SHADOW

Ak!La

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第一章 エレメス・フィーアン

#10 焔

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「……ごめん、無理させて……」
「………いえ……逃げないと、いけないですし……」
「……どうしよう。行くあてがないしな……」
 安全なところは思いつかない。居候先は論外だ。アーガイルの隠れ家は遠い。ケレンの家には戻れない。どうしたものかと悩む。
「……K.Dに保護してもらう?」
「でも、それだとアーガイルさんは」
「うん……僕は行けないけど……」
 お尋ね者が自ら出頭しに行くようなものだ。それは出来ない。だが、ケレンは違う。
「考えてる暇はないよ。いくつあいつの手があるか分からないし……」
 と、その時不意にアーガイルはゾクリとして、咄嗟にケレンを庇いながらその場から飛び退いた。火球が背後を掠めて行く。ボッ、とそれはその先にあったゴミ袋に着弾し、燃え上がった。
「あつっ」
 崩れたゴミが路地を塞ぐように散乱した。ケレンを伏せさせたまま、アーガイルは立ち上がり火球が飛んで来た方を見る。
「ほう、避けるか」
「お前は……」
 あの黒コートと同じデザインの仮面と白いコート。静かに歩いて来る男に、アーガイルは腰の短剣に手をかけながら僅かに前に出る。
「……カリサの仲間かって……聞くまでもないよな」
「そうだ。そいつを渡してもらおうか」
 男はそう言って右手を伸ばしてくる。アーガイルは片頬で笑う。
「嫌だと言ったら?」
「力づくで奪うまでだ」
 白コートの手に炎が現れる。それを見てアーガイルは目を細めた。
「……いやだな。多分エレンも分かってただろうに何で言ってくれないんだ……」
「アーガイルさん?」
「ケレン君、走れるかい。K.Dエレメス支部は分かるね」
「は、はい」
「一人にして悪いけど、行って。ここは僕が食い止める」
 双剣を抜いて構えるアーガイル。背後を振り返り、ケレンは困ったように言う。
「でも、火が……」
「……正面突破だね。僕が隙を作る。いいね」
「そう易々と逃がすと思っているのか?」
 放たれた炎を、アーガイルは光で搔き消して彼へと突っ込む。振った双剣は空を切る。速い。と、その直後側頭部に強い衝撃を受ける。蹴られたのだと分かったのは地面に叩きつけられてからだった。
「アーガイルさん!」
「っ……!」
 ひっくり返りながら短剣を投げた。カンッっと音を立てて仮面に当たる。
「!」
 予想外の攻撃だったのか、男が仰け反る。アーガイルは仰向けになりながら叫ぶ。
「行け!」
 ケレンは意を決した顔をして、自分たちの横を駆けて行った。そしてその背に黒い翼が生えて飛んで行くのを確認し、アーガイルは体を起こした。
 男は顔を抑えている。カラン、と半面の仮面が地面に落ちた。ゆっくりとその顔を上げ、仮面を外した素顔を見てアーガイルは笑う。
「……やっぱり……そんなことだろうと思った。あんたらどう考えても怪しいもん」
「────俺の方は工作していないからな」
 男────ウェラは、冷たい目をしてアーガイルの方を見た。彼がフードを取ると、長い銀髪がふわりと姿を現した。
「お前の介入は計画外だったが────問題ない。我々の邪魔をするならば消すのみだ」
「随分と、甘く見られたものだね。そう簡単に消されてたら、僕は今ここにはいない」
 アーガイルは右手の短剣の切っ先をウェラへと突きつけるように構え、言い放つ。
「大泥棒“黒影”の右腕! “瞬光”のアーガイル! 推して参る!」
「活きのいいことだ。未熟な者ほどよく吠える」
 ウェラの両手に炎が現れ、放たれた。アーガイルの体が光の粒子に変わり、瞬時にウェラの背後へと現れた。その背へと短剣を突き立てる。確実に当たった。しかし手ごたえがなかった。
「⁉」
 貫通した部分が炎になっている。振り向きざまに振りぬかれた炎を纏ったその右手を避け、アーガイルは目を見張る。
「……何だ」
 一部の守護者は体をその属性へと変換できるが、炎の守護者はその限りではない。ましてや体の一部のみなど。
 突き刺した場所から炎が上がっている。メラメラと、それは穴を埋めるようにやがて小さくなっていく。
「────力を極限まで鍛え上げると……その成熟した器に、神界より降り立った精霊が宿ることがある。それを“憑神ひょうしん”と呼ぶ」
 ウェラはそう、呟くように語り始めた。
「今しがた逃げ去ったあの小僧……奴にもそれが宿っているようだが、到底影の力を極めているようには見えなんだな。不思議なこともある」
「まさか……」
 ウェラの瞳が、炎のように揺らめいて輝いていた。アーガイルはその様に思わず身震いした。人ならざる力。
「そう。俺は“憑神者”。宿した精霊は炎の精霊、名をヘスティア。尽きることなき命の焔を宿せし不死鳥の精霊よ」
 ウェラの体から燃え上がる炎。それは通常のものとは異なり、命の輝きを宿した神秘を感じさせる炎だった。思わず見惚れ、そしてアーガイルは我に返って冷や汗を流す。

