が横薙ぎに裂ける。
「! 何っ……」
しゃり、と金属の鎖が地面を擦る。エレンが手にしているのは、大鎌だった。重さはあまり感じなかった。よく手に馴染む。エレンは内から力が湧いて来るのを感じた。ゆっくりと立ち上がる。足はもう痛くない。エレボスが治してくれたのか。右肩からの出血も止まっている。持ち上げた鎌の柄の先から鎖が垂れさがっていた。その先は影の塵となって消えている。これが完全な形ではないのだろう。だが、片腕の自分には十分だった。
『上出来だ』
内からエレボスの声がする。エレンは持ったこともなかったその大鎌を、使い慣れた武器の如く構えると、カフィを見据える。
「あれ……? 何で元気そうなの…?」
不思議そうなカフィは、自分の腹に手を当て、べったりとついた血を見て笑う。
「どこから出した? ただの影じゃないよね。ちゃんとした武器だ」
「……俺一人じゃアンタには勝てない。だから力を借りる。ずるいとか、言うなよ。これは俺の力だ」
カフィはハッとする。エレンの瞳の色が暗くなっている。
「……もしかして、憑神した? 今?」
エレンの姿が影に溶け、そして音もなくカフィへと接近した。彼が振った刀を柄で滑らせ、石突で腹を突く。
「ごあッ!」
次の瞬間、大鎌がカフィの左肩を切り裂いた。怯んだその腹を、さらに刃が深く刺し貫く。
「……!……ぶぐっ……がっ……」
ズッ、と紅い弧を描いて鎌は引き抜かれる。ドサ、とカフィの体はうつ伏せに地に倒れた。
息を吐き、エレンは頭が冷えていくのを感じた。手が震える。でも後悔はなかった。ただ冷酷な気持ちが心に満ちている。自分の腕を奪い、兄を裏切った男に一切の慈悲を感じなかった。
血を吐き、カフィは顔を上げる。流れ出る血に自身の死を理解したのか、彼は力なく笑う。
「へっ……やれば出来るじゃねェか……」
エレンは初めて、自戒を破った。それは一時の衝動か、それとも自己方針の転換か、その時のエレンには分からなかった。
死神の如き目が地に伏す男を見下ろしていた。その魂が消え去ると同時に、エレンが手にしていた鎌もまた、黒い塵となって消えていった。
* * *
アーガイルは短剣をブンと振る。ウェラはそれを避けもせず、ただ剣は体を通りすぎてそのあとを火の粉が巻き上がる。
「無駄だというのが分からんのか」
炎を纏った拳がアーガイルの顔面向けて放たれる。アーガイルはそれを後ろに反って避け、そのまま地面に手をついてバク転の要領で蹴りを繰り出す。ウェラはスイッと後ろに下がる。
「……後方支援の遠距離ばかりじゃないんだな」
「一度もそんなことは言っていない。我らの中で体術が苦手な奴は一人もおらんよ」
「────そりゃあそうか、そういうもんか」
ウェラが両手を伸ばし、腕をクロスさせる。炎が湧き出し、それは四羽の火の鳥を形作ってアーガイルへと襲いかかる。
「“クアドラ・フィニクス”」
「!」
一直線に飛んで来た鳥たちをアーガイルは横に飛んで回避した。しかし、炎は意思を持っているかのように旋回して戻って来た。
「何っ⁉」
「回避は不可能だ」
光で打ち消そうとするが、一羽を仕留め損ねて左半身に食らいつかれた。
「ぐあああっ!」
すぐさま転がって消火するも、服は焼け落ち、腕にも酷い火傷を負った。空気に触れて酷く痛む。
「……ッ……!」
「人は、生物は、古来より火を恐れ生きて来た。火には勝てぬことを昔から理解していたのだ。無駄な抵抗はせんことだ」
「………そういえば……アンタ」
「?」
呼吸を整えながら口を開くアーガイルに、ウェラは怪訝な顔をした。
「斬撃は避けないのに、蹴りとかの打撃は避けるよな……」
「……それがなんだ」
「もしかして、すり抜けられる攻撃の面積が限られてるんじゃないか」
その指摘に、ウェラは表情を変えずに答える。
「だとしたら何だ。いかなる攻撃を受けようと、俺は瞬時に再生する」
「それも無限じゃないんだろ。精霊の力っていうのは消耗が激しいんじゃないのか。いくら再生ができると言ったって……それに使う体力は無尽蔵じゃないはずだ」
アーガイルは双剣を構えた。左半身の痛みをぐっと堪える。僅かにウェラが眉をピクリとさせたのを見て、笑う。
「つまりだ。アンタはただの少ししぶといだけの人間だ。いつか限界は来る」
「……それがどうだというんだ。お前の方が先に尽きるだろう。精霊の力も持たないただの守護者が敵うものか」
「どうかな。僕は諦めが悪いんだ。とーっても……負けず嫌いでね」
圧倒的不利な状況。だが、不思議と絶望感はなかった。内に渦巻いているのは高揚感。以前の自分ならここまで戦えなかった。自身の成長を感じられることが嬉しかった。
「さぁ、我慢比べと行こうじゃないか」
「……やれ、最近の若者は生意気で困るな」
ウェラはそう言って目を細めた。
#12 END
To be continued...
