零れ鬼

戦うぴっき

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3 雨の日の話

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 燃える、燃える。燃え盛る。伸ばした手が空を掻いて、崩れ去る。記憶も想いも、全て燃えて。それなのに、如何して御前は──


 雨は嫌いだ。湿気が鬱陶しいから。月が良く見えないから。あらゆる音が良く聞こえるから。勿論、人間の醜い声も。
 人間の気配が完全に消えたのを確認して寝床から抜け出す。寝静まった古びた廃工場の外に在るごみ集積所を見ると、襤褸切れの様な人形が捨てられていた。
「擬態するならもっと上手くするべきだったな。気配がだだ漏れだ」
「……うるさいですよ、アナタ。これでも割と可愛がってもらってたんです、少し失敗しただけで。そのうち戻ってきてくれます」
「まさか。御前は捨てられたのだろう?」
「人間のことを何も知らないくせに、知った風な口を利きますね……いえ、多少はご存知なんでしょうか?混ざり物の異形さん」
「……へぇ。混ざり物、ね」
「わぁ!ひっ掴むのやめて貰えます!?ワタシ繊細なので!壊れてしまいますので!」
握り潰そうと思ったけれど、じたばたと抵抗する人形を見ると何となく気が変わった。
 寝床に戻る前に適当な異形を潰す。散乱した欠片を幾つか拾っていると、残りはすぐに食い尽くされて無くなった。
「まぁ、ワタシの為にわざわざありがとうございます。失言をお詫びしましょうか?」
「要らない」
 寝床にしている鉄骨に腰を落ち着けると、人形と欠片を近くに転がす。
「食事なんて何時ぶりでしょう……!一年は食べていなかったでしょうね」
 人形は薄汚れた手で欠片を掴むと大きく口を開けて一息で欠片を飲み込み、次の欠片に手を伸ばす。
「何も食べていなかったからそんなに脆いの?」
「ええ、残念ながら動けませんので。食べなければ死ぬ。当たり前のことでしょう?」
「ふぅん……衰弱するだけなのに、人形の振りなんて楽しいの」
「おお、聞いてくださいますか!!」
 人形は勢い良く顔を上げて嬉しそうに僕を見る。嗚呼、失敗した。うっかり口走った。


「ワタシのご主人はそれはそれは可愛らしい少女なのですよ。初めて会ったのは忘れもしない、あの夏の昼下がり……」
「そう言うの良いから簡潔にして」
「ハァ……情緒の無い方ですねぇ……まぁいいでしょう」
 引き裂いてやろうか。
「ワタシが彼女と出会ったのは三年前、まだ人形でもなんでもない、ただの弱い異形だった時です。恐ろしかったでしょうに、彼女は醜いワタシに優しく微笑んで頭を撫でてくださいました。その手がとても暖かくて、嬉しくて。その時に思ったのです、出来ればずっとこの人間の傍に居たいと」
 人形が語る傍らで寝床に丸くなる。人形は僕を見て溜息を吐きながら話し続ける。
「ワタシは考えました。人間の少女の傍に異形が違和感無く居られる方法は何か。たくさんの人間を観察するうちに思い付いたのです、この姿になる事を」
人形は遠くを見詰めながら話す。外からは未だ雨音が聞こえている。
「彼女の家の庭にあるブランコの上でワタシを拾ってもらうことにしました。大人達は気味悪がっていましたが、彼女は嬉しそうにワタシを抱いてくれたのです」
 人形の弾んだ声が錆びた廃工場に反響している。ゆっくりと眼を閉じると、穏やかな人形の声がするりと耳に入ってくる。
「それからのワタシは幸福でした。お腹が空くという問題はありましたが、それも彼女のとびきりの笑顔を見れば吹き飛びました。誰もいない時に虫を齧ったりしてましたし。彼女がワタシで遊ぶ、同じベッドで眠る、どこかへ一緒に出掛ける……彼女と過ごす時間が増える度、ワタシの想いは強くなりました。もっと彼女の傍で可愛らしい笑顔を見守っていたい。でも……」
 人形の言葉が途切れる。人形に目を向けると、項垂れた背中があった。
「……見つかったの?」
人形は小さく頷く。
「些細な事でした。彼女が母親の調理を手伝っている最中、よそ見をして包丁を落としたのです。あの子が怪我をしてしまう!そう思ったら、とっさに……その後のことはよく覚えていません。人間の悲鳴と怒声と、暴力と。彼女がとても大切にしてくれて、あんなに綺麗だったのに。こんなにみすぼらしくなってしまいました」
「……そのまま此処に捨てられたの?」
「はい。彼女の無事を確認する事すら出来ず、こんな所まで来てしまいました」
「……それだけ?」
「はい?」
 人形が振り向き呆けた顔で僕を見る。
「他に思う事は無いの。痛め付けられたのに」
「ありません。元はと言えばワタシが悪いのです。人間を騙して傍に居ようとしたワタシが」
「でも、御前は子供を護ろうとしただけなのに」
言い募る僕に人形は少し驚いた様な顔をして、笑って僕の頭を撫でた。僕は、驚いて、見詰める事しか出来なかった。
「ありがとうございます、鬼の人。でも良いのです。ワタシはあの人間達を恨んだりしません。一緒に暮らした大切な家族ですから」
「……家族」
 僕はただ人形を見詰める。人形の言葉は、何処か遠くに聞こえた。


「あ、止みましたね、雨」
 人形の言葉に外を見ると、月が濡れた地面を柔らかく照らしていた。
「これなら濡れませんから、あの子が来てくれるかも知れませんね!ワタシを元の場所に戻してください、鬼さん!」
さぁ早く!と急かす小さな異形が、何故か恐ろしいと思った。


 人間の気配を感じて、眼を開ける。大きな荷物を抱えた子供が、ごみ集積所に駆け寄る。
「あった……!」
子供は人形を拾い上げると、そのまま廃工場の中へ入ってくる。
「よかった、探したんだよ?おかあさんが遠くに捨てちゃったって言うんだもん」
子供は人形に話し掛ける。人形も嬉しそうにしているが、子供は気付かない。
「勝手に捨てないでって怒っちゃった。だって……」
 少女は突然人形を投げ捨てると持っていた荷物の中身をぶち撒けた。撒き散らされた液体が人形に掛かる。
「……だって、あたしが捨てられないじゃない!」
子供は懐からライターを取り出すと人形に向かって、投げた。油に引火して、人形から火柱が上がる。
「あんたみたいなのと三年もずっと一緒に居たなんて!気持ち悪い!死んじゃえ!」
 子供は醜く笑いながら、炎に包まれた人形を見下ろしている。


 燃える、燃える。燃え盛る。伸ばした手が空を掻いて、崩れ去る。記憶も想いも、全て燃えて。それなのに、如何して御前は、そんなに嬉しそうに笑っているの?
「──怪我が無くて良かった、ワタシの可愛い子──」
 人形は穏やかに子供を見詰め、静かに燃え尽きた。


「お母さん!あたしこの子がいい!」
 新しい人形を強請る子供に母親が笑顔で返す。子供の弾ける様な笑顔から思わず目を逸らす。
「珍しいのぉ、お前さんが真昼間から外に出るなんて。面白いものでもあったか?」
「……煩い」
「なんじゃ、釣れないのぉ」
 踵を返して高い建物の上を跳ぶ。風に乗って雨の匂いがして、遠くの空に黒い雲が見えた。
 穏やかな声、無機質な柔らかい手。……また一つ、雨が嫌いになった。
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