「不死鳥……」
「不死の俺を殺せるか、若造」
 人外の顔。アーガイルはそう思った。そしてその物言いから、ふと疑問に思ったことをアーガイルは口にした。
「……あんた一体いくつなんだよ」
「さて。三度の転生を経たが、歳を数えるのはやめてしまった。意味のないことだ」
 首を振るウェラに、アーガイルは片頬で笑う。
「化け物が……」
「貴様の勝てる可能性は皆無だ。今降伏するのならば、苦しみなく焼き尽くしてやる」
「冗談。僕らに不可能なことはないんだよ」
「今、貴様は一人だ」
 アーガイルは構える。そして次の瞬間、炎と光が路地に炸裂した。

* * *

 ケレンは路地で立ち止まる。体にのしかかる言い知れぬ疲労。こんなことなら普段から鍛えておけば良かったと思う。医師としての勤務も過酷なものだが、それとはまた別の疲労感に押しつぶされそうだった。でも、ここで倒れるわけにはいかなかった。ケレンはなんとか顔を上げる。目の前に立っている長い金髪の男がこちらを見て笑っている。深く息を吸い、呼吸を整えてケレンは落ち着いて声を発した。
「……どうしてここが」
「ずっと見てたんだ。君が逃げているところをね。ここまでの道中のことは全部知ってる。……君がそろそろしんどそうだったし、場所もいいから、姿を見せてあげようと思って」
 カリサは髪を揺らして首を傾げる。
「もっと絶望するのかと思ってた……案外冷静だね。意外と肝が据わってるのかな」
「絶望してますよ。だって僕は戦えない。守ってくれる人はいないし……フェールはもう出てこれない。僕の体を使ってもこれじゃそう長くはもたない」
「じゃあどうして?」
「悲観的になったって何も解決しない。兄さんもアーガイルさんも、覚悟を決めて僕を逃がした。僕だけが情けなく泣き喚くわけにはいかないんですよ」
 ケレンは胸に手を当てた。目を瞑って息を吸って、吐く。
「あなたも情けなくないですか。グレン兄さんを恨むなら真向から挑めばいい。あの人の人柄を知らないわけじゃないでしょう。こんなことをして、僕たちを傷付けたら、あの人は黙っちゃいない。怒り狂ってあなたを殺す」
「知ってるよ。俺はグレンを殺したいんじゃない。深い絶望の中に落としてやりたい。そのために君たちを殺したい。あいつがどれだけ弟を大事に思ってるか知ってるよ。君たちも親なしの兄弟だろ? 早くに母親を亡くして、父親は行方知れず。孤児院に引き取られながらも唯一の肉親を、グレンは大事に守って来た。君たちを食わせるために賞金稼ぎにもなってさ。……そのせいで、こうなってるんだけど」
 カリサは両手を広げる。心底おかしいと言うように彼は笑う。
「それでどうする? 大人しく俺に殺されるか、それともそのヘロヘロな体で抵抗するの?」
「大人しく死ぬ気なんてありませんよ。……あなたは僕たちのことをよく知ってるみたいだ。すごい執念だ……僕たちの生い立ちまで知ってるなんて」
「そりゃね」
「でも、僕のことはよく知らないみたいだ。生まれながらに“憑神者”の僕のこと」
 ケレンは胸を抑えた。ぐ、と手に力が籠る。カリサはうなじにぞわりとしたものを感じた。ケレンの青い瞳が影色に呑まれる。
「昔は上手く制御できなかった。今でも感情が昂るとできない。フェールも僕に同調して抑えが効かなくなる。これで昔、僕はよく迷惑をかけた」
 ぎり、と嚙み締められた口の縁から鋭い犬歯が覗いた。辺りが一段と暗くなっていることにカリサは気が付いた。
「……でも、こういう時に命をかけられるのなら悪くない。僕は、怒ってるんだ。絶望なんか屁でもないくらいに」
 辺りの影という影がケレンへと集まる。それは黒く膨らみ、やがて弾けるように巨大な漆黒の翼の生えた狼へと姿を転じた。

 遠吠えが大気を震わせる。見上げるほどのその体躯にカリサは思わず後ずさる。光を一切反射しない体毛。狼は遠吠えの余韻を引きながら頭を降ろし、その口元から赤色と白い牙を覗かせる。
「……どう見ても精霊の“完全顕現”だよねぇ」
 カフィとフェールが戦うところをカリサは見ていた。あの優男から黒い翼が生えるところも。鳥系ではなくこう来たか。
「巨大な影の狼とは恐れ入る」
 狼にはあの青年の面影は一切感じられない。言葉ももはや発せず獣の唸り声が響いている。だが、足元は僅かにふらついているようだった。
「体力は既に限界みたいだね。見かけ倒しで凌ぐつもりかい? まぁいい、そっちがその気なら俺も張り合いがあるってもんだ」
 カリサがそう言って笑うと手をかざす。ニィと口角を吊り上げた彼に、漆黒の狼が襲い掛かった。


#10 END


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