「……ここはどこだ……」
ふと、右腕を見ると何やらぼやけている。左手をやるとすり抜ける。
「何だこれ……」
「まだ自意識のイメージが確定してないんだよ。本当は無いけどあってほしい……みたいな」
「!」
声に振り向くと、上裸にローブを羽織った男が立っていた。ローブの縁から猫耳が覗いているその姿に、エレンは目を細めた。
「……何で猫……」
「猫で悪かったな。まったく、やっと人間に憑いたと思ったら早速死にかけてやんの。まぁ、人間窮地に成長するっていうからな。珍しいことでもねェか」
猫耳を不機嫌そうにパタパタとさせながら、彼はそう言った。
「さっきも言ったが俺の名はエレボス。影の国の精霊だ。以後よろしく」
「精霊……? って、フェールみたいな」
「あえ? フェール? 天狼様を知ってるのか。まぁそれなら話が早い。そういうことだ。俺はお前の成熟した器に呼ばれてここに来た」
「? 逆に何でフェールを知ってるんだ」
「何でも何も、あの人は神界じゃ有名な精霊だしな。……って、今そんなことはどうでもいいんだよ」
びし、とエレボスは人差し指を突き出す。
「ここは“心理の窟”。お前の精神世界だ。精霊が憑くと現れる。これからここに来たい時は、目を瞑って己の内側に意識を向けるといい。今回は俺が連れてきた。そんで時間がない。よく聞け」
紫の瞳は真剣だった。猫耳がピンと立っている。
「お前は今、死にかけてる。放っておけば出血多量で死ぬ……ところを、俺の治癒魔術で塞いだ。血液量も少し戻した。だが俺は魔術はそう得意じゃないし、治癒魔術も応急処置程度にしかならない。……あとはお前の気力次第ってところだ」
「……そうだ、今俺」
「モタモタしてると殺されるな。今はお前の意識が完全に落ちてるから精神世界と現実世界の時間進行はずれてるが……止まってるわけじゃない」
カフィは自分にとどめを刺すかもしれない。今はまだ辛うじて息があるがそうなったら終わりだ。
「まだ戦えるか。無理なら俺が外に出て変わりに戦う。消耗は激しくなるが……」
「……いや。俺がやる。でも……」
「力は貸すよ。俺の武器を使うといい。少し俺と同調してくれれば上手く扱えるだろう。身体能力も強化できる」
「その……お前、強いのか?」
「馬鹿言うなよ! 俺は神界じゃ名の知れた戦士だ。精霊の力をなめるなよ。お前ら人間より格段に強い。……もうそれはお前の力でもあるわけだが」
そうは言われても、自慢げにぴこぴこしている猫耳に説得力がない。同じ精霊であるフェールの力は知っているが、どうもこの彼を同じ存在だとは見れなかった。
だが、ここは信じてみるしかない。
「いいか。目覚めたら、手に……左手に、武器をイメージしろ」
「具体的には?」
「いらない。力が手にあることをイメージしろ。それから俺に意識を向けろ。最初から上手くできるとは思わないが……ないよりマシだ」
「抽象的だな……」
「抽象的にしか言いようがないんだよ! 精霊と守護者のつながりは精神的なものだ。やってる内に感覚は掴める。心配するな」
エレボスは、エレンの左手を取って両手で握った。
「俺を信じろ。まずはそこからだ。行け!」
目の前の景色が暗くなる。暗転して、目を開けると目の前に刀を振りかざしたカフィがいた。言われたことを思い出し、左手を体の前に持ち上げると強く“力”をイメージした。影が渦巻き、手に大振りの何かが現れるか否やエレンはそれを大きく振る。予想外のことに驚いたのか、避け損ねたカフィの胴が横薙ぎに裂ける。
「! 何っ……」
しゃり、と金属の鎖が地面を擦る。エレンが手にしているのは、大鎌だった。重さはあまり感じなかった。よく手に馴染む。エレンは内から力が湧いて来るのを感じた。ゆっくりと立ち上がる。足はもう痛くない。エレボスが治してくれたのか。右肩からの出血も止まっている。持ち上げた鎌の柄の先から鎖が垂れさがっていた。その先は影の塵となって消えている。これが完全な形ではないのだろう。だが、片腕の自分には十分だった。
『上出来だ』
内からエレボスの声がする。エレンは持ったこともなかったその大鎌を、使い慣れた武器の如く構えると、カフィを見据える。
「あれ……? 何で元気そうなの…?」
不思議そうなカフィは、自分の腹に手を当て、べったりとついた血を見て笑う。
「どこから出した? ただの影じゃないよね。ちゃんとした武器だ」
「……俺一人じゃアンタには勝てない。だから力を借りる。ずるいとか、言うなよ。これは俺の力だ」
カフィはハッとする。エレンの瞳の色が暗くなっている。
「……もしかして、憑神した? 今?」
エレンの姿が影に溶け、そして音もなくカフィへと接近した。彼が振った刀を柄で滑らせ、石突で腹を突く。
「ごあッ!」
次の瞬間、大鎌がカフィの左肩を切り裂いた。怯んだその腹を、さらに刃が深く刺し貫く。
「……!……ぶぐっ……がっ……」
ズッ、と紅い弧を描いて鎌は引き抜かれる。ドサ、とカフィの体はうつ伏せに地に倒れた。
息を吐き、エレンは頭が冷えていくのを感じた。手が震える。でも後悔はなかった。ただ冷酷な気持ちが心に満ちている。自分の腕を奪い、兄を裏切った男に一切の慈悲を感じなかった。
血を吐き、カフィは顔を上げる。流れ出る血に自身の死を理解したのか、彼は力なく笑う。
「へっ……やれば出来るじゃねェか……」
エレンは初めて、自戒を破った。それは一時の衝動か、それとも自己方針の転換か、その時のエレンには分からなかった。
死神の如き目が地に伏す男を見下ろしていた。その魂が消え去ると同時に、エレンが手にしていた鎌もまた、黒い塵となって消えていった。
* * *
アーガイルは短剣をブンと振る。ウェラはそれを避けもせず、ただ剣は体を通りすぎてそのあとを火の粉が巻き上がる。
「無駄だというのが分からんのか」
炎を纏った拳がアーガイルの顔面向けて放たれる。アーガイルはそれを後ろに反って避け、そのまま地面に手をついてバク転の要領で蹴りを繰り出す。ウェラはスイッと後ろに下がる。
「……後方支援の遠距離ばかりじゃないんだな」
「一度もそんなことは言っていない。我らの中で体術が苦手な奴は一人もおらんよ」
「────そりゃあそうか、そういうもんか」
ウェラが両手を伸ばし、腕をクロスさせる。炎が湧き出し、それは四羽の火の鳥を形作ってアーガイルへと襲いかかる。
「“クアドラ・フィニクス”」
「!」
一直線に飛んで来た鳥たちをアーガイルは横に飛んで回避した。しかし、炎は意思を持っているかのように旋回して戻って来た。
「何っ⁉」
「回避は不可能だ」
光で打ち消そうとするが、一羽を仕留め損ねて左半身に食らいつかれた。
「ぐあああっ!」
すぐさま転がって消火するも、服は焼け落ち、腕にも酷い火傷を負った。空気に触れて酷く痛む。
「……ッ……!」
「人は、生物は、古来より火を恐れ生きて来た。火には勝てぬことを昔から理解していたのだ。無駄な抵抗はせんことだ」
「………そういえば……アンタ」
「?」
呼吸を整えながら口を開くアーガイルに、ウェラは怪訝な顔をした。
「斬撃は避けないのに、蹴りとかの打撃は避けるよな……」
「……それがなんだ」
「もしかして、すり抜けられる攻撃の面積が限られてるんじゃないか」
その指摘に、ウェラは表情を変えずに答える。
「だとしたら何だ。いかなる攻撃を受けようと、俺は瞬時に再生する」
「それも無限じゃないんだろ。精霊の力っていうのは消耗が激しいんじゃないのか。いくら再生ができると言ったって……それに使う体力は無尽蔵じゃないはずだ」
アーガイルは双剣を構えた。左半身の痛みをぐっと堪える。僅かにウェラが眉をピクリとさせたのを見て、笑う。
「つまりだ。アンタはただの少ししぶといだけの人間だ。いつか限界は来る」
「……それがどうだというんだ。お前の方が先に尽きるだろう。精霊の力も持たないただの守護者が敵うものか」
「どうかな。僕は諦めが悪いんだ。とーっても……負けず嫌いでね」
圧倒的不利な状況。だが、不思議と絶望感はなかった。内に渦巻いているのは高揚感。以前の自分ならここまで戦えなかった。自身の成長を感じられることが嬉しかった。
「さぁ、我慢比べと行こうじゃないか」
「……やれ、最近の若者は生意気で困るな」
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